土壌圏の科学15レポート



土の凍結(2015.11.4)  受講者 40名
担当: 溝口勝

レポート課題2


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。
 まずは自分のレポートがあるかを確認してください。ない場には受領できていない可能性がありますので知らせてください。

  1. まず誰もが考えつくのが、現地にボランティアに行くことであるが、私の現状を考慮すると現実的な話ではない。最も現実的かつすぐにできることと言えば、風評被害により売り上げが少ない被災地周辺で栽培された農作物を購入することであろう。震災後、さまざまな団体が汚染除去などによる農地回復に努めてきただろうから、農作物の一定の安全確保は進んでいるはずだ。風評被害に苦しむ被災地の農家の方々を経済的に、また精神的に潤せればと思う。

  2.  被災地の農業再生と聞いて、いまの自分になにができるかと想像してみたら、肉体労働くらいしか思いつきませんでした。もしくは、ただひたすら被災地産の農作物を買うということだけが、被災地の農業再生に寄与できる一番現実的で実現可能性の高い方法ではないかと考えました。このように、自分は社会のためになにができるかと考えるとき、毎回自分の非力さに悲しみや悔しさを覚えるのです。しかし、参考資料を読んでみると、なにも今の等身大の自分にできることが少なくとも悲観的になることはないのではないかと希望が見えました。
     たしかに、私にはたいしたことはできません。そして、いましている勉強が将来どこでどう役に立つか、私自身には想像がつきません。はたまた、自分の持つ知識、見聞、経験がどういきてくるのかもわかりません。しかし、来る想定外の問題に柔軟に対応すべく、ただただ自分の興味をストレートに追求するという楽しい時間を精一杯過ごす。こういった毎日の積み重ねが、将来の被災地における農業再生につながると信じ、いまはひたすら、がむしゃらに勉強しようと決意を新たにしました。
      また、震災以後被災地を離れてしまった人もおり、効果的な除染方法などが見つかったとしても人手不足によりできないということもあると考えられる。よって、大学生などが積極的に被災地にボランティアに行くとよいと思われる。

  3.  最初に、私は自分の認識の甘さを見直さなければなりません。私の中では東日本大震災は、直接被害を受けたわけではないのでどこか他人事で、すでに終わったこととして考えている節がありました。しかしながら現地の人は、今でも放射線や余震の恐怖にさいなまれている、という話を耳にしました。私は、現実に起こっている問題として東日本大震災と、それによる後遺症について考えなければなりません。
     次に、現地がどうなっているか、どう変わってしまったか、という情報を得なければなりません。そのためには、インターネットは確かに手っ取り早い方法だと思いますが、そのぶん情報の正確性が担保されず、場合によっては恣意的に操作された情報ばかりが目に入ってしまうことになります。これでは現実と情報の間にギャップが生まれてしまいます。ですので、是非とも一度時間があるときに被災地へと足を運び、自分の目で見、自分の言葉で被災者の方々と触れ合うことが大事だと思います。そうすることで実際今どう困っているのか、を知ることができます。
     そうして生きた情報を得て初めて何か行動ができるのだと思います。ですので、自分に今何ができるかと問われると、やはり被災地に直接行ってみることではないかな、という気がします。
     それとは別に、最近自分が農業再生について気になっていることはソーラーシェアリングの技術です。農地の上に半屋根上の太陽電池を設置することで、農地を半分発電所へと転用できる、というものです。これがあることで農業はそのまま継続し、なおかつ電気の自家消費あるいは売電による副業収入が見込めます。導入には少なくない費用が必要であり、本当に被災地農家の方に求められている技術であるかはまだわかりませんが、面白い技術だなと感じました。

  4. 自分ができる被災地の農業再生の手段として考えられるものは大きく分けて2つある。1つは被災地の農業について正しい知識を身につけ、福島産の食品に対する間違った先入観を捨て去り、正しい知識を周囲に広めることである。福島で作られる作物は危険なものだと考え、手を出したくはないと考える人も多いが、除染作業をきちんと行えば福島産の作物は危険ではないということを広めていくことが大切であると考える。
     もう一つは、ボランティアなどの形で実際に福島の農地に行き、除染の手伝いをすることである。今では「までい工法」という、ゼネコンや大型機械に頼らなくても、廃土を出さずして除染する方法があり、これなら自分でも手伝うことができると思う。また、実際に福島に訪れることは、いかに福島が安全であるかを知る最良の手段であり、そのことを周囲に伝えることができたらさらに被災地の農業再生に貢献できると考える。

  5.  まず、真っ先に思い浮かんだことは現地に足を運ぶことである。一人で行ってもできることはあるのかと疑問に思ったが、抗議を聞いたり資料を読んだりして、研究者のおかげで農家自身でもできることがあることを知り、自分一人でもできることがあることを知った。そして、行った事がなく自分のようにできることがないと思っている人もいると思うので、実際に現場でできたことや現場の現状をSNSで発信することで、ボランティアに行こうと思う人を増やしたい。
     次に被災地の食べ物に関する悪いイメージを少しでも解消していくことである。原発事故によって、自分自身も正直かなり福島産の農作物に関して怖いイメージがあった。このようなイメージを解消する方法として、福島産の農作物を実際に食べているところをこれもまたSNSを通して発信していくことがあげられる。でもただ単にその様子を載せるだけでは伝わらないので、安全性の根拠とともにその様子を伝えることが大切であると思う。
     最後にできそうなこととして、自分自身の知識を増やすことである。この講義を受けなければ知らないことばかりであった。また講義を受けても理解できていないところや学べるところはたくさんあると思う。学生という時間の中で、勉強する時間は取れると思う。そして知識が増えることで、上にあげた二つの行動がより適切にまた内容のあるものとして進化していくと思う。また知識が増えれば、高度な内容をかみ砕いて教えることもできると思う。そして、自分ができそうなことを上の二つ以外にも広げていければと思う。

  6.  被災地の農業再生と聞いて、農業再生に限らず被災地の再生を目指すときにまず人々が思い浮かべるであろうことはボランティアとだ思う。しかしながらボランティアや支援という形は、残念ながら長期的視点から見たときには大きな影響を及ぼすことはできない。東日本大震災の直後においてもニュースなどで被災地支援に励むボランティアの存在が報じられていたが、福島第一原発の問題は根絶していない今となってはボランティアの活動も非常に少なくなってきているのが現状であろう。このように述べている自分もボランティアに自ら志願して活動したことは一度もないが、そのような人が大半なのではないだろうか。結局のところ人間どんなにボランティアがすばらしいことだとわかっていながら実際に活動して大きな影響をもたらすには至らないのである。以上のことから、被災地産の農産物を善意で入荷するだとか購入するだとかの議論にはまったく意味がない。冷酷なように聞こえるかも知れないが、実際のところ経済的に成功するということなしには農業再生の真の実現はありえないのである。
     ならばどのようにして被災地の農業を経済として成功させるのか。よくよく考えてみれば自分自身の力で何とかできることなどほんの小さいことなのだろうと思う。ゆえに、自分自身でできることに焦点を絞れば、アイデアの点で考えていくしかない。 被災地の農産物の弱い点を考えると、被災地の農産物というだけでマイナスイメージをもたれてしまうということがやはり最大の問題点なのではないかと思う。前半で述べたように人間の慈悲を頼っていてはいけない。結局のところ裕福な国民が多いこの国においては被災地の農産物がいくら安くあっても、いくら被災地に対する慈悲の心があろうとも、被災地の農産物を進んで購入する流れはできないだろう。
     ならば、被災地の農産物という印象に勝るほどの価値やブランドイメージを農産物に付加させていくしか方法はないだろうと思う。被災地の地価は低くなっていることが考えられるので、土地のコストはだいぶ抑えられるだろう。その価格差をそのまま商品の値段に持っていくのではなく、他の農産物と同等の価格でプラスの価値を与える方向に向かうのだ。 ここで注意したいのは放射線の含有量について仰々しく宣伝しすぎないことだ。今まで人々は放射線の存在自体を知識として知らなかったため、いくら放射線が含まれていないことを述べても、あることにはあるんでしょ、知らず知らずに思ってしまう。少なからずどの物質も放射線を発しているのにもかかわらずだ。除染を徹底的にやることはもちろん怠ってはならないがそれを大きく誇張しすぎることは、放射線が少し含まれています、とみずから述べてしまうようなものだ。ほかの農産物と同じ土俵に立ち、そのなかで農産物そのものの力やブランドイメージで勝負し経済市場の中で勝っていき、更なる市場の拡大をしていく過程そのものの中で、本当の意味での被災地の農業再生が達成されていくのではないかと思う。

  7.  指定された資料を読み、自分が現在学んでいることは一体どのような形で世の中に還元することができるのか、というようなことを全く考えずに日々を過ごしていることを痛感した。私にとっても大学の講義はどれも現実離れしており、実際に今後の人生において使っていくような見通しは全く持てない。私は森林環境資源科学課程に所属しているが大学院に進む予定もなく来春から就職をする予定であり、就職先も林学とはあまり関係のない分野の企業である。また林学科の中でも私の専攻は風景学であり、被災地の農業再生に繋がるような知見はほとんど有していないと言える。  しかし、私のような専門的な知識を持っていない者にでもできることがあるとすれば、それは正しい情報を見極め、一部のマスコミなどによる無責任な報道に踊らされないことであるように思う。また、ただ受動的に入ってくる情報を見定めるということにとどまらず、積極的に自分から正しい知識を得られるように様々な情報を探していくことが大切であるように思う。エリート意識が高い東大生であるからこそ「正しい知識」をしっかりと知っていることには義務感のようなものを覚える。偏見を持たずにニュートラルな立場を貫くことができていれば、どのような形かはわからないがいずれ被災地の復興に繋がるような行動を取れることもあるように思う。

       また、被災地の農業再生からは話題がずれてしまうのだが、指定された資料を読もことで学生としての基本的な姿勢というものを考えてみるとても良い機会になった。画一的な考えに凝り固まっていて固定観念に捕らわれてはいないか、純粋に自分が何に興味を持っているかを考えているか、といった事が本来は学びにおいて最も重要であるということは知っていると自分では思っていたにも関わらずこのようなことを忘れてただ目の前にあることをこなしていくようなことが最近多くなっていたように思う。
     社会人になる前にこれらのことをもう一度考えてみることができてよかったと思う。

  8. 「原発事故後,いかに行動したか」の資料の内容が印象的でした。私自身も大学で農 学部に属し,本講義の他に放射線に関わる講義をいくつか受講しています。原発事故に 対して各県,各農家が尽力しているものの,国民の理解は深まらず,放射能への不安感 は消えない。まだ専門的な分野にまで理解は及びませんが,大学の講義で学んでいるこ とを少しでも行動にしていけないかと様々な講義の度に感じました。現地に足を運び, 現地の人々と話を交わして,普段勉強会で身につけた知識が役に立ったという内容があ りましたが,講義で学んでいる私たち学生にも出来ることはあるだろうと思います。「ま でい工法」という名前からも感じますが,現地の人とのコミュニケーションのあり方に 興味をいだきました。研究し論文におこすことを目的にしている人が出向いても意味が 無い。私は様々な地域に出向くことが好きで,観光だけでなくボランティアだったり現 地の方々のお話をきいたりという目的で行くことが何度かありました。今までは国外が 多かったので少々状況は異なりますが,事前に歴史的背景や政治,宗教の事情を調べて から現地へ行くと,頭の中の知識と目の前の光景が繋がりました。自分を含めた訪問者 と現地の方々とで意見交換をすると,自分では考えつかないような意見に出会うことも あり衝撃を受けました。国内の被災地も同じだと思います。大学の講義で学んだことを 自分の頭のなかに留めておくのではなく,学生も自ら現地へ足を運び,授業課題だとか レポート課題ではなく,現地の人々との真のコミュニケーションを取っていくべきだと 思います。また,県や農家が尽力なさっていることをもっと他国民が知り,放射能の危 険性を正しく理解することが必要だと思います。検査を受け,身体に安全だと明らかに なっていても,福島の農作物は敬遠されてしまいやすいという現実があります。ふくし まも特設ホームページなどで広めていっていますが,理解はまだまだ深まるべきだし, 安全性を理解して消費者の福島産農作物の選択が増えることで,福島の努力は実ると言 えるのではないかと思います。土壌や森林という広範囲の研究や,農地での各農家の努 力がどんどん進んでいる中,私達は正しい知識を身につけ,現状を知り,現地に足を運 び,福島産の農作物を正しい理解のもとで消費することが,被災地の農業再生に繋がる と思いました。

  9. 「自分自身が出来そうな被災地の農業再生」という問いに対して、溝口教授の現状提案されている方法は大きく分けて「農家が自分たちだけでできる除染(までい工法)」と「汚染された土壌で栽培しても商品となりうる作物の選定」の2つがあると考えられる。この二つは参考資料を読む限りどちらもシンプルかつ非常に有効な手法であり、これに代わる手法の提案は困難である。
     似たような手法として、汚染物質を吸着する植物の探索が挙げられる。汚染された土壌に植物を植え、成長したところで抜去し、土壌から汚染物質を減らすというものである。植えるだけなら手間もコストも低めに抑えられるというのは一つの利点ではあるが、成長後に完全に抜去するためには手間がかかるし、また抜去後の扱いも議論を呼ぶことになると思われる。
     そこで自分は敢えて汚染された土壌から視点を変え、人工的な土壌での作付けを提案する。この手法はすでに都内のビルなどの中で行われている、いわゆる『野菜工場』のようなものであるが、人工の土壌、または水耕栽培によって野菜を生産するという方法である。しかしこの手法は太陽光を取り入れることの難しい環境下で行われることが多いため、電力を大量に消費する必要がある。そこで被災地においては上部開放型コンテナを用いた太陽光を利用できる野菜工場の建設が適切であると考えられる。この手法を用いるメリットは除染が完了するまでの間の休耕地などを利用して野菜の栽培が小規模ながらも可能となり、かつ栽培場所自体が移動可能なため再除染等が行われる場合にも柔軟に対応ができるという点である。無論電灯を用いない野菜工場では棚を何層にも重ねて大量の野菜を生産することはできないが、少なくとも汚染された土壌からは遮蔽された条件下での栽培が可能となる。 無論この手法は一時しのぎに過ぎず、根本的な解決にはならない。だが、ただ補助金を受け取り、役所が除染を終えるのを待つしかない地元農家に、多少なりとも農作業をさせてあげられるということは重要な意味を持つと考えられる。農業の再生とは、産業としての農業だけではなく、それを担う人のケアも含めて論じられるべきではないだろうか。またこの手法で急場をしのいでいる間に、までい工法による更なる広範囲の除染、および廃土の除染と再利用などのめどをつけ、それを実行に移すことはできる。原発事故のような大規模な災害が起きた時に、一個人の行える活動には残念ながら限界があるので、行政を動かすことは復興には必要不可欠である。
     ただ、この手法は「自分自身ができる被災地の農業再生」というテーマから逸脱しているのでは、と思われるかもしれない。確かに自分が一人で全農家に行きわたる分だけのコンテナを調達し、配分することは到底不可能である。だが、「こういう方法もある」ということを農家に提示することは可能である。要するに自分が行う農業再生は、「地元農家に新しい農業のスタイルを提案する」ということになるだろうか。「土から離れては生きられない」というのは宮崎駿渾身の名言だとは思うが、土が奪われた場合、座して死を待つほかないということではないだろう。決して土を軽んじるのではなく、緊急避難として人工的な土壌で命と技をつないでいき、再び土と生きられる日々を思い描きながら必死に何とか生きていくというのも人間としてあるべき姿ではないだろうか。

  10.  恥ずかしながら私は今まで被災地の農業再生について考えたことがあまりなかった。地理的な距離があることや被災した知り合いがいなかったこともあり原発事故や津波の被害に対して親近感がわかなかったことが原因だと思われる。しかし今回溝口先生が被災地でされてきた活動についての資料を読み、それについてレポートを書くという課題が与えられたことで初めて被災地支援について真剣に考える機会が得られた。
     まず資料を読んで感じたのが世間に対して正しい情報発信ができていないということだ。土壌や被災地の放射線量などについて、世間の人が知らないことや間違って認識していることが多くあるのだと分かった。特に、「チェルノブイリと比較したら福島の事故で放出された放射能レベルはたいしたことはない」という事実には驚かされた。また以前までならたくさん書店に並べられていた被災地についての書籍も最近ではあまり見なくなったと感じる。情報発信がうまくできていないということもあると思うが、同時に情報を受け取る側の姿勢にも問題があるのだと感じた。被災地についての情報は文献を読んだりネットで検索したりすれば簡単に手に入るはずなのに、受け取る側がそれらの情報を受け取ろうと努力をしないため、情報が世間に広がらないのだろうと思われる。このことから、自分のできる被災地の農業再生の第一歩としてまずは実際に被災地に足を運んでみて自分自身の目で被災地の現状を確認することが必要なのだと感じた。まずは自分が正しい情報を持つことが大事であり、また百聞は一見に如かずというように実際に見てみないとわからないようなことが多くあると思ったからだ。
     実際に被災地に行ってみるならどういった形で行くのがいいのか、ありきたりだが一番いい方法はボランティアという形で被災地支援をしている団体にお世話になることだと思う。やはり個人で被災地を訪ねるよりも団体の方々の話を聞いたり、団体の行っている活動に参加したりするほうが得られるものは多いと思うからである。被災地支援を行っている団体にReRootsという団体がある。この団体は2011年の4月から活動をしていて、現在でもなお活動を続けているとても長い期間被災地の復興に携わっているボランティアグループであり、この団体なら被災地の実情がどのように変化していて、いま本当に求められている活動がどういうものなのかわかっているような気がするので、まずはReRootsの活動に参加したいと思った。
     被災地の現状を知るだけでは農業再生はできないので、ボランティア活動に参加する以外にも自分でなにか活動を提案し行動しなければならないと感じるが、私にはまだそれを行う知識も権威もない。したがって今できることで一番やらねばならないことは学んだり体験してみたりすることなのではないかと思う。溝口先生が大学時代からこれまでの間に何をしてきたのかを読んで、いろんなところに行ってみたり視野を広げて考えてみたりすることの大切さを感じた。それまでは農業とは少し離れた分野であったが原発事故を通して自分の研究と農業がかみ合ったという記述を見て、自分もそんな出会いのためにいろいろ勉強しておきたいと思った。ある分野についてより深く知りたいと思い専門家に話を聞きに行くこともあると思うが、そのときにこちらが最低限の知識を持っていなければお話にならない。教授や専門家の方のお話を聞くにしてもまずはその方の書いた文献などを読んでみてその方の考え方ややっていることをよく理解していなければせっかくの新しい理解ができる機会を無駄にしてしまう気がする。
     また私にしかできない復興支援は何か考えたとき、「東大」という肩書を使わない手立てはないと思った。決して驕っているわけではないが、今私が所属している農村支援を行うサークルではまだ活動を開始したばかりでたいしたことはできていないにも関わらず、東大生が協力しているということだけでとてもありがたがられる。このような体験は入学して以来何度かあり、そのたびに「東大」という名前のネームバリューを実感している。私たちの能力自体はほかの大学生と大差はなく、「農学」が実際の体験などを通して学ぶことの多い分野だということを考えればむしろ他の、農業が盛んな地域の人たちや今までですでに農業にかかわって生きてきた人たちと比べれば劣っているだろう。しかしそれでもこの「東大」という名前は私たちの発言や行動に不思議な説得力や信憑性を与えてくれる。それを生かさないのはもったいないと思う。被災地にあるすべての農村が専門家を呼んで話を聞いたりアドバイスをもらったりできるわけではない。そういった農村地域に、たいていの大学生が「大学生の言うことなんてあてにならない」と言われてしまう中でも、知識をつけた私たちなら意見できるのではないかと考える。もちろん専門家の意見ですらなかなか受け入れてもらえないことがほとんどだと思うが、私たち学生は専門家たち大人と比べ、行動力という面で優れているのではないかと感じる。自由に活動のできる大人は少ないが、仕事や社会的立場などの制約もない学生なら、友達同士の呼びかけあいやサークルという形で大人数での活動が大人と比べて容易に行える上、時間的な制約も学生は大人と比べ少ないので、活動できる時間が多い。そして人数や時間において専門家たちより行動力で優っているということはつまり、私たちには改善策を考えるだけでなく実行することができるのである。実行までやれるなら少しやらせてみてもいいかなと考える人たちもいるのではないかと思う。農村地域の多くは町を復興させたいがそのやり方がわからないという事態に陥ってしまっていることが多いと思う。そういった地域に私たちが知恵を貸すという形で私たちも地域の復興に貢献できるのではないかと思う。そのためにもやはり知識をつけ本当に頼れるような存在にならなければならないということを強く感じる。
     溝口先生が提案されているように、震災を通して有名になったということを最大限利用した、被災したことをむしろプラスへ転じられるように復興を手助けしたい。

  11.  講義では凍土の利用価値や除染方法などを知る事ができた。凍土はもっと高緯度の話だと思っていたしましてや利用価値があるとは思っておらず、新しい視点を得ることができた。しかし、これは今僕らができる事とはあまり関係はない。知識として身につけ、今後の研究に生かすという意味では必要だが、今、これを使って僕が何かをできるわけではない。
    僕たちができることは、主に生産面と消費面の二つに分けられる。
    生産面では除染の手伝いなどは難しいが、農作業などはボランティアという形で手伝うことができる。
    消費面では、安全性や危険性を正しく学ぶためのリテラシーに関するセミナーを開いたり、Webサイトを作ったりなど、風評被害を抑えるものが考えられる。

    しかし、このような人で不足や風評被害等の負の面を抑えれば農業再生ができるというほど簡単ではないと感じている。(農業再生とは農村として自立でき、世代交代も可能であることを意味していると考えている)僕は現在農村の活性化を目的とするサークルで活動しているが、今や普通の村ですら若者離れが止まらなくなっていて耕作放棄地が拡大しているのだ。それを止める術として、観光要素を盛り込んだり、ツアーを考えたり、地域の歴史的な魅力を再発見するためのマップを作ろうとしている。しかし同時に、観光地化することの難しさやそもそも観光客は農業従事者に金を落とさないこと、地域愛を深めたところでどうにもならない事も感じている。結局農業でうまく金が回り、安定性が見えてこないと若者を引き止めることはできないのだ。大規模な土地をもつ村でなければ、いいモノを作り、効果的な広報をして高く買ってもらわなければならない。
    “普通の農村”でも多くの問題を抱えている。まして人手が圧倒的に足りない原発周辺で、風評被害を抑えながら農村を再生できるだろうか。若者はそこで生きることを選ぶだろうか。僕は到底そうは思えない。被災地は、被災地である事を利用しなければならないと思う。被災地の米を、安全性を示しつつも被災地の米として売る。負の面を消すのではなくむしろ全面に押し出すべきである。偽善であろうとなかろうと、助け合いの精神に乗っからなくては農業再生は無いように思う。

  12. 個人の取り組みとして、被災地でできることを述べよという課題であったが、原子力発電所の水素爆発による工場近くの汚染された土地をどう処分するかということについていい案がないかというのを考えた。だが、教授の考案なさった「までい工法」であったり凍土剥ぎ取り法であったりといった方法は非常に素晴らしい方法であり、現状これ以上に優れた代案を少なくとも私からは考案できないと思われるので、今回はこういった実験方法をサポートする器具の考案を、課題に対する回答として提出することにする。

    教授がスライドなどの写真の中で、凍土剥ぎ取り法で採集した土のブロックを手にしている写真から着想を得た。凍土をはぎ取る際に稲刈り機のように一列にはぎ取ることができれば作業が効率化してコストも時間も簡易化できると考えた。そこで凍土をはぎ取る際に両回転の回転刃の切断機を用いることで稲刈り機の要領で一列まとめて土をはぎ取ることができるのではないかと考えた。なぜ両回転にするのかというと、これにより非常に切断力が向上するため凍土ほどに固まった土であれば、簡単に切断できるのではないかと考えたからである。また刃の位置を上下に調整できる機能をつけることも考慮した法が良いのではないかと考えた。これは場所によってどのくらいの深さまで表土が汚染されているか異なるということによる。また土が刃に付着してしまうのを防止するために水流をともに出すことでこの問題を解決できると考えられる。
    汚染土の剥ぎ取り専用の機械を作り、それをそれぞれの汚染場所に配置できることができれば汚染はスムーズに進むと思われるが、現実は予算の問題もあるのでそう簡単にできるということはない。よっていかに手軽にこの装置を作ることができるかということが大事である。そこで芝刈り機の交換済みの回転刃や、廃材となったものを利用するのがコストを抑えるのに適しているのではないかと考えられる。両回転にするにはこの回転刃を逆方向に二つ連続して接着し、それぞれをモーターで回転させれば良いからである。また、凍土を連続してはぎ取るために手持ちの部分と回転刃の間のスペースは空洞にした方が良いと思われる。この部分には、スーツケースの手持ちの部分を切り取り、その下部に回転刃およびそのモーターを接着するのが構造上適しているのではないかと考えられる。以上のようにこの機械を考案、現実化すれば凍土剥ぎ取り法をより一般にも普及して、土壌の除染作業の簡易化、時短化に適しているのではないかと考えられる。

  13.  被災地の農業再生について、私自身ができそうなことは、大きく分けて二つあると思う。
     一つ目は、被災地に関する情報や噂などを鵜呑みにせず、自分の目、耳で確かめることである。震災から約四年半が経ち、やや改善されたとはいえ、いまだに「被災地の作物は危険だ」、「被災地は放射線がはびこっている」などの風評被害や偏見が残っているように思う。確かに被災地にまだ除染が完了されていない土地、地域があるのは事実である、しかし、安全な地域ももちろん存在し、そこで生産される作物はもちろん安全なので、世間の情報を鵜呑みにするのは危険であり、なにより被災地の人に失礼である。このような風評被害、偏見が世間に蔓延する限り、本当の意味での復興は進まないと思う。
     その一方で、被災地の報道は少なくなり、震災の被害にあった地域への関心は月日が経つにつれて薄くなっていき、募金やボランティアの援助の意識もなくなってきているように感じられる。そのため、被災地の正確な現状を把握するのが難しくなってきている。 風評被害、偏見をなくすため、また復興の現状を把握するための最も有効、かつ重要なのは、「現地に行くこと」であろう。現地に行くことで、どこまで復興が進んだか、などの被災地の最新の状況を把握でき、被災地の本当の姿を見ることができると思う。 私は昨年の冬、所属する部活のボランティア活動として、被災地の小学生、中学生を対象としたスクール活動を福島県相馬市で行った。子供たちは元気で楽しかったのだが、被災地の現状は思っていた以上に良くなかった。いまだに仮設住宅での生活を強いられている人がおり、生活レベルはおせじにも高いと言えなかった。一方、現地で食べた食事はとてもおいしく、市場もにぎわっていたので、食のレベルは通常レベルだろう。
    被災地の現状を把握したうえで、私たちにできることは、被災地の作物を積極的に購入すること、その安全性をSNSなどを通じて社会に発信しいていくこと、また、なかなか進まない復興の現状も伝え、農家などへの支援の手を緩めないことである。これらは、実際に被災地に行かなくてもできることであるので、比較的簡単に始められる思う。 次に、実際に被災地に行ってボランティア活動を行うことについても触れる。農業再生のためには、少子化で人手の足りなくなっている農作業を長期的に手伝うのが一番良いが、時間にも限界があるので、全ての作業は手伝えない。そこで、記事にもあったように、農地の除染作業を行うのが効果的であると思う。まずは栽培可能な農地の確保が大切だからである。 除染方法であるが、大手ゼネコンなどによる無駄で大規模な表土削り取り法は資金的にも時間的にも効率が悪いので、農家の方々やボランティアにも比較的簡単に行え、かつ予算も大幅に削減できる「までい工法」を選択するべきだと思う。
    また、除染作業を地域の人と共同で行うことで、交流のきっかけになり、より現地の情報を深く知る機会にもなると考える。これがきっかけで、将来農業に携わる学生がいるかもしれない。ボランティア活動をすることで現地の状況を理解することができ、それを周囲に波及すれば、別に誰かがボランティア活動をする端緒にもなる。ボランティア活動と現地の状況把握は両輪の関係にあると考えられる。
    以上から、自分自身にできる被災地の農業再生にできることは、「正しい情報の把握」と、「現地へ行くこと」であると考える。

  14.  私自身に何ができるかを考えてみたときに、まず、自分が被災地についてあまり知らないということが浮き彫りになった。参考資料にもあったように、私のように、東京で生まれ育ち現在も東京で大学生活を送っているだけではなにもわかっていない。おそらく、残念ながらこころのどこかでは他人事だと考えている自分がいる。しかし、これは、私ひとりに限ったことではないと思う。まず、現状をきちんと知ること、もしくは知ろうとすることが大事だし、農業再生の第零歩になると感じる。特に、私は農業でも家畜や畜産に興味があるので、そういった産業動物における放射性物質の遺残問題や、飼料の汚染による食肉や生乳への影響について詳しく知りたいと思う。また、このような食品の安全の陰に隠れがちではあるが、汚染された産業動物の処分や、震災時に放たれた家畜やペットの保護といったその地に生きている人々にとって心の負担となるような倫理的社会的問題も残されていることも忘れてはならない。
     私はこうした問題に対してまず、自分の周りで情報を共有することが出来るのではないかと考えた。正直、被災地のことを知っても今の自分にできることはものすごく小さい。だから、自分が知るという第零歩のあとの第一歩は自分の周りとその情報を共有することにあるのではないかと思った。その情報の共有の仕方はもちろん他人事ではなく主体的な問題として伝わるように努力せねばならないと考える。一人ひとりが出来ることは小さくとも、何人かで共有することで生まれるアイデアやエネルギーがあるはずであり、そうしたものを生み出す努力こそ、今の自分にできることではないかと考えた。

  15.  4つの資料を読む前は、自分にできそうなことといえば例えば、現地に行って除染作業を手伝うとか、正しい情報をネット等で広めるとか、福島産の農産物を積極的に買うとか、そのくらいしか思いつかなかった。しかし資料を読んで気づいたのは、震災復興支援といってもこのような方法ばかりでなく、研究によって貢献できる場合があるということである。たとえば資料の一つ、「私の土壌物理履歴書」の中で述べている凍土剥ぎ取り法のように、研究によって思いがけないものと結びついてアイデアが生まれることもある。そして、より効果的な方法を生み出すことができれば、直接的に除染作業を手伝ったりするよりもはるかに大きい貢献をすることができる。
     私自身、研究の道に進むつもりだが、その研究の中で震災復興や、あるいはその他の現在生じている土壌劣化、食料不足といった問題や、あるいは将来生じる問題・災害に対して何らかの貢献をすることが、私ができる最大のことだと思う。もちろん、研究内容が直接それらの問題に結びつくものとは限らないし、よりよい解決策を得られるかどうかといったことは偶然に左右されるかもしれない。
     しかし偶然のような要素はあるにしても、世の中の問題解決に役立つものを生み出す ためのきっかけをつかみ、実用までもっていくための、研究者としてのポテンシャルの ようなものが必要だと思う。それが具体的にどのようなものであるかはおそらく、研究者同士のコミュニケーションだったり、現場に足を運ぶことだったり、問題の当事者とのコミュニケーションだったりと、そういうものだと思う。
      私にできることは、最初にあげた例ばかりでなく、研究者として震災復興やその他 諸々の問題に対して貢献をすることである。 そして、将来よい研究者となるために、今から自立・自律という意味で心構えをし直し、よく学び、人とのコミュニケーションを大事にしたいと思う。

  16.  課題には「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」とあるが,東京在住の一大学生である私が農業に具体的に貢献するというのは現実的でないので,私自身が被災地域の農家あるいはその子息あるいは住民であるとして考えたい。そうして論じたもののうちには東京の大学生たる現実の私にもできること(この場にいながらにして,または現地に物理的に移動して参加するなどして)があるいは含まれるだろう。

     まず農地を回復して農業を行うことができる状態に復帰しなければならない。土地の上に載ったがれきを片付けるとか固まった土を耕しなおすとかいった物理的な作業はもちろんのこと,放射性元素が降った土地にはその除去という化学的な措置が必要である。前者は重機械を用いた大掛かりな事業となるため今回のレポートの趣旨ではない。後者も表土の剥ぎ取りといったようなものは公共事業の性質を帯びるが,課題資料にあるように,行政に頼らずとも個人の単位で行える,そこそこ効果的な除染の方法はある。粘土層に放射性セシウムを集めてその層だけを除き集めて放射線を遮蔽することでかなりの効果がある。ここで実際に放射線量や放射性元素濃度の数値データを測定して除染の成果を明確にすることが,以後の農業計画を立てることや市場の信頼の回復のために大変重要である。さきほどは行政に頼らずにと書いたが(もちろん除染だって行政が全部やってくれればありがたいがそれが難しいのでこうやって個人で実施する方法を考えているのだ),この段階については公機関や大学などの研究機関と積極的に連携することが望ましい。

       農業ができる状態にまで土地が復活したら,次には実際に栽培する作物品目を考えなければならない。例えば可食部に土壌中の放射性元素が集積しにくい品目を選ぶというのが一つの合理的な戦略として考えられる。「この農地では前にコメを育てていたので再建後も水田にします」とかいう必要性はない。特にコメについては,日本においては主食として最も頻繁に食べられる食品で,全国的に栽培されるものであるし,保存の利くもので全国的に流通しやすいから,いかに除染が上手くいったとしても放射能汚染のイメージがあると競争力が弱いと考える。
     水田をつくれる湿潤な農地を畑作転用するのはもったいないという意見もあろうが,私は野菜を推してゆきたい。元来福島県は首都圏向けの近郊農業が盛んであるが,それに加え仙台圏の市場への供給を指向すれば,宮城・岩手でも近郊野菜農業を行うというのは非現実的ではなく思う。(寒冷地域であることを考えれば出荷時期ずらし農業を全国向けに展開できるかもしれないが,とりあえずこれについては置いておく。)
     私が近郊農業を推すのは何よりも地域性で勝負できるからである。全国または海外の産地に対して鮮度で優位に立ち,被災地復興(現地にとっては被災地が地元なのだからこのような表現をするまでもない)で結びついた住民の感情に訴えることで一定の競争力を確保できるのではないか。

     そうと決まれば,続くのはマーケティングである。十分な安全性を確保していること,地元の産品であること,購買が地元の経済復興につながることなどを積極的にアピールしたい。殊に地域性を押し出せるのはブランド確立(松阪牛的なもの)やオリジナル商品の開発(ご当地グルメ的なもの)であるが,それは特別な付加価値を作物に獲得させるので,成功すればゆくゆくは地元の外へも売り出すための武器に育つかもしれない。

     文の量が押しているのでこのあたりでまとめに入る。被災地域はまず農業を行える状況に物質的に回復しなければならず,そのためには個人単位でも効果的な除染を行うことが大きく役立つ。そのうえで,風評により市場競争力が大きく低下していることを鑑み初めから全国市場での元通りの地位に復帰しようと考えるのでなく,まずは地元志向の販売戦略を採り,そのために近郊性を生かせる作物を栽培対象に選択して生産を行う。そこで一定の信頼と付加価値を獲得できたら,その時点で全国的な販売網の再展開を改めて模索するのがよい。

  17.  震災時は家族が東北に出かけており、私自身も震災を目の当たりにして大きな衝撃を受けたが、これまで一介の学生でしかない私に出来ることなどないものだと思い込んでいた。というか何ができるのか考えることから逃げてしまっていた。農地除染などの農業再生は、行政などの組織が大規模に費用をかけてやらないと行えないことがほとんどだと思い込んでいたが、今回溝口先生の講義や配布資料を読み、むしろ個人だからできることもたくさんあるのだと気づかされた。まだ何をすべきか具体的に考えられていないが、今後の行動のために重要だと感じたポイントが3つある。
     1つ目は、自らの得意なことや好きなことで少しずつ被災地の農業再生に関与していけばよいということである。被災地の農業再生のために考えるべきことは無限にあるが、例えば溝口先生のように土壌の再生に着目し、さらにセシウムの除去のためには粘土粒子をどうにかすればよい、といったように、大局の中でやれるべきことを見極め、自らの得意な分野が活用できる範囲に限定すれば、取り掛かりやすいし、継続もしやすいと考える。自らの学んでいる専門分野が被災地の農業再生には何の関係もないと考えるのはもってのほかである。学生の身で、活用できる専門的な知識はまだないが、私は食欲が旺盛なので、被災地の農産物を積極的に食べたり、ネットサーフィンが好きなのでインターネットで農地除染に関するまでい工法など農業再生に関する情報を発信したりしていくことなどがすぐにできるのではないかと思う。
     2つ目は、積極的に被災地の農業再生に関わっている方々や実際に被災地で農業に関係している方々と接触することである。溝口先生は、線量計を貸してくれた知人に始まり、「ふくしま再生の会」や土壌センサーなどを提供してくれたアメリカの会社の友人など様々な方と関わり、協力を得ることで被災地の農業再生を進めている。また、地元の農業関係者とも密にコミュニケーションをとり継続的な活動を行っている。これまで様々な講義などで震災に関わる話を聞いてきたが、実際に被災地の農業再生に関わっている溝口先生の話は最も心に響いた。実際に被災地の農業再生に関わっている方々と接触することで、自らの考えが変わる契機になるし、自分がやれることについてもアイデアや実践の幅が広がると思う。また、いくら理想や考えがあっても、実際に地元で農業に関係している方々の理解が得られなければ進められない実践も多いと思うので、上から目線ではない、密なコミュニケーションは重要であると考える。
     3つ目は、状況に応じて、自らの実践を変化させていくべきであるということである。被災地の農業再生が進んでいけば、必要とされる事項も変化していく。一度の実践で満足せず、継続的に考えていくことが重要だと考える。
     今後、以上3つのポイントを踏まえながら、気負いしすぎず、少しずつやれることをやっていきながら、被災地の農業再生について継続的に考えていきたいと思う。

  18. 自分は農学部の生徒ではなく、理学部から他学部聴講という形で講義を受けているため、農業に関する基本的な知識に誤 解があるかもしれないことをお許しいただきたい。 まず、率直に言って自分は被災地の農業というテーマについてこれまであまり考えたことがなく、農家とも完全に縁の無 い生活を送ってきており、単純他の土地に生産力・人手を回した方が効率的な農業ができるのだと考えていた。被災地の 人々が元の土地に特別な感情を抱く理由も自分の中で完全に経験として抜け落ちているため、理解できているとは言いが たい。 しかしながら、そのような状況下においてもまだできることはあるはずであり、その可能性について論じてみたいと思 う。

    先ず第一に、被災された方々にとっての最優先事項が元の土地において農業を再開することであるという条件のもとで、 自分がその問題解決を行わなければならないとしたとき、何をするべきなのかを考えてみることにする。 先ず以って自分の農業に関する知識の欠落を補うため、おそらくは基礎的な、商業として農業の全体的な理解を学ぶ必要 があるように思う。そしてそのためにはおそらくは座学だけでなく、各種資料に書かれていたアドバイスに従い実地に赴 いて肌でその場でしか感じられないものへの理解を深める必要があるだろう。また、当事者の話を聞いて実際に何が問題 になっているのかを人づてに聞くのではなく直接共有された問題として持つことを試みるべきだろう。そして、把握した 問題について現場で逐次的に対処していく必要があると考える。

    第二に、自らの現在持っている専門知識を使って農業再生に役立てることがあるかどうかを考えてみる。 現在自分の専攻では機械学習や統計などに関する講義を行っているので、http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp /mizo/ などの実際に公開されている膨大なデータを用いて知識発見を行い、まだ知られていないような傾向を見つけて 報告する、といったことが考えられる。また、新鮮な感覚をもった第三者として被災地に赴き、そこで実直に感じたこと がデータとして提供されている公開資料の中に埋め込まれているかどうか探してみるということが考えられる。そのよう なデータを探索をする中でさらに表には見えにくい原因も見て取れる可能性がある。これは前提知識の無い人間だからこ そなしうることである。

    第三に、すでに提示されている情報から一般消費者として、実際の食料品店で何ができるのかを考えてみたい。 とは言っても、消費者としてすべきことは、特別なことでは無いはずだ。並んでいる食品のうちで味、品質、価格などを 総合して考え、その時にもっとも買うに値すると思う生産物を買うということである。ありもしない風評被害に惑わされ たりするのは持ってのほかだが、特に被災地の生産物だからという理由で買うということもまた、真に自立した農業再生 にとっては悪影響を及ぼすだろう。必要なのは生産物自体を評価して買うということであり、それによって生産者は消費 者が何を必要としているのかも分かるはずである。 経済とはそのような日常的行為の総合である。したがって、大企業やマスコミ・政府機関などが経済の全体に関してこれ を云々しようという手法については疑問を感じている。それよりも草の根的呼びかけ、自分がその経済行為に関わってい るという意識が必要なのではないかと考える。 また、特別に被災地への支援が必要だと感じるときにはインターネットを通じて直接生産者から購入できる決済手段を利 用することも考えられる。そのような手段もすでに周りに利用している人が多ければ利用しやすく、他人にも勧めやすい だろう。

    以上に示したように、被災地の農業支援を間接的にであれ直接的にであれ、支援していくことは可能であるが、第一・第 二の手法においては相応の労力と時間が必要であるはずだ。おそらくもっとも現実的で実践しやすいのは第三の手法とい うことになるだろう。今後は経済行為への関わりという意識をもつことが、最低限の農業再生支援となりうるだろうと考 える。

  19. 資料を読んでみて思ったのは、現場を見ずに机上の空論ばかりを述べていたのでは実際の環境問題の解決には至らないということだ。私はこれまで大学では環境問題の解決につながるような研究がやってみたいと考えていたが、実際に現地に行ってみるということはイメージしたことがなかった。地元が九州であることもあって大学に入る以前も被災地のことを無意識にどこか遠い存在のように感じてしまっていた自分に気づき反省した。
       先ほど大学では環境にかかわる研究がやりたいと述べたが、私は将来的には研究者というよりは方策を決定する側の職を志している。そうであるからこそ、私はまず大学生であるうちに被災地を訪れその実情を知っておくべきなのだと思う。もちろん頻繁に被災地に赴くというのはなかなか厳しいので、普段は例えば資料の中に出てきた「サークルまでい」のように、大学内でも農業再生の研究に貢献できるような活動ができると考えられる。また、被災地を訪れた際には、農地の除染作業を手伝うなどして被災地の農業再生に貢献していきたい。そして大学を卒業して政府機関の役人になれた暁には、大学のうちに被災地の現状を肌で感じたことを生かし、より現場に根付いた方策がとられるように努めていきたいと考えている。これが、私にできうる被災地の農業再生である。

  20.  筆者は先学期駒場の「農作物を知る」でも溝口教授の講義を聴いた。資料は今回のものとは違ったが同じ課題が出た。筆者はそのとき私が被災地に住みますと書いた。今もそうしたいという思いは持ち続けている。しかしそれを本当に実現できるかはわからない。実現できたとしても数年後である。被災地の復興はできるだけ早く進めたいものだから今すぐにでも何かすべきだろう。そこで今回は前回とは違って学生の今できることを考える。筆者が最も良いと考えたのは被災地に実際に行くということだが、いくつか他の方法も検討した上でなぜそれが良いと思ったか述べる。
     一番簡単な方法として、被災地の農産物を買うことがある。筆者は一人暮らしなので食料品は自分で買う。実家暮らしの学生とは違って自分で選んで被災地の農産物を買うことができる。また家庭の主婦とも違って特に福島産の物など家族に嫌がられるという心配も無い。スーパーに被災地の農産物があまり置かれていないということはある。しかし置いている場合は安いことが多い。実際筆者は福島産の米を買っていた時期があるがコシヒカリなのに他県産と比べて格段に安かった。そのスーパーは他の商品が全体的に高くてあまり行かなくなってしまったのでしばらく買っていなかったが、これを期にまた買おうと思う。しかしこの行動のインパクトはきわめて小さいといえる。一人で食べる量はたかが知れている。これは福島産なんだよ、おいしいねと言って家族の意識を変える、ということもできない。このような行動を周囲の人にも広められればインパクトは大きくなるだろうが、それには周囲の人の被災地の農産物への意識を変えていく必要がある。
     そこで考えられるのが周りの人に被災地の農産物について話したり、SNSなどで被災地の農業の情報を発信したりすることである。ここではただ被災地の農産物がおいしいということを言うだけではいけない。福島のものは危ないと思っている人が大勢いるからだ。安全性についての説明もきちんとする必要がある。しかしここでも問題がある。普段の会話の中で相手はあまり興味がない(かもしれない)被災地の農産物の安全性について長々と解説する機会はそうそう無い。大事な部分をあまり理解されず、結局よくわからないという印象に終わってしまう可能性が高い。SNSなら解説ページのリンクを貼るなどしてきちんと説明することができるが、いったい何人が読むだろうか。放射性物質が危険とか危険でないとかいう情報はインターネット上にあふれている。SNS上でそれについて「炎上」していることも多い。筆者もSNS上で社会問題の議論が流れてきても読まないことがよくある。被災地の農業について書いても興味をもってもらいたい対象の人たちには「あーこいつもなんか言ってるわ」という程度の印象で読み飛ばされてしまうだろう。
     そこで筆者が考えたのが実際に被災地の農村に行くということだ。SNSにただ文章を書いても見ない人たちも実際に行った写真やその感想なら読む可能性は高い。そちらのほうが被災地の様子や安全性が格段によく伝わりイメージも良くなる。また直接会話するのでも、自分が行ってきたという話なら興味を持って聞いてくれるだろう。今度は一緒に行こうという話になるかもしれない。もちろん直接行くことで筆者自身が被災地の農業についてより理解することもできる。また本当に少しかもしれないが被災地の人たちを励ますこともできるだろう。前のときに書いたように本当に将来被災地に住むなら一度行ってみる必要もある。
     具体的にどのように行くのか。インターネット上で調べたところ二本松市に1日農業体験のできる農園があるらしい(URL参照)。そこは手軽そうなので今度の長期休みにでも行ってみようと思う。また筆者は以前あるNPOを通じて会津若松市で農家体験をした。今後もそのNPOと関わっていけばより被害の大きかった地域に行ける可能性もある。もちろん溝口教授と一緒に飯館村に行く機会があるなら是非行ってみたい。誘ってください。他にも機会はたくさんあると思うので自分でアンテナを張って行ってみようと思う。

    参考URL http://www.farm-n.jp/study/index.html#01

  21.  現在、震災による放射能流出により福島県産の農作物は敬遠されている現実があるが、これを打開する方法について記述する。私は打開策は二つあると考えている。
     まず一つ目は、自分自身で積極的に福島県産の農作物を消費し、その味の良さと安全性を信頼性のあるsnsアカウント使い、紹介することである。信頼性のあるsnsアカウントとは、世間に認知されている、自分の所属する団体・サークルなどのsnsアカウントである。例えば、私の場合、東京大学硬式野球部に所属しているが、そのsnsアカウントを使い福島県産の農作物の宣伝をすることである。実際、東京大学硬式野球部寮の食事には福島県産の農作物が積極的に使用しており、東京大学硬式野球部公式snsでそのことはまだ紹介されていないが、東京大学硬式野球部ポスターにて宣伝されている。私にできることは、東京大学硬式野球部公式snsにて、東大野球部が福島県産の農作物を消費しており、その味が良く、安全性も問題ないことを宣伝することをマネージャーに働きかけることである。ここで、個人のsnsアカウントではなく、団体のsnsアカウントを使用する理由は、団体のsnsアカウントのほうがより信頼性があり、多くの人の目に触れるからである。
     二つ目は、一つ目に関連するが、自分の所属する団体、サークルで福島に赴き、農業体験をし、それをレポートしたものをその団体、サークルの公式snsで紹介し、一般の人々に福島の農業を身近に感じてもらい、福島県産の農作物の購買意欲を持ってもらうことである。その際、福島県産の農作物の無料プレゼントなどの応募企画を作ると効果的であろう。
     上記の二つの方法は地味なものであるが、将来の福島の農業はこのような地道な運動にかかっていると考えられるので私も行動を起こそうと思う。


講義内容  みぞらぼ
amizo[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2015.1.6)