農業生産技術と国際協力2022


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。

11/10のレポート課題

下記の講演または映画を見て、あなたが2050年までにやってみたいことをまとめて提出しなさい。
中村哲氏の記念講演 (32’) 【京都環境文化学術フォーラム】(2017年2月11日)
劇場版 荒野に希望の灯をともす https://eiga.com/movie/97314/

  1. あなたが2050年までにやってみたいことをまとめて提出しなさい。

    国際NGOを作って、アフリカの人材育成に関わりたい。具体的には、プログラミングや機械学習などのデータ分析スキルを若者が学べる学び舎を運営したい。

    17歳のときに、現地の知り合いに招待される形で訪れたベナン共和国でホームステイを経験して、それ以降毎年アフリカの国々を訪れるなかで年々強さを増して実感していったことがある。それはアフリカにおけるテクノロジーの可能性だった。たとえば、ベナンでは現地通貨のセーファフランが慢性的に不足していたのだが、MobileMoneyという携帯電話送金サービスが社会を変え、長年現地を悩ませていた硬貨不足問題の解決に大きく貢献しようとしていた。他国でも、道路事情の影響から薬や医療物資の不足により高水準の医療行為が地方では難しかったが、ルワンダとガーナではドローンによる血液・医薬品輸送が民間企業によって開始され、現在では多く患者の命を救っていた。インフラ未整備などのアフリカならではな状況がかえってテクノロジーの普及を進めており、日本にはまだないサービス・社会インフラがどんどん実用化されていたのだ。

    アフリカで活用するための「ソーシャルビジネス」と「テクノロジー」を研究したい一心で慶應義塾大学SFCに入った私は、1年生のときから研究会に入り、ドローンの専門性を高めることに没頭した。空撮だけでなく、地形の3D画像化や小田原市でイノシシの生態調査、プログラムによるドローン制御、宅配ドローン開発など、アフリカで使えそうなコンテンツにどんどん触れていった。そして、その実践活動を行うために2年生より1年間、ベナン共和国にてインターンシップを行った。”Afric-Drone”というドローンベンチャーの設立から、ECOWAS主催の西アフリカのドローン法整備に関する国際会議への出席をした。

    そんな現地の生活で最も印象に残っているのが、ドローンスクールの開校だった。空撮や測量など、BtoBが中心の事業領域だったのだが、アフリカの人材育成に興味のあった私はドローンスクールの開校を提案した。個人向け事業は社内で懸念があったものの、カリキュラムや値段設定を自分で行い、最終的には社内の賛同を得ることができた。結果、一定の収益を上げることができ、社内の主力事業の1つとなった。なかには、ドローンパイロットとして、大手携帯電話サービス会社に就職したプログラム修了生も輩出することができた。アフリカでの事業立ち上げ経験とともに、若者の3人に2人が失業状態とされ、大卒ですらごく一部しか就業できないベナン社会で、課題解決につながる人材育成事業を実現できたと考えている。

    こうしたドローンに加えて、数台のパソコンやオンライン教育があれば、プログラミングや機械学習などのデータ分析スキルを若者が学べる学び舎ができるのではないだろうかと現地生活で考えるようになった。

    具体的には海外からのプログラマーを欲する日本のIT系企業からCSR活動などを通して資金を募り、現地の高校生?大学生にとって安価なIT教育スクールを運営する。現地学生には、卒業後の進路として、出資元の日系IT企業の採用試験を受けることができるようにし、現地人材に職を得られる機会も提供するのだ。

    出資する企業にとってのメリットとしては、安価で質の高い人材を雇用することができる点にある。競争が激化しているIT企業では、プログラミング人材が求められている。その影響を受けて、採用競争が激しくなり、高給化していく中で、企業は海外人材を求めている。そこに、この事業のチャンスがあるのではないだろうか。まだまだ構想段階ではあるが、20代のうちに実現したいと考えている。

  2. ◎中村哲氏の記念講演を聴いて考えたこと、それを踏まえて私が2050年までにやってみたいこと

    私はこの講演会の中で、経済力や軍事力などの人間の力のみで開発課題を解決して人々の良い生活を実現できるという幻想こそが、我々が捨てるべきものであるという中村氏の主張に感銘を受けた。
    近年、持続可能性が国際開発のみならず国際社会におけるもっとも重要なレジームとなっている中で、マスコミ・メディアの場においても脱成長をスローガンに掲げたある意味マルクス主義の再興とも捉えられるような言説が唱えられることが多かった。私自身は、教育政策の経済発展への影響について研究しており開発経済的なバックグラウンドがあることから、そのような言説を実現性のない詭弁であると認識していたが、今回の中村氏の講演会を通じてその考えを改める必要があると感じた。
    私自身の持論として、人間は快適さや便利さを追求することをやめることができず、その結果として経済発展を求め続けると考えており、そのような考えのもとで脱成長の実現性について疑問をもっていた。しかしながら、中村氏の講演を通じて、われわれ人間にとっての快適さや便利さなどの「生活の良さ」は、経済的な豊かさのみでは規定することができないことに気づかされた。われわれ人類にとっての良い生活とは、自然との関わり、社会との関わり、文化との関わりの中で複合的に規定されるものであって、経済力はそれを実現するための手段の一つに過ぎないのである。
    このような気づきを踏まえて、私が2050年までにやってみたいことは、国際開発金融機関の職員として働き、途上国の教育政策に対する政策助言と融資を行うことである。
    教育開発分野の政策提言に従事したいと考えている理由は大きく二つある。
    一点目は教育が途上国開発の中で持つ意味の大きさに惹かれているからである。私は、教育こそが人々が良い生を達成するための能力を育む最も効率的な方法であり、その国家が自立的・持続的に開発課題を解決する原動力となっていると考えており、途上国教育セクターの政策提言を行うことで大きな貢献をしたいと考えている。
    二点目は現在の教育開発が抱えている規範的な課題に取り組みたいからである。現在行われている国際教育開発は、収益率や効率性といった経済学的な指標によって評価する価値観と、EFAの名のもとで先進国の教育制度を移転する近代化論に基づくパターナリズム的価値観によって支配されており、教育が本来持っているはずのイミが矮小化されていることが大きな課題となっている。本来教育が行われるイミは、@社会秩序の維持、A社会の構成員に対するその社会における良い生活を達成する能力の育成である。これらは当該社会における自然との関わり方、文化・慣習などによって大きく異なり、収益性・効率性やEFAなどに基づく評価は一部の先進国における価値観を達成するための手段に過ぎないのである。以上のような状況を踏まえて、私の目標としては、従来の教育開発のイミを拡張し、途上国教育開発の実践を改善していきたいと考えている。


  3. 『劇場版 荒野に希望の灯をともす』をみて、肝に銘じなければならないと感じたのは、豊かに生きるためには「足るを知る」ことが大切だ、ということだ。2050 年の私は52 歳になっている。私の親と変わらない年齢の自分を想像するのは容易ではないが、社会や身の回りの環境がどれだけ変化しても、「足るを知る」に基づく考えや行動は一貫していたい。
    私は大学院終了後、国際協力の業界で就職する。ちょうど先週、人事部にキャリアイメ ージを提出した所で、そこには「社会保障に関わる専門性と経験が積めるキャリアを歩みたい」と書いた。希望通りにいくかどうかは分からないが、少なからず専門性が磨ける経験を積みたいと考えている。専門性をもって職に臨む時、やはり知識や経験の獲得には貪欲にならないといけないわけだが、常に自分を見失わないよう「今の自分にできること」を大切にしたい。
    中村哲さんのような立派なことはできないかもしれないが、足るを知り、自利利他を意識し職務に向き合い、生活をすれば、2050 年までに全ての人が健康で安心して暮らせる社会造りの一端を担えるかもしれない。

  4. 私の2050年までの目標は「途上国の中でも、特に農村地域において貧困削減・飢餓の根絶に貢献すること」であるが、大きく@(農村)開発コンサルタントとして途上国の現場で働く、A途上国の政策立案・提言に携わる中でよりマクロな視野で上記に貢献する、ことを想定している。本レポートでは、@(農村)開発コンサルタントとして途上国の現場で働くことに焦点を当てて述べる。
    ファーストキャリアとしては、途上国の農村開発の現場で働くことが可能な開発コンサルタントを考えているが、その目的は「農村地域で貧困に喘ぐ人々の所得向上と安定化に資することで、彼(女)らの幸福に繋げること」であると考える。農村開発の「目的」に立ち返った時に、中村哲さんの記念講演「京都環境文化学術フォーラム」のある個所がとても印象的であった。それは、中村さんが難民としての辛さをなめつくしてきた農民についてお話をされている箇所で「彼らの願いは自分の故郷で家族と仲良く暮らせることと、1日3回のご飯が食べられることの2つだけである」とお話されている場面である。すなわちn開発においては、彼(女)らが生まれ育った土地で、人間らしい文化的な生活を営めるようにすることが肝要なのである。現在、貧困・飢餓人口の約80%が農村部で生活しているが、その中で多くの貧困層が仕事を求めて農村から都市部に移住し続けている。この状況は、「自分の故郷で家族と暮らすこと」に反しているし、かつ都市部でも仕事が見つかるかわからない状況下で「1日3回のご飯を食べる」ことは現実的ではないのではないだろうか。したがい、都市部ではなく農村部で貧困層の生活水準の向上を目指した開発が重要になってくる。
    この目的を達成するために私が成し遂げたいと考えているのは主に@適正な農業技術の移転による生産性の増加、A生産から流通までの農産物バリューチェーンの強化/改善、の2点である。まず@適正な農業技術の移転による生産性の増加に貢献したいと考えている。これは、依然として約8億人が十分な食料を得られないという問題意識に起因する。特に経済力が小さい途上国では、国外から食料を輸入することが容易ではなく、国内で食料を生産・供給することが重要であるといえる。そのためにはやはり農業セクターにおける生産性の向上が欠かせないため、したがって適正な農業技術の移転も必要である。ここで中村哲さんの言葉を借りれば、「人々が昔から慣れ親しんだもの(技術)に改良を加えて、役立てるという方針」が肝要であると考える。先進国で用いられている高度な技術をそのまま途上国に適応しようとすると、実際に技術を導入する現地の人がそれに適応できず、持続可能性がないからである。したがってこれを念頭において、開発コンサルタントとして農村における技術普及プロジェクトに携わる際には、その地域に根差した土着の技術の応用を目指していこうと思う。次にA生産から流通までの農産物バリューチェーンの強化/改善に貢献したいと考えているが、これには以下の背景がある。まず、近年のグローバル化の流れを受け、フードバリューチェーンにおける付加価値の向上は必然である点である。すなわち、消費者のニーズの変化により、同じ農産物でも「安全・安心」なものを求める傾向にあるが、生産者もこの消費者のニーズを満たすために付加価値を高めなくてはならないのである。そしてこの際に必要なのが、SHEPなどの市場志向型農業の普及や農産物のポストハーベスト部門の拡大であると考えている。ここでSHEPに関しては、生産者はただ単に市場の情報を得るだけでなく、自らの力で市場の情報を得る方法を修得していく必要があると感じているため、私が開発コンサルとして関わる機会には「農家の持続的なエンパワーメント」を意識して取り組んでいきたい。さらに農産物ポストハーベスト部門の拡大においては、民間アグリビジネス支援に注力したいと考える。高付加価値産業のポストハーベスト部門は、貧しい世帯や女性を受け入れるだけでなく、多くの若者を雇用し、貧困や失業に苦しむ地域からの移民労働者を引き付けているとの研究結果があるため、同産業の発展に資することで貧困層の雇用創出の観点からも彼ら(女)の所得の向上・安定化に貢献したいと考えている。

  5. 中村哲さんの講演または映画を見て、あなたが2050年までにやってみたいことをまとめて提出しなさい。

    2050年までにやってみたいことは様々あるが、自分自身国際協力を行いたいと思っているわけではないため、今回は農業生産技術と国際協力という文脈で「2050年までにこうなってほしいな」という内容で書いてみる。
    まず、中村哲さんの講演を見ての感想を書く。この講演を聞いて感じたことは、中村さんが行ってきたことはまさに溝口先生と同じだなということだ。その土地に深く入り込み、地元の方々と一緒に一生をかけてより良い環境を作っていく。中村さんは元々医者としてアフガニスタンに入ったが、健康を維持するためには医療よりもその土地の生活状況をよくする必要があると考えて、大きな水路を作り出すことを決めた。日本の技術を用いながら地元の人々と一緒に作業をし、10年以上の歳月をかけて人々の生活水準を向上させた。自分のバックグラウンドと、地元の文化と、その土地の現状を掛け合わせて、何ができるかを地元の人々と考えて行動していく。これが本当の国際開発であると感じた。その意味で、溝口先生が授業で、「現場の手伝いをして現場の大変さを共有すること」が重要であることがわかる。
     2050年は今から30年後である。30年後に世界がどのような状況になっているのかは全く想像がつかない。新しいテクノロジーがさらに発達し、スマホなど使われておらず、みんながメタバース内で生活しているみたいな状況も全然あり得る。スマホが途上国にも急速に普及したようにスマホの次にくる技術も新しく普及していくと思われるが、インフラ等が整備されておらず中途半端に使われている場合が多い。そのため、まず行うべきなのはやはり先生もおっしゃったような情報インフラの整備である。これからの時代、IoTを用いた農業は必須でありそれを行うための基本的な情報インフラが必要となるだろう。それと同時に現地における技術者の育成が必要である。現地への技術導入+技術者の教育を行うことによって、援助がなくても対応することができる状態を作ることができる。
     時代は変わっても農業生産技術と国際協力の本質的な形は変わらないと思う。もし情報インフラが整備され、オンラインでやり取りできる環境を作ることができたとしても、結局は現地で顔を合わせて一緒に作業を行うことが、スムーズかつ確実な技術導入の近道になる。2050年になってもたくさんの人々が現地に赴き、現地の人々と共に良い環境を作り上げていってほしいと感じる。

  6. このレポートでは、『劇場版 荒野に希望の灯をともす』を見て、私が2050年までにやってみたいことをまとめる。
     この映画を見て印象的だったことは「平和は戦争行為より積極的に行動しなければならない」「病気は綺麗な水と食料があれば8割なくなる」という言葉である。
     前者については、これまで平和は状態、戦争は行為と考えていたことを反省した。言い換えれば、平和は平衡状態であるから、積極的な攻撃の蓄積が平衡状態を壊し、戦争に繋がると考えていたが、むしろ平和こそ積極的な行動が必要であると気づいた。
     後者について、医師である中村哲さんがこの言葉を残したことが印象的だった。医療人として、病気を治療することではなく、病気が起こらないことを目指しているからこその発言であり、目的を自分から遠いところに置く人だと考え、印象に残った。
     これらを踏まえて、私は2050年までに日本の農業人口を増やしたいと考えた。もともと、日本は同じ国に3つの気候帯があり、山地にも平地にも恵まれ、農業が衰退していくのはもったいないと思っていた。既に就職した同級生を見ていると、農業に「スローライフ」「泥だらけ」「田舎」のようなイメージがついているのを感じ、特に業界研究をしていなくても「なんとなくかっこいい」イメージがついているITやコンサル、商社など近年の新卒就活の人気業界と比べると若者を集める魅力がないと思っていた。だからこそ、ITや機械を取り入れて、農業を「なんとなくかっこいい」業界にしたいと考えていた。
     しかし、今回の映画を見たことで、望ましい状態が人を集めるのではなく、人が集まるところに望ましい状態が生まれるのではないかと考えた。何もしないから平和なのではなく、積極的な行為の蓄積が平和であり、治療に万全を期すから健康なのではなく、水衛生や食料を積極的に確保するから治療のいらない健康状態になるように、農業人口を増やすことが農業を魅力的な業界にする方法だと思うようになった。
     言い換えれば、農業人口とイノベーションは鶏が先か卵が先かのような問題ではなく、農業の外から来た人がイノベーションを産み、それが魅力的な農業の基礎になると考える。そのためには、農業の外からイノベーションを持ち込む必要があるし、自分自身も農業の外で訓練を受けることで、終止農業に関わり続けるより農業の拡大と発展に貢献できるように思った。したがって、2050年までに様々な分野を広く経験し、それを総合して農業人口を増やしたいと考えた。そのためには、望ましい状態を作る努力ではなく、望ましい状態を作るために人口を増やす努力をしたいと思う。

  7. 2050年、私は52歳になる。今の私の両親の年齢と同じぐらいである。2030年をゴールとしたSDGsからすでに20年も経過してSDGsに代わる新しいゴールも期限を迎えさらに新しいゴールが国連から発表されているかもしれない。気候変動はどうだろうか。世界は脱炭素の目標を達成しているだろうか。石油で火力発電だなんでありえないと言っているだろうか。再生可能エネルギーのキャパシティも増え、種類も増えているかもしれない。まだ世界はあるだろうか。今進みゆく地球温暖化や気候変動をコントロールできるようになっているだろうか。予測されている通り世界の人口はいまだに増え続けているのか。食糧危機は起きてないだろうか。2022年の今、懸念される世界の将来が2050年どうなっているのかは誰にもわからない。
     2022年の世界は経済力、軍事力に任せ膨張を続けている。この経済力、軍事力がその国の国力を表し、国力を増強するために軍事力にお金をかけたり、経済力を強固にするために人口が増えたりしている。しかし、この地球が軍事、経済、エネルギーすべてにおいて膨張していくことで成長を図る時代は、近いうちに天井が見えるようになるだろう。今世界中で声高に叫ばれている“持続可能”とはなんだろうか。2050年にそのような言葉は存在しないだろう。持続可能とは、中村哲さんの言葉を借りると、“自然と折り合いをつけながら、私たちの生命を持続していく”ことだろう。究極の私たちの目標は、「私たちの生命を持続していくこと」である。それは私が2050年までにやってみたいことの目的と同じである。
     私たちの人間の生命を持続させるためにやりたいことは全部で二つある。一つ目は、環境にやさしい素材を使った商品を増やしていくことだ。環境に配慮した素材を使っていますとわざわざ書かなくても、当たり前のように環境にやさしい素材を使うことがスタンダードになっている、そういう価値を共有できる社会に実現に貢献したい。日本は欧米諸国と比べると環境意識が低い、例えば、日本でパン屋さんで働いているとき、ひとつ一つのビニール袋にパンを入れていた。しかしフランスでは、紙袋袋に入るだけのパンを入れていた。また、プラスチック製の食器の販売を禁止する法律が制定された。このように、日本の環境政策は十分ではなく、環境意識の向上へまだ発展の余地がある。SDGsが終わる2030年までに、フランスと同等水準またはそれ以上に環境意識が向上するよう貢献したい。
     二つ目は、気候変動に伴う自然災害に対する女性のレジリンスを高めるために行動したい。地球温暖化が進むことによって異常気象が増え、世界各地で記録したことのない洪水をはじめとする自然災害に見舞われている。自然災害はまさに人類がともに生きていたもので、どの時代においても翻弄されてきた存在である。ひとたび自然災害が起こると、今までの生活がひっくり返される。貧困層はその中でもより自然災害によって被害を被る。衣住がなくなり、生計手段の喪失により、食も満たされなくなる。そしてこの自然災害の数が増えれば、貧困層の方々の生活はより過酷なものになる。よって、その自然災害で自分の生命を守ったり、災害による経済的ダメージを減らすレジリエンスを高めることが必要である。災害をどのように認識し、どこに避難すれば自分の生命を守ることができるのか。どのような保険に加入していれば、災害に見舞われても経済的サポート受けられるのか。どのようなスキルを持っていれば生計手段にアクセスできるるのか。災害が起きる前から準備しておくことが大事である。特に女性の災害へのレジリエンスを高めるためにできることを常に更新していきたい。
     最後に、中村哲さんの講演のなかで、「自分たちの使うものは全部自分たちで作る」と発言が印象的だった。アフガニスタンの例でいうと、堰を作るのも掘るのもすべて自分たちの手で。それは彼らがそこに住み、その作ったものを利用し、直し使い続けていくからだ。「援助」「国際協力」って必要あるのかとの疑問に対して一つ答えが浮かんだ。それは、人が自分の故郷でその人の大切な人と一緒に暮らしているためのより良い方法を一緒に探していくことこそが「国際協力」なのかなと思う。2050年、この疑問へのこの答えはどう変わっているか、楽しみである。

  8. 中村哲さんの講演の中では国際協力専攻として肝に銘じておかなければならないことが数多く指摘されていた、援助について、開発について、彼だからこその視点で語られる言葉は力強く、また心に深く刺さった。医師として現地に赴きながらも、食べ物がまずなければいけないと、農業用水を自らのアイディアと手で開発していった姿は、真の国際協力者とも言える。講演の中で、自らが医師として灌漑開発を行う理由として「砂漠化はどんな爆撃よりも酷い、わずか数週間数ヶ月で一つの村がなくなってしまう」と話していた。日本にいると砂漠化現象は身近に感じないが、実際には中国、中東、アフリカで広がる深刻な課題の一つである。私は宮古島の地下水開発の歴史と汚染への保全対策の研究をしていることもあり、「水」の大切さは人類共通であることを改めて理解した。農業用水がなければ食べ物も食べられない、それは事実であろう。2050年までに私はこの「水の課題」について関わり続けたい、具体的には研究対象地である宮古島の水保全管理体制を強固なものとし、理論化し、海外の島嶼部地域で国際協力として水ガバナンスの設計をやりたい。私が調査している1970~80年日本は全国的に汚染の時代であった、1980~2020まで啓蒙活動や、研究・調査が進み、汚染についての私たちの認識が深まってきている。これからの30年は改善の時期である。これまでの知見に基づいて水を守り続けていきたい。
    彼はまたこうも述べていた「援助というのはそれぞれブームがある、ブームなくなると、援助もさっと引き上げてしまう」。これは現場で地域の人と共に暮らしている中村さんだからこそ言えることなのではないか。「国際協力」と響きはいいが、実際に援助に関わる多くの人にとって現場は一時的に訪れる場所だ。中村さんは現地で時間を過ごしているからこそ、援助を「援助をする側」からだけでなく「援助を受ける側」として見ていたのではないか。また「ブーム」、この表現も妙を得ている。国際援助が実際に現地のニーズに基づいて行われていたら「ブーム」なんてものは存在しないはずだ。ブームが存在するということは、援助は「援助をする側」のニーズで成り立っている側面があるのだろう。私はこの問題を解決し、2050年までに新たな国際協力の形を実現させたい。これまでは国家間の援助であったからこそ、利害関係や産業構造が影響し、ブームがあるような援助ばかりされていた。これからのじだいは国家間ではなく、人間一人一人の繋がりがより重要になる。そういったネットワーク時代の国際協力はどうなっていくのか。それを作っていくためには既存構造に疑を投げかけ、新たな価値観を構築していかなければならない。本質的に現地の人のためになり、また自分自身のためにもなる、そんな国際協力の形を作っていきたい。

  9.  私が見たのは、2017年2月11日の「京都環境文化学術フォーラム」での中村哲氏の記念講演である。自分の目で現場を見てきた人の重く熱い言葉に、初めてこうした開発現場から来た人の言葉に耳を傾けてしまった。 今までも、多くの課題や講義にて、似たような講演の動画を見てきた。問題の最前線で闘ってきた人や、現場で汗を流して来た人、いろんな人がいた。しかし、講演動画を見ながら洗い物をする手を止めて、その言葉に真摯に耳を傾けさせてしまうほど重い言葉を初めて聞いた。何よりも、「本日は皆さんと知識を“分かち合いたい”」という言葉遣いに、一気に心を掴まれてしまった。上から目線で、現場とはこういうものだ!現場を見ないで語っているお前たちは無知だ!といった啓発をするのではなく、目線を合わせて語り掛ける様子にぐっと感情が沸き起こった。
     これを踏まえて、2050年までに私がやってみたいこと。それは、2050年カーボンフリー社会構築の達成である。
     講演の中で中村医師が仰っていたように、気候変動の影響は、それまでそこで生業を成り立たせてきた人たちの生活を崩すほどカタストロフィックな社会問題である。アフガニスタンの悲惨な生活環境を講演で耳にしながらも、「でも、人間は本当に悲惨で過酷な環境では生活できないはず。そこで生きてきた人がいて、その子孫である今生きている人たちがそこで暮らしているということは、本来その土地は生きることに適している土地なはず…」という考えが頭から離れなかった。そして中村医師によれば、アフガニスタンとは「水さえあれば豊かな場所」と称されていたように、その土地を生きることに適さなくなってしまわせた何らかの要因があるのだと、そしてそれがこの文脈の中では気候変動による雪解けのタイミングの変化なのだと、納得した。
     気候変動は伝統的なものを壊す。人は、伝統的なものを守ろうと容易に声高に叫ぶが、それを足元から突き崩そうとする気候変動問題に一人一人が真剣に取り組もうとはしない。(もちろん、気候変動問題が最優先の課題であり、他の課題を蔑ろにしようというつもりはないが)
     今の私には、現場に行くといった実践や、具体的に何ができるのかという知識の実装が足りていないので、2050年カーボンフリーに向けた具体的なパスは描けていない。しかし、3E+Sを保った状態での再生可能エネルギー100%の実現や、完全なるサーキュラーエコノミーの実現など、自然環境に負荷をかけないような社会づくりに積極的に取り組みたい。最近は、こうした大言壮語な夢を語ると、現実主義の人々に寄ってたかって水をかけられるしゅんとすることが多くなったが、アフガニスタンの荒野を森にしたあの中村医師の動画を拝見したら、なんだか頑張れそうな気がしてきた。

  10. 私は2050年までに次の3つことをやってみたいと考えている。
    一つ目は、多くの人の命や幸せを創出できるような仕事に熱心に取り組んでいたいと考えている。中村さんは水に注目することでアフガニスタンの多くの人の命や暮らしを守った。私も中村さんのように何か自分の「適職」のようなものを見つけて熱心に打ち込み、51歳になる2050年までには何かしら人のためになるようなことをしていたい。まだ自分にとっての「適職」が何なのか恥ずかしながらよくわかっていない。しかし必ず2030年までにそれを見つけて、2050年の51歳になるまでにはモノにして達成感が得られるようになっていたいと考えている。現時点で興味のあるキーワードとしては、「農業農村開発」、「農業農村工学」、「外交」、「縄文文化や弥生時代の考古学」、「縄文時代後期と弥生時代初期の考古学を農業農村工学の知見を利用しながら分析する」、などに興味を抱いている。これらに関連した仕事があまりあるようには思えないが、自身の関心のある分野で大きな花が咲かせたらいいなと考えている。
     二つ目は、器械体操の国際審判員資格を保有しオリンピックや世界選手権で審判ができるような凄腕な審判員になっていたいと考えている。現在、私は第二種男子体操審判員資格を保有している。もともと高校生の時に第三種男子体操審判員資格を取得し、その後数多くの試合での審判活動業務と先輩方への「ゴマスリ?(笑)」を欠かさなかった成果である。そして今年ついに三重県体操協会から推薦を頂き、最年少での第一種男子体操審判員資格受験の権利を得た。来月に試験を控えている。もし合格することができたら、インターハイやインカレ・国体・全日本選手権・NHK杯などで審判ができるようになる。これらの試合はテレビ中継されるので、地上波デビューもすぐそばかもしれない。とはいえ正直なところ、試験は非常に難しく合格率も低いため来月受かる可能性は低い。これから何年もの間の長い戦いになりそうである。この長い戦いを制し、2050年までには第一種のさらにひとつ上の資格である国際審判員の資格を取得していたい。そしてオリンピックや世界選手権で審判活動を行い、世界テレビデビューをしていたいと考えている。
     三つ目はパチンコなどのギャンブルをもう少し控えていたいと考えている。2050年には50歳を超えているわけでさすがに世間の目がある。そして50歳を超えてギャンブルにのめり込むというのはどこかみっともない話でもある。そのため年相応の「息抜き」程度のギャンブル活動になっていたい。現在のような「稼ぎ全振り」・「生きるか死ぬかの」ギャンブルはやめ、年相応の活動をしているようであってほしいと考えている。
     以上三つを実現するためには、自分自身が健康でそして世界が平和である必要がある。前者ばかりは運や不慮の事故などもあるのでどうしようもない。しかし後者は、私たちの努力で実現できることだと考えている。もともと医者であった中村哲さんが人々の健康を実現するためには医療よりもまず「水」が大事だと判断した。綺麗な水を確保できなければ病気の人の数は確実に減らない。病気の人を減らすには医療サービスの充実ではなく水の改善の方がより喫緊で必要であると真相を突き止めた。この中村さんの経験を見ればわかるように、これからの世界は世界平和のための見映えのよい協力をするのではなく問題の真相を突き止めそれを改善するような協力を行っていく必要がある。そうすれば世界の平和は維持できるだろう。そしてこれはひとえに私たち世代の努力によってのみ可能である。2050年になっても世界が平和であるために、私自身問題の本質的な理解をできる人間になれるよう、日々努力していきたいと考えている。

農業生産技術と国際協力2022

mizo[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2022.11.10)