パデュー大学滞在記

        (1992.4.16)

生物資源学部 溝口勝

 約10年前に大学院に入学して以来、私は凍結に伴う不飽和土中の水分・熱 ・化学物質の移動問題に取り組んできた。この間、農業土木学会の土壌物理は もちろんのこと雪氷学会・特に凍土研究会によく足を運んだ。幸運にも今回、 アメリカ・パデュー大学の Dr. Philip F. Low の元で研究ができたのも、雪氷 学会に関連した「地盤凍結に関する国際シンポジウム(ISGF85)」に修士課程で の研究を発表するチャンスに恵まれたことに端を発する。

 三重大学に赴任して卒論生と一緒に大学の近くの居酒屋で飲んでいるとき、 たまたま隣にアメリカ人が座った。飲むとやたらお調子者になる私は、ついつ い英語でそのガイジンに話しかけてしまった。この人がパデュー大学の教授だ と言ったので、「Speaking of Purdue、 俺は Dr.P.F.Low を知っているゾ。彼 の研究はなかなか面白い。」 などと調子のいいことを言った。するとその教授 が「もし、英語の論文があれば手渡してあげるよ。」と言ったので、翌朝早速 ISGF85の別刷りを手渡した。そんな話など忘れた3カ月ほどたったある日、Dr. Low から手紙がやってきた。来る気があるならば来い、と。この手紙をもらって から約3年間、文部省の在外研究や財団の留学奨学金などを応募しまっくたが、 結局どれももらえず、Dr. Low がもうすぐリタイヤすると聞いたのでまずはとも かくアメリカに乗り込んだ。1990年12月のことである。

 当初、Dr.Lowは私のアメリカ滞在費として「粘土の凍結に関する研究」で CRREL(アメリカ寒地工学研究所)に予算を申請していてくれていた。し かし、ちょうど湾岸戦争勃発の時期であったために不幸にもその予算はもらえ なかった。不敏に思ったのか、Dr.Lowは予算の付いている別の研究(粘土の 透水係数の測定)を勧めてくれた。アメリカの研究のやり方を学ぶのには確か にポスドクとしてこの研究をやってみるのも有意義であったかも知れない。し かし、私はわざわざ予算の付いていない粘土の凍結の研究を選んだ。というの は、Dr.Lowの研究室にはFTIR(フーリエ変換赤外分光計)があったから である。

 それまでの私の凍土研究は微々たる研究予算の中で手作りの簡単な実験装置 を用いて含水比や温度などの初歩的な物理量を測定し、現象を見つめるという スタイルであった。予算の豊富な研究機関の近代的な装置に対して、常々「自 分の研究は近代兵器に竹槍で立ち向かうもの」だと思っていたので、γ線の水 分計やNMRの不凍水分測定装置といったいわゆるハイテク機器に対する憧れ もあった。とにかく、FTIRで凍結粘土の不凍水量が測定できる、いやむし ろこの機会に最先端の機器を使って測定してやろうと思った。

 私の場合、アメリカに滞在している期間も日本にいるときと同様に三重大学 教員としての給料は貰えた。アメリカの物価を考えれば、贅沢な暮しさえしな ければ十分やって行けると思ったのである。祖国を逃げるようにして出国して アメリカで生活している中国人の研究者と比較すれば、日本に定職を持つ私な どはこの点で十分に恵まれていた。  こうした状況の中で様々なことを学んだ。まず、研究の進め方である。彼ら の研究は常に予算に束縛され、その中で徹底した役割分担がなされる。面白そ うな研究であってもそれに研究予算が付かなければ見送られる。一つの研究が 遂行されるまでにいろいろな人が参加する。アイディアが生まれる(あるいは 生まれかける)と、仲間同志とざっくばらんな議論がなされる。Dr.Lowの場 合は実験装置に詳しいDr.Rothとコンピュータシミレーションに詳しいDr. Cushumanといつも議論していたし、またよく彼は電話で他の研究機関の仲間 とも大声で議論していた(単に、Dr.Lowの声が大きいだけだった)。 とも かく、こうした議論を通してアイディアは洗練され、予算申請書として記述さ れる。こうして多くの教授たちは国の機関をはじめ、民間企業やその他の団体 に予算を申請する。テーマに予算が付くと、実際に実験やデータを処理する労 働力としてポスドクや大学院生が雇われ、その研究が実現化する。まさしく契 約社会である。予算を獲得できない研究者は結局何もできない、極端な話がコ ピーすらできない。私が滞在している間、Dr.Lowですら約1カ月程ではある がそのような目に遭っている。

 通常日本の大学の研究費は文部省の科学研究費、民間企業等からの委託研究 費や奨学寄付金、そして経常的な校費で賄われる。科研費はごく一部の研究者 にしか当たらないために多くの大学教員には出張費すら出ない状況ではある。 しかし校費があるだけでもアメリカよりも楽かも知れない。アメリカ滞在以前 に私はこうした日本の大学に不満を持ち何とか改善できないものかと考えてい たが、いざアメリカの制度を観察すると、向こうは向こうでやっぱり厳しいこ とが分かった。結局、せっせと自分で努力するしかないのである。

 研究をする上で、手作りの実験をしてきた経験は大いに役立った。あちらで は理論屋や実験屋の役割分担がはっきりと区別されているので、問題が出て来 る度に別々の教授に相談しなければならない。しかし、教授は実験をポスドク にやらせるだけで自分自身の手ではしないので、能書は垂れるが実験中に起こ るこまごまとしたトラブルには無力である。結局、中国人のポスドクや大学院 生に聞きまくって自分で問題を解決しなければならなかった。例えば、温度測 定のために熱電対が必要だ、と実験専門の教授に相談したところ、この装置に は鉄?コンスタンタンがいい、それにはこの$100の製品を買えと言う。で、 言われるままにそれを注文して1カ月待ち、いざ使って見ると全く違う種類 だったりする。結局、$1程の熱電対の素線を購入して、自作検定して使用し た。また、得られたデータを解析するのに使うコンピュータのハードやソフト にしてもしかりである。周りのアメリカ人は私が器用にいろんなことをこなし ていくことに驚いている様子であったが、こうしたいろいろなトラブルにもめ げず短期間の間に自分の研究ができたのも、大学院時代から研究に必要な一連 の作業を自分の手でしてきたからだと思う。徹底した役割分担で大きな研究プ ロジェクトを遂行するにはアメリカ的な方が良いが、身近でコンパクトな研究 にはむしろ日本的な方が良いかも知れない。この辺、軍事製品と民生製品を得 意とするアメリカと日本の産業構造にも関係があるように思える。

 Dr.Lowはもともと粘土の膨潤、特に粘土表面と水の相互作用についての世 界的な権威である。彼は70歳を迎える今年限りで教授を辞めるが、粘土表面の 水の性質は普通のバルクの水とは異なるとか、コロイド化学で有名な拡散二重 層の粘土への適用方法は間違っているなど、当時では常識と思われていたこと に真っ向から挑戦し続けてきた。また、凍土の理論的分野で有名なDr.B.D. KayやDr.D.M.Andersonなどの指導教官でもある。彼の「水の凝固点降下 に関する研究(1968)」から知る限り、当初私は彼が化学熱力学を得意とする 完全な理論屋とばかり思っていた。しかし、彼の膨大な量の論文のほとんどは 粘土表面の水の性質を様々な実験条件の基で一つ一つ明らかにしていくもので ある。それを大胆にも次式で統一的に表現した。

J = J0exp(βmc/mw)

 ここで、J は粘土表面の水の全ての物理量で、水の粘性、圧力、比熱、エン トロピー、質量吸収係数などである。また、J0はバルクの水の物理量、βは着 目している物理量毎に決められる定数、mcは系に含まれる粘土の質量、mwは 系に含まれる水の質量である。

 彼は、40年以上に渡り頑固にこうした研究にこだわり続けてきた。上式に 関連して彼が提案した粘土の膨潤圧の式(上式で J = П+1 と置いた形式) を生み出すまでに、数多くの大学院生やポスドクの手による実験があり、その 過程はまさしくドラマそのものである。そうしたドラマの舞台を実際この目で 見ることができただけでも私のアメリカ滞在は有意義であった。

 こうした実験式として凍土の分野では高志によって提案された凍上圧の式 がある。彼もまたその有名な実験式を生み出すまでの過程で丹念に実験を繰り 返し一つ一つの定数を決定していった。また、三重大学農業土木を昨年退官さ れた松下玄先生なども実用ということを常に念頭において、定年間際まで水利 実験に明け暮れ一つ一つの実験定数を決めておられた。軽薄短小主義の風潮の 中でじっくりと腰を落ち着けて研究がしにくくなっている現在では、こうした 実験主体の研究手法は泥臭く映るかも知れないが、そこにはやはりコンピュー タを動かしただけでは得られない重みが感じられる。

 2月中旬に帰国してから既に2カ月が経過した。年度末の慌ただしい日々を 送り、日本は一体何をそんなに急いでいるのだろうと思わずにはいられない。 湾岸戦争に対する考え方をめぐるDr.Lowとの大喧嘩、中国人やアメリカ人の シニアボランティアたちとの慎ましい日常生活など、今ではあのアメリカでの 生活が夢のように感じられる。

 日本ではいま国際化のあり方や大学のあり方が問われている。国際情勢がめ まぐるしく変化するこの時期に、アメリカ滞在という絶好の機会を経験した日 本人の一研究者として、民間企業や公立の附属研究機関にはできない、大学独 自の地道な研究をもう一度考え直してみたいものである。

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