土壌圏の科学16レポート



土の凍結(2016.12.14)  受講者 73名
担当: 溝口勝

レポート課題


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。
 まずは自分のレポートがあるかを確認してください。ここにない場には受領できていない可能性がありますので知らせてください。

レポート課題

  1.  自分は今、農学部ではなく工学部に所属しています。しかし、世界には様々な土壌や農業に関する問題が存在しておりそれを解決していくためにこの講義を受けていこうと考えました。その中で被災地の農業再生に関して自分が貢献できそうなことは多くあると感じています。 自分には今回の講義で学ばせていただいた土壌の知識とともに、普段工学部システム創成学科の方で学んでいるプロジェクト管理やシステム設計の知識があります。まず、被災地の現状について土壌の環境から人々の生活環境までをきちんと調査し把握します。そこで多くの土壌の問題点や、再生方法が発見できると感じます。原子力発電所に関しても普段工学部の方で学んでいるので、特に原子力発電所近くの土壌ついては詳しく調査できると感じます。そのあとに人々が豊かに暮らせる農業再生の地域設計を行います。ここでは土壌の知識に、効用の最適化、物流交通システム等の知識を活用できると思います。最終的には原子力発電所、人々が暮らしている場所、道路などの交通システム、栄えているビル街からどれくらいの距離離れた場所に、どのような土壌の環境を整備して、どのようなものを育てていくのが最適かを設計できると思います。それら設計したものを先ほど述べたようなプロジェクトの技術を実施し、問題があったら改善しながら被災地の農業再生に貢献できると感じます。
     このように被災地の農業再生には数多くの知識を活用して貢献していけると感じます。自分がこの大学の1、2年の頃に教養を学んだり、学部に進んだ今でも多くの学部の知識を身に着けているのはこのように社会や世界に存在している問題を解決し人々の暮らしを豊かにしていくためです。被災地の農業再生にかんしても日本における非常に重要な問題であると思うので、今後この講義の知識やほかの知識を生かして上に記述したように貢献していければと感じます。

  2.  今年もクリスマスの季節がやってきた。日本のどこかには地表の霜柱と聖夜を過ごすものもいれば、キリスト教徒でもないのにお祝いムードに乗じてどんちゃん騒ぎの人もいる。日本人の大半は特定の宗教を信仰せず、都合よく各宗教のイベントに明け暮れる。その浮気っぷりは「草食系男子の増加」とはとても結びつかない。では日本人は適当だと言えるか。この主張はある意味で正しくある意味で間違っている。日本は何かと基準(とりわけ食料)が厳しい。科学的に安全だとしても遺伝子組み換え作物は避ける。学者のオヤジに「安全」と口説かれても日本の消費者は食べない。しかしおばあちゃんに「安心してお食べ」と言われれば安心して食べる。海外で楽しそうなイベントがあれば、その日が誰の誕生日かよく知らないけれどケーキを食べる。我々は科学やキリスト教には拘らないが「感覚」には絶対服従する。日本人に限った話ではないかもしれない。しかし少なくとも日本人はそうであり、それを確認するだけで今回は十分である。遺伝子組換え作物、凍土壁等々「科学の敗北」の事例は数知れない。なぜ科学は感覚に負けるのだろうか。その敗因は社会を構成する大部分の消費者の科学的素養のなさと科学者の態度に帰着するだろう。しかし前者は遡れば教育の問題である。後者もまた制度の問題とも言えるのだが、この点については深入りしないことにする。俗世間ではイルミネーションが煌めくのに制度の問題に頭を悩ますのは粋ではない。江戸っ子のやることではない。と、このように非科学的な思考をするし、年末ジャンボは大安に買う。人は理論で行動しているわけではない。そもそも期待値を計算すれば宝くじなんか買わないだろう。
     さて、「農業再生」とはなんだろうか。「農地再生」なら土壌に手を加えて終わりで良いだろう。しかし、「農業」である。被災地において被災以前と同じ作物を作ることだろうか。これは世間知らずの科学を信奉しこれに奉仕する者の考え方だろう。私は「再生」とは「被災地における作物が被災以前と同様かそれ以上に社会に受け止められること」だと考える。言ってしまえば被災地で作られる作物が被災以前と大きく異なるものでも、社会に「被災以前と変わらない」と受け止められればそれは再生なのである。日本は(農業に関しては賛否が分かれるものの基本的に)資本主義で経済が回る。現下の最大の問題は「安全」ではなく「安心」を追求することであり、これは科学の領域を超え政治の領域である。
     「真理こそが絶対王者だ」という考えは科学を、大学をタコツボの中へ幽閉する。灰色を白にも黒にもするのが政治であり(2+2=5にしてしまうと『1984年』の二重思考になるが)社会は政治で動く。政治の武器として金やメディアや哲学があり、そして科学がある。科学というのはそれ以上でもそれ以下でもない。
     ここまで大きく風呂敷を広げたところでふと我が身を振り返れば自らの風呂敷がさほど大きいものではないことに気づいた。今持っているものとしては東大農学部学生であることと、集めかけの教職単位である。現在の私にできることはほぼない(「被災地の物を買って応援しよう!」という心がけで解決できるものでもない。「被災地だから」売れてもそれは一過性のものであろうし、被災以前と同様に社会に受け止められているとは言えないだろう。)し、今は木4の情報工学の授業を受けているが今日学んだことといえば画像中のみかんの個数を数えるマクロを作っただけでいくらみかんを数えても被災地の農業は再生しない。よって、私が将来なる確率が高いであろう科学者かその道が閉ざされ路頭にさまよう時に選択する教師について考える。
     科学者として科学へ奉仕はするが信奉はしない。科学が第一だと考えるのは科学者の高慢であり、偏見である。『科学者は現代文化全体のなかで自分たちの学問を考え、技術的に重要な知識ならびに、自分たちが人間に重要であると信じうるようなそれぞれの専門の科学から生まれた思想とによって、現代文化を豊かにしなければならない。』とはモノーの『偶然と必然』という古典的名著の一節であり、45年前の本とはいえその哲学は現在でも通用するものだ。「真実はいつも一つ」だとしても(ミクロに考えればシュレディンガーの猫に表れるようにこの命題すら疑問符がつくが)それにアプローチする科学にはイデオロギーがあっていいはずだ。社会に働きかけるとは主張することであり、主張するとはイデオロギーを持つということだ。科学者となった私は研究分野が何であろうと社会に働きかける。そうすれば私の研究が社会に還元されるのみならず科学そのものへの社会の見方が変わって「科学的に安全」が「安心」に結びつきやすくなるかもしれない。即ち「科学」という武器の地位が上がるのだ。教員となったならば「科学嫌い」を減らすことで上記の目的が(長期的目線で)達成される。これまでの議論で、政治への道ではなく科学への道を進んだ私にとって、科学の地位を上げることが最大かつ最短の「被災地の農業再生」であることがわかった。クリスマスに浮かれずに科学のため必修の勉強を頑張る。孤独で心折れないように負けないように永遠に夢と希望を胸に抱いて辛い毎日がやがて・・・。でもやっぱり白い恋人は霜柱ではなく人だといいなぁ。
    *参考
    偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ ジャック・モノー 1972年10月30日

  3.  この授業を聞いて自分にようやく「現地の人の生活の一部としての土壌」に目を向けられたと思います。自分には関東や東北の人とかかわる機会がなかったので、東日本大震災はテレビの中の出来事とどこかで思っていました。汚染された土壌は原発事故で出た怖い廃棄物、福島産の作物は何か危ないというテレビやネットでの風評被害をそのまま受け入れ、自発的には知識や現地の人の活動を学んでいませんでした。さらに都会にずっと住んでいたので土壌自体にもほとんど関心がありませんでした。しかし授業を聞いて行政やゼネコンに頼らず自分たちの手で除染を行う努力が行われていると知りました。また参考資料を見て農地の土壌は現地の人が丹精込めて耕した愛着のあるものということを認識しました。今は他人事としての冷たい視点や無知な考えを反省しています。被災者の方々が除染を自分たちの手で行う努力を日々していることに頭が下がります。せめて何かできないかを考えてみました。
     自分自身でできそうな被災地の農業再生として、最初に思いついたのは現地でのボランティアですが、自分が行うには問題が大きいことがわかりました。まず、たった1週間1か月いたところで現地のことはわからず、それを終えればさよならの関係でしかないということです。それでは支援どころかただ場をかき回すだけで終わってしまいます。ならば無期限で行えばいいということになりますが、東京の大学生としては長時間被災地にとどまることは難しく、何回も訪れる方法をとることは経済的に難しいと考えました。
     専門家としての知識がまだない学生として今直接的にできることは、周りの人やネットで知り合った人に、被災地での取り組みや放射能の現状を知ってもらうことだと思います。そのためにもちろん自分でも学ぶ必要があります。少し前の自分のように被災地のことを何も知らない、ただ怖いとだけ思っている人がまだまだたくさんいます。直接現地の人を手伝えなくても、口コミで正しい知識を広めればせめて間違った認識をしている人が減るかもしれない、そしてそれが回って支援になると思ったからです。またそのための知識を集めていくうちに自分で被災地の魅力やおいしいものを見つけられると思います。マイナスをゼロに近づけるだけでなく、楽しかったおいしかったというプラスの感情で印象を上げたいと思います。将来「被災地」としての認識が薄れてもその地域自体の魅力を広めることこそのこの地域の復興だと思います。例えば参考資料にもあったような飯館村ブランドの食品が出たら、積極的に食べてみてその魅力をいろんな人に広めるとともに、誤解している人には放射線や安全基準の知識も伝えたいと思います。学問的というよりも消費者としての話になりますが、今はこれが自分にできる最善です。
     将来の専門家としてできることは、結局は学問的なやりたいことを突き詰めることだと思います。今直接支援できなくても、どんな分野に進んでも、いつか被災地に貢献できる機会は訪れると思います。例えば昆虫学なら、被災地のイナゴが食用として基準を満たしているか、栄養価は他と比べてどうか、ブランドとするのに十分量が採れるかなどを調べたり、フィールドワークへ出かけて現地の昆虫の汚染がどのようになっているかなどを調査したりできると思います。仮に東京にいたとしても「サークルまでい」のように手伝えることはあるかもしれません。被災地に今直接支援ができなくても、ある日突然その機会が来る可能性があります。そのときできる限り多くのことを、無期限でできるように精進するのがいいと考えました。もちろんそのために手伝えることがないかを日々探すアンテナを張って、機会があれば飛びつくくらいの気持ちでいようとおもいます。決して自分は一生関わらないという考えはしないようにします。そしてもし、このような会に参加することができたら第二の故郷とまではいかなくてもそこで一生の関係を作るくらいの気持ちでないと効果は出ないと思いますし、信頼も得られないと思います。

  4.  私は現在と未来、2つの視点から考えてみたいと思う。
     現在、私は一人の消費者に過ぎないといえる。被災地に行ったこともなければ、影響力を持っているわけでもない。ツイッターも遊びでやっているようなものだ。消費者から供給者、あるいはクリエイターになるには、少なくとも影響力と技術力が必要だと思う。影響力がなければ関係者の目にはとまらないだろうし、技術力がなければ嘘を流すだけになってしまうだろう(最近話題のネットメディアのように)。これらを踏まえれば、「いま何ができるか?」と聞かれたときの答えは「残念ながら大して何もできません」となってしまう。この立場を変えるには、影響力と技術力のほかに、資料のなかで触れられていたような 偶然性・人とのつながり・わかりやすい説明 なども関わってくる。そういった意味では、はじめから狙っていても何かが「できる」段階に到達するのは簡単ではないかもしれない。私は未来でどのようなことが「できる」のだろうか。
     それぞれの専門分野をトンネルにたとえるなら、これから私は1つのトンネルに入っていくことになるだろう。トンネルを進むにつれて周りが暗くなり、どこにいるかわからなくなるかもしれない。でも実際には、横の壁を掘れば別のトンネルがある。天井を掘れば地上が見える。よく調べるとトンネルの合流地点だった。そんなことがあったらいいなと私は思う。 未来の視点から考えたときに、今のうちに周りを見渡しておくことは大切だと思っている。自分の専門分野に比べて他の世界はとてつもなく広く、それらを出来るだけ忘れないようにしたい。もちろん、専門知識がなければ元も子もないが、他の分野の考えを身につけておくことは応用性を高めてくれるはずだ。それに加えて、偶然が重なれば思わぬ分野につながることもあるし、多くの人とやり取りがあれば糸口が見つかりやすい。わかりやすい説明は理解の助けになるだろう。そのような組合せの結果が、「できた」という成果なのではないか。
     具体的な内容に関していえば、当時中継された津波の映像をテレビで見ていたこともあって、東日本大震災は今も強烈に心に残っているできごとだ。今年は熊本や福島で大規模な地震があったが、緊急地震速報を聞いたり、津波の放送を聞いたりするとすぐに思い出してしまう。おそらくはこれからも忘れることはないだろう。
     ここまで書いておきながら、この講義を聞くまで被災地と農業の関わりにはあまり注目して来なかったし、いま興味を持っている内容が他にもいくつかある。自分は初めから狙って被災地に貢献「できる」未来には進まないかもしれない。しかしながら、もし自分の進むトンネルに被災地がつながっていたならば、どんな分野にいてもそれを見逃さず、すぐに貢献「できる」準備をしておきたいと切に思う。

  5.  講義中に課題が与えられたので「どんな課題が出ているのか」と思って課題を見ると、被災地の農業再生についてということだった。資料を読む前に少しだけ考えてみても、知識も何もないのだから特にできることはないと思った。しかし、資料を読んで少し考えを持つようになった。
     まず私にできることは、被災地の現状に関心を持つことである。震災が起きた時も今現在も、震災が起きたときに住んでいた愛知からや現在住んでいる東京から遠く離れた福島という地にあまり関心を持っていなかった。でも同じ日本国内のことであるから、少しは関心を持った方がよい、いや持たなければならないと思うようになった。福島の現状を知るためにはネットやテレビ、新聞などのメディアを見たりすれば現状を知ったつもりになることができる。ただそれでは関心を持っていないのと同じである。生の声を聴こう。実際に現地に赴いて被災地の農業再生に尽くされている溝口教授や、被災に遭われた方などお話を聞く機会はどこにでもある。講演会などに参加してもいい。百聞は一見に如かずではなく、百見は一聞に如かずである。
     被災地の現状を知ることができたら、実際に足を運ぶのが手っ取り早い。もちろん行ったところで専門知識とかもないのだから、特に農業再生に貢献できることもなくただボランティアなどに参加するだけになるだろう。ただ、何もしないよりはボランティアの1つや2つでもした方が十分役に立つ。実際に行ってみて、東京にいた時は感じなかったことが見えてくるはずであろう。それを身近な人に伝えていくことが大事である。直接話すこともいいだろうが、SNSが発達している現代ではTwitterやFacebookなどのSNSを積極的に活用すれば多くの人に目に留めてもらえるはずである。そこから1人でも多くの人が被災地の農業再生に関心を持って何か行動してくれたらいい。
     自分で身近にできることとしては、やはり被災地で作られた食材を購入することである。少しでも購入することで被災地にお金がはいるのはもちろん、被災地の方々を勇気づけることにもなるのだろうか。私にできることはこのくらいである。
     これから大学4年になり、自分の研究が農業再生に役に立つかどうかは定かではない。もし農業再生に役に立つものであれば、その研究をいかせばいいだろう。逆に全然関わりがないものであれば、溝口教授のまでい工法をお手伝いすればよいだろう。とにかく頭と体を使うことが被災地の農業再生につながっていくのである。

  6.  被災地に限らず、農業というのは日本の大きな問題の一つである。ただ福島の被災地の農業問題として他地域と異なるのは、やはり土壌汚染が懸念されていること、そしてその意識がおそらく何十年も消え去らないことである。農地が余っているのが問題であれば、その利用法は思いつきやすい。一方福島の農地の場合、原発事故から5年半以上経過し、着実に除染が進んでいるはずの現在でも、大抵の消費者にとって「福島の農地=放射性セシウムによる汚染」という意識が薄れてはいないと思う。また、農業従事者としても、被災地に戻って農業を再開したいと全員の人が思うわけではないはずである。結局のところ、被災地の農業再生を考えたとき、農地の物理的な問題よりも、生産者・消費者の意識改変による問題の方が長い時間を要する気がする。
     などと、ここまで極一般的な考えを述べてきたが、果たして自分は被災地の現状というものを、少しでもわかっているのだろうか?例えば放射性物質に関する知識は、大学に入学するまでほとんど知らなかった。人間は日常的に少なからず被爆しているし、どの農作物にも基準値は下回るが放射性物質は含まれている。では、実際の被災地や農作物の放射線量はどのくらいなのか? つまり、まずは放射線や放射能に関する正確な知識を身につける必要がある。そのうえで、実際の被災地の汚染状況、除染の進捗、農作物のセシウム含量の基準値と他地域の比較など耳を傾けるべき情報はたくさんある。大学の講義や書物、メディア、溝口先生のHPなど情報源には困ることはない。ただ、特にメディアは被災地の正確な情報を伝えられいないと指摘されることも多いし、個人的には被災地の問題を一括りにしていいものなのかとも考えてしまう。事故当時の被害状況によって、あるいは地域によっても問題は違うはずだからである。また、多くの情報を取り入れたからといって、自分に何かできることが浮かぶわけでもない。ではどうするかと言われれば、それも浮かばないから、一度被災地を訪れてみるということに行きつく。
     恥ずかしながら、自分は被災地を訪れたことはない。しかし、サークルの関係である集落を何度も訪れて様々な活動をしたり、大学のプログラムで北海道の酪農家に1週間以上お世話になったことがあり、現地を訪れてみることの重要性を少しはわかっているつもりではある。確かに1度訪れたくらいで現地のことをわかった気になるのもよくないし、現地の人もそう思われたくないはずである。しかし自分は訪問前後で格段な違いはなくとも、その地域に対する認識に変化があったと感じている。また、同じサークルのメンバーが6月頃飯館村を訪れる機会があり、僕はその報告を聞いたにすぎないが、自分の知らない被災地の現状も多く、また「ふくしま再生の会」の方々はかなりお年をとられているのに、とても元気で、飯館村を愛していることが感じられた。何よりも飯館村の方々が多くの学生に来てほしいと強く望んでいる様子が少し驚きであった。普通は何かきっかけがないと被災地は訪れにくく感じるが、幸いにも飯館村はいつでも訪れる機会を提供してくださるようなので、ぜひ一度サークルメンバーと訪れてみたい。そして飯館村を訪れたメンバーの報告を聞いて、被災地に対する自分の認識の変化があったように、今度は自分がそれを伝えていくべきだと思う。
     被災地を訪れる際に、ボランティア活動など何か目的を持って訪れることはもちろん重要であるが、特に目的がなくともその意欲だけで何か得られるものもあるに違いない。それが、今学生だからできることなのではないかと思う。被災地の農業再生に対して直接的にできることなどないに等しい自分としては、目的を持って行かなくとも訪れてみてどんな発見があったか、どんな変化があったかをフィードバックすることが重要ではないかと感じている。 被災地の農業再生に向けて自分ができることとしてもう一つ考えられるのは、消費者としての行動である。福島産の米や野菜を積極的に購入してみることで、間接的にではあるにせよ福島の農家を助けることができるかもしれない。先日も生協で浪江町フェアを開催しており、浪江町の米を食堂で使用したり、実際に販売したりしていた。このような企画は様々な場所で開催されているし、今後増えていくのが望ましい。福島県産の農作物に対しては、世間一般の認識として冒頭に挙げたような問題があり、僕自身まったく抵抗がないわけではないが、それらの放射線量基準値はむしろ厳しく設定されており、その基準値を通過した安全なものだという確かな情報を広めていく必要がある。
     少し話はそれてしまうが、農民による農民のための農地除染という考え方に、たいへん共感できる。国の方策により除染が完了するまで農家は何もできないわけであるし、果たして十分に除染ができているかも疑問が残る。何よりも実際に農業をするのは農家自身であり、表土を剥ぎ取って荒れた農地ですぐに農業を再開する意欲が残っているだろうか。それならば、専門家が農家とコミュニケーションをとりながら、よりよい除染方法を試していく方が、積極的な土壌再生につながると思う。そして、それでもやはり主役は農家自身なのである。これは被災地に限ったことではない。研究者や専門家が現地に赴き、その地域の人々とコミュニケーションをとりながら、よりよい解決策を考えていくというプロセスが大切なのだと、溝口先生の記事を読んで強く感じた。
     自分は農学部であり、特に農作物・土壌に興味があるので、将来何かしらの形で食糧生産増大に貢献できるような研究がしたいと思っている。数年後に自分がどんな研究テーマを扱っているかもわからないが、少しは被災地の農業再生に生かせるかもしれないし、そうではないかもしれない。ただやはりフィールドに出てみないとわからないこと、現地の人の話を聞いてみないとわからないことはたくさんあるはずであり、そのプロセスが予期せぬアイデアを導いてくれるかもしれない。今自分にできるのは些細なことかもしれないが、被災地を含め、日本の農業の問題に対し、今後も真剣に向き合っていく責任が自分にはあると思う。

  7.  3.11による原発事故は福島県を中心として、東北地方に甚大な被害をもたらした。福島県は三陸の豊かな漁業資源を初めとして、農業畜産の盛んな地域であったが、放射能汚染はその復興にも暗い影を落としている。
     私がこの講義で学んだのは、一つに、原発事故への様々なアプローチが存在するということだ。一見すると放射能汚染と土壌学は結びつかない。しかし、本講義の紹介のように、凍土遮水壁は放射能汚染食い止めに大きな効果が期待されている。そもそも原発事故自体が多方面に影響を及ぼすものなので、そのアプローチは多様に考えられるはずである。「あなた自身ができそうな被災地の農業再生」というテーマのレポートについて、私は、大学で実際に研究に利用している、遺伝子分析技術からアプローチしたいと思う。
     放射線は恐ろしく、忌避すべき存在とする見方は根強い。遺伝子自体を破壊し、畸形を生み出すからだ。食品に安全性を求める消費者にとって、「これは安全です」と言うだけだとなかなか受け入れてもらえない現実もあるだろう。消費者は、もっと確実で、詳しい情報を欲しがるのである。数年前に始まった食品情報提示方法として、生産者の顔写真を売り場に掲げるものがあったことからも分かるように、消費者は、十把一絡げの「安全です」「おいしいです」と共に、その野菜・畜産それぞれの「お墨付き」「パーソナル情報」を求める傾向がある。そして私は、まさにこの問題に対して、近年の遺伝子分析技術の進歩が役立つと考えるのである。
     DNA解析は最先端の技術だったが、その応用性の高さから、簡便化が進められてきた。実は今では、家庭の台所に収まるような大きさの、DNA解析装置が発明され、既にヨーロッパの農業で実験的に取り入れられている。その手順は大変洗練され、専門知識がない人も、プロセスを踏めば、適切にDNA情報を読み取れるようになっているのである。これは、品質が見分けづらい食品の出元を調べたり、畜産場で流行った病原体の詳細を知るのを使用方法の一つに挙げているが、福島県の野菜のDNAを調べ、そのDNAがどの程度放射線の影響を受けているかの情報を得るのにも役に立つだろう。食品の放射線による影響は、人の目で直接は見えない。外見で判断するしかないのだ。なので、たとえ日本のどこでも見られるウイルス感染性の食用作物の畸形が被災地に現れたとしても、放射線との影響が関連視され、たちまちに回復した風評が損なわれるとも限らない。そこで、直接遺伝子に立ち返り、その一次情報を提供するのである。今海外で起ころうとしている「パーソナルDNA革命」の最先端技術を、被災地の農業復興に応用することこそ、農学部の知見を活かした農業再生アプローチと私は考える。
     参考:
    http://www.ted.com/talks/sebastian_kraves_the_era_of_personal_dna_testing_is_here

  8.  現在被災地での農業の足かせになっているものとしては、ミクロ的には汚染された土壌、土壌に吸着しカリウムと同じようにセシウムを吸収してしまう現状、被害を受けた土壌の復元にかかるコスト、それらや農家への補助を負担する対象などがあり、マクロ的には土壌物理学そのものに対する認知度の低さやマスメディア等を介してしか状況を伝えられないことによる偏向報道、風評被害などがある。
     ではこれらの中から私に何らかの対策が可能であるものを考える。研究者になるつもりは一切ないのでその前提での推察である。まず、土壌に対してであるがカリウム施肥などの施策は一個人によって可能なものでもなく、何らかの調査もまた可能ではない。風評被害などに関しては情報をある程度取捨選択することは可能であるが、発信する側にはないし仮にネット上で発信が可能な状態であろうとも自分の情報が偏ったものでない保証もない。
    農家への金銭補助等々は言わずもがな、原則として一個人に可能なことはない。
     あくまで結論は以上である。出来ることは殆ど存在しない。
    しかしながらそれではこれ以上何も進まないため、ここからは一個人としての行動を律するものとして、せめて「やってはならないこと」について明記しておくならば、それはやはり風説の流布であろう。情報をうのみにしてはいけない。匿名の個人などの情報元の分からない発言ではなく、国家や専門機関、それに準ずる専門家の判断を仰ぐ。また同様に正確か否かの判断がつかない情報をいかなる場面においてでも流布しない。個人に出来ることは惑わされずに待つことが中心である。

  9.  福島の農業復興についてはマスメディアなどで除染の難しさ、なお残り続ける風評被害 などの情報が氾濫しているが、講義を受けたり資料を読んだりして実際に現場に出てみな ければわからないことがあまりにも多いと改めて思った。農地は農家の人々が実際に生計 を立てている生活に密着した土地であり、住宅地などとも違ってその土壌の質がすなわち その土地の質になる。その中で農地の放射性物質による汚染が起こったのは由々しき問題 だ。放射能の程度にもよるが、その作物を摂取した場合に健康被害が懸念されるだけでなく、 作物を販売する以上は顧客側の心理的問題を解決しなければならない。ここでは生産者の 現場と消費者の現場のそれぞれについて自分ができそうな被災地の農業再生を論じる。
     まず生産者の側だが、自分の土地は自分で耕したいという意見には非常に賛同できる。自 分の生計を立てる土地であるのはもちろん、日々の生活で常に触れ合っている土地なので 科学的・統一的な基準で除染や土地改良をしようとしてもコンセンサスを得るのは難しい だろう。一方で、生産者だけで専ら個人的に納得のいくように作業を進めても本当に安全性 が確保されたのか分からないし、消費者の信頼を得ることもできない。したがって、資料に 提示されているように地道に個々の農家の人々の除染に対する理解を深める活動が遠回り に見えて最も効果的だと思う。私は農学を専門にするわけではなく都市計画を学ぶ学生だ が、農村地域のコミュニティ形成、深化や農地のモニタリングや管理がしやすいインフラの 整備など将来的に貢献できることが多数あると思う。資料では、農学をやるためには生命科 学だけをやるのではなく様々な分野の知見を総動員する必要がある、とのことだが、コミュ ニティや生活と密接に関わる都市計画の分野でも同じことがいえる。都市は多種多様な人 の営みが空間的に集積した結果であり、都市を扱う以上は建築・土木学はもちろん農学、環 境学、経済学、法学など様々な分野の知見が必要だ。特に農業再生の技術を持っていてコミ ュニティや生活の再建にも取り組む農学の専門家と組む相手として、都市計画の専門家は 最適だと思う。さらに、忘れてはならないのは飯舘村などの被災地が抱える問題は震災や原 発だけではないということだ。資料にもあったように、飯舘村も全国で多発する鳥獣害の例 外ではないし、むしろ人の手が入りにくい期間があったことで野生動物が活発化している。 また、震災の影響を抜きにしても農業を担う人材の不足や若者の人口流出は起こっていた。 今後は単なる震災からの再生に加えて「ここで農業をやり続けたい」と思えるコミュニティ や生きがいづくりが重要になってくる。
     消費者の側からは、今すぐ簡単にできる対策になる。大事なのが正しい情報を追い求める ことだ。印象だけで福島産の食品を買い控えるべきでないということはよく言われるが、自 分で被災地の農業の情報を調べることが大事だと思う。盲目的に誰かの言説を信じるより も自分で納得して独自の意見を持つことができるまで探求するべきだというのはメディア が氾濫した昨今よく言われることだ。また、可能であれば農業再生の現場を実際に見て体験 したり、関係者の話を聞いたりすることも重要だと思う。実際の経験を積むことで現場の実 態を他人によりリアリティを持って伝えられるようになる。それを多種多様なバックグラ ウンドを持つ学生が集まる大学という場で伝えることが私ができそうなこととしては最大 なのではないかと思う。農業再生という一つの学問分野では立ち向かえない問題にできる だけ多様な知見が注がれることが重要だ。
     普段都市部に住んでいると、農業はどうしても生活から疎遠になり、様々な偏見や軽視す る雰囲気が生まれやすいように感じる。しかし農業従事者にとっては生活の糧・生きがいだ し、自分の仕事に誇りと自信を持ってやっているだろう。被災地の農業再生のためにはまず その感触を理解しなければならないと改めて感じた。今後、自分の専門分野を少しでも彼ら の生活や農業のために活用していきたい。

  10.  自分は工学部の所属であり、土壌や農地について講義で学ぶ機会はさほど多くはないと思われる。よって、課題を見たとき、被災地の農地再生なんて知識なしに何かできることを主張したところで、根拠もなく壮大のことや当たり障りのないことしか書くことしかできないと勝手に決めつけていた。しかし、資料を読んで少し考え方がかわった。それは、実際に判断を下した国や企業の役員は自分と同じ知識を持たない人間であることについてである。このことの問題点は知識を持っていないことではなく、知識を実感できないことである。ただ知識を持っていないだけならば、知識を持っている人から聞くことによりある程度理解することが可能であろう。しかし、知識を知識として理解するのは難しく、実際に見聞きし、感じなければ正しく判断することはできない。このことからわかるように、関心を持ち続ける、実際に体験できるよう努力することこそが知識を持たない人間ができることであると思った。
     また、このことは逆の視点からも考えられる。つまり、知識を持った人がシステムの創成や最適化については詳しくないことが多いことである。この問題こそが実際に決定する人に知識を持った人が少ない理由であるように思う。自分は日頃から授業で最適化手法やシステムの設計、リスク管理などについて学んでいるが、これこそが工学部の人間が一見関係ないようにも見える農地再生に興味を示す意味なのではないかと思っている。システムの設計や最適化といった漠然としたテーマは具体的なことに興味を示したときに価値が出てくる。
     以上のことをまとめると、今の自分にできることは関心を持ち続けることであり、いずれシステムを創成し、最適化を行う側になったときに現場の状況に沿うシステムを作ることであると思った

  11.  私自身ができそうな被災地の農業再生というとできることはかなり限りがあ り、また大規模なものではもちろんない。
     まず思いついたのが、ボランティアでの肉体労働である。震災から5年半が 経ち、被災地の農地に今どれだけダメージが残っているのかわからないが、お そらく以前農地として使われていた土地で、未だに農地として使えるまでに回 復していないところがあるだろう。放射性物質に汚染された土の除去はボラン ティアでも行えるようであるし、手伝えることは必ずあるはずである。またボ ランティアに行き何か活動することで、その部分の予算が浮き、他の農業振興 に当てることができるだろう。
     もう一つ考えたことが、「正しい知識を身につける」ということである。風評 被害があるように、安全が確認されているにも関わらず自分のイメージだけで 危ないと決めつけるのよくないことである。現状をしっかり把握して、それに 基づいて判断するべきである。

  12.  私は農学部ではなく、工学部システム創成学科PSIコースの学生である。当コースの理念に「環境、行政、福祉、金融などの国際社会における複雑な問題を解決できる社会システムを創成」する、とある。本講義を受講することで、東日本大震災や豊洲の移転に関連して最近話題に上ることも多い土壌について、ひいてはそれを包括する問題構造についてその一端を知るきっかけになると考えた。農業再生の問題についても、広い視野で問題全体を捉えることが本質的な解決につながると思う。
     紹介されていた各資料を読んで、福島の農業再生には大きく三つの段階があると考えた。まず、除染が済んでもとの土地の状態に戻ること。次に作物が作れるようになること。最後にその作物が売れるようになること、である。
     各段階は相互に関連があり、一つ一つを独立して進めることは失敗につながる。除染は除染そのものが目的なのではなく、そこで作物ができ、食べられる・売れるようにするための手段である。それが意識されていないと、とにかくあらゆる土地のあらゆる放射性物質を排除せよという不必要に困難な問題に直面することになってしまう。また、作物が売れるようになるという確証がなければ、農家の方々の協力は得難いだろう。
     さて、本題の私自身に出来る被災地の農業再生についてだが、最初の二つの段階については農学の知識に乏しい私にできることはあまりない。もちろんボランティアをするとか、正しい知識を拡散するとか、そういう協力の仕方は数多くあるのだろうが、正直大勢には全く影響しない。もし私が農業再生にある程度大きな影響を与えられるとするならば、それは農作物が売れるように戦略を考える段階だろう。(現時点で大勢に影響を与えるような行動をとることは難しいと思われるので、ここでは将来的に私が大学で学んだことを生かしてできることという視点で考える。)
     これまでも散々話題になったように、被災地の作物に対する風評被害は未だ根強い。うわさはしばしば事実よりも強い拡散力を持つ。正しい知識を拡散するという努力も各所で行われているだろうし、ある程度の結果は出ているかもしれないが、大多数の消費者にそれを周知するのは困難だろう。
     私自身恥ずかしながら、今回挙げられていた各資料を読んで初めて知ったことも多い。放射性セシウムは粘土粒子に固定され土の中にほとんど浸透しないとか、福島で放出された放射線レベルはチェルノブイリでのそれに比べて大したことがないとか、そういった知識もなく漠然と放射線を恐れていたのだと気がついた。調べればすぐに知れることだろうに、それをしたことはなかった。
     「知る」ことは存外に体力を使う。放射線のような「なんかよくわかんなそう」な分野については特に。よく分からないうえに、どうやら危険らしい、という状況で消費者が被災地の作物を買うというのは確かになかなか難しい決断だろう。正しい知識を周知することは非常に難しく、この方法で売り上げを回復するというのは現実的でない。
     被災地の作物を売れるようにするためには、消費者の中から放射線というワードがなくなるように、まったく新しいブランディングをする必要がある。放射能の影響がないということを喧伝することは、消費者に震災のことを意識させるためまったくの逆効果である。  被災地(とここでは言うが、「被災地」だと意識させないことが重要だ)の新しい農業は、これまでの日本の農業の特徴である高品質をさらに強化した、“超国産”を前面に押し出すべきだ。折角一度リセットされた農業を復活させるのならば、最新技術をふんだんに取り入れた超高品質な作物を高級品として売り出す。
     消費者にはあまりに多くのものを毎日気にし続けている余裕はない。ただでさえ情報が溢れかえった現代である。古い情報は忘れ去られていく。今ある認識を変えるのではなく、別のもので置き換えることで、消費者の行動も全く別のものになるのではないだろうか。
     と、ここまで偉そうなことを書いたが、実際にブランディングを行うためにはその地に自ら訪れることは必要不可欠だ。自分がその土地の作物の強みをどこに感じるのか、土地の人との関係を築けるか、それをいかにわかりやすく広められるか。月並みな言葉だが、百聞は一見に如かずである。

  13.  被災地の農業再生を行うにわたって、乗り越えなければいけないポイントは二つあると思います。一つが生産者の側である被災地の農業生産基盤の復興です。これに関しては、溝口教授が取り組んでこられたように凍土除去に要るセシウムの除去や政府が主導している除染作業が徐々に形になってきていることを感じます。また、個人的にも非常に興味がある分野でありそのような研究をしてみたいという考えもあります。
     もう一つが、消費者側の問題であると実感しています。たとえ、農業基盤が復活しようとも、それの受け手である消費者がいなければ、供給過多となり農業経営は立ち行かないでしょう。この点においては、例えば、引っ越し先でいじめにあっている福島出身の子供たちの問題が現状でも存在しているように被災地に対する偏見は現状でも色濃く残っていると考えます。この問題に関しては、私達一人ひとりの認識の問題であり、一度芽生えた偏見はなかなか消えにくく、様々な情報が錯綜する現代であるからこそ非常に根深い問題であると考えられます。一方で、認識の問題に関しては、一つ目の問題とは違い、専門的な知識であったりとか技術は何も必要ではなく、正しい情報を理解してそれを発信していくという簡単な作業で実現することができると考えられます。したがって私は二つ目の問題を解決していくことが第二のステップとして必要不可欠になってくると考えられます。
     具体的にどうすれば二つ目のステップを克服することができるでしょうか。その一番の近道は一人ひとりが自分でまず被災地の状況を客観的に分析してみる、そしてその中で自分の中で現状の被災地の農作物を食べることで健康を害することは考えられるのかを自分の中で考えてみることができると思います。上でも述べたように、現在はたくさんの情報が氾濫しており、被災地の農作物に関して肯定的な意見もあれば、否定的な意見も多く存在すると考えられます。その中で正しい情報を見つけ出してそれを自分で咀嚼してみることが必要であると考えられます。 次にその得られた正しい知見をより多くの人たちに伝えていくことがもう一つの重要なステップです。その方法として今の私達大学生ができることは限られています。しかしながら、我々の大学は学園祭一つをとっても多くの人たちが訪れ、またメディアの露出も多くあります。そのような環境を利用して、例えば五月祭や駒場祭で被災地の農作物を扱った露店を出店してそれをたくさんの人達の目に触れさせ、かつ被災地の現状を論理的に説明して発信していくことで様々な人達に理解してもらえることが可能になると思います。その先に行政とも連携しつつ正しい情報を正しく理解してもらえるような努力を行っていくことが必要であると思います。

  14.  「私自身のできそうな被災地の農業再生」について述べる前に、非常に納得させられた部分が記事中にありましたので、まずそれに関して述べたいと思います。それは、「そもそも被災地の問題は自分には無関係だと思って過ごしていた学生が役人になったとき、現状と同じように現場にとっては非合理的で、誤った判断を繰り返すであろう」という論旨です。確かに私も現場に行ったことはなく、被災地についてそんなに考えたこともありません。他の人でも大体は、少しでも被災地に所縁のある人でなければ無意識的に無関係だと思っているかと思います。このレポート自体も初めはある意味、「単位のために」やろうかと思っていたのですが、この授業の趣旨としては「その意識がまずい」と諭された気がしてならないです。
     さて本題ですが、被災地といえども被害の模様は様々ですし、農業再生のスタイルも様々だと考えましたので、このあたりを少しかみ砕きつつ述べたいと思います。
     被災地の農業被害は、大きく分けて3タイプに分類できるかと思います。1つ目は放射性セシウムの土壌吸着、次に津波による塩害、さらには地震津波による農地や農業設備の破損・喪失です。もちろん組み合わされているところも多々あると思います(このあたりは現場を見る必要があると言われそうですが…)。風評被害は「セシウムの土壌吸着」に含まれるかと思います。農業従事者の人口喪失も農業被害にあたるか迷いましたが、今回はこの農業被害または災害のために農業から離れたということで、物理的な農業被害自体が克服されるにつれて回復するものだとして、ここでは述べないこととします。
     これら3タイプのうち、私が個人として被災地の農業再生に携わるとしたら、前で述べた放射性セシウムに関する問題です。私一人の経済力や時間の持ち合わせでは、重機をチャーターして汚染土壌を?ぎ取りに行くなどといった大掛かりなことはできないでしょう。しかしながら私には、農学部で学んだ農作物や土壌における放射能の影響に関する知識が一般の人よりもあるという自負があります。私にできることは、啓発してこの風評被害を取り除くことで、間接的に放射性セシウム問題の解決に関わることだと考えます。
     具体的には、将来売られるようになった土壌汚染解消地域の農作物を積極的に買うことだと思います。そして、自分がそれを食べるわけですから、それが安全であるという根拠がもちろん欲しいです。講義ではこの方法で除染したなら安全だと言っても、現場でその方法が徹底されていなかったりすると必ずしも安全とは言えません。しっかり除染に関する知識を持って何度か現場に赴き、その作業が徹底されているかを視察したうえで、安全であるという根拠を得たいです。そして、「このように除染すればそこで作られた農作物は安全に食べることができ、現場でも確かに徹底していた」ということを周囲に伝えて、風評被害を徐々に減らしていきます。農業再生における現場主義の在り方は、現場の状況に適した技術を提供するというだけではなく、今後、消費者に安全性をアピールするという面でも重要かもしれません。
     原発事故後、放射能に対する関心度の高い世の中になっていると思いますが、このように大学でみっちり講義を受けない限り、「放射能は得体の知れないものである」からそれにわるものは拒絶したり、放射能を扱う際のリスクマネジメントに関しての考えは浸透していなかったりということが、帰省した時などに周りの人から訊かれる内容から実感として察知できます。せっかく除染によって今後安全な農作物が作れるようになっても、この問題が抱える最終的に残るだろう事柄として、偏見や無知によってこれが拒絶され、売れないままになってしまったなら、農業再生は完成したとは言えないと思います。これに太刀打ちするために、我々のように大学で放射能やその土壌吸着に関して学んだ者が世間一般に知識を広める必要があると考えます。

  15.  僕は教育学部に所属していて、身体運動や睡眠学などを専攻しているため、土壌に関して はほとんど知識がない。そのような状態で資料を読んだ中で感じた事を書こうと思う。 東日本大震災による原発事故後の行動についての資料を読んで、土壌物理学の専門家の 方々は事故が起こった直後からこんなにも行動していたのかと、初めて知ったことが多か った。また、素人である僕は、この資料中にも書かれていたが、メディアによる間違った情 報を正しいものだととらえていたのだと気づかされた。
     土壌に関して知識がほとんど無い中で、自分ができそうな被災地の農業再生について考 えるのは大変難しい。現実的に考えて、資料に書かれていたような、実際に専門的な知識を 生かして被災地の農業再生に貢献するのは不可能で、これは専門家に任せるべきことであ る。
     先ほども述べたように、僕は資料を読むまで自分がメディアの間違った情報に振り回さ れていたことに気づかなかった。おそらく僕の周りの人たちも、多くは僕と同じ状況である のではないかと思われる。土壌に関して素人である僕ができることは、「僕と同じように間 違った情報を信じてしまっている人の数を少しでも減らすこと」ではないかと考えた。 震災後、原発事故に関する情報はテレビ、新聞から入ったものが圧倒的に多い。多くの人 はこのようなマスメディアの情報がすべて正しいと信じてしまっており、これが誤解が広 まる原因である。
     一方、現代社会では、SNS を通して世界に情報を簡単に伝えることができる。これを利 用すれば、マスメディアの間違った情報を、間違っていると多くの人に伝えることができる と思う。僕ができる被災地の農業再生とは、専門家の方々が一生懸命知識を生かして農業再 生している状況を、正しい情報とともにSNS を通して多くの人に伝えることではないかと 思う。現地に行くことができれば、そこで得た生の情報を正しくSNS で伝えられ、僕一人 の力でも、少しは世の中に良い影響を与えられるのではないかと思う。

  16.  被災地の農業再生について、私が出来ることは多い。関心を持つこと、実際に現地に赴いてその実情を知ること、汚染に関して正しい認識を持つこと、ボランティアに参加して「までい工法」の作業の手伝いをすることなどなどである。しかし、実際にやるかと言われると、まずやらない。理由は、福島は東京から遠いこと、金銭が得られないこと、そして何より自分の作業が全体に及ぼす影響があまりに小さすぎることである。私は極度のめんどくさがりなので、ちまちま地道にやるのが苦手である。どうせならドカンと大きいことをしてドカンと大きい影響を与えたい。しかし、学生という身分ではどうしてもその活動単位が個人(あるいは数人程度)になってしまい、大きい影響を与えることはできない。幸い、私は来年から社会人でメディア系のベンチャー企業に入ることになっている。そこで、例えば現場の声と官僚をつなぐようなwebメディアを作り、までい工法の採用など現場に寄り添った施策を官僚が取る手助けをする、というのはどうだろうか。これなら東京に居ながら、金銭を得ながらでも、大きな影響を与えることが出来る。これなら、被災地の農業再生について、私でもできそうである。

  17.  私は工学部のマテリアル工学科に所属しており、将来的に製鉄などの分野に進んでいくと思うので、製鉄分野から農業再生の力になれそうな事柄について具体的に考えてみた。特に、除染に関しては資料で取り上げられている「までい工法」が有力らしいので除染後の土壌改良に焦点を当てた結果、鉄鋼スラグに大きな可能性があることがわかった。
     鉄鋼スラグは、鉄鉱石から高純度の鉄を得る製鉄の過程において発生する副産物である。これは主に石灰石を溶媒として、鉄鉱石に含まれる鉄以外の成分であるシリカやアルミナ、炭素、リン、硫黄を溶かし込んだ酸化物である。鉄鋼スラグは1990年代までは大半が有効利用されることなく埋め立てられていたが、現在では主にセメントの原料や道路の舗装素材として99%以上が再利用されている。しかし、近年の公共事業縮減の流れに伴い、新たな鉄鋼スラグの用途研究が進められている。その一つが肥料や土壌改良材である。
     被災地の農地では津波によって塩害が発生し、加えて土壌が酸性化した。それに対し、鉄鋼スラグは石灰成分を含んでおり、土壌へ散布することで酸性を中和する。また、相馬市で行われた実験では除塩対策にも高い効果を発揮することが確認された(参考URL1)。これらに加えて作物に有用なリンや鉄分が豊富で、さらにカリウムが土壌中の放射性セシウムが作物に吸着されるのを防ぐという。鉄鋼スラグには被災地の土壌に必要な要素が数多く含まれているのである。
     ここまで土壌改良に焦点を当ててきた。「農業再生」のためにはこの他にも、風評被害払拭のための広報戦略や人が去った農地へ再び農業者を呼び戻すことをはじめ、多くの分野、多くのスケールでの努力が必要だろう。しかし、マテリアル専攻という私の特性を最大限に生かせるのは上述のような土壌に関わる部分だと思われる。よって将来、鉄鋼スラグ肥料の改良のような私ならではの知見を活かした貢献ができるようにするため、被災地への関心を持ち、風評被害を私自身が与えないに足る知識を得る努力をしつつも、今は自分の専門分野を修めたい。
    参考URL
    https://www.nssmc.com/news/20130308_100.html/
    http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD040QL_V00C13A4000000/
    http://www.slg.jp/slag/index.html

  18. 被災地とは福島原発事故により農業を従来通り行えなくなった地域のことを挿しているのだろうか。とりあえず、ここではそういうことにする。しかし、私は被災地にも農業にも被災地の農業再生にも一切関心はないし、農学部の講義で得られる知識や現状と今や極たまにしか報道されなくなった被災地の現状のようなニュース番組程度のことしか知らない。勿論被災地の農業再生は日本にとって重要な課題であり、積極的に取り組まれるべきことだとは思う。とはいえ、それを主導するのが誰でどのような計画が立っていて実際どの程度のことが行われどういう成果が得られているのか、何も知らない。調べればいくらかはわかるだろうが、調べなければわからないような影の薄い情報ではないと思う。これが真に重要な課題であるならだれもが常識として、或は一般教養としてある程度は知っていて然るべきではないのか。少なくとも、関心を持った研究者やその地域の農業関係者だけで解決する問題ではないだろうと思う。なぜなら農業は消費者を想定しないとできないからだ。
     福島の農業再生に向けていくつもの研究が行われ、農業の性質上年単位でかかるような実験の結果も今はそれなりに出ていることを農学部のいくつかの講義で学んだ。それは新しく知ることばかりだった。消費者が気にする安全性にかかわる内容も多かった。たとえば繰り返し複数の講義で語られる、セシウムの土壌吸着に関する話だ。だが、それらは消費者にほとんど知らされていないように感じる。それとも被災地に関心のある消費者がいてくれればいいという考えなのだろうか。農業再生においてその程度の消費者で十分なのだろうか。或は生産者側の体制があまりにも整っていないのだろうか。
     私が被災地の農業再生に関われるなら消費者としてしか今のところ考えられない。しかし消費者に積極的に関わってもらう農業というのは考えにくい。そんなことをしなくても手に入る別の産地の農産物を買う方が楽だからだ。どうすれば消費者を巻き込んだ真の農業再生ができるのかはすぐに思いつくものではない。私にできることがあるとするなら知識や情報を確かに持っておくことくらいだと思う。

  19.  被災地の農業再生について私自身ができそうなことは次の2つがあると考えられる。1つ目は、被災地の農地の除染に協力すること、2つ目は被災地の農産物を積極的に購入することである。
     1つ目については、web上で配布された資料にあった「までい工法」や「凍土の剥ぎ取り」を現地に行ってその実施に協力したり、表土を除去された農地の回復に協力したりするといった肉体労働を行うことが考えられる。しかし、有名人でも何でもない私が被災地に行って除染することで多くの人が被災地に行って除染するようになるなどということはあり得ないので、これらのことに私自身が協力することで被災地の農業の再生にどれだけ貢献できるかと言えば、大きな力にならないのは想像に難くない。そこで、大学で学ぶ身としては、技術や知見の提供といった面からの協力というのも模索していくことができるのではないか。つまり、将来的には、研究者として効率的な除染方法や、表土をはぎ取られた農地の生産性の回復方法、Csを吸収しにくい品種の開発などを通して被災地の農業の再生に生産面から協力することができると考えられる。
     2つ目に関しては、例えば私自身に「福島の農産物は安全です」と発信して国民がそれを信じて福島県産の農産物を買うようになるような力があればそれを行使することで被災地の農業の再生に協力できるのだが、不幸なことに私にそのような力はないので、私一人がそうすることで何か変わるのかすら分からないが、ささやかな協力として、福島県産の農産物があればそれを積極的に購入することで少しでも被災地の農家に協力することができると考えられる。
     結局、被災地の農業の再生について、一介の大学生である私は無力であると考えられる。しかし、無力だからといって何もしないのではどうしようもない。将来、貢献できるようになるために、今できることはあるはずである。例えば、被災地の農地の除染に協力することなどで、被災地の農業の現状を知ることは、将来被災地の農業の再生に貢献するうえで必要なことだと考えられる。今、小さなことを少しずつ積み重ねていくことで、将来に大きな貢献をするというのが最も可能性の高いシナリオなのではないかと考えられる。

  20.  福島第一原発によって放射能に汚染された農地を除染するというのは、とても重要な課題になっている。福島原発の廃炉作業は進んでいるようだが、汚染された土を戻し、農業ができるような基盤を作らなければ、元のように福島の土地で生きることはできない。除染を行い、農業を再生しないといけない。福島の復興にはいまだ高い壁がある。
     私自身ができそうな被災地の農業再生は何だろうか?ではまず、農業再生にどのような段階があるかどうかを確認してみる。まず、第一に除染することがあげられる。そして次に、除染された土地を肥沃な状態に戻し、しっかりと農作物を生産することができる状態にすることが必要だと思う。このように、農業再生には「土壌の除染」と「農業環境の再生」の二段階があると思う。 私は農学部フィールド科学専修であり、野生生物の生態学について学ぶ学科にいる。今後学ぶことや自分の興味のあること、強みを生かして被災地の農業再生に貢献しようと思うと、「農業環境の再生」の方で貢献できるのではないかと考える。
     農業は様々な生き物が関係して成り立っている。土壌の微生物がいることで肥沃な土壌が成り立っている。農作物を食べる昆虫がいる。さらに、その昆虫を食べる鳥がいて、その鳥を食べる猛禽もいる。また、農場を荒らす野生動物もいる。動植物が農業に与える影響を明らかにすることは、除染後の農業再生のプランを考案することができるのではないかと思う。
     例えば現在福島では、放射能汚染により一時的に人がいなくなったことや耕作放棄地が増えたことにより、イノシシなどの野生動物が増加していているという。その結果、イノシシは農場などにも姿を現していると聞く。イノシシが農場を荒らす状況が続いていては、除染作業やその後の農業再生に支障をきたすだろう。そのような事態を防ぐために、福島のイノシシの生態を明らかにしてイノシシを農場から遠ざける手法を考案すれば、除染作業や農業再生作業に集中することができる。
     他にも、そのメカニズムはまだよくわかっていないが、福島における野鳥の減少なども確認されている。生態系の変化というものはときに恐ろしく、害虫の大量発生などの大きなひずみを生みかねない。福島の原発事故後の生態系についてしっかりと理解し、それを元に戻す方法を考案することも、多少遠回りではあるが農業再生につながってくるのではないかと思う。 はじめは、生態学を専攻する予定である私には被災地の農業再生にあまり関係がないかもしれないと思ったが、そんなことはないと思った。多少遠回りではあるかもしれないが、様々な研究分野から福島の復興を手助けする意味は絶対にあるはずであると確信した。
     生態学的意義のある研究もしてみたいが、人の役に立つ研究を将来してみたいという思いもある。先生の凍土による除染方法の開発の話を聞き、自分にも自分の専門や強みを生かしてできることはあるのではないかと思った。そして、これから内定している学科に進んで専門的なことを学んでいきながら、少し遠回りな関わり方になるかもしれないが、今日本が抱えている問題に対して自分にできるアプローチ方法を探していこうと思った。

  21.  私は「私自身ができる被災地の農業再生」について考える際に資料にもあった通りトータルな視点で考えるべきだと考えた。まずは「農業再生」のゴールを自分なりに設定してみようと思う。おそらく農学関係の授業をあまり受講していなかった一年前の私が何も考えずに設定するとなると「被災前と変わらない土壌に戻す」と答えるかもしれないが、これはいわゆる「トータルな視点」に欠けたものだと思う。なぜなら農業というのは生産者だけでなく消費者あってこその農業であるからである。私が農学部に内定してからのこの講義や他の講義を受けてきた三ヶ月で強く感じたことは、どんなに科学的に健康などのリスクが基準より低くても消費者がそれらの情報をメディアを通して受け取るときに主観的なイメージなどにより受入れ難くなっていることである。つまり「被災前と変わらない土壌に戻す」だけだと被災前より消費者の購買意欲は下がったままで農家が以前のように採算が取れないだろう、そして被災地の農業は復活できないだろうということである。よって、今回のゴールは「農家が農業によって生活できるだけの収入の復活」にしようと思う。
     そして今回のゴールを目指すにあたっての流れとして土壌の再生、農作物の生産、流通及び消費者の購入と考えられる。
     まず、土壌の再生についてだが残念ながら私にはまだ専門的な知識に欠けているので今回の提示された資料を読んでなるほどと思うことしかできず、自分から意見を提示できない。ただ、今学生の身であり今後社会に出て関わっていくことを考えるとどちらかというとこの後の2つがより自分たちの世代にとって重要なのかもしれない。
     次に、流通及び消費者の購入について考える。なぜなら消費者が何を考えているかを考えた上で需要に即した農作物を作るべきなのではないかと考えたからである。今現在の消費者の心情はおそらく被災地の食品とそれ以外の食品がある場合、「どちらでも良いけれど念のため被災地のものは避けようか」というものになりがちだと思う。ここで大切になってくるのは他の商品との差別化で付加価値をつけ、それを流通の段階でメディアなどを通じて、あるいは生産者が直接消費者にアピールすることが大事だと思う。もちろん生産者及び生産者に近い人間が消費者皆にアピールできれば理想的だがそうはいかないので、よくテレビを見るであろう主婦層にはメディアを通じて行うなどの工夫が必要だろう。
     そして、農作物の生産についてであるが前述した通り付加価値をつけることに加えてコストカットもすべきであろう。素人考えではあるが簡潔な流れとしては使える土地が少ない間に品種改良を進め他の品種との差別化を図り、被災した土地ということで安く土地を買いコストカットをして除染が終了次第栽培を進めていくことだろう。
     最後にこれらを「私自身ができる」という視点で考えた場合、今はとにかくこの3つの段階それぞれで正しい知識や実地での経験を蓄えていくことだと思う。今これらを充実させておくことで将来専門家として消費者に納得できる説明をできるようになったり、より質の高い土壌に戻したり、付加価値の高い農作物を生産できたりして様々な面で被災地の農業再生に貢献できるだろう。

  22.  2011年3月11日、東日本大震災が発生した。地震による建物の倒壊などの一次災害だけでなく、津波や地崩れなどの二次災害も非常に甚大な被害を東北地方の人々にもたらした。さらに、東日本大震災において最も爪痕を残したのが、福島第一原子力発電所の放射線漏れ事故である。今もなお、原発事故の栄光が福島を苦しめている。
     震災によるこれらの被害によって、福島の土壌は塩害や放射能汚染に見舞われた。もちろん、土壌中に塩分や放射性物質が含まれていては十分な農業生産を行うことができないし、風評被害も非常に厳しいものとなってしまう。つまり、現状として福島の農業は深刻な状況にあると言える。土壌中に含まれている塩分や放射性物質はすでに土壌中に定着してしまっており、元の状態に戻るまでにはとてつもない時間がかかるであろうということは予想に難くない。政府や地方自治体でも、福島の農業土壌の復活のための方策を立て、徐々に実行に移しているが、様々な問題が本格的な対策の障害となっている。例えば、費用の捻出の問題である。震災で発生した他の被害に対する対処や、既存の医療・軍事・経済・インフラ整備などにたくさんのお金を必要としており、日本政府の財政は支出が膨らんでいる。それに対して政府の税収では賄い切れておらず、毎年赤字が重なっていくばかりである。もし、本格的な土壌改善対策を行うとなると、多額の費用がかかることは容易に予想され、再び政府の財政を圧迫することとなってしまう。これ以上支出を増やすと、近年発生したギリシャなどでの財政破綻問題が日本でも起こってしまうかもしれません。また、大規模な対策を行うことができないことも障害の1つとして挙げられるであろう。塩害や放射能汚染を受けた土壌は平野部だけでなく中間地帯や山間部にも範囲が広がってしまう。現在の対策の方針では、一定の厚さの表層土壌を削り取る方法が取られていますが、中間地や山間部では大型の重機用いての不可能であり、対策がほとんど進んでいない。主に山間部の土壌を通過した水が下流域の平野部に流れてくるので、山間部の塩分や放射性物質をその水流が平野部に流れ込んでしまう可能性が大いにあり得る。それを防ぐためにも、山間部までの土壌からしっかりと不要物質を取り除かない限り、福島の土壌の改善は完了しえないはずだ。
     このような状況下で、今東京大学農学部に籍を置く私たちができうることは、土壌から塩分や放射性物質をうまく取り除くことができる化学物質などを開発することであろうか。何を無茶苦茶なことを言っているのかと思われるかもしれない。確かに、現状として十分な知識も経験もない私ができることは少ないと思う。だからこそ、少しぐらい無謀なことを目標にしておいてもよいのではないだろうか。そうすることによって、私たちの学習に対するモチベーションを高い状態で維持することができるであろう。私には、現状の技術等でこの問題を解決することは難しいと思う。したがって、新たな技術を開発することで、福島の農業への少しでも手助けができればいいと考える。

  23.  私ができそうな被災地の農業再生について論ずる上で、まず注意しなければならないのは、自然の力によって引き起こされた被害をたった一人の力で元に戻すことは不可能であるということである。被災地再生には非常に多くの協力を必要とするので、これから私が論ずることはたった一人でできることではないということに注意していただきたい。
      私ができる被災地の農業再生の1つに消費者として福島県の食材を他の産地の食材と分け隔てなく買うということがある。仮に、福島県の食材が科学技術の発達や徹底的な除染によって安全であることが証明されていても、一般消費者の意識が変わらなければ福島県の農業が完全に復興したとは言えないからだ。そこで、今回の課題が出たときに、家族の中で一番の消費者母親に「福島県の食材を買っているか?」と聞いてみた。すると、「最初から福島県の食材を避けようとは思わないが、安い食材を手に取って産地を見てみると、福島県産と書いてあって買うのを躊躇する」との返答が返ってきた。つまり、絶対に福島の食材は危ないから買わないと思っているのではなくて、同種商品で安い食材を手に取るとたいてい福島県産と書いてあり、何かうしろめたい部分があるからこの食材は安くなっているのではないかと考えてしまうというのである。風評被害によって売れなくなった福島県の食材をどうにか売るために小売店側が安くすることによって、さらなる風評被害を生むという悪循環になってしまっているのである。この悪循環を断ち切るのが我々一般市民の役割ではないだろうか。
     風評被害の悪循環を止めるためには、正しい知識を世間の人に知ってもらう必要がある。運の良いことに、私は東京大学という日本有数の知識を持った先生方の講義を受けられる環境に属しており、正しい知識に触れる機会は他の人より多いかもしれない。したがって、被災地農業再生のために私ができることは、正しい知識を身につけ、福島県の食材を買い、福島県の食材の安全性を拡散することである。一般市民は想像を超えて、福島の安全性を問題にする割に、それに関する知識にアクセスしようとしない。私もそのうちの一人である。先日の授業中に見た「東京電力の凍土壁の説明」の動画も、授業で見なかったら、一生見ることはなかったであろう(特に、公開から1週間経っているのに、再生回数が7回なのは非常に問題)。それくらい一般市民は正しい知識にアクセスする機会に不足している。したがって、私に今すぐにでもできることは、東電の動画でも、までい工法の記事でも、Twitter等でリンクを共有して拡散することではなかろうか?そして、長期的に拡散するやり方として、アイスバケツチャレンジに代表されるように、なんらかの話題性を利用して、福島の安全性をPRする方法を模索することが大切である。
     このように、我々一般市民、特に若者にできることは福島の安全性を拡散することである。今やSNSは大手メディアに匹敵するほどの拡散力を持っている。単に、「福島の食材は安全だ!」というだけでは、拡散力はさほど生まれないが、何かしらの話題性、チャレンジ性と結びつけることによって大きな拡散力を生むことが出来る。そういった工夫を考えることが私にできることではないだろうか。しかし、どんなにこのレポート内で「ああすればいい、こうすればいい」と言っていても仕方ないので、まずは福島の安全性に関する記事のリンクを貼ってツイートして拡散を図ってみることにする。

  24.  私はいま土壌を扱う研究室にいるため、土壌へのセシウムの吸着や、津波をかぶった土壌の塩類集積の解消などの話は興味深かった。ただ、この方面で自分が農業再生に貢献できるかと言われると、立派な研究成果や除染法を考え出すのは難しいように感じる。そこでここでは、より卑近な所から考えた。
     福島の農業再生のためにまず考え付いたのは福島産の農作物の消費を増やすことである。自分で積極的に福島産の農作物を買うということも大切だと思うが、自分は自炊する頻度も少ないので、あまりに影響が細やかすぎる。そこで考えたのは、5月祭、または駒場祭で福島産の農作物の売り出しブースを作ることである。街中で東北や九州の県のアンテナショップを見ることがあるが、それの福島県バージョンを文化祭で出店すれば直接的な消費も増えるし、その場では購入しない人にも「東大で売っているなら大丈夫だろう」という印象を与えることができる。加えて、例えば飯館村では「おこし酒 飯館」という日本酒を作っているが、このような名産品のPRのチャンスにもなるだろう。
     更に、ただ野菜や米を売るだけでなく、農地の除染や農作物に対する検査の現状も伝えることができれば、より多くの人が安心して福島の農作物を買うことができるようになる。幸い東大には溝口先生を始め、土壌汚染の先生がいらっしゃるわけなので、先生方とも連携して説明にご協力いただければより説得力を持って安全性を伝えることができるだろう。
     このような趣旨であれば、賛同してくれる学生も多く、無理のない範囲で貢献ができるのではないかと思う。

  25.  今回の授業を聞き、資料を読み、自分がいかに被災地について知らないのかを痛感した。 東日本大震災があったのは私が中学三年生の時だった。私は鹿児島に住んでいたため、直接東日本大震災の影響があったわけではなく、ニュースで見たり聞いたりするものの、実際にどうなっているのかは知らなかった。
     正しい知識を身につけることが必要だと考えられる。被災地以外の人はもちろんのこと、現地の人たちも正しい知識を身につける必要がある。震災以前に比べると、原子力や放射線についての報道や情報が増えてはいるが、危険性ばかりを示す内容のものが多く、正しい情報が伝わっているとは言えない状況なのではないかと思う。ただし知識を身につけることが農業の再生にどのようにつながるかというと、正しい知識を身につけていれば、被災地で作られた農作物の安全性についてもわかり、風評被害が減れば、被災地の農作物の消費量が増える。また、現地の人たちも、これまで避難していた人たちも現地が安全であるということがわかれば地元に戻ることができ、農業人口も増える。このように正しい知識が農業再生に与える影響は大きい。溝口教授の「までい工法」も現地についての正しい情報があったからこそ実現することができたものであるし、現地住民とその知識を共有することで、現地住民も行うことのできる現実的で具体的な農業再生方法の一つになっていると思う。「までい工法」についても今回の資料を読んで初めて知った。政府などが行っているものだけでなく、このように現実的に行われているものにも目を向けていく必要がある。
     これまで述べてきたことは実際に大切なことだと思う。しかし、これに関して自分ができること少ないように思われる。むしろ、これまで述べてきたことをまずは自分が実行していく必要がある。知識がないために、実際に現実的な再生方法を考えることは難しい。そこで、自分にできることはまず知ることである。被災地の現状、農業の再生の実情、様々な知識が不足している。これらの知識をまずは知ること、そして自分のものにすること、それができて初めて、被災地にとってよい農業再生方法を考えられるようになるのだと思う。
     実際に足を運んで、地域の人たちと触れ合うことを通して、考える。農業再生に対する具体的な案でもないし、直接農業再生にかかわってくるのか分かりにくい部分ではあると思うが、今の自分にできるのはそういうところからなのではないかと思う。
     まだ一度の被災地に足を運んだことがないので、行ってみたい。 感じるものが多くあると思う。

  26.  東日本大震災が発生した時、私は高校三年生だった。東大受験に失敗し、後期試験で阪大に合格するための勉強をしていた。その休憩の最中テレビをつけたとき目に入ったのが津波の衝撃的な光景である。とはいえ関西の田舎高校生である私にとって、その事象が現実味を伴って自分を襲うわけではなかった。さらに言えば、当時は文系で法学部志望であったから、卑しいエリート意識の下で「災害時の対策法の立法過程はいかにすべきか?」などと友人と話したりしたものだ。今、農学部として進学し、自然科学の端緒に触れている身としては、このようなアプローチは恥ずかしい限りである。私たちは自然科学者として、被災地の復興活動をしなければならない。  具体的な復興の方策をこの場で述べることはできないと考える。なぜなら、実地で見る(フィールドワークまたは実験を行う)→仮説を立てる→検証実験を行う→対策を講じるというプロセスを踏まないと、適切な判断ができないからである。ただし、このようなプロセスを踏んでいる間に、現場では事態が刻一刻と進んでいる。現実的には、仮定を打ち立てる段階で対処していかなければならないであろう。
     一方で、個人的には東北の農村復興ボランティアに参加するなど、知識や科学にとらわれずマンパワーとして貢献することもできる。上記のような科学的あり方に基づいた対策では、私のように科学に適性のない者は何もすることができない。何も考えず、汗水垂らして現地で仕事をすることが一番復興につながるのではないか。科学者としてフィールドワークに行くにしても、現地で労働力となるにしても、大事なのは部屋から出ることである。汚れたくない、汗をかきたくないという怠惰な気持ちを捨てて、現地に赴き、自分にできることを精一杯やるのが大切である。
     ところで、課題趣旨から外れるが、理想論的解決策もある。例えば、イオンファームなどの大資本企業の食料生産部門に入社して、その資本力を元に福島の農村地帯を大規模に購入し、そこの全国各地から労働者を集結させて農業生産するのである。これは、現地の人々の感情を完全に無視した方策であり、実現可能性はないと言える。しかし実現すれば、大規模集約農業によって生産効率は大幅に上昇するし、被災地の資金源となる。人が集まることで街に活気が出てくる。これは今の自分にできないことであるため課題趣旨にそぐわないが、効果的な方策ではあると考える。

  27.  レポートを書くにあたって、とりあえずまずは資料を一通り読んでみようということにしました。そして4つあるうちの資料の中で興味をひかれたのは後ろの2つの資料でした。溝口先生がなぜ土壌物理に足を踏み入れたかという話の中で脳みそが筋肉になるほど陸上部の活動に精を出していたという。実際に今の自分がその状態で、部活動中心の日々を送っています。特に将来の目標もなく流されるように農学部に進学し必要な単位をとるために授業を受けています。授業を受けるといっても非常に受動的なので教授の話をまじめに聞いたりノートをとったりなどということはほとんどしていません。部活動中心の生活でなんの知識もないまま大学生活を終わらせることに少し不安を抱きつつもあります。そのような状態のなかで被災地の農業再生について考えろといわれてもなんの考えも思いつかなかったです。そこで自分に今何が必要かといわれると被災地についての知識だと感じました。そもそも僕は東日本大震災の被害に遭ったという感覚はなく、福島のことは他人事としてしか見られていません。被災地の助けになりたいのならまずは当事者意識をもってその場所のことについて知ることが必要です。そのうえで、農学部に進学して特になにも得ていてない自分が農業再生について考えるといってもやはりまだ知識はなくなかなか難しい話です。今はまだ溝口先生が行ったように現地に出向くなどということはできません。しかし先生が書いていたように今後起こりうる事態に対してなにかできるようにする、そのために専門的に勉強するということは可能だと思います。知識がなければなにもできないがそれを身に付けて応用していけば被災地に役立てることがきっとあるはずです。

  28.  課題の資料を読んでまず思ったのは、僕も今まで、大勢の学生と同じく東日本大震災を「自分の住んでいる世界とは違うところで起こった災害」という形で他人事として捉えていたのだなということであった。では、遅まきながら農学部生らしく被災地の農業に対して自分が何をすることができるのかと考えてみると、概ね2つの方向性があるように思う。
     一つは、資料にも東大職員によるボランティア活動についての記述があったように、この瞬間からできる何かを探して行動するというものだ。もちろんこうした活動も重要であって、例えば資料には新しく、より効率的な除染技術の普及を目指した活動に関わっている団体がいくつか挙げられていたが、このように明確な指針と理念を持った団体に加わる人が増えることで被災地の農業はより良い方向に進んでいくことは間違いがないと思う。
     一方で、自分にしかできない形で被災地の農業に関わっていくことはできないかという視点から考えてみると、自分の専攻分野を被災地の農業再生に結び付けていくことが考えられる。僕は現在農業経済学が専門なので、農村開発や地方経済という観点から被災地の農業に関わっていくことができると思う。もっと言えば、僕はどちらかといえば研究者志望なので、将来的には官僚や実務家よりももう少し科学的な観点から被災地の農業再生がもたらす便益を正確にとらえていくといった方向性が考えられる。その点で言えば、理系の農学系研究者とも協力することができる部分があると思う。どんなに理論上有益な技術であっても、経済厚生の意味で社会に利益があることが客観的に示され、尚且つ利用者に適切なインセンティブが与えられなければスムーズに普及していくことはないのであるから、「こんなに良い技術があるのに」と嘆いている研究者がいれば、経済学の観点からそれを社会に広めていくにはどうしたらよいか考えていくことができるはずである。もちろんその際、資料でも触れられていたように、理論が机上の空論とならないよう被災地の現状を深い次元で理解し現実に即した形で考えていく必要がある。

  29.  研究者として先生方が震災直後にどのように行動をしたのかが書かれていて、一般的なメディアの情報しか知らなかった私としてはとても興味深かったです。研究者として、震災の問題にどう取り組んできたのか、研究の結果と実際の現場での効用をつなぎ合わせて、より実用的にしていく様が想像できました。そしてその中で研究者同士の繋がりが非常に大切だということが実感できました。普段から、研究室の先生方から、研究者同士の繋がりが非常に重要というのはお聞きしていましたが、今までそのことを実感したことはありませんでした。しかs、今回この文章を読ませていただき、研究者同士の繋がりが、自身の研究、またプロジェクトを進めていく上で、非常に重要になってくるということを痛感しました。加えて、現地の人たちの立場、行政に関わる人の立場、そして研究者それぞれの立場についての考えが書かれていて興味深かった。

  30.  正直な感想を述べると、私は今後農業と関わることはないだろうと思っていた。しかしながら、講義を受け、指示された資料を読み、そういう考え方こそが被災地の農業再生の妨げになり得てしまうのではないかと感じた。本来世間に正しい情報を伝える役割を果たすべきであるマスコミ、そして的確な指示を出すべきである行政が、農学や土壌の分野に対して興味関心をあまり向けておらず、土壌汚染についての正確なメカニズムを理解していなかったがために、世間に誤った印象を与え、また農家の方々のためにはならない除染方法の指示へと繋がった、といったことが与えられた資料の中で問題視されていた。これは、そもそも私のように「どうせ関わることはないだろ」という意識を抱えた人間がそのままマスコミや行政の立場に立ってしまったのが、事の始まりなのではないか、と思う。したがって、機会があればこういった講義や講演を聴き、そしてそこで知り得た話を友人や家族らと共有することで、農業や土壌への理解をみんなで深めることに繋がり、それが遠因となって被災地の農業再生につながるだろうと考える。
     また、大学での研究分野は大気化学で、大気中の揮発性有機化合物(VOC)をリアルタイムで測定分析する持ち運び可能な装置の開発をテーマに研究しているので、私自身の研究がそのまま直接的に農業再生に繋がるイメージはないのだが、大気化学の知識が、福島第一原発からの放射能の大気中の移送のメカニズムの理解にはつながるだろうし、もしかしたら私が研究している測定装置のメカニズムやアイデアが、放射能汚染の測定(放射性セシウムの測定など)をより効率的であったり高精度であったりといった方向に改善させることに役立つかもしれない。そういった意味で、一見全く関係がなさそうな分野の研究者(大学や高校の同期や友人など)とのつながりを大切にし、情報を交換していくことが、予期せぬ形であったとしても、被災地の農業再生につながるのではないかと、溝口先生の、勉強会やセミナーを重ねた中で得るものが大きかったエピソードを読んで、そう思った。
     以上、まずは現状を正しく理解し、そして技術的な面で、被災地の農業を間接的に支援できる可能性について述べたが、他にあるとすれば、やはり直接的な支援ではないかと考える。具体的には被災地で収穫された農産物を購入することである。被災地での農業において、除染を進め、安全な農作物を育てることができる土壌を作っていくことももちろん重要なことであると思うが、同じくらい重要なのは、世間に広がる風評被害に打ち勝つことであると思う。そのためにも、まずは自分自身が、スーパーなどで福島県産の農作物を見かけたときに不安がらずに買い物かごにそっと入れることが、被災地の農業再生に対して、一番簡単かつ効果的に、貢献できることなのではないかと思う。

  31.  被災地の農業再生は,被災地における経済の復興,食の安全など,様々な観点から望ま れることである。これを達成するために,私に出来そうな事として,学生としての役割, 卒業後の社会人としての役割に分けて,簡潔に考えを述べる。
     学生として被災地の農業再生に関わる場合,一般的に,それは学業の合間に行う活動に なるかと思われる。したがって,活動そのものに多くの時間を割くことは難しいだろう。 そこで,学生のうちは,被災地の農業再生についての問題意識を養うことが重要と考え る。具体的には,関連する講義,書籍等を通じて,複雑な問題の中から,自分が取り組み たいと思うテーマを見つける作業を行うことになる。もし可能であれば,被災地に何らか の形でアクセスし,現場の声を聞くことが望ましい。そうすることで,何が問題で,その 解決のために何が必要なのかということが,より鮮明になるだろう。
     このようにして培った問題意識をもとに,社会人になれば,被災地の農業と様々な関わ り方が可能と思われる。例えば,先生のように,研究者として科学的に農業再生に関わる こともできるし,国家公務員・地方公務員になれば,行政の側面から関われるだろう。そ れ以外にも,関連するNPO 法人の活動に参加してプロジェクトを立ち上げたり,何らか の組織に属さなくても,被災地の農作物を買い求めることや,募金・寄付等でも,農業再 生に一役買っているのではなかろうかと思う。
     少し抽象的な話になってしまった感は否めないが,学生である私としては,まずは問題 意識をもつことから始めたい。今回の講義は,そのための第一歩としてふさわしいものだ と考える。

  32.  あなた自身が出来そうな被災地の農業再生について、とあるが個人的にこのテーマで大事だと感じたのは、「あなた自身が出来そうな」という部分である。大学に入ってから何回かレポートを書く機会があったが、そのどれもがこれまでの講義で学んだことを用いて問題を解け、だとか○○について調べてきなさいだとかであった。そのレポートを僕が書いてはいるものの、レポートの内容と僕自身に直接的な関わりはなかった。しかし、今回は自分自身が出来そうか、という自己とは切っても切れないテーマである。
     では、自分に何が出来るか。農学部生物環境工学科に内定こそしているものの、ただそれだけ。土壌物理学とか農業土木学とかの素養はほぼないに等しい。農業再生のために何らかの分野で専門家のようにリード出来ることはないとすぐにわかった。
     今すぐに出来ることといったら被災地で生産された農作物を買うとか、被災地にボランティアで向かって現場で肉体労働するとかぐらいだと思った。しかし、そんな自分ひとりで出来ることと被災地の農業再生とはスケールが桁違いなのは明らかだ。自分がスーパーでちょっと被災地産の野菜を買ったぐらいで農業は再生するわけがない。
     ここまで出来ないとか出来そうでも意味があまりないとかそういった考えに至ってしまう。ただの平凡な一人の学生にたいそうなことはできない。ただ、そのような凡人は日本各地に遍く存在する。その一人一人が周りの人々に、自分の見聞きしたことを伝えたりして、運動が波及していけば、一人では考慮するに足らない行いも無視できないスケールになると思う。というか、そう信じて先にあげたようなことを周りに広めつつ自分でもやっていくしかないと感じた。

  33.  まず、用意された資料を読んだ感想から入らせていただきます。僕は今までの人生で「縁」が大事だなぁと思うことがいくつもありました。先生の話の中でも、偶然昔の知り合いから連絡があり、そしてちょうどその時に抱えている課題の解決の糸口になるということ、つまり「縁」による「縁助」が多いと拝見いたします。やっぱりなと思う一方で、ただ「縁」を大切にするだけでは駄目なのだろうということも感じました。その「縁」と「縁」をつなぐインターフェースたる自分が、どれほど出来上がっているか、どれほど現状に対しハングリー精神を持っているかがそれを強固にするのだなと思いました。
     そこで学業に携わる一人としての私が現状の被災地に対し何ができるのかということですが、自然に浮かんだ答えが「何もできない」です。なぜならば、まだ私は自分の中に何か確立したものを持っているわけではないのですから。新しい手法を確立するいわば技術の「生産者」にはなれないわけです。しかし本当に何もできないわけだはありません。技術の生産ができないのであればただの労働力として私は「消費者」になればいいのです。
     そう、つまり私が被災地の農業再生に対してできることは、「までい工法」を実践するグループや、「ふくしま再生の会」に参加することです。それらのグループにコンタクトを取り情熱的な姿勢で活動に参加し、実際現場で出てくる問題のフィードバックをする。まずはそんなところから始めますが、私一人が増えたところでどうにもならないことは初めから分かっているので、はやりのSNSなどで呼びかけボランティアを増やしたり、そもそも民間事業として初めてもいいかもしれません。その場合、利益は将来そこから生まれてくる植物たちからしか出ませんから難しいですかね。
     少し話が変わりますが、以前建築学に興味のある知り合いが話していましたが、東北大震災の時に液状化により被害を受けた場所はまた一から建物を作る口実が与えられたからラッキーなんてことを言ってましたが、この再生事業も同じものかもしれませんね。つまり自分たちで綺麗にした土地なんだからそこから何を生み出し何を始めようが自由なのです。 つまり流れとしては、除染作業が終わるまでは人員の用意に尽力し、そこから新しい農業を始め過疎化している震災前の状態を打破するというものです。新しい農業の話ですが、私にはまだ十分な知識がなくだいぶおかしなことを言っていたらすみません、ビーツなんかどうでしょう。確かにお酒ならば高く売れます、すぐに支出を回収できるでしょう。ブランド野菜を作るというのもわかります。一度当たれば爆発的に売れますもの。しかし私は日本であまり見られない野菜を作ることを考えてみます。料理法も一緒に宣伝すればじわじわと売れるかもしれません。もっと知名度の低い野菜ならば確実なのですが、知らないのでロシアでよく見るビーツというわけです。
     ここまでの話は今から1、2年の話です。もちろんそれ以上の時間が経てば話は別物、私が「生産者」になることもありえます。そうなればよりこの事業に貢献できることでしょう。イノシシを追い払う何かでもいいし、セシウムを吸収しない植物でもいいです。こうして除染が完遂され、利益率の高い事業を立ち上げた東北地方は都会になっていくのです。
     と夢、理想を語ってきたが本当のところ今の私は「何もしない」というのが正解だろう。今まで一切関わってこなかった世界に突入しろという方が鬼畜なのである。ただ今回この話を知ったことで今後一切私が「何もしない」のかどうかはわからなくなった。これからの研究の中でこの現状に何かできると気づき行動に移すかもしれない。結論、被災地の農業再生に対しできることは東大でおとなしく知識を蓄え自分の興味に対し突き進んでいくことである。その将来性には無限の可能性が秘められているはずなのだから。

  34.  東日本大震災から5年半以上が経ったが、これまで私は被災地の復興のためには何もしてこなかったと思う。というより、ボランティアへ行く時間もなく、自分のように知識も何もない学生は復興の力にはなれないと勝手に思い込み、何かできることはないかと考えることから逃げてきたように思える。しかし、今回の溝口教授の講義を通じて資料を読みインターネットで被災地の現状について調べることで、単なる一学生に過ぎない自分にも被災地の農業再生についてできることがあると感じた。
     まず、自分が今すぐにできそうなこととして、福島県などの放射性物質の風評被害に苦しむ産地の農作物を積極的に購入することがある。福島県産の農作物に関しては、震災直後よりは価格が元に戻ってきているが、例えば米はいまだに震災前の価格の3分の2程度であるなど、被災地の農家にとって大きな負担となっている。そのため、積極的に被災地で生産される農作物を購入するとともに、自分の周りの人間にもそのように働きかけることも必要である。
     次に、自分ができることとしてアイデアを提供することを考えた。スーパーで福島県産の農産物がほかの地域のものより安く売られていると、あくまで個人的な意見だが自分としては何かその作物に不安な部分があるのではと考えてしまう。そのため、スーパーは農家から他の地域と同じ条件で農家から作物を仕入れるべきだと考える。そうして売り上げを維持するためには消費者が被災地の農産物を他の地域の農産物と同じ目線で見ることが前提になる。そのためにメディアは被災地の農産物の安全性を積極的に伝える必要があり、また自分もSNSなどを通じて伝えていくべきだと思う。それから、溝口教授が飯舘村の人々と進める「までい工法」は既存の農地を再生する方法だったが、あえて除染を進めずに水耕栽培や人工的な土壌を用いて米や野菜を生産する方法も考えられる。設備投資には莫大な費用が必要になるが、計画的な生産が可能になり、また被災地の安全な農作物を使用することで企業のイメージアップにもつながると考えられ、全国チェーンのレストランなど取引に動く企業は出てくるのではないだろうか。
     最後に、これらのアイデアを活かすためには現地の人々、研究者、地方自治体や政府、一般企業など多くの人々の協力が必要になる。しかし、それらすべての人々に必要なのは実際に被災地に足を運び、自分の目で見て生の声を聴くことである。自分が将来どの立場になるかはわからないが、溝口教授がおっしゃるように現地へ足を運ぶことの重要性を忘れないようにしたい。また、溝口教授の資料にあったように人とのつながりは非常に大切である。自分は人と関わることを今まであまり行ってこなかったが、せっかく大きな大学に入ったのだからもっと積極的に他の人に興味を持ち関わっていきたいと思う。

  35. 0.はじめに
    一連の記事を読んで、震災当時の混乱した状況を少し思い返しています。私は茨城県の県央出身で、東日本大震災当時はまだ中学 2 年生でした。自分の住んでいた地域に直接的に大きな被害はなかったものの、自宅から百数十 km 先の福島第一原発の事故について周囲の大人たちは過敏になっていました。県内のいくつかの農作物が基準値を超えた影響で出荷が停止されるなどしましたが、結果的にはさほど大きな影響はなかったように感じます。そんななか本震から約 5 日後の初の登校日で、福島の事故に対して過剰に心配する必要はない、と堂々と仰っていた理科の先生を思い出し、正しい知識を持つことや学問の重要性を今改めて思いました。

    1. 除染の現状
    現在は大型の機械を用いて表土を除去する方法で除染が行われていて、土壌の特性を生かし農家自身の手で行うことのできる「までい工法」はあまり普及していないそうです。そしてその大きな理由が、工法の採択をする行政の人たちが実際の現場をほとんど分かっておらず、今更の方向転換が難しいことにあるそうです。確かに一度決まったことを覆すのは諸々の事情もあることでしょうから、あまりしたくはないという気持ちは理解できます。しかしながら、国を挙げてベストな選択をすることで復興をよりよい形で実現することが本来目指すべきところであり、それは実際の現場をしっかり見ることで可能になると思います。

    2. 自分にとってできること
    復興には長い年月がかかります。現在は土壌の除染を進めて農業を再開できる準備を進めている段階だと思います。その次には農地で今まで通りの農作物が作れるのか作れないのかの試行錯誤をしたり、全く新しいスマート農業などの取り組みを始めたりするでしょう。
    私はまだ現在の土壌除染に貢献できるような力は持っていませんが、将来的に復興後の新しい農業を作っていく段階であれば協力できるかもしれないと考えています。そのために今自分ができることは、目の前の勉強に真摯に取り組んだり、また分野の違う学問にも興味を持ったりすることだと思います。たとえそれが将来的にどう役に立つのか具体的に思い描くことができなくとも、溝口先生の例のように、どこかで点と点が繋がって線としてつながる瞬間があると信じています。
    しかしながら今現時点での漠然とした目標はあります。私は有機化学の分野に特に興味があり、それが現実に役立つような研究に携わりたいと思い、この専修を志望しました。その有機化学分野の知識を応用し、被災地の土壌で特に有用な農薬や肥料を作ったり、品種改良のプロセスに関わったりなど、新しい農業を創造していく過程に協力したいと考えています。実際の現場で通用するようになるのはまだ先だとは思いますが、とりあえず今は目の前の学問に真摯に取り組んでいこうと思います。

  36.  震災が起こってからというものの、風評被害という言葉を頻繁に耳にする。被災地での農業再生を考えたとき、とりわけ重要なのがいったん被せられた悪いイメージをいかに払しょくするかということである。
    さて、農業再生に必要なことはまずは話し合いである。関係者がそれぞれどのような意見を持っており、またどういった方向性で進みたいのかを互いに知る必要がある。お互いを知ることなくして新たにプロジェクトを始めようとすると近いうちに齟齬が生じて計画がうまく進まないことは目に見えている。
      次に必要なことは一致した意見をまとめて実行に移すことである。この際、技術的な面は研究者などの、計画の実行については行政などの手を借りることになる。 一度落ち込んだ状態から立ち直るには上記の段階は欠かせず、そういった手順がスムーズに進められるように用意しなければならない。
      以上は、被災地の人々が深くかかわっていることだが、それだけではどうにもならないのがイメージである。いったんついたイメージ(レッテル)を剥がすのはこんなことである。 イメージをよくするためには一にも二にも農産物に含まれる放射性物質の濃度を安全なレベルまで低下させることである。できれば、震災前と比べても遜色ない程度まで下げたい。 消費者にとっては、いくら安全だと言われても他の地域の農産物よりも放射性物質の濃度が高ければ買いたくない、食べたくないというのが本音である。とりわけ幼児がいる家庭ではその傾向が強いと思われる。
     悪いイメージは瞬時にして広まるがそれを良いものに変えるには時間がかかる。安心できる農産物を作っていこうという地道な努力を続け、それを皆に知ってもらう必要がある。そのための媒体は豊富にあり、中でも力の大きい新聞やテレビが継続的にその努力を伝えていくことが大切である。同じ日本人として自国の再生を支えるために方策を尽くすのは義務であるとさえいえる。
     本レポートの趣旨は私自身がどのような農業再生をできるかについてであるが、現時点では技術も影響力も何一つ身についていないので大きなことはできない。上に述べたような意見を提示するか、実際に現地に行って関係者の話に耳を傾けるのが精いっぱいである。 私は被災地に出向いたことはないが、だからと言って無関心と決めつけられては困る。震災からの復興を考えたり、関連する書籍を読んだりした。それも直接的な関係はないものの「内なる援助」だと思えば、農業再生に関する書物を読むことも私ができる援助と言ってよいだろう。

  37.  自分は教育学部に属している。そして就職も教師や研究者などではなく一般企業を考えている。したがって、自分が被災地の農業再生についてできることの範囲はとても狭いものだと考える。ボランティア活動で東北へ行って実際に土壌の除染作業を手伝うことが一番効果的で自分の知識、経験からみてお一番現実的な方法だと思うが、正直なところそのような活動をしたいと感じたわけではないし、今後そのような活動をするとは考えにくい。したがってそのような書きやすいことをこのレポートに書くことは無責任な考えなのでしないことにする。
     そのような条件の中、農業再生について自分が何ができるのだろうか。資料を読んで自分が関われるとしたらゼネコンなどの職種につけば職業として土壌の除染作業にかかわることになる。その際に表土削り取り法に基づいて作業を行っていると思うが、研究者との会議を設けてより経済的、効率的な方法があるのなら、その方法を採用して実際に作業をすることや、農林水産省に入って溝口先生と提携して先生の凍土の剥ぎ取り法やまでい工法などを新しい方針として設けることなどが考えられるが、自分はゼネコンにも農林水産省にも就職するつもりはない。非常にこの課題は難易度の高い課題だと感じる。
     そもそも先生が土壌物理学に興味を持った理由も卒論に追われて実験が遅くなった結果温度の急激な変化の理由を捜したところ霜柱が原因だったという偶然によるものだった。なのでもしかしたら自分にも同じように偶然何かが起きて土壌物理学にものすごい興味を示すかもしれない。それは違う学問であるかもしれないがそれはそれで構わないと考える。そうしたらその学問を究めることで農地再生にかかわれるようなアイデアが生み出されるかもしれない。
     今までの話をまとめると、現時点では自分は直接的に被災地の農地再生にかかわることはないし、将来的にこのような事業にかかわる予定はない。しかし溝口先生のように何が転じてこの学問に興味を持つかわからない。持たないとしても何かしらの関連性を持たせることができるかもしれない。したがって今自分ができることはいつかそのような転機が訪れることを信じて知識を身につけることが大事なのではないかと考えた。

  38.  自分は去年(教養学部一年の時)にボランティアとして南三陸町に赴き、中学生の学習支援を行った。これは、大学生として何か出来ることはないか、という思いからの行動であるからと共に、震災の爪痕が残る被災地を自分で見ておきたい、という思いもあった。
     しかし、恥ずかしながら普段農学部の生徒として授業を受けているにも関わらず、それを具体的にどのような形で被災地に応用していくか、ということは考えたことがなかった。
      先生が出した課題は「自身が出来そうな被災地の農業再生について述べよ」というものである。農学部の生徒としては学んだり研究したりして身に付けた専門知識を持って問題解決にあたるべきなのであろうが、今年の秋から農学部の授業を受け始めた自分には解決のための手法を提案するだけの知識や専門性は無いように思うので、資料を読んで考えたことを元にしつつどういった態度でこれからの講義や研究に臨めばよいのか考えてみたいと思う。  指定された資料を読んで印象に残っているのは溝口先生の被災地との関わり方である。一つ目は現場主義の考え方である。
     先生は震災が起こった直後から研究者として自分たちに出来ることはないかと勉強会を定期的に開いたりしつつ、実際に現地へと赴き、現状の把握に努められた。この姿勢は将来研究者になるに当たり見習うべき姿勢であると思う。自分が普段している研究を、何か災害などが起こった際に活かせる方法はないか、と模索する。その際に机上の空論で済ませたり現状にそぐわない見当違いなことをしないように実際に現地へ赴き現状を確認する。当たり前のように聞こえるかもしれないが、実際に行動に移すのは簡単なことではないと思う。ただ研究や論文を書くためではなく、本当に問題を解決したい、という熱意をもって取り組むことはエネルギーを要するように思う。研究者として、普段自分がしている研究を本当に困っている人のためにしかるべき時に応用する、そのような研究者になりたいと思った。
     二つ目は「人とのつながり」である。
     資料の中で研究者ネットワークに助けられて放射線の標準線量計を貸してもらえたり、セミナーを開いてもらえたり、センサーなどを寄付してもらうことができた、と書いてあったが、研究者同士、さらには異なる分野の人とのつながりも大事であることを再認識した。研究者同士のつながりがあれば専門性を駆使して問題により効率的にアプローチできるかもしれないし、何らかの機械や機会を提供してもらえるかもしれない。異分野の人との関係も間違いなく役に立つと思う。近年の環境問題などは様々な要因が絡み複雑であるため、たとえ農学的なアプローチを用いたとしても完全に問題を解決することは難しいかもしれない。例えば、農学的観点から「までい工法」のようにシンプルかつ効果的な除染方法を考え付いたとしてもそれを認知してもらう、また行政に認めてもらうにはネットでの広告にたけた人や、行政に働きかけることのできる役人の知り合いがいたほうがスムーズに進むかもしれない。
     また、現地の人とのコミュニケーションも非常に大事だと感じた。ただ論文を書くため、等ではなく、本気で問題の解決に取り組んでいなければ現地の人はすぐにそれを見抜いてしまう。現地の人々に溶け込むための心づもりをエリート意識といったようなものを捨てつつ作っていく必要があるだろう。現地の人の立場に立って物事を考えることも大事だと感じた。専門的な原理を説明する際などに身近な例を使って分かりやすく説明する努力をすることもその一例だろう。  今まで書いてきたことは、今自分ができることではなく、被災地の農業再生に貢献できるようになるために(勿論他の事に取り組むにあたっても非常に重要なことだと思う)これからより専門的な講義を受け講義を受け研究者になるにあたり意識していきたいと感じた態度や考え方である。このような態度や考え方を忘れずに研究者として被災地に貢献できるようになりたいと思う。

  39.  農学の研究者には、農業を取り巻く様々な視点を持ちながら、実地に基づいた研究が求められ、また、研究者は自らの研究がどこで実地の農業問題の解決につながるかというアンテナを張っている必要があるのだと感じた。そのアンテナの感度を上げるためには、その研究分野に関する基礎を学ぶこと、常にその時自らが取り組んでいることの意義はどこにあるのかということを明確化しておくことで、現実の問題と結びつける糸口をしっかりと握っておく必要がある。
     「20歳だったらやってみたいこと」と前置きして大変興味深い土壌オタク育成の展望を語られていたが、それは先生のような権威になってしまったらできないことではなく、権威だからこそ実現できることなのではないかと思われた。溝口先生は小学生から研究者の卵を育てる教育に関心がおありのようだが、研究者を育てる上で最も重要な役割を担っているのは今も昔も大学であると私は思っている。先生は大学教員という立場にいらっしゃる今、自ら選んで農学部に進んでいながら、講義に身の入らない学部の学生たちに対しては匙を投げていらっしゃるのだろうか。ご自身のように学部時代は部活をはじめとする学業以外のことに打ち込んでいても、学生それぞれに研究に目覚めるときが必ずあると信じてくださり、そのときのために、今はご自身の研究者としてのスタンスを伝えることが最善とお考えになっているようにも思えた。確かに、さまざまな専修に所属する学部生に対してオムニバスで各教授の研究内容を淡々と紹介するだけの講義をされても、その内容を正確に受け止めるだけの素養が学生側にはないかもしれない。そのような状態で講義を受けっぱなしにするのではなく、このようなレポート課題を通して、先生のメッセージを受け取り、そのメッセージに基づいて講義の内容を自分の中に位置付けるプロセスを持つことができたのはとても有意義であったように思う。

  40.  『クリスマスイブの霜柱』を読んで、今思っていることや、想像している未来は、将来全く違うものになるかもしれないのだな、と思いました。私は去年駒場で放射線環境科学の授業を受け、溝口先生の授業を一度聞いているのですが、そのときには農学部獣医学課程に内定するとも、また溝口先生の授業を受けるとも思っていませんでした。
     被災地の農業再生についても、獣医に進学する私にとってはあまり関係がないのではないかと思っていました。しかし別の授業ではありますが、獣医師の先生の講義で、獣医師の活動の中にも災害対策活動というものがあることを知りました。災害時の獣医師の役割として、飼い主とはぐれた伴侶動物の保護のイメージが強かったのですが、被災地の産業動物の扱い、特に東日本大震災においては被爆した家畜の殺処分や飼料の除染などにも、多くの獣医師が関わっていたことが分かりました。この活動は現地の産業動物獣医師だけではなく、全国の(産業動物獣医師に限らない)獣医師が応援に行ったそうです。このことを知って、私も将来何らかの形で被災地に関わるかもしれないと思いました。そのときは、被災地の、主に畜産の復興に少しでも役立つことが出来たらと思います。
     『自分の農地を自身で除染したい百姓魂』で、研究者同士のつながりの大切さ、という箇所が印象的でした。さまざまな方面の知人が、意外な場面で助けになってくれるかもしれないと思いました。同時に、知人が困っているときに助けになるような人になりたいと思います。このように、被災地の農業再生に携わっている誰かの力になるようなかかわり方も、被災地支援の形の一つなのではないかと思います。また、リスクコミュニケーションはコミュニケーションがうまくいかなくても信頼関係が重要である、ということも今後忘れないでいたいです。研究者や行政などの立場では、理論上の正しさを伝えることは出来ても、被災地の実際の状況を踏まえた策の提案はなされにくいのではないかと思います。しかしそれでは被災者の方にとっては実用的ではないし、なかなか実践されないでしょう。正しい情報を広めることは研究者としてもっとも重要なことだと思いますが、伝える相手の現状を知り、実際に関わり信頼を得ることで、より親身な提案が出来るし、それによってさらに信頼関係を築くことができると思いました。被災地の復興、農業の再生、といっても、従事しているのは人なので、人対人の関わりが重要であると思います。
     将来被災地に獣医師として関われたら、と上述しましたが、復興に関わりたいという気持ちと行動力さえあればどんな形であれ力になることは出来ると思います。今回の授業や、そのほかの農学部の授業で学んだ正しい知識を利用して、自分に出来る形で農業再生に関わることが出来ればと思います。

  41.  私自身も、また、友人や親族も、震災で大きな被害は受けたことがない。そのためか、テレビやニュースで報道される乱れた交通情報やライフラインの状況などしかわからない。また、放射線で土壌が汚染されている、ということは聞いてもそれがどういうことなのか、どのように問題があるのか、どのように対処したらよいものなのかそれはわからなかった。調べようともしていなかった。「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」というテーマを提示されて初めて私が何も知らないことにハッとするほどに無関心であった。
     私自身にできること、それはまず自分自身が関心を持ち、調べること、そしてそれを家族や友人に広めることだと考える。SNSが普及している現在、これには大した費用も労力もともなわない。広めることで協力者が増えること、その中に何か良いアイディアを出せるひとがいることが期待できる。また、その人がさらにその知り合いに拡散してくれることもあるだろう。ひとりひとりが正しい知識をもち、「なんとなく」の悪いイメージに惑わされなくなればさらに、被災地で生産された作物に対する風評被害を和らげることも期待できる。
     次にできることといえば、実際に現地に行って、農家の方々やその関係者のお手伝いをさせていただくことだろう。たいていの人は自分の学業や仕事が忙しいので実現は難しいと思われる。しかし、いくらインターネットや本で調べてみても、得られる情報には限界がある。実際に自分の目で現状を見てみなければわからないことは多いと思われる。短期間でも現状をみて、現地の方々から話を聞くことでまた何かすべきことがみえてくることだろう。機会があれば行ってみる価値はあるであろう。その体験から得たことを先に述べたように広めることで身の回りの人の関心をひく効果も期待できる。
     最初に述べたように、一番問題なのは被災しなかった人々の無知、無関心だと私は考える。マスメディアの偏った情報だけをうのみにする状況を脱することが大切だと思った。

  42.  私は震災後の2012年夏、被害を受けた岩手県、宮城県、福島県に足を運んだことがある。家族で「観光」としての訪問であったが、私が「どうしても今の東北の状態を目に焼きつけておきたい。なんと非難されようとも今『見に行く』ことをしないと一生後悔することになるから。」と頼み込んで実現したものだった。震災から1年以上経っていたが、散乱した「がれき」はなくとも津波に襲われた海岸域には目を疑うような光景が眼前に広がっていて、福島の観光地では観光客が減っていることを現地の人に聞いた。他にも、ニュースなどの報道で得るものよりもリアルな記憶が、「観光」というものではあったが今でも残っている。
     それから4年以上が経った。当時高校生だった私は大学生になった。被災地を高校の夏に見に行った以降、一度観光で仙台を訪問した以外東北に足を運んだことはなかった。復興に貢献したいと漠然と思っていて、震災に遭った地域の食べものをよく選んで買っていたこと以外、特に復興の力になることはやっていなかった。
     2年生の後期になった。農学部に進学した。震災に関連した内容の講義も多数あり、私が今まで知らなかったこと、思い込んでいて間違っていたもの、知ろうとすらしなかったもの、たくさんのことを知らされた。作物や土のこと。放射線についても、福島の農業の現状も、津波の被害を受けた土地の科学的なことも、本当に知らないことばかりで、自分の無知さに驚くばかりだった。完全に現実から目を背けて、現実を「知っているつもり」になっていた。行動もしていなかった。恥ずかしかった。
     課題の資料を読んで、私は大きな感銘を受けた。震災を受け、溝口さんはじめ多方面の方々が、自分には何ができるのか、やるべきことは何かを、メディアの情報や行政の状況に惑わされることなく考え、実際に現地と向き合って取り組んでいく姿、たとえうまくいかないことがあっても信念を持って続けていく、そしてその情熱と姿勢が同じ目標を持つ異分野の人をも巻き込み、つながり、さらに大きな成果を上げていくこと、その本来「当たり前」であるべきことをひたむきにやっていることに、大きな感銘を受けた。溝口さんが考えてらっしゃることが、私の抱いていた大学の先生に対するそれとかなり違っていて、私にはとても新鮮に感じられたし、そのような科学者、大学の先生や研究者がいらっしゃることを全く知らなかったということも大きかった。科学者としてだけでなく、東大生として、そしてこれから様々な立場の様々な人と関わり合いながら生きていく上で、参考になることもおっしゃっており、とても参考になった。
     では私は、被災地の農業再生のために何ができるのだろう。残念ながら、私はまだまだ農学の基本も、その他最低限必要な知識も、まだまだ持ち合わせていない。専門的なことも身についていない。具体的に今農業再生に携われることとしたら、被災地で育った農作物を選んで買ったりすることだけでなく、これまで農学部で得た知識を、直接人と話すだけでなくSNS等で共有したりすることが考えられる。得た知識を自分だけに終わらせず人に広げていくことが、地道ながら力になると考える。また、やはり「ヲタク」になりたい。自分のフィールドで、他には負けない独自の「力」を持てるように、もっと物事を知り、そして自分が好んで進んだ学科で専門知識を身につけ「ヲタク」になり、人と繋がっていくことが、次の「災害」が起きた時にも大きな力になると、そう考えるからだ。

  43.  私自身が被災地の農業再生のためにできることは、まず正しい知識や情報を得ることだと感じた。どのように除染をしているか、それがなぜ有効なのかなどを私は全く知らないということを、資料を読んで感じた。被災地の現状の汚染具合はどうなのか、除染はどのような原理に基づいて行われているのかについて深く知っておかないと、農業再生について助言をすることができないため、それを身に着けるのが第一だと思う。また、そうして身に着けた知識を周りに教えることで、被災地に対する周りの思い込み、誤解などを解消でき、それはやがて間接的に被災地の農業再生にもつながるだろう。だから、まずは被災地の状況や除染のメカニズムなどに対する理解を深めたい。
     また、資料を読んで、実際に役立つとは思わず、ただただ興味が湧いただけでやっていた土壌の凍結に関する研究が、被災地の農業再生、表土削り取りにつながったことが印象に残った。これは凍土に関して研究を続け、何かとその研究を活かせないかと考えるほどに、凍土に興味を持っていたからできたことのように思う。だから私が大学で様々な分野について勉強して、自分の興味を持てる分野、熱意をもって研究できる分野はどこかを探すことも、被災地の農業再生に貢献できる機会を与えてくれることなのではないか、とも感じた。
     そして、今できることなのかはわからないが、いろいろな人と繋がりを持っておくことも大切だと感じた。今ではまだ被災地に赴いたとしてもボランティア程度しかできないが、将来私がもし自分の研究を被災地に生かせると判断したとき、研究者仲間など被災地の人の協力は不可欠だからだ。資料を読んでいても、地域の研究者仲間や、ふくしま再生の会の人々など、多くの協力を頂けるとよりことが進みやすいことは理解できた。そのためこれからはそのように人脈を広げられるように努力したいし、それも農業再生につながると考える。

  44.  自分ができそうな被災地の農業再生についてであるが自分は東日本大震災以前も以降も福島へは足を踏み入れたことがないので実際にどのような状況であるかが身をもって体感したことがない。しかし農学における様々な分野の授業を受けて思ったことは様々な手法から事態を収拾しようとなさっている先生方がいることである。溝口教授ももちろんのこと作物の観点から問題解決を図ろうとする先生、森林の分野からアプローチを図る先生など様々でありこの放射線における問題が複雑なものであることの表れであろう。そういった中で自分ができることは少ないと感じるしそれはつまりまだまだ自分の至らなさを痛感する点でもあるがこの授業もそうだし他の授業でもそうであるが必要なことは自分が体感してみるということである。フィールドワークの重要性について自分のいる専修では学んだと感じる。それはもちろん途上国における開発援助の際にも必要なものであるが被災地における復興支援にも言えることであるような気がする。被災地の方々がどのようなことを望みどのような援助を求めているかは実際に現地ないし被災地の方々が住んでいらっしゃる所へ赴かなければ判明しない。そういった意味でも実際にその地に赴いて何かしらの行動をすべきであるように思えてくる。しかしながらそういった機会はまだ訪れていないので今現在何ができるかについては風評被害を減らすということであろうと考える。5年たった今でも風評被害は根強いものと感じることが多い。それは少なからず差別につながるようなことであるし許されるものではないが放射線の影響を学習している今だからこそ現地であっても農業ができるし人体にも影響が少ないことを発信していくべきであるように感じる。これは遺伝子組み換え食品についてもいえることであろうが少なからず我々日本人は新たな存在、異分子に関してはどうしようもなく拒絶してしまうものであるように感じる。そこを取り除くうえでも何かしらの風評被害防止の情報発信は少なからずできるのではないかと考える。また将来についてはもし被災地に赴くことがあるならばそこで東大で学んだ知識を活かして実際に農業をやってみて被災地だからこその安心安全を主としたブランド作物を栽培するのも面白いかもしれないと考えてみたりした。

  45.  福島産の農産物に対する不信感を持っている人はどれくらいいるのだろう。自分の周りの人で考えればそれほどいないが、そもそもそのような話題になる事自体が少ないし「福島のコメはやばい」などと公言はしてなくても内心では安心できない人は少なくないのではないかと思う。食べて応援するにしろしないにしろ根拠を持つことは大事である。放射性物質が体に及ぼす影響はそれほど短期ではないし匂いを嗅げばわかるものでもないから安全なのかそうでないのかわからないのなら安全ではないという仮定をしたほうが後悔が少ないという考えもうなずける。実際、多くの人々は福島産の食べ物は安全なのか安全でないのかよくわからないと考えていることがほとんどだと思う。妄信的安全論者にも妄信的危険論者にもならないためには自分で除染の仕組みや除染処理を受けた農産物の流通の流れを理解することが必要だろう。安心感を得るには自分の手で情報を集め考えるしかないからである。そのような意識を多くの人々に持たせるにはどうすればいいのかについてはよくわからない。自分がそのような食の安全に対する包括的な知識を得るための努力をするとも思えない。

  46.  自分でもできそうな被災地の農業再生について、ということであったが、参考資料を読んだ感想としては、専門的な知識が圧倒的に不足している状態では最善な貢献ができず、効率が悪いと感じた。被災地の農業再生に貢献しようという気持ちを持っていることはもちろん重要であるが、効率よく貢献しようとするのであれば、専門的な知識を十分に持っている人の手伝いをするほうがいいであろう。この手伝いには二つの方法がある。一つは、実際に作業に同行するなどして手伝うことであるが、これは誰にでもできることではない。ある程度の人脈と行動力が求められるうえに、参考資料を読む限り、同行するにはある程度まとまった時間をとる必要があるため、運動部に所属している自分には実行が難しいと思われる。一方で、二つ目の手伝い方は、正しい情報の拡散である。ソーシャルネットワーキングサービスが広まっている現代において、情報を発信することは決して難しいことではない。しかし、インターネットが普及しているからこそ、多くの人がどの情報を信用すべきかを考えていたり、無意識のうちに間違った情報を正しいものと誤解している場合がある。実際、自分も被災地の現状については詳しく知らないうえに、なんとなく危険というイメージを持っているだけでどんな改善を施すべきかについては分かっていない。そんな自分が発信するべき情報は、メディアなどが報じている内容のうち何が正しくて何が誤っているのか、被災地の農業再生のためにどんなことが自分たちにもできて、どんなことはすべきでないのかを専門家の意見を聴くなどしてしっかりと調査してから発信するべきである。このような調査があってこそ信用される、説得力のある情報を発信できるはずだ。

  47.  今回のレポート課題である、自身で取り組むことができそうな被災地の農業再生について考えてみると、自分の取り柄と言えることは2つあり、体を動かすことが好きで体力がそこそこあり根気よく作業ができること、周りを巻き込んで協力を得ることではないかと思う。
     なぜかといえば、自分は部活をしており、体力には自信がある。日常的に日雇いの家具運びのバイトをしており、長時間の肉体労働を協力して行うことができるのではないかと思う。加えて部の主将を務めていた経験から、新しいことを周りに提案して実行していくという経験を多く積んできたし、部活の内外で自分のことを信頼してくれている仲間が多くいるので、小規模でも仲間をつのれるのではないかと思う。
     実際に何をやるかについては、最近NHKのドキュメンタリーで知った、被災地で深刻化しているペットの野生化などを含む獣害の問題を解決するために手伝いが出来るのではないかと考えている。特に高齢の方などは、その労力以上に野生化した動物に対処するのに単純に恐怖感があるのではないかと考えられるし、自分自身動物が好きなので、凶暴化して暴れているペットの姿を見て非常に心が痛んだ。動物たちの捕獲や移送などの手伝いをして、再び被災地で動物と人間が共生できるようになれば非常にやりがいのあることだと思う。
     提示された資料を読んで感じたのは、現地の人に信頼されることの重要さ、コミュニュケーションの重要性である。決して軽い気持ちで来ているわけではなく、自分たちも信念を持って意味のある有意義な貢献を被災地に対してしに来たということを、言葉と実際の働きぶりで分かってもらうことが何より重要だと感じた。

  48. 意見:宮城県民なので、東日本大震災の際は毎日恐ろしく、思い出の場所を津波で流されたことには悲しみしかない。被災地の復興を盛り立てたい気持ちは当然ある。今でも、事あるごとに、「今日明日に突然地震が来るかもしれない、今何をしておくべきだろう」と考えるし、正月などに家族で集まると、必ず一回は地震の話をする。
    しかし、東京で生活していると、震災から5年が経過したせいもあるのか、総じて周りの人間の関心が薄い。高校卒業後も東北に住んでいれば、復興を考えるのは当たり前のことだと、ずっと思い続けていたであろう。東日本大震災に対するプライオリティーが低い人間が、世間にはゴロゴロいるということに、気づいていなかった。 なので、先生が感じていらっしゃる「当事者意識が低い学生」への不満は、私にも少々あるが、一方で、問題意識が持てないことは仕方がないことで、あまり責めなくても良いのではないかと思う。
    私としては、まず、「復興は誰にとっての問題なのか」を明確にしておきたい。それ以外は、仕方がない。仕方がないとはいえ、被災地の実態に関して、明らかにいびつで誤った情報が流布するのは極力防ぎたいので、説明できる機会には、
    1. 被災地の実態
    2. 目指すゴール
    3. 疑念・不安の軽減
    を、自分の立場で説明できるようになりたい。

    資料を読み、「農業再生は飯館村のみの問題にあらず、日本の農業全体に及ぶ問題」の主張には同感である。また、農業再生の方法としてスマート農業の導入を提案されていたことが印象に残った。だが待ってほしい。そもそも当事者意識の低い者としては、
    “まず、日本の農業の目標って何?それで、一体、目指すゴールは復旧なのか、新生なのか?” という議論が盛り上がって欲しかった。先生が、「廃炉作業は後3、40年かかる」と言われていたように、次の3、40年は私が農業再生を盛り立てる番であるが、今や日本の若者はほとんど農業から遠ざかってしまっているし、社会情勢を見れば、日本の農業が安泰でなくむしろ危機的状況にあることが察せられる。せっかく農業を再興するなら画期的なものを、新生するなら企業を誘致し新たなまちづくりを期待している。ただの復旧では終わってほしくない。

    農業を再興する場合、「儲からない」懸念と「担い手がいない」懸念を早急に解消したいところであり、スマート農業は打開策として有力なアイディアだろう。「儲からない」を打破するには、技術や経営の観点(または政策面)で、もっと良い方法が必要だ。私はちょうど今生物・環境工学の学生であるので、もっと高効率・高収量の栽培方法を研究し、収益を改善したい。 あとは不利な風評がなくなればもっと供給を増やせるのだが、簡単ではないだろう。私にできることは、自分の判断で決めることくらいだ。
    個人的な体験だが、昨年か一昨年、事故後初めて福島の桃を食べた。実家に帰った時。食後に母が剥いてくれたから。そのきっかけがなかったら、今でも頑なに拒んでいたかもしれない。桃は、間違い無く美味しかった。それまで食べた桃の中でも、一番か二番かというほどに。 そう言って、知り合いに桃を剥いてやろう。その後は本人が決めれば良い。
    「担い手がいない」点はもっと重大な問題だ。思うに、後継者不足も、風評被害も、さらには補助金への批判も、すべて我々が農業に関心を持たなくなり、「当事者意識」を欠いたせいで起こったのだろう。
    すでに上で述べたが、担い手を引き付けるためにも研究に精を入れたい。農家とは経営者であるから、旨みがなければ食いつかないのは当たり前なのだ。
    後は、農業に価値を認めてくれる人を、どれだけ増やせるかにかかっていると言える。私にしてみれば、農業が大事で必要不可欠だということは当たり前なのだが、人によって思い入れの程度に大小があるのは仕方がないことだ。 つまり、結局、風評被害解消法の件もそうだが、私にできることは現在の農業に危機感を持っている同類を集めることだ。同類はいないのではなく、散らばっているだけだと信じたい。

    最後に、やはり被災地の再生の中心を担うのは被災地の人間であると思うから、私は間接的な手段でしか応援することができないだろう。しかし今後被災地において、不満に思ったこと・納得できないことが起こったら、私も先生のように直接現地へ行き、復興の一助になりたい。




講義内容  みぞらぼ
amizo[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2016.12.15)