放射線環境科学16レポート



放射線環境科学(2016.12.21)  受講者 10名
担当: 溝口勝

レポート課題


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。
 まずは自分のレポートがあるかを確認してください。ここにない場には受領できていない可能性がありますので知らせてください。

レポート課題:
講義資料を読み、「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」考えを述べよ。(A4で1枚から2枚程度)

  1.  私は福島県の田村市出身です。(震災の年は中学二年で、その日は中学校の卒業式でした。)私の家の周りには、農家の家があります。野菜や米ももちろん栽培していますが、牛を飼育している家が多いです。原子力発電所が水素爆発してから、すぐに避難地域が発表され、私の家は原発から20キロちょっとのところだったので、車で10分ほどの都路までが避難地域となりました。私の家は避難しませんでしたが、近所からは何人か避難しました。そんな中、牛を飼育している家では、牛を残して避難することはできない、と言って残ろうとする人(多くが高齢の方)と、どうせ育てても放射線のせいでその牛を売ることはできないのだからと避難をすすめる人たちとに分かれていました。結局、私たちの住んでいる地域ではそれほど線量は高くなくむしろ、郡山などのほうが高い、という状態だったので、避難をする人は少なかったと思います。
     今現在、私たちの近所の人たちの中で、出荷をしている人はほとんどいないそうです。中には牛をすべて売ってしまって、今は飼育していない家もあります。こんな状況を前にして、私が思うことは、農地の線量を下げることで農作物を作れるようにすること、売れるようにすることだけで、農業再生になるのか、ということです。牛を飼育していた家では、牛のフンなどを肥料にしていました。田おこしなどに牛の力を借りていました。出荷できないものや稲の藁は牛のえさや寝床になっていました。もちろん、線量は復興の基準になると思います。しかしこのような循環を取り戻すためには、農業だけ、牧畜だけで対策を考えるのではなく、それらを同じ枠組みで考える必要があると思います。私は理学部物理学科に入りたいと思っていました。しかし、(点数の関係もあって)今は農学部にすすもうかと思っています。もしも農学部に入ることができ、そのまますすむことになったなら、「農業」再生ではなくて、「農林水産業」再生のための研究をしていきたいと思っています。そしていつかは、福島に帰って農家の方々を手伝えるような立場になりたいと思っています。(理1)

  2.  私はこれまで福島に行ったことはありませんが、震災後ニュースで映像が流れ、自然豊かな田畑が汚染されてしまったことを本当にもったいない、なんとかならないだろうか、と強く感じました。私は富山県出身で田んぼや畑が周りにたくさんあり、田植えをしたことがあります。また中学生の時、農家の方に職業体験でお世話になったことがあり、農業体験を通じてその大変さに尊敬の念を抱きました。
    講義を通じて福島県が長い時間と多くのお金をかけて他の国のものよりもはるかに厳しい基準で検査を行い、完全に安全なものだけを流通させていると知りました。スーパーで福島県産の農産物を見たら「これは安全でおいしいものだ」とはっきり理解して手に取ることができます。ただ食品の対する日本の新基準値は他の国々から見てかなり厳しいとも感じました。この基準値のために土壌汚染が10000Bq/kg以下の農地に対しても表土削り取りが行われ、生じた大量の汚染土が行き場を失っていると学びました。これからさらに適切な基準値を設定するためにも私たち一人一人が、その場の不安に流されることなく、放射線被曝に対して正しい認識を持つことが不可欠だと感じました。このためにも身の回りの人にこの授業で得た正確な知識を伝えていかなくてはならないと思います。このことの積み重ねがほんのわずかでも福島の農業再生に役立ってくれたらと思います。
    また、放射性物質はガラス状の微粒子の中に閉じ込められて周囲に降り注いだことを最近、地球惑星物理学科の先生が見つけられたと田野井先生がおっしゃっていました。農学部はもちろんですが、その他の学部学科でも福島の放射線汚染の解決につながる研究ができると知り、このように様々な専門を持った人が協力することが今回の問題の解決の不可欠だと感じました。

    私は理科一類に在籍しており後期課程でどの学部学科に進学するか決まっていませんが新しいことを学び、さらに研究していきたいと考えています。将来、自分が放射線の汚染を減らしていく役に立てるようにこれまでよりももっとしっかり学んでいかなければいけないと感じます。

    今回の事故が起こる前はBqやSvという単位を詳しく学んだことはありませんでした。また福島の農産物に対する風評被害は放射線に対する正しい知識があれば防げたはずです。繰り返しになりますが今回の事故に対する正しい知識に私たち一人一人がこれからも関心を持ち続けていくことが不可欠だと痛感しました。(理1)

  3. 中学2年生の終わりに福島市であの地震を経験していたが、行動力もなく、自分自身で被災地の再生に貢献できることは無いと思っていた。それから将来の進路を考えたときに、教育関係の職に就いて日本人の科学リテラシーを向上させれば、風評被害を軽くすることができるのではないかと思い、現在の進路を選んでいる。そういうわけで、自分で何か農業のために貢献できるかということを考えてこなかったので、自分自身がどう動けるだろうかということを、この課題を通して考えるきっかけになった。
     被災地の農業再生について考えるにあたり、まず、相双や飯舘のような除染が課題になっている地域と、会津に代表されるようなあまり汚染されていないけれども福島としてひとくくりにされているため消費者の安心を得られないでいる地域とを分けて考える必要がある。いま福島の復興と言っているものは、福島市や郡山市ばかりが発信していて、ほんとうに深刻な地域を無視しているように感じるからである。そして、福島をひとくくりにして見たままでは、風評ばかりが問題となっている地域を発信できないからである。
     除染について自分ができることをあげることは難しい。しかし、もし将来に自分が行政のひととして福島の再生の話を発信していくときに、書籍や記事で読んだ話ばかりしても説得力がないし、線量計の数字の話ばかりを聞いてくれるひとはいなかろうと思う。なにより自信を持って発信できない。地元の農家さんから直接話を聞いたり、体験をしたりして身をもって現状に触れたい。
     それから、「福島」という言葉が出てきたときにそれがどの範囲を意味しているのかを意識して、無視されている地域がないかに注意していく。福島は復興したんだ、と手放しで考えてまだ問題の残っている地域を忘れない。
     風評ばかりが問題になっている地域は、自分でその商品を買うだけではなくて、安心と信用を得るための情報発信をしていく必要がある。除染の進行状況や検査結果の発信をもっと活発にするべきだ。正直に言うと会津坂下町・会津美里町の除染が完了していたということは、このレポートを書くときに環境省のサイトを調べて初めて知ったし、「ふくしま新発売。」も、この講義で紹介されて初めて知った。それまで関心が低かったせいであるが、情報を発信したところで受け取り手がいなかったら仕方がないと思う。草の根の動きではあるが、自分の身のまわりのひとたち、とくに福島県出身者には知らせていきたい。それから、自分は高校生と接する機会が多く、地元の農業高校の生徒さんたちと一緒になる機会も得られるので、講義でこれまで学んできたことを話したり、教科書を勧めたりして、彼ら彼女らに興味をもってもらうきっかけづくりをしていく。
     ただ、発信された情報自体に不信感を抱いているひとたちには、どう発信していったらいいのか分からないため、福島県が信用された県になるためにはどうしたらいいのかは、これからも考え続ける。(文1)



講義内容  みぞらぼ
amizo[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2016.12.23)