国際農学実験・実習T(個別実験21)


(1)実験実習の目的
  現場から課題を自ら発見し解決する学習は農学教育には必須である。そのための教育法として当研究室ではFPBL(Field and Project-Based Learning:フィールドにおける課題解決をベースとした学習のプログラム)を実践している。これは実際の現場から問題を発見し、テーマを設定し、具体的に問題を解決するための方法を習得する新しい学習法である。これにより学生が実際の現場における研究の意義を実感することが期待できる。
 
(2)実験実習の内容
 ・高校生と一緒に当研究室で実施してきた現地実験を体験する。
 ・飯舘村佐須・比曽地区の農家に原発事故後の農業再生の取組について聞き取りを行う。
 ・特に、新しい農業の取組として農業ICT/IoTの活用事例を見学する。
 
(3)必要性
 ・3年生が研究室配属前に当該研究室の研究内容を知ることができる。
 ・座学ではなく、実際に原発被災地で農業再生を実践している現場で実施するからこそ最前線の状況を理解することができる。
 
(4)実習場所
 ・福島県飯舘村

(5)実習参加者
 ・4名

(6)レポート課題
 ・「飯舘村を訪問して考えたこと」
 ・形式自由、ワード2ページ以上
 ・締切:11月22日23:59
 ・メール添付

(7)提出されたレポート


  1.  個別実験実習で11月13,14日に飯舘村を訪れました.滞在している間,いくつか印象に残ったことがあるので,ここに記します.
     一つ目に相対的に田舎と呼ばれる地域における,若いということの価値,可能性,力についてです.
     今回,私たちはコメリという地方にあるホームセンターチェーン(私は今回の訪問で名前も初めて知りました)の建物を利用して,新しく飯舘村の町おこしに取り組む若者と話をする機会に恵まれました.飯舘村の(相対的に見ると高齢という意味で)大人の方々は総じて,眉を細めて孫について語るような口調,様子で,彼らについて話していました.若さが可能にするアクティブさ,人と人とのつながりなどはやはり大きな力を持っているのだと感じました.そして,若者が全身全霊をかけてその地域に向き合う姿勢が,より一層地域の高齢の方の強い支援を集めるのだと思いました.
     
     二つ目は,町おこしというものには色々な形で関わることができるという点です.ふくしま再生の会の構成員の方,数名と直接言葉を交わす機会がありました.そのうち何名かは,住居は関東にあって週末などに飯舘村にやってきて復興に携わっているとおっしゃっていました.今まで,町おこしというものは(極端ではありますが)その地域に骨をうずめる覚悟で何もかもをその地に捧げるといったイメージを抱いていました.しかし,町おこしというものに対してこのような相対的に軽い関わり方があると知ったので,私にとって大きくハードルが下がりました.とはいえ,彼らの場合,例えば埼玉県から毎週末福島県のこの飯舘村に通い続けるのは大変労力のかかることは間違いがないので,それなりのパッションを秘めているのでしょうが.
     
     三つ目は,学生運動のあった激動の時代を生きた人々から直接お伺いできたお話です.今回の実習で直接お話しすることのできたふくしま再生の会の頭を務められていた田尾さん,カメラマンとして同行されていた若林さんは,二人ともかなり積極的に東大闘争に関わられていたそうです.私の祖父は,ちょうど東大闘争で入試がなくなった翌年の試験を受けて東京大学に入っているため,少しその辺りの話に興味があり,時間を見つけては色々とお尋ねしました.
     そのお話を聞いて,現代の大学生(ひいては東京大学の学生)と比較して思ったことは,当時その運動に参加していた大学生はとても熱い心,正義感を持っていたということです.もちろん私はこの出来事に精通しているわけではなく,もしかしたらこのように表現することには大きな誤りがあるのかもしれません.しかし,少なくとも私と同世代の大学生は,このような運動に限らず,何か心に思い描くものを追い求めて,団結して突き進むことができるとは到底思えないのです,どちらは良い悪い,という話ではありませんが,直接当事者からお話を聞くことができたため,深く心に残りました.私にとっては,このトピックに関するお話が最も印象深かったかもしれません.
     
     四つ目に,真摯に耳を傾けて質問をことの大切さです.
     二点目にあげた様々な町おこしへの関わり方,三点目にあげた学生運動に関する経験など,いずれも私が直接一対一で質問をして,聞くことのできたお話です.裏を返せば,質問をしなければ触れることもなかったかもしれないということです.どんな内容でも,やはり自分から進んで話を「聴く」姿勢を見せ,積極的に質問をすること,もちろんこれが大切だということは訪問前から理解していましたが,今回の実習でその思い,信念を新たにしました.
     ただそれと同時に,デリカシーを備えた質問をすること,こちらもあわせて重要になってくるとも考えます.例えば被災地の人に震災の話を伺う時は,彼らの辛く思い出したくもないような過去があるわけですので,質問する内容,質問で踏み込む程度には十分に気をつけなければなりません.
     
     最後に,溝口先生のエネルギッシュさを強く痛感したという点を記したいと思います.特に二日目の夕方以降に感じたことです.私はそこまで体力がないわけではないとは思いますが(自分の認識とは裏腹に平均的な体力さえも失われているのかもしれませんが…),二日目の後半には疲労が溜まっており,ふくしま再生の会の拠点の建物のソファで私を含め学生は皆ぐったり(その素ぶりは見せないようにはしていましたが)していました.しかし,溝口先生は同じスケジュールをこなしているだけでなく,それ以外にも(というのは学生がソファで休んでいる間に先生は農地,町役場(?)などで仕事をなさっていたことを指します)なされており,決して疲れた様子を見せませんでした(そもそもお疲れではなかったのかもしれません).結局のところ,どんなことを頭で考えていようと,実際に自分でそれを実行する上では,自分の身一つとなる局面が必ずあると思います.そのような時に自分の体が使い物にならないようでは,全く意味がありません.普段自分の体力面(それに伴う精神面)に目を向ける機会が頻繁にあるわけではないので,今回はその意味でも良い機会でした.
     
     

  2.  今回の研修に参加する数日前、岡山に住む両親と通話した際に、飯館村を訪問することになったという話をしました。母はその時、「そうなんだ。頑張ってね。本当は行かせたくないけどね。」と言いました。私はその最後の一言を聞いて複雑な気持ちになりました。母のこの発言は、原発事故の影響を受けた土地に息子である私が赴くことを心配してくれての発言だと理解しています。しかし、この発言は、メディアが過剰に発信する危険信号に煽られている遠隔地の日本人の発言に他ならないとも思います。2011年の事故以来10年間、さまざまな報道を聞き、その度に飯舘村をはじめとする福島県の地名を聞きました。当時私は小学5年生で、事故について頻繁に報道がなされていた当時は、家族で事故について話す機会が多々ありました。その頃は除染もあまり実施されておらず、実際に周辺地域の放射線量は高かったと記憶しています。しかし、今や除染も進み、政府が避難指示を出していた地域も着々とその制限を解除されています。その現実を、報道の数が少なくなったなどという理由で正しく認知できていないということは、私を含め、特に被災していない遠隔地に住む人にとって、如何に事故が他人事だったかを表していると思います。私の今回の実習参加のモチベーションの一つは、自分で飯舘村の現実を見聞きすることで、放射線のことだけでなく、飯舘村でどのようなことが行われているか、家族に本当のことを語れるようになりたいという気持ちでした。
     私は、福島県の抱える問題は、決して他人事で終わらせてはいけない問題だと今は思います。世界唯一の被爆国である日本の国民としても、日本人には放射線について無知であってはいけないと思います。さらには、飯舘村が抱えている問題、その問題を解決するために今飯舘村で行われている様々なことは、飯舘村だけに止まらず、日本や世界が抱える問題を解決するためのロールモデルになると思います。私は特に、消滅可能性都市に指定されてしまうような田舎の町の出身なので、飯舘村と故郷の町を重ね合わせて見ていました。
     まず、私が飯舘村にいる間に考えていたことは、どうすれば人がもっと訪れるようになるのだろうかということです。人の住める地域に関しては除染が完了したということは、私も、おそらく私の家族も事前に知っていました。それでも私の家族が訪問に抵抗感を抱いたのは、科学的なエビデンスを十分提示されていないから、または事実を直視しようとせず偏見を持っていたからでしょうか。私は現地で、現地の人々が自分で様々なものの線量を測定し、様々なデータを集めて、安全を確認しながら生活しているのを目の当たりにし、安心感を得ました。大々的に、その様子を宣伝すれば、私のように安心感を持つ人が増えるかもしれないと思いました。
     また、先生が進めていらっしゃるWi-Fi環境の整備は、村の振興や農業の発展を考えたときに最も核心を突いた第一歩だと思いました。今の時代、インターネットは人の生活と切っても切り離せない存在になっています。どれだけ魅力のある土地であっても、ネット環境が満足に使えないような土地に新しく人を呼びこむのはとても難しいと思います。私は、村中多くの場所で、自分のスマートフォンがWi-Fiに接続されているのを確認して感動しました。私の地元でも、山間部に行くと圏外になってしまうことがあります。住みやすい町を作るためのインフラ整備の方法の一例として、メッシュルーターを用いてWi-Fi環境を作ってしまうというのは通信会社による環境整備を待つよりも手早く、しかも大規模な工事を必要としないことから、合理的だと思いました。
     コメリ跡地で同世代の方々が行っているプロジェクトも、非常に可能性を秘めていると思いました。飯舘村の個性をコメリの中でのテナントに反映できれば、大きなセールスポイントになると思いました。中でも特にいいなと思ったのは、プロジェクトの様子をYouTubeにアップロードしているということです。最近の若者は、様々なSNSを利用しますが、最近利用者数が増えているTikTokなどでは、観光地の紹介を短い動画にまとめたものが多く配信されています。その共通点から考えるに、美しい景色と美味しそうな食事、そして魅力的なアクティビティや施設が写っている動画は人気が出やすいのではないかと思っています。私は、飯舘村にはその全てがあると思います。美しい自然や、花のプロジェクトの様子、満点の夜空の星は動画映えすると思いますし、レストランゑびす庵や畑でとれた野菜を使った料理、また、建設中のカフェの様子などは、おいしい食事として魅力的だと思います。廃校を利用した宿泊施設、風と土の家など、興味を引ける施設も多く存在します。うまく宣伝できれば、訪問者数を大きく増やせるのではないかと考えていました。またこれは、私の地元の振興にも参考になるのではないかと思いました。私の地元の地域おこし協力隊は、英語公営塾というオランティアの塾を作るという活動をしていますが、これはあくまで地域の教育を補助するものであり、振興という面ではインパクトが弱いと思っていました。飯舘村のコメリのように、広い土地を活用して、町外にも宣伝になり、かつ地域住民の需要も満たす施設を作るという活動は、町外からの人を引き寄せられる良いランドマークになるのではないかと思います。
     岸田内閣が打ち出した、スマート田園都市構想の中で、飯舘村で今行われている様々な活動は、先駆的な例として、これから大きな役割を担うようになると思います。その中で、私は飯舘村を実際に訪問した人間としてその事実を伝えるとともに、今後何らかの形で飯舘村でのプロジェクトに関われたら面白いと思っています。今後、カフェがオープンしたら行って見たいということ、また、不死鳥の如くを飲んでみたいということの2点が私の小さな目標です。
     
     

  3.  今回の個別実験に参加した動機は、農業IoTに漠然と興味があるからだった。とはいえ農業IoTの可能性を知らず、現在活用されている場面や、これからどのように将来の農業や社会のためになるのか、イメージできていない部分があった。それが、飯館村実習でIoTに期待されていることや可能性についての知識や想像力が少し増えた。
     飯館村実習では、主に放射線汚染地域の復興、山間農村部の活性化を中心の施設見学や体験活動、高校生との交流があったが、どれも人の持つエネルギーを強く感じた。
     小学5年生の時、東日本大震災が発生した。それを機に、普段日中は家にいない親から一人の時もニュースを見るように言われ、小学校から帰ってきた夕方の時間はテレビがなかったのでパソコンで当時はYahooでライブ配信されていたニュース番組を見ることが震災後しばらく習慣になった。そのニュース映像では、もくもくと煙を上げる発電所が危険な物質を放っていると繰り返しアナウンスされ、福島の人や自然は大丈夫なのか、関東にも放射性物質が降ってこないのか、とても不安になったことを覚えている。福島は危なくて近寄ってはいけない場所だと思い始めた。だから政府が帰宅困難区域の避難指示を解除すると報じられても、帰りたい人はいないだろうと思っていた。
     しかし、実習に参加して福島に前向きな気持ちになることができた。危険だから戻るのはやめた方がいい、という気持ちは今もあるが、自分の家や町へのこだわりは人間にとって強い気持ちなんだと改めて感じた。
     一日目に福島駅から盆地を抜けて阿武隈高地に入った時には美しい紅葉が良く晴れた空とマッチしていた。さらに矢野さんの家を最初に訪問し、木造の新しい家と花壇の花を見て、穏やかで優しい景色だな、と飯館村への第一印象がとても明るいものになった。その近くの風と土の家も仮設住宅や廃校の設備を活用したエコで新しいのに歴史も感じるつくりが非常によかった。イベント用の舞台にも使える広めの廊下と大人数で囲めるいろりはあの場所に人が集まることが期待されていることがわかり、飯館村の方々が交流を求めていて、元帰宅困難地域は危険だから避けた方がいいと誰もが思うだろうという予想とは大きく異なっていた。
     放射線測定のアクティビティも楽しかった。ガイガーカウンターを自分で使う機会があるとは今まで思ったことがなかったので非常に新鮮だった。隣接する場所でも地形、森林の状態、除染状況などに応じて数倍の開きがある数値を出すことが放射線対策の複雑さを実感させた。なお、あのとき高線量スポット探しを高校生とペアでしたことで高校生と話しやすくなった。科学部のみんなといる時は皆口数が少なくて大人びているなと思ったが、2人で話してみると子どもっぽい表情を時折見せていたのが面白かった。
     夜は高校生と高校の先生方のエネルギーに触れることができた。夜のクイズ大会ですぱすぱ手を挙げている高校生の勉強とイベントに熱心に取り組む姿は、自分の日ごろの怠惰を反省させ目の前のことにしっかり集中しようと意識させた。そのあと先生方と科学部の研究テーマや大会について話す中では、先生の科学部の生徒に対する愛や責任感のようなものを感じた。
     二日目はIoTへの期待を感じた日だった。酒米の田んぼで見たIoT取水門、監視カメラはあの規模の田んぼでは圧倒的に管理を便利にするわけではないと聞いたが、それでも農業でなりたつ飯館村を活性化するにはやれることはなんでもしたいという思いが強く、その中にIoTも含まれていると思う。ただ、IoTが普及して農作業がごく短時間で済むようになったら、その時には今まで農業に大半の時間を費やしてきた方がなにをするのだろうか。東京からの遠隔作業ができるようになったら飯館村に戻る必要もない、と思う村出身者もいるのではないかと思う。遠い将来ではあるだろうが、農作業に縛られなくなった時に、飯館村のために住民が村のために何をするのか、何をする予定なのかとても気になるのでもっと話を聞きたかったと思う。もし今は当面の復興で精いっぱいであれば、その後の議論を今さらに深めていくことが、今後の飯館村のアイデンティティや良さを守りながら発展するために重要なのではないかと思う。IoTは上手く使えば人々がコミュニティの発展のために使える道具になると思うが、ただ経済性のみを考えてしまえば過疎化を加速させるツールになると思う。というのも、過疎的な現場を見たことがあるからだ。新潟でトマトの収穫ロボットを開発するベンチャーを見学したことがあり、そこでは無人の2haの広大なハウスの中を真夜中にひたすら収穫し続けるロボットのトラブル対応を体験させた貰った。この技術が発展して露地で、また収穫以外の作業も行えるようになったら作業のために来ていた人もいなくなり、周囲に誰もいない畑の中をロボットだけが動いているような光景になり、今農業を通じて発生していた人の交流もなくなってしまう悲しい未来が想像できた。そうなれば原発と同じように技術が人を追いやることになってしまう。
     風と土の家の宿泊施設では、世界中の国々の方が利用されたと聞き、飯館村での取り組みは地域の人だけでなく、福島、日本、そして世界全体が見守っていて、成功したら勇気を貰える人が沢山いるという可能性にも気づいた。飯館村の復興に向けて一丸となっている皆さんの活動により、飯館村へ愛や親しみを感じる人が少しでも増え、理想的な村のあり方への議論が活発になって欲しい。そして、放射能汚染と過疎化の両方を飯館村が解決し、世界中で過疎化や公害に苦しむ人たちの希望になると良いなと思う。
     
     

  4.  私は11/13-14の二日間、大田原高校の生徒と飯舘村を訪問した。農村というものを訪れることは人生でも殆どなく、実際の農家の方にお会いしてお話を伺ったり、生活の様子を拝見できたりしたことが、とても新鮮で有意義だった。
      行程順に学んだことを振り返ろうと思う。朝、福島駅からレンタカーで一時間ほどの距離にある飯舘村についた。田尾さんにご挨拶し、風と土の家を見学した。避難住宅の木材を利用し、綺麗な宿泊所になっていた。天体観測小屋をDIYしている場所があった。よこの建物の囲炉裏が素敵で、透明な屋根によって廊下が温かく、驚いた。建築学科の方がデザインされたということで、窓兼雨戸のような壁が素敵だった。スライドして音楽などの発表ができるという。玄関には、おもちゃかぼちゃと芸術家の方とのイベントのあともあった。その方は、地域に根差した美術を生み出し、コミュニティとうまくコラボするというスタイルをお持ちらしい。芸術と町おこしの関係について考えさせられた。町おこしに関心のある方はそういったコラボを推進しているイメージがあるが、正直あまり関心というか知識のない私には、交渉や人集めの想像がつかなさ過ぎて躊躇してしまう気がした。参加者はどのようにして集めるのか気になった。
      福島再生の会の事務所で大田原高校の方と合流した。草刈りロボットの運転を見た。下に円盤状に刃がついており、エンジンで動く機械が市販されているという。それにラジコン機能をつけており、こちらは充電式。遠隔から、つまり東京からでもこうした機械を動かせるようになれば、すごく面白いと思った。田んぼには、先生が設置したアンテナやカメラが点在しており、最初のインフラ整備が大変だと感じた。
      続いて、試験地の土地を利用して、@空中に浮遊している放射線物質の測定、A表土をはがして地下に埋める作業を施した土地の地下水のセシウムのモニタリング、B放射線の測定と表の読み取り方を体験した。@では、測定器を実際に利用することで、測り方の癖によって測定値の振れ幅はある程度見られるものであり、放射線測定値を神経質に気にすることは少し本質から少しずれるものだなと感じた。原発事故後、環境省との取り決めで、人間の利用地から数メートルは国が除染を負担するが、それ以外の土地は軽い掃き掃除にとどまったことで、セシウムの残留度が大きいという。特に、広葉樹が葉を落とした秋に落ち葉を集めていればだいぶ抑えられたはずが、腐葉土化してしまいセシウムが回収できなくなっているという。なるほどと思いつつ、こうした山奥の広大な土地を延々と除染していくことの大変さと、それを不足しているとはいえ国が負担していることに驚いた。莫大なお金がかかるように思えたが、税金のほんの一部であるということ、一億人の国民が払っているお金は回りまわってこういった部分にも使われているということ、私が知らなかったように他にも目に見えない使い道が多いのだろうということ、その結果「税金を吸い取っていくくせにひとりじめする政府」というTwitterでたびたび目にする批判が生まれてくるのだろうなと思った。政府に集結することで無駄も生まれる一方効率はよくなるのが民主主義だが、使われ方の認知は国民が積極的にすべき部分だなと感じた。
      かなり脱線した。続いてAでは、セシウムが土壌に吸着する性質を生かして、一定の地中に汚染土壌を埋めれば、上で稲を育てても、セシウムを殆ど吸収しないということを実証するためのモニタリングをしていた。放射線の問題は、目に見えない・学術的に理解の難しい問題に対する国民の恐怖と、学問や教育の戦いを象徴しているように感じた。科学的に問題なく土地利用ができるという事実と、国民がそのことを実感できずに反対するとき、民主主義は対話を頑張ってお互い理解するという努力を地道に続けるしかないのだろうか。人間が理解しがたい域に達した時の本能的な躊躇は、それ自体が多数派の意見として正統性を持つようにも感じるし、科学的に人類に資するならそのまま突き進んでもいい気もした。政治性をマネジメントすることは難しいと感じた。国際協力に関心がある身として、教育水準とトップの知識の乖離が大きい状況は頻発するイメージがあり、どのように対応すべきか難しいなと感じた。いままでは、目的もわからないまま漠然と教育を受けることに疑問を感じていたが、放射線の話など、ロジックに納得できるかが問われる場面に直面して、その意義を感じた気がする。
     Bでは、放射線測定器を使用した。復興初期はこの測定器を用いて農家の方に情報を提供していたという。最近では求められていることが変わってきており、再生の会でも町おこしに重点をおいて活動するようになってきたらしい。思えば震災は10年前、それなりに時間がたったことを実感させられた。
      夕方に田尾さんに、窯を作ろうとしているという話や、放牧型ビジネスの案について伺った。町づくりという感じがして、興奮した。そうしたプロジェクトを自らの手で作っていくという経験がなく、ただすごいなと感じるだけだが、いつか私もそうしたアイディアを実行できるようになりたいと感じた。放牧については個人的にも関心を持った。
     2日目は、立ち入り制限地区の門まで行き、先述の国と税金に関する感想を改めて感じた。その後、制限解除後に戻ってこられた農家の方にお話を伺った。ご自宅の後ろは防風林にもなり、困った際に伐採して生計を助けられる杉林だと伺った。先祖がこつこつ伐採しては植えを繰り返し、立派な林になってきたのだという。土地に結び付いた伝統を垣間見た気がした。奥様がとても気さくな方で、桔梗栽培や家計の話なども伺うことができた。
     続いて、廃コメリの中で行われているリノベについて、若い二人の地域おこし協力隊の方にお話を伺った。そういったものがあることも知らず、またコメリや土地の所有者の方と交渉して建物を借りられたということに感動した。私は勇気が出ずじまいになりがちなので、そういったウィンウィンの関係を思いついたら、前例がなくても持ちかけてみるものなのだ、とやる気をいただいた。お話を伺う中で、震災によって古来の繋がりが良いところも悪い所も一度断絶し、再び町おこしを頑張ろうという農家の方が戻ってきており、若者の挑戦にも協力的であるというところが、良い環境に感じた。人と人との間隔は物理的に都会よりも広いが、コミュニティはたしかにあると感じた。うどん屋で、むら塾の東大生で古民家を間借りして住んでいる同級生に会ったことも、そういったことを感じさせられる瞬間だった。
     全体を通じて、当初期待していた農村の在り方を見学するという目的はかなり果たせた。農家の方に大根を取りにお邪魔した際も、自給する程度とおっしゃっていても、立派なキャベツが育っているのを見て、やはりすごいと思った。また、日本の田んぼには暗渠がとおっているということも、土壌博物館に行くまで知らなかった。様々な知識が生きているのだなと感じた。IoTの授業での提案に関しても、田んぼをいかに管理しているかのイメージが、以前よりついたことで、今回の経験を生かせた。それまでだと的外れな考えをしたり、逆に斬新で面白いアイディアが思いついても、農業の実際と合っていないのではないだろうかなどと自信を持てず却下していたりしたので、改めてもっと現場を知りたいなと思った。
     

(C)みぞらぼ

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Update by mizo (2021.11.25)