食をめぐる土と水の環境科学19レポート



食をめぐる土と水の環境科学(2019.5.23)  選択者 18名
担当: 溝口勝

レポート課題:

溝口研究室(Mizo lab.)ホームページのTopicsの記事の中から2つを選んで読み、講義を聴いたことを参考にしながら、「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」考えを述べよ。A4で1枚から2枚程度にまとめて提出すること。

(一部のレポートはPDFからテキスト変換がうまくいっていない箇所があります)

  1. 僕は農業の専門家ではないから、生産の手法に関わることはできない。しかし、一つだけ農業に密接に関わっていることがある。それは、我々は農業に「消費者」として関わっているということである。
       東日本大震災以降、福島県の農業は壊滅的なダメージを受けているが、それの主な原因の一つとして、風評被害がある。風評被害は主に、原発事故によるセシウムといった放射性物質による汚染に対する懸念である。  一般人目線で考えると、放射性物質の怖いところは、目に見えず、すぐに効果が現れず、そして健康を損なっていくというところである。目に見えないゆえに、様々なデマが飛び交い、事実とは異なる噂で福島県の農業再生の機会が失われているのである。
      「飯館村に通って8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」によると、「までい工法」によって、低コストで除染を確実に行いながら農作を行えるようにするという工法の確立について描かれている。これらがいかに合理的な手法であり、それにより農業生産が再び行えるようになったとしても、風評被害により、消費者側が拒絶してしまった場合、これらの努力は無駄になってしまうのである。 これらのことから、私たちが被災地の農業再生に寄与できることの一つとして、被災地の農業の生産プロセスや実際の科学的データに基づいた、正しい情報への知見を増やし、風評被害を打破することがあると考える。消費者側が正しい知識を持つことで、嘘を嘘だと見抜く能力が得られ、それらが多くの消費者に広がっていくことで自然と風評被害は薄れていくはずだ。
     

  2. pdf

  3. 先生の授業、そして溝ラボホームページの記事を読んで「私自身にできそうな」被災地の農業再生として思いついたことは二つある。
     
      まず考えたのは被災地での教育活動である。
      コロンブスの記事で溝口先生が自身の被災地での教育活動に関して
      「地域の未来を担うのは子ど もたちです。彼らか?正しい知識 や情報を学ぶとともに、はやい 段階で『人のため』『地域のため』に自分に何ができるか
      を考える機会になれば…」 [溝口, 飯舘村に通いつつ?けて約8年土壌物理学者による地域復興と農業再生, 2019]
      と発言されているように、地域の未来のために子どもたちに教育することは重要である。一介の文科学生である私に教育などという大それたことはできない、という思いもよぎったが、幼稚園性や小学生に水と土の不思議を教え、彼・彼女らの科学・農業への糸口なることぐらいならできるのではないか、と思う。東京大学ではそのような地方へ出向いての教育活動などの体験活動プログラムが多々あるので、今後参加できればと思う。
     
      次に、現地に赴かずとも東京にいながらできる、被災地の農業再生に寄与することはあるか考えた。そして考えたのは、被災地の農作物を積極的に買うことである。今でも福島県などの農作物は放射能に汚染されているなどの風評被害が根強い。しかし、この講義でもあったように、土壌の浄化や技術開発により今や福島県産のも
      のでセシウムが基準値以上検出されているものはないに等しい。 [福島県, 2019] よって積極的に被災地産の農作物を買うとともに、自分の周りの人々にも購買運動を広げていったら被災地の農家の方々の原動力にもなるし、被災地での農業がより活発になるのではないかと思う。
     
      以上微力ながら自分にできる被災地の農業再生について考えた。一人の力はささやかなものかもしれないが、自分にできることは可能な限りしていきたいと思う。自分自身にできる被災地の農業再生について、これからも考え続けていきたい。
     
     
      参考・引用文献
      溝口. (2019). 飯舘村に通いつづけて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生.
      コロンブス.
      .
      溝口. (2019). 農業農村開発の技術を考える. ARDEC.
      福島県. (2019). 緊急時モニタリング検査結果について(福島県・野菜・果実).
     
     
     

  4.   本講義を通じて、飯館村の放射性セシウムによる土壌汚染に対し東大農学部がどのような活動を行なってきたのかが理解できた。そして一大学生という自分の立場からでも被災地の農業再生についてどのような取り組みが出来うるか考えた。
      まず、国の方針の結果除去された汚染土が飯館村の優良な農地の上に山積みにされているという現状に対し、凍土の剥ぎ取りといった農家自身で実施できる除去方法は、放射性セシウムは農地土壌の表面付近の粘土粒子に固定されているという点を踏まえた上でもとても有効だということが講義を通じて理解できた。この方法を汚染農地で普及させるには、放射性セシウムの被害を抑制する上でのこの有効性を農家が理解し、自分達で取り組みたいと思えることが重要だと思う。そのために、専門家と農家が現地で交流する機会を設ける事が取り組みとして挙げられると考えた。具体的には、セシウムが土壌表面に固定されており冬季に凍土を剥ぎ取る事で除去できる事、また汚染土は埋めて非汚染土・アスファルトで覆えばセシウムの移動は防ぐ事ができ、時間の経過とともに放射量は自然減衰していくという事を、専門家の方がデータを提示しながら農家に説明する。これによって農家側も論理的に有効性が理解できる。加えて専門家が実際に農地においてこの手法を農家とともに実際にやってみる。この結果、両者の間に信頼関係も生まれ、凍土の剥ぎ取りなどの手法を知識に終わらせる事なく農家自身でも継続して実施できる事が、行き先未定の汚染度の山積を中止した上での土壌除染への近道だと考えた。
      また、溝口研究室の記事(飯舘村に通いつづけて約8年ー土壌物理学者による地域復興と農業再生)を読んで、被災地での教育も地域の農業の将来を踏まえた上で重要だと思った。除染による農地再生がなされなければ村の存亡の危機につながるということを周知し、若いうちから農業の重要性を地域住民が理解する事で、農業への親しみが増し関心が高まると考えられる。大学生としては休暇中などに地域を訪問し小学生などを対象とした簡単なワークショップを開く事ができると思う。水、土、ペットボトルなど容易に準備できるものを用いて、小学生でも理解しやすいように農地の土壌の性質やセシウムの固定・移動などを説明し、また作物に対する放射性セシウムの影響なども模造紙などを使い噛み砕いて説明すれば、彼らにとっても身近な話題となると思う。被災地の子供達がこのように放射能汚染と地域農業に触れる機会を早いうちから設ける事で、中学高校と学習が進んだ際にも地域の活性化のために何が自分達にできるのかを考え将来的に行動に移す契機となりうるのではないか。
      被災地だけではなく、他地域の消費者側による農業再生への取り組みも必要であろう。一つ目に、農産物の販売を促進するには、東北地方で栽培された農作物に対する風評被害の払拭が最大の課題だと思われる。対策としては、講義で紹介されたような、福島産の作物の放射性セシウム含有量が国の規定値を下回っているという事実を、データとともに提示する機会を作ることが挙げられる。また、そもそも農作物の含有量の基準は国や地域によって異なっており、また日常的に放射線を受けている事を知らない消費者も多いと思う。大学生としてはこの事実を周知する活動を、新聞などの大きなメディアで取り上げられる事を目標に、snsなどを通じて行う事などができるのではないか。二つ目に、被災した農地に対し消費者が直接できる支援としては、資金の供給があると思う。自分でも始められる手段としてはクラウドファンディングが挙げられるだろう。現行のもの以外の農被災地の農業再生について(溝口) J1-190318 加藤怜奈地再生法を、前述の農家に対する説明と同様にデータとともに消費者にも紹介する事で、理解が得られると思う。
      以上のように、被災した農地、現地における活動、そして他地域の消費者に働きかける活動の双方が被災地の農業の再生につながると考えられ、その中には大学生でも実践できそうなものもある事が分かった。今回の講義を契機に、今後も被災地の農業の動向に目を向けていきたいと思う。
      参考記事
      飯舘村に通いつづけて約8年ー土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス
      2019.5)
      農業農村開発の技術を考える、ARDEC http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec60/
      ard60_key_note_g.html http://utf.u-tokyo.ac.jp/2013/07/post-43c5.html
     
     

  5. 1.「飯館村に通い続けて約 8 年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読んで
      飯館村は中山間地にあり、東日本大震災時の原発事故により放射性セシウム汚染を受け、全村避難となった。避難指示解除後も帰村は進まず、現在も帰村率は 15%程度にとどまり、若者の帰村は少ない。「福島復興農業工学会」は「までい工法」という、田車を使用し泥水を掻き出しあらかじめ掘っておいた田んぼの隅の穴に流しセシウムを吸着した粘土鉱物のみを表層に残らせ、その上に新しい土を 50 センチほど被せる、農地除染法を考案した。これは農家自身の手でできるという利点があり、実験でも効果が証明されたが、国がすすめてきた結果としての汚染土の放置を生む大型の建設機械による表土除去が続けられた。また、スマホやタブレット端末から農畜産物生育の状況を画像やセンサで確認するシステムなどを導入する ICT 農業の導入をすすめるが、データの通信環境が未整備で不十分であり、総務省に「電波特区」の建設を打診する段階である。他にも、特産品開発、教育活動を行っている。
      この記事を読んで私は、被災地の農業再生には農地除染、高速電信インフラの整備のみならず農業の担い手となる若者の招請に国の協力が不可欠なものの、国が土壌物理学などの専門家の意見に対し柔軟な対応ができていないことで、被災地の農業再生がなかなか進んでいないと感じた。国が方針を変えなければこの問題の解決は困難であると思われるが、私自身に何ができるであろうか。国に方針を変えてもらうには官僚に正しい専門知識を理解してもらうしかない。世間の多くの人々が新しい知識を受けいれていく様子がみられたならば国も方針を変えざるを得ないのではないだろうか。そこで SNS など若者になじみの深いメディアで「までい工法」の効果、ICT 農業の成果を発信することが、私自身にもできる被災地の農業再生への貢献であると考えた。専門家の知識を専門家たちのもので終わらせてしまっては実践的な取り組み期待できないため、私のような若い学生などが新しい知識を発信し同世代に広げていくことが重要だと思う。
     
      2.「私の土壌物理履歴書」を読んで 溝口先生は、農家に生まれ農業の現場を知っていながら、現実離れした土壌研究を行い土壌情報科学を開始し、結果的にそれが東日本大震災後の農業再生に取り組む現場主義的な土壌物理学につながった。
      先生は記事で「学生には若者の感覚を大切にしながら興味のあることをストレートに追及してほしい」と述べており、机上の理論を突きつめて最終的には現場、現実に還元していくことが重要なのであると思った。私は文系学生、法学部進学志望であり土壌物理学、土壌の研究に熱中することはないと思うが、記事によると役人と土壌物理学者とのコミュニケーション不足、多数かつ他分野の学者、人々の議論の余地が現在の被災地の農業再生における課題であると考えられるため、文系であるからこそ理系の耳なじみのない土壌物理学の見地を広げ、文系の視点で現実的に可能な農業再生法を提案していくべきである。専門家のいうことを鵜呑みにすることのみならず、今実際国が大型機械で汚染土を除去したことで農地で雨水が浸透できず排水不良が起きていることなどを自分の目で確かめたほうが良い。私はこの記事を読んで、理系学生でないからと言って被災地や現場の農地の見学プログラムに参加しないというのは大きな間違いであり、私たちこそ学生で時間のある今のうちに被災地を自分の目で確かめ危機感をもち現実を知り、理系の人と議論するべきと思う。
     
     

  6.   私はTopicsの中から「飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」と「聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”-放射性セシウムとの関係-」の二つの記事を読んだ。それらと講義内容を踏まえ、被災地の農業再生のために私自身ができることについて考えたことを書く。
      私は専門知識を持ち合わせていないため、被災地の農業復興への具体的方策などは当然立てられない。しかし、非専門家の私にもできることはある。
      まず、震災後時間が経過しても被災地に関心を持ち続けることだ。買い物に行った際に被災地産の野菜がないか、やニュースで被災地の農業について報じていないか、といった情報に敏感に反応することだと思う。自分なりに被災地の農業の現状について調べ、可能であれば専門家の話を聞くことも重要だ。
      被災地への関心は風評被害に加担しないことにも繋がる。講義や上記の二記事で得られた知見だが、日本では食品の放射線規制値が海外諸国に比べ厳しく設定されており、また稲が吸収した放射性物質はコメではなくぬかの部分に含まれていてその基準値を下回っている。こういった正確な情報を把握しておけば、被災地産の農産物に抵抗を覚えることもない。むしろ被災地支援のために積極的に購入するべきである。先生が講義で紹介されていた被災地産のコメを原材料とした日本酒なども同様である。
      加えて可能であれば、実際に現地へ行ってみることだ。公共自治体や学校では被災地へのボランティアを長期休み等の際に募っている。現地の農地や農家の方々の様子について実際に見聞することで、現地の方々の努力に触れることができる。
      他には知人に被災地の現状について伝えることも有効だ。先生は現地の子供たちを対象にした教育活動にも熱心に取り組んでいらっしゃるが、私にできることとしては、被災地の農産物を買うかどうか決断する消費者として、知人達に被災地産の農産物は安産であり、被災地復興のためにはむしろ積極的に購入すべきであること等を発信することだろう。
       まとめると、被災地に関心をもってその情報を集め、一消費者として被災地の農産物の購入、およびその推奨という形で被災地の農業復興に少しでも貢献できると私は考える。
     

  7.   選択記事:『飯館村に通いつづけて約 8 年―土壌物理学者による地域復興と農業再生』. コロンブス. (2019).
      『私の土壌物理履歴書』. 土壌物理学会誌.
     
      溝口先生は、凍土を出発点として土壌研究を始め、その土壌物理学の知見を福島の復興に活かしている。その一方で、私は農学部に進む予定もない。では、どのように被災地の農業再生ができるのか。
      まず、知的探究心の向く先を広く、そして深くすることが重要ではないだろうか。この課題においては、8 年ほど前に起きた東日本大震災により被害を受けた被災地の人々が実際今はどのようなことに困っているのか、を「知っている」ことがまず第一歩である。もちろん、自分の興味がある分野を深化してのめり込むことも大事だが、世の中の様々な事象に対して探索範囲を広げておくことも重要である。溝口先生は、福島の放射性セシウムの問題と出会ったことで今までのご自身の土壌物理学の知見が活かせると感じられたが、それと同じように、自身の知識を社会に還元できるように、絶えず探索をしておく重要性が感じられた。
      次に、実際に被災地を訪ねるべきだと思った。私自身は、中学校の頃に大槌をボランティアとして訪問した。私は折り紙が得意だったので、町内会のような場所に行ってサザエの折り方を教えた記憶がある。この記憶から導き出されるのは、人間同士で実際に触れ合うことの大切さだと思う。当時は自覚していなかったが、被災地の人々が神奈川県から(私の学校は神奈川県にあった)中学生が来て、折り紙を教えてくれたら、少なくとも嬉しくないということはないだろう。当時の私は被災者の方の心に寄り添う、というような高等なことはできていなかったかもしれないが、せめてその「被災地を訪ねた少年」という存在としての意義はあったかもしれない。大学に入ってモラトリアム期間にある今のような時期こそ、自分とは異なる境遇の人々に寄り添うべきなのではないかと思った。被災地の人々というのは、いわば自然が生み出した、日本という共同体の中での「犠牲者」であり、そのような人々を「犠牲者」という定量的な視点から捉えるのではなく、彼らのナラティヴを自身の中に取り入れることが重要なのではないかと思った。
      また、記事にも書かれていた飯館村の先進的な取り組み(「若妻の翼」、「までいライフ」など)は、個人にフォーカスした政策で、単純に興味深いと感じた。そして、このような取り組みを知らなかった自分の知識領域の低さを実感した。被災に加え、従来の少子高齢化などの問題を抱える農村地帯が、このような先進的な取り組みによって地域を再興しようとしている。地域再興戦略などとはよく言葉では聞くが、このような状況で実際に私自身ができることは、繰り返しになるがその地域に興味を持ち、かつ復興の取り組みなどに対して価値を与えることだろう。具体的に言えば、以前の私のようにその活動を知らなかった人に伝えることかもしれないし、被災地に関心を持った友人らと集まって実際に訪ねることかもしれない。被災地の農作物に対する正しい知識を身につけて(セシウム含有量に特に問題がないことなど)、実際に被災地産の商品を消費することもベタだが一つの手だろう。
      現在大学生である私は、どのように自身の価値を社会に還元すればいいのかということに関しては考えることも多い。起業、ビジコン、インターン、就職、なんていう言葉は流行っているのだろうが、周りに飛び交っている。しかし、起業したらえらいのか、ビジコンで優勝したらえらいのか、と言われれば全くそんなことはない。このような「成果」に何か欠けているのは、「人々の個人化」ではないかとこの課題を通じて感じた。最小化、効率的、などという言葉はもはや現代病を象徴するような言葉であり、少しの努力や狭い範囲での活動で大きな成果を上げようとするのは、「本当に社会に貢献している」と言えるような活動は少ないのではないか。自分と同質の共同体から一度身を放り出して、異質の共同体(すなわち、ここでは被災地)に身を投げてナラティブを共有してこそ、そこに真の価値が生まれるのではないか。高度成長期の同質な労働人材を生み出すような時代は終わり、現在は個々が生み出す価値にフォーカスが当てられるような時代に突入している。そのような時代だからこそ、私は自身の持つ価値を高める(すなわち、徳をつむ、力をつける)といったような深化の作業をする一方で、個人と関わりあうことで、その価値を発揮すべきなのではないか。価値というのは、同質な空間で発生するものではなく、高低差から生まれるものである。中学生の私ですら、被災地に実際に訪れて、自身の折り紙という力を武器に価値を発揮したのだから、当時の私より力をつけた大学生の私は、異質な共同体に飛び出す時が来ているのかもしれない。
     
     

  8. PDF
     

  9. 被災地の農業再生に不可欠なのはその地域に住む農家であり人であるが、帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたにもかかわらず、その住民の多くは以前のような生活を送れないために帰還できていないことが分かった。この大きな人口減少の中で農業を再活性化するために、ICT技術を利用した農業また、特産品の開発などの取り組みが行われているということも知った。また、放射性セシウムによって汚染された農地を浄化することが農業の再開には必須であるが、これは農家の手作業によっても行えると知って驚いた。除染といえば大型機械で農地の表土をはぎ取る方法が思い浮かぶ(私の出身地である宮城でも汚染土の入った黒いバッグは見られた)が、手作業によっても効率のいい土壌浄化ができることが分かった。また次の世代の被災地を担うであろう子供たちへの教育にも注力し、正しい知識を身につけてもらおうとすることにも興味を持った。
     
      自分自身ができそうな被災地の農業再生
       被災地の農業再生に寄与するためにはボランティアなど現地に行って働くことが重要だと思う。しかしながら、実際に現地へ行くことはあまり簡単なことではない。そこで今回は実行しやすく、また多くの人が心掛けた場合に効果がより大きいであろう消費行動について考えたいと思う。
       今回の講義にもあったように、震災当時は様々な情報が飛び交っており、中にはデマの類も少なくなかったようである。実際に自分が震災にあったときは、宮城県にも原爆投下後のような「黒い雨」が降るから外出しないほうが良いといわれた記憶がある。このようなデマや根拠のない不安は震災から8年たった現在でも流布しており、福島産の農産物を避ける人がいることも事実である。このような風評被害を避けるには、消費者一人一人が正しい知識を持つことが重要であり、これがまさに自分自身のできそうな被災地の農業再生、すなわち正しい知識を他人に広めることであると考える。
       また積極的に被災地で生産された農産物を購入することも被災地の農業再生につながると考える。被災地では農業の復興が進んではいるが、農産物の売れ行きが伸び悩めばそれは減速してしまう。記事にあったように被災地では新たな特産品も生み出されており、これらを買うのもよいと思う。
       被災地の農業再生には様々な困難があることは間違いないが、被災地で生産された農産物を積極的に購入することや、単に被災地を応援すること(これは心理的な面だけでなく、世論の高まりは結果的に政府による被災地支援にもつながるだろう)も、自分自身にできる農業再生支援なのではないかと思う。
      読んだ記事
      飯舘村に通いつづけて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス2019.5) http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf 2019/07/29閲覧
     
      若者の交流や挑戦 活発に(『毎日新聞』福島 2018.10) http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/papers/mainichi181027.pdf 2019/07/29閲覧
     
     

  10.  本レポートでは、溝ラボホームページから2つの記事を選び、それと講義内容とを参考に、自分が被災地の農業再生に貢献できそうなことを考察していく。
       私が選んだ一つ目の記事は、「平成30年度地域復興実用化開発等促進事業の成果報告」である。この記事の趣旨は、福島復興農業工学会議がクラウドファンディングで集めた資金を元に安全な農畜産物生産を支援するICT営農管理システムの開発研究に取り組んでいるというものであり、水田における害獣対策事業やハウスにおけるFMS設置といった具体的な開発の内容も紹介されている。
       私はこうした活動内容が、被災地における農作物の収量増加に寄与しうる点で有意義なものであると考える。そしてこうした活動に直接スタッフとして関わることは難しくても、クラウドファンディングでわずかながらも資金を提供することなら可能であり、それにより被災地の農業再生の一助となることも可能であると考えられる。被災地における復興支援としては多くの活動が行われているが、真に意味のある活動が普及していくようにするためにそうした多くの活動それぞれの活動報告に目を通し、目的や経過が明確でしっかりしている活動に対してのみクラウドファンディング等による協力を行うなどの見極めの役割も、そうした活動に主体として関わるわけではない第三者であるからこそ果たせる重要な役割なのではないかと考える。
       二つ目に選んだ記事は、「純米酒「不死鳥の如く」が誕生!」である。この記事の趣旨は、被災地・福島県飯舘村で数多のハードルをクリアして生産された酒米を原材料として「不死鳥の如く」なる純米酒が誕生したというものだ。
       私は現在20歳であり、飲酒することも度々である。そこで例えば、飲む酒として「不死鳥の如く」を選択する、或いはその入手が困難であったとしても同様に被災地で醸造されていたり被災地で獲れた原材料をもとに作られていたりするものを選択することにより、被災地における農業復興を加速することに貢献できると考えられる。これは酒に限ったことではなく、他の農作物或いはそれらを原材料とした二次産品も、被災地で作られたものを積極的に購入することによって、被災地の農業復興に貢献しうる。
       また、講義でも言及があった通り、純米酒「不死鳥の如く」の命名の由来となった曲「不死鳥の如く」は東大応援部が神宮球場で演奏するチャンステーマであり、この曲が流れたときに神宮球場東大側応援席が一体となって盛り上がる様は壮観である。神宮球場における盛り上がりが被災地の農業復興という一見かけ離れた分野に繋がるという構図はユニークでインパクトも強く、この取り組みがもとで飯舘村が注目を集めるというポテンシャルもあると考えられる。このような観点に立ったとき、神宮球場の盛り上がりに何らかの形で関与することも被災地の農業復興に繋がることであり、一東大生として実行可能な被災地支援の一つの形態なのではないかと考える。
       以上、被災地の農業再生に自分自身が貢献できることを、溝ラボTopicsの記事内容や講義内容をもとに具体的に考えてきた。東京で学生生活を送りながらにして被災地における農業再生に主体的に関わることは難しく、実際にここまで考えてきた方法も、間接的なものばかりとなった。しかし、風評被害という言葉に象徴されるように、被災地で生活するわけでもない人々の言動が被災地に甚大な影響を及ぼすことも大いにあるため、被災地の農業再生に貢献する方法が間接的なものしか考えつかないからと言ってそうした方法の実行に消極的になるのではなく、間接的なことであっても被災地の状況に小さくない影響を及ぼしうると認識し、そうした方法を実行していくべきだという考えを以て、本レポートの結論とする。
     
     

  11.  講義を聴いていて印象に残ったのは、国が指定した除染方法は、土を剥ぎ取って仮置場に置くという予算も土地も必要になる方法であったが、そうした方法は当然ながら実際の現場の実情とはそぐわなかったため、溝口先生の研究によってまでい工法という、予算を抑え広大な土地も必要としないような、農村の現場に寄り添った工法を編みだしたことだった。また被災地での除染活動を報道する新聞記事において、都市部向けのものでは、国にとって都合の悪いような内容を削除して発行していたことも印象に残った。第一に考えるべきは現場の実態と将来なのにも関わらず、権力や建前に振り回されてより良い方法が普及しなかったり、正しい情報が自分達には届かないこともあるのだなと思った。私自身、普段から被災地のことについて詳しく情報を得ているわけではないし、農業について特別関心を持って調べたことはなかったが、講義を聴き、トピックスの記事を読んで、まずはこう言った問題に関心を持つこと、目を向けること、そしてそれを継続することが重要だと思った。しかしながら、自分が被災地の農業再生のためにできることとなると大分選択肢が狭まってしまう。私は農学を専攻する予定はないし、頻繁に被災地に足を運ぶというのも現実味がない。私が何かできるとしたら、まずはSNSやインターネットを通じて被災地の取り組みに関する情報を集めること、また、飯舘村が開発した地酒のような、地域の特産物を購入したり、周囲の人々に紹介すると言った形での応援が現実的な手段かと思われる。また、頻繁に足を運ぶのは無理にしても、長期休暇を利用して一度足を運んでみたいと思う。実際に現場で何かできるわけではないと思うが、自分の頭の中や間接的に得られる情報の中で被災地の農業についてのイメージを作り上げるのではなく、現場の人の話や、自分の目で見たこと、体験したことと言った情報を得ルことによって、より被災地の農業再生について理解を深められると思う。また、トピックスのインタビュー記事で先生がおっしゃっていたお話から、関係のないような研究があるきっかけで目の前の問題に適用できるようになる、ということがあるのだなと学んだ。私は文系の学生で、これから何を専攻していくかは未定だが、私が専攻する学問だからこそ被災地の農業に貢献できるという場合もありうるので、今回の授業一回きりで関心を切らすことなく、広い視野を持ち続けて何かの一助になれればと考えた。また私は、将来報道の方面で働きたいとも思っているので、その時には被災地の問題にも目を向けたいし、現場の実情を正確に伝えることを意識したいと思った。
     
      参考にしたトピックス記事
      飯館村に通い続けて約8年ー土壌物理学者による地域復興と農業再生私の土壌物理履歴書
      農業農村開発の技術を考える
     
     

  12. PDF

  13. 私は、福島県をはじめとする東日本大震災における被災地の農業再生に最も必要であるのは「地元住民との信頼関係」であると考える。被災地軽視発言を連発する政治家、なかなか情報を公開しなかった研究機関などに対する被災地域住民の不信感は簡単に拭えるものではなく、この不信感により被災地域住民と本来彼らに手を差し伸べるべき人々との間に大きな溝ができているのは明白である。しかし、両者の関係は、一個人の努力で簡単に改善できるものではない。そこで、自分にできそうな被災地の農業再生について、私は「被災地の農家の方々と研究者・政府の対話の機会を企画する」というものを挙げる。しかし、これを実際に実行に移そうとした際、いくつか問題点がある。まず、被災地の農業再生など実際の政策に携わっている人は東京にいることが多く、両者の会合を持つことは容易ではない。しかしながら、一度会合を持てたとしても、それで信頼関係が回復するとは思えない。信頼回復に必要なのは時間と回数である。会合を長期的・高頻度で開催するのは資金的にもスケジュール的にも厳しいと考えられる。次に、実際に顔を合わせて対話・議論を行う際、農家の方が先入観として政府側に不信感を抱いており、また政府側は(今までの経過から鑑みるに)不用意な発言をしてしまいがちであるため、建設的な議論どころかかえって溝を深めることになってしまう恐れがある。さらに、農家と政府で価値観や優先順位、専門とする分野が大きく異なっていることも問題である。農家は当然だが自分の農地で安心して(東日本大震災前のように)再び農業ができることを一番に望むだろう。しかし、政府は国民の税金を使って政策を執り行うため、いわゆるコストパフォーマンスや合理性といったことを価値観の最上に位置付けていることが多いし、またそうせざるを得ない。この必然とも言える行き違いは、どちらかが、もしくは両者が譲歩しない限り解決できないが、互いに互いの事情があるため容易には譲歩しないと考えられる。こうした三つの問題点を解決するため、私が提案するのは、「被災地の農家の方々と研究者・政府の対話の機会となるラジオ番組を企画する」というものである。ラジオパーソナリティが両立場からのお便りを紹介するという形をとれば、第一の問題点はまず解決することができるし、第二の問題点もパイプとしての第三者があらかじめ用意された文書を読み上げるので不要な衝突も避けられる。また第三の問題点については、ラジオパーソナリティを選出する際に「政府側と農家側の両方に有識で客観的な立場に立てる人物」という基準を設けることである程度の解決が望めると考えられる。またラジオという媒体を選んだ一つの理由は、第三者の顔が見えないからである。第三者が見える化されてしまうと、農家と政府という二者の対話感が薄れてしまうと考えられる。これでは実質の信頼関係の回復からは遠ざかってしまい、農業再生には効果はあまりなくなる。二つ目の理由は、私自身ネットで個人的にラジオ番組を制作・配信しているからである。今回提示された課題は「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」であるため、自分に経験があり、現実的に乖離しすぎていない策としてラジオ番組の企画を挙げた。現代では YouTube の普及と「YouTuber」の登場、また実際に私も利用している「Radiotalk」というアプリの登場により、個人でも簡単にラジオ番組が制作できるようになっている。また国会議員や政治家も Twitter や Instagram を利用するようになり、SNS が政治に果たす役割も見逃せなくなっている。このような時代にあるからこそ、被災地の農家の方々と研究者・政府の対話の機会となるラジオ番組を企画することは被災地の農業再生に効果があると私は考える。
     

  14.  2011 年に発生した東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故は、日本国民のみならず世界中に大きな衝撃をもたらした。私自身も、同じ国の中で起こった災害であるということを容易には信じられなかったことを鮮明に覚えている。原発事故後頻 繁に問題視されるようになったのが、放射線の影響だ。マスメディアが伝える情報の多くは今思い返すと、放射線の危険性を助?するものだったかもしれない。私自身も暗にそれらを信じ込み、放射線に対する恐怖心だけを抱いていた。そしていつの間にか、そうした意識は風化されつつあった。
      しかし、今回の授業を通して、自らがあまりにも被災地の現状に対して無関心であり、放射性セシウムによる土壌汚染に関する知識を持っていなかったことに気づいた。事故によって拡散した物質のほとんどが放射性セシウムであり、それらは粘土粒子に強く吸着しているために、水に溶けて流れはしないこと、50cm の埋め立てによって、放射線量が 100 分の 1 から 1000 分の 1 程まで低下することを、どれだけ多くの人々が知っているだろうか。おそらく、それほど広く社会に共有されている事実ではないと思う。加えて、福島の米が、世界で最も厳しい放射線量の測定を受け、近年ではその基準を大幅に下回っていることが、もっと発信されていたならば、社会の偏見や風評被害を抑制できたはずだ。また、飯舘村のまでい工法のように、心を込めて除染と農業再生に取り組む村民や、共に活動する研究者たちの姿を知っていれば、どうして恐怖心だけを抱いて、時間と共に記憶を風化させることができようか。被災地の復興は、まだ完全に達成されていない。だからこそ、これから私にできることを考えてみたい。
      もしも私が教育者になったなら、子どもたちが農業を支える水と土に関心を持ち、放射性セシウムに対しても化学的に正しい知識を持つきっかけとなるようなカリキュラムを設計したい。もしも私が国際的な貿易や観光産業の現場で働くようになったならば、日本人として世界中の人々に福島の食の魅力を発信したい。もしもわたしが報道機関に就職したならば、放射線被害からの復興について、化学的な根拠に基づいた事実を社会に発信したい。しかしながらこれらは、今すぐに実践できることではない。よって私は今から、被災地農業の動向を研究者、マスメディア、当事者など異なる人々の話を聞くことによって知ろうとつとめる。そして、偏りなく客観的に現状をとらえ、身近なところから自らの学びを周囲の人々と共有していく。また、教養学部生であるということを活かして、興味を持った学問には何にでも触れてみる、という好奇心と積極性を忘れないようにしたい。そうすることで将来、溝口先生のように一見関係のないように見える学問間に、共通性やつながりを見いだせるかもしれない。必然性と偶然性の融合の先に、私にしか出来ない被災地支援がある。そう信じて、私は学びの道を歩み続ける。
     
      参照
      「飯舘村に通いつづけて約 8 年土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス 2019.5)」 http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf
      私の土壌物理履歴書 (土壌物理学会誌)
      https://js-soilphysics.com/downloads/pdf/130035.pdf 以上、最終検索日は 2019 年 7 月 28 日。
     
     

  15.  今回の授業を受けて、あるいは記事を読んで一番に感じたのは、自分の現在の飯舘村の現状に対する無知である。もちろん、今回の授業で初めて飯舘村という村の話を聞いたわけではない。東日本大震災があり、福島第一原子力発電の事故を受けて、放射線物質で汚染されたことで、避難を余儀なくされた地域であることは当時も大々的にニュースで取り上げられていたから知っていた。でも逆に言えば、僕が飯舘村に対して知っていたことはそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。までい文化なんて知る由もない。放射性物質で汚染された村。僕の頭の中では、強烈に飯舘村と放射性物質がリンクされていた。ひどい話だ。スーパーで食材の生産地に福島県と記載されているだけで避け、他の生産地で採れたものを選んで買い物かごに運んでいた。除染が進み、基準値をちゃんと下回っているからこそ出荷されているのに、どうしても、「もしかしたら・・・?」という根拠の無い不安に悩まされ、手を伸ばすのを拒んでしまうのだ。除染というと防護服を着て大掛かりなトラクターを使って作業をしている映像ばかりが脳裏に焼き付いているから、「放射性物質=すごく危険なもの」という発想から抜けられない。今でも、Googleの検索フォームに「飯舘村」と入力すると、予測変換で「飯舘村 放射能」と出てくる。どうやら、そう思っているのは僕だけではなさそうだ。だから当然、主に原発に事故で撒き散らされた放射性セシウムは、負電荷を帯びた土壌に強く吸着されているから、とり除けかなければいけないのは本当は表層だけなんてことも、その取り除いた土も埋め込んでしまえば、そこからいくら水が浸透していっても放射性セシウムはそこからほとんど移動しないことも、その上の土壌表層付近に届く放射線は減衰しているので、そこで作物を育てても汚染される心配はないということも、この一連の作業は大掛かりなトラクターを使わず、農家が自分たちでできることも、知らなかった。
     
      根底にあるのは「認知度の低さ」だと、思う。どうすれば、福島県産のものを買ってくれる人が増えるのか、という観点で、僕でもできそうな被災地の農業再生を考えてみたい。ただし、僕一人ではできることはあまりにも少ないので、僕が発起人となって進めるにあたって、実現できそうなこと、にする。震災の影響で確かに一度は荒廃したかもしれないが、やり方によっては、全く新しい手法で先行きの見えない日本の農業に新しい風を吹き込むチャンスかもしれない。
     
      テーマは「応援してくれる人を増やすこと。」だ。除染されているから大丈夫と言われたところで、僕自身買う立場になった時に、他の生産地でできた美味しい商品があったらそっちに手が伸びてしまいそうな気がする。なぜなら、他の産地で採れた美味しい商品があるのに、あえて福島県産のものを選ぶ理由がないから。でも、もしその時に福島県産の商品を作っているのが、知っている仲の良い人だったら、話は変わってくるかもしれない。その人のために、多少高値でも買ってあげようと思うのではないか。5月祭では、1年生がクラスで飲食を売るが、その際はサークルの先輩や通称上クラと呼ばれる、ひとつ学年が上で同じクラス番号の先輩が多少ぼったくりな値段でも大量に買い占めてくれる。そういう関係を消費者個々人と生産者が築くことができたら理想だ。
     
      では、そもそもどうやって「応援してくれる人を増やすのか。」オンラインで発信することで、増やせれば理想であるが、オンラインでは人々は自分が興味のあるものしか見ないので、何かしらの興味を持ってもらうきっかけが必要である。そこで、まず、Dr.ドロえもん教室を、生産地である福島県を含めた周辺地域で徹底的に実施する。定期的に生産地に通える距離にある地域が良い。そして、参加者の子供たちとその両親を含めたご家族を田植え・種まきの時期に招待し、一部手伝ってもらう。そこで、地元で採れた野菜を使用した料理を大盤振る舞いし交流会を催し、生産者の方を好きになってもらうのだ。子供達、そしてその両親と、生産者の間に信頼関係ができたところで、5月祭ならぬ前売り券をできるだけ売り捌き、そこでできるだけ来年度の売り上げを保証してしまう。売上げが保証されれば、収穫に向けての農作業を進める上で、新しい手法を試しやすくなるのではないかと思うのだ。そしてその様子を、YouTubeを通して失敗も含めて毎日面白おかしく伝える。農作業だけでなくて、地元と特徴を生かしたコンテンツがあっても良い。前売り券の購入者は自分の購入した農作物が今どうなっているのかすごく気になると思うし、毎日発信し続けることで、自然とその土地や生産者対して愛着や応援する気持ちが強くなってくるのではないかと思うのだ。また、収穫までにも適宜作業を手伝いに来てもらい、愛着を高める。そして、収穫時には、大規模にまた人を集め、収穫を手伝ってしまい、そこでそのまま、前売り券と引き換えに農作物を手渡す、あるいは農作物を売り捌く。こうやって、農家と消費者の一対一の関係を少しずつ増やしていくことが、被災地の農業の復興のあり方として、一つあり得るのではないだろうか。
     
      参照した資料
      ・ 溝口先生講義スライド
      http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/lecture/soil+water/190523.pdf
      ・ 「飯舘村に通い続けて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」
      http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf
      ・ 「私の土壌物理履歴書」
      https://js-soilphysics.com/downloads/pdf/130035.pdf
      ・ 「農業農村開発の技術を考える」
      http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec60/ard60_key_note_g.html
      ・ 「きぼうチャンネル」
      https://www.youtube.com/channel/UCWST5Usjbg6WNkS3J94_E_Q/featured
      ・ 「飯舘村」
      https://www.youtube.com/channel/UCOwMSvvKNp82o-8mgbPz26Q
      ・ CONNECT
      http://madeiuniv.jp/connect/
      ・ いいたて日和
      http://nouhaku.karhu-dev.com
     
     

  16.  溝口研究室ホームページのTopicsの記事を読んで私が驚いたのは、までい工法という画期的な方法が提案されていながら、政府がそれを受け入れずに従来の農地除染法を変えようとしなかったことです。までい工法は汚染土を廃棄することに比べてずっと低コストで安全性も示されています。それにも拘らず、今までの方法を変えることはできないというだけの理由で導入されないのはおかしいと思いました。また、までい工法を飯館村の除染課に説明しに行ったときに怒られてしまったというエピソードにも疑問を抱きました。従来のやり方より低コストで簡単であるにも拘らず、何が悪かったのだろうと思いました。しかし、逆の立場になって考えてみれば、汚染土をただ埋めるだけよいというのは素人目にはあまりにも単純に見えます。また、放射線は人体に悪影響を及ぼす恐ろしいものというイメージがあります。過去に日本では、高度な技術の発展の裏で、それが環境に与える影響を注視してこなかったために様々な公害が起こっており、そしてそれは未だに解決していないものもあります。それだけに、従来あるやり方を変えることに抵抗感を抱いてしまうのかもしれません。それでも福島復興農業工学会がまでい工法の実験を続けられたのは、会の人々が飯館村に強く関心を寄せ、熱心に寄り添ってきたからでした。農地汚染除去の技術を導入するだけでなく、除染後の農業再生まで力を入れて協力する姿勢が農家の方々の信頼を得たのだと思います。
       また、「農業農村開発の技術を考える」を読んで感じたことは、必ずしも優れた技術が人を幸せにするとは限らないということです。日本は、より作業効率を良くするために農業に新しい技術を導入し、実際に生産性は上がりました。けれど、かつての活気のある農村風景は急速な技術革新の裏で失われてしまいました。技術自体に善悪はありませんが、人間側が使い方を間違えてしまうと、それは悪影響を及ぼすことになります。特に、食料という人間の生活の最も基本的な部分を支える重要な営みである農業において判断を誤ってしまうと、人々の生活そのものが脅かされてしまいます。東アジア諸国を巡りながら、どのように技術を導入するかで悩む筆者の言葉から、強くそのように感じました。
       これらを踏まえて、私ができそうな被災地の農業再生は、被災地のことをよりよく知ること、そして本当のことを伝えていくことだと思いました。正しい知識の欠如は間違った判断を招きます。災害の後の風評被害や農地除染に対する政府の取り組み方など、これらの根底にあるのは確かに人々に対する慮りかもしれませんが、結果、被災地の再生の妨げとなっています。未だに被災地に対して間違ったイメージを持っている人も多いでしょう。実際に、私も今回の講義を受けるまで被災地や農地汚染についてほとんど何も知らなかったことを痛感しました。事実を知るためには、関心を持って現場を見ることが必要なのです。被災地の話をするにしても、新技術を取り入れるにしても、客観的なデータやその土地に対する深い理解がなければうまくはいきません。だからこそ、被災地の現状をより深く知り、正しい知識を広めていくことが大切だと思いました。
     
      参考資料
      ・本講義で使用したスライド
      ・溝口研究室ホームページ Topicsより 「飯館村に通い続けて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」
      ・溝口研究室ホームページ Topicsより 「農業農村開発を考える」
     
     

  17. 【読んだ記事】
      ・飯館村に通い続けて約8年?土壌物理学者による地域復興と農業再生
      ・農業農村開発の技術を考える
     
       私たちができそうな被災地の農業再生について、私は4例の行動を思いついた。
       まず1つ目は、ボランティア活動で被災地の除染活動を手伝うことだ。授業であった通り、汚染土の除染には、表土の削り取り、水での土壌攪拌とその水の除去、反転耕、そしてまでい工法などの方法がある。こういったさまざまな除染活動を、地元の農家の人に学びながら、実際に手を動かしてみる。除染の方法は複数あるが、表土の削り取りでは汚染土が大量に出て、それがゴミとなってしまう。また、水での土壌攪拌でも、汚染物質の溶け込んだ水の処理に困る。このように、除染の方法によっては新たな問題が生じてしまうものがある。このなかでも、表層の土をひっくり返すだけの反転耕や、表層の土を地下50cm以下に埋めて保存するようなまでい工法は比較的そういったゴミの処理のような問題の起きない自然な除染法なので、反転耕やまでい工法をなるべく採用する。までい工法は、農家にある道具だけを用いて行うことのできる簡単な方法であるため、ボランティアとしても気軽に活動がしやすい。このボランティア活動の規模は、人員は大学や専門学校といった教育機関で募集し、宿泊を含んだ中期的なものとする。ボランティアに参加して終わりにするのではなく、学生が、活動での経験や現場の見学をもとに、ボランティア終了後も被災地の復興活動に自分の専門分野を生かして積極的に取り組めるようにする。たとえば、機械工学科の学生が除染の際に用いる土壌攪拌機を開発したり、経済学部の学生が原発の除染作業で出たゴミを利用した新たなビジネスを考え出したりすることができるといった風のものである。また、学生に呼びかけることで、現地で不足している若者の人材を確保することができる。宿泊を含んだものにした理由は、夜に勉強・交流会を開いて、土壌の性質を学んだり、その土地の特産品や土地の特長を知りながら、現地の人と学生との交流を深めることで、学生が、将来自分の時間に余裕ができた時に、被災地で農業をすることに魅力を感じてもらうためである。中期的とは、1ヶ月から3ヶ月くらいの期間を見込んでいて、土地の除染の後に、その土地で簡単な作物を育てることになる。被災地で実際に作物を育てて、その後も作物の経過を知るために、ICT技術を用いて観測データを取得して、モニタリングもして情報の共有をすれば、ボランティア終了後も被災地に興味を持って通い続ける理由になって、1度のボランティアで終わらない深い繋がりができるはずである。参考記事にあったような新潟食糧農業大学など、新たに新設されていて農業に関心の深そうな大学も含めてこういったボランティア活動をしていき規模も拡大していけば、ボランティア活動とはいえど農業再生につながる影響力を持つはずである。
       2つ目は、風評被害を減らす取り組みをすることだ。放射線と放射能の仕組み、日本の食品中の放射線検出量の外国に比べた厳しい基準値や普段の日常生活で浴びている放射線量などを把握していない、放射線について正しい知識を持たない人は多い。そのせいで、スーパーで売られている東北地方の野菜の購入を避けたり、身の安全のために東北地方への外出を控える人が存在する。正しい知識を広めるパンフレットやウェブサイトを作成することが必要だ。それだけではなく、ツイッターやブログなどのような、私たちの目によりとまりやすい媒体でも放射線に関するみんなが知らない情報を発信していき、風評被害の広がりを防いでいく。そうすることで、東北地方の野菜の消費量が増えて、農産物の生産量が増えるのではないだろうか。情報を伝える記事の作成に私たち自身が取り組むことで、記事を作るためにより内容を理解することができるのではないかとも思う。文章だけでなく、勉強会や講演会を開くのもよい。自治体で開いたりすれば、地域の人が気軽に参加するきっかけにもなるだろう。
       3つ目は、学校給食に被災地でとれた食品を使うことである。ある豆腐の販売店は、学校給食が大きな収入源であるらしい。学校では、平日は毎日大勢の生徒が給食を消費している。被災地でとれた食材を県外にも輸出して多くの学校で消費すれば、被災地産の食品の消費量が増える。献立表の裏面に使っている食材の生産地の紹介を載せれば、その土地のことをもっとよく知ってもらう機会にもなるだろう。学校給食という大量生産を賄う体制を整えるために、除染や復興作業もますます進むはずだ。
       最後に4つ目は、私たち自身が被災地で農業をすることである。被災地では、一度避難指示がでて多くの人が引っ越していき、避難指示が解除されてもすべての出て行った人は戻ってこない。高齢者のみが部分的に戻っているだけの地域もある。人手のたりない被災地では、土地が余っている。その余っている土地を、私たちにできる方法で農作に利用すれば、被災地の農業再生に協力することになる。被災地に引っ越して住み込みで農業ができるのが理想的だが、今の生活を全て変えて農業に打ち込むことは難しいので、通いで農業をすることになる。具体的には、農場の様子をカメラで撮影し、スマホなどでの遠隔操作で農業をする。水やりや施肥は自動のスプリンクラーに任せ、週末や休日に現地を訪れて土地の整備や間引きや収穫作業をする。こうしたかたちで関東圏に住む私たちが被災地で農業をすることはできないだろうか。
       ここまでで4例の活動を述べてきたが、規模の大きいものから、簡単に始められるものまで様々あった。私たち自身が意識を変えて情報収集をするようになるだけでも風評被害が減るだろう。行動を起こす前からどうせ無理と諦めたりせずに、少しでも力になりたいという思いをもって被災地の様子に意識を向け続けることが、農業再生にも繋がっていくのではないかと考えた。
     
     

  18.  溝口研究室のホームページの記事から、「土壌物理学者が仕掛ける農業復興―農民による農民のための農地除染」、「復興の農業土木学で飯館村に日本型農業の可能性を見出す」の二つの記事を選んで読んだ。このレポートでは、まずこれら二つの記事の内容を簡単に説明した後、講義も踏まえて私が考えた自分自身にできそうな被災地の農業再生についての考えを述べる。
       まず「土壌物理学者が仕掛ける農業復興―農民による農民のための農地除染」の記事は、講義内でも紹介があったが、被災地である福島県の飯館村で実際に行ったゼネコンに頼らず農家自身で行える土壌の除染に関する記事である。現在土壌の除染方法として実際に行われているほとんどが、放射性物質に汚染された表土を取り除き、その表土を廃土として処理すなわちどこかに置いておく、「表土削り取り」という方法であり、これは農地から汚染物質を完全に無くしたいという農家の強い思いによるものである。一方で、放射性セシウムの粘土との結びつきが強くほとんど下層に移動しないという性質を利用した「までい工法」というものが開発され、除染効果も高く、農家が自らの手で、すなわち人力で行える手法でありながらも正しい知識が十分に浸透していないことから誤解を生むこともあった。
       また「復興の農業土木学で飯館村に日本型農業の可能性を見出す」の記事は「までい工法」のその後の現状に関するものである。「までい工法」は徐々に認知はされてきているものの、政府の方針と一致しないために実際に実施される例には限りがある。これは決定を下している国側の人間が現場の状況を十分に分かっていないために、いわば机上の空論的な方針を打ち出してしまいスムーズな問題解決を阻んでいるのだ。こうした問題を解決するために、被災地始め現場のことを自分のこととして考え関心を持たせるために若者や子供に向けた取り組みも行なっている。
       これらの記事を読んで私が感じたのは、被災地の農業復興といってもそれは現地のみでできることではなく、むしろそれ以外の要素が大きく関わっているのだということだ。例えば、放射性物質の除染方法として表土削り取りによる完全な除去を望むのも、消費者のことや風評被害のことを考えているからであろう。ならば、被災地に直接関わらない一般の人々の意識を変える(表土削り取り以外の除染方法での実際の効果や、農作物への影響など)ことが、結果的に被災地の農業再生を助けることになるのではないだろうか。一般の人々に考えを広める方法として、SNSは有効な手段である。最近は芸能人などの有名な人でなくとも、インフルエンサーと呼ばれるある一定の支持者を持ち名前通り影響力を持つ人がいるので、そういった人の協力を仰げば特に若者への効果はかなりのものになるはずだ。あくまで今現実的に私にできる、やろうと思っている方法について述べるならば、先のものと比べるとかなり規模が小さくなってしまい効果も限定的ではあるが、身の回りの人、例えば家族や友人などに直接自分が講義で聞いたこと、記事で読んだことや思ったことを伝えていくことが挙げられる。ありふれた方法であり、小規模で社会に大きな影響を与えられるものではないものの、直接的であるからこそ一人一人に対する影響は大きなものになるであろう。私自身、被災地域にドライブに行ってきた母の底で見たもの感じたことを聞いたときは今までになく自分の近くでの出来事だというのを再確認できたことを覚えている。そのくらい知人から直接話を聞くというのは、我が事として感じるには有効な手段なのである。よって自分自身にできる被災地の農業再生として、まず私自身が今回の講義で得たことや感じたことを周囲の人に伝えてゆこうと思う。
     


講義内容  みぞらぼ
amizo[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2019.7.31)