「あなた(私)自身ができる」ということで、土壌物理学研究者として溝口教授が被災地(主に飯舘村)の農業再生に関わろうとしているのに対し、私は「学生」としてできることを考えたい。
今回の授業を通して、私は農業再生には2つの側面があると思えた。1つは除染作業と風評被害の払拭といったマイナスイメージからの脱却、もう1つは“飯舘”をブランディングし、それに関わる商品を売り出してゆくというプラスイメージの付加である。
私は駒場時代に、同様の溝口教授の授業を受け、同じ資料を読み、「講義及び配布資料を元に、自分でできることを考えよ。」というテーマでレポートを書いている。この時は主に除染と風評被害の払拭に焦点を当て、「学生である私にできること」を記述をしたのを覚えている。そこで書いたのは、「まずは現場を見ること」「最先端の技術の開発はできずとも、今行われている除染方法の科学的根拠を国民に理解してもらうためのお手伝いをし(学生なら理解ぐらいはできるはずで、伝えることもできるだろうという考えから)、“安心”を促す」という趣旨であった。(※本レポートの最下部に当時のレポートを貼っておきます。)以上のことから、今回は、今ある除染・風評被害といった“マイナス要素“の除去ではなく、この話は主に講義というより、プリントになってしまうが、ブランディングなどの”プラス要素“の付加に関わることを考えたい。
プリントにもあるとおり、被災地をブランディングし、特産品をつくっていくお手伝いは私でもできるのではないかと思う。何故なら、科学研究ほど専門的知識は必要ないと思うし、私たちも関わっていく中で、被災地の人との交流も育まれ、より彼らに寄り添って対策を考えることができ、より効果を得られるのではないか。
「農業再生」をプラスに推し進めていくにあたって大事なのは、被災地以外の人々へのアピールのみならず、“内側”にいる被災地の人々、実際に農業を行っていく人々への支援も欠かせない。実際にやっていく人なくしても、農業は成り立たない。農産物が売れないことへの不安から始められない人、放射能への底知れぬ恐怖から村に戻れない人もいるだろう。一方で、これまで長らくそこに住んできていて、そこで暮らしていきたいという人がいるのも忘れてはならない。そのような人たちは放射能の影響も少ないと言われる高齢者が多い。長期的な農業再生のビジョンとは離れてしまうところもあるが、そのような方の思いも大事にしていき、農業再生に役立てていくべきだと思う。
これらを踏まえ、ブランディングについては「私たちにできること」として述べてきたが、後者の被災地の人への対策として私たちができることを考える。ブランディングの話と被るところもあるが、被災者の話を聞くなどして彼らの思いを知り、周知していくこと、できることなら、政府や行政機関に被災者と共に訴えて、変えてくれるようにお願いすることではないか。私たち個人や被災地の人でできることには限りがある。だから、そういった対処も必要だし、「訴えること」も「私たちにできること」としていいと考えて、このように述べた。私たちがいくら「これならできるだろう」と考えたところで、考えの及ばないところもあるかもしれないが、何事もある程度は仕方のないことだ。第一、私自身まだあまり関われていないのも考えきれない大きな理由だと思う。
結局ここまで考えて私が最後に感じたのは、「私たちにできること」の第一歩は「〜ならできるかもしれないと考えたことを、実行に移してみる」だということである。
※駒場での授業でのレポート(2014年7月15日(火)授業分)
溝口教授は、研究者としての立場からの飯舘村の除染についてお話していた。自分にできること、ということなので、いま学生である私は、「学生」としてできることを考えることにしたい。
学生としてできること、としてまず一番にあげられるのは溝口教授もおっしゃっていた「現場を見ること」であると思う。一ヶ月程前に「ふくしま再生の会」が行った村民との対話というものに参加した。原発事故以来、私がはじめて参加したといってもよい復興に関わるイベントだった。つまり、いまの私にはボランティアなどを含めて現地に行ったことがないのである。その点で私にはまだできることが残っていると思える。
現場を見た上で次に私ができることを考えてみる。実際にまだ行ったわけではないので、想像ではあるが。溝口教授は農水省の提唱する汚染レベルごとの3つの除染方法では現場の現状に即さない不適切な場合があり、今回の例では飯舘村の状況に合わせた対処が必要であるとおっしゃった。すなわち「までい耕法」や凍土として剥ぎ取る技術が考えられる。これからは現場にあった除染方法の開発を意味する。現場を知ることは大事なことだが、学生である私には現場を見たところで、その先に進む、すなわち最先端の除染技術について考えるのはまだまだ難しい。
そこで、科学コミュニケーションというキーワードがここで登場すると私は思う。私は以前からこの講義のレポートで、科学の現状がきちんと国民に伝わっていないことに触れた。例えばセシウムは土壌に吸着するので、地下水への影響は少ない、と言うだけでは、人々には水が土壌中の“成分”を吸収するのではないかという思い込みが先行し、事実と相違する。しかし、実際に演示すれば、納得もでき、作業も進みやすくなるのではないか。何より専門家が現地の実情に合わせて考え、研究を重ねた結果であるから、嘘をついていない限り、いま取りうる最善の方法なのだから。
このように、人々には放射性物質の動態などについてきちんと知ってもらう必要があると思う。この講義を聞く前々から思っていたことである。だから、研究のできない私たち学生ができることは、まず被害にあった村の人や放射性物質を必要以上に恐れる人たちに、“事実”を伝えることではないだろうか。専門家が直接言ったほうが説得力もあるかもしれないが、専門家ばかりに頼っていては対応が遅れ、いつ手遅れになってしまうか分からない。
もちろん私は専門家でもなければ村の人々でもないから、より不十分なところは多いとは思う。しかし、不十分ながらも村民の方々と対話を続けていけば、彼らの気持ちを考えた上で、単なる技術の押し付けにはならなくなるとも思う。何よりよくないのは、わかってくれないからと問題を放置して、そのままにし、目を背けることではないだろうか。
【2014/12/16 (火) 12:00】