(2023.1.16) 受講者67名以上(レポート提出者67名)
をつけることもあります。(成績とは無関係です)
2022年12月1日の西原小学校での講演資料とその感想を読んだ。
『「震災から10年:ワクワクする村づくりのための村学連携」飯舘村長インタビュー』を読んだ。この記事の中には、溝口先生や杉岡村長の発言のあらゆるところに、学生や若者ができることのヒントが散りばめられていたように感じたが、その中には、学生時代にできることと、大人になった時に再び思い出したいことの両方が含まれていた。まず、前者に関して最も印象に残ったのは、ドロえもんの本(土ってふしぎ!)の英語版・中国語版の製作の話題で登場した、飯舘村のことや杉岡村長が考えていることを日本国内や海外の人に伝えることの難しさや、「日本の農村文化そのものを海外の人に伝えられるか」といったことだ。大陸から遠く離れた島国で、山や森林、自然災害が多いといった特殊な自然環境と、人々が経験してきた災害と復興の歴史の下で育まれた日本の農村文化は、大陸の中にあって常に隣国からの危機と対峙してきたヨーロッパ諸国やアフリカ諸国、広大な土地を開拓してきた歴史を持つアメリカ大陸の諸国にはないような特徴があり、彼らからは理解しづらい一方で非常に特別な文化である。こうした日本・飯舘村の農村文化の実態・課題や、逆にそこに潜む魅力を海外に発信していくことは、留学や海外研修など海外の学生との交流の機会が与えられている私達自身が率先して行っていけることの一つと考える。
私は溝口研究室のホームページより、「福島から始まる復興農学」の記事を読んだ。福島の地に実際に足を運び、学生らとともに現地調査を行うといった活動は、若い世代への継承という意味も込めて持続的で価値のある活動のように思えるが、では一方で、「私自身ができそうな被災地の農業再生」とは何であろうか、このレポートを通じて考えたい。先生が授業中に紹介してくださった「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉が痛烈に印象に残っている。実際に現地に足を運び、見て、触って、味わうことをしなければ研究は机上の空論になってしまう。この考えは正しい。一方で、現地に足を運ぶことのできる人にしか、農業再生のための支援が行えないのかと聞かれれば、そうではないと思う。農業再生のことを想い、福島へ足を運べる人は限られている。鍵は、現地調査によって得た学びを、どう広く一般に共有するのか、という点ではないか。現地調査の事後活動として溝口研究室のホームページから読み取れることは、研究会での発表、セミナー勉強会などであろうか。(他にあれば教えていただきたいです!)これらは農業や復興支援について関心がある人を対象としているように思える。もっと広く、一般的な消費者層にまで認識を共有することが、復興支援の近道だと思う。そのためには、福島の現状・対策に関する情報を、消費者が直接目にするツールで共有していくことが必要である。具体的にはメディアなどによる報道や小売業者への売り込み等のビジネスだ。土壌の除去作業など、福島の農業再生のために努力が重ねられてきた過程を知れば、福島の農産物について前向きになる人も多いだろう。以上までで述べてきたことは、私がすぐ実行に移せることではない。私にもっと身近な例でいくと、学生がより気軽に現地へ赴き農業に触れることができる機会がもっと多くあれば良いなと思う。東日本大震災を過去のものと捉える人が増える中で、若者が現地に耳を傾ける価値は非常に大きい。
私は「放射能被災地におけるスタディーツアーが参加者の抱く訪問先への愛着に与える影響」「飯館村に通い続けて約8年‐土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス2019.5)」と、「真の復興、飯館村民に学ぶ(下野新聞日曜論壇2)」「他分野の知の結集を(復興農学会)」を読み、被災地の農業再生のために私ができそうなことは、被災地を訪問し、正確な現状をポジティブなイメージも併せて周囲に伝え、自分自身はまず柔軟な知識をつけることだと思った。
私は、「「ドロえもん博士のワクワク教室」ーICTで未来が変わるー」の記事を読みました。今回、大学での講義と同じような内容が、小学生向けに分かりやすく噛み砕かれていたことや、小学生の率直な感想に興味を持ったからです。普段、講義に対する大学生の感想などを読むことは多いですが、小学生の感想を読むことはあまり機会がなく、また、彼らの感想はより本心に迫った率直な感想であることから、得られることが多かったです。
授業内で「不死鳥の如く」というお酒が紹介されていたが、先生のホームページを見たところ「復興」というお酒の記事を見つけた。どのように農産物の安全性をプロモーションするかではなく加工しちゃえという発想が面白いと思った。米であればお酒以外にもお菓子など様々な加工用途があり、米に限らず加工して販売していくという発想は応用が効くものだと思う。他にもICTを利用した農業についての記事などがあったが特に気になったのは2017年9月4日の記事の「うつ病になったSEを農家に預けると、なぜか一年後には元気に」という記事である。農業の人手不足、特に若者の減少による後継者不足は看過できない問題であるだろう。恒常的に従事してくれる人がいなくともインターンのように短期間従事してくれる人を見つけられれば多少は労働力をカバーできる。またそれをきっかけに農業に従事してくれる人が増えれば願ってもないことであろう。この記事のようにストレス社会からの逃避にもなると謳えば興味を持つ人もいるかもしれない。そのため個人での活動には限界があると思うので、東大むら塾のような団体に所属し、都市部に住む人など普段農業とは接点のない人々が農業に接することのできる機会をもうけ、そのプロモーションを草の根的にはなってしまうかもしれないが僕自身ができることではないかと考えた。記事ではSEの方について書かれていたが、農業を通して様々な方が関わる機会を設けることで一つの分野からの視点では思いつかないような革新が生まれる端緒にもなりうると考える。僕一人での貢献度は小さくとも、それが少しずつ広がって人と人の交流を生み、やがては大きな動きになる一石を投じれるようになりたいと思う。
「『復興知学』が最終処分問題を解き核燃料サイクルの担い手を輩出する?」を読んだ。東大が原発事故からの復興事業にさまざまな分野を通じて関わっていることを知るまで、私は原発事故とは「おいそれと触れてはいけないこと」のように考えていた。被害を直接あるいは間接的に受け、苦しんでいる人々がいる中で、福島の事故に触れることは、簡単にしてはならないような気がしていた。事故直後、被害を受けた人々が疲弊し、絶望すらしていた中でそのような配慮をしていたことは、間違っていなかったのではないかと思う。原発事故の議論をしてしまうことが、逆に放射能汚染などの諸問題を明るみに出すことにつながって、それが風評被害や被災者の心的負担につながってしまうのではないかという懸念もあった。しかし、事故後10年以上がたった最近は、原発事故をタブー視し続けることを、もはややめるべきではないかと思い始めている。原発事故では確かに多くの人が傷ついた。しかしそれを理由に原発問題にいつまでも触れずにいることは、今だけではなく、未来の世代をも傷つけることにつながってしまうのではないか。
私ははじめこのレポートのテーマ「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」を聞いた時、果たして一大学生である自分にできることはあるのだろうかと戸惑った。私は九州出身で当時直接的被害を全く受けず、東北には知り合いもいなかったのでどこか遠くの話のように感じつつも、幼いながらテレビで見た津波や原発事故の映像が今も鮮明に記憶に残っており、何か被災した方々の力にはなりたいと思い続けていた。しかし、なかなか今まで機会がなく、現在まで特に自分から行動を起こしてはいなかった。「被災地の農業再生のためにすべきこと」というと直接自分が農業に関わってみないとそもそも何が問題なのか本当の意味では理解できないし、その解決をするにしても実際にコミットしないと根本的には解決できないだろう。また、直接関わらずとも比較的身近な話題である風評被害の問題についても、放射線環境学の講義を受けてもなお、自分自身が正しい知識を持つことはできても根本的な解決をするのは難しいのではないかと思ってしまう。例えば若者が慣れ親しんでいるSNSを活用するとしても、一般の人に理解してもらうには細かい数値の話をせず分かりやすく伝える方がよいように思うが、それでは根拠に乏しかったり、誤解を招いたりしてしまう恐れがあるだろう。また、SNSはそもそもほとんど自分の興味のあるトピックしか見ない人が多いと思うので、本来知ってほしい層にアプローチするにはあまり有効な手段ではないようにも思われる。そして、一度定着してしまったネガティブなブランディングを変えるのはなかなか容易ではないだろう。
「私の土壌物理履歴書」の記事を読んだ。授業中にも紹介されていた溝口教授の遍歴について、きっかけも含めて詳しく記載されたため面白かったが、特に「役人として見た農学と土壌物理」と「今後の土壌物理学の展望 ? 土壌教育」の項において、自分自身ができそうな被災地の農業再生のヒントがあると考えた。
私にできる農業再生、それは一緒に学んでいくことであると考えます。
私は、「震災から10年:ワクワクする村づくりのための村学連携」というインタビュー記事を選択して読んだ。その中で、ある意味無責任でもいいから、モノを言ったり、アイディアを出すことを考えて欲しいという杉岡村長の言葉が、まさに自分ができる被災地の農業再生につながる行動だと考える。その前後で話していた杉岡村長の言葉の通り、被災地を配慮するあまり、深く被災地について学んでからではないと自身の考えや意見を発信しにくいと思っていたが、震災により受けた被災地の被害や、状況などの情報を風化させずに後の世代へと伝えていくためには、被災地に住んでいない自分のような人間が積極的にアイディアや意見を発信していくことが必要だと感じた。その内容が多少非現実的であったり、的外れなものであったとしても、情報の発信という行動自体が、震災についての記憶があまりない世代の人々の震災への興味を掻き立て、被災地への関心を持ってもらうきっかけとなり、結果的に被災地の農業再生につながるのだと考える。
大前提として、被災地の農業再生には、若い力が必要である。全国的に高齢化が進み若い農家が減っている中で、原発事故の被害に遭い未だ帰村率15%でほとんどが高齢者という農村・飯舘村に若者が来る可能性というのは、ランダムに言えばほとんどないだろう。しかしかつての時代を創りつなげてきたという土地愛を持った高齢者だけでの復興は、先細りで体力も将来性もない。あくまで、次の時代を創り継承していく気のある若者がいなければならない。お薦めの記事