被災地の農業再生のために必要とされていることは大きく2つに分けられる。すなわち、農地の除染・再生と、そこに住み農業に従事する人々の精神面のケアである。そして前者については、自分自身が作業して農地を除染・再生する場合と、教育などを通じ人々の理解度を深めることで農地の除染・再生を促進する場合の2つにさらに分けて考えることができる。私自身ができそうな農業再生として、今回は
※駒場での授業でのレポート(2014年7月15日(火)授業分)
溝口教授は、研究者としての立場からの飯舘村の除染についてお話していた。自分にできること、ということなので、いま学生である私は、「学生」としてできることを考えることにしたい。
学生としてできること、としてまず一番にあげられるのは溝口教授もおっしゃっていた「現場を見ること」であると思う。一ヶ月程前に「ふくしま再生の会」が行った村民との対話というものに参加した。原発事故以来、私がはじめて参加したといってもよい復興に関わるイベントだった。つまり、いまの私にはボランティアなどを含めて現地に行ったことがないのである。その点で私にはまだできることが残っていると思える。
現場を見た上で次に私ができることを考えてみる。実際にまだ行ったわけではないので、想像ではあるが。溝口教授は農水省の提唱する汚染レベルごとの3つの除染方法では現場の現状に即さない不適切な場合があり、今回の例では飯舘村の状況に合わせた対処が必要であるとおっしゃった。すなわち「までい耕法」や凍土として剥ぎ取る技術が考えられる。これからは現場にあった除染方法の開発を意味する。現場を知ることは大事なことだが、学生である私には現場を見たところで、その先に進む、すなわち最先端の除染技術について考えるのはまだまだ難しい。
そこで、科学コミュニケーションというキーワードがここで登場すると私は思う。私は以前からこの講義のレポートで、科学の現状がきちんと国民に伝わっていないことに触れた。例えばセシウムは土壌に吸着するので、地下水への影響は少ない、と言うだけでは、人々には水が土壌中の“成分”を吸収するのではないかという思い込みが先行し、事実と相違する。しかし、実際に演示すれば、納得もでき、作業も進みやすくなるのではないか。何より専門家が現地の実情に合わせて考え、研究を重ねた結果であるから、嘘をついていない限り、いま取りうる最善の方法なのだから。
このように、人々には放射性物質の動態などについてきちんと知ってもらう必要があると思う。この講義を聞く前々から思っていたことである。だから、研究のできない私たち学生ができることは、まず被害にあった村の人や放射性物質を必要以上に恐れる人たちに、“事実”を伝えることではないだろうか。専門家が直接言ったほうが説得力もあるかもしれないが、専門家ばかりに頼っていては対応が遅れ、いつ手遅れになってしまうか分からない。
もちろん私は専門家でもなければ村の人々でもないから、より不十分なところは多いとは思う。しかし、不十分ながらも村民の方々と対話を続けていけば、彼らの気持ちを考えた上で、単なる技術の押し付けにはならなくなるとも思う。何よりよくないのは、わかってくれないからと問題を放置して、そのままにし、目を背けることではないだろうか。
【2014/12/16 (火) 12:00】
私ができることは、きっとたくさんあるのだろうと考える。それは、若く体力があるという点を生かして除染(「自分たちでできる」方の除染)の手伝いに行くことであったり、そしてその場で様々なことをみて・思って・感じて・考えることであったり、あるいは直接現地に行かずとも、問題について学ぶことであったり、消費行動の面から被災地支援をすることであったり、さらに長期的な観点から言えば、問題解決に資するような研究活動をすべく研鑽を積むことであったりするだろう。特に、農学部(あるいは他学部)に在籍し「大学」という場で学ぶ私たちのような存在は、とにかく話をすべきだ、と考える。周囲の学友あるいは教員その他はどのようなことを・どのように考えるのか。そこで得られる刺激やきっかけは、今後私たちが社会に対しどんなことをなし得るのか、において重要な意味をもつはずだ。少しでもそのような「込み入った」話をしようとするとろくに話ができない(しようとしない)のは少々問題だ、と感じる。
わたし自身ができそうなことを考えていく前に、「わたし」ができそうな範囲を限定しておきたいと思います。
まず、自分ができそうな被災地の農業再生について述べる前に、配布資料を読んで思ったことを中心に自分の考えを述べようと思う。メディアなどで、除染の作業を見ていたが、完全に自分も除染には、大型の機械による、多額のお金をかけた作業が必要不可欠なのだと思い込んでしまっていたので、今回の記事には少し驚いた。ただ、確かに、おおがかりな作業の方が目に見えるので、安心にもつながると思う。ただ、この記事にも書かれていることであるが、結局は除去した土壌はどこかに運ばなければならないし、多くのお金がかかってしまうのが現状である。それに対して、この記事内で紹介されているほとんどの部分を自然の力に頼るやり方は、学問的知識にもしっかり乗っ取っており、しかも経済的。ただ、時間がかかるのがデメリットなくらいであるように感じる。時間の問題も人為的に大型の機械を使う場合と大差ないだろう。ただ、やはり科学的知識のない人々にとっては、目に見えて結果がすぐにでるわけではないので、不安も大きいだろう。
私自身が出来そうな被災地の農業再生は二つある。
配布資料を読んで感じたのは、被災地の農業が完全に復興へと向かうためには単に放射能汚染地域の除染を行うという技術的問題のみに留まっているだけでは駄目で、こうした地域で農業を再び行うことが出来るようになった後、その土地はどの様な方向性で農業を進めていくのか、農業経営はどうなっていくのかなど、より長期的な視野を持っていくことが大切なのではないかということだ。同じ日本国内とはいえ、被災地から遠く離れて暮らしている(少なくとも現時点での自分の実感としては)私たちが被災地の状況を考える際に放射能汚染はどうなっているのか?汚染水はどうするのか?セシウム土壌の処理は一体どうすればいいのだろうか?など放射能問題をどうするかなどの技術的な側面にばかり目が行きがちであり、これらの問題を解決すること=被災地の復興と考えている節さえあるように思われた。しかしながら、被災地の現状に対するこうしたスタンスは却って農業再生を含む被災地の復興を遅らせてしまっているのではなかろうか。もちろんこうした問題は新聞やテレビのニュースでもしばしば取り上げられるし、私が受講している農学部の授業でも似たようなトピックが幾度か取り上げられていることから分かる通り、極めて重大な問題であることは間違いない。しかしながら、放射能などについての専門家ならいざ知らず、放射能問題について、被災地の農業再生について考えている現時点での私は一介の大学生に過ぎない。進振りで内定先が農学部に決まったとはいえ、まだまだ専門への理解は足りていない。まして自分の内定先は農業経済である。机の上だけでこのような放射能問題が絡んだ農業再生問題を悶々と考え続けていても頭が煮詰まっていくだけであることは自明であるように思われる。したがって、自分自身ができそうな被災地の農業再生について考えた時にまず私がやらなくてはならないのは実際に被災地に赴いて、現実に復興へと向き合おうとする現地の方々と交流して、彼らが抱えている状況を質感を持って捉えることではないだろうか。確かに一介の大学生の力でできることなどたかが知れており、放射能汚染を除去することは難しい。直接解決することは正直言って無理だ。しかしながら彼らが抱える現状を把握して、次に何かできることはないかを考えることはできよう。被災地の復興像を自分なりに思い描くことくらいはできよう。何も思い浮かんだ案を自分一人で実行できなくても良い。ここから協力の仰げそうなところを探していけばよいだろう。そして、直接被災地へ赴き、現状を把握することはそれまで自分が被災地に対して抱えていた偏見を拭い去ることにもつながるだろう。
ゼネコンや大型機械に頼らず、大量の「廃土」をださずとも、除染は自分たちでできる。今回溝口先生の記事を読んだことで、このことを強く実感した。正確に計測された数値を考慮すれば、表土をすべて削り取ってしまう必要がない場所で必要以上のコストをかけて除染処理がなされている。このような現状からも、正しい放射能や除染に対する知識が欠如していることがもっとも大きな原因と考えられる。
まず、被災地の農業について、簡単に整理していきます。東日本大震災の被災地である福島では、原発事故によって放射能汚染を受けました。特に被害を受けたのは農業でした。震災直後から福島県の農産物は風評被害を受け値段が下がったり、売れなくなったりしました。震災から立ち直ろうとしている福島の農村部にとって追い打ちをかけるような出来事でした。ここで、被災地の農業再生のためには、2つの課題があると思います。1つ目は放射能除染や荒廃した農業インフラの整備といった生産サイドの回復です。2つ目は風評被害を食い止め、消費サイドを正常化させることです。
被災地での農業再生に対して私自身が直接的にできることはほとんどないと思う。一番身近なこととしては実際に被災地に赴いてボランティア活動に参加することだと思うが、片道数時間かかる道のりをわざわざお金をかけて行く気は起きないというのが本音である。最近行われているボランティア活動の例としては、ためしに検索してみたところ農業地の土壌整備・苗植え・種まき・草むしりを行うこと、被災者と交流して実情を聞くことなどであった。労働力になるというのはいいとして、実情を聞いたとして何ができるだろうか。
私は現在単なる一大学生に過ぎず、被災地の農業再生に対してできることは少ない。直接的に可能なのは、除染等のボランティアに参加するなどの形で現地に赴くことくらいだろうか。
今回の課題に関して考えた際に、まず被災地の農業再生のために必要なことは何かということについて考えました。冷たい言い方ではありますが現状で、もしこれから農業を始めようとする人がどこで農業を始めるかを考えるときわざわざ被災地を選ぶ人は多くはないのではないかと考えられます。そこで理想論であることは分かっていますが、真の復興を目指すためには福島だから儲かる、福島で農業をやった方が生計を立てやすい、という状況を生み出すインセンティブを生み出すべきだと考えています。そこで今回は農家が被災地での農業を行う必然的根拠を生み出すような3つの方法について考えるとともにその中で私自身ができることについても考察していきたいと思います。
今回の溝口教員の講義によれば、被災地の土壌は表面的に放射線セシウムに汚染されており、また表面剥ぎ取り法で一律除染されてはいるものの再汚染の可能性も高く、村民参加型の再除染が必要であるとのことであった。そして授業では表土削り取り、水による土壌撹拌・除去、反転耕が農地の除染法として紹介されていた。確かに除染は常に、そしてこれからもずっとやっていかなければならない。ただ除染だけをひたすらやっていては農家も商売にならないであろう。そこで除染と別の観点から「被災地の農業再生」を出来ないかと考えたところ、「作る農作物」に農業再生のヒントがあるのではと私は考えた。そこで、以下では農作物の中でも野菜にスポットライトを当てて書いていく。
溝口教授が土壌物理学者という立場から被災地の除染・農業再生に取り組まれているのは、自分の職業とは一見関係なさそうな事柄でも、他人事だと思わず本気で取り組むことに意義がある。さて、これを自分自身に置き換えて考えてみると、私も恐らくこのままだと被災地の農業支援にかかわることはないだろうが、かかわろうと思うことで変化をもたらすことはできるだろう。
私の将来の夢は最近少しずつ認知されてきている「コミュニティ・デザイナー」というものである。これは、一言で言ってしまえばまちづくりプランナーであり、正確にいえば、都市工学の土木的な発想から離れ、人的資源に注目し、地域のコミュニティに価値を置くまちづくりの仕方をコーディネートする職業である。以下、提出遅れのレポート