放射線環境学22

復興農学による原発被災地の農業再生

担当: 溝口勝

(2023.1.16)  受講者67名以上(レポート提出者67名)


このページは、受講生のレポートを共有することにより、講義を単に受けっぱなしにせず、自分の考えを主体的に表現し、自分とは異なる視点もあることに気づくことで、より深みのある講義にすることを目的に作成しています。
 

資料

講義資料 講義資料(6ページ/枚) 講義動画

レポート課題

溝口研究室 Mizo lab. ホームページ  のTopicsの記事の中から1つを選んで読み、講義を聴いたことや過去のレポートを参考にしながら、「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」考えを述べよ。A4で1枚にまとめて提出すること。
  締切:2023年1月30日23:59
  提出後に自分のレポートがあるかを確認してください。非公開にしたい人はレポートの最初に(非公開希望)と書いてください。何となくいいな、という箇所には花丸をつけることもあります。(成績とは無関係です)

  1. 2022年12月1日の西原小学校での講演資料とその感想を読んだ。
    開いてみると小学校での講演資料だからという予想は裏切られ、講義でも出てきた図表などがひらがな表記はされつつもしっかり使われていて驚いた。生き方の話の部分は学校に地元の有志の方などが来て行う講演ではよくある構図の話かもしれないが、それを起点にした上での霜柱から始まる福島の土壌までの話は十分に理解ができなかった児童でもなにか自分たちの先輩の研究者はすごいことをしているのだろうという人生の小さな積み重ねはあったのかもしれないと想像できた。生徒たちの感想も福島の話やドロについて興味を持った意見もあり、栃木県ならどちらも身近である対象に幾分かは興味が持つきっかけになったのだろう。
    これはまさに授業中の一つのテーマでもあった現場に行ってその実情を知り広く機会を活用するという部分の活動の一例なのだと感じた。直接今現在の被災地農業再生に関わる活動が重要なのは当然ながら、その辺縁の何十年後かに思わぬつながりをするかもしれない活動も地道にしていくこと、そしてそれを現場を知っている人が行うことが、大きな意味を持つのだろう。
    私自身も、震災3年後に田村市から双葉町に近づくあたりまで滞在して積み上がる黒い袋を見て以来福島とは縁がなかったが、その時説明をしてくれたことが少しよみがえってきた。大学の講義を通して当時は浅くしか理解できなかったことが、数年越しに繋がった感覚がある。また今度行く機会があるときには、まちの変化含めて全く違う景色が見えるのだろう。
    今自分が被災地の農業再生に積極的な行動を今すぐに起こすのはイメージできないが、こういう緩やかな繋がりが記憶にあり続けることはいつでもできることだろう。あの時食べさせてもらった養鶏場のこだわりプリンをおぼろげな記憶を駆使して見つけ出して、宅配ででも頼んでみようかなと思った。

  2. 被災地の農業再生について私ができることを考えた。大学生としての自分を見てみると、専門は土壌ではない上、研究の知識ぼ乏しい。だが、大学に入ってからしばらくWEBマーケティングの業界に身を置いていることから、多少なりとものマーケティングの知識が身についたと思う。
    ビジネス面で被災地の農業再生に貢献することができないか考えた時に、授業でも日本酒に話があったが、被災地産の名産品を開発して、被災地ならではのストーリーライン(被災からの復興・復活)をネットを利用して効果的に広げることができるはずだ。
    震災から時間が経ったものの、なかなか一般の人の被爆等の認識は真実と離れてしまっている部分はある。その認識のずれを解消しつつ、消費者を復興へのストーリーに共感させ多くの人を巻き込みながらプロダクトを生み出していきたい。

  3. 私は、「農業農村開発の技術を考える」をTopicから選びました。農村が時代とともに変化していく様子や、これからの農業と技術との関わり方について学ぶことができました。話の筋とあまり関係ないですが、途中で「結」という言葉が出てきたかと思うのですが、私の出身である沖縄にも「ユイマール」という似た意味を持つ言葉があり、懐かしく感じました。
    私自身ができそうな被災地の農業再生としては、実際に被災地を訪れて現状を知ることと、そこで生活をしている人々や復興を進めようとしている人々の手助けをすることが挙げられます。手助けをする前にまず現状を知ることで、どのような課題があるのか、どのような手助けを必要としているのかをより正確に判断できると思ったからです。また、先生が講義でおっしゃっていたように、その土地で暮らす人々と関わっていくことが特に重要ではないかと思い、その点でも現地に赴き、人々と交流していくことが大切だと思います。

    http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec60/ard60_key_note_g.html

  4. 福島原発事故-土から見た10年』の感想

    自分自身にできる被災地の農業再生について、大きく2点あると考える。
    一つ目は、放射性物質の滞留の過程や作物への蓄積の過程などを正しく知ることであると思った。正しい知識がないと「福島の農作物は放射能で危険」という直感的かつ短絡的な思考に陥ってしまうためである。文中でも、SPEEDIのデータを公表しなかったことで「正しく知る」ことができなくなったことが問題となったことが挙げられているが、このような場合に情報公開要求を行うなど、「知る権利」をこうしすることの重要性があると思った。
    また、飯館村への避難勧告が遅れたことも、事前に汚染情報が公開されていれば防げた自体であると考えられるが、風の状況が放射能移行に影響するという知識を持たずに政治的決定を下した政府に対してその妥当性の検証を行うことはできたと考えられることや、十分な知識を持っている人が村に入れば自主的な移動もできたと考えられる。その面でも、私は正しい知識を持って判断できる人が一人でも多く存在する社会が重要であると考える。
    表土剥ぎ取りに関しても、その汚染土の受け入れ先を考慮せずに始めたことなど、十分な検討がなされていない「その場しのぎ」の案にすぎないと感じた。この際、表土剥ぎ取り以外にも土壌攪拌や天地返しによる土壌対策が挙げられていたものの、結果として表土剥ぎ取りが主流になったことに問題があると考えるが、農家や消費者が正しく放射能のことを知り、過度に恐れない姿勢を示すことによって防げる問題だったのではないかと思う。
    汚染土の行先についても私たちは知るべき情報であると考える。例えば、汚染土の存在によって、有害であると認められる地域の範囲や、風雨によって拡散する程度など、自身の安全を守ために必要な情報を探すとともに、周りの人々に共有する姿勢が大事であると考える。
    また、「正しく知る」ことは、直接農家を支援することにもつながると考える。現在、福島県で生産されている食品は、諸外国よりはるかに厳しい放射線検査の下、合格判定を受けているものであるため、健康被害などの原因になる可能性は家畜、林産物や河川の魚類をのぞいて極めて低いと考えられている。そのため、福島県産の食品だからと行って忌避することなく、むしろ積極的に購入することが重要なことであると考える。
    2点目は正しい情報を知った上で、それを元情報とともに拡散することである。現在のSNSを中心に情報が広がる社会では、出所不明の情報や意図的に流されたデマなどが相次いでいる。その中には放射能を扱ったものも少なからず存在し、今なお残る風評被害の一因にもなっている。多くの人が正しい知識を共有することによって、福島の農作物に対する偏見をなくすことが重要である。そのためにはこの十年間、様々な人がこの問題に取り組み、残してきたデータを余すことなく伝える必要があると思う。それだけでなく、現状の問題や、なぜ新しい手法が必要なのか、その方法によってどういう結果がもたらされるかなどを明示することで、より人々に安心感と納得感を与えることができると思う。

  5. 私は、「『震災から10年:ワクワクする村づくりのための村学連携』 飯舘村長インタビュー」を読んだ。村づくりのための政策について、村長の捉え方や溝口先生の持つ積極性を大いに学んだ。その中で気になった点である、「学生や研究者がいきなり市町村に連絡すると迷惑になってしまう」という部分について、何かしらうまくいく方法はないのだろうかと考えたのでそのことについて記すことにする。

    1 解決したい点
    ・学生や研究者は、地方にアプローチしたいときにどのようにアプローチするのが適切なのかわからない
    ・自治体は、どのように対応すればいいかわからない
    2 提案(非公開)
    3 利点
    ・連絡を一本化できる
    ・連絡する場所がわかりやすい
    ・自治体側は一括で管理ができる
    ・企業が出資しやすくなり、3者とも繋がりを得やすくなる
    4 懸念点・詰まっていない点など
    ・事業化する場合、どこでお金を取るか考える必要がある
    ・企業のインセンティブが弱い
    ・自治体側に最初協力してもらえるかどうか怪しい
    ・自治体側は、アプローチがどの課のものか把握する必要があり、その担当の置き方に困る可能性がある
    5 結び
    このように、一つの案としてプラットフォームベースを考えた。「民間から動いた方が良い」というエッセンスも考慮してこのような形を考えたが、やはりそれなりに支援や補助が必要な気がした。これからもこのようなアイデアを考えていきたい。

    ※いくらかの市長・副市長に話したら「面白そうだしやってみたら?」と言ってくださったので検討しようと思います。もしよろしければアイデアの流出を防ぐ観点から非公開でお願いします。  -->個人的には特に非公開にするような内容ではなく、むしろ公開して仲間を募って一緒にやった方が実現性があると思うのですが、ご希望通り「2提案」を非公開にしました。

  6. 「飯舘村に通い続けて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読んで、私自身が出来そうな被災地の農業支援について考える。前提として、農学部の学生とは言え、放射線に関する専門知識や農業に関する知識が十分でない私が、溝口先生のような技術支援を行うことは不可能である。その前提の下で、農業支援を行うにあたり、飯館村の方々や再生の会のメンバーにない私の強みは若者であることだと考える。特に、飯館村が力を入れようと試みている若者の教育に関しては、まず、いかにターゲットである彼らに飯館村の農業に関心を持たせるかが肝要である。記事中にあった大学を介した若者との接触だけでなく、より幅広い若者に関心を持ってもらうための若者受けするコンテンツの作成やSNS戦略を私たちが手伝うことで、それが将来を見据えた形態の農業支援になると考えている。

  7. 「福島県の水田および畑作土壌からの137Cs,134Cs ならびに131I の溶出実験」
    についての感想

    2011年に6名の連名で執筆された上記の論文を読んだ。授業の内容と比較してみると、記載がいくつかの類型に分けられることが分かった。一つ目は論文ですでに判明していた部分だ。二つ目は疑問点だ。三つめは当時予測されていなかった、あるいは重要視されていなかったが、実際には重要だった要素だ。これらの要素をもとにこの論文の意義を評価していきたい。まず当該論文の概略を述べる。著者らの興味は土壌の放射性物質の固定に向けられていた。その程度を評価するため土壌を採取し、水を加えては攪拌し、上澄みを除いて残存する放射性物質の量を推定した。得られた結果は134および137Csが30%まで流出していくが、流出は回数を経るほど少なくなるというものだった。まず137Csの稲への移行が問題視されていたが、これは授業でもそのように扱われたので一つ目に属すると思う。ただしK+の代替として取り込まれるという記述が一つも見られなかったので、これがのちに判明したのか偶然書かなかったのかが気になった。二つ目の疑問点としてはその直後の記述がある。すなわち「〜移行が問題となるので、降下直後の初期において除去することが肝要である」という記述だ。確かに移行は問題だが、除去以外にもカリウム施肥により吸収を抑制することで除去しなくても対応できる場合がある。3つ目の例として、放射性物質の様々な移動経路が無視されていることがある。あたかも土壌から根を通して実に行くのが当然のように扱われているが、授業では表皮から実に行くケースや、葉から落葉が原因で土に移行するケースもあるため、土壌からの溶出量の測定だけでは移行が判明しない。これらの要素をふまえると、この論文は基礎実験として位置付けるのがいいだろう。条件と結論が単純化されているので、再現性も高そうである。より複雑な実際のケースに直接適応はできないだろうが、筋道をつける意味がありそうだ。作物栽培に直ちに適用するのではなく、あくまで土壌の性質についての実験として位置付けるのが良いのではないだろうか。
    参考
    福島県の水田および畑作土壌からの137Cs,134Cs ならびに131I の溶出実験, 野川憲夫,橋本 健,田野井慶太朗,中西友子,二瓶直登,小野勇治, 東京大学大学院 農学生命科学研究科, 2011/6

  8. 「『復興知学』が最終処分問題を解き核燃料サイクルの担い手を輩出する?!」の記事を読んで考えたことを述べる。
    日本人は“穢れ”のようなものを過度に意識する傾向にあり、実際には放射能汚染の影響は大きく緩和されていてもなかなか負の印象が拭えず、福島県産の農産物に対しての風評被害が解消されにくい、という、国の特徴や国民の一般的傾向に注目した視点で復興問題を捉えていることに興味をひかれた。
    この記事内で、第二次世界停戦で原爆投下地となったが、「国際平和都市」を標ぼうし復興を遂げ、現在は世界に向けて平和の重要性を発信し都市に対する負のイメージを完全に払拭した、広島・長崎と比較されているが、福島でもホープツーリズムを推進することで、広島・長崎が戦争の恐ろしさについて発信し観光地として発展しているように、福島も自然災害の恐ろしさを伝える都市としてメッセージを発信し、負のイメージを払拭していくことができるのではないか、と考えた。また、復興の記録を細かく写真や物質、文章などで資料として記録し、被災から復興までの様子が細かく把握できるようなプラットホームを作ることで、当時の人々の苦労や努力が後世にまで伝えられ、人々にエネルギーを与えるような都市としてプラスのイメージで塗り替えることもできるだろう。
    しかし、日本で大衆のイメージを塗り替えるには膨大な時間が必要なので、私たち個人としては、まず自分たちが偏見を取り除き実際に出向き、SNS等で発信し、周りの人々に対し被災地への少しでも良い印象を与えることで、それらの復興活動に貢献できると考えた。

  9. 今年度のSセメスターに駒場開催の『水と土の環境科学』の講義以来で別視点のお話を伺えて嬉しかったです。以前の講義では農業を支えるインフラやICT技術が中心でしたが、今回は放射性セシウムの除染が中心でした。凍土剥ぎ取り法やまでい法などの除染方法と、セシウムは土とくっつくので土壌中をあまり移動しないから作物が栄養を吸収する範囲よりも深い場所に埋め込めば良い、汚染された土壌を取り除けばいいというような除染方法が有効である理由も含めて学べました。また、放射性セシウムが土壌の中でも粘土の構造の穴にすっぽりと嵌ってしまうのでくっつくというミクロな視点も得られてよかったです。さて、被災地の農業再生についてですが、良い作物を作るには良い土壌からだと思いますので土壌再生の活動を行なっている団体に寄付をすることから始めれば良いだろうと考えました。ただ、福島復興ポータルサイトを覗いてみたところ令和2年度の取り組みにおいては土壌再生を事業の活動としているという記述は見られませんでした。そうすると、自分で現地に行ってその作業を行うか、数十年後に政界で昇り詰めて国家予算を復興のために振り分けるかをしなければならないと思いました。他に今すぐできることなら、講義中に紹介していただいた不死鳥の如くのように福島産の農産品を購入することで僅かながらも金銭的支援とすることができると思います。もう飲酒できる年齢になったので日本酒を楽しみながら復興の力になれたらいいなと思いました。

  10. 被災地の復興に我々消費者ができることとして、福島の農業の現状について正しく理解し判断力をつけることがある。消費者の多くは農村の実態を知らず、メディアの報道やインターネットで拡散される情報のみによって農産物の安全性を判断している。消費者が農業の実状を知るためには、メディアによって取り上げられる一部の情報だけでは十分ではなく、農家による直接的な情報発信が重要になると考えられる。農村部におけるICT技術の活用は、農業の労働負担減少や効率化につながるだけでなく、正しい情報の拡散にも役立つ。また、従来の農業を取り戻すことを目標とするのではなく、新しい農業の方法を取り入れたりこれまでになかった魅力を売りにすることも再生に向けた戦略の一つだと言える。例えば、近年は情報技術の発展及び流通網の発達により、生産者と消費者が直接やりとりを行い農作物を売買する農業経営手法が拡大している。このようなインターネット上のプラットフォームの活用は、被災地の農作物を宣伝するとともに生産時の多様な情報を容易に発信可能にするため透明性・安全性の担保につながり、風評被害の防止になると考えられる。また、生産者と消費者が市場を介さずに売買できるようになることで、これまで卸売り市場で業者の基準を果たせずにはじかれていた農産物が消費者のところに届くようになり、無駄がなく持続可能な農業経営の先駆者となる可能性もある。最新の技術やマーケティングを取り入れた農業経営手法は、必需品・伝統だから仕方なく続けるといった農業の側面を薄れさせ、ビジネスとして展望がある分野として若い層にアピールでき、新規就農者の呼び込みにつながると言える。これを実現するには、農村部での情報インフラの整備を進めるとともに生産者と消費者とをつなげるオンラインプラットフォームを作り、スーパーなどの店舗を通さない食料調達を消費者のライフスタイルに浸透させる取り組みをしていくことが必要である。
     -->「国家予算を復興のために振り分ける」ことは既に動いていて、今年4月にF-REI(福島国際研究教育機構 )が新設されます。

  11. 『「震災から10年:ワクワクする村づくりのための村学連携」飯舘村長インタビュー』を読んだ。この記事の中には、溝口先生や杉岡村長の発言のあらゆるところに、学生や若者ができることのヒントが散りばめられていたように感じたが、その中には、学生時代にできることと、大人になった時に再び思い出したいことの両方が含まれていた。まず、前者に関して最も印象に残ったのは、ドロえもんの本(土ってふしぎ!)の英語版・中国語版の製作の話題で登場した、飯舘村のことや杉岡村長が考えていることを日本国内や海外の人に伝えることの難しさや、「日本の農村文化そのものを海外の人に伝えられるか」といったことだ。大陸から遠く離れた島国で、山や森林、自然災害が多いといった特殊な自然環境と、人々が経験してきた災害と復興の歴史の下で育まれた日本の農村文化は、大陸の中にあって常に隣国からの危機と対峙してきたヨーロッパ諸国やアフリカ諸国、広大な土地を開拓してきた歴史を持つアメリカ大陸の諸国にはないような特徴があり、彼らからは理解しづらい一方で非常に特別な文化である。こうした日本・飯舘村の農村文化の実態・課題や、逆にそこに潜む魅力を海外に発信していくことは、留学や海外研修など海外の学生との交流の機会が与えられている私達自身が率先して行っていけることの一つと考える。
    とはいえ、これら飯舘村をはじめとする被災地や、日本農業・農村文化の実態・魅力を実際に言語化して上手く伝えられる自信は、少なくとも今の自分にはない。そのため、今回の講義で感じたこと、浮かんだアイディアを記憶することや、自分自身の知見を広げ話のタネを増やすため、また杉岡村長が述べていたような「村にいる人にはわからない、(逆に)都会の人だからわかる『ふるさと資源』」を発掘し地域に還元するためにも、何回でも現場に足を運び農家さんや役場の方、住民の方々に話を聞き、自分の感性やアイディアを大切にし、記録することは欠かせないと思う。またこの際に、実際に農家や農村の風景・様子をさまざまな角度から撮影し、誰かに伝える際にその動画や使うことで、「バーチャル田植え」のようによりイメージがつきやすくなるかもしれない。
    もう一つこの記事の中で心に留まったのは、ツツジがせっかく綺麗に咲いているにも関わらずそれが地域の活性化に生かされていないという話である。杉岡村長が強調していたように、行政が新たに何かを企画・実行するのは困難であるため、「若い人たちが良い形で村に入ってきて、アイディアを互いに出し合って、民間ベースでやり出せたら」良いのではないか。このような取り組みは当然私一人でできるものではないが、新たに何かを生み出すだけではなく、こうした既存の資源や魅力を生かしたアイディアの創出を心がけることは大事であると思った。さらに、既存のものを生かすという視点では、被災地に関わりたいモチベーションとスキルのある人たちを生かすことも必要ではないかと感じる。ただし村長が述べているように彼らを受け入れる村側との交通整理役は不可欠であり、それを学生が行う難しさはある。しかし、記事で提案されていたようなことの他にも、例えば意欲のある人と村とをつなぐプラットフォームづくりの手助けなどであれば学生でも関われるだろう。このように、私や私世代の人ができそうなことはいくつか考えられ、被災地の農業再生からは少し外れてしまうが、私自身将来携わりたい国際協力、開発支援の現場においても、このような意識は共通して重要であるに違いない。

  12. 大変申し訳ございません。
    課題に取り組もうと講義資料を参照しようと致しましたら、講義資料が削除されておりました。
    該当のWebページが不明のため課題に取り組むことができない状況です。
    どうすればいいでしょうか。
    よろしくお願いいたします。-->削除はしていません。たぶん別のページを見ていたのでしょう。成績には関係ないレポートですから他の学生のコメントを読んでみてください。

  13. 「情報基盤整備、地方が主役」を読みました。この記事はコロナ禍において大学の授業がオンラインになったことを念頭に置いて書かれたものだと思います。この頃、学生の中では授業をオンラインで受けれるのだからどこで受けても大丈夫という考えのもと、実家から離れ、地方で暮らしながら大学の授業を受ける地域留学が発達し始めました。私はオンライン授業全盛の頃に地域留学に行ったわけではないのですが、昨年の夏に1ヶ月ほど宮崎県の日南市というところに地域留学に行ってきました。そこで感じたことは地域の生のものに触れることの重要性です。私は地域で暮らすカッコいい大人たちと同年代の仲間たちと一定期間共に過ごしたことによって、今までの自分の人生にはなかった濃い経験を積むことができました。このような経験が私は飯館村でも積むことができると考えています。私は技術系の科学者になるつもりはないので、理系分野から飯館村の農業の復興に貢献することはおそらくありません。しかし、もし自分が飯館村に関わることがあるのならば学生などの若い人に飯館村のリアルを感じられる仕組みを作りたいと思っています。そのリアルな経験とは、原発事故からの復興に取り組む農業者の姿を見ることであったり、彼らと協力して何かをするということです。このような経験は普段の生活、特に都心に住むような若者ではできるものではなく、一度経験したらその人の価値観を変えうるものです。そしてそのような経験を持つ人が増えていくことで飯館村に目を向ける人が増え、そのことが飯館村にとっての財産になると思います。私にもし飯館村に対してできることがあるとすれば、高校生や大学生が飯館村での生活を経験できる機会を設けることだと考えています。

    経験をすることで飯館村に還元される  -->こうした若者によるチャレンジは既に始まっています。(飯舘に秘密基地? , MARBLiNG, Inc., MARBLiNGが飯舘村で思い描く、未来の「いなか」

  14. 溝口研究室ホームページTopicsから私が選んで拝読したのは2018年10月27日の毎日新聞に掲載された「若者の交流や挑戦 活発に」という記事である。現地主義の復興活動が非常に重要であることが分かった一方で、国の予算が減少したのちの復興に関しては被災地外からの協力、被災地内外のコミュニケーションも必須になってくるということが改めて分かった。また、教授が現地に学生を連れていって現場を見せていることから、若い力が今現地で期待されているということが分かった。同時に将来にわたって持続的な農業を目指そうと考えた時、スマート農業の実施などによる技術の導入や抜本的で大規模な復興支援が必要であると分かり、福島県における農業復興の難しさ、厳しい現実を感じた。
    これを踏まえて私にできる被災地の農業再生への貢献について考えてみた。個人的に福島県は母の実家であるという理由もあって思い入れが深く、少しでも早く復興してほしいという思いがある。しかし一方で学生であり、お金も社会的地位も目立ったもののない私個人にできることは現時点では非常に限られているのは事実である。その中で一つ考えられるのは現地の農家さんへお邪魔してボランティアを行うことである。やはり農業再生の中心に立つのは現地の農家さんをはじめとする福島県民の皆さんだと思う。その方々を支えたり、微力ではあれ後押ししたりすることで農業再生に貢献できると考える。調べてみると、「福島県内地域おこし協力隊・復興支援員」の募集があった。このような福島県が募集しているボランティアに参加するのは一つの方法として有効だと思う。
    もう一つはとても小さいことではあるがやはり、積極的に福島県産の農作物を購入することである。このメリットとしては日常的に、継続的に貢献できるという点である。消費者の我々が福島県産の農作物の価値を認め消費することが、農業の復興には必要不可欠であると考える。
    また、近年はSNSが社会に与える影響が非常に大きい。福島県の農業に関する情報を少しでも多くの人に届けるためにTwitter, Facebook, InstagramをはじめとするSNSも利用して発信することで、私の周りの人が福島県の農業について考えるきっかけになると考えている。
    参考資料
    https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11025b/goudoubosyuu20230128.html
    (福島県内地域おこし協力隊・復興支援員の説明会開催のお知らせです)

  15.  「除染後の農地と村(むら)の復興」という記事を読んだり、講義を聞いたりした中で感じたのは、一度汚染してしまった土地の復興には問題が何層にも重なっているということだ。汚染されてしまった土地で農業を復興するには、まず放射性物質で汚染されてしまった農地を除染する必要がある。除染の方法は講義内では、凍土剥ぎ取り法、表土削り取り、水による土壌攪拌・除去、反転耕などが紹介されていた。飯館村で行われている表土削り取り法では、削り取った後の農地に山砂が客土され、テニスコートのような土地が出来上がり、雑草が繁茂するが、こうした土地は村民の農業再生意欲と帰村意欲を低下させるという問題がある。また、削り取った表土は、汚染しているために他の目的に使うことが難しく、ただ集めて置いておくことしか出来ず、最終的な処理が問題となっている。このように農業の再生にはさまざまな問題が存在する。しかし、問題はそれだけでなく、放射性物質によって汚染しているとの風評被害を受けた農作物は、例え基準値を超えるような汚染が認められなくても消費者に買ってもらえないことも大きな問題である。このように、農業の復興はただ汚染されていない農作物が作れるようになれば良いというだけの問題ではなく、様々な課題が絡み合っている。
     こうした問題に対して、私自身ができると思う被災地の農業再生は、@新たな技術の開発を目指すこと、A風評被害の改善のために正しい知識を広めることが必要であると思う。@については、例えば除染後の土地がグラウンドのような雑草が繁茂する硬い土壌になってしまう問題は、機械による土地の反転が行えれば改善されたり、除染後の土の処理の問題も放射性物質に汚染された部分とそうではない部分を分離することができれば再利用が可能になったり、農作物の放射線量が正しく測れるような器械が開発できればより安全性が保証された食品を出荷することができるようになる。Aについては、風評被害の現状として被災地の農作物は、実際の情報とは関係なしに先入観だけで汚染されている、危険であるといったイメージで購買が避けられている。こうした状況に対しては、正しい知識をより広く普及していく必要がある。私のように、正しい情報を得る機会が与えられた人が世間に対してその情報を発信し普及させる必要があると思う。実際、被災地の農作物は基準値を下回っており、非常に品質が良いものも多いので、正しい評価を受ける必要があると思う。被災地に寄り添って、積極的に関わり、生の声を聞くことで、被災地と連携して農業の再生を目指していくことが必要であると思った。

  16. 私は「放射能被災地におけるスタディツアーが参加者の抱く訪問先への愛着に与える影響」を読んだ。スタディツアー参加者は愛着が高まる傾向にあり、被災地のポジティブな側面に目を向けることでよりその効果が高まるという点を指摘していた。
     自分ができそうな被災地の農業再生は、まずはスタディツアーに参加することだと思う。被災者ではない自分の中に被災地への愛着が生まれることで、被災地への興味が増す。被災者でない人の一人一人の中に被災地への継続的な興味が生じ、被災地産の農作物を購入したり被災地を訪問したりするようになることが、被災地の農業再生につながるのではないかと思う。しかし就職後は時間確保等にかかるコストが大きくなるのではないかと予想できる。大学生の今なら、被災地に赴き地域の方と関わりやすいのではないかと思う。
     講義室で講義を聞くことだけでも新たな知識を得ることはできるが、知識を得たとしても現場を知らないと実感を伴わない。実感がなければ継続的な意識や行動の変化は生まれない。そのためまずスタディツアーを利用して被災地に赴き、被災者の方と関わり、現場を知りたい。また参加後も継続的な行動をとることが必要だ。そのために、スタディツアーに備えて参加前には基本的な知識を身につけておく必要がある。またスタディツアー中に現地の方が「見られる」側から「見る」側に立場を変えることがあるのと同様に、私も「見る」側の視点に加え、可能なかぎり「見られる」側の立場でも考えられるようにしたい。これらにより、ツアー参加後も自分の意識や行動を変化させることができると考える。また東京に戻ってからも周囲の人に対して被災地への興味を持つ者の視点で接することができ、自分が被災地復興の一助となることができるかもしれない。
    今の私には被災地の農業再生を技術的に進められるほどの知識があるわけではないし、風評被害を急激に減らせるような力を持っているわけでもない。今の私にできることは、スタディツアーに参加するといった小さなことだけだ。しかしその小さなことが今の自分にできる被災地の農業再生であり、将来的に私や私の周囲の人の意識・行動の変化を促すのではないかと思う。  -->駒場の福島復興知学で実施しているスタディツアーはまさにこの効果を狙っています。

  17. 私は、溝口研究室ホームページtopicsの資料のうち、「飯舘村に通いつづけて8年半 -大学と現場をつなぐ農学教育-」を読んだ。資料内では福島の復興に必要な戦略・思考と、農学部が復興支援のために果たすべき役割について解説されていた。なかでも強く印象に残ったのが、被災地の厳密な現状把握・理解に基づいた研究プログラムが組まれている点である。本講義内でも再三にわたり現場主義的な理解と活動の重要性が説明されていたが、本資料でも一貫してその姿勢が貫かれており、その重要性を再認識することができた。
    また、資料内で紹介されていた横井時敬先生のことば、「農学栄えて農業滅ぶ」も、現場あっての農学であることを改めて確認させられる言い得て妙な表現だと感じ、非常に印象的なものであった。
    このような現場第一な理念を考えると、なによりもまず現場の正確な理解が必要不可欠であり、自分が被災地の農業再生についてやるべきことについても、まずは現場の状況を農学の観点から正確に把握することであると感じた。正確な現状の理解がないままに復興支援・被害対策はできず、被災地の現状に対する自分の根本的な認識・理解の不足を実感した。したがって、被災地の農業再生について考えるために、まず正確に被災地の現状を把握するところから始めたいと思う。またその点で、本セメスターを通して「放射線環境学」で得た知見は、被災地の現状を理解するための大きな手助けとなり、とても意義ある時間であったと思う。

  18. 私は溝口研究室のホームページより、「福島から始まる復興農学」の記事を読んだ。福島の地に実際に足を運び、学生らとともに現地調査を行うといった活動は、若い世代への継承という意味も込めて持続的で価値のある活動のように思えるが、では一方で、「私自身ができそうな被災地の農業再生」とは何であろうか、このレポートを通じて考えたい。先生が授業中に紹介してくださった「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉が痛烈に印象に残っている。実際に現地に足を運び、見て、触って、味わうことをしなければ研究は机上の空論になってしまう。この考えは正しい。一方で、現地に足を運ぶことのできる人にしか、農業再生のための支援が行えないのかと聞かれれば、そうではないと思う。農業再生のことを想い、福島へ足を運べる人は限られている。鍵は、現地調査によって得た学びを、どう広く一般に共有するのか、という点ではないか。現地調査の事後活動として溝口研究室のホームページから読み取れることは、研究会での発表、セミナー勉強会などであろうか。(他にあれば教えていただきたいです!)これらは農業や復興支援について関心がある人を対象としているように思える。もっと広く、一般的な消費者層にまで認識を共有することが、復興支援の近道だと思う。そのためには、福島の現状・対策に関する情報を、消費者が直接目にするツールで共有していくことが必要である。具体的にはメディアなどによる報道や小売業者への売り込み等のビジネスだ。土壌の除去作業など、福島の農業再生のために努力が重ねられてきた過程を知れば、福島の農産物について前向きになる人も多いだろう。以上までで述べてきたことは、私がすぐ実行に移せることではない。私にもっと身近な例でいくと、学生がより気軽に現地へ赴き農業に触れることができる機会がもっと多くあれば良いなと思う。東日本大震災を過去のものと捉える人が増える中で、若者が現地に耳を傾ける価値は非常に大きい。

  19. 私は「放射能被災地におけるスタディーツアーが参加者の抱く訪問先への愛着に与える影響」「飯館村に通い続けて約8年‐土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス2019.5)」と、「真の復興、飯館村民に学ぶ(下野新聞日曜論壇2)」「他分野の知の結集を(復興農学会)」を読み、被災地の農業再生のために私ができそうなことは、被災地を訪問し、正確な現状をポジティブなイメージも併せて周囲に伝え、自分自身はまず柔軟な知識をつけることだと思った。
     「飯館村に通い続けて約8年」から、大学などで学んだ、もしくは研究で得た知識を机上で動かして使うだけにならずに、現地の実情に合わせて運用することの必要性が分かった。それは、現地の実情にあった復興方法を考えることができるだけではなく、現地の住民や役所と円滑に相互の意見交換を行い、その合意を得る上でも欠かせないからだと思う。合わせて、「他分野の知の結集を」から分野横断的な知識の重要性も学んだ。これらから言えることは、学んだことを柔軟にいかすことだ。現在の私は知識不足だが、ここで学んでいるその最中にも受動的に授業をうけるのではなく、どのように運用するか能動的に考えることで実際現地で柔軟な知の運用をしやすくなると思う。
     また、スタディーツアーについての論文を読み、スタディーツアーでポジティブな側面に触れることが訪問先への愛着に影響し得ることを興味深く感じた。同時に、「真の復興、飯館村民に学ぶ」からも感じたが、土壌物理に関することだけでなく、土地への愛着といった情緒的な面も復興における大切な要素であるというメッセージが伝わってきた。この部分は知識と経験が不足している今からでも携われると思う。被災地を訪問し、その地のポジティブな側面を自分でも実感し伝えることで、将来自分が現地で復興に携わるとしたら現地に根差した活動の原体験になるし、他の人の被災地への見方を変えることができるかもしれない。
     したがって、被災地に訪問し現地の実情を把握し伝え、その体験をもとに多分野を柔軟に学び、将来活かすことが私にできることだと思う。

  20. 若者の交流や挑戦 活発に
    (http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/papers/mainichi181027.pdf) を読みました。まず感じたのは、被災地で起きていることを「自分ごと」として考えるのが非常に重要なことだということです。そもそも、震災からもうすぐ12年という年月が経とうとしている中で、震災に関する情報を見聞きする機会も減ってきました。そんな状況で実感を伴いながら「自分ごと」として考えるのは難しいと言えるでしょう。そこで、まずは被災地に行って被災地の状況や風景、空気を肌で感じることが重要だと考えました。しかし、経験も知識も足りない自分には被災地の農業再生について何ができるかは正直よくわかりません。被災地産の作物を買うことや、被災地の実情に関する知識を増やすなども考えてみましたがやはり一番は実際に足を運び、空気を肌で感じることだと思います。希望的観測も入っているのでしょうが実際に訪れ「自分ごと」として考えられるようになった後で自分には何ができるかについて考えてみたいです。

  21. 『学問は出会いと現場から』を読み、現場に赴き、現地の声に耳を傾け、自らが習得してきた学問・専門的な知識と結びつけて、総合的なアプローチをとることの重要さを感じた。百聞は一見に如かず、とよく言ったもので、実際に現地に赴き一次データに触れなければわからないことはたくさんある。講義で紹介されていたが、同じ事例を扱っている新聞記事でも、恣意的に現地の声を切り取っている記事があるなど、メディアを通じた二次情報は信頼に欠けることも少なくない。大学で専門的知識を習得しながら、一次情報も積極的に得ようとする姿勢をこれからも意識的にキープしていきたい。具体的には、大学やNPO法人などの団体が主催するスタディツアーや、「おてつたび」や農業ボランティアなどの取り組みに参加していきたい。
    加えて、本講義を含めた放射線環境学の講義を受けて感じたのは、被災地の農作物の安全性に関する正しい知識を持ち、それを他者に発信することの大切さである。講義を受ける前の私は、“普通に市場に出ているのだから、安全になったのだろう”といったあいまいなイメージしか福島県産の農作物に対して抱いていなかった。しかし、講義を受けて、どのような対策が行われて、どのような基準のもと安全性が保障されて、今市場に出ているのか、ということを今では十分に理解している。正確な根拠・知識に基づく情報・理解をもったうえで、それを他者にも発信し、福島県産農作物の風評被害を抑制し、農地再生に貢献していきたいとも考えている。

  22. 私は、「「ドロえもん博士のワクワク教室」ーICTで未来が変わるー」の記事を読みました。今回、大学での講義と同じような内容が、小学生向けに分かりやすく噛み砕かれていたことや、小学生の率直な感想に興味を持ったからです。普段、講義に対する大学生の感想などを読むことは多いですが、小学生の感想を読むことはあまり機会がなく、また、彼らの感想はより本心に迫った率直な感想であることから、得られることが多かったです。
    大学で放射線環境学を履修し様々な知識を得ましたが、正直、自分自身が被災地の農業再生を行うとなると、少し馴染みのないことのように感じていました。理系の分野にはやや疎いし、被災地にフォーカスして将来のキャリアを考えたことはあまりなかったからです。
    しかし、小学生の感想を読み、例え専門的でなくとも、自分が身につけた知識や個人の思考を次の世代へ伝え、受け継いでいくことの大切さを痛感しました。というのは、4年生から6年生全ての学年において、溝口先生の今までのキャリアや、先生の考え方に感銘を受けているコメントが多いように感じたからです。もちろん、小学校での講義の中では実際の難しい実験の内容の解説が行われ、それに対するコメントも散見されましたが、先生の、将来の学生に向けたメッセージが特に小学生に響いているように感じました。東京大学のイメージを変えるきっかけとなっていたり、目指す夢は違っても、先生の考え方を軸にしていこうと考えた人がいたりして、このように将来の日本、世界を担う人たちに影響を及ぼすことの意義を感じました。私個人としても、過去の小さな経験が何かのきっかけとなって、進路選択やキャリア形成を考えた経験があります。小さな経験でも、人間一個人の軸で見ればかなり大きな影響力があると感じています。
    そのため、私自身も、このように講義を開くまでとはいかないまでも、大学で学んだことを周囲の人に積極的に伝え、それが誰かの何かを始めるきっかけになれるようにしたいと強く思いました。放射線環境学の授業では、様々な視点から被災地の復興問題について考えることができたため、その知識を周りの人に伝播させることができるよう、さらに理解を深める必要があると思っています。

  23. 「復興知学」が最終処分問題を解き・・の記事を拝見させていただいた。今の私には震災現場に居合わせたこともなく、お金や発信力もないので、できそうなことが少ない。しかし、その中でも東大生であるという点を活かし、東北の復興現場に実際に赴き、ボランティア的活動を通して感じたことをソーシャルメディアなどで発信することで、周りの意識に変化を起こせるならば復興に役立てるだろうと思った。

  24. (非公開希望)-->他人に読まれても問題のない良いレポートなのになぜ非公開を希望するのかがわかりませんでした。

  25. 「飯舘村に通いつづけて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読ませていただきました。
    自身でできそうな被災地の農業再生に関して、以下の2つの事柄について考えました。
    1つ目は、福島の作物を積極的に購入することです。やはり、今でも風評被害が少なからず残っていると思いますが、福島の作物に健康的な問題はないということを知って入り人たちが、積極的に購入することで、全体的に風評被害を軽減することができるかと思います。
    2つ目は、SNS等で福島の作物の安全性を発信することです。やはり、安全性を知っている人たちが積極的に購入したとしても、安全性に疑問を持つ人が残っていれば、風評被害は一向に改善されません。そのため、少しでも安全性を認識する人が増えることが大切だと思います。

  26.  私はtopicsの中から「情報基盤整備、地方が主役」の記事を読みました。本文の中で不便だった中山間地域でも通信基盤整備を行うことで多様な価値観を持つ人々を呼び込むことができるとありましたが、徳島県神山町の事例が思い出されました。人口五千人ほどの山間の市町村であるのに関わらずIT企業の拠点が多く開設されたことで注目された神山町ですがそれでも一次産業就業者数は30%程度おり農村地域と言えます。そのため神山町で行われている様々なプロジェクトの中には農業に関するものも見られました。しかしそのプロジェクトの概要を確認すると農業文化や景観の維持、人材育成の方に重点を置かれておりITを農業に導入するといったことには言及しているものはあまり見られませんでした。ITの技術や知識のある人が農業に接する機会を持つこと自体は将来的へのポテンシャルになると言えます。一方で都市部の人間の中には原風景のような農業を求めておりその原風景を変えてしまうことに抵抗がある人もいるのではないのでしょうか。
     このようなことから被災地の農業再生について考えますと通信基盤整備は前提としてIT技術の積極的な導入とアナログでノスタルジックな農業の両立が必要なのではないでしょうか。東京から比較的近いという立地を活かし、技術者だけでなく一般人の需要にも応えられるような農業形態をつくり、ビジネスとしての農業を強くするだけでなく観光や教育の分野においても経済的な良い影響を与えられるように計画を立て実行するべきと思います。
     ここまでで被災地の農業の再生について考えてきましたが自治体や企業といった規模でしかできないことが多く、私自身でできそうなことは少ないように思います。しかし次の被災地が生まれてしまった時、その時の自分自身の立場や技能の範囲内でできる適切な支援や行動をするための知識や経験は今からでも少しずつ身につけることができるのではとも思いました。
     -->自治体や企業であってもまずはアイディアが大切です。そのアイディアを有む感覚を学生のうちに磨いてください。

  27. 『大地の恵みを飯舘の地から 純米酒「不死鳥の如く」 が誕生』とその関連記事を読みまして福島の再生を受け取りました。現在、福島は不死鳥の如く復興しているということをあらわしてくれていると感じた。過去のレポートでも触れられているが、この講義がなければ現在の福島がどうなっているかなどわかっていなかった。ひどい汚染がまだまだ残っているのか、除染も復興も発電所のすぐそば以外ではすんでいるのかわかっていなかった。私個人としては、純米酒は飲まないし、福島や東北にゆかりがあるわけでもない(事実、福島の現状を認識できていないほど)が、こういったことはうれしく感じる。この3月に南東北へ旅行に行く予定があるので近くまで行ければなと考えている。

  28. 「原子力災害と復興を新たな学びに」を読んで。
    このページを通して溝口先生を含め、4人の方々の農学と現地との関わりの胸のうちを知ることが出来た。全員が農家の方々のためを思ってはいるものの、当たり前ではあるがそこには農業への異なるアプローチがあった。アプローチが異なるのであれば、少なからず農業への考え方も異なる。
    このように農業に関わる人たちには異なる様々に特徴がある。例えばこれを、どれほど現場に関わっている人かという現場度、利潤をどれほど出すか考えている人かという利潤思考度、科学的に正しいアプローチを模索している人かという科学度、で分類すれば、現場度ほぼ100%の人現地農民、利潤思考度ほぼ100%のアグリビジネスをするビジネスマン、科学度ほぼ100%の研究者という人たちが存在する。その研究者の中にも様々な人がいる。もちろん、現在の時点で研究者の方々が現場主義を重視しているのは承知である、が自分はこれらの人たちをうまく繋げるようなことをしてみたいと思う。
    このような変化は、被災地という多くを失い復活しようと努力する過程でこそ行える強みとも言える。自分は研究者と農家、やアグリビジネスと農家という幅の限られたマッチングを超えて、農家に最適な人脈と知識を流布できる環境を目指したい。

  29. 飯舘村に通いつづけて8年半-大学と現場をつなぐ農学教育-を読んだ。
    自分は生物環境工学科に所属しているというのもあり、ICT管理システムの発展に役立てると考えた。
    例えば、作物の生育状況を観察する際に画像解析技術を用いたり、自動で収穫可能な機械や遠隔操作が可能な水路を設計したりして、作業の効率化を図ると同時に担い手不足も解決できる。特にこういった技術は汚染地域に踏み込むことも減らせ、一度被災して被災地にあまり戻りたくないという農家の助けになると思う。
    重要なのは現場の農家の意見を要望を反映した技術提供を行うことである。当然新しい技術を開発しても実際に役立たないこともあるから、農家の意見を取り入れそのような時間と開発費用の節約することが大事である。
    このように農業のICT化が進めば、効率化により以前より儲かる産業になるばかりでなく、今までの悪く言えば地味な農業のイメージを少しは払拭され担い手も増える。
    また農学部で教育を受けた者として、Cs吸収対策や放射線検査が十分に行われていて、摂取に問題がない程度ではあるという認識を広め風評被害を減らすこともできそうだと考えた。考えの押しつけは良くないが、友人が福島県産の農作物を買うのを渋っていたりする時に、「反転耕とか表土剥ぎ取りがされていて、例えば米はここ5年で基準値を上回るものは1つも出ていない」ということを説明できるだけでも効果はあると思う。

  30. 私は、「飯館村に通い続けて約8年 土壌物理学者による地域復興と産業再生」を読んだ。やはり重要なのは実地に行って現地の人と対話することが重要だと感じた。なぜなら、現場に足を運んで得た知識が最も情報として新しくかつ正しいものであると考えられ、正しい知識が被災地の復興にとって一番つながるものだと考えているからだ。現在では、何かしらの情報を得ることは容易いがネガティブな情報が流布してしまっていることも多く、その情報の真偽が不確かなものとなっていることもあるため、現地の人が持つ生の情報を根拠とすることは必要なことだと思う。また、あまり褒められたことではないのかもしれないが惨事を目の当たりにすると突き動かされるものがあると思う。私は福島原発の事故1か月後にたまたま親の用事で宮城に行くことになり、実際に家がほぼない更地に木が一本だけ生えている様子を見て、何もなくなってしまったんだなという喪失感
    と、大したことはできないとわかっていつつも何かできないかなぁとぼんやりと感じたことを覚えている。結局当時小学生だった僕は親のお金で募金をすることぐらいしかできなかったが、将来農学部生として被災地に行く機会があるとするならば、信ぴょう性のある情報を発信するだけでなく、保存食や水を持って行ったり学術的な現状分析をしたりできたらいいのだろうなと、今回の授業を受けて思った。

  31.  私は「「復興知学」が最終処分問題を解き核燃料サイクルの担い手を輩出する!?」を読み、被災地の復興において、放射能に対する負のイメージにどう対処していくかが重要であるように思った。
    そこで、記事内でも触れられている国民の放射能に対する知識を向上させることを主眼に考えてみると、最初に思い浮かぶのは学校教育での知識付けである。少なくとも私の覚えている範囲では、放射能、放射線に対する科学的な説明が行われたのは、高校の物理の最後のほうであり、それも受験前の駆け足の説明であった。私の通っていた高校は少なからず教育に力を入れていたのにもかかわらずその程度であり、世間一般の放射線に関する教育のいい加減さが容易に想像できる。これに対して放射能の危険性など負のイメージは小学校の国語の題材にも含まれていた記憶があるし、福島のみならず原爆、チェルノブイリをも用いて教育の中に組み込まれていたようにも思う。放射能、放射線に対する教育はもっとフラットに科学的知見に基づいたものをもっと小さいうちから行うべきであるように思う。
    次に、マスコミの放射能に対する喧伝を考えてみると、最近の処理水の海洋放出に対する記事を例にとると、やはり科学的な知見や国際比較等でその正しさを検証していたものは少なく、政治的な尺度を用いて批判するものが多かった。国側からそれらに対する押さえつけを行うのは難しいものがあると思われるので、それによる風評被害を受けるような団体が公に批判できれば、マスコミの態度も変わってくるだろう。
    最後に、去年ほどに駒場キャンパス内の立て看板において東大農学部生を名乗るものによる処理水の海洋放出に対する批判が全く科学的データも出さずに立てられていた。上二つの対策は学生にとって行動するのは難しいが、このような科学的データを用いない批判を行わないという程度のことは東大生にとって簡単にできると思う。
     -->私も「駒場キャンパス内の立て看板」は気になっています。きちんと勉強しているのかな、と。

  32. 私は「『震災から 10 年:ワクワクする村づくりのための村学連携』 飯舘村長インタビュー」を読んで、まず自分は大学で得られる知見を大切にし、同時に現地で栽培をしている農家さんの声も実際に聞く必要があると考えた。この放射線環境学では福島原発事故がどのような影響を受け、どのように対策をしたか、また土壌圏の科学では土壌の構造を初めて詳しく習ったが、こうした知見が実際に現場での指針を立てる際に役に立つと思う。一方で「農業のことは農民に聞け」、また飯舘村の杉岡村長が「ふるさと資源」に「各々が新しいスポットを当てながら、輝かせて、新しい価値を発信していくことができるものが」あるとおっしゃっているように、その土地独自の農業、景観、文化などが多くありこうした資源を私たち大学生のような若い人間が受け伝え、発信していくことが大事なように思う。また機会があれば現場での農作業を体験することで何かしらのアイデアを思いつけるのではとも思った。

  33. 「飯館村に通い続けて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読んで、自身が出来そうな被災地の農業再生について述べる。まず、地域復興や農業再生には人の力が必要不可欠であり、震災から8年経った2019年でも帰村率15%程であるという事実を真っ先に解決しなければならないと考える。記事にも書かれているように、2000年頃から職員に育児休暇を与えたり、役場公用車を電気自動車にしたり、学校給食を100%地元産食材化したりといった取り組みによって発展しつつあったにも関わらず、どうして15%という数字になってしまったのであろうか。理由は二つ考えられ、まず一つは危険ではないが安全ではないという観念である。私自身、この放射線環境学の授業を受けるまでは福島の農産物には手が出ず、それは売り物なので危険ではないだろうが、なんとなく安全ではないと思っていたからであった。恐らく同じように考えている人は多数いるであろうし、帰村していない方々の中にもいるだろう。これに関して、農作物では安心を担保する基準である100Bq以下が守られ、さらに含有放射性Cs濃度は年々下がってきており、土壌も表土剥ぎや反転耕によって除染されて、農作物への土壌からのCs移行も軽微であることを考えると、安心・安全は保たれていると言ってよいであろう。これらの事実を学んだ今となっては、メディアで大胆に報道し、安全な福島を徹底的にアピールするべきであると思うし、それによって福島の農産物に対する需要が高まれば人が集まり、地域の復興の気運も上がると思われる。そこで私ができることは福島産の農産物も他の農産物と分け隔てなく購入することぐらいの小
    さなことであるが、一人ひとりの意識がぬぐわれそうなっていけば地域の復興につながるのではないだろうか。
     二つ目は村から出ていった人々が村の外の暮らしが良くて戻る必要がないということである。これに関しては、比較的都会で生まれ育った私には想像できない問題であるし、仕方のないことであると考える。では村を都会化すればいいのかというとそれは違うし、飯館村独自の良さがあるので、今住んでいる人のために「安全な農畜産物生産を支援するICT営農管理システムの開発」を発展させて村を進歩させていくほかない。そこで私ができることはICT営業システムに商業チャンスを見出して共に盛り上げていくことであると考えているし、日本の人口減少と過疎化が進んでいる中でこれは飯館村だけの問題ではなく、これからの日本の大きな課題になるであろう_________________________________
    溝口勝(2019). 「飯館村に通い続けて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生」溝口研究室. http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/mizolab.html (参照 2023-01-30).

  34. 『「震災から 10 年:ワクワクする村づくりのための村学連携」飯舘村長インタビュー』を読んだ。というのも村長の話を聞くことはまさに授業内でも強調されていた現場主義にかなうことであると考えたからである。その中で行政だけでできることには限界があるが、若い人たちにアイデアをどんどん出してあってもらい、民間の力も活用しながら村を活性化できれば良いという趣旨の話があった。私自身、実際に何かを立ち上げて事業を実行する力はないが、アイデアを出す、それをSNSなどで発信していくことくらいはできそうだと感じた。こうした村の活性化は直接的には農業再生につながらないかもしれないが、飯館村の産業の中心が農業であるからして間接的に農業再生を後押しできるのではないかと考える。
    私自身、福島から遠く離れた四国で生まれ育ち、これまで福島のことをどこか遠くに感じていた。しかし、今回の溝口先生の講義やこの放射線環境学の授業、またこのインタビュー記事などを通じてぜひ一度飯舘村に訪れてみたいと感じた。このように実際に飯舘村を訪れることも間接的に農業再生につながるのではないかと考える。そしてgoogle mapで飯舘村を見ているときに村の活性化のアイデア(民間ベースのものになってしまったが)を一つ思いついたのでここにも記そうと思う。
    県道12号線沿いにカフェがあり、そこでは福島県産のベーグルを販売している(通販も行っている)ようだ。ベーグルは(近年?)女性を中心に人気であり、間にクリームチーズを挟んで「映える」ものがinstagramなどでよく見られるように感じる。このカフェも福島県産の食材を使っているという強みは生かしながら、そういった「映える」ベーグルを作ってinstagramで宣伝すれば人気が出て、ひいては村全体の活性化につながりうるのではないかと非常に勝手ながら考えた。
    かなり脱線してしまったが、まとめると飯館村のことを知ってその良さを広めることが農業再生の第一歩としてできることであると感じる。

  35.  「私の土壌物理履歴書(土壌物理学会誌)」を読み、私自身が出来そうな被災地の農業再生について考えたこととしては、まず被災地の農業の実態について知り、それを広く発信することである。「私の土壌物理履歴書(土壌物理学会誌)」では、被災地における放射性セシウムの問題を解決するためには、多くの研究者が必要であるということが書いてあった。したがって今の私自身が出来そうなこととしては、被災地の現場を訪れたり、現場の農家の方に話を聞いたりすることで、被災地の農業の実態と課題を発見し、それを発信することにあると考えられる。昨今はスマートフォンが1台あれば、インターネットを通じてあらゆる情報を発信することができる。この発信によって、より多くの研究者に、被災地の農業の現状について知ってもらい、多くの研究者に、被災地の農業の課題の解決のためには、科学的知見からどのようなことが必要か考えてもらえるとしたら、この発信には十分大きな価値があると考えられる。またインターネットに馴染み深く、比較的自由な時間を確保できる大学生の私は、ちょうど現地に足を運び、情報を発信するのに適しているとも考えられる。
     他に被災地の農業再生について考えたこととしては、被災地の農業再生に関するゲーム作りが挙げられる。「私の土壌物理履歴書(土壌物理学会誌)」では、生きた土を扱うゲームとして、究極の野菜を生産し、それを世界で売り捌くようなゲームの話があった。私は被災地の農業の再生に関するものが体験できるゲームを開発したいと考えた。具体的には、放射性セシウムが農地の土壌の表層に固定されており、それを表土剥ぎ取りなどによって除染するようなミニゲームであったり、ゲームの中に農地を管理する要素を取り入れ、そこで農地にとってマイナスな要素として、放射性セシウムの量に対応した放射性セシウムパラメータのようなものを用意し、プレイヤーは放射性セシウムパラメータが基準を超えないように、カリウム施肥を行う必要がある、というような要素を含んだ被災地の農作物育成のシミュレーションゲームであったりを開発し、広めたいと考えた。このようなゲームによって、放射性セシウムと農地の関係についての知識を広めつつ、土壌や被災地の農業に興味を持つ人を増やすことができると考えられる。また子供にも興味を持ってもらいやすいという点で、ゲームは非常に有効だと考えられる。
     被災地の農業の実態について知り、それを広く発信することや、被災地の農業再生のようなものが体験できるゲームを開発し、それを広めることができれば、子供から研究者のような大人までもが、被災地の農業や、放射性セシウムと土壌の関係についての知識を手に入れることができ、多くの人が興味を持つきっかけになると考えられる。2011年の3月に福島で原子力発電所事故が起き、その事故で漏れた放射性セシウムによって、農業分野を含めてさまざまな分野が大きな損害を被ったことは多くの人に知られているものの、現在の被災地の農業の状況について知っている人はあまり多くないと考えられる。重要なこととして、被災地の農業の現状や、放射性セシウムと土壌の関係などをより多くの人に知ってもらい、被災地の農業再生について、どのようなことが必要なのか、どのようなことができそうかということをそれぞれ考えてもらい、そして各々が自分の意見を持つようになることが大切だと考えられる。  
    -->除染ゲームは作っていませんが、ハチ公ゲーム は作りましたwww

  36. 「飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読んだ。汚染度の処理問題について、異なる分野やコミュニティに属する人々同士のが協力しないといけないと思った。また、現場の人々の感覚と国や省庁などの「優秀な」人では考えていることが異なり、ただ机の上から指示を出しているだけでは自薦されないと思った。このような事態を避けるためには、我々「高学歴層」(この鉤括弧は高学歴な人が低学歴な人よりもすごいと思っているわけではないという意味です)がそれに驕らず、実際に現地に赴いて現場の人々の「知恵や工夫」を学びにいく姿勢をみせ、さらに「机上で」たくさん学んだからこそ提供できる「知識」を提供し、協力して復興という課題に立ち向かうという意識を持つことが前提として大事だと思う。そういった意味で溝口先生などの活動はもっと大々的に報道し、国民全体にまだ福島は震災から立ち直っておらず、都内やその他の場所に暮らす人にもできること、やらなくてはならいことがあることを知るべきだと思う。また、私的なことであるが、20,30代のうちにバリバリ働いて貯金し、またリモートなどでゆっくり働いて生活に困ることはなくなるような状況にし、人生の後半はボランティアではないが、震災地などに赴いて活動するような人生を送りたいと思った。

  37. 『飯舘村に通いつづけて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生』を拝見しました。
    東日本大震災から10年以上も経過した現在、私が自信で出来そうな被災地の農業再生について考えたとき、この記事の溝口先生のように実際に現地に赴くことが最も大切ではないかと考えた。もちろん実際に現地に赴くと言うだけでは農業再生にはつながらない。そこで、1人の学生・若者にすぎない私ができることは、SNSなどの情報発信ツールを通じて、様々な人に自分が実際に現地で感じたことや、現状などを発信していくことである。現在では、国会の答弁でも話にあがるほどTwitterのハッシュタグを初めとした、SNSの影響は非常に大きい。また、YouTuberなどのインフルエンサーとしてSNSというツールを利用して社会に影響を及ぼしている人々も数多く存在する。このように今やSNSなどのインターネットを通じた情報発信ツールは一般人が使用しても非常に大きな影響力を持ちうる。現在でも、福島原発事故による風評被害は続いており、なかなか解決も出来ていないでいる。そのような問題に対しても、実際に現地の人々の話を聞いたり、現地での調査結果を自分の目で確かめたりして、それを発信することで解決に1歩近づくのではないかと考える。

  38. 「あなた自身」という言葉を、福島に住んでいない普通の一般人として捉えるか、これから科学の最先端で活躍するかもしれない一東大生として捉えるかで、できること・するべきことは変わってくると考える。まず、前者の場合にできることを考える。飯舘村に実際に赴いたり、科学を駆使したりして農業再生に取り組む、というのは現実的に不可能だろう。まずは、福島の現状を知ることが大事だと考える。そのためには、日頃からニュースを見たり、原発事故に関連する書籍や映画を見たりするのが良いだろう。また、溝口先生のドロえもんのような子供向けの講演を通して、さまざまな世代が原発事故について学べればより良いと考える。今では、セシウム低減政策などのおかげで多くの作物のセシウム濃度が基準値以下になっており、安全に食べられる。しかしながら、未だに風評被害は残っており、福島県産という理由で避ける人もいるだろう。農業再生のためには、福島県産の農作物に対してのバイアスを捨て、他の産地と同じように積極的に購入すべきだと考える。さらに、不死鳥の如くのような、被災地の特産品を買い、それを色々な人に広めることで、福島の良さをいろいろな人にアピールできるだろう。
    後者の場合にできることを考える。まずは、放射線環境学のような原発事故に関連する講義や実際に現地に赴いていろいろな体験ができる実習などに積極的に参加できよう。それを通して、直接的には、セシウム低減や未だ手付かずの森林の除染のための対策を考えることができるし、直接的でなくても、自分の興味のある研究を進めていくうちに、例えば溝口先生の凍土の研究が実際に現地で活かされるというようなことが起きるかもしれない。もちろん誰しもが放射線の分野に従事するわけではないが、他の分野にいても少しでも原発事故のことを頭に置いて、農業再生に応用できそうなことがあれば積極的に応用していくと良いと考える。

  39. 私は「コロナで変わる大学教育」という記事を拝見しました。この記事にもあるように私たちが一年生の頃はほぼ全ての講義がオンライン講義であり、慣れない状況で問題がおこることもありましたが、段々と生徒だけでなく教授の方々も自宅から講義を受けられるため通勤通学の時間を減らすことができる、比較的気軽にチャットで質問ができる、どこにいても誰とでも話すことができるといったオンライン講義のメリットに気づき活用していきました。
     このようなメリットを踏まえて、私にもできそうな被災地の農業再生について考えてみると、実際に被災地で活動されている方々と意見交換することが今の私にできる最善ではないかと思います。東京から被災地まで行くことは費用や時間を考えるとなかなか大変ですが、アフターコロナの時代に普及しているZoomやTeamsなどのアプリを使用することでどこでもビデオ会議が可能になります。私が何か意見を持っているとかそういうわけではないのですが、まずは被災地復興に向けて実際に動いていられる方の苦悩や技術的な問題点などをヒアリングし、そしてそれを解決するための方法を一緒に考えることから始めるのが一番の近道だと考えました。

  40. 選択した記事:「私の土壌物理履歴書(土壌物理学会誌)」

    私自身にできる農業再生は、土壌物理に基づいた福島の復興については、正しい現状の認識ではないかと思った。
    現在、復興や土壌関連の講義を取る前の自分のような一般の人々の放射線についての情報は偏っている。放射線関連のニュースは事故が起こった時のものが一番記憶に残っている。そのため、事故の水素爆発の様子などについての情報は一般の人も見たことがある人も多いと思う。しかし、時間が経つにつれ、被災した町の立て直しや避難民など福島の復興についてのニュースの割合が増えたように思う。そのうえ、西日本の豪雨やコロナなどの問題が現在進行形で進むことで、復興関連のニュースそのものが減ったように感じる。そのため、当時の事故の情報から更新されないまま今の放射線についてのイメージを持っている人が多いと考える。特に記事の中にもあったように、土壌物理について意識している人は少ないと考える。自分も放射線の影響のイメージとして、なんとなく空気中をただよって地面を汚す、といったようななんとなくのイメージしかもっていなかったため一般の人もよくわかっていないと考える。セシウムの土壌への吸着を土壌物理的にみると、どうして土壌に吸着するのかなどのメカニズム等が理解でき、現状の対策が実際にどれくらい有効か大体イメージができる。そのため、それらの情報について知ることで、これまでの福島についてのイメージは変わりうる。福島についてどのようなイメージを持つかは個人の自由であるが、そのイメージはできる限り正確な最新の信頼できる情報に基づいているべきだと考える。
    そのため、私は、現状の正しい認識の発信が必要だと考える。現状の私には、福島に長期で行って何かを行うことは物理的に難しい。しかし、これまで放射線環境学、土壌物理学、土壌圏の科学などで得た知識などをもとに、最新の情報を得ることで、正しい認識を発信することができるのではないかと思う。特に福島と普段直接的な関りのない人々にとって、残念ながら福島の現状は他人ごととして、現状の日常生活の中にない。そのため、情報発信を行い、福島の現状を正しく伝えるとともに、福島の現状に興味を持ってもらうことが重要であると考える。
     また、私自身が今自分からできる農業再生は上記のものだが、一市民として、福島についての正しい認識を持って生活し行動することそのものが、農業再生にわずかではあるが、重要なことであると考える。

  41. 私はTOPICSの「原子力災害と復興を新たな学びに」という記事を読んだ。この記事から、原発事故は風評被害や土壌汚染だけでなく、農業インフラを壊したということを学んだ。その中で農村地域の情報基盤整備が今後進んでいくとのことだったので、私はその条件下で自分に何ができるのかということについて考えた。私が被災地の農業再生に貢献できそうなこととして、放射線汚染に関する世間の誤った認識を改善する手伝いをするといったことや、被災地で農業体験会を実施するといったことが挙げられる。以下、それぞれ詳しく説明していきたい。

    1.放射線汚染に関する世間の認識の改善
     福島の農作物は放射性物質が含まれていないか厳重に監査されており、近年では基準値以上の放射性物質を含む食品はごく小さい割合でしか発見されていない。このように福島県産の農作物は安全性が証明されており、他の産地の食品と何ら変わりないものである。しかし現状では原発事故から10年以上経っても福島県産の農作物を避ける人々が数多くいる。中には放射性物質が含まれているか検査されていることすら知らない人もいる。そうした人々はまず放射線に関して無知なのであり、そこに改善の好機があると考えられる。SNSやブログの中で福島ではどのような検査がなされているのか、どのような結果が出ているのかについて紹介し、福島の農作物の安全性が担保されていることを知らしめていく。また原発事故や放射性物質について正しい事実を述べている記事については拡散するなどのアクションを起こすことで、被災地への誤解を解く助けとなるであろう。

    2.被災地で農業体験会を実施する
     農業体験の狙いは福島をはじめとする被災地に旅行者を誘致することと、その旅行者を通じた被災地の印象アップである。旅行者を誘致することで、農村はその滞在に伴う収入を獲得することができる。その資金は農業インフラの整備に役立つはずである。また旅行者が農業体験を通して被災地の美しい自然や綺麗な空気に触れることで、原発事故に伴うマイナスのイメージを払拭されるという効果が期待できる。そしてそうした旅行者が元の生活に戻った時に被災地の印象について好意的に周囲に伝えることで、被災地に対する興味や疑問が波及的に広まっていくであろう。そうなれば被災地に足を運ぶ人や被災地の農作物を購入する人が増えていくこととなり、農業の再生につながると考えられる。

  42. 「飯舘で米づくり復興」(日本経済新聞)を読みました。
    現地の生産者や農産物を購入する消費者の実際の意見がとても大切だと感じた。農家の人々、消費者の人々どちらに対しても最大限不安を解消しないと元の農業状態に戻すのは大変だと感じた。
    土壌の除染の方法は何種類かあると聞いたが、ほとんどの農家は剥ぎ取りを行うとあったが、やはり天地返しがいくらデータ的に有効でも足元にセシウムが埋まっているという感覚がとても怖いのだろうと思う。消費者にとっても同じで被災地で作られたというだけで怖いと感じてしまう人も多い様に感じる。実際私も震災後しばらくは東北産と他の地域の野菜が並んでいたら東北産は選んでいなかった。大学になって初めて、講義を通して放射性物質の動きや測定の結果をみて福島産の安全性が高いことを知った。
    被災地の農業再生に貢献するためにできることとして広報活動が大切だと私は考える。震災のニュースは最近は3月にしか報道されていないし、震災直後も被害の様子がメインで復興に時間がかかるということもあって農産物の安全性などの報道はほとんどなさそうだ。それによって消費者の頭にはいまだに怖さが残っているはずだ。また、近年の農業全体における課題である人材不足にも福島県は特に拍車がかかってしまうのではないかと考える。避難した人々も売れにくい農産物を作るために戻ることに不安を感じるのではないか。

  43. 授業内で「不死鳥の如く」というお酒が紹介されていたが、先生のホームページを見たところ「復興」というお酒の記事を見つけた。どのように農産物の安全性をプロモーションするかではなく加工しちゃえという発想が面白いと思った。米であればお酒以外にもお菓子など様々な加工用途があり、米に限らず加工して販売していくという発想は応用が効くものだと思う。他にもICTを利用した農業についての記事などがあったが特に気になったのは2017年9月4日の記事の「うつ病になったSEを農家に預けると、なぜか一年後には元気に」という記事である。農業の人手不足、特に若者の減少による後継者不足は看過できない問題であるだろう。恒常的に従事してくれる人がいなくともインターンのように短期間従事してくれる人を見つけられれば多少は労働力をカバーできる。またそれをきっかけに農業に従事してくれる人が増えれば願ってもないことであろう。この記事のようにストレス社会からの逃避にもなると謳えば興味を持つ人もいるかもしれない。そのため個人での活動には限界があると思うので、東大むら塾のような団体に所属し、都市部に住む人など普段農業とは接点のない人々が農業に接することのできる機会をもうけ、そのプロモーションを草の根的にはなってしまうかもしれないが僕自身ができることではないかと考えた。記事ではSEの方について書かれていたが、農業を通して様々な方が関わる機会を設けることで一つの分野からの視点では思いつかないような革新が生まれる端緒にもなりうると考える。僕一人での貢献度は小さくとも、それが少しずつ広がって人と人の交流を生み、やがては大きな動きになる一石を投じれるようになりたいと思う。

  44. 私は「飯館村に通い続けて約8年 土壌物理学者による地域復興と農業再生」という記事を読んだ。そのうえで、私なりに被災地の農業再生のために何ができるかを考えた。
    被災地の農業再生のためには福島県にしかないものを活用した取り組みが重要であろう。例えば、福島県ならではの涼しい気候と工夫によって、夏から秋にかけてのキュウリの出荷量は日本一を誇っており、このキュウリ生産をもっと促進することで農業再生につながるのではないか。また、講義や記事の中でも紹介されていたように福島県の農産物を使った特産品を増やしていくこともよいだろう。
    ずっと都会で育ってきた私にとって、自然と触れ合うのは近所の公園くらいであったが、日本は国土の約7割が森林でおおわれており、少し都会から離れれば豊かな自然がある。テレビ番組などを通してその豊かな自然の中で様々な生き物たちが暮らしている様子を見ると、人工物の中で暮らしている自分がいかにこの世界の面白さを見逃したまま生きているかということを感じる。そのように思っている人は少なからずいるはずで、そういった人たちを対象として福島県で気軽に自然と触れ合うことのできる枠組みを増やしていくことや、
    都会では星をあまり見ることができないため、福島県の農村で天体観察ができるようなイベントを開いて福島県に人を呼び込み、農業体験や福島県産の食材を使ったレストランで食事をしてもらうことなどを通しても農業再生ができるのではないか。
    これまで、被災地の農業再生のために今すぐに思いつくことを述べてきたが、現地に実際に行ってそこで働く人たちが何を思っているのかを全く知らず、メディアを通じた情報からしか推測することのできない私の想像力には限界がある。そのため、被災地の農業再生のために何よりも重要であることは講義でも記事でも先生がおっしゃっているように現地に通い、そこで働く人との交流を積極的に行うことであり、そうすることで今の自分にはない視点を広げていくことだと思う。

  45. お薦めの記事にあった「飯館村に通い続けて約8年」を読んだ。飯館村の村長の菅野さんが「人づくり」に力を加えたり、育児休暇や電気自動車を普及し、給食を地元産にするなど先進的な取り組みをしているのを見て、溝口先生も突き動かされて、までい工法を広めようとしたが、現地の人から反感を受けてしまった。しかし何年間も通い続けて現地の人に認められるようになった。森田先生の試験田は地元の人から研究の成果的には成功するといわれても現地ではそうなるとは限らないといわれてしまって、実現が難しくなった。やはり研究を現地で実現するには現地の目線に立って、人に寄り添うことが大事なのだと思った。実際、最近は地元と交流をもつ学校、組織が増えているというのがこの記事の内容である。
    レポート課題の25番さんを見て分かった通り、知識と感情は別物で放射線について半年かけて勉強してきたけれど、「抵抗は消えた?」と質問があったとしたら消えたわけではないというと思う。これもレポートにあったが、マスコミが恐怖を助長しているという点について記事にあった通り子供の教育をどうすればいいかが問題だと思う。東大の放射線にかかわる先生が毎年検査しているように食べ物に含まれる放射線は減少しているということを知って僕も福島の食べ物に対して印象が変わった。
    水圏生物科学に所属しているため、就く仕事で農業再生に関われるかわからないし、自分はボランティアや学校の企画などで福島に勉強しに行こうといった気概はあまりない人間なので実際に現地で農業再生に貢献できないだろう。そう考えると自分にできることは子供たちに福島の食べ物について教える機会があるかはわからないが、機会があれば放射線環境学で学んだことを少しでも伝えることだと思う。また、レポート32番さんが書いている通り、SNSで発信することが大事だと思う。もうすでに発信している地域も多いとは思うが、みんなあまり知らないのが現状な気がする。例えばyoutubeであれば、普通に10分ほどの動画をあげるより60秒ほどの動画のほうが普段興味のない内容でもみんなが手を出しやすく再生回数も多い印象がある。しかもこのような動画は10分動画の中で切り取りたいところを抽出すればいいだけなのでそこまで負担になることもないし、youtubeには編集してくれる方もたくさんいるので編集に疎い方でもできるところがいい。

  46.  私は、『飯舘村に通い続けて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生』という記事を読んだ。
     私にできる被災地の農業再生について、現時点では、被災地、特に福島の商品を買い、良さを広めていくことがある。先に挙げた記事にもあったが、「世間に正しい知識や情報を伝えること」はとても大事である。福島県は、お米はもちろん、キュウリやモモ、柿などの農産物も有名である。実際、私の祖父母は福島県の会津で農家を営んでおり、毎年育てたお米や柿などを送ってくれていた。かなりたくさん送ってくれていたので近所の人に分けてあげることもよくあった。それほど福島県産の野菜や果物にはもともとなじみがあり、スーパーなどでも福島県産の野菜やお米を選んで買うようになっていたのである。震災が起きたあとも安全性が証明されてからはたくさんの農産物を送ってくれている。しかし今まで個人的に農作物を買ってくれていた人が震災を境に買わなくなってしまったという話を聞いた。一度「福島=放射線=危険」というイメージがついてしまったらそれを払しょくするのは難しいのだろう。買い手が少なくなったことによって農家を辞めてしまった友人もいると聞いた。ただ、祖父母の作った野菜を食べてくれている近所の人たちはそのおいしさをわかってくれているので、店頭に福島県産の野菜があったら買ってくれているらしい。
     このように福島県産の農産物のおいしさや品質の良さに多くの人が気づいてくれるようになったら、需要も増え、福島県の農業再生の一助になるだろう。

    参考資料
    『飯舘村に通い続けて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生』コロンブス. 2019年5月.
    P76-79_genpatsu_1905_fin.indd (u-tokyo.ac.jp)
    最終閲覧日:2023年1月28日

  47. 僕は「原子力災害と復興を新たな学びに」を読んだ。「までい工法」と言うのが飯館村の方言であることを知り、また先生の飯館村の人たちに寄り添っておられるのがすごいなと思った。そこで、まず被災地の農業を再生するためには、被災地での農業に興味を持ち、着手する人口を増やすことが必要であろうと思う。そして将来のことを考えると被災地の農業に興味を持つべきなのは僕たちのような若者であると思う。正直自分はこの授業を受けるまでは被災地の農業を知る機会なんて全くなかったし知ろうともしていなかった。いざこの授業でどうすれば食物中の放射性物質の濃度を下げられるのか先生方の講義で様々な方法を知り、非常に面白いなと感じた。若者が被災地の農業に興味を持つには、被災地で安全な食物を作るための研究者の方々の戦いに触れることが必要であると思うしそうすれば自分も何か考えてみたいと思うきっかけになると思う。より多くの人が被災地の農業に関心を持てば、それだけ早く被災地の農業が復興されるだろう。
    そこで僕ができることは、僕はあまり研究とかをしたい性格ではないので、研究とかをしたそうな友達とお酒を飲んだりするときに先生が作られた不死鳥の如くのお酒をもっていき、それをきっかけにして被災地の話にもっていって被災地の農業に興味をもたせていくことならできる気がする。そしてその影響で被災地の農業再生への研究に着手してくれた友達がいれば、研究者の方は自分の研究について誰かに話したいと思うので、その研究内容を一生聞いてその人の研究に対するモチベーションを上げることならできるだろう。実際今回の放射線の授業で先生方の研究を聞いていてとても楽しかったので聞いていられると思う。もう一つ友達に興味を持たせる方法は、農業体験に友達を誘って行き農業の楽しさに触れてから、被災地の農業について授業で習ったことをしれっと会話に挟んでいくことだろう。そのようにして直接的ではないが、間接的に被災地の農業復興に貢献できればいいなと思う。

  48. 「『復興知学』が最終処分問題を解き核燃料サイクルの担い手を輩出する?」を読んだ。東大が原発事故からの復興事業にさまざまな分野を通じて関わっていることを知るまで、私は原発事故とは「おいそれと触れてはいけないこと」のように考えていた。被害を直接あるいは間接的に受け、苦しんでいる人々がいる中で、福島の事故に触れることは、簡単にしてはならないような気がしていた。事故直後、被害を受けた人々が疲弊し、絶望すらしていた中でそのような配慮をしていたことは、間違っていなかったのではないかと思う。原発事故の議論をしてしまうことが、逆に放射能汚染などの諸問題を明るみに出すことにつながって、それが風評被害や被災者の心的負担につながってしまうのではないかという懸念もあった。しかし、事故後10年以上がたった最近は、原発事故をタブー視し続けることを、もはややめるべきではないかと思い始めている。原発事故では確かに多くの人が傷ついた。しかしそれを理由に原発問題にいつまでも触れずにいることは、今だけではなく、未来の世代をも傷つけることにつながってしまうのではないか。
    最近になって初めて接した福島の人々は明るかった。サークルの活動で交流した人たちに、部員一同お世話になりっぱなしだった。もちろん癒えない傷はあるのだろうし、会う人は高齢の方が多く、地方の市町村としての課題も感じないではなかった。しかし、被災地はこの10年の中で前へ進んできていた。言葉で言えば当たり前のことのようだが、それを実地で経験して、被災地の外の人間も変わっていかなければならないと、先のような思いをより強くした。
    その上で、今回読んだ溝口先生と秋光先生のインタビューは印象的だった。まず溝口先生が福島を「全国屈指の課題先進地域」と呼ぶところに驚いた。課題だらけの地域を、むしろ積極的に捉えて、課題において先進している地域と考える。そして、これから先他の地方自治体も抱えるであろう問題について研究できる地域として学びの場にしていく。被災地をネガティブに捉えてきた私からすれば目から鱗だった。
    また、放射線廃棄物を資源として活用できるという話も衝撃的だった。「放射線環境学」の講義内でも、汚染の度合いが低い土について再生資源として利用する試みは紹介されていたが、ここではさらに、その放射性物質としての側面に光を当てて活用しようとしている。
    このように、最近の学習を通じて考え方が変わった私は、いま被災地の農業再生について何ができるのか。それは、身近な人からその考えを広めていくことではないだろうか。これから先、被災地で誰も見たことがない、先進的な試みが行われるかもしれない。放射線廃棄物について、画期的な活用法が生まれるかもしれない。僕もそれに関わるかもしれないが、関わらずとも、それについて正しく理解できる知識をつけたい。そしてその時、友人が反対したら、その意見にまずは向き合って、誤った事実認識があればそれを正す。家族が不安を口にしたら、科学的な根拠を寄り添って伝える。過去のレポートで「隗より始めよ」という慣用句を挙げている方がいたが、まさにその通りだと思う。
    身近な人に正しい知識を身につけてもらうことから、日本全体が放射線について正しい見方を手に入れ、例えば風評被害をはじめとする、山積した課題とも向き合うことにつながっていくのではないか。正しい認識に基づいた正しい判断が、問題を解決に導いてくれると思う。

  49. 僕は「福島県飯館村の除染に尽力ースマート農業で再生へ」を読んで福島の農業を再生するにあたってスマート農業を導入したうえで、SNSなどを通じて現場の生の声を発信しつつ就農希望者を募れば何もしない状態よりは敷居が低くなって新規就農者も獲得できるようになるのではないかと考えました。

  50. 私ははじめこのレポートのテーマ「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」を聞いた時、果たして一大学生である自分にできることはあるのだろうかと戸惑った。私は九州出身で当時直接的被害を全く受けず、東北には知り合いもいなかったのでどこか遠くの話のように感じつつも、幼いながらテレビで見た津波や原発事故の映像が今も鮮明に記憶に残っており、何か被災した方々の力にはなりたいと思い続けていた。しかし、なかなか今まで機会がなく、現在まで特に自分から行動を起こしてはいなかった。「被災地の農業再生のためにすべきこと」というと直接自分が農業に関わってみないとそもそも何が問題なのか本当の意味では理解できないし、その解決をするにしても実際にコミットしないと根本的には解決できないだろう。また、直接関わらずとも比較的身近な話題である風評被害の問題についても、放射線環境学の講義を受けてもなお、自分自身が正しい知識を持つことはできても根本的な解決をするのは難しいのではないかと思ってしまう。例えば若者が慣れ親しんでいるSNSを活用するとしても、一般の人に理解してもらうには細かい数値の話をせず分かりやすく伝える方がよいように思うが、それでは根拠に乏しかったり、誤解を招いたりしてしまう恐れがあるだろう。また、SNSはそもそもほとんど自分の興味のあるトピックしか見ない人が多いと思うので、本来知ってほしい層にアプローチするにはあまり有効な手段ではないようにも思われる。そして、一度定着してしまったネガティブなブランディングを変えるのはなかなか容易ではないだろう。
     このように悶々と考えながら、私は『学問は出会いと現場から』という記事を読んだ。この記事の中の「人生は出会いである。飯館村に行かなかったら正義感あふれるNPO法人ふくしま再生の会のシニアボランティアや、事故後の失意から勇敢に立ち上がろうとする村民に出会うことはなかっただろう。」という言葉が印象的だった。そして、私も自身が所属する海外インターンシップを運営するNPO法人で、以前岩手県の水産業の企業様と海外インターンシップを運営した経験を思い出した。初めは「地方は負け組だ」と言っていた企業様が、インターン生との関わりを通して「こういう若者が世界を変えていくんだと感じ、勇気をもらった」と言ってくれた。綺麗事かもしれないが、きっと、すぐに根本的な変化は起こせずとも、被災地と関わりのない若者である私が今後専門分野の研究を研究室で進めつつも長期休みなどに現場に行って数日話をしたり手伝いをしたりするだけで、元気づけられることもあるのだろう。そして、それをきっかけに初めは小さな輪だったものが波及していき変化を起こせるのかもしれない。

  51. 「復興知学」が最終処分問題を解き・・(コロンブス4月号)を読みました。まず、次世代に伝えていくということには賛成で、東大で様々な講義が開かれていることをとてもありがたく思っています。同時に、世間で言われていることのギャップや風評被害の重さなど、感じることも多いです。将来、私は何らかの形でサイエンスコミュニケーションに携わりたいと考えていて、一人でも多くの人に福島についての誤解を解けたら、と感じます。
    ただ、「穢れ」を払うために逆転の発想を必要とする、という内容には納得いきませんでした。「穢れ」を払わないと、と表現している時点で、放射性物質を「穢れ」と見なすことに疑義を呈さず、むしろ私たちが放射性物質を「穢れ」として過大評価してしまうことを批判する視点が欠けていると感じるからです。確かに事故当時は、どうなるのか予測がつかず、慎重になることは間違っていなかったと思います。しかし、科学的証拠が積み上がっているにも関わらず、「穢れ」として扱い続けていいのでしょうか。むしろ、(原発事故に限らず、人種差別などにも通じることですが)自分達の思い込みや偏見を問う契機だと思います。
    もちろん、科学を盲信するのもよくないことだと思います。私は去年の夏に東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れ(設立について色々揉めたらしいことも含め)、当初は原発や科学技術を称揚していたことにとても驚きました。その歴史はあまり伝えられていないように感じますし、その結果としての原発事故を捉えると、考えることがたくさんあると思います。
    その歴史の遺産、そして今回の「穢れ」の扱いの履歴も含め、次世代に継承していくべきだと感じます。東大の授業や、世間で本や論文を探せば、まだそういった議論のものも残っていると思います。個人的な意見ですが、サンシャインシティや夢の島のように(私が無知なのも事実ですが、そのような歴史があると知らなかったので)過去を抹消させる(と感じるような)復興はしてはいけないと思います。複雑な歴史をきちんと認識し、議論の出発点としてみんなが考えること、そしてその歴史を経て今があって福島県産の農産物も多く食べられるようになってきたこと、私ももっと考えて願わくば行動していきたいと思いました。

  52. 「私の土壌物理履歴書」の記事を読んだ。授業中にも紹介されていた溝口教授の遍歴について、きっかけも含めて詳しく記載されたため面白かったが、特に「役人として見た農学と土壌物理」と「今後の土壌物理学の展望 ? 土壌教育」の項において、自分自身ができそうな被災地の農業再生のヒントがあると考えた。
     「役人として見た農学と土壌物理」では、役人を体験したことで当時の土壌物理学の問題点に気づき、さらに新たな興味にもつながったと述べられていた。土壌物理学を利用の有無に関わらず、被災地復興事業を行うには国の援助があった方がもちろん良い。ただ、その動きがなかなか進まない理由を内部から知ることができたというのは、貴重なことであると思われる。何か事業を進める必要はあるが、このまま国からの動きを期待するだけでは何も改善しないと予想されるため、自分たちが何か行動を起こしていかなければならないとわかった。
     続いて、「今後の土壌物理学の展望 ? 土壌教育」の項では、人づくりの重要性を指摘していた。現在だからこそできるスマホと連携したゲーム作りや、そういった方法で獲得した知識を活かせるようなコンテスト等のイベント開催というアイデアは、土壌の面白さを伝え、土壌物理の世界に入り込んでいく研究者の数を増やす方法として効果的であると思われる。現実の問題を初めから深刻に考える必要はないという意見には賛同するが、そういって培われた知識がどのように現実に活用されているかを伝えることで、モチベーションの維持に役立てることも重要であると考える。
     以上を踏まえて、自身ができそうな被災地の農業再生について考える。自分一人でできることといえば、土壌物理学等を勉強する、被災地の農作物を優先して購入する、被災地の情報をSNSで発散するなどが考えられる。勉強することは大事だとは思うが、それだけでは中々農業再生には繋がらないし、被災地の農作物を優先して購入しても、本当に僅かな貢献しかできない。また、自身の影響力はとても微々たる物であるので、情報発信も必要ではあるが現実的な方法といえない。つまり、自分一人だけではできることに限界があるため、他者との協力が必要になってくる。
     講義内で、飯館村・NPO法人・東京大学農学部との連携があると紹介されていた。この結びつきを活かすことが重要ではないだろうか。例えば、この三者で共同してイベントを開催し、自分がその運営側になってコンテンツの作成を行うなどが考えられる。その内容としては、現状の被災地の状況について伝えたり、土壌物理学などの被災地復興に利用される科学分野を面白く紹介したりすることが考えられる。自分一人ではなく既に存在しているコミュニティに参加し、協力して何かしらの事業を起こすことが、より現実的かつ効率的に可能な被災地復興であると考える。  
    -->このページの13番のレポートのコメントに書いた若者らは大学生用の展示コーナーを作ってくれていますので一緒に活動するのも良いと思います。

  53. 「飯舘村に通い続けて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読み、研究を現場で実行することの難しさを学んだ。研究の結果や技術が受け入れられ、用いられるためには、溝口先生のように、現場で活動し、現場の人と関わることが大切であることがわかり、研究者の今後の在り方を考えさせられた。私自身ができそうな災害地の農業再生について考えたが、大掛かりな汚染除去など直接的な活動はできない。このような現在の私にできることは、正しい事実を知ることであると考えた。現在の放射性物質による汚染状況がどのようになっているのか、農作物への影響がどの程度出ているのか、どのように対策がされているのかなど知った上で、自分の考えを持つことが大切であろう。今回の講義全体を通して、上記のことについて学ぶことが多かった。現在米への放射性物質の影響はほぼないこと、他の農作物で放射性物質の影響を受けやすいものや受けにくいものがあること、風評被害のことなどを知った。福島の農作物を見た時に安直に恐怖を抱くのではなく、講義で学んだような事実を考慮した上で、買うか買わないかの判断をしていくことが、現在の私にできることだと考えた。しかしながら、今回の講義はとても興味深く、有意義で、福島の現状をもっと知り、再生していきたいと感じた。そのため、今後学びを深め、直接、現状の把握や再生方法を探求し、現場とも向き合っていくことができればいいなと感じている。

  54. 私にできる農業再生、それは一緒に学んでいくことであると考えます。
    トピックスの中で農業農村地域におけるDXのための先導的研究を読み、また講義中の福島でのスマート農業の拡大についてのお話を聞き、農業分野のIT化が想像以上に進んでいるということに気づきました。また、農業に実際に導入されていなくても、トピックスにあるように通信がもっと広がれば導入できるシステムがあったり、さまざまな企業も研究を進めたりしていることから、ITについての知識が浅い私がDXのためのシステム開発をしようと思っても全く競争に加われないと考えました。しかし、ITについての知識が浅いことはただの弱点ではないと考えます。DXがなんだかよくわからない、機械の使い方がよくわからない、と思っている農業従事者の方もきっと多いはずです。そのときに同じく知識の浅い私のような人間が等身大で一緒になって使い方を勉強していくこと、これこそがスマート農業を導入ではなく、普及させるためには必要なのではないかと考えます。これまでスマート農業のことのみに触れて来ましたが、農業再生とは何なのか、それについて考える必要があります。農業再生とは、被災以前の農業ができるようになること、と私は思いません。被災以前の暮らしと農業ができるようになっても、それは復興というよりも回復、という印象を受けます。そこで、私の思う農業再生とは被災以前よりも現代化した農業を営めるようになることだと考えます。なぜかというと、そもそも被災していない場合にこのおよそ12年間の間で何も変化がない、ということはあり得ないからです。12年も経てば様々なことが変化していくはずです。その変化を取り入れることなく、以前の状態を取り戻しても、それは他の地域からしたら特異的な、12年時間の流れが遅い場所となってしまいます。そこで、変化を取り入れる必要があると考えます。その変化に打ってつけだと考えるのがDXです。現在日本国内のどの地域でも過疎化や高齢化が深刻であるため、たとえ12年前の状態が取り戻せたとしてもそれはすぐに担い手がいなくなり、農業が衰退し、町全体も活力を失う一方です。そのことをわかっていながら既存の農業の形にただ戻すというのは大変勿体ない。そう感じました。今は、被災によって一度農業経営がストップさせられ、再スタートを切り始めている時期です。このタイミングなら、先生もおっしゃっていたように新たな取り組みを始めるハードルがとても低く、導入しやすい。しかし、自分一人で導入した機械を操作するのは難しい。そこで、私のような大学生が被災した土地を訪れ、機械の使い方を一緒に勉強し、使い慣れるお手伝いをする。これこそデジタル技術が発達し、デジタル格差が広がりつつある現代に必要とされるサポートなのではないかと考えました。
    私は福島へは先月行き、二本松市の農家の方に福島の急斜面での農業が大変であること、過疎と高齢化が進行していることなど、お話を伺うことができましたが、震災による被害を受けた農家の方にお会いしたことは人生で一度もないので福島に行って直接当時のお話と今日までの12年間のお話を聞きたいと強く思います。土壌や放射線を専門にしたいわけではありませんが、それでも大丈夫でしたらぜひ福島に赴いて学びたいと考えています。溝口先生が学生を連れて福島に行かれることがありましたらついていきたいです。  
    -->土日であればいつでも連れて行きます。メールください。

  55. 今までの講義では放射性物質をどのように土壌から除き、その土壌自体をどのように復活させるかを学んできたと思う。しかし、今回の講義を通して土壌を取り戻すことも重要であるが、その土壌が含まれているすべての環境、つまり農村の復興も非常に重要であることに気づいた。ここで、講義を通して「農業農村開発の技術」という記事を読んだが、農村の復興のためには通信インフラの構築が非常に大事だと思うようになった。通信インフラを構築するにはどのようにすれば良いだろうか。まず、外資の誘致が必須であるだろう。それのためには人が集まる必要がある。集まるということは被害地域に人が定着するようになり、そこで農業に臨み、利益を発生することができることを意味する。これらのためには、都市に住んでいて通信技術に慣れている人々に被害地域に対する悪い印象をなくし、その地域に来ても十分に経済活動ができ、都市よりもメリット(周辺の自然環境など)があるということを伝えれば良いのではないだろうか。通信インフラに慣れてない人がその地域に大勢集まったら通信インフラがないことに不便を感じられなくなり、通信インフラの開設は難しく、スマート農業インフラの構築は難しいかもしれない。また、最近の技術に慣れている人は、経済活動もできるとしたらその地域にに集まる可能性が高くなり、その農村の復興は益々進行するだろう。上述した条件を満足させるために提案したい具体的な案は、SNSによる広告である。SNSを使っている人ならば通信技術に慣れており、最新技術に対して抵抗感を持っていない可能性が非常に高いため母集団としては適切であると思う。それからSNSを通して、その地域のメリットを感じられるような内容やその地域に移住した場合の経済活動の仕組み(スマート農業の実態、収入、方法など)、都市との比較などを伝えたり、実際に1ヶ月ほど住めるイベントなどを企画してSNSで募集し、行うことで二次広告効果をねらうことも十分に効果的な方法であるだろう。
    このように、被害地域を復興する方法には様々なことが考えられると思い、適切かつ具体的な方法で行えばは被害地域の復興が不可能でもなく、時間も短縮できると思う。しかし、このようなことを行う主体が最も重要だと思う。いくら良い方法を見つけてそれを行おうとしてもそれを行う主体(個人や団体など)が意欲がなければ、それを行う過程で多様な問題ができる可能性が非常に高い。よってその復興事業を行う主体を真剣に決めることからするべきではないだろうかと思う。

  56. 今回、「自分自身ができそうな被災地の農業再生について」を考えてみる。まず「福島の農業再生」について考えるか、一般的な被災地の農業再生について考えるかで少し話が変わってくるため、まず福島の農業再生について考える。私たちが1番労力をかけずに手軽にできることは、福島産の農産物を購入しないなどの行動を控える、もっと言うと積極的に福島県産の農産物を購入することが挙げられる。どんな農業であっても利益が出て生産に対する有益性がないことにはなその農業は続かない。それに震災、それに伴う原発事故によって数年間もの間出荷して利益を上げるどころか生産すらできないと言う状況だった地域で農業再生をするにあたって利益の追求は真っ先に上がる課題になる。これまで福島県産の食品に対する不買運動であったりが行われていたというのは事実ではあるが、実際には食品の安全性が保てていることは間違いない。ほかの地域よりもより厳重に農産物に対する検査が行われるであろうし、その検査基準も日本は厳しく、その厳しい基準をクリアした農産物しか出荷されないためもしかしたら他の地域で生産されている農産物よりも安全である可能性すらあるのだ。その方向のアプローチでなくできることはなんなのであろうか。ここからはそれぞれの立場や被災地の農業再生に対する興味、モチベーションの差が大きく関わってくると思われるが、モチベーションが大きい人は、現地まで足を運んでリアルな現状を知り、いまのニーズに対する支援を行うといったこともしており、記事などでもこう言った内容のものがあった。または国会議員、政府や市議会議員といった立場であれば政策や法律などを通じて、一時的に、または恒常的な実質的な支援策をとれるのかもしれない。
    では今回の福島の復興だけではなく、未来の被災地のための農業再生に役立てるものは何かないのであろうか。今回の福島の地震、原発事故による教訓、何が難しくて逆に何はできるのか、またそれに対してどういった支援が有効であったかなど今回の事象を1つの例として具体的な対策などを今まだ現実に残っているうちに考えて事実などを記載し残すことで、普段机上の空論で進んでいる議論がまた一つ深まるきっかけになるのではないだろうか。特に現実の日本ではそういった教育を受けたり、それについて考えたりする機会は設けられるがそれはどちらかというと理想論であったり、想像の中での話し合いにすぎず、実際に起こった時にどこに障害があるのか、何が難しいのかなどが議論だけではなかなか分かり切らない場合も多い。こうした機会に起こったこと、したことベースで事実をまとめると言ったことも、大きく見れば今後の農業再生の一助になるのではないだろうか。

  57. 「飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」を読んで、私が被災地の農業再生に関してできることを考えてみました。
    資料によると、溝口先生は飯舘村に何年も通い詰め、除染による農地再生に尽力なさいました。結果、表土の削り取りの後、汚染土の上に綺麗な土を被せる「までい工法」を考案し、実際それは効果があることが示されました。また、次世代の担い手を作るためにICT農業の導入を提案、そのための通信環境の整備の方法の提案、打診や、農地再生と地域復興のための特産品開発にも取り組まれました。最初は村役場の方々とは通じ合えませんでしたが、村に足を運び関係性を築く中で、協力し合うようになりました。
    以上の内容を読み「現場主義」の大切さについて学び、同時に研究者がその知識を有用に使うことの難しさもわかりました。この障壁を和らげることができれば、私も農業再生に寄与することができるのではないかという風に思いました。研究者が農家の信用を得るための方法として、研究者が実際に成果をあげ、その結果多くの人々に支持されていることを農家が知れば良いのではないかと考えました。現在、研究者はよほど大きな実績を上げなければその成果を人々が知ることはない状況であるため、以上のようなことは難しいです。それを解決するために、SNSを使って研究者たちの情報を発信すれば、若者を中心に支持を得ることができるのではないかと思いました。具体的には動画アップメディアを利用します。実際の私たちの身の回りの生活はどういった研究や知識が生かされて成り立っているものなのか、ということについて気になっている人々は意外にも多い(実際そういったことの解説をするメディアが一定の支持を得ている)ため、実際の研究者の研究成果を絡めつつこれを解説するチャンネルを開設します。そしてその研究者に興味を持った視聴者がでてきたところで、その研究者について解説する動画をアップします。このステップを踏むことで研究者が人々からの信頼を得れば、農家も研究者に対しての信用が芽生えるはずです。実際に現地に赴かなければ見えない問題などもあるため、研究者が現地で調査する必要性は依然として存在しますが、その研究結果に基づく対策案を考案したものの結局農家は採用しない、などという事態のリスクは低減できると思います。

  58. 私は2019年10月20日の「農業再生とICT技術/農村再生と若手教育.ふくしま再生の会第19回活動報告会@東京大学農学部」を読んだ。
    2018年から2019年に飯館村における農業再生と風評被害腐食のための教育研究プログラムが開催された。これは学生の体験とその後の意識変化の評価と、農業再生のための研究プログラムからなる。東大の学生以外にも高校生が参加したり、「土の教育」と呼ばれるものを小学生程度の小さな子供が受ける機会も与えられていたりしている。このように、私たちでもできそうな被災地の農業再生は正しい知識を能動的に受信し、時に体験を通してまた別の人にその知識を伝えていくことだろう。福島の原発事故からもう12年が経とうとしちる。今の小学生たちは何も知らないし、特に被災地域の住民でなければ過去の大震災(に伴う事故)としか認識していないだろう。しかし、私のように大学生くらいの年齢以上であればからすればまだまだつい最近のことであり、記憶に新しい。したがって、福島の農産物をいまだに忌避する人も一定数いるだろう。多くの大人たちは福島の現状(どのくらい放射線が残っていて農業にどのくらいの影響を与えるのか、どのくらい放射性物質を摂取しても大丈夫なのか)を知らないと考える。実際、私も福島の農産物の不買はしていなかったが、本当に食べても大丈夫なのだろうかという思いを多少は持っていた。しかしこの講義を通してその考えを改めた。従って、福島の農産物の実態について正しい知識を得ることが大事だと考える。得方はさまざまであるが、実際に福島に行って農業や放射性物質の測定など体験をして見ることが一番説得力を与え、手っ取り早い方法だと思う。特に若者は柔軟な思考力を持っていることが多いため、誤った知識を持っていたとしても考えを改めることができるだろう(決して中高年以上の大人に知識を与えても無駄というわけではない)。また福島に対する誤った情報に惑わされ、騙されないようにすることも農業再生の一つであると考える。講義内で先生の言葉が切り取られて新聞に出たように現在の社会は様々な情報に溢れ、発信者側の都合の良いように印象操作されちることもある。いくら正しい知識を身につけても間違った情報を鵜呑みにしては意味がない。どちらが正しいのか吟味して判断していくことが大事である。
    正しい知識を持って福島の農産物を購入することでも復興の一歩になると考える。

  59. 私は百姓が自分たちで除染し、農地を再生できるような技術づくりが必要だと思いました。そのためには正直な話今の自分にできることは何一つないです。強いて言えば今真面目に勉強して技術の発展に役に立つことぐらいですかね。いきなり農学、化学からやるのは時期尚早で、最低限の数学、物理を身につけてそのうえで分野を横断してこそ、この世界で思いつかれなかったようなことをはじめて思いつくことができるのではないかと思っております。仮に今応急処置的な除染や復興の手段を思いついたとしてもどこかの時代で同じようなケースがより広域で起きた場合に本当に対処できるかと言われると疑問が残ると思います。という理由もあり、現時点ではなにもできないというのが正直な感想になります。

  60. 私は、2021 年 10 月 1 日の福島から始まる復興農学の記事を読みました。そこで、私自身 ができそうな被災地の農業再生については、まず現地に行くことから始まると思いました。 実際、私は被災地の農業の状況をこの目で見たわけではなく、記事を読んでから現地に行か ないことには農業再生をはじめようもないことに気がつきました。また、記事にも書いてあ る通りに篤農家の方々と対話をすることが農業再生への一歩になると思いました。まとめ ると、私自身ができそうな被災地の農業再生は、実際に現場に足を運んで、篤農家の方々と 対話を持ち、問題点を実際に目にすることだと思いました。それだけでは農業再生にはなら ないのですが、それが一番有効な第一歩になると思いました。

  61. 2011年の原発事故後、福島県では被災地の復興に向けた除染が進められています。これは、土壌、建物、インフラから放射性物質を除去し、農地として再耕作を行うものである。被災地における農業の復興は大きな課題ですが、地域の農業の復興を支援するために多くの取り組みが行われています。

    福島県の農業の復興には、個人が重要な役割を担ってきました。農家を支援し、地域の農業を振興することに重点を置いた多くの取り組みが行われています。例えば、地域農業協同組合の設立、農産物の地域市場の開発、地域農業をベースとした観光事業の確立などです。これらの取り組みは、農家に新たな市場や支援ネットワークを提供することで、地域農業の再生に効果を発揮しています。

    福島県で個人が農業の復興を支援する最も効果的な方法の一つは、地域の農業協同組合に参加することです。これらの協同組合は、農家が震災から立ち直るための資源や支援にアクセスすることを可能にします。また、農家にとって貴重な情報源となり、農産物を販売するためのプラットフォームにもなります。地域農業協同組合の設立を通じて、個人が地域農業の復興を支援し、地域社会の活性化に貢献することができるのです。

    また、福島県の農業の復興を支えるもう一つの方法として、地域の農業をベースにした観光の取り組みに参加することが挙げられます。これは、地域の農業の振興と観光客の誘致を目的とした取り組みです。このような取り組みに参加することで、地域農業の振興と地域農業の経済復興を支援することができます。さらに、これらの取り組みは、地域の農業とその重要性について個人が学ぶ貴重な機会を提供することができます。

    また、地元の農産物を購入することで、福島県の農業の復興を支援することができます。地元の農業を支援することで、地域の農業を中心とした経済を活性化し、農業の復興に貢献することができます。また、地元で生産された農産物は、より持続可能で環境に配慮した方法で栽培されているため、輸入品よりも高品質であることが多いのです。

    福島県の農業の復興は、地域の農業教育プログラムの確立によっても支えられています。これらのプログラムは、地域の農業について個人を教育し、農業従事者にトレーニングとサポートを提供することに重点を置いています。これらのプログラムを通じて、地域の農業とその重要性について学ぶことができ、地域の農業の復興に貢献することができます。

    福島県の農業の復興を支援するもう一つの方法は、地域農業の取り組みにボランティアとして参加することです。地域農業の復興に取り組む団体は数多くあり、ボランティアを必要としている場合も少なくありません。ボランティアに参加することで、自分の時間や専門知識を地域農業の復興に役立てることができ、また、地域農業や地域社会における重要性についてより深く知ることができます。

    福島県における農業の復興は、2011年の原発事故後、大きな課題となっています。しかし、地域農業の復興を支援するさまざまな取り組みが行われており、その中で個人が重要な役割を果たすことができます。地域農業協同組合への参画、地域農業観光の支援、地元産農産物の購入、地域農業教育プログラムへの参加、地域農業ボランティアなど、個人が地域農業の復興に貢献し、地域社会の再生を支援することができるのです。

  62. 「帰村率2割の村を復興へ 農委会と東大のサークルが連携」を読んだ。「村民には頑張っている若者の姿を見て、自分たちも頑張ろうと奮起してほしい」という思いもあっての連携であったようである。私は一年生の間、この東大むら塾のサークルで何回か活動させていただいたが、現地での活動は都会で暮らす我々学生にとって新鮮で楽しいものであると共に、実際に農法に触れたり、農業計画を立てたりすることができる機会になっていたと思う。また私は参加しなかったが、千葉の富津市と協力した「むらコン」のプロジェクトはまさに地域復興について深く自分で考えて学ぶきっかけになっていると思う。学生側の学びになりながら、村のメリットに貢献することができるのならこのような取り組みは拡散していくべきだと思う。各大学の農学部の実習なども村と協賛することで座学で学んだことを実地に還元することで、自分たちが被災地の農業再生に貢献できるのではないかと思った。

  63. 私は、「震災から10年:ワクワクする村づくりのための村学連携」というインタビュー記事を選択して読んだ。その中で、ある意味無責任でもいいから、モノを言ったり、アイディアを出すことを考えて欲しいという杉岡村長の言葉が、まさに自分ができる被災地の農業再生につながる行動だと考える。その前後で話していた杉岡村長の言葉の通り、被災地を配慮するあまり、深く被災地について学んでからではないと自身の考えや意見を発信しにくいと思っていたが、震災により受けた被災地の被害や、状況などの情報を風化させずに後の世代へと伝えていくためには、被災地に住んでいない自分のような人間が積極的にアイディアや意見を発信していくことが必要だと感じた。その内容が多少非現実的であったり、的外れなものであったとしても、情報の発信という行動自体が、震災についての記憶があまりない世代の人々の震災への興味を掻き立て、被災地への関心を持ってもらうきっかけとなり、結果的に被災地の農業再生につながるのだと考える。

  64. 「飯館村に通いつづけて約8年―土壌物理学者による地域復興と農業再生」の記事を読んだ。溝口教授も何度も現地に足を運ばれている通り、現地に赴いて調査するという姿勢はとても重要だと思った。
    それは正しい知識を得るだけでなく、地域の人との信頼関係を築くためにも重要である。
    授業でもおっしゃっていたが、メディアを通して得る情報と、実際に起こっていることは、食い違う時もある。
    そしてその乖離が誤った知識に基づいた世論を生み、間違った政策を作り出すかもしれない。それを防ぐためにも、私たち一人一人がメディアの情報を批判的に捉えることがまず大切だと思った。
    まだ研究者の1人になれるかどうかもわからないが、このように実際に足を運んで調査を重ねる姿勢は忘れないようにしたいと思う。

  65.  セシウムは年々土壌に固定され稲に吸収されにくくなるという内容を読んでみた。近年土壌の放射性セシウムの濃度はわずかしか下がっていないにもかかわらず、稲に蓄積された濃度は80%以上下がったという内容を読み、いろいろ考えてみた。私は以前チェルノブイリの事故の後ヒマワリを使って土壌の放射性セシウムを吸収することが成功したが、福島では同じことができなかったとの内容をどこかで読んだことがある。その時に植物を使った放射性汚染の浄化はすごいと感じ、その現象の仕組みの解明に注目すれば福島でも利用できるようになり、汚染の問題を解決できるのではないかと思ったが、今もう一度考えてみればその考え方自体に問題があったかもしれない。ヒマワリがセシウムの吸収をするのはそもそもそういう機能を持っているだけで、福島で吸収できないことは、セシウムが吸収されにくい状態にあることを意味している。そう考えると、他の植物も同じく吸収できないなら、わざと土壌からセシウムを取り除く必要もないと考えた。汚染の浄化というと、汚染物質を完全に除くことだとつい思ってしまうが、それが現場にとって本当に意味があるかということを考えるのも重要だと気付いた。事故が起こったのは事実で、土壌に放射性セシウムが蓄積されているのも事実である。しかし、それでセシウムをなくして事故の前のように戻せたいというのも本当のすべきことではないと思う。放射性セシウムの影響を調べながら、それが存在していることを十分知ったうえで、どうやってそれと共生して農業などを再生していくかという認識で議論を進めることは必要だと考えた。全く同じような話ではないが、コロナウィルスのこともあり、無理矢理に悪いとされるものを完全になくすことよりもそれとともに生きていける方法を考えるのがもっと現実的で一番やるべきことだと最近は思っている。
     福島産の農作物の価格は平均以下だというのも、人々がまだ放射性物質のことを怖がっているからかもしれない。放射性物質があるとしても、それによる影響は農作物の摂取より得られないことを知っていれば怖がらないようになると思う。私自身ができることだとすると、他の人にもこの観念の変化を知ってもらうことがあると思う。たとえば、友達とスーパーで食材を買うときに、福島産の食材があれば、それを避けないで、そして避けない理由をきちんと伝える。もしそのメッセージが確実に伝われば、今度はその友達がまたそれを他の人に伝えることになるかもしれない。放射性セシウムに対する恐怖よりも、実際にどのような形でいかに私たちの生活と関わっているかということを知るのが大切で、みんながそれを知っていれば農業再生もうまくいくだろう。

  66. 大前提として、被災地の農業再生には、若い力が必要である。全国的に高齢化が進み若い農家が減っている中で、原発事故の被害に遭い未だ帰村率15%でほとんどが高齢者という農村・飯舘村に若者が来る可能性というのは、ランダムに言えばほとんどないだろう。しかしかつての時代を創りつなげてきたという土地愛を持った高齢者だけでの復興は、先細りで体力も将来性もない。あくまで、次の時代を創り継承していく気のある若者がいなければならない。
     私は11月に行われた福島のフィールドスタディーツアーに参加させていただいた経験から福島に対する印象が変化し、原発事故の現実、復興までの長い道のり、それでも奮闘してきた溝口教授やふくしま再生の会の方々の思いと努力を知って、感銘を受けた。私も復興に何か携わりたいと思った。
     ただ、私がそう思ったところで所詮ひとりである。農業再生にはとても足りない。飯舘村や浜通りを訪れた際にこの土地は原発の事故によって全てを根こそぎ奪われたことを実感し、そこにあったはずの人々の生活を思いやりきれない気持ちにはなったが、別の見方をすれば、まっさらで人のいない広大な土地が生まれたことで大規模に新しい何かを始めやすくなったのではないかと思った。ふくしまイノベーションコースト構想のロボットテストフィールドがいい例である。農地という点では福島を去って避難先に馴染み帰ってこない人もおり、新規就農でもまとまった広い土地で始めやすいのではないかと思った。ビジネス的ベネフィットを強調すれば若い人が来てくれる可能性がある。さらに福島に来て、凄惨な震災・事故の結果と復興と現状をちゃんと知れば、多くの人が力になりたいと思ってくれるに違いない。この人たちが復興の次の一歩を一緒に踏み出す力になることが期待できる。また、純粋に力になりたいと思うところから福島に来てもいい。2022年末に文京区役所の小さなスペースで、震災伝承館のごく一部を持ってきた展示を行なっていた。私が伝承館で受けた衝撃とは比にならないものの、このような企画から今まで知らなかった福島を知り、復興に興味を持ってくれる人もいるだろう。そこで「福島で農業、いいかもしれない」と数十万人にひとりくらいは実際に始めるかもしれない。
    「真の復興は与えられるものではなく自ら動き出すことなのではないか」(2020.2.16) 真の復興、飯舘村民に学ぶ(下野新聞日曜論壇2)での溝口教授の言葉である。私もそう思う。私自身が農業再生に携わるのもいい。だけど、再生に携わりたい人をたくさん連れてくることができたらもっといいに違いない。自ら動き出すためのきっかけ作り、それが本当に私自身にできることかはわからないけれども、できたらいいなと、ぜひやってみたいと、思っていることをここに記しておく。

  67. 「飯館村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生」の記事を読み、また授業を得て思ったことは、コミュニケーションの重要性だ。例え、学者や研究者が最新の研究に基づいたある意味「正しい」提案をしたとしても、実際にそれが受け入れられなければ、それは全く役に立たない。溝口先生のように現地に足を運び、現場の同意を集めることでまでい工法が受け入れられたように、研究の先には常に人が実際に存在していることを意識しなければならないと思った。
    その上で、自分は被災地の農業復興のために何ができるのかを考えてみたが、日々の生活に追われる一介の大学生である自分が現地の人に直接支援を行うことはかなり難しい。できるとすれば被災地産のものをできるだけたくさん購入したり、自分の周りの風評被害を取り除いたりするくらいだろうか。ただ、何をやるにせよ今回のような授業を受けることで被災地についての知識を得ることはとても大切なことだと思う。今の小学生は震災が起こった時に生まれていなかったことを思うと、直接被災地と関係がなくても、震災を経験したということそのものがこれから大切になってくるかもしれない。最も重要でかつ自分にできることは震災や被災地についての知識をしっかりと身につけ、それを伝えていくことだと思う。

お薦めの記事

  1. 下野新聞日曜論壇
  2. 飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス2019.5)
  3. 私の土壌物理履歴書(土壌物理学会誌)
  4. 農業農村開発の技術を考える(ARDEC 第60号, March 2019)
  5. 自分の農地を自身で除染したい百姓魂
  6. 復興の農業土木学で飯舘村に日本型農業の可能性を見出す
参考: 同じような内容の講義を聞いた他クラスの学生の感想
関連ページ:


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Update by mizo (2023.2.1)