環境修復学23@岩手大学

担当教員: 溝口勝(東京大学)

【講義】2023/10/26-27
時限:水3,4,5コマ, 木1,2コマ


【提出されたレポート】

  1. 『スマート農業の死角』を読んで
     現在の日本におけるスマート農業とはコストが高く、生産量のみを考慮したものが多い。しかし、普通の農家にはそのような機械を導入するような金銭的余裕はない。日本では山が多いことから大区画な農業は不可能である。そのため、小回りの利いた家族農業を支えるスマート農業を開発していく必要がある。また、誰でも、どこでもインターネットに接続することができるように、設備を整備することが必要である。

    『農業農村工学の「つなぐ・つながる」を考える』を読んで
     ICTやIoTは農村や都市など場所に関係なく利用できるという側面で今後、特に欠かせなくないものになるだろう。地域格差によって衰退する地域にとってICTやIoTは立地特性を気にせずに導入できる。山奥の場合でも都市部での暮らしと何ら変わることなくパソコンやスマホを利用することができるようにインターネット環境を整備することが必要である。現代では全ての場所が、人々が既にネットワークの中にいるかのように思われているが、実際には地方農村ではインターネットにつながらない場所も存在する。高速通信環境が整備されれば思いもよらぬ多面的機能が見出されるかもしれない。

  2. 土と放射線 5.福島県飯舘村の除染に尽力−スマート農業で再生へ
     私はこの記事を読んで、従来の農法がリセットされたことを逆手にとって、スマート農業という新しい最先端の農業に取り組んだことに感銘を受けました。国が主要な除染法として『表土削り取り法』を実施する中で、『までい工法』を開発し、実施したことが結果的には従来の農法のリセットとスマート農業の導入につながったように感じたとともに、起きてしまった災害の復興法として最先端の技術を取り入れたことはとても優れた方法であったと思いました。私は今夏のインターンシップで東北農政局 北上土地改良調査管理事務所を訪問し、その一環で一関市の照井土地改良区さんにお邪魔しました。照井土地改良区さんではスマート農業が盛んで担い手不足の傾向が最も薄いように感じましたが、スマート農業が盛んになった背景には、国からの補助金の余りを初期費用に充てることができたという特有の事情があることもわかりました。この記事の飯舘村のスマート農業導入に関してもそうですが、スマート農業を導入するには何かきっかけとなる出来事が必要で、0の状態からいきなりスマート農業を始めると言うことは難しいことであるように感じたのが、この記事を読んだ正直な感想です。集中講義の中でのものづくり実習を通しても感じましたが、コンピュータのプログラムを使って、ものを作成・操作することは難しく、高齢者が多く従事する農業分野でスマート機器を導入することはいささか難しいようにも感じました。だからこそ、今こうして農業農村工学を学んでいる私たちが、未来の農業を考え、どのようにスマート農業を導入し、新規担い手を確保するのか考え続けて行かなければならないと思いました。

    読み物 4.コロナで変わる大学教育
     高校時代、大学生活の始めを新型コロナウイルスによってかき乱された私たちの世代にとってみるとこの記事は共感する部分がとても多く、私たちの気持ちを代弁してくれたもののように感じました。私は小学2年生の時から今までずっとバレーボールに打ち込んできました。コロナウイルスの流行によって練習ができなくなることも多々あり、とてももどかしい気持ちにさせられました。しかし、私のバレー熱は冷めることが一切なくチームメイトと一緒にバレーボールの動画を見て研究し、監督の先生も一緒になってネット上からいい練習メニューを見つけ出してきてくれました。生まれた時点でインターネットが利用可能であった最初の世代である私たちZ世代だからこそ、このコロナ渦を乗り越えることができたのではないかと思いました。また、このコロナウイルスの流行によって普段の生活が当たり前ではなく、様々な人の支えがあって自分の好きなことができていることを再確認し、感謝の気持ちを忘れてはならないことも実感させられました。
    この記事にあるようにオンライン講義でチャット機能を用いて質問できることは学生からしてもとてもありがたい機能でした。対面での講義も場合、恥ずかしくて質問できないことでも、オンラインの場合では、質問しやすかったように感じます。Z世代の私たちはすぐに対応できましたが、インターネットに疎い高齢の先生方は大変だったのではないかと思います。また、新型コロナウイルスによって日本のIT化が大きく進んだことは、これから社会に出て働いていく私たちの世代にとっても大きな意味を持つと思います。このコロナ渦での教訓を糧に私たちはインターネットのある環境と共生していかなければならないと思いました。

    2つの記事を読んでどちらにも「困難な状況から新しい道を切り開く」ということが共通しているようにも感じました。たまたまこの2つの記事を読んでなければこの共通点を見つけることもなく、困難な状況から新しい道を切り開くことの大変さやすごさはわからなかったと思いますが、偶然にもこの2つの記事を選んで読み、感じたことを大切に今後に活かしていきたいと思います。

  3. 読んだ記事:スマート農業の死角
    記事の中で印象的だったのは農村地域の農業インフラ整備と農業データの所有権についてである。
    農村地域の農業インフラ整備では、携帯電話サービスとは別に誰でも使える5Gサービスの構築の計画があると分かった。政府の掲げる2023年までの整備完了は難しいと感じた。しかし、整備が完了すれば一般農家へのスマート農業普及への大きな一歩になると感じた。少しでも早く普及を進めるために、農業に今後関わっていく若者が必要性・重要性を理解することが重要であると考えた。現在農業に従事している高齢者を置いてきぼりにしないというのも大切な考え方だが、これからの農業は機械を用いてスマートに行い、若者も従事する業種なのだという印象を世間に与えることができれば従事者も増やすことができると思った。
    次は農業データの所有権についてである。このような権利については自分自身考えたことのない視点だったので、新しい知見になった。農業データの基盤サービスは、様々な企業にとってビジネスチャンスであるが現状国の機関が独占し得るのが問題視されているということが分かった。国が独占的に農業データの管理をすることにはメリットとデメリットの両方があると考える。メリットとしては、データ管理の安全性が確保されること、農家が無償で農業インフラを利用できることである。一方デメリットとしては、競争による発展が得られないこと、民間企業のビジネスチャンスが失われることである。私は、国だけでなく一般企業も参入した方が良いと考える。企業がサブスクリプションのような低コストの貸し出しタイプの農業インフラを開発すれば、農家の初期コスト、運営コストを軽減できる。さらに、不具合が生じた場合のサポートの体制もとりやすいと感じた。若者が操縦するとしても、導入してすぐは不具合が起こりやすくなる。そんなときに頼れる環境が整っていれば、農家としても安心して導入に踏み出すことができるのではないかと考えた。

    読んだ記事:発展途上国における農業農村開発とDX
     記事を読んで日本はDXにおいては発展していないと分かった。各国のDXが紹介されていたが中でもインドの記事に興味を持った。インドでは、国民総背番号制(Aadhaar)というものが導入され農民が口座開設しやすい環境が整ったことでDXが進んでいると記事に書いていた。Aadhaarはどのようなものだろうと気になった。日本語にすると「基盤」という意味を持っているAadhaarだが、調べてみたところ普及率は9割越えであると分かった。日本のマイナンバーカード普及率は7割であることと比較するとかなり高いということを実感する。このAadhaarは個人に割り振る番号だけでなく、指紋・光彩など生体認証も登録されており本人確認が容易に行うことができる。そのため公的手当はこのシステムを通して国民に付与されるという。インドのDXを学び、個々の情報技術も重要だが、それを受け取る国民を把握する基盤となるサービスも重要であると理解した。
     また、記事の中から、「農産物バリューチェーン」という概念があるということをまなび、デジタル化に向いている段階(融資、生産、流通)とそうではない段階(加工、保管、流通)があると分かった。国によってはデジタル化だけが進み、農産物自体の生産技術が追い付いていない事例もあるためバランスは重要である。すべてをデジタル化すればよいというわけではないのが難しいと感じた。

  4. (1)「スマート農業の死角」を読んで
    スマート農業と聞いてその「スマート」という言葉を履き違えてしまっていることに気がついた。わたしたちの年齢層においてスマート化とは機械化することだけのイメージをもちがちであった。それは学校内でのタブレットの導入や、コロナ禍におけるオンライン授業、電子決済による買い物など、非常に身近な場所におけるスマート化がいわゆる先端技術を用いたものであったためである。「スマート」という言葉について調べてみると、英語のsmartはもともと「洗練された」、「賢い」、「すばやい」など多くの意味をもっていることがわかる。日本語では「手際がいい」「洗練された」「ほっそりした」「格好いい」という意味でも使われている。このような言葉の意味も踏まえ、今の日本における農業のスマート化はあっているのか不安に感じた。また、記事にあるように現在の5Gに至るまで第一世代から数えて40年以上の月日が経っていることがわかる。私自身5Gという言葉がいまだに聞きなれない中、現在現役で農村を管理している年齢層の方々が、あと2?3年でスマート化を受け入れ、また活用するには難しいのではないかと感じる。今回の集中講義で行った、単純なシステムであっても組み立てから必要な結果が得られるまでに苦戦する部分が多かった。また、記事にもあるように、このスマート化が実現した場合今までの日本の文化としての食の魅力が減ってしまい他国との技術力争いだけのものとなってしまうのではないかと感じる。日本語での意味のスマートにもあるように、粋な文化として世界に認められ、大切にしていく部分は洗練された農業従事者の職人のような技術であり、それは日本の各地に散りばめられ、いまだに見つかってすら居ない技術もあるのではないかと感じる。これを一括にスマート化と称し、同様のやり方を機械的に当てはめていくのでは文化の後退や、次世代へ繋ぐものとして合っていないのではないかと感じた。記事にあるような小回りの利く家族農業とは一部が機械化であっても、一部は手作業のみといった、それぞれ方向性の違う価値を持った農業を行うことによって日本の農村は進化していくのではないかと感じた。
    また、2025年を目処に考えていることが明記されているが、これが果たせなかった場合の政府の対応が気になった。現在の状態からスマート化が果たせるとは感じないが、先にあげたような、文化として引き継ぐべき農業などに対してもそのスマート化を強要してしまっていないと良いなと感じた。
    (2) 「農業農村工学分野の ICT 研究を始めるヒント」を読んで
    改革を行うにあたって5つのことが記されていたが本当に身近なことが多いのではないかと感じた。普段の生活において大学生になってから今まで以上に必要不可欠となったスマートフォンは今では毎日肌身離さず持ってしまっている。調べるということに関して小学校、中学校時代では辞書や持っていたとしても電子辞書くらいだったため知識の幅は狭いが一つの物事に対して時間をかけて調べることができて居たのではないかと感じる。スマホによって調べられたものは辞書等とは違い、図や動画、音などの情報も得ることができるため、実際にみたい、触れたい、聞いてみたい、と思っていた感情が無くなってしまっていると感じる。現場へ行くことで得ることのできる情報はスマホ一枚で得られるものの何倍も価値のあるものだと再確認しこれからの生活を豊かにしたい。
    基礎の勉強が今自分たち大学生の学んでいることに直結していることはわかってはいるのですが、やはり必要な知識が頭に入ってはいないと感じる。多くの基礎があってこそ使える知識であり、情報であり、ICT/IoT/AI であることを改めて感じた。
    現在普及している技術のなかでもごく一部しか知らない自分たちにとってこれから他の多くのことを受け入れ、身につけるためには知ることを恐れない必要があると感じた。

  5. ウイズ生成AIの時代を生きるを読んで
    昨今、よく耳にするchatGPTという言葉を今までなんとなくでしか理解していなかった。chatGPTは映画などでよく見る質問するとなんでも答えてくれ、最適な回答をしてくれるAIというイメージがとても強かった。そのような近未来的な機能が今では誰でも使えると言うことに感銘を受けた。実際は質問の内容を抽象的ではなく、かなり具体的に質問しなければならないなど、まだまだ映画のような完璧なものではないようだが、それでも自分にはない膨大な知識を持っていて、用語の意味などを知りたい時などは圧倒的にAIに頼ったほうがいいと思った。読んだ資料に載っていた農業農村についての質問にはかなり正確に必要な設備について回答していた。このchatGPTは2021年の9月までのデータを学習しているそうなので、さらに学習させればより、高度な対話が可能になるのではないだろうか。
    そうなれば、精神疾患を持っている方の会話の相手になったり、子供の学習の手助けをしたりすることができるようになると思う。
    これを農用分野に発展させたchatGPTを用いれば、農業をさらに発展させるのに役立つのではないだろうか。例えば、最新の情報や機器の操作に苦手意識のある高齢の農家の農業経営のアシストをAIにしてもらえば今よりもより効率的に営農できるようになるかもしれない。AIはまだまだ不確実なところが多く、AIに頼るには信頼性に欠けるが今後より発展することは確実なので、農業のさらなる発展に役立てられるようになることに期待したい。

    現場からの農村学教室を読んで
    スマート農業は農学部に入ってからかなり耳にすることが多くインターンなどでも多くのことを学んだ。スマート農業が発展することで、農業の効率化、集約化、大規模化が可能になり、農業が儲からない農業から儲かる農業になることがきたいされている。現状として、私がインターンシップで見た農家は売り上げを上げている農家は高収入作物をうまく売ることで売り上げを上げていた。しかし、水稲農家は専業で生活をするのは難しく、兼業の農家が多いのが現状であった。そうなると、担い手も確保できず、農業が衰退が加速していく一方だった。
    スマート農業を取り入れることができれば効率的に営農できることは間違いない。しかし、本文にも記載されていた通り、導入コストが非常に高く、それを使いこなすスペックを持ち合わせている農家はかなり少ない。また、農家からスマート農業への信頼も少ないため、なかなか普及しない。したがって、成功事例をさらに増やすこと大切だと思う。国が積極的にスマート農業へ投資し、ノウハウを教えることで、スマート農業で成功した農家が増えることで、信頼性が向上する。そして新規就農者が参入しやすくなると思う。
    これには国の補助が必要不可欠であり、農家も積極的に学ぶ姿勢が大切だと考える。農業が発展することは国力の強化にもつながり、将来の人口増加による食料問題の解決にも繋がるため、早急に対策を講じるべきである。

  6. 「農民による農民のための農地除染」を読んで
    私はこの記事を読んだとき、除染について大規模な除染作業のことしか知らなかったので、興味をもつことができた。放射性セシウムは「土壌中の粘度粒子と強く結びついて表層に留まり、深いところまでは浸み込まないという性質がある」という知識があるかないかだけで除染の方法を現実的にできる範囲で模索し、実現化したことに驚いた。水による放射線の遮断効果について、水を張った状態であるだけでも地表面からの放射線を抑え、雑草が生えにくくなるというのを初めて知ることができた。自然というのは、もともと浄化やろ過といった機能があるということを改めて学び、それを人間である我々がどう管理していくかということが重要だと感じた。また人の手にあまり頼らず、自然現象を生かす形で私たちが上手に利用できるようになれば、様々な面で活躍できると感じた。ただ問題があるから対処するのではなくいかにあるものでどうにかするということを考えていくことの大切さを改めて考えさせられるきっかけにもなった。その方が山積みになった「廃土」を眺めながら悩む必要性がなくなったように様々な点で楽になるとも感じた。
     今回は地域住民の農家自身ができる除染方法という形での地域復興であったが、農家自身でできて、かつ、簡易的に済む対処はこのほかにあると考えられる。機械を用いた大規模な除染方法は問題対処できるかもしれないが、もっと楽な方法がないのかという風に考え出すことに至ったことに対して、自分の足らない面だと痛感させられた。日常生活の中の当たり前に疑問を持ち、それを解決する知識を身に着けることが研究者、技術者にとって重要であることを感じ取ることができた。私も今期から研究室に配属されるが、一学生として日々の生活の中で発見と疑問を模索することを意識していきたい。

    「スマート農業の死角」を読んで
    私はこの記事を読んだとき、スマート農業がこの先進んだ先にどんな光景が待ち受けているのかに対して先生の考えた光景と同じ景色が思い浮かんだ。私も無人の大規模農場で農業ロボットが作業している様子が思い浮かんだ。果たして、それが継承された農業と言えるのかは私も疑問になった。
    大規模な農業を重視することはたしかに重要であると考えられるが、日本で行えるような現実性はなく、大規模重視から脱却するべきだと感じた。また、農村地域の通信インフラ整備が十分になされてないため、通信基盤整備が急務であることが私も完全に盲点であった。ただ、スマート農業を推進するために用いる機械を作るのではなく、使う場所も考慮していく必要があるのだと感じた。

  7. (1)農業農村工学の「つなぐ・つながる」を考える
    私達はインターネットによって、様々な人とつながることができるようになった。沢山の情報を収集できたり、パフォーマンスが向上したり、とても便利な世の中になった。
    しかし、農業農村工学におけるICT活用はあまり進んでおらず、遅れている。なぜなら、通信インフラの整備が整っていないからだ。世の中では当たり前のことが、農村では当たり前になっていないのである。以前、農業水利の授業の中で、「通信インフラの整備が大変で、スマート農業がなかなか進んでいない」ということを聞いたことがある。通信インフラが整っていない今の状態では、進めたくとも進めることができない。農村地域は ICTを活用できない環境にある。
    後継者不足や不安定な収入などの課題を抱えている農業で、ICTを活用できれば、色々なことができるようになり、さらに発達していくと考える。ICTを活用するには、まずきちんと通信インフラを整備する必要がある。農村地域に通信インフラを導入することで、SEの方々の移住につながったり、農業のIoT化でスマート農業が進み、食料の安定供給・新規参入のハードルの低下につながったりするかもしれない。ぜひ農業が発達し、農村地域が活性化してほしいと願っている。

    (2)土壌物理学者が仕掛ける農業復興 農民による農民のための農地除染
    農地の除染といわれて最初に思い浮かぶのは、大型機械を用いて表土を除去するというイメージである。大型機械に頼った場合、復旧までに時間と大きなコストがかかってしまう。それだけでなく、代々耕してきた大事な土が大量に持って行かれてしまい、もう使うことのできない「廃棄物」となってしまう。また、大量の廃土の仮置き場をどうするかという問題も出てくる。
    その一方、農家自身の手でできる現実的な除染法「までい工法」は、画期的なものだと思った。までい工法であれば、自分たちの手でできるため、大型機械を待たずに除染を始められる。それに加え、あまりコストがかからず、大量の廃土が出ない。1日も早く復旧をするために、大事な土をなるべく守るために、までい工法を取り入れるのは適切な判断だと考えた。
    また、文章中に出てきた「放射性物質の特性を知って除染すべきではないか」という言葉に賛同した。知識を持っていれば、問題解決に対する様々な方法を考えることができ、その中から適切な手段を選択することができるからだ。正しい情報を身につけて、自分たちで復旧を少しでも早く進めていくことが可能になる。きちんと適切な情報を身につけ、様々な観点から問題への対処方法を考えていきたい。

  8. 1. スマート農業の死角
    スマート農業は昨今流行りのSDGsの波の元、新たな農業の形ともてはやされているが現状は農家と行政で認識の乖離が起こっている。テレビで取り上げられるスマート農業の実施例はもっぱら大規模かつ企業的に運用される農場であり、小規模農家での取り組みというのは限定的なものにとどまっているのが現状だ。アメリカや中国他広大な土地を持つ国々にビジネスとしての農業で挑むことが果たして可能なのか、ニュースを見ながらこの疑問が頭をよぎったことが何度かあるが、無知を理由にあまり深く考えては来なかった。この記事を読んで感じたのは、やはり量で他国に勝るのは難しいという事である。ではどうすべきだろうか?近年、和食は世界的ブームをみせ新たなビジネスチャンスとして脚光を浴びている。そんなブームの渦中にいる和食の基礎を築き上げてきたのは、その土地の特色にあわせて育まれた、多様な個性を持つ農産物ではなかろうか。なにもかもすべてを高品質化すべきだとは思わないが、農家一人一人が栽培の中に直接的には利益に結びつかない“遊び”をもたせるのがいいのではないかと感じた。農業など1次産業は営利とは別に人間の生活に必要不可欠な公益の側面も持っている。効率・利益のみを追求して成り立つものではないと言うことを忘れてはいけない。金銭を得る手段ではなく、生活の一部として根付く生命活動として新たなステージに進歩することがこれからの農業の進むべき道ではないかと感じた。

    2. 福島県飯舘村の除染に尽力―スマート農業で再生へ
     東日本大震災で自分自身被災はしたのだが、福島の被害には特に心を痛めた。今も除染作業が進む中、人々の被災地での生活は再び始まったばかりである。恥ずかしながら放射線に関する知識に疎く今回の講義で初めて放射性セシウムが地表付近にとどまる事を知った。自分の無知さに恥じ入ると共に、記事のような取り組みが行われていたこととても嬉しく思った。スマート農業に対する懸念の強い上記の記事とは別の、スマート農業の未来について明るい展望があること嬉しく思った。個人的に酒米栽培に携わらせて頂いているので、飯舘村でとれた酒米で造った日本酒をぜひ飲んでみたいと思う。

  9. 1.(1)聞いてみよう!あなたの知らない"土の世界"-放射性セシウムとの関係-

    東日本大震災からの復興というのは東北民である私に取っても身近なものであるが、自分の中では復興しているのを感じるのは元あった状態に戻って立て直されたのを見た時であった。そのため、復興が進んでいく過程に興味を持つこともなければ、知ることもせず、正直に言えば復興することは嬉しいことだが、復興することに対してどこか他人事のように思っていた。私は除染という言葉を耳にしたことがなかった。それこそ自分の中ではいつの間にか福島における放射性物質の検出値が低下して、人も元のように暮らせるようになっていた。そのほんの1部ではあるからもしれないが、復興への取り組み、除染に対する活動というのをこれを機に知れたことは同じ分野を専攻する自分にとってはとても貴重なものとなった。土壌についてこれまで学んできたと思っていたが、土というものがここまで色々なところで使われ、役に立つ優れものだとは思いもしなかった。この講義資料を読んで土に対してもっと興味が湧き、もっと詳細な部分まで知りたいと思った。土はまだまだ色々なところに活用出来る可能性に溢れたものなのかもしれないと考えた。今すぐに具体的なものは思いつかないが、今回を通して考えるきっかけとなったと思っている。この講義資料は溝口先生の努力・行動力がよくわかる講義資料であったが、自分が1人の大学生としてこれから社会に出ていく中で、今ここで専攻している分野についてもっと将来のことを考えていかなければいけない立場に今私はいるのかなと感じた。

    (2)スマート農業の死角

    スマート農業を推進していく上で通信インフラは欠かせないものである。都市部ではかなり通信インフラが整備されていて、農業が都市部よりも盛んである地方では通信インフラは都市部と同等の整備はされていない。だからといって多種多様な農業を対象とするスマート農業の基盤として必要な通信インフラを都市部と同等すればいいというわけでもないと私は思う。色々な問題がある中でやはり需要と供給の関係が私の気になるところである。都市部は需要に見合った供給がなされていると思うが、それこそ大袈裟に言うとスマート農業のためだけに通信インフラを整備するのかという話になると私は思う。資料にもあったがローカルな通信インフラはどのようにやるかは別として1番理にかなっているのかなとは思うが、家族農業を推していくのならば、多種多様な農業に対応した通信インフラが必要なわけで、それをローカルな通信インフラでまかなえるのかというのも正直分からないところではあると私は思う。スマート農業をする上で出てくる問題は山ほどあるが、これからの未来に対応した農業をする上でスマート農業化は必要であると考える。それを考えていい方法を模索していくのがこれからやるべき事ではあると思うが、将来の子供たちに継承できるような農業を使命とするのならば、まずは子供たちに農業の現状を知ってもらい、自分たちが生きていく上でどれだけ食料生産の基盤である農業が大事で、絶やしてはいけないものかを少しでも早くから知って、興味を持たせられるかの方が大事なのかと私は考える。

  10. ・「原発事故後の農業と地域社会の再生」を読んで
    東日本大震災が発生したのは今から10年以上前のことだが、当時のことは今でも鮮明に覚えている。テレビで「福島第一原子力発電所が爆発した」というニュースを初めて見たとき、当時はその意味も事の重大さもあまり理解していなかった。小学校二年生だった私がなにか大変なことが起こっていると感じたきっかけは、福島市にある祖父母の家に長い間行けなくなったことである。約1年後に久しぶりに祖父母の家の家に遊びに行ったとき、市内は今までのような活気があまりなく、どこか殺伐とした雰囲気だった記憶がある。水道水を極力使わないようにしていたりととても異様な光景だった。中でも印象に残っているのは、祖父母が家庭栽培用に所有している畑の野菜が食べられなくなったことである。当時は土が汚染されるということの意味や除染の方法が全くと言っていいほどわからなかった。
    しかし、大学に入って農業農村工学を学んでいる今、土壌肥沃度や暗渠など講義で習った言葉がいくつも資料内に出てきていて興味深く、あっという間に読み終わってしまった。
    私がこの資料を読んで印象に残ったことについて述べていこうと思う。一つ目は、実際に現場に行きその場で実際に経験することの大切さである。自分自身が経験して思ったが、実験や測量など自分で実際に手を動かして作業したことは座学で学んだことよりも内容を理解しやすい気がする。また、実験は必ずしも成功するわけではないので班員と話し合い失敗した原因を見出すなど課題解決能力も高められると思う。インターンシップに参加して実際に現場に行って農家さんや行政の方のお話を聞いて思ったが、実際の状況とマスコミが伝えている状況には少し差異があるように感じる。「マスコミが伝える二次情報」を鵜呑みにするのではなく、自らの目で見て自ら考えることの大切さを改めて実感した。二つ目は、若者の力の大きさである。自分が今学んでいることを将来どう生かしていくか模索しているが、資料内の若者の活動例を見て数少ない「農業土木」を専攻とした学科で学んでいるということを生かして私も農業の様々な問題解決に尽力していきたいなと思った。

    ・「情報通信インフラ整備で開花する新しい農業農村の多面的機能」を読んで
    よく日本の農業の問題点や現状、課題、解決策について述べている記事を目にする。また、私自身も講義内でそれらについて考える機会が何度かあった。特に解決策について考えるときに私はいつも国内の現状や問題点を踏まえてそれらを解決するための方法を考えていた。しかし、この資料を読んで参考対象は必ずしも国内のものである必要はないという考えてみれば当たり前のことを痛感しハッとさせられた。無意識のうちに国が違えば気候や特産物、農業の形式などが異なるからと決めつけてしまっていたが、だからこそ参考にできる部分や真似できる部分があるということを実感した。国内でなく海外の農業事情を学ぶのもとても面白そうだなと思った。

  11. 1, 土と放射線 原発事故後の農業と地域社会の再生を読んで
     私はこの試料を読んで、2011年の原発事故からの復興の歩みと本当の意味での復興とは何かを知ることができた気がする。現地の人々は最初、原発事故に対する怒りや諦めが大半だったのに対して、帰村を境に「いつまでも失望してはいけない」や「どうせやるならば希望をもって自分にしかできないことをやりたい」など村民の復興に対する意識は変化していった。現状を打開するために立ち上がり行動しようとする姿勢は何事においても見習わなければならないと思う。生まれも育ちも岩手県の私にとって、同じ東北地方の福島県は距離的にはそれほど遠い場所ではなかったが、原発事故や震災の被害に関してはいままでどこか無関心だった気がする。正確に言えば興味がなかったわけではないのだが、日々のマスコミから流れてくる情報のほとんどは表面的な被害の状況や復興の進捗、人々の意識調査などであり、本質的な被害であったり課題に直面していなかったことが福島県への意識の低さにつながったのだと考えた。このことから考えるに、復興における大きな障壁の一つは当事者とそれ以外の人々との問題意識のギャップだと私は感じた。
    この資料の中で私が最も復興に欠かせないと感じた箇所は地域コミュニティの再生についてである。汚染された地域からの避難を余儀なくされた後、数年経って帰村が可能となった時点でも飯館村に帰る選択をする人はまばらであった。そしてもともとあったコミュニティは崩壊してしまった。農業の再生にはそれまでに形成されたコミュニティ内での協力が不可欠である。加えて農業の持続のためにもコミュニティの形成が必要である。それだけコミュニティの存在は復興に必要となるのに帰村する人がまばらではたとえ復興を成し遂げたとして持続が難しく、真に意味のある復興とは言えないのではないだろうか。

    2,  コロナで変わる大学教育
     コロナ禍を一つのチャンスととらえていることに驚いた。コロナのせいでサークル活動が制限されたり旅行に行けなかったりと全て悪いことのように私はとらえていた。しかしながらこの資料を見て確かに今回のコロナ禍が私を成長させてくれた側面も存在すると振り返ることができた。オンラインに触れる時間は格段に増えたし、非日常に適応する力が養われたように感じる。大学に関しても学校に行くことだけが学びの形ではないと知ることができた。オンデマンド式であったり、配信形式であったりと先生ごとにその方法は異なったが対面式にはない利点がそれぞれあったように感じる。オンデマンド式であれば先生に質問ができない代わりに何度でも動画を繰り返すことができるため、自分のペースで学習を進めることができる。対面式であればほかの生徒に気を使って授業中に繰り返してもらうことは難しいだろう。また配信形式であれば質問や意思表示を対面形式よりも容易にすることができた。はっきり言って授業中に先生たちが私たちに投げかける「何か質問はありますか」はあまり意味がないと思う。恥ずかしさもあるし、大勢の前で自分が感じた疑問を投げかけるのはとてもハードルの高いように感じる。しかしオンライン上であれば進行を妨げることなく質問をすることができるため、意思表示においては対面式よりもやりやすい側面があると考える。これらの利点はコロナ禍が起きなければ気づけなかったことである。できないことばかりに目を向けるのではなく、新たに気づけたことや限られた中での発見というのをこれからは大事にしていきたい。

  12. 講義資料 農村情報インフラ 「スマート農業の死角」を読んで
    日本が目指すべきは、地形・気候・文化等の多種多様な農業を対象にした、小回りの利く家族農業を支援するスマート農業である、との意見に同意する。世界の情勢に伴い食料事情も不安定になっている。現在日本は食料の輸入相手国がおり、金銭があれば食料と交換できるが、将来は金銭があっても交換できなくなるのではないだろうか。そうなっても食料不足を避けられる状況にするには、農作物が市場に出回り、売上による収入が農家に入ってこなくても、農家の生活環境周辺に存在する資源で生存・成長するのに最低限必要な量のものを生産できればいいのではないだろうか。つまりカロリーベースでの食料を増産することである。農業をする時、農地以外から肥料をもってこないと質の良い生産物を作れないという話を聞いたことがある。食味、食感、見た目も大事だが、究極的に人が生き残るためには栄養があるものを作ることができればよいと思う。消費者の私たちは、農産物の旬の時期に関わらず自分の好きなものを食べたい、加工された状態で食べたいという簡単便利を追求する思いがある。そのような思いよりも、万が一輸入できず、できるだけ生活環境周辺の資源のみで生きなければならないとしたらどうだろうか。近場の環境を悪くしては自らが生活できないことを考えるとして、実際に日本国内で得られ、環境負荷の少ない方法で生産した場合の食料の質が、どのようなものかを調べる必要がある。化学肥料、除草剤、太陽の代わりの人工光源を省いて生産した農作物は、見た目はもちろん、栄養素はどのくらい存在するのかが気になっている。安価で即効性のある化学肥料を、比較的高価で効果の利きが遅い有機肥料に置き換え、また、「剤」を使わずに除草するために刈り払い機を使い、天気が悪い時の人工光源、場合によっては人工熱源も使用して、できるだけ生態系を保全するかたちで農業をするならば、自然由来であり、動力確保後の装置の廃棄に環境負荷が少ないエネルギーを使うのが望ましいと思う。そういう意味でバイオマスをエネルギー源にするのはいいかもしれないが費用面等の課題が残る。以上に述べた、日本国内の人々の成長と生存を確保するうえで最低限必要な栄養素のある食料を、できるだけ環境負荷が少ない方法で生産する、ことを実現するのは難しい。大規模、企業でなくても、儲けが多くなくても通信基盤整備を進めるのは大切だと思う。農業一本では生活費を稼げないが、ICTを使い他のものでも収入を得られる状況を生み出していくことは、溝口先生が話されていた農村振興へつながるはずである。小規模家族経営型の農業経営体が多い日本で、地形・気候・文化、人口、労働力の減少にも対応しうる農業を促進すれば、農業に携わる際の心理的、物理的、金銭的制約を少なくし、国内で食料を生産する人口を増やせると期待するからだ。今のままでは農業は儲からず、比較的若者の農家が少ない。情報通信基盤整備から始め、最初は赤字状態でも、この赤字部分は他の産業に一時的に補填してもらい、農業と何か、の組み合わせで徐々に農業の収入も増やしていくのがよいのではないだろうか。長期的な視点に立って、水田稲作のような、日本のもつ強み、特長を確認していき、時間がかかっても人材を育てることが重要だと考える。農業に限らず各分野での教育が結果的に人材となり国を支えるものになるはずだ。教育、食料、福祉等の次世代へつなぐ社会をつくり続けるために、今できることを探り、試していくことを考えさせられた。水田稲作のIoTを水田畑作になにか応用できないかがさらに気になった。

    講義資料2 下野新聞 日曜論壇 「難問に挑む人材の活用を」 を読んで
     要領のよい都会派の学生がいる、との文章には、そうなのかと驚く一方、他者から評価されるもの以外に突っ走ることを許されない状況にあることの現れが要領の良さなのかもしれないと思った。理由の一つはSNS等で嫌でも他者のことが目につき、他者と比べられ、尖った者が叩かれやすいからではないだろうか。研究に関しては、研究に着手する前に、「その研究がどう社会に役に立つのか」、とすぐに成果を求められる状況にあるように思われる。国、自治体にお金がなく、物価が上がり、日本銀行の生活意識アンケートで出されているように国民にとっての景況感があまりよろしくないなか、成果が見えにくい研究活動への出資に足踏みしていることが影響していると思われる。首都圏には儲けのでる仕事があるため人が集まり、首都圏から離れた場所で儲けのでる仕事は減り人が少なくなる。人手を省くための最新の設備を導入できなくなる様子が思い浮かんだ。今回の授業で、地方大学生は地方の現状、課題を近くで感じられると聞いた。土地に対して労働者がいない農業と、それに取り組む人の動向を察知しやすいことは、地方大学生は日本を支える基盤である、農業について正面から考えられる環境にいる、という利点なのかもしれない。「正解がなく、逃げることのできない問題に対しては愚直に真正面から取り組む人材が必要」との文章には、すぐに答えや、わかりやすい結果が見えなくても取り組み続ける姿勢が自分にはあるだろうか、と考えさせられた。安易にスマホ等に逃げて取り組むのをやめていないだろうか、と。学部3年の私にとって、卒業研究が、答えのない問題に取り組む状況になりうる。社会にある出来事を扱ううえで役立つのはこれまで勉強してきた理論、基礎科目ではないだろうか。また、大学院博士課程で学べる、「難しい問題を解ける問題に変換する方法」は社会で活かされる技術であると考える。問題のどの部分ならば手をつけられるか、と考え、未熟な学生でありながらも勉強した分野を切り口にして調べていき、まずは小さな目標を達成していく。小さな目標達成を積み重ね、最終的に大きな目標を達成していく、という構想を立てる。このような過程を大学では経験できるはずだ。そして、論文にする方法は、自分の考えと調査結果と、結果から導ける考察を、根拠をもって図表等でわかりやすく他者に伝えるために重要だ。現実の問題を見続けるのがつらい時も、勉強してきたことや人間関係を振り返りつつ、問題の理解から始め、岩登りのハーケンのように掴める部分をつくり続け、良い方向に近づく手がかりを見つけていきたい。この授業で、小規模な農家でも暮らしていけることが農村振興に繋がりうる、IoTから繋がりうる、と示していただいたことは大変ありがたいことだった。

  13. (1)スマート農業の死角
      ICTやIoTなどの最新テクノロジーを国策として進めていき、一見して日本全体にスマート農業が浸透しているかのように思ってしまいがちだが実際に農業をしている農家には浸透しておらず、いわゆるスマート農業の死角が存在すると指摘されているのが本記事の内容である。というのも、地域社会の持続的な発展のために家族農業が注目されているが現在政府が一丸となって推し進めているスマート農業と実際に現場で農家から求められているスマート農業とは内容がかけ離れているということだ。2025年までには農業の担い手のほぼ全員がデータを活用できるようにすると政府は宣言しているものの2023年が終わろうとしている今、その目標の達成はほぼ確実に難しいといえるだろう。日本の中でも例外的に北海道などの広大な大地での農業にはスマート農業は適応しやすいのかもしれないが水田稲作が特徴の日本の農業には向かないのである。日本の農業の特徴に沿って、歴史的に受け継がれてきた先人たちの知恵を最大限生かすことを念頭に置くのが最優先ではないかと考える。少子高齢化が深刻化する日本で農業の担い手不足を解消する手立てとして進められてきたスマート農業だがそもそも日本の農家の大部分は家族農業(家族経営)であるため農業地域の通信整備がままならないという理由からスマート農業が普及しきらないという現状を考慮するとスマート化が与える影響も現時点でそこまで大きくないのだろうと思った。また、教授は政府の2025年までに農家のほぼ全員がデータを活用できるようにする、と語っていますが政策通り進まない原因は何だったと思いますか?

    (2)福島県飯館村の除染に尽力−スマート農業で再生へ−
      震災、そして原発事故で放射線による汚染の影響を受けた土壌が再生を目指すにあたってスマート農業が助けになっていることに驚いた。実害に加え風評被害でかなりの痛手を負い飯館村を離れてしまう住民も多かっただろうがこのスマート農業を活用することで帰村率を高めることにつながるのであれば進めるかいがあると思った。しかし飯館村だけでなく今後放射能の影響を受けた福島の土壌全体を除染させ人が返ってきた際にはスマート農業とこれまでの農業の方法と併用させることで福島の農業を再起させるだけでなく引いては日本の新たな農業の先駆けになりうる可能性も秘めているかもしれない。しかし都会に一度は出てみたいと思う若者たちや、いちど汚染された地域にわざわざ住んでみたいと思ってくれる人はなかなか少ないのではないかと現実的に思った。
      そして今後私も農業土木に携わっていく一員として現場を知ることが何より大事だという教授のお言葉を忘れず現場主義で努めていこうと思った。現場の声をネットや人づて頼りにするのではなく自分で行動して取り入れようとする姿勢を忘れないことが大事だと思った。

  14. ・スマート農業の死角を読んで
     現在の農業における問題の大まかな概要は周知であり、国がその対策を講じ始めているという状況は、農家にとって良好な風向きであることは間違いないと考えた。しかしその一方で、“スマート農業”という言葉が、概念的に“重要”あるいは“大切”といった大雑把な感覚で広がっているような感じにも見受けられた。国と農家という離れた領分であることが原因で、その実態がどのようなものであり、実際のところ何が求められているのかという部分に差異が生じている状況が現在の問題になっていることが分かった。また、農家というもの自体が、一般家庭的(記事中では普通と表記されている)な農家と、メーカーが運営する大規模的な農家の2種類あるという部分を、内閣府が軽視しているようにも感じられた。現実的に考えると、人材不足や高齢化といった多くの問題を抱える農業において、大規模的な農家が一般家庭的な農家の代替わりすることができれば、実質的にこれらの課題は解決されるという風に判断されることは多少とも理解はでき、内閣府が現在までのような策をとるに至った経緯を容易に否定することはできないと感じたものの、これらが推し進められるということは、現在農業を営んでいる農家がより一層窮地に立たされることを意味していると考え、易々と賛同することはできないと考えた。アメリカや中国、オーストラリアといった国が、俗にいうスマート農業を進めることができる要因は、広大な土地があるという背景があることは言うまでもなく、狭く山間地域が多い日本にこれが適応されるとはなかなか考えにくい。持続可能性という言葉が様々な分野で謳われる現代では、記事序盤に記されたようなスマート農業は、先に述べた国ほど機能しないのではないかと考えられ、我々に与えられている限られた資源を生かす方法の模索が重要であると推察した。記事になかでは、それらを目指す過程における問題点や課題がいくつか記されており、道のりとして険しいものであることを認めざるを得ないと考えた一方で、実現できた暁には、現在謳われているスマート農業よりもはるかに有効なものになるのではないかと評価した。それにおいては、農水省と農家の関係性が重要になることが推測され、先生をはじめとする潤滑油となりえる役割が必要であるとも考えた。各地域、各農家で事情は大きく異なり、多種多様な農業スタイルの実現が要求されることが考えられ、農水省や農家などが連携した形で、日本における最適なスマート農業の実現が望ましいと思った。
    この記事を読んで、スマート農業という言葉の履き違いが問題になっていることがわかった一方で、内閣府はこれらのことに全く気が付いていないのか、または無視をしているのかということが気になり、もし後者であるとするならば、先生はそれを改善するにはどのような方法が適切であると考えているのかをご教授頂きたいと思った。

    ・土壌物理学者が仕掛ける農業復興-農民による農民のための農地除染を読んで
    土壌中に存在するセシウムの除染をするにあたり、専門家と一般人の間に大きな知識量の差があり、そのような部分が復興における足枷になっていることを知った。専門家は、データを参照し知見のある判断をしているのに対し、一般人は直感的に感じた危険性や感情によって判断をしている人が多いのではないかと考えた。これに関しては、どちらが悪いという次元の問題ではないと考えており、実際同じような状況に遭遇した場合、自分に科学的知見を見せられても、それにどれくらいの信頼を置いたら良いのかということは判断できず、飯館村の住民のようになかなか受け入れることができなくなるのではないかという風に感じた。またそこには、“専門家は「その地に住む」という責任を負うことがないから言いたいことが言えるのではないか”というような考え方も存在しているのではないかと推測した。実際、放射線のリスクと隣り合わせになるのは飯館村の住民であり、専門家はいわば対岸の火事という見方しているのではないかと誤解されてしまうことも残念ながらありうると考えた。しかし今回の事案においては、簡易の動画をYouTube上に投稿するという方法で理解を促しており、理論を可視化できるような状態にしたことで、専門家と一般人との間に知識の共有が可能になったのではないかと感じた。これは、農業復興を進める上で大切な“理解”を助ける重要な手立てになっていることが推測した。また、放射線セシウムの処理という農地除染にとどまらず、将来のビジョンを見据えた、「飯館ブランド」を住民と一緒に作り上げていくことで、専門家もともに生きてくということを誇示した復興を遂行しており、先生をはじめとする専門家と、飯館村の住民との間に強固な信頼関係が形成されているようにも感じ、これらによって、先に述べたような住民が感じうる不信感や十分にない信頼感といった問題をクリアにしたのではないかと考えた。今回の復興事業の成功にはこれらが大きく関与しているのではないかと考え、ただ問題を解決するという部分だけが重要ではないのだということを知った。記事全体を通して、復興事業の難しさを理解することができたのと同時に、生じた害を取り除くことだけが復興という言葉ではなく、元の場所に戻ってきた人がしっかりとした生活を送れるようにするということが、復興という言葉の本質的な意味なのではないかと推測した。
    この記事を読んで、復興事業における難しさの一例を知ることができ、タメになったと感じ、他にもどのような部分で苦労等があったのかということが知りたいと思った。

  15. 3. 聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”-放射性セシウムとの関係-

     私自身東日本大震災を経験し、地震が収まったあとでも抗議でもあったように福島第一原子力発電所の事故による放射線の問題が長い間危険視されていた。私も当時、食料品が放射能汚染されているのではないかといわれており、おびえながら過ごしていた記憶がある。そのような中でこの記事を読んで、土壌とセシウムの関係についてよく知ることができたことに加え、今まで私が考えていたことが間違っていたと気づいた。
    放射能セシウムのほとんどが 5cm よりも浅い層で動かずにとどまっていること、カリウムで補填すると植物にはほとんど吸収されないこと、表土を削り取るだけでほとんどの汚染物質が取り除けることなど、放射線物質はどこかずっと残り続けてしまうという印象があったため、自分の考えを改める機会となった。
     しかし、表土を削り取った汚染された土をどこかに保存しなければならないという問題があるという点も忘れてならない。多くの人が納得できるような処理の仕方を模索する必要があると考えた。また、除染後の農地は排水不良になり、水がなかなか抜けにくい状態になってしまうという問題点も発生してしまうことなど、やはり放射線セシウムの後処理に苦労してしまう。これらの問題を解決するためにもそこに暮らす人々の意見も聞きつつ、最善な方法で対処していくことが重要であり、そのバランスを見出すことも困難さを感じた。

    4.農業農村開発の技術を考える
    まず、農業農村工学とは、農業の生産性向上と農村の生活環境の整備、農業農村にかかわる中小都市も含めた地域全体の持続的発展を図るため、循環を基調とした社会を構築し、水・土などの地域資源を、人と自然の調和、環境への配慮を重視して合理的に管理する科学技術であるという意味を持っていることを改めて確認できた。その中で近年の農業農村工学は、統的な栽培技術や灌漑・排水技術などの他に、最近の ICT/IoT 等の技術が取り入れられ始めているが、あまり普及しているとは考えられない。その理由として考えられることは、導入コストの高さ、利用方法の不明さ等の問題が挙げられる。あくまでもそれらの技術を利用するのは農家であるため、農業農村の声に耳を傾け、解決すべき正しい課題を設定し、農業農村の生活者の役に立つ手段を提供する責任があると考えられる。
    導入した農業技術が普及しそこに根付くかどうかは、結局そこに暮らす人々に依存してしまうと感じた。ハイテクな技術のみを普及させていくだけではなく、ときには従来のや

  16. 1.開発途上国における農業農村開発と DX
     日本での DX 化はそこまで進んでいるというイメージがなかったため開発途上国ではよりアナログな農業が行われていると思っていたが、実際、日本は DX 後進国と言っても過言ではなく開発途上国の農業は DX 化が進んでいることが分かった。農業のデジタル化が開発途上国含め同時進行的に起きているということだったが、技術は先進国の方が最新のものを使えたり、開発途上国ではインターネットや携帯の電波の届く場所の広さが先進国よりも狭かったりといった先進国に技術的に遅れをとる部分あるかと思うが先進国と開発途上国では DX 化の進行状況にそこまで大きな差はないのかが気になった。開発途上国のDX 化はどの国も大きな差はなく順調に進行していると思っていたが資金面の支援が受けられずビジネスとして継続が困難であったり、通信環境の問題からリモートセンシングやIoT ソリューション導入がスムーズに進まなかったりと国ごとに様々な課題を抱えていることがわかった。また、挙げられた課題の中で農民の識字率が引くことと農民が金融口座を持たないという課題は日本に住む私からは考えつかない課題であったため、このような国があるということに驚いた。これらの農民の識字率と金融口座の課題は農業の課題というよりは国の課題であると感じるので国の発展が DX 化に追いついていないという印象を受けた。こういった農業以前の課題は農家達だけでどうにかなるような問題ではないように思うので解決が難しい課題だと感じた。開発途上国の国々が急速に DX 化を進展させている中で日本が DX 後進国となってしまっている現状は開発途上国では一次産業に関わる人の割合が多いため積極的な発展が起こっているが日本では一次産業の従事者が少なくな ってしまっているため他の産業に比べ蔑ろにされてしまっているのが原因ではないかと考えるが実際は何が要因で起こってしまったのか疑問に思った。

    2. 原発事故後の農業と地域社会の再生
    この文章を読んで、メディアなどで受け取る原発事故のイメージよりもよりリアルな内容であると感じた。実際に見たり聞いたりしたことを脚色なしで書かれているため農村の実態や農家の本音を知ることが出来た。原発事故後に飯舘村の土地で農業をやっていくというのは 0 からのスタートよりも厳しいマイナスからのスタートであったと思うが農家の人たちの、農家の跡継ぎとしての責任感から飯舘村の土地を捨てずに諦めない姿はとてもかっこよく感じられた。原子力発電をするにあたって原発事故が起こったときの被害の大きさは分かりきっていたのにも関わらず、絶対に原発事故が起こらないように対策をしていなかったり、国の除染工事によって暗渠が破壊されていたりと原発事故が起きる前も起きた後も対応が非常に雑に感じられた。文章を読む限りでは国や東京電力に対する不信感を抱いてしまうが実際のところ飯舘村の人たちは国の対応に対してどのように感じていたのかが気になった。原爆の被害は放射能による単純な物理的被害だけでなく農業に地域コミュニティが破壊されたり、地域から避難のため一度出て行った人たちが戻ってこなくな ってしまったりといった間接的な被害も非常に大きく、想像以上の被害が生まれていた。原発事故の被害を受けた人たちは国からの支援や賠償を受け取ったと思うが、その内容に対してどれほどの満足度を持っているのか疑問に思った。新しい学習法として名付けられていた FPBL は素晴らしい学習法であると思った。SBL や PBL よりも FPBL が優れていると思う点はフィールド学習によって体を動かしながら学習することが出来る点である。実際に体を動かしながら学習する方が他の学習法よりも印象に残りやすいと感じるうえに、適度に体を動かした方が集中力も長時間持続すると思った。膨大な量の情報を学習しなければならない現代では時間効率的に SBL がより短時間で情報を頭に詰め込むことができるため主流であるが、SBL の中に適度に FPBL を組み込むことでリフレッシュされより効率的な学習ができると思った。私は原発事故についてあまり知識がなかったが今回の講義を通してその被害の大きさや現地の人たちの想いなどを知ることができた。

  17. 1.「聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”〜放射性セシウムとの関係〜」
     まず土には多くの能力があるという印象を持った。大学の土壌物理学や土質力学などの講義で土中の水の動きや土の緩衝作用について学ぶ機会があった。しかし、資料内では粘土の構造上の性質によりセシウムが吸着され、粘土の粒子が細かく濾過が可能である性質から、セシウムの除染作業に活用に役立てられるといった、これまで自分の知らなかった土の役立て方について述べられていた。放射性物質はとても扱いが難しく、除染作業といえば土そのものを剥ぎ取らなければならないというイメージが強かったがもっと簡単な方法でできるというのは驚きだった。土にはまだまだ知らない魅力があり、研究対象としてはとても貴重なものであるように感じられた。農業農村工学を専攻している立場としては、農業に関わる上で欠かせない存在である土について今後も興味を持っていきたいと思う。そのうえで、研究の結果は正しく扱われる必要があると感じた。資料でも触れられているように、放射性物質と粘度の関係について深く知っている人がいなかったために除染方法として採用されなかったり、研究者が正確なデータを政府に提出していたとしても政府と国民の間で信頼関係が成り立っていないためにデータまで疑われたりといった事態が起こってしまっている。このように研究と関係のないところで問題が起こることは損失でしかなく、非常に残念であると思う。いくら数値的に安全であることが証明できたとしても、信用できない、なんとなく嫌だからといった感情論で片づけられてしまっては研究そのものの意味が無くなってしまうからである。ものの感じ方、感受性は人によって本当に様々であるが、何かを感じただけで終わらずその物事を深く知ろうとする姿勢が、すべての人々にとって必要であると思った。

    2.農業農村開発の技術を考える
     特に印象に残ったのは、ある分野において技術の進歩が起こったときにもたらされるものは良いものばかりではないということである。普段の生活の中で意識をすることはないが、農業はそれ単体だけの産業ではなく、その周りを囲む文化や自然など様々な要素によって成り立っている。新しい技術は人々の労働時間を減らし、より効率的に動くことを可能とするが、苦労しなくなるということは助け合うという行為がなくなることでもある。これまでの人類の歴史は人々が集団で生活することによって生み出されていった。しかし、今後は技術のサポートによって身近な人に頼らずとも生きていくことが容易になると考えられるため、これまでとはまた違った文化が形成されていくのだと思う。私は、既存の伝統や文化に対して、新たな技術を取り入れるという行為は必ずしも対立するものではないと考える。昔からの伝統を完全に守るために新しい技術を拒絶するのではなく、新しい技術を絶対的に優良なものとして伝統を切り捨てるのでもなく、うまく融合した形で進化していくことが大切なのだと思った。特に現代を生きる我々にとっては、新たな技術がとても美しく見えるために、昔から存在していたものの価値を見失うことはよくある話である。自分が生きていない以上、過去について認識を深めることは困難であるが、一つの視点として目を向ける姿勢は大切だと思った。

  18. 聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”-放射性セシウムとの関係-

     これを読んで考えたことが2つあります。
    1つは、福島の原発事故について何も知らなすぎた、ということです。私は福島から遠く離れたところで暮らしてきたので原発事故のことをどこか他人事のように捉えていて、岩手大学に入学してからも興味がなかったので特に知ろうともしてきませんでした。それゆえにこの講義資料を読んでセシウムが放射能汚染のもとであること、汚染された耕地の除染を試みていたこと、様々な除染方法が考案され実験されていたことを知り、なにより土壌物理という学問分野が除染に大きく関わっているということに驚きました。土壌物理学の論文を探しているときにセシウムという単語を見かける理由が少し分かったような気がします。
     2つめは、科学は世のためになってこそ価値があるのだということです。「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉や土壌物理学が除染に大いに貢献していること、逆にSPEEDIの予測が世間に活用されなかったことをふまえ、科学技術の進歩・発展は社会をより豊かにするためにあるのだということを強く認識しました。ただ、科学技術の恩恵を十分に享受するためには受け入れる側の心の持ちようも大事だと考えます。科学の発展で分かったこと・得られた技術を「分からないから」と拒絶するのか、それとも信用して受け入れるのか、資料にあったように原発事故が科学技術の信用を揺るがしたのかどうかは私には分からないですが、科学技術を信用するという土台を作ることがこれから必要になってくるのではないかと感じました。

    難問に挑む人材の活用を

    この記事を読んで考えたのは、やはりよほどのことがない限り博士課程に進学するというのはやめておいた方がいいということです。日本においては博士号を取得するメリットがデメリットに見合っていないように思います。まず、大学にお金を払って研究しているという構図が良くないと感じます。修士までとは違って博士課程からは一人の研究者として扱われるという話はよく聞きますが、それならば学費を払うのではなくむしろ給料を貰うべきなのではないかとすら思ってしまいます。次に、記事の方にもあったように就職先が少ないということが問題であると考えます。博士課程を出たら大体27歳くらいで、そこからポスドクでなれるか分からない教授を目指すのか、或いは待遇が良くないと聞く研究職に就くのか、と考えると働き口が沢山ある修士で就職するのは自明と言えます。在学中も卒業後も日本の「博士を軽視する風潮」の影響が大きく、日本の科学力の衰退が危惧される所まで来ているのではないでしょうか。衰退の良し悪しは私には分かりませんが、もっと待遇を良くしてくれれば博士課程に進学したくなるのになと感じます。

  19. 【農村情報インフラ @開発途上国における農業農村開発と DX】
    この記事を選択した理由は、受講する中で海外の動向に興味が沸き、日本とどのような違いがあるのか疑問に思ったからである。記事の要約は以下の通りである。
    グローバルレベルで DX による社会変化が起きた要因は、インターネット接続が可能なデータ通信環境、常に使用できる情報端末の普及、多様なデータの収集が、各地で同時に使用できるようになったためである。これにより、デジタルデータをインターネット経由で収集、解析するとこができ、開発途上国でもデジタルサービスが提供されるようになった。また、これらの国は、先進国よりも個人情報保護など規制が少ないため、革新的なデジタルサービスが登場しやすく、スタートアップ企業に先進国などからの投資が急増している。デジタル化の課題は複数挙げることができる。世界の DX 化に伴い、農産物のバリ ューチェーンの各段階に合わせたデジタルサービスが出現しているが、加工、保管など導入が難しい分野もある。また、デジタル化が急速に進んだため、営農技術の指導や農業インフラの整備が追い付いていない。デジタル化のコストが高い点も課題の原因となっている。DXサービスの事業の継続が困難になったスタートアップ企業、政府機関の予算が尽きて中止されたDX事業が存在する。
    この記事を読んで、もともとこの分野に対して無知であることに加え、日本の DX 化の進捗状況を基準として考えていたため、想像していたよりも開発途上国の DX 化が進んでいることに驚きを感じた。インドネシアでは、農民への与信が難しく農民資金が不足する課題があるため、スタートアップ企業は、クラウドファンディングなどの金融系を出自とする企業が多い。また、IoT 機器やドローンを用いた圃場の計測サービスを提供している。インドネシア、インドで DX が進んでいるのは、政府がデジタル技術、サービスを提供する企業に、投資や協力を行っており、農家へのサービス提供が充実しているためであると考える。だからといって、同じような企業を日本に作ればいいのではなく、その地域の農地の利用状況など既存の営農に適切なサービスを提供する必要があると考える。

    【下野新聞 日曜論壇 B学問は出会いと現場から】
    この記事を選択した理由は、溝口先生が講義の中で「現場第一主義」の考えについて話おり、共感したとともに、大学生活において座学で学び続けている現状に疑問を持ったからである。記事の要約は以下の通りである。
    福島県飯舘村は、帰村した農家に「農地を守る農業」「生きがい農業」「なりわい農業」「新たな農業」という4つのスタイルを提案している。菅野宗夫さんは、2021年からNPO 法人ふくしま再生の会と共に除染実験を行い、除染した水田で育てられた酒米で「不死鳥の如く」を造っている。溝口先生の協力のもと遠隔地から稲の様子をカメラで観察しながら水門の開閉の操作を可能にした。ハウス内ではデータに基づいて液肥を自動灌水する土耕栽培システムが稼働し「新しい農業」を行っている。大久保金一さんは、NPO法人の活動を通して多くの人との交流をきっかけに、「生きがい農業」としてさまざまな花の球根を植え続けている。福島の農業再生のためには、現場の農民の声に耳を傾け、専門分野をうまくつなぐ総合的なアプローチが必要である。大学生には、現場から課題を発見し、学問と社会を繋ぐ道を築いてほしい。
    ここ最近の中で、私が現場を体験したのは、夏休みに行われた北海道開発局のインターンシップである。5日間行われたが、そのほとんどが事業の現場見学であった。復興とは異なるが、計画される事業の元はその地域の農業従事者の声である。目的はことなるが現場への姿勢は共通する。インターンシップ期間中、農業従事者の方と会話する機会はなか ったが、従業員の方とは、業務内容や仕事の向き合い方などさまざまな事を聞くことがき、非常に有意義であった。農地に赴くには、NPOの活動に参加など機会は限られている。しかし、他の講義では県庁、民間企業の業務説明会や卒業生の懇親会が予定されている。現場とは離れているかもしれないが、第一歩としてこれらに積極的に参加し、これからどのような卒業研究を行うか、学問をどのように生かすかを見つけたいと思う。
環境修復学23@岩手大学
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大学院農学生命科学研究科農学国際専攻
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Last Update 2023/11/21