放射線環境科学15レポート



土の凍結(2015.11.11)  受講者 ?名
担当: 溝口勝

レポート課題


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。
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レポート課題:
講義資料を読み、「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」考えを述べよ。(A4で1枚から2枚程度)

  1.  私ができること、というよりも、まずするべきことは、被災地の現状を正しく理解すること、だと思います。震災に関わるニュースを、興味を持って見ていたので、去年までは、自分は震災についてある程度知っているつもりでした。しかしながら、被災したあるライターの本を読んで、初めて知って驚いたことがたくさんあった、という経験をしました。この授業からも、新たに学ぶことが多かったです。それで、より多くの、福島を知っている人の話を見聞きすることは大切だろう、と思っています。できることなら、被災地に実際に行って、現地の人の話を聞きたいです。
     ただ、現状の私でも、実際にできることはまだあると思っています。自分の持っている被災地に関する知識を、友人などに知らせることができます。4年経つ今でも、放射能に関して、イメージだけでいたずらに恐れている人はいます。専門家のような人よりも、身近な人の意見の方が信用しやすい、という世間の人はいると思うので、誤った話を流布しなければ、私のようなほぼ素人が他人に教える、というのも有効なことだと思います。まだまだ先の話ですが、我が子に、震災を正しく伝えたいです。
     「最低限流通している食品に関しては確実に安全である」ということを特に人に知らせたいです。せっかく授業で、そもそも例えば一年生の作物に放射能は移りにくく、使われている農地の除染は終わっており、検査は徹底している、ということを学んだのだから。
     現地の農家を直接援助することも可能だと思います。ただ、さすがに、定期的に行くのは、交通費がかかるし、ほかにも大学生のうちにやりたいことはいくつもあるので難しいですが。「放射能検査をするサンプル数が足りないから、規制解除ができない」、という話を聞いて、この問題に関して支援をしたい、と思いました。今は、具体的に何が自分にできるかは思いついていません。若さを生かして、農作業や除染作業を手伝うのが、自分にできる農家に対する最良の支援だろう、と考えています。

  2.  このレポートでは、まず初めにいま私ができる被災地の農業再生への貢献について考察し、次にこれからの被災地の農業再生に私がどのようにかかわることができるかについて考察する。
    1.いま何ができるか
      被災地の農業再生に貢献する手段としてまず思い浮かべることができるのは、一人の消費者として、福島県などの被災地で採れた農産物(農業に限らず言えば、水産物や林産物も含めた食品一般)を積極的に選び購入していくことである。東日本大震災に伴い発生した福島県での原発事故後、事故及び放射線に関する報道を通じて放射線に対する消費者の関心が高まり、市場に流通している福島県産の農産物までもが、放射性物質に汚染されているのではないかという風評被害を受けて消費者に避けられるようになってしまった。
     また、津波による被害を受けて農業や漁業は生産施設・設備を失ってしまっており、その再開にはコストがかかったため、このような風評被害は農業や漁業の衰退に拍車をかけてしまう要因になりえると考えられた。被災地の産業が回復するためには、私たち消費者が放射線に関する正しい知識を身に付けたうえで、安全と認められた結果流通している食品を積極的に購入することによる被災地への協力も欠かせないと考える。

    2.これからに向けて
      前の項で私は消費者が積極的に被災地の食品を選び購入していくことが重要だと述べたが、そこまでで被災地の農業復興への貢献を止めてしまうのは不十分であると思う。しかしながら、今の私には被災地の農業の現在に関する知識もあまりなく、具体的にどのようなことをすれば貢献できるのかということについては思い浮かべることは今のところできてはいない。しかし、だからと言って思考停止のような状態のままでいるのではなく、その具体策について考えるため、あるいは今の自分にとっては思いがけない機会にも対応できるようにするために様々な分野での学びを深める必要があると思う。
    被災地の農業再生への関わり方は行政やNPOなどの民間団体、生産者、研究者などでさまざまであるが、どのような切り口で再生に取り組むにも、相互の連携・協力が欠かせないと考える。どのような立場で被災地の再生に関わることになっても、こうしたアクター相互の理解が円滑に進むことで適切な手段での復興が実現できるように、分野横断的な学びを深め最善の方策を考えるための柔軟なマインドを身に付けたいとおもう。
    ただし、講義を通じてより一層認識したのは、復興を考えるためには現地の土地や住民の状況の知識を共有していなければならないということである。そしてこの知識の共有に必要なのは、実際に現地を目で見て地域住民の話を聞くことであると思う。私が震災ボランティアとして福島に行ったのは2011年の5月のことで、もうかなり前のことのようにも感じてしまう。当時はまだ中学生で農業や放射線に関する知識はかなり浅かっただろうと考えられる。大学生になったいま、ふたたび福島を訪れ、現状を知ることが私ができる被災地の復興への貢献の第一歩であるように思われる。

  3.   僕は「被災地」がどこなのかが、よく分かっていない。というのも同じ福島県の中でも地域によって現在おかれている状況は様々で、一概に「被災地」とは言えないので、地域別に見る必要があると思う。
     放射性物質があまり飛来しなかった会津などの地方では風評被害を減らしていくことが農業再生の一番重要だと思う。そのために自分らは家族や友人など、身近な人たちに福島の農産物を食べてもらって、福島の農産物への躊躇いを減らしていくことができる。結局風評被害は一人一人の意識の問題だと思うので実際に食べたという経験があればかなり福島産への躊躇いは減ると思う。
     放射性物質が多く飛来して除染が必要な地域では講義に出たまでい工法を学生のボランティアで人手を賄うことはできると思う。地域の人が自分の土地を再生させる、お手伝いをしようというのである。ただこれにはまでい工法を実施する地域と学生を繋げる、地域から信頼を得ている仲介人が必要だと思う。特に大学生の半数以上を占める文系の学生に興味を持ってもらい、実際に来てもらうためには不可欠だと思う。それだけの仕組みなどを農学部の教授の授業を文系の学生が受ける、東大のような大学であれば作れるかもしれないが、農学部を持つ大学が少ない上に東北から離れた地域では福島への関心も低い。そのために仲介する人が講演などを通じて関心を持ってもらうのが良いと思う。かなりの理想論ではあるが、大学内外の間のネットワークがあれば可能だと思う。
     実際に全村避難をしている地域では学生を呼ぶのは難しいと思うので実際に多くの学生に体験させることはできない。
     以下はレポートのテーマから逸れた僕の個人的な話になります。僕の母の実家が福島県二本松市百目木にあり、そこで祖父母が農業をやっている。幸い避難区域には指定されなかったので今も農業を続けていて、米は毎日食べている。また震災後も遊びにいっては野菜やキノコ類などを食べている。その百目木地区は過疎と高齢化が進む、いわゆる限界集落で、震災以前からどうなってしまうのかと気にしていました。震災後は近くの店がなくなってしまうなど、人の流出もあったようで、また小学校が廃校になったり交通手段が車か一日数本のバスしかないなど、人が入ってくることも考えにくい。さらに山あいの集落なので大型の機械などは見当たらず、大規模な農業で利益を生むのも難しいと感じる。この地域の農業再生を考えようとすると、その前に地域の再生の方を先に考えてしまう。大規模農業がやりにくい、しかも風評被害が残るであろう福島の地で農業を始めようとする人がいるとは正直思えない。TPPによって海外から農作物が入るようになるとおそらく大規模化させて海外へ販路を伸ばすのが農業者が生き残っていく一つの道になるのかもしれない。その時に福島産の農作物で勝負できるとは思えない。今でも僕ならチェルノブイリ産の農作物を、他の農産地の作物がある中では買おうとは思わない。大規模化させた農業で国内で勝負するのであれば活路はあるとは思うが、この地域では地域の存続への問題解決が先決だろう。避難区域と比べれば住めるだけ条件は良いのかもしれないが、今避難区域となっている地域もおそらく避難指示が解除される頃には同等以上の問題を抱えるのだと思う。
     結局のところ農業に限ったことではないが、国民一人一人が正しい知識を得て、その上で福島産の農作物の安全性を吟味できるようになれば風評被害はなくなっていくだろうし、福島産の農作物が他の都道府県の農作物と対等に勝負できるようになると思う。また、それこそが福島の農業の再生の最も重要な問題であると思う。しかし正しい知識を得て、自分で判断できるようになるにはある程度の勉強というか、苦労が必要である。新聞などを通じて少しずつでも浸透させていくしかないのかもしれないが、僕は中学、高校における教育が大事だと思う。インターネットがあって当たり前の時代に育った今の学生は多くの知識を短期間で集めることができる。それを正しく吟味できれば自信を持って彼らは福島産の農作物を買っていけるのではないだろうか。またそれが将来に渡って続けば福島の農業は風評被害から脱することができると思う。

  4.  現在、多くの除染技術が生まれ、除染が進んでいるが、まだまだ被災地での農業が完全に再生したとは言い難い。今後、被災地の農業再生のためにはソフトな面を考える必要があるだろう。
      まず、どのようにすれば自分を含めた若者がもっと多く被災地での農業に従事し、再生することができるか考える。
     より多くの若者に被災地で農業をしてもらうためには、より気軽に農業に取り組みやすい環境を作る必要がある。そのための1つとして、「マニュアル化」があげられる。
    ? マニュアル化
    現在、画一的な考え方しかできない若者が多いといわれている。しかし、これを逆手にとり、徹底的なマニュアル化を行い、だれでも実行できるようにすることで、若者は農業に参加しやすくなると考えられる。
     実際、この方法を実行している会社もある。山梨県の耕作放棄地を譲り受けて野菜を作り、地元スーパーで販売をしている「農業生産法人サラダボウル」である。この会社では、徹底したマニュアル化に取り組み、多くの若者が農業に従事できるようにしている。 代表取締役の田中進さんは、「経験と勘で仕事をしているイメージがあると思いますが、農業ほど理由があって結果が分かるものはない」と語っている。この言葉は、従来のように各農家が長年蓄積してきた勘によって生産する必要はなく、マニュアル化が不可能ではないことを示している。
     また、日本政府がTPPに参加を表明し、今後外国からより安い農産物が入ってくると予想される。この状況で日本国内の農業を発展させるためには、他国との差別化、つまりブランド化をより推し進めていく必要があると考えられる。
    ? ブランド化
     現在、日本国内では無農薬である農産物が人気であり、多少高い値段であっても高い品質であるものが求められている。この消費者のニーズに対して、ブランド化は合っているのではないだろうか。そして、被災地は、過去のしがらみがないという点で新種栽培に最適であり、多くのブランド農産物をつくることによって、新たな農業の形ができるのではないかと考えられる。
     このように、今後は生産技術や、生産者と消費者をつなぐ方法を考えて実行することで、被災地の農業再生は進められるはずである。

  5.  私自身が行えるような被災地の農業再生に貢献できるかもしれない活動は二つあると考える。
     一つには、資料にもあったように、被災地の現状を知らないことには何も動けない。よって、ボランティア活動もしくはその他の機会で被災地に実際に訪れて現状を知ることが最優先だと思う。私は、高校時代に部活の活動として被災地に送るための募金を募るチャリティーコンサートには参加したことはあったが、実際に被災地に足を運んだことが一度もない。およそ4年前に起こった惨事を国内にいながら、メディアから入ってくる情報だけしか知らない、というのは何か間違っていると感じる。したがって、被災地に訪れる機会としてボランティア活動に参加することを、私は検討している。東京大学のボランティア支援班でも相馬市などでの教育関連のボランティア活動を企画しているので、近頃予定が空いている日があればその日に参加できるように応募している。また他にも被災地での農業の手伝いを行うボランティア企画はあるので、そちらも検討しようと思う。
     二つ目は、私の将来就きたい職業が関係してくる。私は教育にとても興味を抱いているため、将来は教師になることを目指している。教師たるもの、どの教科に関する授業を持っていたとしても、次世代に伝えなければいけない出来事として東日本大震災及びその影響で数日後に起こった福島第一原子力発電所事故は必須である。その、もしかすると東日本大震災の際に生まれていなかった、次世代の子供たちに被災地の現状及び放射線に関する正しい知識を伝えることは、私の一つの使命だと考える。もちろん、被災地の現状と、この授業を通して得た放射線に関する正しい知識を伝えることは今から始めることができる活動である。しかし、いくら時が経とうとも、その活動を怠らないことが重要だと感じる。教師になってからも、より一層力をいれて普及に努めたい。そうすることで、放射線に関する間違った情報を持っていたがゆえに購入をためらっていた福島県やその周辺の県の農作物を、より多くの人に手にとることができるようになったら本望である。また、特に原子力発電所が再稼働し始めた今、福島第一原子力発電所事故のような大惨事がこれから起こらないようにするためにはどうしたらいいのか、そして、もし起こってしまった場合にどのような対策を講じるのが最も経済的で効率的なのか、を次世代に引き続き考えてもらう必要性を感じている。
     以上の2点が、私自身が行えるような被災地の農業再生につながる活動である。直接被災地での農業に携わることがなかったとしても、農業再生に貢献する、少なからず後押しする活動は、普段被災地との距離が離れている私たちにもできると、私は考える。

  6.  ここでは、私が文科の学生であることを前提に、必ずしも詳しい理論や技術を知らない者として何ができるのかを考えていきたい。
     被災地の農業再生に直に貢献できることとして、まず初めにやらなければならないのは、実際に被災地を訪れて現状をしっかりと目の当たりにすることだろう。当地に足を運んで、被災地の状況を自分のこととして実感を持たなければ、なかなか行動には移しにくい。また、例えば現在挙げられる問題点の一つとして、種々の政策が実体に即していないということがあるが、その理由としては、溝口先生もおっしゃったように、国の政策に関わる人間が現場のことを分かっていないことがあるだろう。したがって、将来的に自分が政策を立案する立場になるならばもちろんのこと、そのような立場にならずとも、何か具体的に貢献しようという前には、まずこの目で見ておく必要があると言える。
     そうして被災地のことを自らのこととしてしっかり経験した後で、今度はその経験を他の人と共有する必要があるだろう。これは必ずしも何かしらのグループを作るということではなく、日常会話の中で、あるいはニュース等で被災地の話題が出たときに積極的に話すようにすることから始めていくのがより現実的であろうし、また小さいながらも効果的であると考えられる。そうする中でその話に興味を持ってくれる人が見つかったら、その人と一緒に再び被災地に行くことが大事だろう。というのは、一度行ったきりではなかなかその後の貢献にはつながらないが、二度、三度と行くにしたがって益々被災地を身近にかつ具体的に感じられるし、また他の人も巻き込むことで心細さも解消され、より大きなことにもできるからだ。そこでの農業体験などを通して、更に被災地との距離が縮まって信頼関係を築くことも可能であり、しかも多くの人に経験をしてもらうことができ、一石二鳥ではないだろうか。
     そして次にやることとしては、農地の除染があげられる。現在でも未だに除染が終わっていない地域もあるので、一人でも多くの人、とりわけ我々若い世代の人間が参加することが求められるだろう。その際、講義を通して得た知識を最大限に活用してより効果的な方法を模索するとともに、現地の人と協働することが必要である。そこで求められるのは、知識に基づいて実際の作業に移し、試行錯誤する姿勢であろう。ただ考えるだけでなく、実際に試してみることで、思わぬ問題点や成果を発見できることがある。またその土地にはその土地に合った方法というものがあるだろうが、それも実際の作業を通して分かることである。 しかし、被災地の農業再生はこれで終わるわけではない。除染が済んだ後で農業を再開するにあたってもやるべきことがある。現状では被災地に戻って農業を再開しようという人は必ずしも多くないが、かえってこのことは被災地の新しい農業のきっかけになるだろう。その際に役に立つのが我々素人の感覚ではないだろうか。確かに我々は農業技術には詳しくないが、その代わり、若さゆえの頭の柔らかさなどは大きな武器になるだろう。もしそれが難しかったとしても、作業の手伝いもできるし、またそうしてできた作物を知り合い等に広めることでも貢献できるだろう。
     以上が実際に被災地に足を運んでできることの一例であると考えるが、現実的になかなかそうした時間を割くのが難しい可能性も大いにある。その場合は、本講義で得た知識を普段からより周囲の人などに伝えていくことが重要であり、また自らもその知識をもとにデマなどに流されずに適切な行動を取ることが求められる。例えば、正しい知識・情報に基づいて積極的に被災地の農産物を購入し、その輪を広げていくことで、微力ではあっても被災地の農業の再生に貢献できるだろう。
     最後に、被災地の農業にどのような形で関わるにせよ、求められるのは、自らのこととして捉える姿勢である。この姿勢が全ての原動力になる。それを得るためにも、まずは、必ずしも深刻な気持ちからだけではなく、興味本位でもいいから、被災地の農業に常に関心を持ち、積極的に関わろうという意識を持たなければならない。

  7.  個人が、大学に属し、授業を受け、運動会とサークルに所属しながら一人暮らしを行う一個人が広大な範囲、規模で起きた農地汚染に対してできそうなことは限られている。しかし、今回のテーマは「僕自身が」であるからして、その「できそうなこと」というのを現実的な範囲で時期ごとに考えてみたいと思う。
     まずその分け方だが、大学在学中、卒業後現在から数えて30年まで、それ以降の3分割が適切かと思う。短期、中期、長期であると同時に、30年という数字はセシウムの半減期であり、放射能問題について物事を考える上で考えやすいタームである。
    大学在学中―この期間中は、日常の1週間における自由時間は非常に少なく、実地的な何かをすることは非常に困難と思われる。寮の友達で、数少ない空いた土日を見つけて、飯館村へボランティアに行ってきた同期がいた(誘われたが、僕は土曜日バイトをしている上、日曜日はサークルの試合で無理であった。)その子は現地でお話しを聞くとともに、農地を回って農作物をいじったり除染の手伝いをしたと言っていた。数か月に一回できる日曜、または土曜+日曜の空きに単発でボランティアにでかけることがキャパシティ的な実地貢献の限界であろう。なにかプロジェクトを立ち上げる、または参加するなどということは望むべくもなさそうである。(もちろんさらにここに加えてそれができる気概や体力、自己犠牲に基づく献身的な心を仮定しなければならない。)
    しかし、考えられうる農業再生へつながることと言えばもう一つある。当然それについての知見を得るこのような授業をはじめとした媒体への接触である。どのようなことを学ぶか、などの話は、僕のような知見の浅い者にとっては「学べるだけ全部」であることは自明であるので省かせていただく。
    では大学卒業後の次のタームに、僕はこの知見をどう生かせばよいのだろう。何も思いつかなかったが何とか次の2つの方法を捻りだした。
    @ 官僚、役人となる友達、および事業を立ち上げようとしている友達やその他の友達に、汚染についての事実を(ご飯に行ったときにでも)「そういえば前期で取った授業にこんな面白い授業が」などのような話し方でささやいてみることである。これは案外ばかにならないどころか最も有効な手段かもしれない。灘中学、高校から東京大学に進学した場合最も自信があるのは「友達」であり、さらにその中に東北の農業にかかわろうとしている者がいるのであれば、加えて現地へ赴くことの重要性などを、講義で実際に聞いたことなどを引き合いに出して微力ながら教えてあげるところまでいけるとなお良いであろう。
    A 僕の将来の夢は「弁護士」である。役人でも研究者でも企業勤めでも起業家でもない。このルートで、大学卒業後就職した僕ができるのは、(もちろん引き続きボランティア活動などはできるが)、「必要な法整備の訴え」及び「実際に起こっている東北の農業関連の訴訟のサポート」であろうか。双方において当然上の知見を欠かせず、またもちろん実行することになった場合、僕自身「現地」との乖離はしないように努めたい。
     第2タームについてはこんなところであろうか。第3タームには土壌中のセシウムの量はかなり減っていると思われるため、農地再生に向けて直接どうこうするというようなこと(事後的なことは、当然汚染土の処理等等の課題はあるだろうが)に関してはある程度の目処がついているのではないかと、この授業を受けて色々聴いていると思う。
     以上で「僕自身ができそうな被災地の再生について」の考察を終える。

  8.  私は報道等で福島の現状や福島の復興に対する対策を聞くことしかしておらず、震災後は福島に行ったこともないため、正確な知識を得てそこから少しでも福島の復興について考えてみたいと思い、本講義を受講することを決めた。このような講習会、勉強会等に積極的に参加し、正しい情報を得て身近の人々にその情報を発信していくということが国民の心理に未だに残る福島県産品への悪いイメージを払拭する一助となると思う。例えば、福島県は県内で産出されたコメについては全袋検査を実施して汚染米が流通しないように管理を徹底しているし、検査結果をウェブ上で公開しているということを本講義で初めて知った。中西友子著の『土壌汚染―フクシマの放射線物質のゆくえ―』の図4−5によると日本人の3割以上が基準値を超える放射性物質を含む食品が流通しており、さらに放射性物質を少しでも含んでいる食品は安全性に問題があると考えている。また、図4−6によると政府のホームページや広報からは情報を全く入手しない人が65%以上も存在している。これではいくらネット上で情報を発信してもほとんど意味がないので、自分がこうした情報源の存在を発信し拡散させていくことが風評被害の軽減につながり、福島県産食品の売り上げ増加を引き起こし、結果福島の農業再生に貢献することができると考える。自ら積極的に福島県産の食品を買っていくことも重要であると考える。福島の現状についていえば、2014年6月18日の福島民報は食の安全確保のための放射線検査の徹底や風評被害をなくすためのPR活動の効果もあってJA直売所においては震災以前の売上高を超え、2013年に過去最高を記録したと報じているが、その一方で日本銀行福島支店の資料を見ると、出荷量は震災以前の水準まで戻っている一方で、桃や葱、胡瓜などの品目では風評被害の影響もあって他県産のものよりも安値で取引されていると記されている。したがって自らが意識的に福島県産のものを買い周囲の人々にも勧めていくことも福島の農業復興に少しは役立てると考える。また、現在は働いていないので難しいが将来働き始めてからは少しずつでも農業復興のため活動するNPO法人等の団体などに資金援助をすることも重要であるし、ぜひしたいと思う。資金援助だけでなく、実際に現地に行って現在の福島の状況を知り、ボランティア活動などにも参加していきたいと思う。特に今は大学生で比較的時間があり、冬休みは3か月もあるので、積極的に行動していきたい。現在福島県でも農家の高齢化が進んでおり、農家の平均年齢は65歳を上回っている。そうするとやはり力仕事を行う人材が不足しがちであると思うので、若い世代の人が積極的に福島に行って手助けをするということが重要であると考える。

    参考文献
    ・中西友子『土壌汚染―フクシマの放射性物質のゆくえ―』NHK出版、2013年
    ・福島県における農業の現状と課題 www3.boj.or.jp/fukushima/hoka/nougyou.pdf 2015年11月15日閲覧
    ・全袋検査の検査結果−福島県ホームページ
    http://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/36035b/zenryouzenhukurokensa-kensakekka.html#27syou 2015年11月15日閲覧
    ・JA直売所の売上高回復県内、過去最高70億円|東日本大震災|福島日報
    http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/06/post_10212.html 2015年11月15日閲覧
    ・農業就業者の動向―農林水産省/ホーム
    www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h22/pdf/z_2_3_2.pdf 2015年11月15日閲覧

  9.  私自身が出来そうだと感じる被災地の農業再生には、大きく分けて二種類ある。ひとつは広報活動、もうひとつは人材派遣である。
      今回の講義を受講して強く感じたのは、被災地と他の地域、また被災地内での情報共有が今以上に必要だということだ。例えば、「までい工法」など低コストで農家自身が簡単に出来る除染方法があるのに行政との連携不足やそもそもの認知度の低さからあまり普及しないこと、また被災地の農地は除染が終わりさえすれば新しく農業を始める意欲のある人にとっては新天地になり得るのに、それをもっと知らしめない限りそのような人々がせっかくのこの機会を利用することが出来ずじまいになってしまうこと、放射性セシウムの粘土粒子への固定や移動の知識が知られていないために汚染について農家や消費者が誤った認識を持つことなど、多方面への知識が浅い私が見ても「もったいない」と思う問題が多いのである。せっかく自然科学面でのアプローチにより様々な解決法が提示されつつあるのに、その情報が共有されないせいでなかなか進展が生まれない、それならば人と人とを繋ぐ活動がおおいに必要だと思うし、文科生の私にも出来る・興味に合致するわけである。
      広報活動では、まず今ある除染の知識を被災地内外に知らしめる。ホームページ作成やSNSなどの利用なら今すぐにでも出来るが、それだけでは見ない人も多いと思うから、被災地では実際に現地の役場や農業者の団体を回って広めていく必要があるだろう。被災地以外の地域では、被災地の農産物を売り出し注目を集めた際に広告を作るなどすれば、消費者が正しい知識を得て風評被害を防ぐことができるだろう。また、被災地の作物を利用した新商品の宣伝も重要だ。消費者によっては被ばくを心配する人もいるだろうが、花卉など食用でない商品ならかなり心理的障壁は薄くなる。誤解を生む表現かもしれないが、被災地がまだ完全に復興しきっていないうちは「被災地」ブランドとして注目を集めることができる面があると思う。それを最大限に利用して商品を売りつつ、平行して正しい知識の流布をはかることで、被災地で作られる作物が消費者に求められるものになってほしいと思う。
      人材派遣では、新たに農業を始めたい人たちを募り、実際に被災地の農地に派遣する。大学と連携し農学部生などに強く働きかけると有効だろう。まずは短期間の体験から始め、さらに続行することを希望した人には活動を続けさせる。こうすることで、「まず体験してみる」ことのハードルが下がり気軽に参加して興味を持ってもらいやすくなるのではないかと思う。
     上に挙げたことは今すぐには出来ないことであるし全部は出来ないと思うが、このように考えてみると自分が将来どのような道に進もうとも主体的に農業再生に関わることは出来そうだ。私が挙げた活動は自然科学の専門知識を必ずしも必要としないが、それでもある程度の知識はないと何をすべきかがわからないので、今はもう少し勉強する必要があると思う。上の話からは少し外れるが、「サークルまでい」のようなボランティア活動も今出来ることとしてかなり有効だと思う。知識はまだまだ足りず現実味も薄いが、今・将来に自分でも直接的に貢献できることがあるのではないか、と思えたのはこの講義を受講して良かったことの大きなひとつである。

  10. 震災から4年半が経った。だが、私はどれだけ震災について知っているのだろうか。今学期、放射線環境科学を受講すると決めたのは、このように感じたからだった。日本に住んでいるにも関わらず、知らないことが多すぎる、と感じたのだ。
    今まで、テレビやラジオを通じて復興についてある程度知っている、と思っていた。例えば、私が普段からよく聞いているラジオ局では、被災地の現状を伝える番組が毎日放送されており、仮設住宅での生活環境や福島の農業の今などが取り上げられていた。しかし、この授業では復興に最先端で携わる先生方から多くの貴重な知識を学ぶことができている。土壌にセシウムが吸着される過程など放射能汚染について科学的に理解することができ、また、被災地へ足を運び、福島の人々と直接言葉を交わした体験を聞くことで実感を持って被災地の奮闘を理解することができた。時には、メディアとは異なり、研究者という立場で得られた非公式のデータ・統計を通して被災地の現状を正しく認識することもできた。
    このように認識を新たにした今、改めて考えることは「本当は知らないにも関わらず、どれだけ知っているつもりになっていたか」ということだ。今でも「知っているつもり」にとどまっているのかもしれないので、私が被災地の農業再生のためにできることの一つ目は今後も積極的に被災地の現状について知ろうと努め、さらに被災地に足を運んで自分の目で実感することであると考える。授業の中で表土剥ぎ取り法がいかに非効率的で現場の実情にそぐわないものであるかを学んだことから、復興への具体的な方策は正しい知識から導かれると同時に、現場での経験に裏付けられるべきだと考えるからだ。これから様々なことを学び、被災地の復興に具体的にどう貢献できるかを考えていきたい、と思う。
    また、同世代の人々の中には、きっと「知っているつもり」に思っている人も多くいるのではないかと、自分が以前そうだったからこそ感じる。そのため、私が被災地の農業再生のためにできることの二つ目に挙げられるのは、自分が得た知識を他の人へ拡散し、少しでも現状について理解を深め、興味を持ってもらうことだ、と考える。これからの社会を担う若者が被災地についての理解を深めることは復興に重要であると改めて考えるからだ。
    以上より、私が被災地の農業再生のためにできることは、今後も積極的に被災地についての理解を深めると同時に、その知識を他の人にも拡散することであると考える。

  11.  私は中学2年生の時に震災を体験しました。そのときから、ボランテイアなり、何か復興のためにしたいとは思っていましたが、学校側も親も「あなたたちがいっても役に立たないから(今は勉強していなさい)」と言った様子で、募金をするのがせいぜいでした。後ほど、灘などの学校、特に進学男子校では東北に実際にいく人が多いのを聞き、歯がゆく感じましたが、今度は「灘の生徒は優秀で特別だから。あなたは女の子だから役に立たない」と切り返され、悔しかったです。今度こそ、被災地について深く学び、本当に被災地の役に立つことへのきっかけになれば、とこの講義を受講しました。
     私自身ができそうな被災地の農業再生としては、新しい農業ビジネスの立ち上げの支援があると思います。除染のコスト、風評被害などのデメリットとともに、地域のしがらみから解放された、新たな人脈ネットワークが構築された(福島再生の会と溝口先生、またフェリス学院、精密機械メーカー等企業と福島県などなど)というメリットもある中で、デメリットに打ち勝ち、メリットを最大限いかせるような支援を行いたいです。
     まずは新規で農業をやりたい人が入り、反対に福島にいた人が戻ることを望まない、あるいは一部の土地を売る場合に土地の利券の整理や売買などの相談に乗ったり、手続きを手伝います。  また福島再生の会や研究者の方々などと連携してどのような方法でどのような生産物、加工物を生産できるか考えます。
     さらにマーケテイングを行い、どのようなものが売れそうか、また福島産のもの(特に放射能の影響が多かった地域)に対して消費者がどのような認識を持っているのか調査します。様々行われている取り組みの中でこれが今現在必要なものでかけているものの一つなのではないかと思います。今は消費者の考えもだいぶかわってきていますが、それに対する調査や消費者のニーズはまだ未知数です。
     そしてマーケテイングをもとに、福島産の産物を売ることと、新しく又は帰ってきて農業をやりたい人、両方に対する広報に取り組みます。最近、福島県に関する報道が目に見えて減っていること、一時期盛り上がった福島応援キャンペーン等も尻窄みになっていることが非常に気になります。福島県の職員さんなども食の安全についての情報を県のサイトで公開するなど、地道な努力をされているようですが、広報はもっとやってもいいのではないかと思います。広告代理店などに頼むのはコストがかかりますが、広報を勉強している学生などと組んでプロジェクトを練ることはできるのではないでしょうか。せっかくのTOKIO も、CMに出ていただくだけではもったいないです。それこそ、みぞラボと鉄腕DASHでDASH村再生なんてやると面白いかもしれません。(実際ひまわり除染は番組で実験していました。)今まで培った人脈もここで発揮してはどうでしょうか。ネット社会、消費者は大変口コミに弱いです。
        また新規の方が自分で農業をやることは負担が大きいので、株式会社などの形をとる農業法人を立ち上げる必要もあるかもしれません。
     私は文系なので、ソフト面にこだわった考えを述べさせていただきましたが、現地を目にしていないため、かなり論が表面的、一般論に流れてしまった感触がぬぐい去れません。やはり、実際に現地に行く必要があると感じます。東大のボランテイアグループに頼むかなにかでいかせてもらおうかと思います。土壌物理学は到底よく理解できたとは言えませんが、私にとってはセシウムがカリウムの代わりに取り込まれてしまうこと、までい工法のことなどすべて初耳でとても勉強になりました。と同時に、文一としては特に国の行政が研究者や地元の民間グループと協力しないどころか、当初は研究者にこの件に立ち入るなとしていたことに憤りを覚えました。やはり地方が再び活力を持つことがこのような体制打破への糸口であるとも思います。

  12.  はじめに、このレポートの提出が大きく遅れてしまい、すいませんでした。私の不注意で期限内に出すことは出来ませんでしたが、先生は出来るだけ生徒の意見を聞いておきたいとおっしゃっていたので、今提出することにも多少は意味があるだろうと思い、提出することに決めました。
      私なりに自分に可能な農業再生への取り組みを考えてみた限りでは、一番効果がありそうなのは私が農家となって実際に被災地で作物を育て、販売することである。私がニュースやこの講義で話を聞いてきた中では、農業再生を目指していく上で一番深刻に思える問題は被災地で農業をする人が少ないことである。現在避難している農家の人がまた戻ってきて農業を再開することは期待されるが、原発事故の影響で一度農業を中断した人が、除染のため表土をはぎ取られた土地で少しの放射線にも敏感になっている消費者に買ってもらうために農業を再開するのは確かに難しいことのように思われる。現在避難している人の中で除染が完了しても帰村したくないと思っている人がかなりの数いることからも、どんなに除染を進めても元の農地に戻らない農家が多くいるだろうと予想できる。農家がいなくなっては農業再生などできるはずもないから、農家の数を増やすことが大事だが、その一番確実な方法は自身が農家となることだろう。除染後の福島の土地は農地としての質は落ちるかもしれないが、溝口先生がおっしゃったように、新しい形で農業を始めることには適している。一人でも多くの人が農業をすることによって福島の農業は活気づいていくのではないだろうか。
     農家になるのでなくても放射線や農業など農業再生に大きく関係する分野の専門家になって、被災地でよりよい除染方法や被災地に適した農業のあり方を紹介することも農業再生の手助けになるのではないだろうか。被災地の農業再生を少しでも進めるには、溝口教授のように現地を見ながら農家の人々と話し合いながら農業再生に取り組むのが一番だろう。よく言われることではあるが、どんなに有能な人が東京から指示を出す役目に就いていても現地の様子をしらなければ的確な指示を出すことは出来ない。このことは指定された資料の中で度々触れられていたように福島の原発事故についてもよく当てはまるのだろう。
     しかし、ここまで述べてきたことは私が被災地の農業再生のために生涯をかけて取り組むとしたらどういったことが出来るか、ということであって、実際のところ私は農家や農学者になりたいとは思っていない。ここから先は私が実際にしようと思える範囲での農業再生の手助けについて考えていこうと思う。
     まず思いつくのはボランティアとして被災地に行き、農作業などを手伝うことである。そもそも私は原発の被害について何も知らないことに危機感を覚えてこの講義をとったが、いまだに被災地の現状というものがいまいちわかっていない気がしており、実際に被災地に行くことでその現状と必要とされている支援について少しはよくわかるのではないかと思っている。現地を訪れて私の認識が変わることで、より積極的に農業再生を支援するようになるか、もしくはよりよい支援の方法を知れるかもしれない。
     それ以外の方法としては、やはり被災地で作り、出荷された作物を積極的に買うことが大事ではないかと思う。被災地で農業を始める人がいても作ったものが売れなければその人の生活も苦しいし、新たにそこで農業を始めようと思う人も減ってしまうだろう。だから、少し高くてもその分は農業再生への寄付だと思って出来るだけ被災地でとれたものを買うようにするのが大事ではないだろうか。実際のところ、ただ寄付をするよりかはお金の流れがはっきりとわかる分この方がいいと思う。また、自分だけではなく知り合いにも国の基準を満たして出荷された作物は安全だと教えて、それを買うことをさけることがないようにさせることも大事だろう。こういうときにこそ私がこの講義で習った放射線に関する知識をいかせるのだと思う。テレビで福島産のものが安全だといわれても信じられないという人はたくさんいるので知り合いが直接説得することは地道だが効果的な方法だろう。
     三ヶ月近くにわたってこの講義を受けて原発事故についてそれなりに詳しくなったつもりでいたが、このレポートを書くにあたり「じゃあ、実際に何が出来るか」ということを考えてみたときに、以前とほとんど変わらないアイデアしか出てこないことに気づき、これまで自分が何か手伝うということをほとんど考えていなかったということを痛感させられた。今の私の意見をまとめると、「出来るだけ被災地で作られた作物を買い、機会があればボランティアに参加して被災地を実際に訪れる」ということになるかと思う。いろいろと考えてみたつもりだったが、月並みな考えしか出てこなかったのが残念であるが、これがいまの私に出来そうな被災地の農業再生である。



講義内容  みぞらぼ
amizo[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2016.12.23)