食をめぐる土と水の環境科学20レポート



食をめぐる土と水の環境科学(2020.6.4)  選択者 41名
担当: 溝口勝

レポート課題:

溝口研究室(Mizo lab.)ホームページのTopicsの記事の中から1つを選んで読み、講義を聴いたことを参考にしながら、「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」考えを述べよ。A4で1枚から2枚程度にまとめて提出すること。


  1. 私は「飯舘村に通いつづけて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生」の記事を通して、私自身ができそうな福島の農業再生について述べたいと思う。また本講義を通じて感じたのだが、言い訳にはならないが正直文系である私にとって理解に及ばない点は多々あった。故にこのレポートでは文系、とくに法学部に進みゆくゆくは国の為政にかかわりたいと願う私の視点からで、福島の農業再生について述べたいと思う。
    一つできそうなこととして、東大生の農学部だけでなく分離問わず幅広い学部の人々が飯館村に行き、現地の空気を感じつつ自分の分野の視点の考えを明らかにし、さらにそこでSNSを活用するということである。まずこの記事を読んで心に残ったフレーズが、「現場主義」と「多分野のスペシャリストの関与が必要」という単語である。まず現場主義について。記事において「専門家はもっと現場目線で話してほしい」と書かれていたが、これは専門家に限らず被災地に対して政策を行う政治家などにも言えることであると思う。特にこうした地域創生に関することでは、アップダウンよりもボトムアップの考えのほうが重要である。ならば今そうした考えを求めている飯館村に向かい、現場主義の大切さを感じることは、飯館村はもちろん我々のこれからの考え方にも大きな影響を与えてくれると思う。次にこれが重要と感じるのが、多分野についてである。記事の中では教育も並行して行うと書かれていたが、ここに教育のみでなく政治や経済、医学なども参加していくべきだと感じた。そうすれば飯館村の復興に対し政策面ではどう動けるのか、復興のための特産品は経済・商売面ではどのようにすれば売りやすいのか、被災者と復興のバランスについて医学の面からはどう考えられるのかなどを「現場を肌で感じながら」考えられるだろうと思われる。そしてそこに若い東大生が参加することで、若い世代の育成、現地の若者との交流、若さゆえの奇抜な意見が得られるのではないか。さらに若者の利点として、復興のためにSNSを活用できるであろうということがある。どういうものを作ればこの情報社会に受けるかを熟知した若者の知識と、「東大」というネームバリューによる情報の信用をうまく用いれば、多くの人に福島の現状を正確に伝えられるはずだ。アクセンチュア株式会社による平成28年度地域経済産業活性化対策委託費(インターネットにおける福島県等に関連した投稿等分析調査)によると、「拡散のハブとなっているインフルエンサーとしては、日本では一般ユーザー以外にジャーナリストやタレント」とある。今日「東大王」などのテレビ番組で知名度を上げている東大生による試みであれば、インフルエンサーとして福島の状況を伝えることができる可能性があるということであろう。
    理解が及ばず技術的な考えを述べられないのが申し訳ないが、「多分野の東大生」「現場」「SNS」を活用することが私自身ができそうな福島の農業再生である。

  2. 1.はじめに
     今回の講義を聞き、また「農業農村開発の技術を考える」を読んで、農村における技術導入は課題が多くあるということを学んだ。そして溝口教授が実際に現場に行って農村の現状を正確に把握し、課題解決のための技術的な指針を提供していることを知った。私はやはり、福島の現状を正しく人々に周知することが大切であると思う。そこで、インターネットと共に成長してきた世代の立場から、私なりの農業再生の方法について書いていく。

    2.福島の農業再生
     私が今回の講義で学んだことの多くが未知のことであったように、多くの人々は農業についてよく知らない。そもそも、農業への関心というものが薄いと思われる。しかし、今はインターネットを通じて全世界へと農業の魅力を発信できる時代である。そこで、私はSNSや動画サイトを用いて福島の農業について発信することで、福島の農業の現状を多くの人々に知ってもらい、農業に興味を持ってもらうことができるのではないかと考えた。
     私の考える方法として、田んぼや畑の様子をリアルタイムで配信する、というのがある。講義ではICT営農管理システムによる農地のモニタリングについて触れていたが、そのモニタリングを全世界に配信するということである。劇的な変化もなく、たまに人が管理をする様子を発信して需要はあるのかと思う人もいるかもしれないが、定点カメラによるリアルタイム映像というものは、最近人気が出てきている。例えば、ある弁当屋はYoutubeで店内の様子を24時間リアルタイムで発信しているが、その配信は常時200人以上に視聴されている。また、台風などで大雨が降った際には、河川のライブカメラを閲覧できるサイトのサーバーが落ちるということがあった。このように、自分の家から離れた場所の様子を、家からリアルタイムで知ることができる配信は確実に一定の層に需要があると言える。Youtubeなどのプラットフォームを利用すれば、日本人だけでなく、世界中の人々に見てもらうことができる。確かに、農地の様子は弁当屋や河川の様子よりは変わりばえのない景色ではあるが、農地を農家が手入れしている姿や、季節が移り変わり、作物が収穫されるところなど、むしろ小さな変化を楽しむことができる。特に、都会に住む人々にとっては、農村の様子は想像もつかないだろう。どのように田植えをし、どのように収穫するのか、という様子を映像で知ることができるのは、農業についてよく知らない人々にとっては新鮮であると思われる。今は小学生、はたまた幼稚園生までもがYoutubeを利用する時代である。自分から検索せずとも、たまたまオススメに出てきて知るなどの偶発的な発見も期待できる。そのようにして農業の様子を知った若者の中で、農業に関心を持つ者が出てくるかもしれない。また、実際の様子を知ることでその農地へ親近感が湧き、その農地のある地域で生産された農産物を買うということもあり得る。特に、福島の農業を身近に感じてくれる人が増えれば、風評被害も減り、福島産の農産物を積極的に買う人も多くなると思われる。
     リアルタイム配信は、農業への関心を高めるだけではない。そもそも、Youtubeへの配信は初期投資が軽くて済む。おそらく、遠隔操作の機材よりもコストがかからないし、うまくいけば、収益化も狙えるだろう。Youtubeの運営会社に動画による収益化を認めてもらうことができれば、配信で視聴者にいわゆる「スーパーチャット」をしてもらえる可能性もある。スーパーチャットとは、Youtubeのライブチャットや動画の公開時に、チャット欄で自分のメッセージを目立たせるための権利を権利を購入する機能であり、いわゆる「投げ銭」である。スーパーチャットは、誰かを応援する際に、クラウドファンディングなどよりもずっと簡単で人々にとっても気軽な手段である。「この農家を応援したい」と思った人が、スーパーチャットをしたなら、農家の新しい収入源にもなるだろう。
     「わたし自身ができる福島の農業再生」ということで、このような手段を提案した。私は農業には疎く、実際の農業でどのような課題があるのかということも正確には把握できていない。ずっと都会に住んでいたし、農村というのはどこか遠い世界にあるものという意識が今でも抜けきっていないと感じている。しかし、これはずっと都会に住んでいて、インターネットに慣れた世代であるからこそ、提案できることだと思われる。福島の風評被害をなくし、一般の人に現状を把握してもらうことができれば、確実に福島の農業再生につながっていくだろう。

  3.  今回は、「真の復興、飯舘村民に学ぶ」(下野新聞日曜論壇2、2020年2月16日)を読み、講義を参考に私にできる福島の農業再生への貢献を考えていく。
     はじめに、私は、講義を聞き、記事を読んで、福島の農業再生がかなり進んでいることを実感した。そこで、放射性物質の除染が進んでいる今、自分にできることを考えた。記事にあった「真の復興は与えられるものではなく自ら動きだすことなのではないか」という一文から実際に自分で行動を起こし、現地でできることを探すというのが最善だとは思うが、自分が福島に行き、農家になるのは現実的に実現が難しく、私一人の就農では「農業再生」の問題の根本的な解決には繋がりにくいと思った。さらに、文系に進学した以上、自ら科学技術をつくるのは困難であるため、自分に何ができるのかと深く考えさせられた。
     福島の農業をめぐる環境について考えると、現地の農地の除染が進み、様々な人が協力して復興に向かう中で最も大切なことは、消費という面にあるのではないかと思った。したがって私は、福島の除染について正しい知識を身につけ、情報を発信することが私にできる貢献ではないかと思った。そうすることで、「福島の農産物=安全」という考えを広めることで農業として成り立っていくのではないかと考えた。なぜなら、東日本大震災から約10年が経つ今でもなお、放射性物質という多くの人に馴染みがないものによる福島産の農産物に対しての風評被害が存在すると考えるからだ。現状では確かに農業はできるように環境が整っているかもしれないが、それが持続的なものとして成り立つようにするには消費者が福島産農産物を購入することが不可欠である。そのためにも正しい情報の発信が誰にでもできる復興への貢献だと思う。
     ところで、私が、風評被害が依然として残っていると思う理由について具体的に述べる。私は、今回の講義を聞き、までい工法などによる除染の結果、放射性セシウムが土壌中でほとんど移動せず、自然減衰していくことを初めて知った。それまでは、放射性物質の除染が進んでいることは知りつつも、完全に福島の農産物に対して安心感を抱くことはできず、放射性物質は残り続けるだろうと思っていた。そうした福島の農産物がまだ完全に安心・安全ではないと考える人がいるのは、報道の偏りにあると思う。東日本大震災が発生した当時、放射性物質を危険だとする報道が多かったのに対し、除染が進んで安全になったことの報道は前者に対し、少なかったのは確かだと考える。その結果、危険だという情報が残り、放射性物質が未知のものであった効果も相乗して、正しい情報が伝わらない、もしくは定着しにくいという現状につながっているのではないだろうか。
     以上を踏まえて、いかにして福島産農産物の積極的消費を促進するかを考えると、先に述べた、正しい情報の発信に加え、自ら積極的に福島産農産物を購入することが有効だと思う。その有効性として最も大きいのは、これらのことが誰にでもできるということだと思う。誰にでもできることで、情報の拡散が容易になるだけではなく、情報の発信者と受信者が身近になることも大きく貢献すると考える。今回関わる農産物は、食べ物であり、多くの人の生活に直接的に影響するものである。したがって、専門家の科学的根拠を正しく理解し、周囲に広めることで、安心・安全だという共通認識が生まれ、農産物の消費が促進できると思う。同時に、身近な人が実際に食べているという事実が生む農産物に対しての安心感は、噂といった類の誤った情報を払拭するのにも大いに役立つと考えられる。
     最後に、私は福島の農業再生を日本の至上命題だと思っており、その達成には分野を超えた様々な人の協力が不可欠だと考える。したがって、私にもできる情報発信を積極的に進めていきたいと思う。

  4. ・記事を読んでの感想
     自分は溝口先生の「飯舘村に通いつづけて約8年?土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読んだ。多くは先生が講義内で話してくれた内容と重なるものであったが、自分が特に心に残ったと感じたことは、溝口先生が教育の重要性について語る場面での『地域の未来を担うのは子どもたちです。彼らが正しい知識や情報を学ぶとともに、はやい段階で「人のため」「地域のため」に自分に何ができるかを考える機会になれば、という一心で継続的に取り組んでいます。』という言葉であった。やはり最も重視すべきなのは「人」であり、人を育て、導いていくことこそが地域再生に最も必要なことであると再認識させられた。しかし自分は文系の学生であり、農業についての専門的な知識もほとんど持ち合わせていないため、人材育成は「私のできること」にはならない。このため、自分は村の外から地域再生のための「人」を流入させるためのプロデュースについて何かできないか考えてみた。

    ・私自身ができそうな福島の農業再生
     記事を読んで、溝口先生が離村者のUターンの促進や地元の子供達の興味・関心の育英に力を注いでいることが分かったが、自分はむしろ地域の外からの流入に期待したいと考える。少子化・高齢化は福島に限らず日本全域で早急に対処すべき課題であり、もはや地域内でのみ回していくのは困難だと考える。このため、福島の外へ「福島で農業を行うメリット」をもっと発信していくべきである。自分が別の講義で聴いたところによると、若者(20?30代)のうち地方への移住に興味がある割合は約5割を占め、地方出身者に限ると6割以上になる。もちろん福島に対する負のイメージは依然として残存している感があり、ハードルはやや高いことも予想されるが、溝口先生が土壌・農作物の安全性を証明されているように、データに基づいた証拠をもっと広く示していく必要がある。一方でデータはあくまでもデータにすぎず、人々に実感を持って与えるものではないため、どうしても行動を引き起こすという点では弱い面がある。このため、全国の学校給食で福島の食材を使った給食を提供したり、セブンイレブンなどのコンビニで全国的に福島の野菜などを取り扱ったりすることで、もっと福島の食材を身近なものとすることでその安全性を肌で実感できるものになるのではないだろうか。このことにより、福島の食材に興味を抱かせることを通じて、福島で現在人の手を離れ、耕作されていない土地などを安価で貸し与えることで外部からの流入をしやすいものとし、ゆくゆくは土地を自分のものとして購入できるような仕組みを整えていくことで外部の人も福島に定住しやすくなるのではないかと考えられる。

    ・考察
    今回の僕の提案はあくまでも机上の空論であり、実効性は保証できない。ただ福島の農業再生のためには、まずは福島への偏見を根絶して、その後は日本の他の地域と同様、少子高齢化に悩む農業分野において効果的な対処法を模索していく必要があると思われる。今回の提案に限らず、もっと簡単に取り組めることも含め、様々な視点からこれからも考えを深めていきたいと考える。

    ・出典
    ?「飯舘村に通いつづけて約8年?土壌物理学者による地域復興と農業再生」(コロンブス2019.5)
    ?東大「法と社会の人権ゼミ」7月6日F W「地方創生 第2期へ」

  5. 1.はじめに
     現在市場に出回っている福島産の農作物は安全だ。特に福島産の米は事故以来、全量全袋検査を受けている。2015年度以来、国の基準値を超える放射性セシウムが検出されないばかりか、検出下限値(1kg当たり25ベクレル)未満の米が99.99%超を占めている。野菜・果実、畜産物も同様に、検出下限値未満の割合がそれぞれ96.5%、99.6%である。「福島の産品は汚染されていて、避けるべき」という類の言説は非合理的で、その根拠は不正確なイメージに過ぎないのである。だが今なお福島の農業は風評被害に苦しんでいる。事実、約一割の人々は放射性物質への懸念から今も福島県産の食物の購入を躊躇う。この消費者意識を背景に、福島県の産品の市場価格が安値になったり、米が店で小売りされず、業務用の米として、外食や中食業界で産地を表示しないまま提供されたりすることがある。
    以上を鑑み、今回は主に花卉栽培を活性化して農業再生を支えることを提案する。花卉は食品でないため、放射性物質の影響を懸念する消費者にも消費を促すことができる。又、風評被害を気にせず福島県産であることを明記し、被災地が「不死鳥の如く」営農を再開させている様を堂々と示す手段となる。福島産花卉は、東日本大震災のチャリティーソング「花が咲く」をも想起させ、復興のシンボルになり得る。更に、日本の花卉は世界的に高い評価を得ており、輸出額も増加傾向の成長途上の産業である。米需要の減少を考慮すると、米作から花卉栽培への重点のシフトは、福島の農業をただ再生するだけではなく、未来志向型の産業として生まれ変わらせることに繋がるのではないか。

    2.自身でできそうなこと
     サークルなど何らかの団体を作り、福島県産花卉の消費を促す。
    具体的には、まず福島県(特に旧避難指示区域)内の生産者ないし団体に、活動趣旨を説明してある程度まとまった量の福島産花卉を仕入れる契約を結ぶ 。次に学内の各式典などの主催者に、福島県産のものを優先的に使う様に提案する。加えて、文化祭など催し物の際には受験生応援企画として出店し、被災地域である相双地方やいわき地方で栽培されているポインセチア の販売を行う。主に予備校関係者や受験生保護者向けに、冬に色づいたポインセチアを送る通信販売の契約を取り付ける(もしくは検討を呼び掛ける)のである。東大の文化祭では例年教育や入試関係のイベント・講演会が開催されていて、主要学習塾関係者・受験生保護者の確実な来場とそこでの高い宣伝効果が期待できる。利益は福島の除染活動や風評の被害農家らに何らかの形で還元するか、「までい工法」始め中々浸透しない有効な除染法の啓発活動に使う。又、この活動がある程度成功を収めたならば、他の大学でも類似の活動を行う有志団体を作る様呼び掛ける。こうして福島の花卉栽培を支えるネットワークを全国的に形成することを目指す。
    但し、この活動が本当に福島の農家の方々のニーズに沿ったものなのかは分からない。「被災」を商業的に利用する有難迷惑と受け取られるかも知れない。福島での原発事故を世間に再認識させ、風評被害を深化させる懸念があるかも知れない。企画実行には福島の方々との深い対話を要する。除染活動と同様、真に復興に貢献するためには、現地に赴いて対話することも厭わない現場主義を忘れてはならない。

    3.活動が更に広がれば将来的にできそうなこと
    福島産花卉を大衆ブランド化する。大衆に広く浸透した存在にするのである。
    まず、「福島の花」など福島県産花卉全体を指す親しみやすい言葉やロゴマークなどのシンボルを創る。そして常設店舗や提携する花屋で販売し、企業にCSR活動の一環として式典などで「福島の花」を積極的に使う様求める。同時に「受験応援花」福島産ポインセチアの大衆への宣伝・浸透も図る。収益を利用して、先述した事業に加え、希望する農家の方々が、営農再開を機に花卉栽培に転作するサポートも行いたい。又、世界の災害発生時には「福島の花」を届けるボランティア活動を行い、他の災害地域の復興への希望的存在となる様努め、知名度を更に上げる。

    4.おわりに
     以上の「できそうなこと」が実現すれば、風評被害をかわし、福島の被災地を花の町として蘇らせられるかも知れない。我々首都圏の学生が福島の農業再生に貢献する一手段として、ここに提示する。

    【参考資料一覧】
    溝口研究室HPより「(2017.4.5)いいはなプロジェクト(広報いいたて平成29年4月号)」
    消費者庁、第13回風評被害に関する消費者意識の実態調査(2020年1月30日〜2月4日調査) (https://www.caa.go.jp/notice/assets/consumer_safety_cms203_200310_01.pdf)
    NHK解説記事「『東日本大震災から7年(1)福島の食の実態と風評被害』(視点・論点)」
    (https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/291495.html)
    財団法人日本花普及センター「花きの産地表示のあり方、浸透の仕方についての報告書」(平成19年度農林水産省農業競争力強化対策推進事業)(https://www.maff.go.jp/j/seisan/kaki/flower/pdf/santi_hyouzi.pdf)
    福島県HP「福島県花き振興計画」(https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/314902.pdf)
    福島県HP「ふくしま復興ステーション」(https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/89-4.html)
    https://agri.mynavi.jp/2019_02_08_57567/
    https://horti.jp/1501 
    農林水産省「国産花きの生産・供給対策」
    (https://www.maff.go.jp/j/seisan/kaki/flower/pdf/3_141218_27yosan_youkyu.pdf)
    過去の東京大学五月祭公式ウェブサイトの数々

  6. ・はじめに
    「あなた自身ができそうな福島の農業再生について」に対しての考えを、第六回講義・Mizo lab.「私の土壌物理履歴書」を参考にして述べる。また福島の状況、特に震災直後と現在の福島の風評被害の状況も参考にする。これらを手掛かりに、私ができることはSNSを用いて福島産の農作物の安全性を理解する人の購買意欲を向上させることだと考えた。

    ・福島の農業への負の影響とその対策
    東日本大震災による原発事故で膨大な量の放射性物質が大気中に放出された。その事故由来の放射性物質は海水・土壌等から検出され、福島の農林水産業に大きな影響を与えた。特に農業に注目すると、第一に農地の放射性物質量が多く農作物の生育ができないという影響、そして第二に農地除染が行われ、安全基準を満たす農作物が生育できたとしても消費者がその負のイメージ等から購買しようとしないという影響があった。

    第一の影響への対策としては、様々な農地除染の方法が研究・実施されている。例えば、放射性物質であるセシウムは土壌の上部0~5cmに多く固定されており、しかも土中で動かないことが判明したため、表土削り取りやその汚染表土埋設といった技術が編み出された。一方でそれらの技術が農村で受け入れられるかどうかは定かでない。農村での実際の運用にまで考慮した技術の発展が今後の課題となるだろう。しかしこれらの努力から避難指示地帯での農業もいずれ実現可能になるだろう。一方で避難指示地域以外の福島では農業は再開しており、その農作物はガイドラインに沿った厳重なチェックを経て市場に出ている。しかし、安全に配慮された作物が福島産という理由で購入されないという被害が現れた。そこで第二の影響へと話が移る。

    第二の影響への対策としては、まずその原因を考える。確かに事故直後は規定値を超える作物が存在しており出荷制限が実施された。その時期の消費者の購買拒否は致し方無いが、その現象が、安全が担保されたときにおいても起こっているのはいささか問題である。原因の一つにメディアが挙げられるだろう。ベクレルやシーベルトといった市井の人には馴染みのない単位で、放射性物質が語られ不安や批判、憶測が蔓延した。その結果、この問題は科学的に正しい云々の問題というよりも、むしろ印象の問題の側面が強くなった。そういった負の印象への対策としてはCMやHPの作成といったメディアを介した方法がとられた。こうした懸命な努力もあり、安全性への理解が深まったと言える消費者庁の調査結果も得られ、風評被害の影響は着実に減っている。しかし依然として福島産のコメを拒否する人がいるのが事実であり、風評被害は消えていない。

    ・私にできる農業再成
    以上を鑑みると、私個人が福島農業再生へアプローチできるのは、技術的問題を多く抱える第一の影響ではなく、印象といった問題の第二の影響に対してであると考える。その手法として、TwitterやInstagram等のSNSを介して福島産の農作物の安全性や美味しさを宣伝することを挙げたい。
    2011年と現在の違いとしてSNSの発展、普遍化が挙げられる。今やSNSはテレビ、新聞に比肩するメディアと言えよう。しかも、我々大学生であっても容易にアクセス可能で、現実味があり効果的だと考えた。また、SNSを介したこの手法は、食品に含まれる放射性物質に過敏な人を減らすことよりも、むしろ安全性を理解する人により多く購入してもらうことを想定している。植え付けられた恐怖を取り除くことは、簡単ではない。その恐怖を取り除くよりも、安全性を理解する人の間で購買を促進させるほうが現実的だと考えた。
    「私の土壌物理履歴書」の「原発事故時に即時に行動できなかったような科学技術であってはいけない」という溝口教授の言葉のように、やはり行動を起こすならば、実際に運用できるような手法が望ましいと考え、このSNSの積極的使用の考えに至った。また、自分自身が積極的に福島産の農作物を購入するといった行動も可能な限りとっていくことも幾ばくながら農業再生につながると考えた。


    ・参考
    https://www.caa.go.jp/notice/entry/019197/
    「消費者庁意識調査」
    https://js-soilphysics.com/downloads/pdf/130035.pdf
    「私の土壌物理履歴書 溝口勝」

  7. 1はじめに
     講義を受けた感想として、私は全くの無知のまま放射線というものを恐れてきたのだという強い実感がある。セシウムと土壌の性質をしっかりと理解すれば、必要以上に怯える必要はないのだとわかる。しかし問題はこのような事実を知っている人々は少数でなおかつ、知ろうとしている人々も少数である現状であろう。私の通っていた中高一貫校では福島を実際に訪れてその現状を知ろうとする企画が学年主任のもと行われていた。恥ずかしながら当時中三の私自身も我が身愛しさから福島に行くことに強い抵抗感を持っておりこの企画には参加していなかったし、それが多数派であった。しかし私の友人の一人にこの企画に参加した人がいて、実際に肌で感じてみないとわからないことがあると言っていた。これは溝口教授のおっしゃっていたことを体現している良い例のように思われる。
     このような友人伝いの体験も含め、やはり現地主義を大事にし、現地を訪れてその現状を知ることがまず私にできることだと考える。しかし私は教授のような専門知識どころか、農業に関する知識を毛ほども持たない。そこであえてここでは机上の空論を考察してみる。この空論形成の過程で得た見方を現地訪問により見直すことで、実際に現地を訪れる際の手助けとしていきたい。

    2ジェンダー先進地域としての飯館村構想
     飯館村の震災以前の活動として気になったものがある。それは30年以上前に組織されたという「若妻の翼」という組織の活動である。1この組織は「村のお金で農家の嫁をヨーロッパに10日間旅行させ、異文化に触れさせるというユニークな事業」2を行なっている。驚くべきことに、この村、少なくとも村長には女性が男性と同様に社会で活躍できる能力を有しており、それを刺激することで地域が活性化するという考え方を持っているということである。このような考え方はある種当然とも言えるのだが、日本社会に現状浸透しているとは言い難い。飯館村はジェンダー先進地域と呼べるだろう。

    1みぞラボ公式ページ、「飯館村に通い続けて約8年?土壌物理学者による地域復興と農業再生?」、2019年4月26日、最終閲覧日2020年7月22日、参照http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/mizolab.html2みぞラボ公式ページ、同トピック、78ページより引用


     ここからが本題であるが、震災の影響で減ってしまった人口を、村における男女平等社会の実現で補うことはできないだろうか。男女平等は現在世界的に注目されている問題であり、関心を持つ人々は多い。そのため男女平等社会の実現はこのような問題に敏感な人々の移住を促進できるのではないかと考える。以下では似たような考え方を持ち、実際に男女平等を実現したフィンランドという国の実例を見ていく。
     フィンランドは「ヨーロッパで最も工業化の遅れた農業国であった。加えて、他の北欧三国(ノルウェー、デンマーク、スウェーデン)と異なり、自らの王位も大規模な領主も存在しておらず、男女とも農業労働に携わる自営農民を基盤としていた。」3そのため、「伝統的に男女の協働と平等意識が高くなり、並行するように個人の自由を尊重する気風も培われていったと考えられる。」4
     フィンランドと飯館村では農業の厳しさに差異があり、その点で男女の協働の規模感が異なるかもしれないが、仮にそうだとしても前述の「若妻の翼」という組織の活動は男女平等の気風が飯館村の土地で培われていっている事を示していると言えるであろう。すなわち、男女平等を導入できる前提となる考え方がこの村には存在しているのである。これは日本における女性蔑視的な伝統とは対照的とも言って良い。
     フィンランドは具体的には法整備や教育制度、父親の育児休暇など徹底した政策を実行することでこの社会を実現したが、飯館村という小さなコミュニティの中で改革を行うのであればここまで大規模な政策に頼る必要もないと思われる。ただ、ここで飯館村に適した具体案を出すのは些か空論すぎるだろうから、控えさせていただく。

    3さいごに
     さいごにこのレポートの内容をもう一度まとめ、現状予測できる問題を挙げて締めとする。
     まず内容をまとめる。福島の農業再生に対し私にできることは、現地に赴いて現状を知ることであると考える。そこで知識の浅さを補うためにここでは机上の空論を考察することで農業再生について考えるための私自身のたたき台を作った。具体的には男女平等という概念が一般的な日本社会と比べ非常に浸透していることに着目して、男女平等社会の実現による人口回復の実現性を考察した。その際、似たような出発点を持つフィンランドの事例を引き合いに出して論を補強した。
     考えられる問題は、実現したとしていかにこの事をアピールするかである。飯館村出身の女性社長などというわかりやすい人材育成に成功すれば話は別だが、男女平等性をアピールする際にはどうしても抽象的な論になってしまうことが予想され、アピールポイントとしては不適切なように思われる。おそらく具体性を提供できるのは男女平等のための実際の取り組みを説明することになると思われるが、その場合取り組みのオリジナリティが問われることになるだろう。そのため具体案の吟味は重要になってくるのではないか。

    3石井三恵、「フィンランドの女性とコミュニケーション?ジェンダーの波間で?」,B広島女学院大学論集第57集(2007), 45-60ページ, 52ページ4行目より引用4石井三恵、上掲書、52ページ15行目より引用

    <参考文献>研究論文・石井三恵、「フィンランドの女性とコミュニケーション?ジェンダーの波間で?」,B広島女学院大学論集第57集(2007), 45-60ページHP・みぞラボ公式ページ、「飯館村に通い続けて約8年?土壌物理学者による地域復興と農業再生?」、2019年4月26日、最終閲覧日2020年7月22日、参照http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/mizolab.html

  8.  私は、2020年4月26日の「コロナで変わる大学教育」(下野新聞日曜論壇)を選んで読んだ。私は将来教員関係の仕事をやりたいと考えており、この記事で、私は「コロナ禍によってIT化が進んだ日本において仕事や教育のあり方が変わった」という点に着目した。本記事では、主に大学教育のことについて書かれていたが、私はこれを小学校、中学校、そして高等学校にも拡大することを考えたい。
     新型コロナウィルスが蔓延している今、我々は感染拡大を防ぐために、自宅で学校の授業・講義に出席することや、仕事の会議に出席することが中心になってきているが、それは大学生や社会人の話である場合が多く、小中高生の場合は対面の授業を再開しているところがほとんどである。この状態は、感染拡大防止の観点から見れば、良いものではない。小中高でもオンライン授業を積極的に、部分的にでも導入していくべきである。
     以上のことを踏まえて、私自身が出来そうな福島の農業再生について考えていく。私にできることは、授業を通して福島の農地汚染と農業再生について伝えること、と考える。小中学校では社会科の授業で、高校では地理科や現代文の授業で、上記の問題について授業を通して伝えることができる。私は文系の人間で、化学などの知識や興味が理系の人々に対して欠けているため、直接的なアプローチをすることはできないが、次世代の人材を育成して間接的に福島の農業再生に貢献できないかと、私は考えた。
     そこで、オンライン授業をどう利用するかであるが、オンライン授業の利点として、画像や動画を使用しやすいことを挙げたい。ZoomやGoogle Meet といったオンライン会議・講義向けのアプリケーションでは、簡単に画面を共有することが可能である。文字面を追うよりも、眼で見て福島の農業の現状を確認したり、図で説明した方が分かりやすいし、イメージもしやすいと思われる。また、YouTubeなどの動画サイトには、農業に関連した動画や、福島の実態を伝える動画が多く投稿されているので、そういった動画を紹介、あるいはその視聴を課題として提示し、後の授業で動画に対する感想や意見を求める、というやり方も考えられる。オンライン授業は自由度が高いので、教員それぞれのアイディアに沿った、多様な授業展開が考えられるので、どのようにすれば児童・生徒の興味を引きつけられることを考えるのも、面白くやりがいのある仕事と思われる。
     以下では、新型コロナウィルスの蔓延が収束した後の、授業展開の可能性について論じていきたい。まず、校外学習の一案として、福島に訪れて現地の農業を児童・生徒たち自身の目で確認させることを提案したい。百聞は一見に如かずという言葉もある通り、現場で実際にどのようなことが起こっているかを自分の目で確かめさせることによって、より児童・生徒たちにイメージさせやすくするというねらいがある。また、家庭科の授業では、担当の先生と相談するなどして、福島県産の農産物を使用することにより、福島県で作られた食べ物がどのような味がするのかを、児童・生徒たちの味覚に訴えることによって親近感を湧かせ、イメージさせやすくするというねらいがある。他にも、福島県で農業を営む人を学校に招いて講演会を開くという手法なども考えられる。
     講義や、2020年5月31日の記事にもあった通り、これからの農業を支えていくのは若者である。その若者を効果的に育成し、福島県の農業再生に役立てることが、私にできることと考える。

  9.  2011年3月11日に起こった東日本大震災に伴う原発事故後、福島の土壌は放射能で汚染され、農業の停止を余儀なくされた。この事故後、福島では土壌の調査がくり返され、土壌浄化、農業再生などにむけて様々な取り組みが進められてきた。東大農学部は福島の農業地域の一つである飯館村に目を向け、現地調査や研究を行い、除染法の開発や試験栽培、環境モニタリングを行い村民との信頼関係を繋いできた。表土削り取り、水による土壌撹拌・除去、反転耕などを試し、農家自身でできる農地除染法として寒さを生かした「表土はぎとり式」という効率的な除染法を編み出すなどして、住民と研究者グループが一丸となって取り組むことで農地除染に成功した。机上の発想とは違い、村の実情に沿って莫大な金のかからない方策こそが良策である。明治大正時代に活躍された農学者・農業経済学者の横井時敬も「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」といったように、農業のために何かしようと思った時には研究者と農家が寄り添っていく現場主義が重要である。
     このように土壌浄化に成功した福島の農業ではあるが、汚染の風評被害や担い手問題など様々な問題を抱えている。この問題について、溝口研究室 Mizo lab. ホームページのTopicsの記事の1つである「学問は出会いと現場から」を参考に「自分自身にできそうな福島の農業再生」を考える。私は現在大学の授業をリモートアクセス技術によって実家である北海道から受講している。また、先日にはGEILという団体の政策立案イベントのオンライン開催に参加しオンライン上で出会った仲間と国の問題、政策について議論しプレゼンテーションするという体験をした。春からの様々なオンライン化を通して、オンラインで人との交流や新しい体験はできる、ということ実感している。横井先生、溝口先生の双方がおっしゃるように、現場主義というのが農業再生のためのキーワードである。現場の視察、現場との繋がりを、オンライン技術を享受する世代である私たちの世代だからこそ、オンラインでできないだろうか。民宿などが一定数人気を得ているとはいえ、消費者が農業と関わる機会は少なく、研究者が現地におもむくような機会も少ない。除染作業や農業の現状を画面越しではあるが、農家と交流しながら見ることは農業に関心を持つきっかけになる。低コストで、どこからでも気軽に参加できるので、より多くの人にきっかけを与えられる。その中でさらに興味を持てば実際に調べたり、その身で現場に向かう者も出てくるだろう。毎日食べる食料を支える分野であるとはいえ、農業は都市にすむ人間からしたら、知らないことが多く、遠く離れた分野である。だからこそ、新規就農が難しく人手不足が深刻化するし、風評被害なども発生する。まず自分たちの食を支える農業に興味を持つきっかけが必要なのである。オンラインセミナーを通して、消費者が除染に不安はないという正しい地域を得て、飯館村の素晴らしい桃や日本酒の存在を知ることが必要である。あるいは農業に面白さや魅力を感じて、やってみたい、応援したい、と思わせることが重要である。
     上記してきたようなオンラインで現地とのつながりを作る、というのは自分自身にできそうではあるが、すぐに行えるようなものではない。すぐ行動できるような取り組みとして、私はまず、ぜひ飯館村の桃や日本酒を購入してみたいと思う。それを友達とともに「これは福島の飯館村の桃と日本酒なんだよ」と話しながら、身近な人間の福島に関する先入観をとき、農業に関する知識を提供していきたいと思う。彼らが気に入れば今度は彼らが自分で購入し、それをまた友達に勧めるかもしれない。そうしてこの桃と日本酒を通じた、福島と農業への親しみの輪はどんどん広がるだろう。それは少しずつ風評被害を払拭し、飯館村に興味を持つ者を増やすかもしれない。確かに一人の小さな行動から始まった行動が芋づる式に広がっていく。オンライン活動にもやってみる価値は感じるし、興味をひかれるが、まずはこの小さな取り組みからまず始めていきたいと思う。

    [参考文献]
    水と土の環境科学 第6回資料

  10.  「農業農村開発の技術を考える」を読んで、農村の生活様式や長年築かれてきた文化を十分知った上で、それらにあった農業技術を導入していく事が大変重要である事がわかった。都市に住む人間には分かり得ないことも非常に多いので、大学や研究機関が技術を考える際はフィールドワークに加え、農村の住民に直接聞き込み調査を行ったり、農作業を手伝うなどする中で交流を深めたりする事が肝要だと感じた。また、急速に技術を投入し過ぎてしまうと、その技術がなかなか地域に根付かない可能性があったり、日本で1970年代に実際に起こったように、生活様式が崩壊してしまう可能性があったりすることには少し驚いた。ただ技術を投入することによって作業が楽になり、農家にとっては良いことばかりだろうという認識はとても害悪であったと反省した。このように考えると溝口教授がおっしゃっているように、現場のニーズに応え、生じている問題を解決するような新しい、もしくは既存の技術を組み合わせた技術を農村の状況に合わせて少しずつ導入していく必要がある。(溝口勝(2019))
    現在の福島の農業が抱える問題としては主に、担い手不足と風評被害をあげることができる。凍土剥ぎ取りやセシウムを含む表土を泥水にして田んぼに掘った穴に流す方法、国の除染工事によって、除染事業が完了し2017年3月に一部の地域を除いて村民への避難指示が解除された。それにもかかわらず、高齢者だけが村へ戻り、若者はほぼ帰村しなかった。(下野新聞(2020)「真の復興、飯館村民に学ぶ」)復興庁の「飯館村 住民意向調査 報告書」によれば2017年3月の時点で10代20代のわずか10%、30代の9%、40代の9.7%のみ帰村を将来的に考えている。農林水産省の農政改革関係閣僚第5回会合の資料1-2によれば若者の農業参入が進まない理由としては所得水準の低さ・新規参入時の費用の高さがある。(農林水産省(2009))2020年の消費者庁の「風評被害に関する消費者意識の実態調査(第13回)報告書」によればおよそ1割の人は福島県産の食品を買うことを躊躇っている。
      福島における若者の農業離れを防ぐには行政による資金援助は非常に大切である。しかしそもそも農業に魅力を感じる若者が増えない限り、資金援助の効果が最大限現れないと考える。案としては2つあり、これらは風評被害の解消にも十分役立つ事が予想される。
    一つ目は、若者にとって魅力的なビジネス、例えば儲けが出る事が期待できる特産物・ブランド食品であったり、時代の最先端の技術を導入した農業形態、例えばA I・I C T、有機栽培であったりを導入する事が良いと考える。「地域発食品メーカーのブランド戦略調査」によれば食料消費は減少しており加工食品への需要が高まっている。また「食品でも同様で、多くの食品は近所のスーパーで、手ごろな価格のものを購入するが、お酒だけは専門店で購入する、ドレッシングやジャムは高級なものを買う、自分の好きな商品は作っている店や地方から直接取り寄せるといった使い分けが、生活の中で、以前にも増して行われるようになっている。このようにファッションさながら、日常において「こだわり」を発揮する消費が、食品においても盛んになっている。」(日本政策投資銀行南九州支店&株式会社日本経済研究所ソリューション本部(2019)p4)とあるので会津味噌や日本酒、福島牛を前面に売り出していくべきだ。地方の道の駅での販売に加え、ネット販売を行うのも良いと考える。一方で最新技術を導入した農場は世界的な注目を浴びることにもつながり、安全性の証明に加え、作業の効率化によって高品質の商品を提供できる。
    二つ目は小中高で今よりも農業について授業や総合学習の時間に触れる事で、農業に対して抱かれる「大変そう・稼げなさそう・不安定」というイメージが変わる可能性もある。私は中1と高1で園芸の授業が週に1回あり作物を育てた経験があるとはいえ、先生が土づくり、水やりや雑草抜きをやってくれ、東京生まれ東京育ちということもあり、農業をどこか遠い存在のものと捉えてしまう傾向がある。東京など都市部の学校では農業に触れる機会がほぼない。そういった生徒たちに土や水の性質や農村の実態・福島の農業の復興状況、農業で使われる最先端技術の紹介を動画や実演・実験形式で行うことで関心を持ってもらえると思う。農業の面白さ・日本の農作物の安全性を理解してもらえたら、風評被害や若者離れは解消できるはずだ。農業従事者に直接ならなくとも、フィールドワークの大切さをわかった農業技術の開発者になったり、農家の負担を減らす品種や土壌の研究者になったり、安定した収量を確保できるようなシステムの開発者になったり、といろいろな道が考えられる。



    溝口勝(2019)「農業農村開発の技術を考える」(ARDEC 第60号, March 2019)
    http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec60/ard60_key_note_g.html

    復興庁 福島県飯館村(2017)「飯館村 住民意向調査 報告書」
    https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-4/ikoucyousa/28ikouchousakekka_iitate.pdf#search=%27飯館村+帰村率%27


    下野新聞(2020)「真の復興、飯館村民に学ぶ」下野新聞日曜論壇 2020.2.16
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/essay/200216shimotsuke.pdf

    溝口勝 「ICT営農管理システムの開発」

    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/meti/object.html

    復興農学会(2020.1.6)「他分野の知の結集を」
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/media/200106fukkounougaku.pdf

    コロンブス2019.5(2019)「飯館村に通い続けて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf

    農林水産省 農政改革関係閣僚会合 第5回会合 資料1-2(2009)
    https://www.maff.go.jp/j/nousei_kaikaku/n_kaigou/05/pdf/data1-2.pdf

    消費者庁 食品と放射能に関する消費者理解増進チーム(2020)「風評被害に関する消費者意識の実態調査(第13回)報告書」
    https://www.caa.go.jp/notice/assets/consumer_safety_cms203_200310_02.pdf

    日本政策投資銀行南九州支店&株式会社日本経済研究所ソリューション本部「地域発食品メーカーのブランド戦略調査」(2019)https://www.dbj.jp/topics/region/area/files/0000034531_file2.pdf

  11.  私は2020年の5月31日の下野新聞、日曜談論の5を読み、また授業での実際の取り組みから、私が取り組むことのできる福島の農業再生について考えた。私が取り組むことができると思う取り組みは三つある。
     一つ目は、実際に福島に赴き、自ら農業活動に取り組むことである。福島県では、原発事故後一部地域に避難指示が発令され、その後順次避難指示が解除された。最も早く避難指示が解除された田村市都路地区では、2019年9月には8割の住民が帰還したにも拘わらず、町の大半が帰還困難区域の浪江町では10%を切るなど、依然として住民の帰還が進まない地域も多い。また、たとえ避難指示が解除されても、震災後に産業が衰退してしまい、戻っても生活が困難なこともあるという。そのような状況の中で、私ができるもっとも直接的なことは自ら現地で産業の復活などに取り組むことである。環境省のHPによれば、帰還困難区域をのぞき計画された除染はすべて完了しており、除染や産業振興など、地域によっても取り組むべき課題は異なるが、所有者が帰還できなくなり放棄された田畑などを引き継ぎ、農業活動を再開させることは間違いなく重要な課題である。近年では交通網の発達やICT技術の進歩により、移動や田畑管理にかかる手間は減少している。日曜談論5にもあるように、5Gなどの先進技術が浸透すれば、都会と地方の情報格差なども小さくなり、人材や農業に関する知識が得やすくなる。また、既存の農家を中心にICT技術を導入するよりも、一度放棄されてしまった土地で初めからICT技術を用いる方が、効率的で混乱も少ないように思える。もちろん、ICT技術を利用しなくても、自ら福島県の耕作放棄地を活用し、農業に取り組むことは福島県にとって大きな利点になるだろう。
     しかし、個人としてこれらの活動を行うのはやや負担が大きく、専門的なICT技術の導入などは難しい。そこで考えられる二つ目の取り組みが、東京大学の一学生として「東大むら塾」に参加するなどし、団体として福島県の農業をサポートすることである。団体でイベントを企画し運営することは、ただ福島の農業を再生させるだけでなく、広報としても大きな影響を持つ。震災後、放射能汚染の影響によって、福島の農作物は大きな風評被害を受けた。震災直後には、米などで基準値を超える放射性セシウムが検出されたこともあったが、2015年以降は基準値を超える放射性は検出されていない。国や県による除染が行われたほか、土壌に結びついているセシウムが植物に吸収されにくいことがあるためである。それにも拘らず、依然として福島産の農作物に放射性物質が含まれているのではないかと懐疑的な目を向ける消費者は多く、NHKの調査によると、東北の他の県の農作物に放射性物質が含まれることを気にする消費者は3%程度なのに比べて、福島産の農作物を気にする人は1割強もいるという。放射線の検査結果は毎日インターネットや新聞で公表されているが、検
    査結果の大手メディアの報道不足に加え、信ぴょう性の薄い情報がインターネットで広まってしまったことで、福島の農業は未だに風評被害に苦しんでいる。農作物に含まれる放射線量だけでなく、授業でも紹介されように、除染の方法であっても間違った情報により反対する人々が存在するなど、正しい情報が伝わらないことで農業再生が遅れている場面は多々ある。そのような間違いを正すためにも、団体として地域振興イベントを行うことや、幅広く広報活動を行うことは大切である。高校生を対象にするなど工夫することで、担い手が減る将来の日本の農業に向けた対策も行うことができるうえ、団体での活動は個人よりも負担が軽いため、非常に効率的に参加できる活動だと考える。団体としての産業振興や広報活動、これが二つ目の取り組みである。
     三つめは実際に自ら福島産の農作物を購入、消費することである。前述したように、正しい情報を知らずに、未だに福島産の農作物の放射線を気にしている人は少なくない。しかし、正しい情報を知っており、福島産の農業を積極的に消費しようとする運動もある。私はその正しい情報を知っている一人の消費者としてその運動に参加し、福島産の農作物を積極的に購入し、消費していこうと思う。この活動が私にとって最も簡単に参加できる活動である。この活動が福島の農業再生に与える影響は小さいかもしれないが、文科II類で経済を学びつつある私にとって、需要を生み出し経済的にも農業を再生させることは非常に重要なことに思える。また、福島産の農作物を積極的に消費することで、自分の周りの人が持つ偏見や間違いを正すことができるかもしれない。上記の二つの方法よりも手軽で、年齢や性別に拘らず誰にでも取り組むことができ、最も広がりやすい活動として、私はこの活動を大切にしていきたいと思う。
     以上の三点が、私の取り組むことのできる福島の農業再生の方法である。いずれの活動も、実行に関しての課題や技術的な難しさはあるものの、今後の福島の農業を盛り上げていくうえで必要不可欠な活動だと思う。原発事故の最終的な解決がいつになるかはわからないが、原発事故が解決し、避難困難区域の避難指示が解除され、また以前のように人々が暮らせるようになったとき、住民がすぐに戻れるように、農業の面からできる産業振興のアプローチを今後も考えていきたいと思う。

    参考文献(全体として講義資料および下野新聞日曜談論その5を参照した。)
    産経新聞2019年9月10日『【東日本大震災8年半】福島・避難指示自治体の帰還率は3割未満放射線への不安背景に』(https://www.sankei.com/affairs/news/190910/afr1909100034-n1.html)
    NHK解説委員室『「東日本大震災から7年(1)福島の食の実態と風評被害」(視点・論点)』(http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/291495.html)

  12. 選んだ記事:『飯舘村に通いつづけて約8年ー土壌物理学者による地域復興と農業再生』(コロンブス2019.5)
     まずは除染後の農業再生についての問題点や改善点を挙げる。現在福島の行政では、現地に帰りたがらない農?でも農業ができるようICT農業を導入しようという動きが始まっており、その中でデータ通信環境が問題となっている。また専業振興の一環として、除染した田んぼから取れた米で特産品として日本酒を製造している(P.77)。以上のように、現在の福島の農業には手法でも商品でも開拓が必要である。未だ都市に経済活動や発展が集中する潮流の中で、地方にもこの動きが必要ということである。できそうなこととして、まずは一消費者としては特産品を購入して応援する、SNSなどで商品の情報や感想を拡散するなどができる。現代ではSNSで個人の声が他の人にダイレクトに届く。正しい知識を身につけた上で大事な情報を拡散することは情報ネットワークとしてのSNSの有効な活用法である。こうして商品の知名度が上がれば、地方であっても十分に経済活動の場としてさらなる発展に投資する価値を外部にアピールすることもできる。地方農業がこうして活性化すればICT技術をよりスムーズに導入する基盤の形成に貢献できるであろう。
     上記のやり方を成功させるには風評被害の抑制も肝要である。風評被害を広げないため、次世代への正しい知識の普及が必要になっている。地元の学校では土の性質を知るための教育プログラム事業が行われている。早いうちに「人のため」「地域のため」自分にできることを考えてもらうことが狙いである(P.77)。できそうなこととしては、アウトリーチ活動への協力が考えられる。さらに踏み込んで、東大むら塾のように地方の産業に参加するプログラムへの参加も考えられる。地方の産業に若者が参画し農家の方と意見交換をすることで農家側も学生側も刺激され、新しい技術の開発や導入のきっかけを得ることができる。こうした企画を見つけた際には、自分でも参加して新たな知見を得るとともにその土地の人々の助けになることができるだろう。また偏見や風評被害に踊らされることのないよう科学的な考え方を徹底し、絶えず新しい、そして正しい情報であるかどうか判断することが重要である。上記の通り現代の我々は自分の「個人的な考え」を簡単に世界に発信することができてしまうため、世論の形成に簡単に影響を及ぼしてしまう。こうした事態を防ぎ、より良い解決策を導くために特に肝要なのは、当該記事でも述べられている(P.79)ような「この現状は一つ間違ったら自分の身に降りかかっていたかもしれない」というような当事者意識だろう。自分に関係ないことだと思うと人はなかなか動かない。ただ知識を伝授するだけでなく当事者意識をより多くの人に持ってもらうような情報発信の方法を考える必要がある。都市近郊に暮らしていると地方の実情にはどうしても疎くなりがちで、さらに授業中にも新聞記事を例に触れられたように地方の情報がこちらには正確に届けられないこともある。だからこそ自分自身で現地を見に行ってその様子をより多くの人と共有できるよう、こうした活動に積極的に参加し、福島の農業の理解と再生に貢献していきたい。

  13.  (2020.5.31)「 情報基盤整備、地方が主役」(下野新聞日曜論壇5)を読んだうえで、自分自身ができそうな福島の農業再生についての考えを述べていきたい。

    まず、記事においては地方の情報基盤が整備されることによる恩恵について
    ・地方行政が主導することで通信環境を低コストで整備可能なこと
    ・情報網の整備により地方からでも教育やデータにアクセスできるようになること
    ・通信環境の向上により田舎でも快適な生活環境を提供できること
    ・多くの若者は地方や農業に関心を持っていること
    ・上記の点の結果、地方に多くの人を誘致することが可能になること
    といった点があげられている。
    講義の論点である、農業再生に関しての現場主義の重要性、風評被害の払拭、新規農家の呼び込みなどの点に関しても情報基盤整備の恩恵は十分に予想される。まず現場の意見が軽視されがちになってしまう理由として、分析や判断を下す中央との連絡、情報交換の不調があげられる。より活発な通信が行われることで、農業再生を行ううえで現場主義を推し進めることができる。情報通信の拡大は風評被害の払拭にもつながる。通信インフラが拡大することで従来のようにマスコミによる発信だけでなく、現地の人々や訪れた個人が主導する形での発信をより行いやすくなる。これを用いることで復興後に作られた製品のPRなどをより効果的に行うことができる。また、新規農家の呼び込みに関して、高橋巌「農の担い手」では次のように述べられている。

    筆者はかねてより高齢化を必ずしもネガティブにとらえる必要はなく、「元気な高齢者」の地域農業における担い手としての役割と積極的な社会参加に着目し、その意義を論じてきた。(中略)事実、今後の担い手として期待される集落営農組織をみても、その実態は定年帰農などによる高齢者が中心である例が多く、定年機能者らが安定的な年金所得をベースとしながら、農業機械のオペレーターとして、また農外就業の経験を活用した販売活動を展開するなど、多角的に貢献している実態がある。(高橋巌、2014)

    ここで述べられているように、農業に携わる方法として定年後の農業参加という形は非常に重要である。就農するという選択肢は多くの都会に住む若者にとって取りづらいものであるが、前述の記事の内容とも関連して情報基盤が整備されることで定年後に地方に移住するハードルが低下し、定年後の農業参加という選択肢をより選びやすくなる。

    これらの点に関して、自分自身が関われる形を考慮していくと、自分自身ができそうな福島の農業再生としていくつかの形が浮かんでくる。@情報通信を活発に利用して現場の様子や意見を積極的に吸収するA流通、販売業を通して情報発信を利用した風評被害の払拭、および商品宣伝を図るB定年後、直接移住して農業参加を行う、といったものがあるだろう。

    [参考文献]
    溝口勝「情報基盤整備、地方が主役」、下野新聞、2020.5.31
    高橋巌「農の担い手」、桝潟俊子(他)(編)『食と農の社会学』、ミネルヴァ書房、2014、p.229

  14.  人間は普通に生活していても年間2.4mシーベルトの放射線を受けている。この中には体内から受けるものや、飛行機を乗ることで受けるものもある。福島で問題になったのは、雨で土に放射線が張り付いてしまい常時放射線をそこから受けることになったしまったから。日本では原発事故後に食品の放射線規制値がより厳しくなった。農地の放射線は、表土から5cmのところにほとんどが分布している。当初国が提唱していたのは、この表土の部分を取り除くこと。除染が必要な理由は、土は土の粒子、水、空気から成り立ち、土の粒子のうち粘土の小さい粒が存在するから。セシウムはナトリウムやカリウムと同じ性質を持つ。これらのプラスのイオンが粘土の表面にくっつき取れなくなってしまうから除染が必要となる。粘土の表面の穴に元々はカリウムがはまっているが、セシウムの方が穴にはまりやすいのでカリウムに替わり入り込んでしまう。5mのうち土の深さが深い方が放射線の濃度が高いのは、雨で粘土についたセシウムが下に流れて浸透するから。地元の人は表土削り取りを望む声が強く、削り取った土が大量にたまっている。飯館村は寒く冬に土が凍るので、5cmくらい凍った時に凍った部分を剥ぎ取れば簡単に除染することができる。この記事が東京版に載らない理由として、国が土木事業を改善するために復興にお金をかけようとしていたからかもしれないというのは衝撃的だった。土は水を入れて振ると大きな粒が先に沈みセシウムがついている粘土は浮いている。この間に泥水を排出する田車代掃出し方で80%ものセシウムが除去できるのはすごいと思った。泥水で浮き上がったセシウムは土の中に染み込まず下には沈まないというのはすごいと思った。下流の主婦が、セシウムが水と一緒に流れてくることを心配するのも直感的に分からなくはないと思う。そんなにうまくセシウムが粘土に吸着するとは思えないからだ。きちんと勉強して実験しないと分からないことだと思った。までい工法で、汚染された土を埋めるのが50cmくらいの深さで済むことに驚いた。方法が簡単だから効果が薄いのではないのかなどと疑心暗鬼にならずにしっかり勉強して本質を見抜きたいと思った。
     今回の講義を聞いて、実際に現場に行かないと分からない声があり、実際にはその声をしっかり聞いて、受け入れてもらえる提案をすることが大切であることがわかった。私は、被災地のボランティアに行ったことがないので、実際に行かないと分からない部分もあるのだと思った。福島に限らす被災地でボランティアを経験することが大切だと思った。また、福島のお米を使った酒があることに興味を持った。根拠のない風評被害に振り回されることなく、消費者としてできることをしていきたいと思った。また、私は東日本大震災を経験しているが今後経験していない世代も増加するだろう。福島がどう放射線と向き合い、立ち向かってきたのかを風化させることのないように気をつけたい。今後同じことが起こるかもしれないとは思いたくないことであるが、目を背けて考えないようにしてはいけないと思う。今回先生たちが対案し実践してきた方法を、最初から取り入れられたら今回よ
    りも早く効率的な除染ができると思うので、マニュアルを確立し風化させないようにしたい。消費者としてできて風化させない対策にもなるものとして、地震があった3月11日には日本全国で福島産の食材を食べる日にするということを定着できると良いと思った。他の災害でも食べること、買うことで復興に貢献できることが多いと思うので、国民全員が色々な被災地の復興に貢献することが定着したら良いと思った。

    参考文献飯館村に通いつづけて約8年土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス2019.5)

  15.  講義及び記事を通じて、まず恐怖とは知らないという感情に根差しているものであり、までい工法の有効性を周知し偏見をなくすことが重要であると感じた。また農家の現場の声と専門家の研究が共有されにくいという点も、アウトリーチが必要なのだと実感した。学問は実務への応用を前提に研究をするべきだというコメントに共鳴した。
     溝口教授は復興への要件に応じて網羅的な分野に携わっていらっしゃる:除染技術のコスト削減・簡易化などの改良、セシウムと土壌の性質についての教育活動、さらには土地の復興に続いてコミュニティの復興のための特産品開発、ICT環境整備、若い世代の誘致など。私がそれらから連想したのは、ノーベル経済学賞を取った”poor economics”(バナジー、デュフロー 2011)において、政策の効果を研究するため未導入地域で実験をするという発想である。例えばメキシコのプログレッサという教育補助金プログラムの効果をマラウイで検証するという実験。この学問目的の実験により、マラウイの一部地域は補助金という外部経済を得た。政策ではない以上不公平性が生まれるとはいえ実験地域が思わぬ益を受けていることは明らかである。同様に飯舘村を農業研究の実験農場のような場として提供するのも手ではないかと考える。高齢化で管理できない農地を学生に積極的に提供し、労働を肩代わりしてもらう代わりに学生には学部研究の時点からフィールドワークを行える環境を用意するのだ。土地に愛着を持ってもらうことができれば引き続き村起こしにかかわってくれる可能性があり、土地に見合う技術の開発もいち早く享受できる。現に教授が交渉している電波特区の申請が通れば、ICT開発を盛んに行えるだろう。その際、研究者や企業だけでなく、各大学のものづくりやプログラミングサークルを誘致することも提案する。学問同様、サークル活動も内的な活動にとどまらず、実用的なフィールドワークで役に立つということを示せる。ドローン・映像クリエイターや写真部なども誘致して、町おこし映像を制作してもらえばwin-winなプロジェクトにできる。楽しみを軸におき、企業のような営利活動にとらわれないサークルだからこそ、より社会問題の解決にそれぞれの活動を応用する素地があるように感じる。
     私個人でいえば途上国支援のNPOに属している。当団体が支援しているアフリカやフィリピンの農村と飯館村とのシスタータウン関係を仲介し、同じ高地農村として情報を交換しあえるようにしてはどうか。日本が農村少子化に対応できなくても、海外の平均年齢の低い農村と支え合う仕組みを作ればよいと私は思う。機械寄贈をしたり特産品を購入しあったり、その村からの技能実習生を受け入れたりするのだ。信頼しあえるコミュニティ同士であれば移民排斥などの反発もないだろう。すでに日本の第1次産業は多くを外国人労働者に頼っている。国籍が違うからと排斥するのではなく、協力関係を見出していくための試験的な取り組みをしてみたいと個人的に思う。農家の方々の知恵と村おこしの願いを若い世代に受け継ぐという意味では親和性を保っており、これは「若妻の翼」プロジェクトなどにみられる飯館村のグローバルな姿勢にも沿うのではないだろうか。
    今回私が除染後の飯館村の復興に焦点をあてて、後半なサークル活動に携わる友人を持つ大学生として、また国内の少子化と途上国の貧困をマッチングして解決したい個人として、提案をした。

    参考記事:「飯舘村に通いつづけて約 8 年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」(コロンブス 2019.5)

  16.  私はMizo lab.ホームページのTopicsの中で、「真の復興、飯館村民に学ぶ」という記事を読んだ。そこで私自身ができそうと思った福島の農業再生は、福島の現状に関心を持ち続けることと、正しい情報を学び、偏見や不確実な情報に惑わされないことの二つだった。私自身は今すぐ移住できるような状況にはなく、資金や専門的な知識もないので、直接福島の農業再生を担うことは難しいが、間接的にでもできることがある。
     まず、福島の現状に関心を持つことについて述べる。2011年の原発事故は衝撃的だったが、それから今年で10年目に入った。もうすでに記憶が薄れていたり、過去の話だと思っていたりして、今となっては支援という発想もわかないことが多い。しかし、記事によると、実際には避難指示が解除された後も、住民が戻らなかったり、農地の再生が不十分だったりするようだ。今になっては福島のことが報道される機会も減り、関心がなくては現状を知ることもできない。しかし、関心を持って能動的に情報収集すれば、米や日本酒といった商品を買うことで再生してきた農業を支援することや、体験やイベントなどに参加することで現地に足を運ぶこともできる。これは、現状に関心がないばかりにいまだに福島に対して暗いイメージを持っている人もいる中で、安全性や安心感も含めたイメージアップにつながる。このように、一人一人が福島の賑わいを取り戻すことに協力することで、戻りたい、移りたいと思える、開発を進めるメリットのある福島になり、真の農業再生を進めることにつながると思う。
     次に、正しい情報を学び、偏見や不確実な情報に惑わされないことについて述べる。記事には凍土を使った除染方法や、泥水を流す除染方法が紹介されている。これは地表面を削るよりも、簡単で費用も少なくできる上に効果も得られるという合理的な方法と言える。しかし、その合理性がうまく伝わらなかったり、放射能が地下水に漏れ出てしまうのではないかという懸念が出たりして、結局は地表を削ることが多かったようだ。このように、より良い方法があるにも関わらず、知らないということが原因でそれを生かすことができないと、丹生業再生の足を引っ張ってしまう。それは当事者だけでなく、私たちが放射能や技術について知らないということも原因にあると思う。私は授業を受けるまで、除染方法に様々な種類があり、費用や効果が違うということを知らなかったし、あまり報道などで注目されることもなかったが、もし、より合理的な方法があると知っていたら、そちらを支持したと思う。また、除染後の泥から地下水にセシウムが染み込まないということや、汚染された土を埋めれば安全だということは、科学的に正しいにも関わらず、私を含め多くの人は知らないと思う。知らないままだと、根拠もないままに、なんとなく放射能は危険なのではないか、流したり埋めたりするだけでは危険なのではないかと疑心暗鬼になってしまう。すると、効率や効果がある方法よりも、安心感がある方法を選んでしまう。また、一度汚染された場所の作物や水は危険ではないかという偏見も広がってしまう。偏見が広がると、それを抑えるためにさらに安心感を重視してしまうという悪循環が起きる。それを防ぐためには、私たち一人一人が正しい情報を得ること、偏見や不確実な情報に惑わされないことが必要だ。また、その情報をより多くの人に広めることができれば、負担が少なく、低コストで、効果的な方法で、農業再生を合理的に進めることができるだろう。
     このように、私自身ができそうと思った福島の農業再生は、福島の現状に関心を持ち続けることと、正しい情報を学び、偏見や不確実な情報に惑わされないことの二つである。これらは、私だけでなく、多くの人ができることだと思う。一人一人が実践することで、より農業再生の後押しになるだろう。

  17. このレポートは、以下の記事を踏まえて書いています。
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/essay/20200705shimotsuke.pdf

     福島の農業再生について、総じていえば「愚直に努力する人間になる」ことが、私自身ができそうなことであると考える。以下に、どのような点において愚直に努力することが重要であり、また努力する力はどのようにして磨かれるのかを考察する。
    私が愚直に努力できることは何かを考えれば、主に二つ挙げられる。
    まず、第一に私は文系であるけれども、文理の垣根を越えて理系のことを学び、その基礎的な素養を身につけることが重要だろう。つまり、農業の安全性をはじめとする、人間社会と科学技術の関係性の議論に参加できる程度の科学リテラシーを獲得するために努力することが考えられる。これは農業に留まらず、科学技術に関わる政策の立案などでも役立つ。また、後述する他者とのコミュニケーションにおいても、確固たる知識があることは、自分の意見に説得力を持たせ、消費者や説得する相手を安心させることに役立つだろう。
    第二に、農業の安全性という理系的な話題をあえて文系的な視点で語るならば、「他者」という概念を理解し、他者とのコミュニケーションを取ることを面倒がらないことである。つまり、他者との対話において愚直に努力することが重要である。人間は理性と感情の両方を持った生き物である。ある農作物が安全であることを、いかにセシウムの数値などの科学的根拠でもって説いたとしても、「それでも不安だから。」と言われたら反論する言葉がない。しかし、そこで必要なのは実際反論ではないのだ。他者は、自分とは絶対的に価値観も物の見え方も違う、ある意味理不尽で理解できない存在である。他者の中には「それでも不安だから。」と言うような、論理的な説得が通じない人がいる。もちろん、そういう人間との対話を放棄することはたやすい。しかしながら、それは本質的な解決ではない。重要なのは学問的な正しさだけではない。一人ひとりの農家の作った農作物が消費者によって受け入れられる、買われるということだ。この現場主義を大事にするべきである。そこでは、たとえこちらに理の正しさがあるとしても、消費者の不安を取り払えるように、安心してもらえるように、粘り強く対話していかなければならない。実はそういう意味での「愚直な努力」がとても重要になってくると私は考える。これは、農業を離れた、他者とコミュニケーションを取る日常の場面にも言えるだろう。
     では、他者を理解しようとするその愚直な努力は、どのようにして養われるのだろうか。
    一つ例を挙げるならば、東京書籍「世界史B」教科書に書いてあったことに、私は深く共感した。教科書をなくしてしまったので的確な引用ではないが、「農業とは単に一つの産業であるのみならず、人間が生きる上で必要になる根本的な営みである」という内容のことが書いてあった。なぜ私がここで共感できたのかといえば、私は神奈川県という「都会」の中でも、横須賀市という比較的田舎の街で育ったので、身近に農業があったし、この考え方を受け入れやすかったからだと思う。小さい頃は、土に触れたり、泥遊びをしたりして過ごすことが多かった。
    しかしそれさえも、近所の大人の目を気にしてやっていた。公共の水道を使って遊ぶことに眉をひそめる人もいたのだ。もちろん公園で泥遊びをすることには様々な論理上の問題があるだろう。しかしながら、他者を理解する最も単純な方法の一つは、他者に近づいてみることである。自分自身が泥にまみれ、あるいは土に触れて生きてみて、初めてそういう行為を生業にする人間の気持ちが部分的であれ理解できるようになるものだ。最近子供たちが外で遊べなくなっていることには、こういうことへの理解が減ってしまうのではないかという懸念もある。それならば、もし自分が学校教育関係者になったとしたら、子供たちに土に触れる機会を多く与えてあげたい。もっとも、中学生より上になると虫に対する苦手意識などが強く染み付いているので難しいかもしれないが。
    また、もう一つ大事な要素を挙げるとするならば、「子供は親の姿を見て育つ」ということである。肉体労働は頭脳労働より低く見られることが多いかもしれないが、大人が率先して自分の体を使って農業を営むという価値を発信していくことが重要なのだと思う。
    もし自分が政策立案者や役人になるとしたら、理系の素養を活かしつつもその正しさにおごることなく、他者という概念についての文系的な視点をもって、忍耐強く、住民や消費者と会話し、信頼関係を築いて、販売促進活動などを行っていくだろうと考える。これは綺麗事に聞こえるかもしれないが、そうはいってもやはり唯一の方法だと考えられる。人間は理性だけで動くものではないから、感情にも寄り添わねばならないのだ。
    結論として、私ができる福島の農業再生については、以上に述べたような他者への態度を涵養し、維持していくことが考えられる。そして、一人の消費者としては、溝口先生の行ったセシウムの実験などを考慮しながら、福島県で生産された農作物をも一つの選択肢として色眼鏡なく見ていくことが考えられるだろう。

  18. 「情報過多の時代で『発信の輪』を広げる」

    読んだ記事
    溝口勝、「私の土壌物理履歴書」、https://js-soilphysics.com/downloads/pdf/130035.pdf、2015年、2020年7月8日閲覧。
    「飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」、http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf、2019年、2020年7月7日閲覧。

     福島第一原子力発電所の事故は、原子力事故・故障の評価の尺度であるINES(国際原子力事象評価尺度)では最高の深刻度レベル7であった1。当然日本はこれほど大きな事故を経験したことがなく、ノウハウも持ち合わせていなかった。国も情報が少ない中で「汚染土壌の除去」という手間はかかるが安全な策をとった結果、皮肉にも風評被害や汚染土壌の廃棄場所の問題が生まれてしまった。
     農業に特化して言えば、このような状況から生じた人々の不安を除去することが何より必要だ。この「人々」には農作物の生産者と消費者が含まれる。溝口先生の研究にもあるように「までい工法」によって放射性セシウムの影響がなくなることは実証されているにも関わらず、未だ現状復帰が果たせていないのはその事実を知っている人が少ないからだ。これによって県外へ避難した農家の方が帰村しないという選択をしたり、一部の農家が帰村したとしても、生産された農産物への不安が抜けなかったりする。
     この問題を解決するには、まずはこの事実を知っている人を増やすことから始めなくてはならない。今の時代、インターネットの発達によってSNSが普及しており、発信者と受け手の情報的距離は確かに短くなった。だがそれゆえに、情報が多すぎて届けたい情報が適切に届くことはそれほど期待できない時代でもあるのだ。現に2019年のデータによれば、YouTubeには毎分500時間分もの動画がアップロードされている。しかし実際には、視聴回数の上位10%に入る動画が全動画の視聴回数の79%を占めている2。
     コミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之氏は、「ファンベース」という概念を提唱している3。佐藤氏によればファンとは、「企業やブランド、商品が大切にしている価値を支持してくれる人」だという。企業はこれまで、広告の目的を「新規顧客を増やす」ことに重点を置いていたが、情報過多の現代ではそれが難しい。さらに日本では、オンラインの情報に対する信頼度は家族や友人が最も高いという調査結果が出ている4ため、既存の顧客である「ファン」を大事にすることでファンが周囲に勧めていき、影響を受けた人々が新規の顧客となっていくというのが佐藤氏の主張だ。
     私は、これは福島の現状にも適用できると思う。私が提案したいのは、発信が発信を呼ぶという「発信の輪」を広げていくことだ。2011年の震災から丸9年が過ぎた上、新型コロナウイルスの感染拡大によって震災関連のニュース・記事を見かけなくなって久しい。しかしそれは一般的な話であって、震災によって影響を受けた当事者の方々はもちろん、私たちのように講義を受けたことで問題意識を持ち始めたり、再び持つようになったりした人々も少なからず存在する。そこでこの輪が止まってしまっては非常にもったいない。重要なのは一方的に発信するのではなく、輪を広げ、輪の中心を増やしていくことだと私は思う。ひと昔前のような「発信者」と「受け手」の2分割とは異なり、今の世は誰もが発信源になれる時代だ。発信する側も、受け手にそのことを十分に意識させるようなやり方で発信することが不可欠である。
     私は専門知識、権力、金のどれも十分に持ち合わせておらず、直接的には何もできない。しかし、それらのうちどれかを持っている人ならば世の中にたくさんいる。「発信の輪」を広げることによってその人たちが協力しあうことが出来れば、福島の農業は現状復帰を果たし、以前より活発にもなれるのではないだろうか。

    1環境省、「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料(平成28年度版)」、https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h28kisoshiryo/h28kiso-02-02-01.html、2016年、2020年7月10日閲覧。
    2INFO CUBIC、「2020年グローバル最新版!『YouTubeをめぐる23の統計データ』」、https://www.infocubic.co.jp/blog/archives/4967/、2020年、2020年7月7日閲覧。
    3参照:安住久美子、「佐藤尚之(さとなお)氏が提唱する『ファンベース』とは〜顧客とじっくり向き合うマーケティング」、https://boxil.jp/beyond/a6059/、2019年、2020年7月10日閲覧。
    4エデルマン、「トラストバロメーター2016」、https://www.edelman.jp/research/trust-barometer-2016、2016年、2020年7月7日閲覧。

  19. 1 はじめに
     2011年の東日本大震災から9年以上経った現在も、福島原子力発電所の問題、それに付随する復興問題は依然として未解決であり、地道な取り組みが続けられている。本稿は、特に福島の農業に焦点を当て「自分自身ができそうな福島復興について」考察することを目的とする。まず、現在の福島の農業の状況について説明し、次にみぞらぼの記事の概要を述べる。そして、講義で紹介された事例について振り返り、「自分自身ができそうな福島復興について」の筆者の考えを述べる。

    2 現在の福島の状況
     原子力被災をした12市町村は帰還困難区域を除いてのうち除染が完了しているが、営農休止面積17,298ha(帰還困難区域2,040haを含む)のうち、平成29年度の営業再開面積は4,435haであり、これは全体の約25%の割合である。また、原子力被災12市町村の農業者のうち、認定農業者の約61%が営業再開を行っている一方で、認定農業者以外の農業者の約60%が「営農再開未定または再開意向なし」であり、農業の担い手の確保が重要な問題となっている。また、もう一つ問題となっているのが、営業再開割合の二極化である。避難指示解除の時期の違いにより、営業再開割合の高い地域と低い地域に分かれ、期間率の低い地域での農地復旧の実施をどうするかが課題となっている。(農林水産省、2019)

    3 みぞらぼの記事の概要
    「飯舘村に通いつづけて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」という記事を読んだ。この記事から読み取れる最も大切なことは、「復興とは元に戻すことなのではなく、未来を見据えた活動であるべきだ」という強い姿勢にあると考える。例えば、国の定めた大型機械による除染方法では大量の廃土が産出され、新たに処理をどうするかという問題が発生している現状がある。国は汚染されたからその汚染さえ排除すればいい、とりあえず元に戻せばいいと考えているようにも取れる。これに対し、「までい法」は農家自身が実践でき、汚染土も埋めるだけ、除染後の農地で農業が再開できる方法であり、汚染土の処理の後の農業再生を見据えている。また、地酒という新たな特産品をつくり雇用を創出する、次世代の教育を行うなど、現在だけでなく飯舘村の人々の未来の発展を目指すという意識が、溝口先生の復興活動に浸透している。この人を想う復興が、先生の徹底した現場主義に結びついているのだと感じた。この記事の中で特に面白いと思ったのが、飯舘村を中心に「電波特区」をつくるという話である。携帯電波が入らないという普通であれば弱点となる条件を逆に、通常とは異なる周波数の電波を使用できるという強みに変え、研究や開発などの新たな産業を生み出すという柔軟な発想がとても興味深かった。

    4 自分自身ができそうな福島の農業再生
     今回の講義で強く感じたことは、正しい知識を人に伝えることは難しいということである。講義の中で触れられていた新聞記事の一節が消去されたこと、マスコミの放射線についての過激な報道で多くの人がいまだに漠然と福島は危ないという認識であることなど情報伝達の難しさを感じた。「までい法」により地下水が汚染されるのでは無いかという意見に対し、実際に濾過の実験をしてわかりやすく伝えた事例から伝える側もわかりやすく伝える努力が必要なのだと思った。今回の講義を振り返ると、某ジブリのθのセリフが紹介されていたり、セシウムが地表から5cmくらいまでしか浸透しないことをプリンに例えたり、セシウムの吸着を卵パックでモデル化したり、とあげるとキリがないほどネタや工夫があり、いつもは長く感じられる105分の授業があっという間だった。またドロえもんなど子どもが関心を持てるようにという工夫は、小難しい言葉を並べる多くの研究者が学ぶべきモノであると思った。
    筆者が考える自分自身ができそうな福島の農業再生は、正しい知識を学び、その知識を広めることだと考える。正しい知識をわかりやすく伝えるためには、まず自分が正確に理解することが不可欠であり、また他人の誤った認識を解くためにも不可欠であることは言うまでもない。知識を広めることの福島の農業再生への貢献はあまり大きなものでは無いかもしれないが、こうした小さい動きが将来の農業再生につながるはずである。例えば、「不死鳥に如く」や「復興」を購入することもでき、製造規模の拡大に貢献できるかもしれない。また、最近では休日菜園ブームが起こっているため、安全性に問題のない広大な土地が使われないままだということがきちんと広まれば、首都圏に住み、農業を初めてみたいという人々に農園を提供するサービスが生まれるかもしれない。
    福島の復興のためには、臭い物に蓋をするような無関心な態度ではなく、大きな貢献はできなくとも、福島の人々のために何ができるか考えることが大切だと感じた。このレポートの執筆も復興への僕の第一歩なのである。

    5 参考文献
    農林水産省、2019年9月3日、福島県の農業復旧・復興に向けてhttps://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/bunsyo/saigai/attach/pdf/190903_3-4.pdf最終閲覧日2020年7月21日
    みぞラボ公式ホームページ、2019年4月26日、飯舘村に通いつづけて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf
    最終閲覧日2020年7月21日

  20.  私は今回の授業を聞き、福島の農業再生のためには除染などの農地再生だけでなく、風評被害を払拭し農家が福島に戻ってくるような環境作りが必要だと強く感じた。そこでMizo lab. ホームページに掲載されていた『帰村率2割の村を復興へ 農委会と東大のサークルが連携 福島・飯舘村農業委員会』という記事をもとに現状の問題を特定し範囲を飯舘村に限定した解決策を提示することとする。
     上の記事によると、原発事故により全村避難となったが2017年3月に避難指示が解除された飯舘村の現在の既存率は約2割だという。現状の問題点としては@農地のうち3分の1未満しか復旧していないということ、さらにAかつて飯舘村にいた農家の高齢化が進み農業への復帰が難しくなっていることが挙げられている。また今回の授業では時間の経過とともに除染も進んでいるのにも関わらず、風評被害は残り続けるという問題が提起された。こうした風評被害によってB飯舘村で農業を始めることに抵抗を感じているということもあると思う。
     ではこれらの問題を解消するため私は何ができるのだろうか。
    まず@について、これは正直自分一人の力で今すぐ何か貢献できるものではないと考える。除染は帰還困難区域以外の地域では完了しているというから、残った復旧作業は授業の通り汚染土の処理や客土後の農地再生などであろう。また圃場や排水設備の整備なども考えられる。これらは自治体が主導となって行うことである。国から復興に関する補助金が少しでも多く出されるよう祈るばかりである。
     次にAについては若年層で農業をやりたいという人を増やし、かつその人たちを多く飯舘村に集めることが必要であろう。前者については農業が人の生活を支えるのに不可欠だという認識を、自分も含む若い層全てが持っていることが大切だと思う。後者については飯舘村という選択肢があることを、農業を始める人に少しでも多く知ってもらうことが求められる。この二つを達成するために私ができるのはSNSの活用であろう。自分が農業に直接携わらなくとも、日頃から農業に関心を持ちそれについて発信すれば誰かの目に留まり農業を意識し始める、という可能性はゼロではない。また飯舘村をはじめとする被災地を実際に訪れ、その様子をSNSに発信すれば同様に被災地が誰かの印象に残るだろう。
     Bについては前述の通り「風評被害を減らす」ことが求められる。これには飯舘村などで収穫された作物などを積極的に購入することが有効であろう。除染が完了して安全な作物が獲れていることを国民が正しく認識しそれらを購入すれば、新規参入者も安全性が確保され、かつ利益がきちんと得られると安心して飯舘村での農業を始められるだろう。そして「除染が完了して安全な作物が獲れていることを国民が正しく認識」するよう、ここでもSNSの発信は有効であろう。
     以上をまとめると自分ができることは「農業・福島の現在の状況について正しい知識を常に持ちながら行動すること」「SNSなど個人でもできる情報発信をすること」の二つだと考える。それに加えて機会があれば飯舘村などの被災地を訪れ復興の手伝いもしてみたい。震災のことをいつまでも忘れず関心を持ち続けていきたい。

    参考にした記事
    帰村率2割の村を復興へ 農委会と東大のサークルが連携 福島・飯舘村農業委員会
    https://www.nca.or.jp/shinbun/agricultural-committee/6630/
    (7月15日最終閲覧)

  21.  社会に何かしらの変化をもたらす際に、重要となるのは人々が現状について「知ること」だと思う。これは当たり前のことのように感じられる。しかし溝口先生の授業を通して、その一見当たり前のように見えることを実現するのは簡単ではないと切に感じることになった。東日本大震災後の福島で科学的に農産物の安全性を証明できても、それを一般の人々に理解してもらう段階で苦労しているということ、福島の復興についてマスコミに正しく報道してもらえない場合があるということなど、私が初めて知る内容ばかりであった。農学や福島に関する知識をもっていない今の私が、農業再生のためにできることは限りなくゼロに近いかもしれない。しかし、自分自身そして周囲のひとりひとりの意識改革という形で草の根的な貢献をしていきたいと強く思うようになった。
     まずは私自身からである。変化の第一歩として私は「東大むら塾」に入会することを決めた。福島に限らずとも、実際の農業の現場に少しでも触れてみたいと感じたからだ。これは先生の授業を受ける前まで、頭になかった選択肢だったため、我ながら少々驚きの展開である。授業では徹底した現場主義の重要性が強調されていたが、私も自分の肌で感じることを大事にしていきたいと思う。また、これからは意識的に東北に関するニュースに目を向けていこうと思う。3.11はさまざまな面で日本に大きな影響を与えた出来事だが、これまでの私はあまりにそれに対して無関心であったと反省した。
     次の段階は、関心の輪を広げることである。農業の現状をより広範な人々に知らせるために行動を起こすことは自分にもできるかもしれない。考えられる手段のひとつは自身の出身高校において、何らかの形で農業の現状に触れる機会を取り入れてもらうよう提案することである。私は後期課程では教育学部に進学したいと思っており、教育×農業を考えることにも興味が湧いてきたからだ。その際私が選んだ資料に載っていたように、FPBLは重要なキーワードになると思う。原体験からしか生まれない学びがあるはずだ。私の母校はスーパーグローバルハイスクールの一つであり、社会問題に当事者意識をもった人材を育成することに重点を置いた教育活動がなされていた。しかし3年間を通じて、農業分野について学ぶ機会は設けられていなかった。農業分野における諸課題は日本の根幹に関わる重要なものである一方で、若い世代にあまり知られていない。東北に関しても同様である。溝口先生の授業で習ったような内容は、土壌に関する物理的、科学的な話から、町おこしやメディアの話まで、分野横断的であり生徒が関心を抱きやすいものだと思う。少しでも「農業って面白いかも」と思える人を増やすことは、地道だけれど堅実な一歩になるのではないだろうか。学生という特権を活かし、具体的な提案ができるまでに、講義や訪問を通して知識を積み重ねていきたい。
     農業分野に関して「文系の私にできることなんてない」という考え方は間違いだった。授業を通して、文理という枠組みに囚われない柔軟な思考、自分の関心の外に少しでも目を向けることこそが求められていると感じた。また3.11を風化させないためにも自ら情報を集め、周りにその関心の輪を広げていくことが必要である。この授業を機に、農業の奥深さに少し触れることができた気がする。自分なりのやり方で、福島、そして日本の農業分野について考える機会を持ち続けていきたい。


    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/publec/191116.pdf

  22. 福島の農業再生について今、そしてこれから私が出来ること

     福島の農業再生について、私は文系学生であり、多分将来も農学研究職に就く可能性は小さいので、ここでは風評被害の解消について今現在の私、そしてこれからの私ができることについて考えた。私の考えの基礎となったのは、溝口先生の「私の土壌物理履歴書」 でおっしゃられていた先生が開発した凍土の剥ぎ取り法、までい工法という現場主義的な汚染物質除去法の成功にみられる実地研究の重要性と、授業内のメディア情報拡散の実態である。
     まず、今大学生の私が出来ることとして、1つ目は消費者として福島県産の農作物を買い、福島県の農家を微力ながら経済的に支えることである。2つ目は、発信者として、汚染されていると誤解している周りの人々に正しい情報を広めていくことだ。これは個人レベルでもとても難しいことを実感した。例えば私の父親に今回授業で学んだことを話すと納得してくれたが、母親に同じことをしたところ、「納得したが、色々な情報もあるし、まず万一のことがあるといけないので他県産の同じ生産物があればそっちを買うだろう」ということで、妹に関しては「そもそも興味ない」ということだった。父親のような正しい情報を受け入れることができる人がいる限りこの営みは続けていくべきであるといえるが、まず問題点として拡散力が低いのと、母親や妹のような、情報に振り回されている人、そもそもこのような学問に興味がない人にどう発信するかという問題が考えられる。これは私がこれからできることについての課題とする。
     3つ目は自分の目で福島の現状を見ることだ。なぜこれが福島の農業復興に意味があるのかというと、溝口先生の「農業農村開発の技術を考える」 の5.農業農村社会における技術の普及速度を読んで衝撃を受け、ある気づきがあったからである。私は貧困地域の開発にとても興味を持っているのだが、どんなに良くて進んだ技術があっても、現場を正しく理解していなければ意味がなく、社会に混乱を生む可能性があるという社会を変える力を持つ人々が持つべき大前提のことを私は忘れていたのだった。私は福島県に行ったことがないため、福島のことを考えてもそれは机上の空論になってしまう可能性がある。したがって被災地に行き、実際の福島の農業を体験し、お話を聞くことで、風評被害とはどのような形で影響を与えているのかということに対してより深い知見が得て、また2つ目の正しい情報の発信、拡散にもより説得力を持たせることが出来ると考える。
     次に、私が将来できそうな福島の風評被害の解消について考える。研究者でも社会人でもない大学生として、また今日の新型コロナ禍において私が痛感しているのは、研究者や科学者と呼ばれる人々と大多数の一般人の情報の見方や受け取り方の隔たりがあまりにも大きいことだ。情報社会の中で、研究者や科学者らが正確で、詳しい情報を持ち、また探しているのに対して、大多数の一般人は早く理解でき、分かりやすい情報を得ようとしている。そのため大半の人が情報の波に飲み込まれて、メディアの発信する情報に振り回されるような状況になり不安感や不信感につながっている。しかし大半の人は正しい情報を得るために論文を見よう、また研究者を探そうという気持ちは起きないし、情報発信者がYoutubeやTwitterなどのSNSで発信を試みても、SNSで発信される情報の価値自体が希薄になっている中で、効果はあまりないように思う。風評被害をなくすには正しい情報を発信しなければいけないが、実際に情報を受け取る一般の人が触れやすい形で情報発信しなければ意味がない。そこで私は新しい情報発信媒体をつくることが必要なのではないかと思った。若者の間でNAVERまとめやマナペディアなどのサイトが人気であるように、情報を整理することで大勢の人々の興味を一気に引くことが出来ることを利用して、自分のプログラミングの技術をより磨き、科学者が自分の研究成果や主張を一般人向けにまとめ、それを記事形式で掲載し、多くの人々が論拠に基づいた正しい情報を得ることが出来るプラットフォームのような場を提供したいと思った。これによって学問に興味のない人の注意も引くことができるだけでなく、情報を正しく発信したい科学者側と、間違った情報に惑わされたくない一般人の利害を一致させることが出来るのでないかと考える。また、研究者間の考え方の相違も一目でわかり、多分野にわたる交流も実現できるのではないかと考えた。このように福島の風評被害の解消を考えることを起点として、正しい情報の発信、誤情報の抑制という今日の情報化社会の中で生まれている問題をも解決することができると私は思う。

  23. 第6回レポート
    J3200466相田康太朗

    参考にした記事:「第39回サイエンスカフェ『聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”?放射性セシウムとの関係?』開催報告」,2019年 ほか多数


     本レポートでは,「大学のいち学生」という立場である筆者が福島の農業再生に関して貢献できることは何であるかを考察する。とりわけ,講義で扱われた土壌汚染の問題を鑑み,「技術・理論と現実の乖離」という観点から,筆者がどのように農地復興へ貢献できるのか,その可能性を探る。
     福島第一原子力発電所の事故,それに伴う放射性セシウムなどの放射性物質による土壌汚染が発生してから,まもなく10年になろうとしている。福島第一原発からおよそ30km離れた場所に位置する福島県相馬郡飯館村は,原発事故前,黒毛和牛や米,高原野菜の栽培が盛んな人口6000人ほどのおだやかな農村であった。原発事故によって全域に避難指示が出され,平成29年にはほとんどの地域で避難指示が解除されたものの,その人口は現在1450人ほどまで減少。平成29年に行われた住民への移行調査では,飯舘村に「戻らないと決めている」と回答した人が30.8%,「まだ判断がつかない」と回答した人が19.7%と ,農村復興をめぐる厳しい現状が表れているひとつの地域であると言える。
     同資料によると,「帰還を判断する上で必要な情報」として,「放射線量の低下の目途,除染成果の状況」を選択した住民は,実に半数にものぼった 。講義でもお話があったように,実験を通じて安全性の高い除染の技術が確立されてきたこともあり,理論上は農村復興の素地が整ってきたと言える。しかし,現実には農業の復興は進まず,帰還を諦めてしまう農家の方が多い。その原因の一つとして考えられるのが,除染をめぐる情報が周知されていないこと,そしてそれに伴う風評被害である。
     例えば,除染法が施された土地での米の栽培実験を通じて,米に入るセシウムは糠に蓄積されるために白米がセシウムで汚染されることはないということがわかっている 。このデータをもとに,白米を利用した大吟醸酒を作るという提案がなされ,「復興」「不死鳥の如く」などの商品の開発へつながった 。このことは,今後の農業再生へ極めて重要な示唆をもたらす事例であろう。しかし一方で,昨今の市井の状況を鑑みるに,こうした商品による真の復興を飯館村などの農村が達成するためには,土壌汚染などへの風評被害の克服が急務である。いわゆる「セシウムさん騒動」として周知される2011年の事件は,衝撃的な形で,風評被害を生み出す原因そのものである社会に潜む「拒絶」の感覚を露呈した。また,消費者庁のデータによれば,「放射性物質を理由に購入をためらう産地」として「福島県」と回答した人の割合は,年々減少しているとはいえ以前10%ほどの高い数値を保っている 。度重なる実験によるデータで農産物や商品の安全性が示されていても,市民が納得してそれを受け入れることはそれとは別問題である,という,信じ難くも困難な課題が依然残っている。
     このような,理論と市民の感情とのギャップを巡る問題は深刻である。セシウムは,その粘土粒子への強い吸着性により,土壌表面にとどまり水に溶け出すことがほとんどない。この性質を利用したのが「田車代かき掃き出し法」という除染方法だが,この取り組みが新聞で報道されたところ,「水の汚染が怖くて飲めないではないか」という現地住民からの苦情が寄せられたという 。理論的な安全性が保障され,専門家が説いても,それを市民が受け入れるということに対してはやはりハードルがあるのだ,と考えなければならない。
     いち大学生として筆者が農業復興へ貢献できることがあるとすれば,それは,こうした風評被害を少しでも減らすために,示された安全性について「理解」し,根拠のない恐怖・拒絶を避け,その考えを共有して社会に広げていくことであると言えるだろう。そして,福島で実際に作られた農産物を購入し,享受し,農家の人々に生産のインセンティブを与えていくことでしか,農業再生は実現できないと思われるし,そのことがわれわれ一人一人に現実的にできることとして最も重要であると考えている。
     根拠をもたず,ただ本能的な恐怖感やイメージだけで風評被害を作り出してしまっている市民がいるとすれば,彼らに正しい情報を与え,社会の風潮を作り替えていくことが,われわれ若い世代に求められていることではないかと感じている。そのためには,データとして提示されている除染のあり方や農作物の安全性について,まず自らが学び知識を得なければならない。それは,このような大学での講義によって得られる場合もあれば,自らフィールドに赴いてプログラムに参加し,現地の人々の話を聞くことで得られる場合もあるだろう。そして,「汚染されている」という観念に囚われている人がいるとすれば,彼らに情報を提供し,社会の風潮を作り替えていかなければならない。現代は,twitterをはじめとするSNSやオンライン百科事典などの発達により,われわれ個人の情報発信が社会の集合知に与える影響が大きくなっており,学生という立場であってもその営みに参与することは容易になってきている。先に述べた消費者庁のデータに現れるような社会的通念を,時間をかけて変えていくことが,農村の真の復興にとって重要であると考えられる。
     その上で,実際に福島で作られた商品を手に取り,購入してみることが必要だろう。帰農者が少ない現状を打開して農村復興を実現するためには,その土地で作られた農作物や商品それ自体が価値を帯びたものとなること,そして,消費者に購入してもらうことで彼らが生産のインセンティブを得ることが不可欠だ。個人が土壌汚染などの問題を巡る正しい知識を身につけた上で,その価値を正しく理解し,社会に向けて情報発信していくことが,われわれがいますぐ取れる行動として重要なのではないか。
     原発事故から10年近く経過した今でも,風評被害が農業復興へもたらす負の影響は依然大きい。それを少しでも軽減するために,個人として取れる行動は多くある。筆者はそう考えている。


    1『広報いいたて』,2017年
    2 同上
    3 「第39回サイエンスカフェ『聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”?放射性セシウムとの関係?』開催報告」,2019年,2020年7月18日閲覧 http://www.frc.a.u-tokyo.ac.jp/information/news/181225_report.html
    4 同上
    5 消費者庁「風評被害に関する消費者意識の実態調査(第 13 回)について」,2020年,2020年7月18日閲覧 https://www.caa.go.jp/notice/assets/consumer_safety_cms203_200310_01.pdf
    6 第39回サイエンスカフェ『聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”?放射性セシウムとの関係?』開催報告」,2019年,2020年7月18日閲覧

  24. 39回サイエンスカフェ「聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”?放射性セシウムとの関係?」開催報告を読んで

    記事と授業から感じたこと
     2011年の原発事故以来、福島の農作物は放射性物質が多く含まれていて危険なのではないかということが懸念されるようになり、それは現在でも続いているようである。自分自身も近年までそのような認識を持っていた。しかし実際はそのようなことはなく、放射性物質量の検査で基準値を超えた農作物は市場に流通することもないし、基準値を超えた農作物はほとんど出ていないことは福島県のホームページでも具体的な数値とともに公表されている。それでもなお福島の農作物への不安が払拭できない原因はどこにあるのかと考えてみると、正しい情報が発信されていない、または情報が正しくてもそれを信じようとしないということではないかと記事と授業を通して感じた。実際の福島の農業の現場では、汚染土の処理や村民の離村による人手不足といった問題がまだまだ多くあるとは思うが、自分自身にできることとなると情報発信が最も現実的に始めやすいことだと思ったため、情報について考えていくことにする。

    問題はどこにあるのか
     情報が正しく伝わらない原因は先程も述べたように正しい情報の発信、そして受信ができていないことにあると思う。そこで情報の発信者と受信者のそれぞれについて考える。まず発信者に関してはマスコミであることが多い。もちろん正しい情報を正確に伝えようと努力しようとしているマスコミが大半だとは思うが、様々な事情で正しく伝えようとしないこともある。特に、授業で先生がおっしゃっていた東京新聞による記事の一部削除には本当に驚いた。国としても福島については大きな問題であり、何か裏で力が働くのもわからなくもないが、これでは現場の声や状況は伝わらない。また大学教授のような影響力の大きい人が根拠のないことを言い不安を煽っている例もある。しかしこれに関しては受信者側の情報リテラシーが求められる部分も大きいのではないかと思う。次に受信者側については、今述べた情報リテラシーに加えて、そもそも福島について調べようとしないことや正しい情報を受け取っても信じることができないことが問題である。先生が授業でおっしゃっていたように、ある情報や技術がいくら科学的に安全であっても心理的に不安で納得できず受け入れることができない人もいる。いかにして情報を流し納得させていくかがこれからの課題ではないかと思う。
    自分自身に何ができるか
     以上の問題に対して自分自身が何をできるのか考えてみると、情報発信者であるマスコミなどに正しい情報を流すように直接訴えるなどということは非現実的である。自分でできることは、自分自身が正しい情報を発信することではないかと思う。近年はツイッターやインスタグラム、YouTubeといったツールが豊富で気軽に情報発信ができるようになっている。間違った情報が流れやすいのもこの気軽さのためではあるのだろうが、正しく使うことで福島の農作物の安全性を広めていくことができるのではないかと思う。
     具体的にどのようなことをするべきかについて述べる。まず目的は、興味のない人に興味を持たせること、安全性に納得しない人に安全性を証明することの2点である。科学的な実験や証拠を提示することは非常に重要なことだとは思うが、いずれの場合に関してもそのような難しい説明は受け入れられないように思う。興味のない人は難しい説明など聞こうともしないだろうし、納得できない人はいくら理論を説明されても納得できない。そこで、インスタグラムなどで自分が実際に福島の農作物を食べている様子を投稿するのが有効ではないかと考える。これにより興味のない人でも知り合いの投稿を見て安全性を認識すれば、農作物についてよく知らないが故の不安や批判は少しでも減るのではないか。また納得できない人についても、難しいことを説明されるよりも直感的に農作物が安全であることを理解できるのではないか。
     以上のようにして福島の農作物の安全性や魅力を広め徐々に情報発信者が増えていけば、福島の農作物の需要は少しずつ回復し、消費者という立場から福島の農業再生を支えられるのではないかと考えた。

    参考文献
    (2019.7.18)聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”-放射線セシウムとの関係-(第39回サイエンスカフェ@東京大学食の安全研究センター), http://www.frc.a.u-tokyo.ac.jp/information/news/181225_report.html, 2020年7月23日閲覧
    ふくしま復興ステーション復興情報ポータルサイト 農産物等の放射性物質モニタリングQ&A, https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/nousan-qa.html#Q5, 2020年7月23日閲覧
    (2018.10.16)林智裕, 福島の米「食べて応援は自殺行為」とまだ信じている人に伝えたいこと, https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57961, 2020年7月23日閲覧

  25. 選んだ記事:「飯舘村に通い始めて約8年−土壌物理学者による地域復興と農業再生」

     講義を聴いたり記事を読んだりして感じた、私自身が福島の農業再生のためにできそうなことは、2つあります。
     ひとつめは、まず現場に赴いて“知る”ことです。講義や記事で、現場主義だからこそできることやその大きさを学びました。また私自身の経験に照らして、支援したいと考えるときに現場に赴くことが大切であるということは、福島のことや農業のこと以外にも言えるのではないかと思いました。その経験とは2つあって、ひとつは観光でカンボジアを訪れた際に貧困や子どもが働く様子を目の当たりにし、以来彼ら彼女らのために私に何ができるだろうということをよく考えるようになったことです。もうひとつは、高校で所属していた管弦楽部はボランティア活動に熱心で東日本大震災や熊本地震の復興支援(チャリティーグッズの販売など)を行なっていたのですが、どこか受動的で被災地の体温を感じられなかったことです。現場に赴いて被災地の方々が何を望んでいるのかを知り、自分の目で課題を発見することで、講義で紹介された新聞記事で菅野さんがおっしゃっていたように、机上の発想と違った現場の実情にあった支援ができるのだと、はっきりと理解しました。
     ふたつめは、消費者として被災地・福島の農業を応援することです。未だに、原発事故があった福島の農産物に対して不安を持っているという声も聞きますが、講義や記事を通して、その安全性が保証され農業復興を目指しているということを知って、積極的に応援したいと思いました。「不死鳥の如く」やブランド牛もとても魅力的で(お酒は成人してからですが)、未だに不安を持っている知人を含め、周りに紹介したいです。今は状況が状況ですし、こちらの方がすぐに始められそうです。
     私の祖父母はそこそこ大規模な稲作を中心に農業をしている農家ですが、一昨年祖父が大きな怪我をし、自信家の祖父がもう今までのように農業をできないと知ってとても落ち込んでいたのが印象的でした。少し状況は違いますが、福島で土壌汚染に直面した農家の方々も似たような喪失感ややるせなさを感じられたのではないかと想像します。そういった方々の力に、少しでもなりたいです。
     震災から9年以上が経ち、離れたところに暮らしていると震災のことを過去のことのように感じてしまいがちですが、今回の講義はもういちど復興支援を考える良いきっかけにもなりました。これから自分にできることで被災地を応援していきたいです。

  26.  本講義を聴講して、特に印象深かったのは、専門家が机上の理論ではなく、実際に現地に赴き活動している事で、例えば土壌中の粘土の特異な構造に放射性セシウムが固定化される理論は勿論であるが、実際に埋没汚染土が理論通り土壌中でほぼ移動せず、また自然に減衰している事を立証して、現地の方の不安を払拭しようとした事である。
     自分が福島の農業再生に貢献できるかという事を考えた時に、やはり理論ではなく現地での調査、計測を通して研究する手法の可能性として挙げられるのが自分が個人的にいずれ専門としたい地質学からのアプローチである。一般に花崗岩には褐レン石やモナズ石、ジルコンなどと行った放射性稀元素を含む鉱物が濃集していて、そのような地質においては、そうでない地質の地点に比べて高い放射能を示すことが知られている。そして、福島県においても阿武隈花崗岩という花崗岩体が分布している。青井ら(2012)の研究によれば、放射性セシウムで汚染された地域の土壌を構成する阿武隈花崗岩体からなる鉱物集合体のうち、黒雲母に一酸化二セシウムという形で最大6.75wt%含まれ、また黒雲母中の含有カリウムの量と局所的に負の相関にある事が示された。これはカリウム施肥の基本原理と同様であり、やはり土壌は元々風化した岩石である故に、地質学における研究が土壌汚染対策に新たな知見を与える可能性を示しているものだと考える。セシウムに関しては、問題となっている放射性セシウムが自然由来である事は基本的に無いので今回のケースでは関係ないが、放射能の由来が地質学的現象由来なのか人工由来なのか、或いはその割合を調べることは一般に被災の現状のより正確な評価に貢献しうるとも考えた。

    引用文献
    ・青井裕介, 福士圭介, 森下知晃, 亀井淳志(2012) 阿武隈花崗岩中の黒雲母によるセシウムの濃縮,日本地球化学会年会要旨集2012年度日本地球化学会第59回年会講演要旨集,137

  27.  福島の農業再生について、自分自身が出来ることは非常に限られているように思われる。というのも、政府のように巨額の資金を出せる訳でも政策を施行出来る訳でも無いからである。そこで、個人の出来ることの内で、最も大きな影響を与えうることを考えてみると、他者に影響を与えることである。特に、昨今はSNSを通して多くの人と情報をシェアすることが出来るので、SNSを有効活用することで、大きな効果を生み出せるのではないかと考えられる。
     まず、福島の農業再生における問題点として、風評被害と若者の農業離れが有る。各々の問題について、個人レベルで出来る解決策を以下に考察していく。
     最初は風評被害についてだが、現在ではそこまで風評被害が残っている印象はない。しかし、風評被害が無いとはいえ、福島の農産物が大量に消費されているというイメージは無い。これでは福島の農家にお金が回らず、福島の農業は伸びない、ないし廃れていってしまう。故に、これに対して個人で出来ることと言えば、極力福島の野菜や米を買ってみるという、アクティブな購買の他、利益率の高い酒などの嗜好品を買う際に、授業で挙げられたような福島の酒を買っていくことで、農家を経済的に支援することが考えられる。また、SNSなどを使って良いレビューを残しておけば、新規カスタマーの獲得にも繋がる。農業によって経済的に安定するようになれば、規模を拡大することでより収益を増やしつつ、復興及び発展をすることが出来るのではないだろうか。
     以上が農産物を買う側から出来る支援であるが、いつまでも他者に引っ張られたままでは真に復興したとは言い難い。ここで着目したいのは、みぞらぼのTopicsの記事にあったように、避難指示解除後に村に戻ってきたのは、一部の高齢者だけであった。どんな産業でもそうだが、後継者がいなければ廃れてしまう。特に今回の場合、避難して都会に来た結果、都会で職を得ているので、わざわざ村に戻ってまで農業を行う理由が無いのであろう。又、農業は多額の初期投資及び栽培に対する知識が必要であるので、それも人々が農業に帰って来ない理由となるのだと思われる。それに対する最も手っ取り早い解決方法は、人々の農業に対するハードルを下げることである。例えば、東京から日帰りの農業体験ツアーなどによって、田舎の風景や自然を体験してもらい、それによって栽培した作物は、後日ツアー参加者に送られることで、農業に関心を持ってもらうというプランを考えてみる。普段都会に住んでいる人間としては、田舎の風景は心休まるものがある上、自身が植えた作物がちゃんと成長し、収穫できたことを知ることで、多少は農業に対するモチベーションも湧くのではないかと思われる。そして、現地に比較的安い値段で土地や機材を貸し、そこで自由に作物を作って良いとすることで、都会から人を呼び込むこともできるし、定年退職後にそこに移り住んで農業を営むかもしれない。
     これはあくまで想定の話であるが、いささか現実的ではない話ではない。特に今日はICTが発達しているため、上記のようなプランが有れば、リアルタイムで作物を都会からモニタリングすることが出来るだろう。そうすれば農作物に対する愛着も湧くのではないかと思われる。実際そのようなプランは無く、現状コロナで人々の移動も自粛するよう呼びかけられている。しかし、再び人々が自由に移動できるようになった時、農家の手伝いにいくことで、日本の田舎の風景や人々の温かさをネットを通じて多くの人々に知ってもらうだけでも、少しは福島のみならず、日本全体の農業の復興に繋がるのではないだろうか。

  28. 選んだ記事「飯館村に通い続けて約八年―土壌物理学者による地域振興と農業再生」

    この記事を読んで、自分なりに思った事を述べたのち、それを踏まえて福島の農業復興について自分ができることへと話を展開していきたいと思う。

     この記事を読んで、「農学」に対する考えが変わった。農学は、農業技術の研究をしているという曖昧なイメージを抱いていたが、土地やそこに営みをする人々が研究対象であり、その地域社会共同体の発展のためにこそあるべきなのであるという認識に代わった。真理を追究する理学部と違って、結局手に入れた技術や研究結果がその地域の発展や人々の生活向上のためにつながらなければならない。その観点では溝口教授のような現場主義は、本当に必要なものがわかるので「最短距離コース」であるかもしれない、と思うようになった。研究の方向性が見失わないのは、現場主義の魅力であるように感じる。
    次に、「福島の農業再生に対して自分ができること」であるが、これは「自分」というものをどこに置くかによって様々な方法が考えられる。自分は農業土木や土壌物理の専門知識は持ち合わせていないただの大学生である。しかし、進学選択者振り分けやその後の就職などで未来の自分は様々な可能性があり、そのような意味では、多様な策をとることができる。
     現在の自分ができることはかなり限られているが、福島産の食品の購入やその魅力を身近な人へ発信すること等が考えられる。これは福島復興に向けて一人の消費者としての行動で、いまだなお根強く残っている福島産食品への風評被害の解決には市民の購入が必要であるからである。
     未来の自分は、例えば農学部に進学した場合、農学の知識を手に入れて現場を訪れてさらに専門的な理解をすることができて、その知識は現在の自分の発信よりかなり価値があるであろう。また、修士課程や博士課程を経て専門家になれば、福島の地域が抱える技術的な問題に関して専門知識を生かして対応することもできる。さらに官僚になったならば、今回の記事に出たようなより効果的な方法が提案されていたのにそのまま進めてしまった2011年当時の国家公務員ではなく、研究機関との連携を深めよりいい技術を導入し、さらに現場に赴き現場が本当に求めているものが実施する、という人材になるというのも復興のために自分ができることであろう。
     大事なことは今できることをやりつつも、自分が選んだ先でも福島の農業再生に置かれた立場でできる最大限をすることであると思う。それを念頭に置いて今後の進路先で頑張ることが「自分ができること」なのであろう。

  29.  自分にできそうな福島農業再生を考えるにあたり、参考としてMizo_labのTopics記事に2019/11/16付けで掲載されている「飯舘村の農業再生の構想」[1]を読んだものの、殆ど授業資料と同様であったため改めて授業資料を読み農業再生について考えた。
     正直な話として自分はあくまでただの1大学生であり、除染等の専門知識もなければ農業への従事経験もないため大規模な事業などの組織の存在を前提としての行動は難しいと思われるため、1個人としてできる程度のことに絞って考えていくこととする。
     現状としてMizo_labのTopics記事に2020/2/16付けで掲載されている「真の復興、飯舘村民に学ぶ」[2]に書かれているように、原発事故後に除染が進んだにもかかわらず帰村はあまり進んでいないことや土質の回復に至っていない部分があることから既存の農業に完全回帰するのではなくいくつか新しい点を組み込んだ、新たな形態の農業の試験場のような場所になる可能性が高いと考えられる。既存の農業に関しては市町村やJAなど長年にわたり農家を補助してきた組織なども多いと考えられるため、それら以外での何かしらの補助となることを行うとしてもせいぜい販路の開拓やマーケティングの補助や顧客となる程度しかないのではないだろうかと思われる。
     次に新たな形態の農業についてだが、授業資料などではICTを活用したモニタリングや制御といった管理システムを活用したものが例として挙げられている。仮にこれらを推し進め広く普及していくとするのであれば、用いられるカメラやセンサーなどをより簡便により安価にしていくことが普及につながると考えられるため、例えばある程度スキルがあれば個人として自動水門やモニタリングシステムなどについて安価となる構成やプログラムを考えて発信することなどが考えられる。もちろん生産の力となるだけでなく買い手として農作物を買い支えていくことも有用ではあると思われる。
     しかしながら、これまでに書いたことを改めて振り返ると個人としてできることは非常に小さいものであるといわざるを得ないのではないだろうか。例えば生産者として介入していくのであれば様々な種類の作物を試して希少な作物の生産を行うことや食物だけでなく草花の生産の場にすることや、あるいは交配実験などの緻密なモニタリングが重要視される分野の専用の農場とすることなども考えられる。ほかにも様々な発展の仕方があると考えられるが、それらのうちのどれに舵を切るかに個人が影響を与えることは難しいと考えられる。
     結論としては実際にどのような形へと変化していくかはその場で行動を起こす人たちとその影響で発生する流れによるものではあると思うので、個人として再生を目指すのならばその起きている行動に乗っかり何か手伝える小規模なことを見つけ出すか、あるいは単純に作物などを購入することで買い支えていくことが重要なのではないだろうか。


    参考資料
    1.飯館村の農業再生の構想
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/publec/191116.pdf

    2.真の復興、飯舘村民に学ぶ
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/essay/200216shimotsuke.pdf

  30. T みぞらぼのHPのTopicsを読んでみた
    『除染後の農地と農村の再生』(http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/mizo151114.pdf)という記事を読んだ。(閲覧日:2020年7月23日)
    @福島県の飯舘村における現在の汚染状況、A汚染除去の方法、Bその汚染除去が安全か、C農業再生にむけて何をしているか、D学生と村がどのように協力しているか、について述べてあった。
    @ もともと飯舘村は四季折々で美しい村であったが、2011年の東日本大震災の際に起こった福島原発事故で原発から出た放射能によって、飯舘村の土壌が汚染されてしまった。汚染された以上、そもそも人が立ち入れないし、その土地で農業はできない。村の中心部の方では汚染除去は進んではおり、ある程度人が住んで農業できるようになっている。これは、土壌が荒らされず、放射能が土壌の上層部だけにとどまったから、除去が比較的楽であったからである。一方、山々に近い部分では、猪に荒らされたり、雑草が生えまくったりした結果、土壌の奥まで汚染されたので、除去が難しくなっている。
    A 放射線セシウムが土壌の奥まで染み込まない、ということを利用した汚染除去は2つある。1つ目が、汚染された土壌上層部を全て取り出して、別の場所に掘った穴に全て埋めてしまえば良い。穴の部分は汚染されたままだが、汚染除去された農地ができるので、解決策の1つではある。2つ目が、土壌上層部と、その下の土壌をひっくり返す方法である。放射線セシウムが土壌の中を移動しないので、上層部の下の土壌は比較的汚染されていない部分である。それをひっくり返すと、土壌の少し奥の部分に放射線セシウムが溜まり、新たな上層部は比較的汚染されていないので、農業できる、ということである。
    B 実験や計測を繰り返しているが、危険よりの安全である。
    C 具体的な方法は3つ。1つ目は、農業できた、という成功例を作ることである。まだ大規模な農業はできないが、少しずつ農業できていこう、ということである。成功例を作った、ということが農家の人々の自信になり、それからの農業復活にどんどんつながっていく。2つ目は、技術力を上げよう、ということである。汚染除去に使った技術が農業に使えないか、新しい技術を導入できないか、など。3つ目は、農業に携わる人材を増やすために、子供に農学教育をしている。
    D 東大農学部が積極的に関与しており、復興に向けたプログラムなどを作るなど、かなり協力している。飯舘村にとって東大が支援してくれている、ということは大きな安心感に繋がっていると思われる。

    U 以上を踏まえて、私個人ができること
    私は現在東京大学理科1類に通っており、水と土の環境科学の授業を履修したおかげで、飯舘村の現状を詳しく知ることができた。しかし、私自身は残念ながら農学部に入る予定はなく、農業についての知識はほとんどないので、飯舘村と直接的に関わる可能性は少ないだろう。(旅行好きなので、いつかお邪魔するくらいかな)そんな中、私のできることを考えたところ、2つ考えついた。それは、@飯舘村の現状を正しく把握し、周りにその認識を広める、A飯舘村の農業技術の開発に間接的に関係する、の2つである。
    @ 講義を受ける前の福島のイメージは、ある程度復興は進んではいるが、まだ人が住めない場所も残っておおり、農業ができるような状態では全然ない、というものであった。しかし、講義を聞いて、ここまで飯舘村が復興してきている、ということに驚いた。認識に大きな誤りがあった、ということだが、これは私だけに限ったことではないだろう。他にも誤った考えを持っている人は多いと思う。飯舘村に行かず、農業や復興についてほとんど知らない私が東京でできるのは、この誤った考えを正していくことである。マスメディアも震災直後はかなり特集していたが、最近は福島が特集されているのは見なくなった。なので、正しい現状を知った私が積極的に周りに伝えていく必要がある。もしかしたら、私が伝えた人の中に興味を持って、飯舘村の復興に直接的に関わろうと行動を起こす人が出てくるかもしれない。そうすれば、私は間接的に飯舘村の復興を手伝ったことになる。
    A これは私の進路についてだが、理科1類2年の私はこの夏の進学振り分けで機械学科に進もうと思っている。ロボットなどを作りたいから、ではなく、エネルギーについて関心があり、エネルギーの理論を学習してその理論を様々な技術の発展に役立てたいからである。どのようなエネルギー効率でモノを動かせば良いのか、などということである。すなわち、私の将来考えた理論や研究の成果が技術の発達の礎となるかもしれない。可能性は高くはないが、その技術が飯舘村の農業の技術の進歩に使われることもあるだろう。私の作ったモノが巡り巡って復興に役立つ、そう考えるとわくわくしてきたので、これから頑張って行こうと思った。

  31. (2019.7.18)聞いてみよう!あなたの知らない“土の世界”-放射性セシウムとの関係-
     福島第一原発事故によって被害を受けた農村の一つに飯館村がある。飯館村は、福島第一原発の北西部に位置する村で、米や高原野菜の産地となっていたが、事故後避難指示が出され、長らく帰還することができなかった。原発から流出した放射性物質が飯館村の農用地の土壌に降り注いで、作物がそれを取り込むことにより人間の健康に被害が及ぶ。故に土壌の除染は安全な作物を作るために必要であり、現在除染のための取り組みが行われている。
     原発から流出した放射性物質、特に放射性セシウムはカリウムの代わりに土壌中の粘土粒子中に固定される。これは、セシウムとカリウムが同族の元素であり、化学的性質が類似していることに起因する。セシウムは、土壌中に降り注いだ後は粘土粒子中に固定されやすいがゆえに垂直移動速度が極めて遅く、長い間同じ位置にとどまりやすい。実際、飯館村の農用土壌を調べてみると表面付近のセシウム濃度は極めて高いが、深くになればなるほどその濃度は大きく減少していく。ゆえに、対策が必要な土壌は広く、浅く分布している。
     対策方法としては様々なものが考えられる。セシウム濃度が高い表面の部分を除去して下層土のみを残す表土削り取りはその一つである。汚染された部分をその場から取り去るのは一番確実な方法だといえるが、現状として削り取った土の後処理の方法が確立されておらず、今のところ放置されている状態である。このまま削り取りを進めるとそれらの土壌を保管する場所がなくなってしまうという問題点がある。その問題点を解消する方法としてセシウム濃度が高い表面部分とセシウム濃度が低い下層部分を天地返しする反転耕があげられるが、この方法では結局土壌中にセシウムが残ったままなので根本的な解決になっていないうえに、土壌の層を数m単位でひっくり返すというのは大変な時間と手間がかかるのでこれをすべての土壌に対して行うというのはあまり現実的ではない。また、汚染されていない土壌を汚染された土壌のうえから被せる上乗せ客土も、セシウムによる汚染を防ぐには莫大な量の土壌が必要となるため現実的ではない。汚染された土壌を除去する方法としては他に田車を使った方法もある。田車は、田植えの後の除草に使われる道具であるが、この方法ではこの田車を、汚染土壌を混ぜることに用いる。水田の汚染土壌を混ぜて泥水にして流してしまうというのが目的である。そうすれば作物を作る田から汚染土壌を取り除くことができるうえ、泥水は砂の層を通るときにセシウムが砂に吸着されてしみこむことがないため、流した後も下流の地域が汚染する心配もない。除染後の農地は排水が悪く、流れにくいという問題点があるが、地下水路を作ることによりある程度は解決できるということが分かっている。こういった意味で、この田車を使った方法は非常に効果的である。
     また、農業の再生を行うためには上のような対策だけでなく、そこでとれた作物が安全なものであるということを消費者に発信していく必要がある。専門家でなければ上記のような除染作業は容易に行うことはできないが、除染の方法を学ぶ機会を設け、少しでも多くの人に除染後の作物の安全性を証明することができるように新たな農業の方法を積極的に発信することが一番重要なことである。

  32.  「福島産」という表記を見てまず思い浮かべるのは、東日本大震災における原発事故だ。あの事故から9年経った今も、福島産とかかれた野菜や果物を見ると、何となく買うのを躊躇してしまう。「放射線は一定の半減期ごとに半減する為、0になることはない」という中途半端な知識が頭をよぎるのだ。父親に、なんとなく購入を避けるように言われたのも理由としてあるかもしれない。

     本講義を受けて分かったことは、福島における放射能除染がすでに十分に行われているということだ。放射性セシウムはカリウムと入れ替わることで、農地土壌の粘土粒子に固定される。固定されたセシウムは雨を受けても深層に流出すことがない為、空から降り注いだ放射線は汚染土壌において上層のみに分布しているはずだ。そこで、表土削り取り法や、土壌表面の水による攪拌・除去、更に田車代かき掃き出し法といった農家も実践できる手法を用いることで、表面層に蓄積した放射能物質を除去することができる。実際に、洗い流した泥水を利用した測定実験で、セシウムが深層に浸出しない結果が示されている。除去した汚染土は、深く掘った素掘りの穴に埋められている。一見、汚染土が埋まった土の上で作物を育てるのは危なそうに思えるが、放射線測定器を用いた土壌深部での計測結果では、数年間の間でセシウムは土壌中を移動しておらず、かつ半減期に従って自然減衰していることも同様に示されている。

     講義後、「スマート農業の死角」という記事を読んだ。この記事では、政府の目指す「スマートな」農業に対する懸念がテーマになっている。近い将来実現される5G回線を用いたICT機器を応用し、あらゆる農作業を自動化させる、いわば「工場的」農業を目指すよりも、多様性に富み独自の農業技術・文化を育んできた「家族農業」を前面に押し出してサポートしようという考えである。この記事を読んでまず驚いたのは、現在の農業を支える技術が如何に発達しているかという点だ。例えば灌漑排水を例にとれば、スマホを用いた遠隔操作によりバルブの開閉や水位の調整が可能となっている。実際に株式会社クボタが提供するWATARASという商品では、これらの機能により水管理に要する労働時間の8割減・用水量の半減といった試験結果も得られているという1。また、GPSを用いた自動トラクタ(TBSドラマ『下町ロケット』でも、無人化農機の製造を巡ったバトルが描かれている)や、ドローンによる局所的な農薬散布も実用化され始めている。従来の「種を蒔き、育て、作物を収穫する」といった手作業の農業の概念は古くなりつつあり、農業の完全自動化の未来もそう遠くないように思える。

    そう考えると、福島の農業再生のひとつのアプローチとして、ICTを積極的に取り入れるのもアリではなかろうか。例えば、土壌中の放射線濃度を定期的に計測できる機器を導入したり、農業自体を半自動化することによって人手不足(被災地に若者がなかなか戻らないことによる)も解消できる。避難所など離れた場所にいても、ICT機器を用いた管理とモニタリングは技術的に十分可能であろう。この切り口においては、自分自身が介入する余地はさほどないようにも思える。言ってしまえば、農業技術の発展をただ待っていればよいからである

    しかしながら、福島の農業を本当の意味で復興する為には、現地問題の解決や最新技術の導入・計測機器を用いた実験結果では太刀打ちできない障壁を払う必要がある。それは「風評被害」、つまり消費者の意識改革だ。かつて私が福島産の農作物を手に取るのを妨げたのは、危険性を示す実験結果ではなく、寧ろ福島の農業の実態の「無知」、更には誤った情報であった。しかし今の自分には知識がある。105分の本講義を受け、様々なtopic記事を読んで得た正しい情報を持っている。私は自分自身が取り組める農業の再生の糸口を、ここに見出している。周りの友人や家族が、福島の放射能問題に関する誤謬を犯していた時、私ならそれを解消することができる。福島産の作物を贔屓するのではなく、知らぬ内にかかっていた色眼鏡を外し、その農産品の価値を正しく判断する視点を持ち、それを自分の周囲に広める能力を持っている。

    また、農泊を通じた農村文化の体験もこの問題の解決に関わる1つの方法であると考えている。私は高校二年生の時、修学旅行で日本一美しいと言われる岡山県の新庄村を訪れたことがある。私はこの村で人生初の民泊を体験したのだが、そこでは地元の自然や生活の様子を目の当たりにするだけではなく、実際の農作業(サルナシと呼ばれる果実の栽培)を体験したり、ディスカッションを通じて地元文化の発展について議論したりもした。今でも貴重な思い出の一つとして残っている。このような農作業の体験や地元文化に触れ合う場に、福島を中心とした他の地域において自ら参加することが、地元の農業の再興・活性化の1つのきっかけになるのではないかと私は考える。日本が持つ、優れた「家族農業」の在り方を各地域で見つめることによって、自身の経験を豊かにするだけでなく、日本全体の農業の客観視による新たな知見が発見できるであろう。大げさに聞こえるが、こういった行動や経験が、福島の復興のみならず日本の農業の発展に関わるきっかけになるかもしれない。この先、農学部で積み重ねていく知識や体験をどのように昇華できるかはまだ分からないが、きっとどのような形であれ農業に関わっていくことは間違いないであろう。

    1学生の立場として、福島の農業を直接復興させるのは不可能かもしれない。しかしながら、友人や家族といった周囲の人々への些細な働きかけや、自分自身が農業やそれに関わる文化・技術に直接触れることによって、農業再生の小さなきっかけを作れるのではないか。少なくとも私は本講義を受けて、その行動を起こすモチベーションが高まったのは紛れもない事実である。

    〜参考資料〜
    1. WATARAS(ワタラス)とは | ほ場水管理システムWATARAS(ワタラス) | 農業ソリュー   ション製品サイト | 株式会社クボタ | 水田水管理省力化システム | 多機能型自動給水栓, https://agriculture.kubota.co.jp/product/kanren/wataras/howto.html (2020/07/24 閲覧)

  33.  今回の授業と、記事「真の復興、飯舘村に学ぶ」を読んで、福島の農業再生における課題が二つ分かった。それは、安価な除染である凍土剥ぎ取り除染法は、肥沃な表土を削ってしまうと言うことと、一部の高齢者のみが帰ってくるだけで、若者が戻ってこないと言うことである。まず一つ目の問題だが、これを解決するためにはよそから汚染されていない土を持ってくる必要があるが、これにはかなりの費用と手間がかかることだろう。また、若者を戻すためには、そこで長期的に安定した生活が送れる様にする必要があり、そのためにもまたかなりの費用と手間がかかることだろう。これらをどう解決すべきだろうか。
    そこで、個人が出来そうな方法として、二つの方法を提案する。一つ目の方法は、福島の農地回復のための土壌搬入用の募金や、そこで若者が暮らせるようにするための募金を立ち上げるか、参加することである。こう書くと、東日本大震災用の募金に参加するのと何が違うのか、と疑問に思うかもしれない。しかし、ここで大事なのは、募金の目的と現状をはっきりさせることである。既に現在東日本大震災から九年も経っており、記憶の風化が進んでいる。おそらく現状を知らず、復興はもう完了していると思っている人々も多いだろう。ので、単に東日本大震災用の募金を集めようとしても、効果は薄いと思われる。だからこそ、福島の農地の現状を具体的に知らせ、よりピンポイントな目的の募金を集めるのが効果的であるだろう。二つ目の方法は、若者から福島でどんな暮らしをしたいか、意見を集めるか、一人の若者として提案することである。若者を呼び戻すためには、若者の求めているものが分からなければ始まらない。こういった意見をインターネット上で集め、自治体のサイトに投稿すれば、何らかの進展が生まれる可能性は十分にある。

  34.  自分にできそうな農業再生は生産者と消費者を繋げることである。東日本大震災による原発事故から9年が経つ今も福島産の作物は風評被害を受けている。もちろん、現地での物理的な土壌の再生も大事だが、販路がなければ生産はできても農業を再生できたとは言えない。そこで、除染の現状を広く認知させることにより消費を喚起することが大切である。

     具体的な方策を考える。
     風評被害の原因は「福島」という単語にある。ここで、「福島」という単語が放射能に直結し、現地に人がいて農業を営んでいることを想定する人は少ないだろう。そこで、個選と共選を組み合わせた販売をすることで人に注目してもらえると考える。最近、生産者の顔を見て直接商品を買うことができるアプリが成長しており、この方法で販売できることが望ましい。しかし、すべての生産者が登録や出荷できるわけではなく、一部の生産者のみが注目されても福島全体の再生にはならない。そこで、共同出荷を担う組織が生産者の名前や顔を伏せることなくインターネットを通じて出荷する。自分にできることは、この販売方法を宣伝することである。
     宣伝とは現場の現実を正しく伝えることである。一番の目的は風評の払拭であるから、現地での除染活動を主に伝え、福島の作物が実際にどれくらい安全であるのかを示す。ただ単純に安全になった、とだけ言っても効果はないので、より具体的な(授業で紹介されていたような)除染方法を強調する必要がある。宣伝の場はインターネットがメインになるが、全国の学校で出張授業のような活動ができればなお良い。この宣伝活動はクラウドファンディングで資金を集め、リターンに作物を送る。また、インターネットを通じた作物の販売も同時に行うにあたって他の産地との差別化が必要になるが、国家レベルの支援によって価格を大幅に抑えることが望ましい。
     また、消費者向けの宣伝だけでなく、生産者に宣伝方法を提供していくことも大切である。上で一部の生産者のみが注目されても福島全体の再生にならないと書いたが、将来的には各生産者が独自に販売ルートを持てれば経済的な自立にもつながる。最終的な目標は他産地と競合できるようになることである。

  35.  福島県の飯館村などでは、福島第一原子力発電所で発生した事故のあと、土壌汚染などによって家に帰ることができなかったり、作物が作ることができないなどの被害が起こっていた。これを改善するために、自分ができることが何かを考えていく。自分はまだ大学生であり、専門的な知識を用いて福島の農業再生のためになることは難しい。しかし、専門的な知識がなくても、福島のためになることはある。その一つが、福島の作物に対する風評被害を減らすことである。風評被害を減らし、福島の作物がどんどん売れるようにすれば、農業再生につながると考えられる。原発事故の後、日本全国、また海外において福島県およびその近傍の県でとれた作物に対して、「放射能がついているから、食べたくないし、買いたくない」というマイナスのイメージがついていたと記憶している。人々の努力のおかげで、ほぼ安全性が保証された今でも、少なからずそのようなイメージは払拭されていないのではないか、と感じる。統計をとったわけではないので、実際日本および海外でどのように考えられているのか正しいことはわからないが、イメージはよくすればするほどいいので、次の2つのことを実行していきたいと思う。
     一つ目が、福島の野菜やお米などを食べた感想などを、SNSに載せることである。今の時代の若者は、多くの人がSNSを利用している。自分の周りでも、InstagramやTwitterなどを利用している人が多い。そのため、福島の作物の安全性をそのようなSNSで積極的に発信していくことで、福島の作物、買ってみようかなと思う人が増えていくのではないか、と考えられる。SNSにおいて、六次の隔たりと呼ばれる仮説がある。どんな人も、友達の友達、というステップを6回繰り返すことで、どんな人にも到達できる、という仮説である。つまり、自分が福島の作物の安全性を発信していくことは、一見あまり影響ないように思えるかもしれないが、六次の隔たりによって、芋づる式に多くの人に発信されるのではないか、と考えられる。特に、多くのいいねが得られたツイートに宣伝として福島の作物に関して言及することで、より多くの人に目に止まると考えられる。
     二つ目は、一つ目とほぼ同じであるが、ブログや新聞などで発信していくことである。若者以外の世代では、SNSが若者の世代と比べて普及してないと考えられる(右図)。そのため、SNSを利用していない人々に発信するためには、他の方法を用いる必要がある。その例としては、インターネットにつなげればだれでもすぐに見ることができるブログが挙げられる。また、インターネットに繋げられない人もいると考えられるため、新聞などで記事を募集していた際に投稿をすることで、多くの人に目にしてもらえると考えられる。
     また、農学部に進学した場合、福島に実際足を運んでどのような状況なのか目にし、自分の知識を用いてどのようなよりよい対策が考えられるか考えることもできる。研究といえば、研究室にこもって理論などを組み立てることを想起しがちであると考えられる。しかし、現場に赴いて実践することも研究の一つだと考えられるので、現場に赴くことも大切である。また、普段から難しいことから目を背けず改善策を考える、ということが大切だと思う。自分は、高校までは「与えられた問題に対して、既に一つに定まっている答えを導き出す」という経験しかしてこず、「与えられた問題に多面的に取り組む」経験が不足していると思うので、難しいことに目を背けず改善策を考える、という習慣づけが必要だと思う。これを習慣づけをすることで、いざ福島県の現場に赴いた時に、多様なアイデアを出して、福島の農業再生に役に立てるではないかと思う。
     以上のように、自分が福島のためにできることは多々あると思うので、それを実行していって、福島の農業再生、いや日本の農業の振興に役立っていきたい。
    <参考文献>

    ・第6回授業スライド・みぞらぼTopics よりhttp://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/essay/20200705shimotsuke.pdf
    http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf
    ・総務省SNSがスマホの中心に
    https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h29/html/nc111130.html

  36. 選んだ記事 「飯館村に通い続けて約8年 土壌物理学者による地域復興」

     今回の溝口教授の講義は非常に明快であり、飯館村の作物や、までい工法の安全性をとてもよく理解できた。震災から9年ほどたった今、除染地域の農業復興について話を聞けたことはとても重要なことであったと考えると同時に、自分の認識の甘さを実感した。講義を聞き、課題について、学び、発信、参加、企画の四方向から考えた。

    学び
     まずは、福島の震災当時から今までの実情について学ぶ必要がある。講義を聞き、専門知識や理論だけでは現地の人にわかってもらえないことがわかった。現地の人が実際にどんな問題に向き合ってきたのか、そして今どんな問題があるのか、ということや、現地の人がどんな暮らしや農業を営んでいるのかを知っておく必要がある。それに加え、農業自体の専門的な知識も必要である。

    発信
     福島の農作物については、まだなんとなく不安意識を持っている人が多いと思う。そこで、多くの人に実情を知ってもらうことが大切だ。今はSNSで簡単に情報を発信することができる。だが、東大生を含め若者の中で、社会問題を取り上げた投稿は意見の押しつけとして捉えられがちである。ここが、SNSを使った情報発信の難しい点だと思う。そこで思いついたのが、東大の授業で知ったことをTwitterで共有する、ということである。Twitterでは「?は危険だ。」「は良い・良くない」といった知識系のツイートが流れていることがあるが、煙たがられてしまうことが多いし、内容に信憑性がないことも多い。しかし東大で習ったこと、となれば確実に信憑性もあり、意見の押しつけとも思われにくくすんなり内容が入ってくる。授業資料を投稿することは禁止されているが、授業で初めて知ったことや感想を、著作権やプライバシー問題に気をつけながら、場合によっては許可を取ったうえで、投稿することは可能である。今回の講義や農学分野の授業で知ったことを発信することで、より多くの人に正しい知識を持ってもらうことができると思う。この方法なら、私を含め多くの東大生が正しい知識を発信し、多くの人に伝えられると思う。

    参加
     机の上で学ぶだけでなく、実際に現地に赴いて学ぶことが大事だと思う。コロナ下の今フィールドワークは難しいが、可能になれば、現地に赴くプログラムへの参加は大きな学びになると思われる。また、遠くへ行けずとも、まずは農業自体に触れてみることが大切だと思う。実際の農業とは規模も大変さも桁違いだが、家庭菜園を行って、害虫や病気を対処する経験を積んでおくことは役に立つかもしれない。
     また、様々な団体が今オンラインでの取り組みを始めている。東大むら塾でも、飯館村について考えるワークショップなどを行っている。こういったオンラインでの活動に積極的に参加することも重要である。

    企画
     講義中にあった、インターネットのインフラの話と、大学のかたちを変えればいいのではという話に非常に興味がわいた。学生が中心となって農村に移り住み、そこにインターネットインフラを整えるといった運動が盛んになれば、農業のICT化を進められるようになり、全体として農村を活性化できるのではないか。自分一人でできることではないが、新しい学びのスタイルとしてとても面白いものだと思った。

  37.  トピックスの中から雑誌コロンブス2019年5月号、「飯舘村に通いつづけて約8年−土壌物理学者による地域復興と農業再生」という記事を読んだ。そこでは飯舘村の農業復興の現状と、今後、飯舘村が挑戦する農業事業について綴られていた。
    まず、農業復興の現状については、2017年に避難指示は解除されたものの、帰村率は15%にとどまっており、数少ない帰村者は高齢者が大半を占めているとあった。このままでは農村の高齢化はどんどん加速してしまい、村の活気は失われてしまう。次にこのような現状を改善するための3つのビジョンが挙げられている。
     1つ目はICT農業の導入である。コンピュータを用いて、安全性を維持しながらも労働の負担を軽くするということは、農家にとってみれば助かるだろうし、また、地域としては、新たな農業スタイルを確立し、その開拓地域として注目を受けることにも繋がると考えられる。2つ目は地域の特産品開発である。例として2018年に完成した純米酒「不死鳥の如く」があり、このような特産品が売れることで、地域全体が活気を取り戻すとともに、全国に向けて、福島産の安心・安全な食物をアピールすることができる。3つ目は子供達への教育である。将来を担う若者たちが、現代まで培われた知識や技術を正しく学習し身につけることで、未来の地域のために課題解決するための力を養うことが期待できる。これらの案を受けて、自分なりのアプローチを考えてみたいと思う。
     ICT農業のように、直接的に農家の手助けとなる、という観点から考えると、ボランティア活動をするということが考えられる。福島に限った話ではないが、最近日本ではますます農家の高齢化が進んでおり、跡継ぎ問題も取り沙汰されている。そこで自らボランティア活動で農家の方々と関わる事で、その方々が、自分たちの職業はまだまだ若者に受け継がれていくのだという期待を持ってもらえれば、仕事に対するモチベーションアップにも繋がるだろう。また、自分にとっても、その体験を周りの人々と共有する事で、福島の農業の良さが色々な人に認識され、自分も含め、福島で農業をしたいと思うような人が出てくれば、それは農業再生につながると思う。
     特産品販売で地域活性化が見込まれる話については、自分は消費者として、福島産の産物を選択的に消費する事が、間接的に農家の支援につながると思う。セシウムによる土壌汚染で、福島の作物は風評被害を受けたとされているが、逆に自分は福島産が一番厳しい検査を受けているはずだから、一番安全であるはずだという認識を持って、食品を選んでいこうと思っている。
     そして、正しい教育が未来の地域振興に繋がるという点について、自分は今回学んだ正しい知識を家族や友人に伝えていくことが、福島の農業再生に結びつくのではないかと思う。もともと福島の農地除染や農業再生のための取り組みの実態を詳しく知らなかった自分にとって、今回学んだ、セシウムの性質や「までい工法」の取り組みなどの話は驚きの連続であった。しかし、このことは現地の人々と我々一般人との間で、事態の認識の差というものが依然として大きいままだという事も意味している。今回得られた新たな知見を様々な人に発信し、福島の現状を正確に知ってもらうことが重要であるのではないかと考える。
     これまではいち大学生の立場としてのアプローチを紹介したが、溝口教授のように、被災地復興に全力を注ぐのであれば話は変わってくると思う。農業の現場に実際に出向き、農家の人々と深くコミュニケーションをとる。そして、様々なニーズに応えるために、科学的、経済的、社会的観点から課題を解決する。そのような行動こそが、農業再生に携わるための手本であるといえるだろう。

  38. 私は「飯舘村に通いつづけて約 年 土壌物理学者による地域復興と農業再生 」という記事を読みました。
     この記事を読んでみて、そして講義を聞いてみて思ったことは、理論上では正しいと思われることで、実際の状況がその理論に一致している場合でもそれを一般の人々に届けるということはとても難しいということです。
     記事の中、及び先生が授業中に触れられていた「までい工法」はその理論をきちんと聞けば私たちにも理解でき、おそらく間違ってはいないのだろうなと思うことができました。しかしそれと同じように実際の被災地の方がその理論を聞いて理解する際にはやはり難しい問題が生じるのだと思います。国が推奨していない方法で汚染処理をしても本当に大丈夫なのか?汚染土壌をそのまま地下に置いておくなどということをしてもその土壌が流出するなどということが起き、大切な地元の地域が二度と使えない土地になってしまうのではないか?これらの疑問を持つことは自分の生まれた場所を大切に思う人なら当然だと思うし、大切に思えば思うほど、より深く疑問の念を持つようになると思います。正直なことを言いますと、自分も講義で初めてこの理論について聞いた時、確かに理論については理解できたし、おそらく安全なのだろうと思いながらも、もしも自分の生まれた場所が実際に被災地だったら、それを実行するのには感情的に受け入れがたいものもあるだろうし、おそらくほとんどの人が自分と同じなのではないのかなと思いました。そのことを踏まえるとやはり記事の中で書いてあった、実際に科学者が現地に何度も赴き、そこで現地の人に真剣さを伝えるということはとても大切なことなのだろうなと思いました。
    私は現在科学と一般の人を近づけるということを目標とした科学系のサークルに入っています。この記事、そして授業を受けてみて私自身ができる福島の農業再生に貢献できることについて思ったことは一般の人々に触れ合う時に少しずつ福島での状況、そしてそこで使われている科学的理論を伝えていくことだと思います。この授業で学んだことなどを少しずつでも伝えていくことを繰り返すことができれば、「までい工法」は安全で何の問題もないことが少しずつ広めることができ、そして福島のことについて興味を持つ人が増えていって、そこでの農地再生のための人手不足問題の解決に貢献できるのではないかと考えました。普段のサークルの活動で触れ合っている人の数は確かに少ないし、一見何の力にもなれないかもしれません。それでも地道にこういう活動を続けていけば、きっと自分と同じことを考える人も増えていき、そのことが福島への意識を高めることにつながると思っています。
     また他にも、記事の中で触れられていたような、福島で作られた特産品を積極的に食べていってみたいなと思いました。そのこと自体が間接的にですが被災地への支援につながると思うし、そういう食品の良さを周りの人に伝えていくことも、いろんな人々の福島への関心を高めることにもきっとつながるだろうなと思いました。これは自分の地元での話なのですが、特にお年寄りの肩の中には、福島での震災以降、安全性が十分にいろいろなところで保証されているにもかかわらず、福島で作られた物は危ないと言って自分からはあまり食べようとはしない人も実際にいました。そういう人達にも、自分が実際に食べてみることを通じて、安全なのだ、何の危険もないのだということを伝えていくことをしていきたいなと思いました。
     色々と書きましたが、やっぱり理論上では安全だとわかっていてもそれを受け入れるようになるには何かのきっかけが必要だと思います。そのきっかけを作っていけるようなことをこれからはしていきたいし、そうすることで、一人の人間として、福島の復興に貢献していきたいと思いました。

     

  39.  私は今回の講義を聴いて、まずは正しい情報を集めること、そしてそれを発信していくことを通じて福島の農業再生に貢献することができるのではないかと思いました。
     今回の講義で取り上げられたこと、また読んだ記事には私が知らない復興の努力が数多く記載されていました。私が知っていたことは政府が除染作業を行なっているということだけでした。政府が大型機械を使って表土を削り取り、大量の黒いフレコンバッグが生じていること、それに対し溝口先生の考案した大型機械を使わずとも効率的で確実な除染方法であるまでい工法や凍土剥ぎ取り法、田車による泥水掃き出し法や泥水強制排水法というものが存在すること、森田茂紀教授が被災地の水田で資源作物を栽培し、バイオマスエネルギー化することを提案したことなど全く知りませんでした。今回の講義を聴いて、政府の行っている除染法より溝口先生の考案した数々の方法の方がいい方法だと思い、また、森田教授の案は面白いと思いました。そしてこれはこのような方法があると知った人のほとんどが同じようなことを考えると思いました。
     しかし、このような情報が全く知れ渡っていないということが現状です。平成27年に発表された総務省のデータによると、ニュースを視聴する際の手段として、ほとんどの年代でテレビやインターネットのニュースサービスを用いている人が多いことがわかります。しかし、あくまで主観ではありますが、このようなメディアに関しては視聴率を優先し、芸能人の不倫報道や動物の映像などを流し、除染方法などを紹介することが少ないものが多いように感じます。つまり、福島の除染作業について興味を持ち、実際に調べてみないとこのような情報が得られないのです。このような状況では、せっかくのいい案が無駄になってしまうことがあり得ます。
     最近では、コロナウイルスが広まり、それに対する政策にSNS上でデモを起こすといったことをよく耳にします。政策などに関する情報はニュースでもよく取り上げられ、興味を持っている人が自ら情報を収集することによってこのような行動が起こるのだと思います。そして、それの影響だとは言い切れませんが、実際に政策が見直されることがあります。つまり、たくさんの人が興味を持てば、ニュースでも取り上げられ、また多くの人に知れ渡り、さらにニュースで取り上げられるという循環ができるのです。そして最終的には政策が見直されることがあり得るのです。福島の農業再生においても、この循環を作り上げることができたとしたら、今まで政府が頑なに変えることを拒んできた除染方法を実際に改善することができるかもしれません。
     今、ニュースで取り上げられるとしても、被災から何年か経ちましたがまだ除染作業が終わっていない、帰ることができない人がたくさんいるという、福島に対してネガティヴなイメージであることばかりです。このままではそのイメージが定着してしまいます。まずは、ネガティヴなイメージをなくし、ポジティブなイメージを持ってもらうことが大事です。福島の復興に対するポジティブなイメージをもたらし、政策改善の循環が出来上がるきっかけとなりうるものは地域の方々を含め、多くの人が尽力し、すでに作り上げてくれています。溝口先生の考案した除染方法であったり、純米酒「不死鳥の如く」であったりと注目を集めることができるものはたくさんあります。今回の講義を聴いて私が貢献するができるのは、上にあげたような情報を集め、それらを発信していき、ポジティブなイメージを持ってもらい、政策改善の循環を作るきっかけを提供することだと思いました。そうすれば、国中もしくは世界中が飯舘村の存在を知り、たくさんの人が復興に興味を持つようになり、協力者が増え、更に農業再生が進んでいくことができると思います。個人でできることに限界があっても、多くの人に協力して貰えば成し遂げられることはたくさんあると思います。私がするべきなのは、多くの人に協力してもらえる体制をつくりあげるための正しい情報の発信だと思いました。

    参考文献
    総務省 (2015)「平成27年版情報通信白書」、https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h27/html/nc122310.html (閲覧日:2020年7月20日)

  40. 東京大学の一員として行うことができる福島の農業再生について

    東京大学の一学生として福島の農業再生に関して実践できる事柄には、二つの取り組みが考えられる。一つ目は、「福島県の農地汚染についての正しい科学的な理解を人々に促し、福島県産農産物の風評被害を撲滅する」ことである。溝口勝先生の福島県飯館村における放射能汚染農地の除染の研究では、農地表面から5cm以内の深さの部分に土壌中の放射性セシウムの90%以上が存在すること、放射性セシウムは粘土表面に付着し移動することはほぼないこと、汚染土埋設法により農家の人々が安全で簡単に除染を行えることなど、農地除染に関する事柄が次々と明らかにされてきた。これらの科学的根拠が示されている一方で、福島の農産物の安全性に懸念を持つ人々も未だに存在する。農林水産省が行った平成29年度福島県産農産物等流通実態調査によると、福島県産米の購入意向に関してのアンケートで「安全性に不安がある」と回答した消費者が18.3%存在した。福島県産農産物に対する人々の安全意識を原発事故以前のレベルにまで引き戻すことなしには、福島の農業再生は実現しないと考えられる。福島県産農産物の安全性を広く人々に認識してもらうために、一学生ができることとして、福島の農地汚染について学生どうしが意見を交換し合い、互いに知識を共有する学生コミュニティーを設けることが考えられる。このコミュニティーで行うことのできる活動として、農地除染や放射性セシウムの挙動などに関する勉強会の開催、研究者や農家の人々を招いた講演会の開催などが考えられる。Web会議ソフトなどを利用すれば、遠隔地の学生とも議論をすることが可能であり、日本全国の学生に福島の農地汚染や農産物の安全性についての正しい認識を共有できる。さらに、このコミュニティーのホームページやTwitter, YouTubeなどのSNSで福島の農地汚染についての正しい知識を公開することによって、これらの学生から一般の人々へと正しい認識が共有され続けることで、福島の農業に対する風評被害が緩和されていくことにつながると考えられる。
     学生が行うことのできる二つ目の取り組みとして、「学生自身が農家の人々と農業を体験することで、現場の農家の視点を得る」ことがある。農地除染に関する研究が進んでいく中で、研究の中で得られた技術を現場の農業へ最大限生かすためには、最終的に農家の人々が自ら農地で除染作業を行う必要があると考えられる。実際、汚染土埋設法など、農家の人々が自身で行うことのできる容易な除染法も編み出されてきた。この農地除染をはじめとした、福島の農業再生のための研究をこれからより発展させていくためには、溝口勝先生のように、学生自らが現場の農地に赴いて農作業を経験するべきだ。なぜなら、理論上、農地除染をできる新技術が研究の中で生み出されたとしても、それが農作業の中で有効に活用できるかどうかは、農業に従事することなしにはわかりえないからである。想定外の課題が見つかることが考えられる。例えば、溝口先生の福島での活動の中で、までい工法を飯舘村の除染課へ説明した際、「国が指定した、大型機械とフレコンバックを用いた除染方法とは異なる方法を今さら導入することはできない」と言われるという出来事があった。除染に有効な方法を最大限活用するには、現場の視点から除染について考え、現場の人々の理解を得ることが何より重要であると考えられる。学生が現場で農作業を体験できる機会として、東大むら塾などの団体が存在する。東大むら塾は飯舘村でのそば栽培を通して、現場の人々と交流を行っている。学生が現場の視点を得るためには絶好の機会であると考えられる。
     以上の2つの取り組みを主として、風評被害を撲滅し、現場の視点に立って福島の農業再生に着手することが、東京大学の一学生として行うことのできる取り組みであると考えられる。

    (参考資料)・東大むら塾| 農業×地域おこしで、むらの未来を変える https://todai-murajuku.com
    ・飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生 www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf
    ・平成29年度福島県産農産物等流通実態調査(報告書概要)
    https://www.maff.go.jp/j/press/shokusan/ryutu/attach/pdf/180328-1.pdf

  41.  東京にいながらにしても私に今すぐにでもできる福島の農業再生については、購買という行為が最も実効性を有する手段だと思われる。例えば日本酒が好きであるから授業で取り上げられた純米酒を手に取ってみよう、などといったことから始め、農業再生の活動を需要という形で下支えすることが出来れば良いと考えた。ただし個人一人の購買力では限度があるので、実際に飲食したものを誰か未だこの活動を認知していない人に勧める、というのが活動の一助になるのではないか、と思った。その為には、勧める際にこの活動のことを深く認知している必要があり、正しい知識や情報を学び、地域の現状を知ろうとする姿勢が非常に重要となる。これからは食品・飲料がどこで作られたのか、どのように作られたのかについてよく考え、そのバックグラウンドにも目を向けていく食生活を送ろう、と思わされた。今までのように単に「農業」や「生産者」という言葉で全てを一緒くたにしない生活が求められている、と考えた。それが授業で取り上げられていた活動のうちの一つである「風評被害の払拭」という部分に当てはまると思われたためである。
    同じ大学で活躍している人達により注目を向けよう、と思うようになった。それは授業の中で取り上げられていた東大むら塾などのように、比較的近接した知り合いなどが発信しているために受信しやすい、また詳しい情報を得やすい媒体から知ろうとする姿勢があればいいと考えたからである。
     そしてそのような環境下にある学生のうちに様々な地域に触れる体験をしてみる必要があると思った。それは特に福島のように災害で襲われたりして自分の未だ知らないような世界が広がっているような場所へ赴くことが知見を深めることになると考えたからである。都会と地方の認識の差があるという前提に基づいて考えた時、東京以外の場所に未だ住んだことのない私にとって地方の人々の暮らしや現状は間接的な情報から想像する以外なく、それでは限界があろうと思われるのである。そういった地域やそこに住む人々が実際には何に困っているのか、そして何が私には出来るのかを考えるにあたっては、やはり実際に行き、現地の人と話をするということが重要だと思うのである。またそれはただ一回訪れただけでは意味がないようにも感じた。地域のためを思って都会の人が動くことには関係性が重要だということを授業でよく理解したためである。
     上記した二点の間接的・直接的な考えは両方とも、人の数や時間の長さなど大きな規模を必要としている。このことから、私に今出来る一番のことは、当該地域についてただ「知る」ことではなく、「知り続けよう」とする姿勢を持つことであると思われる。

    資料:「飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」 URL: http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf
    取得日:2020/07/20


参考:昨年度の講義(質問とコメント)


今年度の講義内容  みぞらぼ
mizo[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp
Update by mizo (2020.7.30)