ガレージセールの楽しみ方

        (1994.4)

生物資源学部 溝口勝

 アメリカでは、5月にもなると週末の午前中、あちこちの家の庭先で中古品 の自由販売が行われる。これが車庫(ガレージ)で行わればガレージセール、 中庭ならヤードセールと呼ばれる。

 使い古した皿やスプーン、鍋、フライパンなどの台所用品をはじめ、ベビー 服やセーター、Tシャツ、穴のあいたジーパンなどの衣服、ソファーやタンス などの家具、テレビやビデオなどのオーディオ機器、それに古本など実にさま ざまものが並べられる。各々の品物には希望価格を書いたラベルが無頓着に貼 られている。ほとんどの小物は50セントや$1という日本で言えば100円 程度の超安値である。買い手はその場所に行って売り手と値段を交渉し、欲し いものだけを買取り、そしてまた別のガレージに向かう。

 普段新品で物を買うことに慣れている日本人には汚らしいイメージが付きま といはじめは抵抗を感じるが、利用してみるとその合理性に感心し、そしてそ の面白さが病みつきになる。私などは毎週末、家族であちこちの家を回ったも のだ。その値段が魅力的なのに加え、売られるモノに生活が映し出され、アメ リカの文化そのものを知るのに最適だった。ニューヨークの方へ夏旅行した際 にもついでにガレージセールを覗いてみた。インディアナの田舎とは違って、 さすがに品(ヒン)の良さそうな物が並んでいた。所変われば嗜好品も随分違 うものだ。値段も田舎よりは高い感じがした(ケチ臭い我が女房は買おうとし なかった)が、それでも日本に比べればやっぱり格安だった。

 良いものをより安く手に入れるためには、まず下調べが重要である。毎週金 曜日の新聞の地域覧に目を光らせ、どこで何時からどんなものを売るのかを チェックする。そうして住宅地図上にその場所をマークし、どの順番で回るか を決める。指定された時刻より10分くらい早く行くのがコツである。こうい うこと繰り返しているうちに、アメリカの住所や番地の決め方の法則性を見つ け出した。例えば、「1815 Woodland Ave.」ならば、ウッドランド通り 沿いの18番通りから15(単位は忘れた)くらい行った辺りにポンコツ車が数 台止まっていて、必ずそこの庭先に品物が並べてある。車と言えばアメリカの 田舎では通常ポンコツなのがあたりまえで、日本のような新車は高給取りの教 授たち(うらやましい!)が乗るものであった。一台の車はガラクタになるま でいろんな人間に乗り回された。僕もジャパニーズのプライドを捨てて $400という明日にでも死にそうなポンコツ車を転がしていた。それにまつ わる面白い話は沢山あるが、まあその話はまた別の機会に話すことにしよう。

 売り手はこれから引っ越そうとする人がほとんどである。じいさんやばあさ んなんかが暢気に日向ぼっこをしながら、お客さんと世間話を楽しんでいる。 売るのが目的か話すのが目的かよくわからない。小学生くらいの子供なんかも 「これは私が気に入っていたお人形よ」などと言って立派にお手伝いをしてい る。当時1歳半だった娘はこの子らに可愛がられタダでいろんなものをもらっ ていた。上品な日本人から見れば、さぞかし不敏な乞食の子とでも思われたか も知れない。

 僕も帰国するときにはムービングセール(引越しの場合には特にこう呼ばれ る)をやってみた。とは言っても、もう雪の積もる1月末頃だったので寒くて 庭など利用できない。(もっとも庭付きのような高級住宅に住んではいなかっ たが) A4サイズくらいの紙に売りたい物のリストと希望価格を書き、学内 の掲示板に「FOR SALE」という広告を貼る。広告の下3cmぐらいの所 にぴらぴら状に10カ所程はさみを入れて、そこに電話番号を書いておく。す ると興味のある連中がそれをちぎって持ち帰り、夜電話をかけてくる。学生同 志は結構こうやって物を売買していた。まあいろんな奴から電話があった。い ろんななまりもあるもんだ。電話でだいたいの交渉がつくと、見に来てくれる よう頼む。$20程度の電化製品でもやっとの思いで金を工面してくる留学生 もいた。日本でなら、ちょいと一杯ですぐ飛んでいく額である。つくづく、日 本は贅沢な国だと思った。どうでも良いものでもくれと言う者もいた。我が女 房が友達になった台湾の金持ち留学生の奥様はほとんどお料理をしたことのな いお嬢様で、女房がごく普通の日本料理を時々ご馳走しただけで恵美子は料理 の天才だと決めつけ、女房の道具さえ使えば何でも料理できると信じていた。 女房はどういう英語で交渉したのか知らないが、台所の薄汚いごみ箱まで彼女 に売っていた。そんな女房の奮闘ももあって、引っ越し前には持ち物がきれい さっぱりなくなっていた。

 日本で小学校のPTAがバザーでいらん物セールをやっているが、そのほと んどは新品でしかも売れ残るとPTA役員が買い取ったりする。自宅の物置を 整理するつもりが逆に増えたりすることもあるそうだ。考えてみればこういう ところにも、日本人の横並び思考や均一的性質が表れているのだろう。こんな ボロを売って笑われるのではないかとか、こんなポンコツを買って変人に見ら れるのではないかとか。余計なところに気が回りすぎるようである。要は売り 手と買い手がストレートにやり取りすれば良いのである。ガレージセールでは 売れなかったら売り手の責任だし、買って役に立たなかったら買い手の責任な のである。

 今はリサイクルの時代と言われる。にも拘らず、あちこちのゴミ収集所には 使えそうな物が無造作に捨てられている。3月はじめごろにガレージセールを やってみようかと三重大生物資源学部の組合執行委員会で計画している。機会 を利用して頂いた各人に、売上のほんの数パーセントだけでも寄付して貰っ て、ソマリアにでも送ろうかと話している。

 皆さんも恥を捨ててアメリカ風にいろんな物を売り買いして見ませんか?た だし、売れる売れないは皆さんの腕次第です。

追記:この随筆は私(溝口勝)が三重大学生物資源学部教職員組合の組合報に 最近書いた内容とほぼ同じです。家庭内での女房の強権発動により、部分的に 修正し皆様の紙面を煩わせるようになったことを固くお断りしておきます。

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