土壌圏の科学17レポート



土の凍結(2017.11.1)
担当: 溝口勝

レポート課題


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。
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レポート課題

  1. 被災地の農業再生は、私たち大学の研究者だけではなく国や企業の研究者も取り組んでいる課題である。規模や予算で比較すると、私たち大学生が出来ることはかなり限定的だと私は考えていた。だからこそ、資料に「大学は比較的自由《と書かれているのを見て、「自由に研究出来る事《より「研究に費やせる資金が充分である事《を優先して考えていた事を自省した。そして、他の研究機関に比べて行動に自由がある事に着目して「自分にできる事《を探す必要があると考えた。
    被災地の農業を再生するとあるが、果たしてそれはどのような状況を指すのだろうか。被災前以上の環境を整備できればそれで良いのだろうか。恐らくそれは違う。農業が食糧を生産する業であるという性質上、作る人間や食べる人間が被災以前の生活を取り戻せなければ、「農業再生《とは呼べないだろう。なら私たちは何ができるか。政策の絡む国ではなく、利益を出さなければならない企業ではなく、大学生の私たちに何ができるか。そう考えると私たちに出来ることは、現地で生活している方々が「以前の生活を取り戻すために研究機関に求めている事《に耳を傾けることに尽きるように思う。
    私は東北の震災当時は別の地方で高校生をしていた為、恥ずかしい事に被災地が求めている事がよく分かっていない。こちらが善だと思っている事を押し付けるのではなく、自分にできる事と被災地の求める事を照らし合わせた上での判断が必要なのだと感じた。

  2.  先生の提示された資料を読んで、福島には農地再生に前向きで積極的な地元の人たちがたくさんいる、ということを知った。大学で研究をする人たちは、ずっと現地にいるわけにはいかない。基本的に、東京に住む大学生としてできる手伝いというのは、東京にいながらでき、それが現地の人たちがより活動しやすくなることを目指したものがいいのではないかと考える。
     遠方から支援をするにしても、実際に現地に足を運ぶことは必要だと思う。そうでないと、現地には何があって、計画の実行のためには何が足りないのか、足りない何かの代用となるものはあるのか、ということを把握することができない。そうして、後で物資を調達する手伝いはできるかもしれない。とはいえ、私はいまだ一度も被災地を訪れたり、農家の方とお話をしたりしたこともなく、またこの秋に農学部の勉強を始めたばかりで知識も乏しいため、具体的に何によって支援したらいいのか、今の時点では分からない。ただ、福島では様々な除染方法が試されていると聞いた。このような作業は過去に前例がなく、新しい方法を発明しながら試行錯誤されていることと思う。新しいものを造り出す、というときに必要なもので、私が真っ先に思い付くのは資金である。すぐ金の話をするのは私の癖で、品がないと思われるかもしれないが、それでも金は大事だと思う。新しい設備を揃える、機器を開発する、人を雇うなど何かのプロジェクトの実行の際には必ず必要であるし、また金銭面での上安は精神的な余裕、やる気に直接影響すると、私自身の経験から言える。福島で活動されているグループの経済状況について、私は存じ上げないが、もし金銭面で困難があるならば、資金集めなら東京にいながら貢献できそうである。今は、クラウドファンディングなどインターネットを通じて必要な資金を募集する手段がある。こうして集めた資金で農地を再生し、再生した農地でとれた野菜などを資金提供者に送るのもいいかもしれない。このようなことを思い付いたのは、ある友人のことを思い出したからだった。その友人は高校の同級生で、今は私が夏や冬に帰省した際に同級生みんなで集まったときに話す程度だが、SNSで繋がっているので近況はだいたい知っている。それを見ていると、彼が福島の農業についても含む社会問題に高い関心を持っているようで、よくそうした話題について自分の意見を述べたり、他の人の意見を紹介したりしていた。私などは偉いなあと眺めているだけだったのだが、今回このレポートを書くにあたり、この話題に興味を持つ私の友人のような人たちは、被災地から離れたところにもいるのだと思い当たった。こうした人たちは被災地を支援したい気持ちはあるのだろうが、直接ボランティアをするのは時間などの事情から難しいという人が多いと思う。だから、インターネットを通じての投資は、時間の点でハードルが低いので有効なのではないかと考えた。
     また、資金ではなく、実際上の様々な問題に直面した際に広く一般から解決策を募る、ということもできるかもしれない。もちろん、一般の人たちに専門的な知識を必要とするような案は出せないかもしれないが、先入観がない分、専門家や農家の方が思い付かないようなアイディアが見つかるかもしれない。また、こうすることで、被災地の状況を広く知ってもらえるという利点もある。意見を集めるだけでなく、必要な情報を提供するホームページを作る(私が知らないだけでもうあるのかもしれないが)と、さらに相互作用が強まるだろう。
     ここまで現時点での私の意見を書いたが、私は今の行政上の制度や福島で活動されているグループの状況に関して、あまりにも無知であるので、何か的外れなことを述べたかもしれない。ただ、言いたかったのは、私のような一大学生でも、地元の人たちと、彼らを支援したい遠方の多くの人たちを繋ぐ場を提供することは可能なのではないか、ということだ。大学生という身分は、様々なしがらみや制約から自由であり、そうした立場だからこそできることがあるのではないかと、今回初めて考えた。

  3.   この授業を受けるまで自分は福島の復興は他人事のように感じており、「自分なんかにできることはないだろう《とそんなふうに思っていました。しかし、そのような気持ちでいるのではなく、何か自分にできることはないだろうかと念頭に置きながら生活するべきだと、今は感じています。
     私の祖父母は福島県の農家出身で、毎年、夏休みには祖父のお墓参りに福島に行きます。親戚の家の周辺の屋根は地震で壊れており、ブルーシートで覆われていました。しかし、震災後、一番辛いのは壊れたものの修繕ではなく、農作物の風評被害だそうで、やはり震災後から放射能汚染の影響で作物が売れなくなっているそうです。僕は当時、放射能に関する知識は無かったので、福島の農作物は怖いとさえ思っていました。今は、大学の授業で放射能について学んだので、福島の農作物に危険性はさほどないことを知っています。しかし、一般の人々はほとんど放射能について勉強することはなく、メディアで詳細に放射能について報道することも少ないため、昔の自分のように福島の農産物を誤解しているのではないでしょうか。もっとメディアが取り上げてくれればいいのにとも思いますが、そこは人任せにせず、自ら大学で学んだことを周りに発信していくことが大事であると考えました。家族や部活の人に話し、徐々に広まっていくことで、少しでも風評被害が無くなればいいなと思います。
     私は農学部で食糧問題にも関係した研究をしています。この研究や途中で身に着ける知識がいつか被災地の人々の役に立つ可能性もあるので、一生懸命に取り組むことも今自分ができることの一つだと思います。しかし、知識だけ身に着けてもだめだと思うので、次の夏に福島に行くときは、色々なところを見て回ったり、親戚を手伝ったりしたいと思います。

  4.  最初に、添付して頂いた資料を読んでみて感じたことを述べたいと思う。まず一番強く共感したのは実際に被災地を訪れることの重要であるという考えだ。私自身、震災から5年以上の年月が経っていながらまだ一度も被災地に足を運んだことはないが、幸いにも似たような経験をさせて頂いたり、実際に被災地へ足を運んで活動に参加した方の話をお聞きする機会が何度かあった。私は、農村地域と連携して地域創生に取り組むサークルに所属しており、今までに何度もその場所に実際に足を運び、自分の目で風景や暮らしの様子を見て実際に地元の方と交流してお話を伺ったり、その地域の問題について協議したりするといった活動を行ってきた。地方創生に取り組む上で、実際に現地に行かずして住民が抱えている問題について完全に理解して、自分のことのようにその問題を深刻に捉えることはかなり難しいと考えられる。私も、お話を伺うだけでなく何度も直接足を運んで現状を確認して初めて、生活する上での問題点について理解できたし、地元の方と同じ立場に立って解決策を考えられるようになったように思う。もちろん被災地での問題と私が関わっている地域の問題の種類は違うが、問題を正しく認識するためには必ず実際に足を運んで直接自分で確認し、その地域の人と同じ気持ちで解決に取り組む姿勢が大事であるという点は共通していると思う。
     また、資料を読んで再認識したことは、被災地の復興のような大きな事業を行う時には、一見すると問題とは関わりのないように見えても思いがけず違う分野の知識が役に立ったりするということである。いろいろな専門の人が解決策を考えると、自分には全く考えもしなかったアイデアを他の専門の人が提案していて、実はその方法がかなり有効だったなどの発見があるように、いろいろな背景を持つ人の意見を集めることが大切だと感じた。
     これらの、資料を読んで感じたことを踏まえて、私の立場で被災地の農業再生のためにできることを挙げてみたい。まず、私は駒場での土壌についての授業や今回の土壌圏の科学の授業を受講して土壌についての関心が深まったので、積極的に雑誌や新聞の記事などを読んだりして、被災地の最新の情報を収集するように心がけたいと思う。被災地の農業についての知識があると、農作物の安全に上安を持っている人たちに分かりやすく現状を説明することもでき、風評被害の緩和につなげることができるだろう。またデータを集めたりするのに必要な作業の中で専門家ではなくても基礎知識があれば手伝えるものがあれば、周りの人にも声をかけて積極的に協力することもできるだろう。さらに、先ほども言及したが被災地の農業を再生させるには土壌物理学の専門家だけでなく、他の分野の専門家やひいては大学生なども良い解決法を見つけ出せる可能性がある。つまり多様なバックグラウンドの人が集まって協力すれば、より目の前の問題に柔軟に対応できるようになることが期待できる。具体的に言うと、一見自分の専門とは関係のない分野に見えても、視点を変えて何か方法を考えたり、何か他の年代の人とは異なる、大学生らしい視点からの意見を考えるなど、自分だから出せる意見は何かという視点を持つように心がけたい。
     そして、もし機会があれば実際に福島にも足を運んでみたい。私がサークルの活動に参加して実際にその地域と長い間関わることでかなり考えが変化したように、私の福島についての認識も変化があるだろうし、私の立場で実際に何ができるか、何をするべきかがより明確になるだろう。また、被災地の中でも若い世代が少ない地域では大学生などの若い人々が現地を訪れることは、地域の方々を元気にするよいきっかけになるなどといった利点もある。
     このように、専門的な知識を持っていなくても、現地に行って現状を正しく理解して一般の人々に向けて発信したり、自分特有の視点から見た意見を出すなどできることはあると思う。その中でも、被災地の農業再生には被災地の人だけでなく一般の消費者側の理解・協力が必要上可欠だと思うので、被災地についての理解を広

  5.  レポートを書くにあたって資料を読みまず初めに思ったのは、私は東日本大震災についてあまり知らないということだった。当時中学生だった私は京都に住んでおり、鮮明に覚えていることといえば、押し寄せる津波にありとあらゆるものが流されている東北の映像であった。津波の映像はかなり衝撃的ではあったが、現実離れしており何か物語の世界を見ているようだった。私は新聞を読むのが好きだったが、3.11以降繰り返し紙面を大きく割く原発事故については、よく分からず難しいと思い、自然とそれに関する記事は読まないようになっていた。全体的にどこか遠い世界で起こっているような話だと思い、振り返ると、今まで東日本大震災について強い関心を持ったことがなかったように思う。自分ごとであったのは唯一、同年5月に控えていた修学旅行の行き先が東京から変更されたということだけだろうか。実際に東北へ行ったこともなければ、震災に関する本も読んだことがなかったので、私の持っている情報はマスメディアから仕入れたものだけである。農地再生に関する現実は資料を読んで初めて知った。ふくしま再生の会など被災地には様々な団体があり活動していること、大学教授や大学が専門知識を生かして支援に加わり、実際に学問が人々の中に生きていること、行政とのコミュニケーションの難しさ。
     さて、自分自身が被災地にできる農業再生ついてであるが、私はまず被災地について知ることから始まるように思う。資料を読んで思ったことは、今までは何か遠いもののように感じてしまっていたので、自分ごととして捉えられるように、実際に行って何か生の経験をしてみたいと思う。私は世界の貧困問題を解決したいという夢を持っており、大学に入ってカンボジアの村に訪れた。それまで漠然としていた支援したい対象が、カンボジアで出会った子どもたちによって、このような子たちのためにとより具体的に考えられるようになり、夢へのモチベーションにもなっている。被災地についても、実際に行って出会いがあれば、東日本大震災に想いを馳せるときに具体的にその人のことを思い浮かべられる。私は「再生《を「被災地の人が震災前と同じように農業をやっていこうと思える環境が整うこと《、「外部の人が新たにこの地で農業をやってみようと思いうる場になること《と考える。長い目で見ていくことが必要だろう。何か災害が起こった時に自分ができることとしては、ボランティアなど短期的な支援をすることはたやすいかもしれないが、長期的にとなると難しい。今すぐ自分にできる具体的な行動としては被災地で作られた農産物を積極的に買うというような小さなことしか思いつかないが、大学で学び社会に出て行くどこかの過程で被災地支援と結びつけられる何かに出会うかもしれない。具体的に思い浮かべられる被災地の人がいるということは、小さな行動を継続したり、そのような場面で行動をおこしたりする時の私の力になってくれると思う。

  6.  東日本大震災が起こった時のことはよく覚えている。当時僕は中学一年生で、地元の九州にいたので、被災地の人たちのために何かボランティアをしようなどといいう考えは全く起こらなかった。そして今年二十歳を迎えることになったが、結局被災地のために何かをすることは無かった。しかし今思うと、高校時代に友達が東日本大震災の被災地でボランティアをしていたし、自分にも何かしらできることがあったかもしれない。
     高校時代に被災地のためにできたかもしれないことと言えば肉体労働しかなかっただろう。しかし大学生である今ならば自分で何かアイディアを考え出したりして肉体労働以上の貢献ができるかもしれない、と今回の講義を受けて感じた。被災地の農業が抱える問題の解決に今の自分にもできる範囲で貢献しようとするならば、やはりまず被災地の現状を知らなければならないと思う。溝口先生が震災後の活動を開始する前に勉強会をしていたように、どんな活動をしようにも知識がなければ何も始まらない。被災地の農家が現在どんな状況にあり、どんな問題を抱えているのかを知り、そして、今の自分に一体何ができるのかということを考えることがボランティアを始めるきっかけにもなると思う。
     さて、では僕自身が被災地の農業のためにできることについて考えてみる。大学生であるという社会的立場上、使える時間や金には制約がかかる。また、大学教授である溝口教授のような知識や社会における影響力もない。これらの条件から考えるとやはり大学の長期休みを利用しての肉体労働ボランティアが一番手っ取り早い方法ではある。それ以外ではやはりインターネットやSNSを用いた情報発信が最も現実的であると思う。これならば、学生であっても時間的、金銭的に無理はない。被災地の農業における大きな問題の一つは風評被害であり、おそらく今でも福島の米を買うことを避けている人は大勢いる。まず、人々が福島の農産物に対してどのようなイメージを持っているのか、風評被害が現地の農業にどんな被害をもたらしているのかを調べる。そしてその結果をもとに、人々が福島産の農産物に持っている悪いイメージを払拭するために、現地の農家の人と連絡を取り、協力して福島の米をPRするようなホームページを作ったり、ユーザー数の多いSNS、例えばFacebookやTwitterなどで情報を発信することで、被災地の農業の復興に少しは貢献できるのではないかと考える。被災地での農業に偏見を持つ人々に農家の人々や復興を支援している人々の努力を少しでも多く伝えられたら嬉しいと思う。

  7.  レポート課題は「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について《ということであったが、一学生である私が自分自身でできる支援は、残念ながら微々たるものである。それでも多くの人々が同様にこの問題について考えることで何か変わるものがあるかもしれないという思いを胸に抱きつつ、被災地に対して力になれることがないか考えてみようと思う。
     資料を読んでまず第一に考えられたのは、実際に被災地に行って「までい工法《の支援を行うことである。土壌については3ヶ月間講義を受けただけで深い知識は全くない私でも、泥水を溝に流し込む労働力としてなら役に立てることもあるのではないかと思ったのである。また、実際に被災地に行って現状を知ることで、何か得られるものがあると思う。震災から6年半以上が経った今、メディアでも被災地の現状が取り上げられることは少なくなり、意識しなければ被災地の「今《を知ることは難しい。しかし「今《を知らなければ、復興方法を考えることはもっと難しい。せっかく立てた再生案が机上の空論とならないように、実際の被災地の現状を知ることは必要上可欠であると思う。
     次に一消費者の立場から農業再生を考えてみる。スーパーなどで野菜や肉を購入する際、未だに被災地産の商品を選ぶことを避けている人も少なからずいると思う。店頭に並んでいる時点で政府の定める基準値をクリアしていることは確かなのだが、消費者心理的には他の産地のものと被災地のもの、選ぶなら被災地産でない方になってしまうのであろう。実際は、例えば福島産の米では他県より厳しい放射性物質検査を行って3年連続基準値越えが0となるなど、むしろ放射性物質が意識されている分他県のものよりも安全性は確実であると言える。しかしこの事実を知らない人は多く、私の母のように説明しても聞く耳を持たない人もいる。いつか被災地産の食材も問題ないということを上手く説明できるようになるため、まずは頑固な私の母を説得して練習してみようと思う。
     また、まだ私は専修の講義を受け始めたばかりで何も特化していない段階であるが、これから専修の講義を受け、知識を頭に入れ、実際の経験を積み、立派な「ヲタク《になっていこうと思う。「ヲタク《になり、将来必要なときにその蓄えた知識を使って周囲の人を巻き込んで問題解決に動いていけたら幸いである。

  8.  ウェブページに掲載されていた資料を読んで反省したことは、私も、被災地の農業復興は自分とは関係のないことと思っていたことです。「世界の貧しくて困ってる人の役に立つたい!《と勇んで東大に入り、国際開発農学専修に勇んで志望をした私でしたが、被災地の農家さんに言わせたら、「世界の農業とか言ってる前に、まず日本で起きてる農業の問題をちゃんと見てみいや!《と叱られそうな始末です。とは言え、ほとんどの大学生が被災地の農業復興は自分とは遠い問題だと考えていると思います。専門家志望の学生以外でも、被災地に関する関心と正しい知識を持つような人が増えて、自分の学業あるいは職業の傍で自分にできる行動をするようになれば、風評被害が減ってよりスムーズな農業の再生ができるような良い社会ができるのだろう、と考えました。
     それでは、私にできそうな被災地の農業再生とはなんでしょうか。学部2年生である私は、専門家・技術者として被災地農業を考えられるようになるのはまだ先のことに思います。しかし、学生がどうして被災地を遠いものに感じているのかを考えて、学生が関心を持ってもらえるようなアイデアを出すことなら、まさに学生の自分にできることだと考えました。以下は、ウェブページの資料を参考にしつつ、こんな企画ができたらいいなと考えたものをあげます。
     一つ目は、スタディーツアー企画です。資料にも、実際に被災地を訪れる前と後では学生の考え方が全然違ったとあり、やはり被災地の問題を身近に捉えるための一番の方法は現地を訪れることだと思います。「スタディーツアー 福島《で検索すると、福島の大学が中心となって行ったスタディーツアーの記事が出てきたり、「ふくしま再生の会《のホームページでは、留学生を対象とした被災地スタディーツアーが行われていることがわかりました。学生は魅力的に感じ参加したいと考えるのは、多様な価値観に触れられるようなスタディーツアーだと思うので、例えば、東大生と留学生が一緒に被災地に行って、被災地で行われている除染技術などを学び、一緒に作業をし、それぞれの意見を共有できるような企画があれば有意義だと考えました。農業に興味ある人だけではなく、工学系・情報系の人、文系の人も参加し、あるいは高校生と大学生が一緒に活動しても良いと思います。また、国際開発農学専修の3年次の夏の実習の中に、被災地での農業実習があっても面白いのにな…とも思いました。
     私はまだ一度も被災地に行ったことがないので、まず行くことが先になるとは思いますが、大学の講義で先生から学んだこと、あるいは被災地に行ったらそこで学んだことを、今度は発信していくということも、東大生の自分にできそうなことだと思います。少しでも被災地の農家で行われていることを伝えることができれば、風評被害の解消に多少なりとも貢献できると思いました。例えば、東大の五月祭は、たくさんの人が来るので情報を発信するのにはよい機会だと思います。過去にも「東京大学復興ボランティア会議《というサークルが、五月祭で被災地ボランティアに関する展示企画を行っていたようですが、東大ならではのアカデミックな被災地の取り組みの内容を分かりやすく説明したり、弥生の生協で売ってる「浪江町のお米《みたいな福島の食材を使った食べ物を提供したりする企画ができそうだと思いました。また、資料の中に「小学生のための特別講義《の話がありましたが、大学生が小学生や中学・高校生に分かりやすく教える企画もできると思いましたし、イラストやゲームを使って、小学生が楽しく農業や被災地に興味を持って勉強できるような子供向けウェブサイトを作っても良いなと思いました。
     これまで述べてきた「私自身にできそうな被災地の農業再生《を一言でまとめるならば、「学んで発信すること《ではないでしょうか。このレポートでは「できそうなこと《を難しいことは考えずに挙げてみましたが、こうしてみると農業復興に向けて自分に全く何もできないわけではないのだなということは多少なりとも実感しました。この授業に限らず、日本の農業にも目を向けていくべきなのだなということは最近感じているので、今後勉強することの専門性は増していくと思いますが、広い視点から問題をた捉えられるような勉強を進めていきたいです。

  9.  先生が提示された資料を読んでまず感じの、 機会や縁を確実に受け取り、それ繋 げて活かしいる、とうこです。 霜柱が出来て 「あー霜柱のせいか、じゃもう実 験はできないか《と言ってそこ打ち止め、だたしら先生凍土の研究に携わることはなかったもしれい、そうであば農業再生におて地表土を凍らせ剥ぎ取るというこはなかったでしょ。ま縁を確実にモノきければ、地域の人や団体との交流自体はできても、研究活動が円滑に進まなかったしれせん。
     このような機会や縁は、様々問題が複雑に 絡み合った「被災地=現場《農業再生おいて非常に重要なものだと確信します。そこで学生ある私がれらを得ため何できるか 、何をするべきか考えまえます。
     第一に、実際被災地行くことです。ボランティアをるい うのは農業再生つて「私自身ができること《しは非常にちっぽけ、正直なろ問題の解決らないと思ます。 しか現場を見ないと分らこは確にあるずです。 先生の資 料にも『 面白いことに参加した学 生の言動は現地訪問前後 で大きく変化する 』とありま す。震災後に東北行ったことはまだ一度もないので抽象的しか言えせんが、「行って価値観や捉え方が変わた《としらそれは間違いなく有意義経験にし、 仮に「行ったけど何も意見が変わらなか 《として、それはみい分らないことですか、それを得ただけも行っ価値がある はずです 。また機会という視 点でも、せっかく農学部に進ん先生の講義や資料を拝読して「被災地行《とい 点でも、せっかく農学部に進ん先生の講義や資料を拝読して「被災地行《とい う選択肢が浮上した中で行かない、とのは機会搊失に他ら思ます。
     第二に、とかく学ぶこです。農部内定したはいえ 私はまだ農学の端を少しか じった程度ですから、様々な分野に触れて自の興味ある事柄を見つけ勉強しいくことが大事である思います。 僕はまだ「どうしてもこれがたい!《と分野見つ けていませんが、農学とう問は実践的なであるゆえに様々分野密接絡み合って出来いるものだと思うで、仮に関係が無さそな分野進んくし最終的に「農業《という点で被災地のこ携わってるかもしれません。ちろ地の問題に限りませんが、そような農業とい現場行き着く可能性大あることを意識しながら学んでいく必要あ確信てます。たれは個人的話すが、ある講義で出身地のお酒話を受けたそれリアクショ ンで「僕も出身地がそ こなんですけど、知りませした《と送っろ「じゃあそのお酒譲るから今度う こなんですけど、知りませした《と送っろ「じゃあそのお酒譲るから今度う ちの研究室に来て《と招待されました。今で前期教養こんなはかっ生徒と教員の距離近さに驚きつも、せっかくこような最先端研究を行授らが沢山いる環境にのだから、そような縁を意識すもとて重要こ感じました。
     以上の二点を書きながら考えたは、 「東日本大震災《 の被災地における農業問題今 の私が解決法を与えるというは 非常に困難だというこです。 しか災害はいつ どこに 来る か分らず、 ひょっとしたら明日にでも東海の大地震が起きるかれません。例え 災害が来たとしてもほぼ被無い、うの当然なら最良です出時に私自身がそれに迅速かつ正しい情報を持って携えるよう、忌避せず多くの経験積んでおくことが今の私にできるだ思いました。

  10.  「被災地《とは,資料にあったような飯舘村をはじめとする東日本震災の被災地,だと考えるものとして話を進める。
     被災地の農業再のために何ができるかを考えるにあたって,まず方向性の違うアプローチに分けて考える必要がある。一つは,直接現場に関わっていくもの。例えば,除染作業の手伝いをしに現地へ足を運ぶ,などだ。もう一つは,間接的に関わっていくものだ。例えば,?産者ではなく消費者としてできることをしていく,ことなどが挙げられる。これらについて一つずつ見ていく。
    1.直接現場に関わるアプローチ
     多くの人が真っ先に思いつくのは,ボランティアだろう。ボランティアをするにあたっても,善意の押し付けにならないようにする,など注意する点ももちろんあるが,それらをきちんと守れば,ボランティアされる側・する側の双方にプラスになるものだと私は考える。というのも,資料にも書かれていたが,やはり「現場を体験する《ということは問題解決にあたって上可欠なのだ(“サークルまでい”の「現地には行けなくとも分析試料の作成作業ならば手伝える《というのも,現場を見た上で,なんとか現場でなくてもできることはないか,と探した成果であると解釈している)。また,学生の立場からすれば,現場に行くことができるのは何もボランティアだけではない。授業の中でも現場に行って実際に作業し,学ぶことでそれを活かすことができる。私が農学部に進学しようと思った理由の一つには,実習が多いことが挙げられる。
     このように私が現場に行くことが大切だと思う理由には,自分の過去の体験がある。私は千葉県で生まれ育ち,小さい頃はよく山へ遊びに行き,自然と関わる機会が多くあった。しかし中学校・高校・大学と進むうちに,そのような機会は失われてしまった。そんな大学1年生の時,前期教養の体験ゼミナールに参加した。そこで私は子ども時代の懐かしい風景を思い出すと同時に,現地でしか感じることのできない「現状《等のものを目の当たりにした。「その立場になって初めて見えるもの《があるのだ。ここで感銘を受けた私 は,NGOのとある団体の活動に参加して,石川県の村で棚田の整備のお手伝いをしたり,その期間中に地元の人たちと生活をともにしたりした。このような体験の中で,「現場でしか得ることのできないものがある《と再確認すると同時に,訪れた先で,その場所特有の発見や気づきに出会った。溝口先生が「ラッキー《や「奇跡《と感じていたように,私はこのような人々や事象との出会いの「縁《というものを大切にしたいと思うと同時に,これらが好きでたまらない。
     このように現場に直接関わるのは,学生の私自身ができることは小さなものであることは間違いない。仕事をするようになり,研究によって根本的に何かを解決できるのであれば,その方が影響力は大きいだろう。したがって,「直接的なアプローチ《では,私自身ができることはない,あるいはごくわずかであろう。しかし,私が今できる最大限のことはこれであるように(今は)思っているし,今のうちに多くの現場を体験して,その土地特有の課題などを色々な場所で発見することには,将来研究をするようになったときにも活きてくることだと思う。資料にも「現場に行く前後では,学生たちの考えが大きく変わる《とあったように,私も行くたびに(「成長《というと大げさだが)何かを得ることができているように思う。
    2.間接的なアプローチ
     これは,さらに二つに分けることができると思う。まず,一つ目は制度や政策の改革に 携わるということだ。これは今すぐにはできないが,将来官僚などに携わる可能性は大い にある。そのような時は,積極的に被災地の農業再生への援助はでき得るだろう。下線を 引いたのは,ただそのような立場になっただけでは上十分だからだ。これまた資料にもあ った通り,「現場を知らない役人《は問題である。そうならないように,そういう観点で ?たときに「今できること《は,先にも述べた「現場をできるだけ多く体験する《ことだ と思う。したがって,先ほど,これにはわずかばかりの影響力しかないと言ったが,長期 的に見れば大いなる投資に他ならないのである。私が様々な活動に積極的に参加したいと 思っている理由の一つは,(このような活動が好きであること以外には)これであること は間違いない。
     では,今すぐにできることは何かないか。それがもう一つの「間接的なアプローチ《で ある,「消費者としてできること《だ。資料にあったように,現場では,除染作業の試? 錯誤をはじめ,多くの資金・労働力・時間が費やされ,なんとか農業を再生させようとす る活動がある。そのような中で,彼らが報われるには,やはり農産物が消費者に受け入れ られなければならない。どんなに彼らが困難を克朊して良い農産物を作ったとしても,そ れが消費されなければ,困難を乗り越えたとは言えないのである。消費者としての私がで きること,それは,(風評被害などは言語道断として)積極的に被災地の「安全な《農産 物を購入し,また,その品質と安全性を自ら証明して行くことだろうと思う。
    参考資料
    http://www.a.u-tokyo.ac.jp/pr-yayoi/61.pdf#page=7
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/media/150831mizo.pdf
    https://js-soilphysics.com/downloads/pdf/130035.pdf
    http://t.co/ciFd3WCK5U
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/paper/84-6-03.pdf

  11.  福島の被災地では現在でも多くの問題を抱えています。特に⼟壌の汚染問題 に関しては、やっと凍⼟壁を⽤いた汚染拡⼤防⽌策が⾏われたばかりです。し かし、災害から 7 年を経た今、世間ではすでに当時の復興ブームが終わり、福 島は⼈々の⽇常⽣活の中に忘れ去られているように感じます。例えば、私が所 属している教育団体では災害があった年から福島の⼦供達を東京に連れて⾏っ てキャリア教育を⾏うというプロジェクトがありました。当時はとても盛り上 がり、スタッフ・被災した⽅々など多くの⼈に関わっていただきましたが、今 となってはプロジェクトを維持するのが精⼀杯となっています。そこで、私が できる被災地の農業再⽣とは、今⼀度被災地の現状と⼈々を向き合わせること で復興に向けたコミュニティーを改めて作り出すことではないかと思います。
    ⽇本全国では素晴らしい研究を⾏っている⽅々がたくさんいます。素晴らし い活動を⾏っている⼈がたくさんいます。それぞれの専修も違えば場所も違う ⽅々です。また、現在は復興に携わっていないものの農業再⽣に携わることが できる⽅も多くいるでしょう。被災地の現状を改めて⾒直し、発信していくこ とで、これらの⽅々を繋げることにより、最も効率よく農業再⽣を⾏うことが できるのではないでしょうか。
    確かに私は現在、⽣物環境⼯学専修に内定しているため除染⽅法を模索する など⼯学的な観点から被災地の農業再⽣について取り組んでいきたいと考えて います。農業⼯学に携わる⾝として研究に取り組むことはもちろん⼤切です。 ただ、私が狭い環境下で研究に取り組むことは農業再⽣をミクロな視点で⾒て いくとベストな選択肢ではないことに気づきました。それは溝⼝先⽣の『⾃分 の農地を⾃⾝で除染したい百姓魂』を読んだ時です。⼀節に「研究者同⼠のつ ながりの⼤切さ《を説いている箇所があり、そこでコミュニティーをまず作る ことの⼤切さに気づきました。各々が⾮常に良い考えや研究⽅法などのナレッ ジを持っていたとしてもそれが共有されることがなければ、⾮常に⼩さな規模 で宝の持ち腐れとなってしまいます。この⼩さなナレッジを全国から拾い集 め、組み合わせることが必要になるのです。その解決⽅法としてコミュニティ ーを作ることが挙げられます。
    また、コミュニティーを作るメリットはそれぞれのナレッジを集めることが できる他に誰でもできることにあります。研究が成功する確率はわずかです が、コミュニティーは学⽣として私が⽴ち上げてメディアを⽤いて⼈を集める ことは容易にできます。
    以上より、被災地復興に対する考えが薄れている今、もう⼀度被災地の現状 を⾒直すことによってコミュニティーを作ることが、私⾃⾝ができる被災地の 農業再⽣ではないかと考えました。

  12.  今年60歳になった自分にとって、学生としてゼロからの再出発を試みたのは、ボケる前に今ま でのキャリアとは全く関係ない「ヲタク学生《として好き勝手な勉強をやっておかないと必ず後 悔すると思ったからであり、しばらくは「学の独立《を信じて、興味の持てる対象を探してみた いと考えています。そもそも、自分にはもはや行政担当者や研究者として被災地の農業再生に関し て目立った華々しい貢献ができる場は限られていると思います。しかし、自分が身につけた知識で、 何らかの形で例えば被災地の農業に貢献できたらその達成感はいかほどのものでしょうか。その 意味でも「アラ古希ヲタクボランティア予備軍《としての心構えだけは必ず大切にしてゆきたいと 思います。ここでは、もし自分がそのような活動の場に身を置くことができるとしたら、必ず自 戒しなければならないと日頃から考えていることについて書きます。  土壌や水の働きや除染の効果などと直接の関係はないかもしれませんが、福島の農作物に対す る所謂「風評被害《と言われる現象が、現地の農業の再生を阻む大きな問題の一つであると言わ れています。より厳しい新しい線量の規制値が適用され、国際的な基準に比較した場合の厳しさ や、レントゲン写真撮影時の被曝量との比較など様々な肯定的な科学的調査結果が数多く発表さ れる一方で、相変わらず農産物の価格は全国平均と比べて顕著に低く、被災地産の食品に対する 購入意向調査にも改善の傾向が見られない。科学的に根拠のある結果を消費者に受け入れてもら うためにはどのような工夫をすべきなのか、より効果的な情報の提供のためにはどのような手段 を用いるべきなのか、というような観点から様々な研究もされていると聞きます。  しかし、自分は一般の消費者の感覚と行政や研究者の感覚にはもっと根深い大きなズレがある ことを強く感じます。一言で言うと、一般の消費者は行政や科学者を信用していない。そしてその ことには正当な理由がある、と言うことです。
     震災以前には原発関係の多くの科学者や行政は、(a)「将来の電力需要や温暖化の観点から原発 は必要である《、(b)「加えて、原発は千年に一度の大地震にも耐えられる《と言う主張を推進の 理由として掲げてきた。しかし現実には、(a)の正当性はさておき、(b)は正しくはなく、(a)を正 当化する根拠として用いられていたに過ぎなかった。事故が発生すると、(a)「セシウム汚染が広 がり避難が必要ということになれば未曾有の混乱が生ずる《(b)「従って、セシウム飛散の可能性 を公表すべきでない《とした。しかし現実には、(a)の正当性はさておき、(b)は正しくはなく未曾 有の混乱が実際に生じた。つまり少なくとも結果として(a)という状況の中で、(b)という「科学的《 判断が、誤ってその根拠とされた。この、被災地と行政の関係が、そのまま風評被害の問題にお ける「一般消費者《と行政(そして残念ながら科学者)に当てはまるのではないか。(a)「被災地 復興のためには自立を可能とする経済的な基盤が必要だ《(b)「加えて、被災地の農産物は安全で ある《。しかし現実には、(a)の正当性はさておき、(b)は正しくはなく、(a)を正当化する根拠と して用いられているに過ぎないのではないか、と考えてしまうことがそれほど上合理と言えるで しょうか。  岩手県に、明治三陸津波で運ばれた巨岩として有吊な「津波石《というものがあって、それは 標高25mの地点まで津波で運ばれてきたという話を聞きました。話の真偽はわかりませんし、地 形的な条件によってたまたまそうなっただけで、それが今回の震災を予見するに十分な科学的根 拠となるのか否かわかりませんが、少なくとも原発の安全性を保証していた「科学《がそれをど のように説明しているのかについて、自分は聞いたことがありません。
     リスクコミュニケーションでは、情報伝達の技術などではなく、最終的に相手との信頼関係が 決め手になる。このことは地元の人達と科学者の関係のみならず、私たち消費者と行政や科学者 との間にも同じように言えるのではないか。「一般消費者《にも相手の本気度が瞬時にわかるの ではないか、と思います。そもそも、「一般《でない、特別な「消費者《なるものが存在するの でしょうか。
     我ながらいささか楽観的にすぎるのではないかとも思いますが、状況のいかんにかかわらず、 時にはそれが、かくあるべきというあり方に反するものであっても、真偽の判断を事実に基づい て正確に行うことができる、というのが科学者にとっての最低限の要件であるということではな いかと考えます。「本当に興味のあること《については「本当に本気で《取り組める。せっかく 学生に戻ることができたので、しばらくの間は「本当に興味のあること《について「本当に本気 で《取り組むことだけを考えて「ヲタク学生《を続けたいと思っています。

  13. 私は理学部情報科学科の学生である。 大学生活のかなりの時間をプログラミングに費やしており、 ほぼ唯一 と言っていい特技である。 私が何かの行動を起こすならそれは間違いなく情報科学技術を利用したものにな る。
    エンジニアとして私ができることで一番被災地の農業再生への影響が大きい行動は農産物を販売するサービ スを作ることだと考えた。 近年は販売者と消費者を直接結びつけるマッチングサービスが流行しており、 メル カリ[1]やUber[2]、 AirBnB[3]など例を上げればキリがない。 中間業者を通さないので取られる中間マージン が少なくなり、 上手くいけば販売者は高く販売でき消費者は安く購入できる。 実際、 メルカリでは食料も売ら れている。 注文を受けてから消費者に到着するまでに数日かかるので今晩の夕飯の食材を注文するという訳に は行かないだろうが、 ある程度付加価値の高い高級食材を販売する分には十分商売になると思う。
    調べたところ実際に同様のアプリが複数あるようだが規模は大きくないようなので、 参入の余地は十分にあ ると考えられる。 ユーザーインターフェースを作り込み生産者への評価、 レビュー機能などを実装して消費者 生産者両方に信頼されるサービスを作ることで新たな市場を開拓できる。 現状では消費者は生産者の顔が見え づらいが逆もまた然りで生産者も消費者からのフィードバックは得づらい状況なので、 レビュー機能で消費者 から直接「美味しかった《等の声を聞けることで生産者が励まされると考えられる。
    被災地産に限らない農作物をアプリを作ることで消費者が沢山の選択肢の中から直接産地や生産者を選べる ようになる。 私のように被災地を支援したいとは思っていても普段スーパーで食材を買う際には意識して選べ るほど品揃えの選択肢がないという人間は何もしなくても意識的にアプリで被災地の農産物を買ってくれるだ ろうし、 一度ユーザーが獲得できたら被災地支援フェアを開催してもいいだろう。 ビジネスになればやりよう はいくらでもある。
    参考文献
    [1] https://www.mercari.com/jp/
    [2] https://www.uber.com
    [3] https://www.airbnb.jp/


講義内容  みぞらぼ
amizo[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2018.5.3)