放射線環境学/放射線環境科学2024
レジリエンスと地域の復興
担当:
溝口勝
(2025.1.6) 受講者90名 (2025.1.8) 受講者18名
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講義資料
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復興とは何か、 講義終了直後の15分内にあなたの考えを述べよ
私にとって復興は、単なる修復作業ではなく、社会全体の意識や力を結集し、未来に向けての再生を意味する。復興の本質は、過去の状態に戻すことではなく、それを超えて新しい価値を生み出すことにあると思った
社会を回復させ、災害前よりも持続的な社会を作ることだと思う。
災害の直後に、被害を最小限に抑える緊急対策や基本的サービス・インフラを修復する「復旧」が終わった後に、災害への備えやインフラを強化した上で、地域に新しい産業やコミュニティを作り上げることが復興であると考える。 実践方法として、産業創出として飯館でホップを育て、実際にRe:craftの商品化が実現した。 大学の役割は正直わからない。このプロジェクトが東大農学部で生まれたことは確かなので、さまざまな事例が生まれればいいと思う。
一般的に復興と聞くと災害や危機などが起きる以前の状態に戻すことをイメージするが、今回の講義を通して、元の状態に戻すことではなく、一度受けたマイナスから上昇する過程で新たな技術や最新の知見を活かして、これまでよりも良いものを作っていくことなのではないかと考えた。良い面でも悪い面でも注目を集めること自体には成功しているが、現状復旧を行なっても人口が戻らない例は数多存在しているため、復興が行われるためには、元いた人たちのみではなく、新たな人が来たいと思えるそれまでは存在していなかった魅力を作りつつ回復していくことなのではないかと考えた。そのためには、最新の研究やそこから得られた知見を生かすことが重要であると感じるが、復興には多額の国費が投入されることと政府自治体が主導となって行われることにより、先例主義的な進行が行われやすくなるため、そこが限界であると感じた。しかし、今回は無理であってもいつか来るかもしれない次の事態を防ぐことにも、また起きてしまった場合の効果的な対処にもつながると考え、それが大学と研究の役割なのではないかと考えた。
復興とは、復旧のみにとどまらず、より持続的な社会の再建を行うことであり、単なるインフラの再建ではなく、人々の生活、経済、コミュニティ、精神的なつながりを包括的に再生し、新たな未来を築くプロセスであると考える。レジリエンスの話にあったように、新しいコミュニティに属する人間が、夢や希望を持つことができるようにしなければならない。そのために、新しい産業・ライフスタイルを取り入れた持続可能な地域社会の構築が求められる。科学的知見だけでは住民の不安や地域コミュニティの再建を完全に解決することはできなかったことから、復興には技術的解決だけでなく、人々の感情や価値観を尊重したアプローチが必要であり、研究結果を現場の状況に適応させる柔軟性が求められると感じた。飯舘村では再生可能エネルギーの導入や先進的な農業技術の実験などの実験場として、我々大学も復興の一役を担うことができると考える。
完全に以前と同じ生活環境に戻ることではなく、以前と異なる生活であっても、人々がその地域、その環境下で幸福に過ごすことができるようにすること。 復興の過程は非常に複雑なもので、研究するべきことが、放射線の影響によりできない状況にあることも多々ある。それらをこれからはどんどん最新技術やAIを用いて検証していくことになっていくと考えられる。大学の役割としては、再びこのような災害があった場合の備えや、怒らないための対策としての情報伝達の役割が大きいと考えられる。実際に足をはこんで、自分の感覚で地域のことを学んでいくことも大切である。また、日本だけでなく、世界全体に向けても情報を伝達していく必要があると考えられる。
研究の限界は、科学的に正しいことを証明したとして(例えば、放射線量が一定の基準を下回り、大きな害がないとされた)、それが社会にそのまま受け入れられるとは限らないということである。放射線のような健康に直接関係する問題では特に、そういう科学と社会のミスコミュニケーションが発生しやすいので、科学と社会を結びつけるようなアクターあるいは機会が設定されるべきであると思う。大学の役割とは、学術的に権威ある存在として研究成果を出していく一方で、市民に近いところで、例えば、市民に広く開放する講義を開催するなどして、科学的知というものを独占せずに広く示すことによって市民の学を高め、科学と社会の間に聳え立つ壁というものを低くしていくという役割があるのではないかと思う。それが、復興の際の知識伝播においても大きな役割を果たすのではないかと思う。
福島原発における復興について、今までの授業では多くが放射性物質に着目した授業であり、僕も放射性物質を取り除けば良いのであろうと考えていた。 しかし、今日の授業を受け放射性物質を取り除くのは前提であり、その上で人口を増やしたり、他の地域の人々から寄せられる偏見を払拭したりすることが重要であると実感した。 大学では技術っぽいことや理論などを多くの授業で学ぶが、やはり実生活への応用まで学べるようになったらいいなと思う。
悪いことが起こった後に再び幸福になったり成功したりするのを後押しする長期的なプロセスのこと。
復興は復旧以上に大変で時間がかかるものであり、一時的な回復ではなく持続的に社会を再建させることである。研究の限界としては何をもって復興と呼べるのかが曖昧な所が難しいと考えた。どう実践するかについては、現地の人の意見を取り入れながら、被災者の心の安定を考慮して復興に取り組んでいくべきであると考えた。大学の役割としては、復興の活動に興味がある大学生を積極的に復興活動に参加させることで、経験を積ませ、人材不足を解消させるといった役割があると考えた。
定義として述べるならば、震災以前の状態を取り戻すことだと考える。 その上で、大学は以前の状態を取り戻すための研究という役割が与えられるが、研究室だけで復興のための何かを成し遂げようと思っても限界がある。だからこそ、復興に向けては基礎学やデータに基づきながらも現場を重視する必要があるといえる。
放射線汚染への対処として除染作業をし、安全性を確保するだけでなく、被災前と同レベルの生活や活気を取り戻すことが復興だと思う。
その土地の環境と人々のコミュニティ、そして経済を災害が起きる前の状態に戻すこと。
復興とはある災害が起こったときにその被害を修復し元の状態に戻すことだと一般的には考えられている。しかし、元の状態に戻すことは不可能であり、私の意見では復興とはなにかしら変化しながらも持続可能な状態にすることだと考える。災害の爪痕がなにかしらの形で残ることにはなるが、それをマイナスと捉えるのではなく新たな機会とプラスに捉えて動くことが重要であり、その中で大学の教授などによる研究が必要であると考える。 新たな足がかりとしての役割は研究が持つが、それを時間的空間的に広げていく役割までもつことは厳しく、それらが行政の役割になると考える。
復興は、復旧とは違い、再び災害が起きないような社会基盤を構築することである。そのため、それを実践するには復旧と比較すると長い年月を必要とする。単にインフラを元に戻すだけではなくて、インフラが壊れにくい、あるいは壊れてもすぐに戻すことができるように再整備するのが復興だからだ。その中で大学の役割は、インフラ構築に関する知識を民間や政府に提供することだろう。最新の研究に基づく復興を行うことで、構築された社会基盤はより持続可能で強固なものになるからだ。
自然災害などの被害を受けた地域において、被災の影響から地域機能を回復させるだけでなく、次代の地域を盛り上げるために既存住民と新規住民が共に行動して地域経済を興していくこと。大学研究の知見は過去の災害復興から得られた地域再生への道標を示すことをはじめとして、最新の農業・インフラ技術の提供など多様な点で活かされるが、実際の被災地の状況は個別具体的であるため、その地域の風土と地域住民にとっての価値最大化を目指さなければならない。実際には理論通りではなく現場に根ざした対応が求められるが、大学は各領域の専門的知見を活かして地域の未来ビジョンを描くためのサポートをすることが可能である。
研究とは深く考え調べ明らかにすることでありますが、こと復興においては研究室にてできることには限界があるでしょう。復興とは被災した地域社会が元の状態に復旧し更に盛り上がり栄えていくことでありますからその社会の人々なしでは成立しないものだと思います。研究者はその地域社会に実際に関わってこそ有意義な研究をすることができると考えています。大学及び研究者は地域の復興のため、正しい科学知識、詳細なデータやそれを解析するための施設などを提供し貢献することができるでしょう。
私にとっての復興とは、地域の人がより安心して暮らせる場所を再建することだと考える。震災という心に大きな傷を負った人々が将来も希望を持って生きられるよう、これからのその地域で暮らしたいと思えるような場所を作っていく必要がある。この考え方で行くと、部外者の研究者が地域の人々にとって必要なことを見極めるということには、研究の限界が見られると思う。その地域に実際に住んで、そして震災を経験したことで初めてわかることがたくさんある。そのため、研究者は地域の人々との連携を密に取り、本当に人々が必要としていることを汲み取って研究に生かしていくことが必要である。大学の役割とは、地域では処理することのできない、高度で大規模な調査を自治体などと連携して行なっていくことであると考える。この際に先ほど述べたような研究者の立場を踏まえることで、社会に貢献する立場へとなり得るのではないだろうか。
復興とは被災地から危険を取り除き、そこに住む人々が元の安全な暮らしができるように戻すことであると考える。研究により汚染された土壌を処理する方法やその土地の安全性を示す方法を編み出せても被災地に暮らす人々にそれが伝わらないといけない。そのためにそういった研究内容を大学の講義で教えたり大学のプロジェクトとしてそうしたことを広める活動をすることが効果的なのではないかと考える。
今まで復興とは、震災前と同じように暮らせるようになることだと思っていたが、今日の講義を聞いて、震災前に「戻る」というよりは、震災を経て「新しく」まちを作っていくという方が近いのではないかと思った。そのためには、たとえば放射性物質により汚染された土壌を除染することなど研究や技術の確立が必要になる。現場を目にして研究の第一線にいる人が、若い世代に復興農学とは何かや、その必要性、今行われている研究について伝えていくことで技術を常により良いものにしていく。これは大学の役割の一つだと言える。しかしそれだけでは十分ではなくやはり農家の方が意欲を回復し、農地の再生への取り組みに協力してもらうことが必要だと思う。これはある意味、研究者だけではどうにもならない「研究の限界」であると思う。
復興とは、主にインフラやサービスを緊急で修復する復旧とは明確に区別するものであり、その土地の社会や経済の再構築および再度の災害や事故などへの対策を行うことで、持続的な地域社会の復活を目指すこと。
困難なことや悪いことが起こった後でも、再び幸福になったり、成功したりする能力。夢を実現するんだという前向きな気持ちを持ち直すことが大切となる。
私自身はよい機会に恵まれており、今現在、能登半島地震後に継続的に能登町に足を運ばせていただいている。その中で強く感じたことを軸に考えをのべる。まず初めに、研究の限界についてである。もっとも感じさせられるのは、滞在時間の限定に伴う活動量の限界である。どう実践するかという問いとも密接に関係することであるが、何かをするにつけても現地の協力者探しが必要不可欠であろうと感じる。遠隔地との往復には限界があり、該当地域で腰を据えて研究できる環境が必要不可欠ではないか。また、研究が実用的なものでは必ずしもない反面で、その研究の実現には現地の協力者の力が必要不可欠であるという自らの提供できるものと相手から提供されるものの非対称性にも留意しなければならないともいえる。私が大学の役割として期待するのは、時間はあり、様々にユニークな経験を欲していると考えられる学生に対して大学という枠組みが当該地域との橋渡しや、継続的な活動に対する直接的・間接的な金銭的支援を行うことである。無論研究機関として学術的研究を恵三的に行うことも重要であると考えている。
インフラ等共同体機能の修復と構成員の心理的な回復を完遂した上で、さらに構成員が前向きに生きていけるよう、研究による科学的根拠を備えた技術整備、支援を伴いつつより強固で自律的な共同体を構築していくこと。
地域がもとのような活動を行えるようになること。災害の影響がなければ行われたであろう規模感までの活動をおこなえること。
復興とは、より強化されたインフラの構築や未来の災害時への備えの強化など、より持続的な社会の再建を指す。災害が起こった際に、復興に向けた現地へ行き研究を行うことは、安全性などの問題から難しい。災害にあった町や村と大学が協力することにより、学問による復興支援が可能となる。農学だけでなく、情報などさまざまな分野の研究を生かして復興を進める。たとえば、Wifiなどのいインターネット環境の整備や、地域のブランド品作りなどを、町村と協力して進める。また、大学における現場教育などを行う。大学は、学問による復興支援だけでなく、次世代への教育を行い、活動をつないでいく役割も果たしている。
私は復興とは被災した地域の人々を幸せにする事だと考え、復興するためには研究による正しい知識を得てそれを人々に伝え風評被害をなくしていく必要があると考える。大学は正しい知識を伝達する機関として復興を手助けしていく役割があると思う。
復興に関する研究の限界は確かに存在すると考えられる。半減期を考えると、実際の状況を再現して実験しようとすると何十年もの時間がかかると考えられる。そのため、復興は、研究を続けながら、その時点で最も有効と考えられる手段を取っていく必要がある。大学は権威を持つ存在であるから、その復興の方針を補強し、後押しする存在として活動するべきであると考えられる。現地の住民と政府の間に入る存在としても活動していくべきである。
復興とは物理的にも精神的にも災害前の状態に復活することだと思う 研究の限界:物理的な回復はできても精神面の回復ができない。研究によってできることは土壌の成分を調べていかに除染するかを考えるといった物理的に環境を改善することだと思う。一方で復興とは住民の活力や希望の復活も含まれるため、それは研究によって行うことは難しい。 どう実践するか:実際に現地に赴き活動する。東京で復興について学んでいても、それは机上の空論でしかない。具体的に何をするのかは確かに大切だが、現地に行ったからこそ感じるものがあるはずで、そこから策を考えれば良いと思う。 大学の役割:課外活動を通じた復興支援の周知やイベントの開催。私がよく関わる大学生は授業は成績のため、普段は課外活動に勤しむという人が多く感じる。よって授業での周知は効果が薄いと思う。一方、私は応援部に所属しており、日本酒「不死鳥の如く」や飯舘村での応援活動を通して復興について興味を持った。このように大学から学内団体に復興につながる働きかけをするのが良いと思う。
復興とは単にインフラを復旧するだけにとどまらず、風評被害を乗り越えて、被災地域の住民が持続可能な社会を再建できた状態を指すと考える。そのため、大学での研究には限界があり、被災地での実証実験や、ブランド農産品の開発など、地元と一体となった現場における取り組みが必要である。大学は最先端の知識や研究を行っていること、20代前半の若い人材が揃っていること、民間企業と比べて利益ばかりを追求しない大胆な取り組みができることが強みだと考える。
復興とは、災害等によって損なわれてしまったシステムや、生きる上で必要なものを元の状態に戻した上で、さらに災害を通じて見えてきたその土地のポテンシャルを引き出すような、持続的な成長につながる行動を指すと思います。今までは、復興といえば、損なわれてしまったマイナスの分を0に戻す取り組みと言うイメージでしたが、この授業を聞いて、0に戻しつつ、さらにプラスも産んでいくような、より未来を見据えた明るい響きの印象を感じました。
復興とは、単に元の状態に戻るだけでなく、再び同じ状況になるのを防いだり、再び同じ状況に直面したときの対処能力が上がった状態になることだと思います。そのときに、大学の研究などと協力すると、地域の人だけでは思いつかなかったアイデアや最新の技術などが導入されて、地域がパワーアップするのでとてもいいことだと感じました。 研究者側の立場としては、研究の名目で復興に協力すると、研究費用を使うことができて良い反面、単なる興味だけでなく社会にどう役立つかどう他の場面に応用できるかもしっかり考えて、意味のある研究内容にしなければいけないため、なんでもかんでもできるわけではなさそうだと思いました。
私は、被災者の方々が前向きに生きていくための精神的な活力を得ること、そして物理的(金銭的、社会的)に余裕を得ることの両方が達成されることをもって復興したと言える、と考える。 研究ではこれらを支援することができても直接解決することはできない。 例えば放射線量を測定して安全であることを示すことはできても、それで必ずしも人々が安心できるかと言えばそうではない。 重要なのはやはり人と人とのつながりであると考える。先生の講義では、常に現地での経験やその時の感情がこもった話が聞けたため、私もある種の当事者意識を持って話を聞き、普段の講義より感情移入することができた。 大学は、研究を行う場としての役割を果たすべきなのは当然のことながら、ただの研究機関よりも比較的自由な身である学生を多く抱えているという観点から、被災した現地の方々と学生とのつながりを提供する場であるべきだと考える。 学生が実体験を伴った学びを得ることで、被災者の方々に近い目線での研究を行えるようになり、その学びから得た研究結果を被災地へと還元することができる。 この学び、還元の過程でより深いコミュニケーションを取り、暖かみのある研究を行うことができる、というのが大学の強みであり大学の行うべきことではないだろうか。
授業で述べられた定義では復旧の後に行われるもので、インフラが整った後の街を再び活性化させていく行為である。 ICTを使った情報技術による農場のモニタリングや特産品の生産、外部の人に向けた体験ツアーなどを行うような、基盤となる産業を確立し人々の交流を促進することが復興において重要だと思いました。
復興とは、被災地が被災前と同じ状態に戻ることではなく、被災地が被災後にも関わらずそれを感じさせないぐらい活気ある街へと回復することで、そのためにはレジリエンスが重要となってくる。農村の視点に立って、農村と都市をつなぐことが重要である。大学は、そのレジリエンスを最大限高めるべく現地に足繁く通うことが大事である。
研究によって得られる知見というのは、復興の一助にはなるものの以前までの様式にまで被害を受けたものを持ち直す(つまりプラスマイナス0)ための物になれないことが多い。そうしたときにどのようにして復興を考えていくかは、その土地に根付く文化的背景もくみ取る必要があるように思える。ここで求められる大学の役割がまさにその文化的背景の汲み取りであるように思える。というのも様々な企業体が復興と称して被災地を経済的に活発にすることは可能であるが、あくまでそれは自社利益追求の数字を追いかけたものになってしまう可能性がある。ここで大学がある種ボランティア的に文化的背景への知見を深める研究をすることで、その研究を参考に企業体が様々な計画を練ることで、物理的にも、文化的にも、被災地が回復、そして発展していくことができると思われる。
住民が、災害前と変わらない幸福さでその場所に住むことができるようになること。
たとえば、放射線セシウムは粘土の穴にしっかりはまるなどの研究結果は非常に興味深い。そのため凍土を削るなど、土の表面を削るという解決策が生まれ、放射線セシウムを減らすことができる。しかし、それでは土の栄養分までも奪ってしまい、その解決策は無い。これが研究の限界なのでは無いかと思う。除染後の村はもちろん肥沃度が落ちてしまうが、そこから農家のやる気をどう維持するかや、村全体で復興の機運を高めていくことが重要だと考えた。そで、レジリエンスの考えが重要になると思った。また、若者の参入を増やすことも重要である。そこで、大学は、研究をすることに加え、未来ある若者が農家や農地のそのような現状を知ることができるという点に大きな意義があると思う。そのため、積極的に若者が現地へ出向き、高齢者などと交流していく機会を増やすべきだと考える。
私は復興とは人々が事故以前に暮らしていた通りの生活がもう一度行えるようになるまで環境が回復することだと考える。そのために現在まで表土を剥ぎ取ったり泥水にして除去するといった様々な除染の方法が考えられてきた。研究はこのような復興のための方法が正しく効果のあるものであるということを示すためのものであったり、現在は使われていない新たな方法を見つけるためのものであると考えられる。このような研究を大学で行うことで幅広い分野の専門家が話し合うことができるようになり、復興に向けたより効率の良い取り組みが見つかるということが期待できる。また被災地の状況はその現場に行かないとわからないものであるため大学内で研究を完結させるのではなく実際に現地に足を運び地元の方と対話し復興を目指していくことが必要であると考えられる。
復興とは、災害が起きた場所や被災した人々が、元の環境の状態や、生活の状態を再び取り戻すことだと思います。復興には被災者や災害の研究者だけでなく、ボランティアや募金活動によって、被災地から遠く離れたところに住む人でも復興に向けて協力できると思います。
人が住む新たな街を作ること。
インフラや経済が再建されるだけではなく、住民間の社会的な繋がりが再構築されること
復興は、緊急の対応である復旧段階の後に行われるより持続的な社会の再建を意味する。つまり教育、雇用、住宅、経済活動の復活などが含まれるため、研究段階では復興に利用可能な知見を得ることや考察は可能であるものの、実際の社会でどのようにはたらくかは完全に予想することは難しいという点で限界があると思われる。 大学は、研究段階でより大規模かつ現実に近い条件の実験を行うなどして、実用に足る知見を提供することが必要であると思われる。また、経済学や社会学等の文系学問と、土壌環境学等の理系学問の連携を密接に行なっていくことも重要であると考える。
復興とは、一度崩れてしまった社会を元の姿に戻すことだけでなく、前向きによりよい社会を目指していく姿勢のことであると考える。大学の研究により、復興に役立つ技術や仕組みを考えることは重要だが、それを実践するには、復興する地域の地元の人とコミュニケーションをとり、話し合ってすすめていくことが重要だと思う。外部から来た人が復興を助けますと言っても、地元の人は、元からその地域に住んでいたわけでもないのに何を知っているのかと反感を持つ人もいるかもしれないため、本当にその地域のためになるように地元の人々のことを考えて実践していくことが大切である。
復興とは、なんらかの形で一度崩壊、損傷したコミュニティーが元の形とは異なる新しい形で再建され、コミュニティーのメンバーが誰一人として取り残されておらず、コミュニティーを崩壊に追いやった出来事の直前までの生活と同程度、もしくはそれ以上の幸福を感じることのできる状態にしていくことと私は考えるが、復興は現場にいた人々の価値観や考え方によって左右されるものであるため、そのような出来事を経験していない研究者のよる復興のための研究が、もしかすると、現場の人々にとっては好ましくない、不幸せを感じるようなものになり得てしまう。その点で復興の研究には限度があると考える。実戦に関してはここまでで書いたようにその出来事を経験した現場の人々中心に、その人たちとの連携をしながら専門家の人々がサポートしていくという形で行なっていくのがよいと思う。ここまでの議論を受けて、復興のための大学の役割を考えると、少しでも多くの現場の声を学生に共有し、そのような凄惨な出来事を経験した人々の価値観や考え方を少しでも学生に持たせることが大学の一つの役割といえるのではないかと考えた。
研究の限界としては、どうしても放出してしまった放射性物質は回収したり、除染しないとどうしようもならないということだと思います。ただその除染法を効率よくしたりすることは研究でできる部分なので、そこは研究で強めていくことができる部分なのかなと思いました。また、復興の要素のうちの一つとして、新しいコミュニティつくりなどの回復力がありますが、それは研究だけでなく、社会的な働きかけが必要になるなと思いました。研究によって開発した除染方法で科学的な安全性を確保し、その安全性をメディアや地域的な活動を通して、住民に伝えることで、新しくコミュニティを作る回復が円滑に進むのではないかなと思いました。研究で得た技術で除染をするだけでなく、新たなコミュニティ作りが円滑に進み、回復していくようにするまでが復興だと思いました。復興における大学の役割としては、やはり研究の分野を掘り深めることじゃないかなと思います。大学の強みは、会社などのように利益につながらないような研究も行うことができることにあると思います。利益がでないため、会社等がなかなか投資できないような研究に力をいれて、あらたな除染方法などを開発し、貢献することが大学の役割なのかなと思いました。
復興とは、災害からの復旧の後に行われる、未来を見据えたより持続的な社会再建のことである。学術的な具体的再建策のみを行っても、地元の住民が持続的な社会だと感じられなければ再建できたとは言えないため、復興事業者と地元住民の深い関わりのもと一体となって復興を実践する必要がある。復興における大学の役割は、学術研究に基づく効果ある復興策を行い住民に安心感を与えるだけでなく、学問を行う場として、学生が関われるような企画を作り復興を知る機会を与えるような役割をも持つと考える。
復興とは、災害によってもたらされた被害を回復し、災害以前の生活を送れるよう街を興すことはもちろん、被害地域に対する風評被害を回復することだと考える。研究は安全性を示すことができるが、それによって市民が安全だと感じるかは別問題である。研究者は現地に赴き実験をして安全性を数値で示し、大学が情報系の研究者もしくはメディアと協力して、研究結果が市民の安心に繋がるよう試行錯誤することが最善なのではないかと考えた。
復興とは、災害によって元の形を失った建物や土地などを災害前に戻すだけでなく、その後も農地再生や農民のやる気の維持など、再び成功や幸福をつかめるように尽力すること、マイナスをゼロに戻すだけでなく、そこからプラスに変えていくことだと考える。 研究室の中で実験をしてそこで得られた数値をもとに施策をしようとしても、現地に住んでいた人々の中には実際に自分の目で見ないと納得できない人や、見てもなお信じきれない人もいて、研究室で実験をしている人にとってはいいと思った案でも現地の人に受け入れられずスムーズに実行ができない場合もある。復興は現地の人たちの声を優先して行われる必要があると思うので、研究者が実際に現地に行って実演して見せたり講演を行ったり現地の人たちに受け入れてもらえるように最大限努力し、現地の人たちと施策をする人が一丸となって復興をする必要があると考える。大学はそれが実現できるように尽力することがその役割だと考える。
その土地や住民を形だけでなく心まで含めて前向きにさせること。
復興とは、被害を受けて変貌した社会を以前の状態に戻すことだと思う。行政の支援も大事だが、結局のところ社会は人々の繋がりで構成されているので、インフラの修復とかよりも人々が再び立ち直って前を向いて生活できるのか、ということが大切なのだろう。その点で、フレッシュな大学生が現地を訪れて交流するといった活動が彼らに活力を与えるように、人々に関わって問題点を聞き出し、共に解決していくことで復興を実現していくのがよいのではないか。研究は地域住民の反発を買うことも多いが、そこは人的交流と、大学が前面に立って研究を促進していくことが重要だと考える。
一度社会的、経済的価値が落ち込んだ地域が、ある事業を通してその地域に社会的、経済的価値を新しく付加することだと私は考えます。
復興とは住民が安心して生活できる状態に戻し、かつ長い目で見て再び災害が起きてしまった時に被害を最小限にするためのものだと考えた。災害が起きればこれまで他の地域の同じ災害でも起きなかった事象が起こる可能性もあり、地域ごとに適した判断が必要となるので、最新の技術なども用いて被害の状況を見える化する。大学はそのような技術面での支援から復興を支えることができる。
復興とは、被災してしまった地域の現状を研究によって明らかにし、その地域が再び幸せな日常を過ごすことができるように状況を回復させていくことである。研究は、被災地域の人々だけでは成し得ないことが多いため、実績のある大学と協力して効果的に回復させることが重要である。研究は数値しか表してくれないため、研究するだけで復興に直接的につながることはない。そのため、得られたデータから何がわかり、何に活用することができるのかをよく考え、実際に現地に足を運ぶことによって被災地のことを身近に感じる体験が必要である。それをして初めて、実際に復興に取り組んでいるということができる。
復興は個人が明日楽しみであると感じられる状態の実現だと考える。共同体の復活は理想ではあるかもしれないが困難であり、個人が将来を楽しみだと考える中で仲の良かった人が集まれば良いと考える。 その実現のためには将来像を描くことが必要であり、そこで大学が貢献できると思う。想像することが困難な将来を論理や科学的知見によって予見することが有効である。ただそうした知見が机上の空論にならないためには実践により先例を作ることが必要であり、大学という組織はそのためには動かないのが通例である。先行例を作るために、余暇時間の多い学生が実践のための組織を学外に作ることは可能であると思う。地域の人との協力がどこまでできるのかは分からないが、ある程度の知識を学内で得た学生が先行例を作り、のちに地域の人がそれに対して希望を持つことで復興は達成されると考える。 復興が共同体の復活というよりむしろ個人が楽しみだと感じることだとすれば、共同体のつながりが薄い学生でも貢献しうると感じた。
災害の被害にあった人々が、希望を持って生活できるようになることだと思う。 被害の規模や、被害を受けた地域の社会構造によって復興のプロセスはさまざまなので、研究結果をもとにした、一見普遍的と思われるアプローチが必ずしもマッチするとは限らない。現場で何が起こっているのか、何が求められているのかに基づいて、住民の意見も取り入れながら復興を目指すことが重要だと考える。大学の役割としては、現場に行って実地調査を行ったり住民との対話から問題の解決に取り組んだりすることがあると思う。
地域が災害が起きる以前よりも住みやすい地域となること。被害からの回復に加えて、復旧活動を通して地域協力の充実が進みコミュニティや社会がより良いものとなること。それにおいて大学ができることとしては、研究をはじめとする具体的な復興に向けたアプローチの提示、それに加えて行政と現場、地域社会を結びつけて復興のために多くの関係者を巻き込む体制を作ることが大切と考えられる。
復興とは、精神的にも環境的にも、以前のように前を向いていけるようになることだと思う。そのためには、現場と密に連携をとることが必要だと考える。研究をそれのみでずっと続けていたとしても、その解決策が地元の人に受け入れられるかもわからない。地元の人が受け入れて、その研究成果をもとにポジティブに考えることができるようにならない。真の意味では、復興とは言うことができない。真の意味で復興を目指すためには、地元の人に受け入れられるような研究を正しい方向にしていかなければいけない。農家や住人の方としっかりコミュニケーションをとり、方向を見定めたうえで大学や研究機関で研究し、解決策を提案していくことが重要である。
復興に関して、研究で分かったことを活かせたら良いが、そうはいかない場面も沢山あるだろうなと思った。実際にやってみたら想定と違ったり、またもちろん技術や知識があってこそのことではあるが、物と向き合うだけでは復興にならず、その地域の人々を主体とした多くの人とどう関わるか、そこで暮らしてきた人だから抱える気持ちなどとの向き合って、研究内容を実践することがものすごく大切だと感じた。 飯舘村の話と溝口先生の村との関わり方を聞いて、こんな風に大学と地域がともに飯舘のことを考えて一緒に活動できるのは素敵だなと思った。大学というあくまでも公の機関が、震災復興の域を超えて、村自体の活性化、豊かさを、楽しみながら求めていけるのはかなり復興の理想の形なのではないかと思う。飯舘村以外の地域でこのような例があるのか気になった。
復興とはより持続的な社会の再建が行われることであると考える。そのために、研究が重要な役割を果たすことに疑いの余地はない。例えば、原発事故における汚染では放射性セシウムは土壌の表面にほとんどが分布していることが研究によって明らかになり、それによって表土の削り取りや汚染土を埋めたりといった復興への方針が立てられた。しかし、そのような実際の作業を行うのは現場で働いている人々であり、研究結果だけがあっても何も起こらない。よって、そのような研究と現場での作業が一体となり、技術が実践されていくことが最も重要であると考える。また、その際に培われた技術は未来における災害への備えとなると思う。 大学は、研究機関であるから復興に際して役立つ研究をおこうなうことも重要な役割であると思うが、さらに復興への道のりを学生に伝え、興味を持たせることも重要であると考える。
被災地の社会的、経済的な回復という点はやはり第一に挙げられます。レジリエンスの話もありましたが、それまでに負ってしまった被害を埋め合わせていけるような、魅力の向上、自治体としての力の向上を成し遂げていくことが復興に繋がっていくことだと考えます。
復旧と復興は違うという点いうお話に多くの意味が込められていると感じた。多くの授業や読み物で復旧の難しさについて学んだ。破壊されたり汚染されたりしたインフラや農地を修復することも、非常に大変であり、特に放射線に汚染されたものを完全に修復することは非常に困難である。しかし、復興はそれ以上に地域の活性化や住民の文化的な暮らしを取り戻すことなどが挙げられ、より抽象的であり被災地以外の地域の人々も含めた問題であると感じた。研究が役立つ範囲は復興というよりフッキュであると思う。セシウムの量をどう減らすかどうやれば放射線量の少ない作物を作るかなどの復旧に関して、研究は大いにその長所を発揮するがよりコアな部分へのアプローチはむずしいと感じた。その中で、大学の役割は、被災地域に対する風評被害を防ぐための正しい知識の発信は言わずもがな研究を生かした現地での地域貢献であり、被災地域も復旧以上にその雇用や地位活性の機会を望んでいると思う。実際に新たな農地や特産品の共同開発などが私が思いついたことであるが、より長く地域とせっし長期的に活動うしていくことが大切なのではと講義を聞いて感じた。
復旧が最低限の機能を回復することであるのに対し、復興はその後の社会や経済を回復し、人々の幸福を取り戻すことである。したがって、大学において研究するだけでは不十分で、実際に現地に行って問題点や改善点を把握する必要がある。大学の役割としては、現地住民の抱える問題に対して知識を提供して解決の手助けをすることが考えられる。
災害の被害にあった人々が、希望を持って生活できるようになることだと思う。 被害の規模や、被害を受けた地域の社会構造によって復興のプロセスはさまざまなので、研究結果をもとにした普遍的と思われるアプローチが必ずしも当てはまるとは限らない。現場で何が起こっているのか、何が求められているのかに基づいて、住民の意見も取り入れながら復興を目指すことが重要だと考える。大学の役割としては、現場に行って実地調査を行ったり住民との対話から問題の解決に取り組んだりすることが挙げられる。
研究は、問題の原因は何で、今どのようなことがおこっていて、その解決のためにはどのような策を取ることが効果的かということを示すことができる点で、復興において大きな役割を果たしているように思う。ただし、研究さえあれば復興は成し遂げられるというわけでもない。研究を用いて「復旧」をすることができたうえで、以前と同じようなその街の活気をとりもどすことが「復興」であると考える。復興というのは実際のその土地、そしてそこに住む人々との関わりあいの中で成立している。だからこそ研究とそこに住む人々をつなぐ役割が重要で、それを大学が果たせるのではないか。研究で言えることが現場で通用するとも限らない。それぞれは独立したものではなく、ともに進んでいくものだと思う。それができて復興は達成されるのではないか。
復興とは、復旧の後に行われるより持続的な社会を再建するためのプロセスで、大学の研究が役立つ場である。大学は、普段から研究している災害対策の方法などを地元住民に共有して復興の手助けをするべきである。それを実践するには現地での調査や観測が必要となるが、災害後は建物の崩壊や放射線濃度が高いなどの原因で長く居続けられない場合が多いため研究の枷となる。その対策も行いながら研究がなされる必要がある。
被災者が被災地の現状を受け入れて、前を向くこと 科学的根拠を示して安全だと言っても、感情の部分で受け入れ難いこともある。安全だと言われていた原発が事故を起こした後なら尚更だろう。研究の結果良い方法が見つかったとしても、受け入れられなければ実行できない。まずは研究を受け入れてくれる少数の人たちと協力して、時間をかけて規模を大きくしていくしかないのではないかと思う。大学はその拠点や、学生たちへ現地目線の情報を伝達する場となれると考える。
復興について考え、それを実践するにはやはり現場に立って考えるのが一番である。部屋に篭って理論を並べるだけではなく、被災地の現状を観察して人々と関わりながらその思いを知ることでしかわからないものがあるはずだ。復興において何が必要か、何ができるかは場所や被害によっても違い、一般論では語りきれないものだから、現地で考えて試行錯誤を繰り返すことが重要であると思う。その中で大学は研究室とフィールドを結び、その土地を知り熱意のある人と科学知識や技術を持った人の架け橋としての役割を果たすことができると思う。
復興とは、持続的な社会を再建することである。研究の限界は、外部の研究者がいかに動こうと、現地の人に響かなければ、そこに済む人たちにとっての社会にはつながらず、意味を持たない、というところにあると思う。科学的に正しいことでも、現地の人が納得できないものであれば、それは「復興」の意味では悪と言えると思う。 研究を進めていく中で、現地の人と関わり、どう考えているのか知りにいくことも大事にする必要があると思う。復興する為の新たなシステムを提案する時には、現地の人がこれからも社会を構築し続けることができるような、その地域にあったシステムなのか、ということを問い続けることが大事なのではないか。 特に大学、というのは、専門的な知識が集まる場所である。現地の人を学術的な面でサポートすることができると思う。大学の発信には説得力がある為、風評被害をなくすための発信を積極的にするべきだと思う。
確かにその地域の物理的被害を研究し科学的に対策することが重要であるが、その対策と安全性を地域住民だけではなく国民全員が理解していなければ意味がない。なぜなら、地域住民にもその後の暮らしを考慮すると、その地域に対する偏見を一刻も早く取り除かなければならないからだ。そのため、復興するにあたってするべきことは被災についての正しい情報を国民に発信することである。また、被災地住民の暮らしを今まで以上に回復・強化させることも重要である。そのためには、私たちは現地に赴いて自身の目で何が必要かを確かめることをするべきだ。そして、現地住民と話し合ってその地域の強みを前面に押し出すような復興や地域の産業に科学技術や情報技術を加えるなどの復興を行うのが良いと思う。
復興とは、災害によって発生した被害(災害がなければ発生しなかった被害)の大きさを、災害後におこなった措置の効果が物的・心的双方で累積的に上回ることだと考える。特に心理的な側面で、被害を無かったことには決してできない。であるから、復興をした / していないの判断を下すことは個人にしかできないと思う。 その意味で、学術研究によって復興が完遂する、ということは難しいと思う。だが、どういった方向に何を積み重ねていけばよいのかを示す、復興に至る無数の手段であることには間違いない。大学は、知の交差点であり、若者の集まる場所であり、ある程度以上の社会的信頼を有する施設であるという特質から、復興の推進力となれることに自覚的であるべきだと思う。
復興とは環境的にそこに住めるようになるのはもちろんのこと、避難していた人々が戻りそこで集団として生活を営んでいくことができるところまでのことを指していると考えます。
復興とは、文字通りの意味だと一度災害などによって衰えたものが再び勢いを取り戻すことだが、そう簡単に復興できるとは考えにくい。その研究には限界があり、その限界を踏まえた上でどう実践するかが問題になると考えた。大学などは復興への研究にできる限り協力して限界を踏まえた上での策を講じることが復興なのではないかと思った。
復興とは、ただ災害による被害を受けた地域を物理的に元通りにすることだけではなく、 現場を理解し、より実践的な取り組みをもって、社会的・経済的な観点における再生を目指すことが必要である。 研究においては、データのみに頼って地域特有の課題や被災者の変化するニーズを正確に捉えることは難しい。実際に現地に赴いて、現地での観察や対話を通じて得られる洞察が必要だ。そしてそこで得られた洞察を元にした実践的な取り組みを行うべきである。 またそこで大学は、復興に必要な多分野にわたる知識を提供する役割を果たすことができる。研究者は現地でのフィールドワークを通じて得られた知見を研究に反映し、それを実践理論の元として生かすことができるだろう。
復興とは新しいことへの挑戦では無いかと本講義を通じて感じました。第二次世界大戦後に日本がかつての日本とは全く異なる形で再建され、発展したように、福島も震災前の状態に戻すのではなく新規移住者、革新的な農業によって新しい街に進化することが重要であるように思いました。
復興とは、自然災害などが起きた後に、必要な対処を行った上で今後持続的な社会を作るという目的で、さまざまな活動を復活させたりインフラを整備したりすることなどを指すと思う。復興は、科学的に立証された事実に基づいて行う必要があり、それには研究が役立つ。しかし、研究は実験室で再現するなど、本来の環境と完全に一致させることは難しいので、研究に基づいた方法でも、期待される復興が実現できないことがあり、そこに研究の限界があると言えるだろう。 研究を用いた復興の実践方法としては、今回の講義で触れられたように、カリウムを農地にまけばセシウムの代替となり栽培イネのセシウム吸収量を抑えることができるなどの研究結果を農家の人々に示し、今後の農業を支援するなどがあるだろう。研究自体は行わない農家にとってはいかに研究結果にアクセスできるかが情報源として重要だと思うので、研究者は得られた研究結果をわかりやすく農家に伝える努力をする必要があるだろう。 また、復興における大学の役割は、研究を行いその結果を農家含む一般人に共有するのはもちろん、若い人の力も重要だと思う。今日の講義でもおっしゃっていた通り、若い人の力は、現地の高齢者農家にとって活力になるので、私たち学生が現地で作業をしたり研究をしたりすると良いと思う。
その土地において、被災前と同程度までに人間の活動が活性化すること。
インフラなどの回復のみならず、人々の生活まで戻ること
本講義で福島の例を見て、復興のためにはまず科学の知識が必要で、これがあるからこそ農地の除染ができ、人々は帰村したり農業を始めたりできる。研究はこのように少しでも前の状況に近づけることを可能にする知識を提供してくれる。しかし研究にできるのは知識の、データの提供であり、被災地を実際に復興するには研究データをもとに実際に行動する人が必要なのだ。先生は村の再建まで深く関わっていたが、それができる研究者は多くはいない。先生ほど村の再建の中心の方に行かなくても、復興の実現のためには現地の人が意欲をもって行動し、それを支える研究者がいるというのが必要なのではないかと思った。そして、研究意欲や学習意欲のある大学生は、村人のような労働力にも知識を生み出す研究者にもなれる。復興というものは、現地の人々の意欲と、それを支える大学のような機関、学生のような人材があってこそなされるものだと思った。
復興とは、「地域の現状に即した方法により、生活・産業・インフラ・コミュニティなどその地域を構成するあらゆる基盤を包括的に、発災前の状態もしくはそれよりも良い状態(今後起こり得る災害へのレジリエンスを持った状態)へ持っていくこと」であると考える。 復興における研究の限界について、研究においては過去の事例や研究成果をベースに、そこから提起される問題や新しく生み出されたアイデアを検証することが多いと考える。復興はその地域の特色を踏まえることや地域住民のニーズや実情に沿った支援などが必要であるという点で「研究」の手法のみでは、真の復興に到達することは難しいだろう。 一方で、日本の農村のコミュニティや住民の生計を支える農業生産には普遍的な課題も存在している。大学の役割とは、「研究の限界」が原因でアプローチできない部分をできるだけ減らすことであると考えられる。普遍的な課題としては、授業で挙げられていた農業従事者の高齢化に伴うIターンの促進の必要性の他、気候変動に伴う動物の生息環境の変化による獣害や農作物の生育不順なども該当するだろう。特に現場主義を尊重し、また生命・化学・健康・環境などに関わる幅広い分野を網羅している農学においては、多くの分野の専門家が協働して現地に赴き、学術的な側面と実地での活動により分かることを踏まえて各地域に合った復興までのプロセスを創出することが求められていると考える。 どのように実践をするかという点については、上述の通り、地域住民に寄り添った対応を行えるように現地を訪問することが最も大切であると考える。他にも、関係人口となり継続的に地域・住民・産業などと関わりを持つことや、直接的に関わりを持つことができない人にも現状を知ってもらい、特産品の購入や復興意識の波及などに繋げるための広報・教育的な活動が必要であると考える。
地域の人と気持ちを一つにすること。そのためには酒が必要だと思う。
復興は、有事のことが発生した後に、最低限のインフラなどの生活基盤を整えたのちに行う、産業活動・経済活動を発生前の状態に戻していくことである。大学などの研究機関は産業活動などの再生のためにサポートをすることが役割となっている。福島の場合、土壌の線量測定や除染活動を通して農地の安全を確保し農地を再生していくことであったり、IoTなどを用いて農業をより効率よく行えるように体制を整えていくことを行なっている。そのためには、現地に何度も訪問をしたり、オンラインによるミーティングを行ったりすることにより現地の人と課題点共有していくことで実践することができる。それでも、農業に対する人手不足の問題や原発事故による風評被害については大学側としても解決が難しいものとなっている。
今まで復興とは、震災前と同じような暮らしに戻るものだと思っていたが、今日の講義を聞いて「戻る」というよりは震災を経て「新しく」まちを作っていくものなのではないかと考えた。そのためには、たとえば農地を放射性セシウムの汚染から再生するための技術の確立やそれにともなう研究が必要になる。また、将来的に同じような災害が起きたとき、または異なる災害であっても、その際技術の活用ができるように、そのときに第一線にいる研究者が若い世代に伝えていくことも必要である。これは大学の役割の一つであると思う。しかし、地元の農家の方がやる気を回復し、農地の再生に協力できる状況も必要である。これはいくら研究者が最先端の技術を開発してもどうにもならないことであり、ある意味「研究の限界」であると言えると思う。
復興は、起こった被害に対して行う対応のことで、ただ修復を行うだけではなく、被災前の社会よりもより持続的な社会を築くこと、また、未来に起こりうる危機に対する備えを強化することが求められる。その際に、科学的な知見を用いてどのような対応ができるかを考える研究は有意義であると思う。しかし、理論的に正しいと思われることでも実際にフィールドで行ってみたら上手くいかなかったり、また、科学的に正しい事実が、被災地の地元を苦しめる場合があったりもする。例えば、実際に村を再生するためには鳥獣害への対応が必要であることや、新たな村を創造する過程で村の人々の意思が否定されてしまう恐れがあることなどが課題として考えられる。そのため、現場から離れたところでの研究には限界があると考えられる。また、行った研究を現場で実際に適用するためには、地元の人々とのコミュニケーションが必要になると考えられる。現場の人々が復興の活動に不安や不満があっては、全く新しいビジネスやシステムを作ろうと思っても現場に寄り添ったアイデアが浮かばなかったり、活動への賛同が得られにくかったりしてしまう恐れがある。そのため、実践する際には現場で働く人や生活する人の意見も取り入れながら実践方法を考えていく必要があると考える。また、これに関連して、一分野の研究のみに頼るのではなく、複数の専門家がそれぞれの専門分野における知見を集結することによって、1つの考えに偏ることのない柔軟な対応が可能になるのではないかと考えた。大学の役割としては、若い世代と復興を結びつける役割、知を復興に応用させる役割があるのではないかと思う。1つ目に関して、まだアカデミアの分野に足を踏み入れたばかりの学生が実際に復興に向かって活動したり、被災した地域を訪れたりすることによって、柔軟な考えのもと、復興に対しての新たな考えを生み出せる可能性があるだろう。また、2つ目に関して、大学にはさまざまな分野の専門家が集まっているため、それぞれの知を集結することによって多方面から、より持続的な社会を創造する方法を考えることができるのではないかと考えた。この2つから、大学という専門家と学生が集まった団体であるからこそ、知と柔軟なアイデアで学術研究と現場を結びつける役割を果たすことができるのではないかと考えた。
復興とは、無やマイナスの状態から街などを作り出すという点において特徴的なのではないかと考えた。例えば「再開発」は既に完成している街をより良いものにする、100点を120点にするものである。一方「復興」とは基本的に被災地に適用される概念であり、100点とは程遠く、瓦礫の除去などが必要なことを考えるとマイナスからのスタートであることも多いだろう。しかし、それをポジティブに考えれば開発の自由度が高いとも言えるのではないだろうか。再開発では元々ある建造物や路線の邪魔にならないようなことしかできないが、一度地震や火災や津波で大規模な破壊を受けた地域だからこそダイナミックな復活を遂げることも可能なのではないか、元の100点に戻すだけでなく150点に導くこともできる。その考え方こそが復興だと考えた。しかし、住民は生活や仕事で精一杯な人も多く、そのような再興に注力することは難しいだろう。そこで大学が役に立てるのではないかと考えた。大学では基礎研究のように「稼げるとは限らないが国や社会にとって大切な学問や取り組み」をしていることが多い。その中には被災地支援や都市の復興などもあるだろう。そのような取り組みの成果やスペシャリストが復興プロジェクトの中心を担うことで復興をより進められるのではないだろうか。
「復興」の定義を、研究の限界、実践の方法、大学の役割の観点から述べる。 復興における研究は、科学的知見や技術の提供を通じて重要な役割を果たすが、その限界も明確である。例えば、除染においては物理的・化学的アプローチで汚染を軽減する手法が開発されてきた。しかし、除染による環境再生は土壌や放射線量という数値的側面にとどまり、住民が抱える心理的な不安やコミュニティ再建の複雑な課題には直接対応できない。このように、研究の成果が地域社会の復興に結びつくためには、科学的データだけでなく、住民の声や地域独自の課題に対応する姿勢が必要となる。研究はあくまで基盤であり、それを超えた実践的な取り組みとの連携が求められる 。 実践の側面では、除染を含む具体的な技術の応用だけでなく、持続可能な地域づくりに向けたアプローチが重要である。例えば、飯舘村では「までい工法」など地域に根ざした除染手法が開発される一方、農業再生や新しい産業創出が併行して進められてきた。除染後の土地利用や農業の復興には、地域住民の参加が欠かせない。また、新しい価値を生むためのICT活用や観光振興といった未来志向の取り組みも鍵となる。実践の成功は、技術の導入だけでなく、住民の主体的な関与を促すプロセスを構築することにかかっている 。 大学は、復興の過程において知識や技術を提供する中核的な存在である。飯舘村では、東京大学農学部が農地除染技術や土壌改良技術の研究を進め、これを現場に応用することで地域の復興を支援してきた。さらに、学生や研究者が現地に赴き、住民と直接対話を重ねることで、科学的知識と現地の課題を結びつける役割を果たしている。大学はまた、復興の担い手を育成する教育機関として、次世代のリーダーや専門家を育む使命を担っている。これにより、災害に強い社会づくりや地域再生に向けた長期的な視点を提供する 。 復興とは、災害や事故で失われた物理的・心理的・社会的な基盤を回復し、地域に新たな価値を創造するプロセスである。
飯舘村の例を聞いて、復興とは元の水準まで経済、生活諸々を回復させること、だけでなく、災害というつらい経験を糧にして、それを活かした町をつくることではないかと感じました。飯館ブランドの話には特にそれが顕著に表れているのではないかと思います。災害前より住み良い町をつくるには相当な困難があると思いますが、大学はその困難を住民が諦めないように、技術的な面などから主に手助けするという役割を果たすべきではないかと思いました。
何らかの災害が起こった後に、被害を受けたインフラや公共及び個人事業、住民の生活を元通りにする復旧のプロセスに加えて、様々な分野での技術を導入することでより発展した町づくりを目指すこと。その際に、大学で行われている研究や、新しいアイデアの創出が期待される学生も携わることで、利益や名声にとらわれずに建設的な開発が可能になるうえ、学生にとっても貴重な学習の機会になると考えられる。
復興とは、単なる元の状態への回帰ではなく、危機や災害を経験した地域や社会が、持続可能性と強靭性を伴う新しい形へと再構築されるプロセスである。具体的には、基盤インフラの復旧だけでなく、地域経済の再生、住民の生活の安定、新しいコミュニティの形成が含まれる。福島の事例では、除染作業や農地再生に加え、ICT技術の導入や地域ブランドの確立が復興の重要な要素として取り組まれている。
復興とは、「困ったときはお互い様」の考え方のもと行われる支援や協力のことだと思う。 研究は、今回の事例でいうと土壌についての学識を現場に提供したり、放射線が米ぬかに集中したりすることを科学によって解き明かし、それを副次的に(農学は理学などと比較すると実践のための研究という感じがするので、副次的ではないかもしれないが)実社会で起こっている課題の解決策として提示する役割を持っていると思う。 実践の責任者は研究者ではない。もちろん学識や思想をもった研究者が実践までしようとすることは素晴らしいことだと思うが、研究という側面からある種の社会貢献を行なっているので、実践する責任までを問う必要はないように思われる。しかしながら、研究者にもその研究成果を社会で活かせるように一般市民と説明や会話をすることが求められると思う。なぜなら、市民と研究者は、学歴の長さの違いなどからどうしても社会的または心理的に距離をおいてしまうものだからである。したがって、研究者がなぜその研究をしているのか、その研究にはどのような意義があるのかといったことを主体的に説明していかないと市民社会から興味や理解を得られることはできない。 大学とは、とくに学部においては、そうした研究者と社会の中間に位置する場所であるような気がしている。学生はもちろんある程度自由な身分なのでこれをする義務があると論じるつもりはないが、興味をもった学問にも励むべきであり、一方で大学の外に出て多様な職業・社会的立場の人の話を聞き、広い意味で自分の知識や知恵を深めるべきだと思う。 総括すると、民民同士の助け合いによる復興は、コミュニティ同士で行われるものであるが、研究というやり方でも間接的に貢献することが可能であり、復興にかかわらず研究者は市民とのコミュニケーションをおろそかにしてはいけない。そして大学は社会と学問の中間に位置する場所であり、学生は興味やおのおのが感じる責任に応じて復興を含む社会活動にも積極的に取り組むべきであると考えた。
駒場生:
復興とは元に住んでいた人が震災前と同じ生活を送る事ができ、また被害を受けた人々が不安感を持たずに安定した精神状態で暮らせる事。
駒場生:
復興とは、現地の人々が自分たちの納得する形で人生を送ることができる環境が整ったときにはじめて完了するとされるものであると考えます。
駒場生:
事故がなければそうなっていたであろう姿に人為的に合わせること
駒場生:
復興とは、本日の講義で述べられていたように、レジリエンスを高めていくことだと考える。レジリエンスを高める過程において、農学で培った知識を生かしていく必要があるが、ここで「研究の限界」に注意しなければならない。研究の限界とは、「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉に形容されるように、どれだけ農学によって蓄えられた知識を農業に活かさなければ意味がないということだと考える。本日の講義の中の話に、除染活動として反転耕は十分な効果を期待できるのに、農家の方などの反発があったために表土はぎ取りが行われたということがあった。ここには、農家の方と、農学者の間に信頼関係が十分に確立されていなかったという問題があると考えられる。したがって、復興のプロセスの中で農学的研究により蓄えられた知識を実践するには、農家と農学者の間の信頼関係を築くことを第一にするべきだと思う。そのためには、農家と学者の間での権力的不均衡をなくし、対話をベースとして共に問題解決に取り組んでいくということが必要であると考える。大学の意義とは、このように、市民に対して知識の恩恵を還元するところにあると思う。したがって、大学は市民の了解の上に成り立っているものであり、その了解の上に胡座をかいて権力を振りかざすようなことはしないようにするべきだ。
駒場生:
災害によって受けた被害を復旧し、元の状態に戻すだけでなく、その後その地域の社会全体を立て直すプロセスまでを含むものである。復興では、その地域の未来に向けた投資が必要になると思う。ここでは、大学という立場に立って復興について考えていきたい。被災した地域が復興していく過程では、今までになかった取り組みを行うことができる。しかし、これは実際に現地に行って地元の人々と関わりながら行うことを前提としており、ただ情報を分析するだけでは限界があると思う。復興は、将来に繋げていくためのものであるから、大人世代だけではなく、子供世代も巻き込んだ活動を行うことが重要であると思う。その時に、大学は教授などの大人たちだけではなく、比較的子どもたちと年齢の近い大学生も主体となって動くことで、地域の役所のような公的な機関から地元の人々まで幅広く関わるよいう役割を果たすことができるのではないだろうか。
駒場生:
「復興」について研究するにあたってまず問題点となるのは、「復興」の尺度をどのように定義するかだと思う。復興するにはまずこれを定義し、それを目指していく必要がある。僕はこの尺度を「人と人との関わりが以前と比べてどの程度まで戻ったか」だと考える。これは数値化しづらい尺度ではあるが、ランダムに何十人か集めて以前を10として現在のコミュニケーションの量を数値化してください などのアンケートをとることで数値化することが可能だと考える。さて、「復興」を定義したので次はどう実践するかになるが、これはそれこそ授業で溝口先生がおっしゃっていたのと同様に村の魅力をアピールし、魅力を新たに作り、以前いた人だけでなく新しい人にも入ってきてくれるような村づくりを推進することで解決されると考える。そしてそこにおける大学の役割は、村の安全性を担保し、可能ならば新しい魅力を作り出す手助けをするところにあると思う。あくまでもその主体的な部分は村の人が作るべきであるが、その手助けは大学も積極的にやることが望ましいと考える。
駒場生:
復興とは、被害を受ける前と同じかそれ以上の活気を地域に取り戻すことであると考える。研究によって被害への対応策について知見を得ることができ、身の回りのインフラ等は取り戻せるかもしれないが、それだけでは被害を受けた人の感情に寄り添うことはできず、地域の活気を取り戻すことは難しいと考える。よって大学が、研究で得た知見を基にして実際に地域の方と協力してインフラの整備の実践や活気づけるためのプロジェクトの実施をすることが大切ではないかと考えた。
駒場生:
地域を元に戻すための支援。被災地や困難に直面している地域が以前の生活や活気を取り戻せるよう、多方面から支援を行い、地域の特性や文化を尊重しながら、新たな価値を生み出す取り組みを通じて、持続可能なものにすること。
駒場生:
復興とは、ということについては、抽象的ですが、被害を受けた場所を、その土地を愛する人々がいきいきと生活できる場所にすること、かなと思いました。講義でも現地でもお話を聞くなかで、その場所にいる人の体感でしか復興したとかしているとかわからないと感じました。だから定量化出来なかったり、生活する人々の需要と科学的な数値の目標が合わなかったりする点には、黙々と研究していたら対応できないと思います。実践する手立てとしてはやはり復興も研究もどんな段階にしても現地に行って判断することが必要ですし、それもある人が継続して行くのに加えて、行く人を増やすということも、現地を見る視点が多角的になってより解決の糸口を見つけられるのではないかと思いました。そこで大学の役割というのは、最先端の研究をできる能力のある研究者を派遣できることに加えて、まだそうではない学生でも現地に行く人の輪として広げることができ、それをきっかけとして将来はその地域に関わる分野で活躍するかもしれないような人の縁を作ることもひとつあるのではないでしょうか。集団が通う、仲間が集う地域になるということは、人が活力を得られるという点で復興にプラスになることだと思いました。
駒場生:
復興と聞くとインフラの修復などを思い浮かべがちだが、それは復旧の段階であるというのは重要な視点であると感じた。講義では技術を活用して地域の特性を活かそうとする取り組みが複数紹介されたが、そのような新たな価値の創出が普通にできる状態を目指すことが復興なのだろうと考えた。また、それは人々が過去のことはそれとして認め、未来を見据えるようになったときに始まるのだと思う。価値を生み出すにあたって、それが可能な基盤を作る必要があるが、科学的な知見はここにおいて必要になってくるのだろうと考えた。
駒場生:
金による問題解決のみを目指すのではなく、レジリエンス(回復力)等を生かして田舎の生活を基盤から改善していくこと
駒場生:
復興とは必ずしも災害前の状態に戻すことではなく、元の状態とは異なっていたとしても、将来への希望を持ちながらある程度自立して地域で日常生活を送ることができるようになることであると考える。今回の講義で、災害が新たな農業を始めるきっかけになった点が特に印象に残った。災害はその土地で築かれてきたものを一瞬で奪ってしまうが、少し発想を変えると現状がリセットされたからこそ新しい物事を始めるには絶好の機会なのだと思った。復興を進める際には元の状態を再現するのではなく、新たな試みによって災害前に地域が抱えていた問題の解決を目指しながら生活や産業を再建することが大切だと感じた。その際に、大学は専門的な知識を生かしアイディアを出したり、それを実装した時の影響を予測したりすることができると思う。
駒場生:
復興とは単に震災前の状況に戻すことではなく、より強靭な町や人々のつながりを作っていくこと。また、被災の経験を風化させずに伝承していくこと。外部からの金銭的、人的支援は十分条件でしかなく、復興を望み活動する人々の存在が必要不可欠である。
駒場生:
復興は状態であり、どの立場から考えるかによってさまざまな定義ができると考える。 行政から見た場所の復興とは、経済、産業や人口の規模が回復していることだと思われる。それぞれの人の復興は、それぞれの人の今の状態により、 今も故郷で暮らしている人にとっては、自分の生活と地域コミュニティに震災前と同じ程度満足しており、かつ故郷の未来を”復興”という言葉に縛られずに語ることができるということであり、 故郷を離れた人にとっては、故郷にかつての隣人が暮らせること、そして時折故郷の未来の話をかつての隣人とできることだと、私は考える。
駒場生:
メディアなどでは「復興」という言葉がしばしば「元通りになる」と使われていて自分はずっと疑問に思っていた。「興」という字を使う以上、盛り上がりを見せ元より優れたものとなる必要があるんじゃないかとずっと感じていた。授業スライドに「復旧段階の後に行われるプロセスで、より持続的な社会の再建を意味します。復興の目的は、社会や経済の回復、より強化されたインフラの構築、そして災害や危機の未来への備えを強化」と書いてあり非常に納得した。復興というのは研究などを通して元々よりいい状態にすることだと自分は思うのだ。
駒場生:
特に東日本大震災での原発事故の被害を受けた地域のように非科学的な風評に晒された場合、復興は非常に困難になる。しかし研究者や研究者に準じるような有識者は、科学的知見というのは信頼性が高く万人に受け入れらるものであるという妄想を抱きやすく、一般人の科学に対する姿勢が想像以上に懐疑的であることに気づいていない。その原因として挙げられるのが、有識者が一般人にとって聞き馴染みのない専門用語を多く使用すること、現地に調査に来た研究者が被災者に寄り添っているとは言えない、いわゆる被災地を利用した研究活動をすることなどが挙げられる。つまり風評に対する科学的知見が広く認められるためには非科学的な風評を嘆くだけではなく、一般人にわかるような噛み砕いた説明をし、被災者感情に寄り添った研究活動をするのが科学に携わるものとしての責務となる。 一方で、大学内に限ってみると多少なりとも科学に興味がある学生が多いことから被災地の風評に流されずに行動できる学生が多い。大学はそのような学生に喚起して復興に向けたプロジェクトを現地と連携して行うことができる。学生が活動を行い宣伝することで被災地に対する偏見や風評は和らぎ、復興の後押しとなる。また大学として各地の市民大学などと連携し被災地に関する科学的な話題を(メディアなどを通さずに)直接市民に届けることもできる。 大学として被災地の復興に対してできることは直接的なことだけではなく広く一般の人々に科学的知見を届けることにもあるということだ。
この講義で一番大事だと思ったことを書いてください。
現場に赴き、被災者とコミュニケーションを取ること
現在だけでなく、未来にも目を向けて社会を作る必要がある。
人生万事塞翁が馬だということ。
放射線に関する知識を自分でつけ、メディアが発信している情報が本当に正しい情報なのかを自分で判断できるようになること。
蔓延っている情報を鵜呑みにするのではなく、可能な限り現地に足を運び、生きた情報を得て研究をすること。
インフラが整ったとは言っても、それで復興が終わるわけではない。
放射性セシウムが土壌にふりそそいただ時に、どのように対処したら良いかという小レポートが他の授業で科されたことがある。その時には解答例は提示されず、表面のセシウムを取り除くとしか答えられなかったが今日の授業で深くまで埋めて半減期を待てばよいと聞き、なるほどなと思った。
被災地の復興にはその事故や地域特有の問題に加えて、いろいろな農家に共通する問題もある。やる気がある人にとってはこうした悪い状況もやれることが多くて面白いと捉えられること。放射線の研究として行くのであれば除染や調査が主になるだろうが、その後の土地利用や地域創生まで考えて行動することが復興につながる。その過程には研究機関としての大学と政府の協力は不可欠であること。
復興とはどのようなことであるかを一人一人が考え、現地の人の声をしっかり聞くことが大事だと考えました。
被災地の復興について、被災前の暮らしを取り戻すだけでなく、今後その暮らしを続けて発展して行けるような力を取り戻すことが大事だと思った。
稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け
科学的な正しい知識を、行政だけではなく現地の人や広く市民が共有することが重要である。
汚染土の処理方法が一番大事だと思った。
被災前の状態にスポットを当てるのではなく、目指すべき理想の地域像を描いて、それに視点を向けて人々が力を合わせること。
研究者などの地域の外部の人間が関わって復興を成し遂げるには、地域からの信頼が欠かせないということ。
講義の序盤で話された「学生時代に学問の基礎を築いておく」ということ。
現地の赴くことの大切さ
インフラや最低限の生活を送るための物資の確保などの復旧と、現地の人たちが希望を持って前向きな気持ちで生活できるようになるという復興の違いを認識することが大事だと感じた。復旧作業への支援だけ行って満足して役割を果たしたように感じてしまうのは良くないと感じた。
現地の人目線の除染方法の検討という、当然ではあるが抜けがちの技術を用いる当事者の存在を意識すること。
対話をおこなうこと。
正しい情報を手に入れること
復興は必ずしももとに戻すことを意味せず、再び幸福を取り戻す・成功するという意味を持ち、人や技術の力でどのように行動していくべきか模索していく必要がある。
復興には現地の人とのつながりが大事だと思った。復興とは単に物理的にインフラ等が復活するだけでなく、心の豊かさの回復も含まれると思う。そしてそれは人と人との関わりによって一番回復する。
安直ですが、色々な人の協力が大事だと強く感じました。知識一つを取ってもそうですがそれぞれ人には強みや弱みがあるわけで、三人寄れば文殊の知恵というように、多様な人が集まり同じ方向を向いて協力することの重要性を感じました。80歳になってズームを使うおじいちゃんや、次世代教育などは世代の壁を感じさせず協力している良い例に思いました。
復興のために革新的なアイデアや技術を提供するときに、いかにそれを地域に根付かせるかまで考えることが大事だと思いました。高齢者でも使いこなせるような方法を考えたり、地域の比較的若い層に伝えて定着させるなどの方法があると思いました。
これから大学で学問をやっていく上で、特定の分野に縛られない広い視野を持って課題に取り組む姿勢が大事だと思いました。
人生において、何事も役に立たないと決めつけずに、興味がなくとも関心を持って取り組み、学生のうちに学問の基礎を身につけておくこと。
復興と復旧の違い
現地に目を向けること。
復興を目指すためには実際に現地に行ってそこに住む人々と対話すること。
大学には整った研究施設と資金があり、大学生は現地に向かい直接実験を行ったり知見を深めることができる、復興農学に携われることに意義があると思いました。復興に向けた被災地の研究といっても、研究者の労力や資金、危険性を考えると確かに限界があると思いました。しかし、現地と協力し、意見の交換や土地の回復に向けて一緒に農業に取り組むことが復興の助けの1歩となると思いました。
農学が農業に寄り添ったものであるべきだということ
土壌を削る等単純な対策でも、理論だけでなく実験をして実用に足るかどうかをしっかり確かめること
自分の興味のあることを全力で取り組むことが大切だと思いました。また、興味があることに全力で取り組むためには、大学で基礎をしっかり勉強しておく必要があると思いました。
現場のことは現場の人に聞くということが一番大事だと感じた。横井時敬さんの言葉にもあるように、土と共に生きる人々は土の恩恵を受けている。しかし、研究室にこもって研究しているような研究者にとっては土のことが少し頭の中から抜けていきやすい。そのような状態で農業に関して研究を行なっても見当違いな方向に進んでいく恐れがある。そのようなことをなくすために特に研究者は現場の人々(農業であれば農業従事者の方々)に聞くことが最も大事であるだろう。
今は学問に興味を持たなくても将来来たる打ち込めることのために基礎を固めること。
除染の方法において、研究者が実験を通じて安全性を示せているのにも関わらず、市民が理解できていないケースが多々あり、情報面での障壁も解決しなければならないということ。
情報の扱い方が大事だと思った。中国やフランスでも同じようなことが行われているにもかかわらず、ALPS処理水の海洋放出をしている日本が批判を受けたり、水田の除染の記事の話のなかで地方と都市部で認識に違いがあったりするが、それぞれ関連する情報の扱い方次第ではもっと良い方向に状況を持っていくことが可能だったのではないかと思った。
被災地域に行かないと現地のことはわからないこと
何回も繰り返し飯舘村などの現地を訪問する積極性。
放射性物質の代表格であったセシウムが、実は土壌には染み込みにくいということが実験によって判明したこと。
現地で実際に被害の状況を直接見ること。
被災地域を復興させたいと思っていても、東京で研究結果をまとめたりしているだけでは現地の状況や人々の様子が何も見えてこないので、実際に現地に足を運び、地域の人と積極的に関わったり、自分自身で農業体験をしたりして身をもって理解することが大切だなと思いました。そうすることによって、他人事という感覚が抜けて、積極的に取り組めるようになるのだらろうなと感じました。また、ステレオタイプに研究をして論文にまとめるだけではなく、どうしたら若者に興味を持ってもらえるかを主体的に考えて新しい取り組みをやってみることが大切だと思いました。
現場に行ってまず自分の目で見て自分の肌で感じること
報道を鵜呑みにせず、科学的根拠に基づいた確からしい情報を自身で精査すること。
復興農学という、復興に注力を置いた学問の存在。災害の多い日本において事前準備を充実させることは極めて重要なことだと考えているから。
レジリエンスの力、復興復旧の違い
地域住民の方々と対話していく、関わっていくこと
初めの先生のやる気の話がとても印象に残りました 私は人生に焦っているなぁと気付かされました。
測定
現場に行ってまず自分の目で見て自分の肌で感じること
農学的視点と社会学的視点を融合させながら、多面的に復興をはかること。
復興を行うには、研究により土地を復旧するだけでなく住民が安心して住めるよう整えることも大事であるということ。
復興における、当事者の意欲
机の上で考えるだけでなく、現場に赴いて行動に移すこと。
情報を駆使すること、そして現場の意見に耳を傾けることが農学において大切である。
持続可能な街つくりという点は復興以外にも通じるところがあるなと感じました。
復興における研究の限界と、その一方で復興の実践のためには研究で得られる理論が必要不可欠なこと。
現場に応じて臨機応変にそして熱意を持って取り組むこと
実験室での研究だけで済ませず、実際に現地に行くこと。
福島が復興に向かっていること、ICTを加えた農村の構想があること。
前向きの実践。
「基礎学(授業や研究で身に付けた基礎的な知識やノウハウ)に立脚した現場主義」という意識を持って復興に携わること
人生万事塞翁が馬。自分も人生に迷っているので少し心が軽くなった。
講義の序盤で話されていた「学生時代に学問の基礎を築いておく」ということ。
ICT技術などを用いた次世代農業の必要性
除染などを含む復興に際して、人々が戻るだけでなく、産業や文化を再興し、飯舘ブランドなどもそうだが、東大むら塾などの活動も含めて、地域に新たな活力を与えることは非常に重要である。このプロセスには、住民参加型の計画や外部からの支援も含まれる。
レジリエンスについての話であるように、いかに災害前よりも良い地域にステップアップできるか、そして元の水準までどうやったら早く回復できるかということについて探究を続けることが大切だと思いました。、
自身が興味をもち、積極的に追求することができる分野(先生の言葉をお借りすると、わくわくすること)に進むことが自身にとって最も満足のいくことであり、社会にとっても利益になると思った。
この講義で特に重要だと感じたのは、復興における「レジリエンス(回復力)」の概念である。単なる物理的な復旧だけでなく、住民の精神的な支えや新たな生活環境の構築を通じて、地域がどのようにして未来へ向けて進むかが鍵であると理解した。飯舘村の例では、科学技術や大学との連携、地域住民の協力による新しい農業や生活の形が具体例として示されたが、これらの取り組みは、持続可能な社会の実現に向けた具体的な一歩であり、復興の本質を象徴している。
この講義で一番大事だなとおもったことは、復興は除染をして終わりなわけはなく、除染後に村をどう再生するかも考えなければいけないことだと思いました。
人生万事塞翁が馬だということ。
駒場生:
大学や国などは大事な時に責任をとってくれない傾向にあるので自分で考えて行動することが大切である。
駒場生:
たとえ実験で得られた科学的な根拠があってもやはり人々の言動の核となる部分は自分の感情なのだと思いました。
駒場生:
泥の結晶表面の欠乏にセシウムがちょうど取り込まれ安定すること。
駒場生:
普段大学に通っていると忘れがちだが、大学で学んだことをどのよう社会に活用するかということだ。
駒場生:
災害による被害が発生した後、公的機関が出すような情報を待っているのではなく、自身で現地に行って、その地域で何を行わなければならないのかを最優先で考えて行動することで、長期間連携して新たな発展へと繋げていけるきっかけになるということ。
駒場生:
人生何が起きるかわからず、その場その場で何ができるか、何をするべきかを考えて行動することが大事であること。
駒場生:
農学使って農業再生
駒場生:
人生万事塞翁が馬という言葉が心に残っています。人生の将来のビジョンが不透明で迷っている最中なので、面白そうだと思った方向に突き進んでみて当たって砕けてみたいです。
埋設汚染土の放射線量は、セシウムが土壌中でほとんど移動していないことから、理論通りに自然減衰しているということがこの講義で一番大事なのではないかと感じた。
駒場生:
興味を持ったことを突き詰めて磨いておきつつ、自分の五感でいろんな世界を感じ、愛するものを増やすこと
駒場生:
復興は、復旧とは異なるということ
駒場生:
何かやっていればいつか機会はくるということ 凍土の研究とインターネットに係る知識が、情報農学として活かされたというお話を聞いてこれが自分にはモチベーションとして大事だと思いました。
駒場生:
現場に出向いて自分の目で見ることや、自分の手で触れることが大切だと思った。確かに大学には様々な知識の蓄積が存在するが、復興農学は現地の人々の生活を扱うため大学内でわかることには限界がある。現地に赴き、土地の歴史やそこに生きる人々の物語に触れながら、その地域をどのように復興させるのが良いか地域の状況に合わせて具体的に考える必要があると思った。
自分の目で見たものを信じること
駒場生:
自分の足で現地に行き、自分の目で確かめること。実際に現地の人と対話すること。
駒場生:
人生、なんとかなると思っていればなんとかなる、ということ
この講義を受けての質問や感想
復興について考えさせられる素晴らしい授業だった
復興と復旧の違いを意識したことがなかったので貴重な時間だった。
溝口先生の講義を受けるのはS1の国際農業工学、A1の農業IoT概論、今回の放射線環境学で3回目になる。S1の初めにシラバスを見て「農林水産省の農業技術系や農業土木職を希望する学生にお薦めです」の一文でたまたま履修しただけだったが、ホッププロジェクトに参加して飯館を何回か訪問するようになるなど、今年の弥生での生活を方向づけるきっかけになった。 前述のシラバスの一文にある通り、農林水産省をはじめとする中央省庁で役人として働くことを目指していたため、秋の総合職試験(教養区分)を受験した.春試験と違って農業技術系の試験ではなかったため紹介された「農業農村工学必携」を使うことはなかったが、2次試験の人物試験(人事院面接)では講義で見聞きしたことや読み物に書いてあること、飯舘で体験したことを20分丸々使って話すことにした。 冒頭5分でArduinoの操作を体験したこと、中盤の10分で飯舘での体験、最後の5分で今後の農業の展望として、「基本法改正の関連法としての『スマート農業技術活用促進法』の資料には、どのような機械を使うか・スマート農業を導入するとどのようなメリットを享受できるかがたくさん書いてあるが、それらの機械を動かす情報通信インフラの整備計画が不足しているため、今後は総務省などのインフラ整備に関わる省庁を農水省が巻き込んでいく必要がある」とスマート農業の課題に言及した。結局試験には無事合格することができたうえ、得点開示では面接でA評価(一番高い評価)をもらうことができた。 授業の感想というよりは合格体験記みたいになってしまったが、今年一年溝口先生の授業を色々受けた感想として書かない訳にはいかなかった。みぞラボのホームページで公開されるとは思わなかったが、レポート用に書く内容はもう準備してしまっていたので書いてしまうことにしました。
-->合格おめでとうございます。私の講義が就活に役に立ったというのは驚きです!でも就職後に実践してこそ真骨頂です。期待しています。
原発事故後はボランティアなどは自由に動けることができないという話を聞いたことがあったが、研修者である先生すら行動できないようになっていることはすこし驚いた。また、先生の放射線云々の問題の中で酒を作ってしまえばいいのではないかと考えるクリエイティブさに心奪われました。 除染して終了というわけではなく、除染後に農地を再生する方法を考えたり、担い手不足についても考慮したり、新規移住者のよびこみについて考えを巡らす必要があることをしって、言葉できくほど「復興」というものは簡単なものではないのかもしれないと思った。 私もお酒がすきなのでぜひ飯館ブランドのお酒を飲んでみたいと思いました!!
-->純米酒「
不死鳥の如く
」は飯舘村の道の駅以外に東京では唯一農学部前の酒屋さんで買えます。ぜひ試飲してみてください。
上の内容と一部被るが、セシウムの半減期は30年のものがあり、十分に分解されるまで長い時間を必要とすると思うが、それでも地中深くに埋めるだけで十分な対処法なのですか?
原発事故後のさまざまな研究は学んできたが、飯館村に対してこれほどたくさんの取り組みが行われているとは知らなかった。原発事故特有のものから全国の農村に広く共通する問題まで、一見すると放射線は関係ないように見えることにも大きく取り組んでいた。飯館村で行われた復興農学は別の地域の問題も解決しうると感じた。
70、80代でzoomを使いこなすエネルギーはすごいと思った。村を良くしたいという思いが行動力につながっているのだろうなと思った。
大学の果たすべき役割がまだ曖昧で良くわかっていない。
東日本大震災が起こった後の復興における研究者の動きや役割を知ることができて興味深かった。
復興に関する知識が深まった。
地域の復興に携わるということは、どんな専門家にとっても自身の文脈で関連づけられることだと思いました。逆に、どんな立場であろうと自身の能力を地域復興のためにいかに活用できるか、という想像力と実践はあらゆる研究者の使命でもあると感じました。
震災後に飯舘村に通われ始めたということで初めは村の人々から受け入れられなかったりするのかと思ったのですが、実際震災直後などはそのようなことはあったのでしょうか。また、全くの部外者が村に溶け込んでいく秘訣はあるのでしょうか。
-->ありました。秘訣は足繁く何度も訪問して一緒に未来に繋がる何等かの作業をすることかなぁ。
セシウムが土壌の表層付近に高濃度で分布しているという話はこの授業の別の講義で何度か聞いたことがありましたが、土壌のうち粘土の表面にセシウムが吸着する様子を化学的に説明していただいたのは初めてで、特に興味深く感じました。
地元農家の方々と溝口先生が地域を再生していくために数々の取り組みを行った行動力の凄まじさを感じました。講義ありがとうございました。
スライドや講義内容にユーモアがあって話に聞き入ってしまうような講義だったが、他の先生方の資料配布方法やレポート提出方法と形式が異なり、少しわかりにくい部分があった。utolのリンクを押したらホームページにとんで、その中の講義資料を押したらまたQRコードがあって、というような部分が複雑だと感じた。
自分自身が能登の復興に微力ではあるが関わっていることで福島の事例は非常に多く調査した。放射能汚染と地震災害という違いはあるものの、得られる教訓は多くあると思う。福島での復興に従事した経験を持つ人たちがその経験の一部を能登にも還元してくれている現状がより深まっていけばよいと感じる。
現地調査を行うことが重要だと感じました。
被災地に直接いくことで今までの理解とのギャップがわかるのだなと思った
政府と現地の対立を防ぐ方法はなにかあったのだろうか。地方と都市をつなぐ方法を考えていかなくてはいけないと思った。
自分は応援部に所属しているので、日本酒「不死鳥の如く」や飯館村での応援活動で少し知識はあった。そういった形で少しずつ広めていくのも大切なのだと思った。 質問:「不死鳥の如く」はどんな味がしますか
-->味覚は人によって異なります。まずは自分で飲んでみてください。4の回答を参考にしてください。
福島復興知学スタディツアーが面白そうだなと思いました。駒場生のうちに気づけばよかったです。
講義ありがとうございました! 先生は、どうして復興に興味を持つようになったのか気になります!
-->
2014年や2015年の頃の
リストにある
私の土壌物理履歴書
とか
土壌物理学者が仕掛ける農業復興ー農民による農民のための農地除染
あたりの記事を読んでください。
学問に対する向き合い方において、新しい視点を得ることができました。ありがとうございました。
最近大学の授業へのモチベーションが著しく低下していたが、この授業を受けてもう一度頑張ってみようという気になった。
今までニュースで聞いてきた復興に関して今一度考える機会になってよかった。あと、人生のわくわくゲージがちょっと面白かったです。
「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉に納得させられた。今までスマート農業に触れてこなかった農家がスマート農業を導入できるような環境を作っていくことが重要だ。
福島の復興のためにたくさんの活動をされていたことがとてもよく理解できました。完全に事故前の状況に戻すことが大変困難なことだということを実感しました。
今、大学生としてまだ本気でやりたいことが見つからなくても、社会の役に立てるように努力したいと思えました。
研究室にこもって理論を考えるだけでなく、実際に現地に足を運び現状をしっかり理解することが、復興だけでなくどの研究分野でも重要だといえるのではないかと思った。
復興というワードはよく聞くが、具体的に何をしているのか、インフラの再整備や住民の生活の支援くらいしかわからなかった。しかし、今回の講義で最新の技術を使った様々な復興支援を知り、とても驚いた。自分の将来困っている人のためになるような技術を開発したいと思った。
自分も研究の道に進もうと思っているので、最初の先生の遍歴は参考になりました。おそらく忍耐が必要な期間もあるとは思いますが、意外と面白い、楽しいいろいろなことがあるのだなと感じました。一点だけ質問ですが、留学はやはりした方がいいと思いますか? 講義の内容においては、凍土を用いた除染方法や粘土にセシウムが吸着する原理(Al がMgやFeに置換されることでマイナスの電荷が表面に現れる)は初めて知ったので、非常にタメになりました。
-->自分自身や日本を客観的に見直す意味で留学はお薦めです。粘土にセシウムが吸着する原理については同型置換(どうけいちかん)という用語を調べてみてください。
学生が復興について知る知学スタディツアーがあると知り驚きました。
セシウムが土壌に吸着する話は何度も聴いてきたが、粘土表面の立体構造モデルは初めて見たので、なぜ吸着しやすいのかがよく理解できた。土壌放射線量の減衰が思ったより早くて驚いた。
震災が起きた時に、先生が農学と情報科学で風評被害をなくすという自分の存在意義を見つけたという話が印象に残った。災害が起きて世間的にはピンチな状況の中で、自分の存在意義を見つけるというチャンスをつかんだことが、まさに塞翁が馬だと思った。この世界は今後どうなるのかわからないのだから、自分がどんな状況に置かれたとしても、あまり落ち込まず浮かれず、なんとかなるという気持ちで生活し続けたいと思った。
しっかりと現地に行って作業している姿が見れて現実味を感じた
高齢者にとってICTなどはまったくの未知の技術なのに、今からでも取り入れる姿勢は素晴らしいと思った。
放射性物質についての理解が深まった
わたしは、11月の末から12月頭にかけて、この授業で紹介された福島ツアーに参加しました。実際に行く前は、自分とはあまり関係ない話だと思って、授業をただ受けているだけでしたが、実際に足を運ぶことで、身近に感じられるようになり、興味が湧いてきました。今日の授業を受けて、やはり本気で復興に関わるのなら何度も自分で足を運び、現地の人と関わり被災や復興を自分ごととして感じることが大切なんだなと思いました。
震災の約3ヶ月後にはもう飯館村に足を踏み入れ、現地で試行錯誤しながらさまざまな活動をしてこられたことに驚きましたが、その根底にはいつもワクワクする気持ちがあったのだな、と先生の話ぶりからもわかるような、面白い授業でした。
自分の人生を振り返って時期ごとにわくわく度に差をつけて整理できることがすごいなと思いました。私だったら全然覚えていないだろうなと感じます。
2、3年次に学問的関心がなく部活をしてしまうという教授の体験を現在進行形で同じ部活で実感しております。
-->いま若い時にやれることに全力で取り組んでください。それがいずれ財産になります。今年の箱根駅伝の
給水おじさん
は私の入学&入部の同期です。退官の最後の年に彼がこんなに大ブレイクするとは思わなかった。人生何があるかわからないから面白い。
復興に向けて、前を向いている方が大勢いてすごいなおもった。
自分は生物環境工学に内定しているのでハチ公とゆかりのある学科のであるため非常に嬉しいかったです。
測定が大切だと思ったのは、世間が頭ごなしに危険だと言って避けるものでも、実際測ってみるとそうでもないことがあるという例が複数出てきたからである。例えば、セシウムは泥に吸着しているから下流に流れていかないことだったり、汚染土を普通に埋めても表面に出てきたりしないということだったりがあたる。 米糠にセシウムが集中しており、白米は利用できるからお酒を作った例では、実際に役に立っていてその感動した。
震災3ヶ月後にはもう飯館村に足を踏み入れ、現地で試行錯誤しながらさまざまな活動をしてこられたことに驚きましたが、その根底にはいつもワクワクする気持ちがあったのだな?と先生の話ぶりからもわかりました。
復興農学は文理融合型の学問で面白そうだなと興味を持った。農学的アプローチも社会学的アプローチも、どちらも欠けることができないものであると考えた。
復興と復旧の違いを初めて知った。災害の復興には多くのモニタリングが行われているのだと思った。
原発事故の後、早いうちから飯舘村での調査をはじめ、様々な除染方法を考案・実施していることが印象に残りました。現地の人に寄り添い行動で示すという姿を見て、また安全性について説明しても理解を得るのが難しいという話を聞いて、やはり言葉だけでは人は動かせないのだと感じました。
僕も自分の存在意義が全く見つからない状態であり悩むことがありましたが、先生のワクワクグラフの話をお聞きして大変勇気付けられました。私は今自分ができることを追求していきたいと思えました。 P.S. 飯舘三酒が飲みたくなりました。
-->4の回答を読んでください
これまでの放射線環境科学の授業より実学的なことが多くなりとても興味深かったです。復興について漠然としか考えたことがなかったのでいい機会になりました。
復興についてやや甘い認識を持っていて、ただ建物や地面が元通りになるだけでは復興したとはいえないのだと痛感した。
学者、研究者は理論の方が重要であるという今までの自分の考えは間違いであったと感じました。実際に現場に赴き現地の人々や他分野専門の人々と交流することも大事であると痛感しました。
汚染土を地下50cmに埋めれば濃度がかなり薄くなるということでしたが、それは農地ではどうするのですか?農地だと掘り返したりして混ぜ返されてしまうと思いました。
-->講義では濃度が薄まるのではなく放射線量(ガンマ線)が50cmの汚染されていない土層を透過する過程で1/100以下に減衰すると説明したつもりでした。50cm以下に埋め込まれた土壌中の放射性セシウム137は半減期30年で自然に崩壊していきます。通常水田や畑でトラクタで耕耘する深さは20-30cmです。したがって、50cm以下まで耕耘するようなことをしなければ粘土に強く吸着(固定)された放射性セシウムは移動できませんので問題ありません。
能登はまた違う話だと思うが、福島の復興に関しては放射線への意識が焦点になっており、実際の放射線量よりも人々の福島への認識の変化が復興のキーになっているのではないかと思った。(能登はまだ街のダメージを回復することが先決だと思った) 体重にもレジリエンスが働くのかなと気になりました。
講義の本質とは関係ないが、先生がスライドのラピュタについて著作権をとても配慮されていたが、「ドロえもん」についてはドラえもんの著作権に触れていないのか気になった。
-->それが心配だったのでDr.を付けて「Dr.ドロえもん」の商標を取得しましたwww
Dr.ドロえもんプロジェクト
「農学使って農業再生」というフレーズに強く共感できました。「農学栄えて農業滅ぶ」という格言を聞いた時、「農学の発達によってバイオテクノロジー含む農業技術は高度化され一時的には農業の発展が見られる。しかし、それが(現在警鐘が鳴らされているような)環境に悪影響を及ぼしており、最終的にはこれまでの農業を続けることができなくなる」と捉えていた。しかし、今日の講義を踏まえ、1つ目の設問でも書いた通り、「(復興)農学」が持つポテンシャルを活用するこで、災害や地球環境、人間活動などの様々な部分に配慮した農業活動を行うことができるのではと感じました。
初めて農学部でワクワクした授業だった。
放射性セシウムについて土壌の表層に高濃度で分布するという話はこの授業の別の講義で数回耳にしたが、土壌のうち、粘土に吸着する化学的原理を聞いたのは初めてだったので、特に興味深く思った。 ※講義終了直後一度フォームを提出したのですが、エラーになったように思えたのでもう一度提出します。重複してしまっていたら申し訳ありません。
科学的には安全だとしてもそれがそのまま安心に結びつくわけではないため、住民の安心をえられるような説明も大事だと思った
15分以内であることを完全に失念しておりました。申し訳ございません。
レジリエンスについて、住民同士の軋轢なども発生すると思うのですが、復興学ではその辺たりの心理学的側面は扱うのでしょうか?
-->はい、扱います。
復興農学会誌
をみてください。例えば、
放射能被災地におけるスタディツアーが参加者の抱く訪問先への愛着に与える影響 −学生を対象とした福島県飯舘村訪問を事例に−
など。
今回の講義では、復興の過程において大学が関わった例を知った。私はここから、私が以前飯舘村の図図倉庫を訪問した際に感じた、飯舘を盛り上げようとする人たちのパワーと同じものを感じた。もともとは被災地に関係のない人たちも地元の人たちと協力して地域をより良くしよう、盛り上げようとする姿が印象的で、それが学問という一見ハードな分野も関わることができるということが新鮮だった。この姿勢が、復興と復旧の違いである「興」の部分を担うものの一つだと思った。
講義を通じて、復興に関する多角的な視点と実践例を学ぶことができた。しかし、「レジリエンス」を高めるための地域住民の心理的負担や社会的課題について、より詳しく知りたいと感じた。福島のような被災地での取り組みは、他の地域や世界の復興にも応用可能であり、非常に示唆に富む内容だと感じた。
農業農村における情報通信環境整備が進み、そこにAIの技術がはいってくれば、完全な全自動の農業が可能になってくると思います。その時代が来れば、農村の復興の形は農業の再建よりも、住民の確保の方が課題になるなと思いました。もはや農業従事者がいらない農村に住民が新しく入ってくるのは、珍しくなるだろうと思ったからです。
いろいろなことに挑戦するようにしているがいまひとつピンとくるものがなく、モヤモヤを抱えながら過ごしていたが、数十年後役に立つ時がくると考えると気持ちが楽になった。
駒場生:
高齢者にあたる年代の人々がスマートアグリなどを使いこなしているのをみてると、若い私は何事もチャレンジしたいと思いました。
駒場生:
一言に復興と言っても、人の感情が絡むとむづかしい部分があるのだなと感じた。スマート技術はとても画期的だと感じた。
駒場生:
ご講義ありがとうございました。福島第一原発の事故は、農学の問題点を浮き彫りにしたんだなあという感想を抱きました。「農学栄えて農業滅ぶ」この言葉が強く印象に残っています。
駒場生:
震災によって村の基盤が失われてしまうくらい甚大な被害を受けた飯舘村だけど、様々なところと協力しながら、放射線の影響を追うだけでなく、むしろ最先端の仕組みを始めていくのにちょうど良い機会にもなっているのだと思いました。現在は、復興支援金など、詳しくは分かりませんが国から多額の金銭的な援助をもらっており、お金の面で困ることはなさそうですが、それはいずれ打ち切られるものであり、そうなった時に村の予算などの金銭的なバランスをどのように保っていくつもりなのかを知りたいと思いました。
駒場生:
「復興」とは何かについて考える機会となるとともに、人生について考える機会にもなりました。今後の人生、何事も経験だととりあえずやってみようと思います。その時はそれが何の役に立つか全くわからなくても何かの役に立つかもしれないから。
駒場生:
飯舘村の復興のための、土壌の放射性セシウムを取り除く方法や情報通信技術を使った農業の構想について知ることができてとても興味深かった。粘土の特徴に着目して放射性セシウムの対処法を考えていったのは面白いと思った。
駒場生:
飯館村の地域の特産品を活かした地域復興が大変興味深いと思いました。自分もこのようなプロジェクトに参加してみたいと思いました!
一つ前の質問でも回答したように、埋設汚染土の放射線量を測定する過程が興味深かった。特にその測定器の名前がわかりやすくて面白かったのと、それを踏まえて数値的に結果を考察していて非常に興味が湧いた。
駒場生:
今”わくわく度”が下がってきているところだったので、お話を聞いて、ちょっと頑張ろうと思いました。農学部は実学重視と聞いていましたが、それがどういうことなのかが今回分かりました。先生が飯舘村に関わり続ける理由がいろいろありましたが、自分もこれから地域に関わっていくうえでじっくり考えていかないといけないなと思いました。
駒場生:
11月末の復興知ツアーに参加させていただいたのですが、そのときに見聞きしたことが再び出てきたので懐かしい気持ちになりました。ところで、やはり教室で話を聞いているのと、ツアーの際にその場で見たのとでは、異なる印象を受けました。逆説的に、現場主義の意義を理解することになったということです。
駒場生:
人生はなんとかなるという話を聞いてある程度納得はしましたが、自分は、それを前提といて機会がきた時のために修練を重ねようと思いました。
駒場生:
以前この講義の別の先生の授業で、社会科学分野の研究者が被災地で調査を行うと、研究対象とされた側は対応するための時間や労力を取られるにも関わらず研究者を受け入れることの利益を感じられず、被災者に一方的に迷惑がかかることがあるというお話がありました。理系の分野の研究者が被災地を訪れて調査をしたり実験をしたりすることは、被災地の方々にどのように受け止められているのでしょうか。
ハチ公の話がおもしろかったです。飼い主が東大教授なのは知りませんでした。
駒場生:
ご講義ありがとうございました。私は大学に入って色々な人と出会い、それまで興味のなかったことや苦手としていたことにもわくわくを感じられるようになりました。福島に行き、現地の農家の方や村長、さらには研究を進める院生の方々の姿を見てエネルギーを感じ、ますますわくわく度があがりました。これからも興味が変化していくのかと思うと本当に「人間万事塞翁が馬」だと思います。 スマート農業について質問です。スマート農業は確かに画期的ですが、遠隔操作ができることで逆に農村から人が減ってしまうのでは、という意見を聞いたことがあります。先生はこの点についてどのようにお考えでしょうか。
-->技術が進めば農業に必要な労力や拘束時間が減るのは確かです。しかし、それで余った労力や時間をこれまでよりも豊かな生き方に使えるようになるとも考えられます。どんな生き方が良いのか各自が選択できる世の中になってほしいと思います。そうした世の中なるかどうかも若いみんなの行動次第だと思います。
駒場生:
先生は、官公庁に勤めていた経験があり、大学の教授であり、地元の農業に立脚した活動をしているという、多くの視点があることから、飯舘村の支援も研究も両輪で進めることができているのかなと思います。私も巡り合わせを大切にしてさまざまな経験をしていきたいと思いました。
レポート
(昨年の例)
参考:
同じような内容の講義を聞いた他クラスの学生の感想
東京大学総合科目一般・食を支える水と土の環境科学
(2024年駒場生)
東京大学全学自由研究ゼミナール:週刊・福島復興知学講義
(2024年駒場生)
学術フロンティア講義「30年後の世界へ--ポスト2050を希望に変える」
(2024年駒場生)
関連ページ:
飯舘村関連の講義
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,
農学国際専攻
,
農学生命科学研究科
,
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Update by mizo (2025.1.10)