福島復興知冬ツアー(2024)(11月30-12月1日)
Fukushima Recovery Knowledge Tour (Winter) (November 30-December 1)

引率教員

田野井先生、松尾先生、溝口先生
  1. 福島復興知学・フィールド学習のしおり/Fukushima Reconstruction Knowledge Study and Field Study Booklet
  2. 農業体験(ブドウ畑の管理作業/Vineyard management work里山再生/Satoyama regeneration
  3. 見学直後の感想フォーム/Impressions form immediately after the visit
  4. ツール(写真共有ツール/photoshare福島復GO/Fukushima_FuGGO game!
  5. 共有写真/shared photo

問11:伝承館で一番印象に残ったことを5分以内で一言書いてください。

  1. 事故の前、原発の安全性を教育するなど、原発の安全神話が地域にも浸透していたことを初めて知った。 事故直後の度重なる住民の避難の大変さを伝える展示があり、原発事故がどれほどの人に大きな影響を与えたのかを実感した。 復興の展示では、福島の農産物の安全性と同時に、低い価格で取引されてきたことも学ぶ事ができた。福島の食材を購入するなどにより、福島を応援しようという気になった。
  2. 第一原発の警備員の方が、事故当時の現場の状況を振り返り、東電の人がすごく頑張っていたと評価していたことが印象に残っています。最初は原発も、地元に雇用を生み出す効果のあるものだと広められていたことからも、現場にいる人は東電の人であれ地元の人であり、それが関東の本部とつながったりして立場がわかれるという点も考えると、現場の個人から見た話と大きな組織から見た話とどちらもまた真実で、私たちは情報源が偏ったりせずに、知っていかなければいけないなと思いました。
  3. 震災からしばらく後に取られた写真で、子供を亡くしてしまった母親を撮ったものだったのですが、隣のコメントに子を亡くした母親の時間はずっと止まったままだ、という内容が書いてあり、とても心が痛みました。
  4. 原子力発電所の事故や津波に地震の概要や理由だけではなく、それぞれをさまざまな関係者の目線から語ったビデオがあったり、さまざまな関係者が実際に来て語り部として自身の経験を話すイベントがあったりと、小中高生が東日本大震災の被害の実態を知るための場所として非常に適していると思いました。
  5. 被災者の私物や、インタビューなど、実際の様子を詳しく知ることができた。特に初めに見たビデオの内容が心に残っている。原状復帰には非常に長い時間がかかり、元通りに戻すことを目標ともできない現実がある。避難指示の日時、範囲、人数、原子炉の状況などのデータに基づくファクトと、映像や現物展示による実際の様子の組み合わせで、悲惨な状況がまじまじと伝わってきた。
  6. 原発事故の概要については、過去に調べたことがあったが、現地や住民からの視点で事故を見ることができたのが新鮮であった。特に、小学生が原発の見学後に書いたという作文は印象的であり、原発事故の影を一切見せない明るい未来の姿が書かれており、それゆえに事故の衝撃は現地の人にとって一層大きな衝撃だったであろうと感じた。
  7. 住民の避難について。住民が何度も避難を余儀なくされ、当時の不安な気持ちを想像すると胸が痛くなった。移動中に座ったまま亡くなった方や、椅子から転げ落ちていた方もいたようで衝撃的だった。また、原発事故以前は原発を礼賛する教育が行われていたことが印象的で、当時のイデオロギーを感じた。

問12:廃炉資料館で一番印象に残ったことを5分以内で一言書いてください。

  1. とても反省色が強い内容であったという事が驚きだった。 事故の詳細を知る事ができ、電源喪失を想定していないことなど、事前の対策によっては最悪の事態を避けられたかもしれないとは思った。 ただ、56号機の冷却を継続でき、さらなる事態の悪化を避けられたという事実にも目を向けるべきだと感じたし、当時現場で対応された方の責任感はすごいものだとも感じた。
  2. 資料館でというよりその後のフィードバックを聞いてからですが、やはり東電の方々目線で反省色を強めながらも事故のことを正確に伝えなければという思いを感じましたが、廃炉資料館はあくまでそれに興味がある人が行くことに対応する場所で、またやはり原発をやってるのは世界で東電だけでは無いので、この事実を他にも広めて、良くないなら利益がどうとか言わず止めるということには、これだけでは難しいんだなと思いました。
  3. 授業で、alps処理水について学びましたが、実際にパネルを見てより詳しく知ることができて大変勉強になりました。当時、どのような流れで事故が起きて、どのように対策しようとしたのかも学べて興味深かったです。
  4. 感想会でも話にあげられていたことだが、やはり反省色が強い施設であるが、営業妨害にならないように東電以外の施設の現状や問題、東日本大震災のような災害に見舞われたときの予測や対応策などが少ない点が気になった。原発事故の収束に向けた方策などを展示するだけでなく、今後原発を再稼働する時に新たにどのような対策を取ってるかについてより詳しく説明して欲しいと思う。
  5. 割と一般向けの内容で、もっと技術者や研究者向けの展示や解説も増えるといいなと思った。
  6. 暗いトーンで謝罪を述べつつ、起きたことをしっかり説明し、誠実に対応していこうとしていることが伝わってきた。前代未聞の大きさの津波であったとはいえ、それに対応しきれなかったのは人的ミスであるという風に言い切っていた。電力会社である以上、新潟の原子力発電所も再稼働を目指しており、これから原子力発電を減らしていくというような発言はできないのだろうというところに葛藤も感じた。原子力発電所で働いていた人も福島で被災しており、爆発が続く中、中心部の制御室に残って対応を続けた幹部たちの責任感には感服した。
  7. 事故やその後の対応について詳細な説明がされており、わかりやすかった。廃炉に向けた活動は確かに進んでいるが、多くの困難を伴っており、事故後10年以上が経過した今でも、廃炉作業があまり進展していない。廃炉は復興の進展とは違った様を見せており、そのコントラストは驚きであった。
  8. 全体を通じて、東電の反省の姿勢が印象的だった。

問21:宿泊施設についての感想を書いてください。

  1. 最近オープンしたということで、本当に綺麗で感動した。大浴場も満足だった。 夜は星が綺麗だった。
  2. みなで集まるにも十分なスペースがあり、部屋も綺麗で設備が充実していてとても良かったです。また泊まりに行きたいので農業しに飯舘に来たいと思いました。特に全体が木でできているところがとても暖かい雰囲気で気に入りました。
  3. 想像していた以上に綺麗で、使いやすく大満足でした。
  4. お風呂が熱くてちょうどよかった。
  5. とてもきれいで快適な宿だった。
  6. 非常にきれいで、550円という値段に驚いた。東京なら1泊3万円してもおかしくない。
  7. 非常に清潔にされており、好印象だった。周りの明かりも少なく、夜は雲も少なかったため、普段は見られない星空を眺めることができた幸福感も味わえた。
  8. 美しい木でできていて本当に気持ちが良かった。自炊、農業体験というコンセプトが良い。深夜に満点の星空を眺めたことが非常に思い出に残っている。

問22:農作業体験で一番印象に残ったことを5分以内で一言書いてください。

  1. 今回はたくさんの人数で作業できた事で、スピーディーにかつ安全に作業できたが、小規模な農家が1人でやるのは難しいように感じた。 農業に触れてこなかったぶん、この農業体験はとても新鮮だった。
  2. 電気柵の設置を通して、農作業は一人でやるのは厳しいなということを感じました。固定する人と調節する人とやはりいないと作業がなかなか進まないので、村に人が少ないということはこういった点でも解決していく必要があるんだなと思いました。また単純に皆でわいわい作業するのは楽しかったです。
  3. サル対策の柵を作るのがあれだけ人がいてもかなり大変で、高齢の農家さんが1人で作るとしたらどれだけ時間と手間がかかるんだろうと考えたら気が遠くなりました。
  4. できるだけローコストでハイテク農業を行おうための様々な試みを見ることができて非常にためになった。特に牛肥などを放置しておいてメタンを取り出し、CO2に変えてグリーンハウスに注入することで光合成の効率を上げて収量を増そうという試みと、水田の水やりを自動化するに当たって問題点となるのが水の注入ではなく水の排出であるという点(お風呂の栓抜きのように抜いた水を暗渠に流し入れる方式を用いている)が気になった。この栓抜きを自動化することが難しい理由は聞きそびれてしまったが、おそらく栓に何かが巻き込まれてしまった際に人の手がないと取り除けないからではないだろうか。注入箇所と同じように水田を囲っている塀(?)の一部分だけ穴が開くようにしてそこを自動化すれば詰まることはないような気がするが、おそらく水が抜け切らないため以降は乾燥に任せることになってしまい、乾燥が遅い場合根などが腐ってしまうことが考えられるためそのようになっていないのではないか、と思う。しかしもしそうなら四国などの乾燥期間が長い土地では上記の方法で自動化することが可能であるような気もした。
  5. 電気柵の線を初めて手に取って見て、導線と普通の紐が一緒に撚られていることを初めて知った。柵の線同士をつなげるときに「よく巻き付ける」と説明書に書いていたが、はんだ付けしたいなという気持ちになった。
  6. 農業は体力勝負で、かつ経験も重要なのだということを理解した。私は内部のポールたてを手伝ったが、非常に骨の折れる作業だった。立てるのにもコツがあり、大学生3人でやってもびくともしなかったポールが、NPOの方がやるとすぐに深く刺さった。畑の周りには空き家が多く、オーナーさんも高齢だった。農業が主要産業であった飯舘村では、特にマンパワーが不足しているのだということを体感した。
  7. 今回は複数人で電気柵の設置をしたが、それでもかなりの時間がかかり、途中に困難もあったため、さらに少数で行うとなればどうなってしまうだろうかと思った。今回はほとんど初めての農作業体験だったので、農業の一端に触れることができ、わずかながらもその大変さを理解することができる良い機会になったと感じている。
  8. 農業のことならなんでも知っている高齢の方(お名前を忘れましたすみません)に指導していただいたこと。昔はこのような頼りになる方が各地の農村にいて、コミュニティや秩序が守られていたんだろうなと感じた。

問23:図図倉庫で一番印象に残ったことを5分以内で一言書いてください。

  1. 全村避難が行われた飯舘村で、かつての小学校のものを活用しながらクリエイティブな場所が設けられ、様々な文化や農業の復興の拠点となっていることに感銘を受けた。
  2. 土のどこに放射線が多く含まれているかというところを最初の方に見ましたが、それが印象に残りました。表層5cmというのは集約されたデータで実際はよく考えてみれば雨で染み込んだり動物が活動したりということはあったのに、全ての場所がそうであるかのように思ってしまっていました。そうでないと言うことはやはり、発表されているデータがどのようにして取られたのか、解析されたのかという点を批判的に見ていく必要があると感じました。
  3. 飯館村の歴史をずっと遡ったところからアートにしているのが印象的でした。
  4. 研究者だけでなく一般の人間にも興味を持ってもらいやすいようにアートと融合した展示方法をとっている点が印象に残った。また、ワークスペースを用意したりイベントを用意することで地域に密接した関係を構築している点も興味深かった。
  5. 3度目の訪問だが、完成した常設展を初めて見た。研究者だけではあのような見せ方にはならないと思うので、モノの見せ方の参考になった。
  6. 飯舘村から世界を学ぶというコンセプトが素敵だと思った。村の人と一緒に改造し、いろんなものを作り過程を共有していくという取り組みについても、復興で元の村ではなく新しい村の形を目指すという方針に合っているように感じた。一方で、誰のための展示物なのかという視点が不足しているようにも感じた。村の中の人のためのものなら、何も説明書きがない今のスタイルでも成立するのかもしれないが、村の外の人が来た時にはもう少しコンセプトとそれぞれの作品の意味が分かるような一言が欲しい。〇〇美術館、または博物館という名前にしてしまった方が、何をするところで何を伝えようとしているのかということがわかるのではないか。
  7. 復興の一環としてのプロジェクトということだったが、事故前の形を取り戻すのではなく、未来での在り方を模索した復興が象徴的に現れている場所であったのが印象的であった。被災した飯舘村独自の価値を捉え、コミュニティを巻き込みながら倉庫を構想していく過程は、社会一般にとっても模範となりうる姿であり、参考にしたいと思った。
  8. おしゃれな空間で、放射線について世界の始まりから学んだこと。

問24:までい館についての感想を書いてください。

  1. 活気に溢れていて、福島の産品の魅力がよくわかった。放射線量の測定機械もあった。クリスマスツリーや夜のイルミネーションなど、おしゃれな雰囲気が気に入った。
  2. クリスマスとイルミネーションでよかったです!日曜日は多くの人が集っていて、雰囲気も良かったです。凍天が食べられて満足です。
  3. 福島のお土産が買えてとても楽しかったです。
  4. 凍天が美味しかった。
  5. イルミネーションがきれいだった。野菜を買いたかったが、帰りの地下鉄のことを考えてやめておいた。
  6. 建物がとてもきれいで、村の野菜や加工品がたくさん置いてあり、車もたくさん出入りしていて住民たちの重要な拠点となっていることが分かった。道の駅として、どこかに行く通過点としても寄りやすい場所だと思った。
  7. 地元の様々な農産物やその加工品が並んでおり、想像以上に農業が再開していたのだとわかった。今後さらに復興が進み、より広い地域に作物が出荷されるようになると、飯舘村はより活気ある土地となると考えるので、ぜひ頑張ってほしい。
  8. 地産地消を推進していることが伝わった。イートインを利用していた人が割といて、地元の人々に愛されているのだと感じた。

問25:バスの移動時に考えたことを書いてください。

  1. 放棄された田圃を、人口が減ったからこそできる大規模な活用法を考えてみたいと思った。
  2. 地域に行くことはひとつ移動というハードルがありますが、二瓶さんのお話を聞いていて常磐道を作るのは大変だったことを知ったこともあり、途中までの地盤の弱さ等も考えなければならないからこのあたりが技術開発の余地があるんだなと思いました。
  3. 伝承館の残された人たちの写真やコメントについて、自分があの立場だったらどうだったかなと考えたら絶望的な気持ちになってしまいました。
  4. 今年駒場祭前に紅葉狩りに行った時まだ十分に紅葉していなかったため紅葉欲が解消しきれていなかったのだが、バスに乗っている最中に紅葉を見ることができたので解消できた
  5. バス移動は苦手なので、早くついてほしいと思っていた。ただ、以前1週間滞在した大熊町を通過するときは、おおちゃんくうちゃんも見かけて親近感を感じていた。
  6. 避難後に住民やテナントが戻らず、廃墟が立ち並ぶエリアでは、2011年から時間が止まっているような寂寥感があった。海水に漬かったのであろうさびた車や、傾いた電柱もそのままであった。また、病院やスーパー、コンビニをほとんど見なかったのも印象的である。高齢化が進んでいるのに、車でかなり行かないと生活ができないというのは困る。
  7. バスから降りて見学した場所は綺麗に整備された場所であったが、道中は整備が進んでいない場所、事故後の姿を留めているであろう場所が散見され、復興の道はまだ長いと感じた。その全てを整備するには、莫大な時間と資金が必要になると思うが、今後人口が減少していくこの国において、その土地に意義や価値を見出せる形で復興を進めることが求められていると考えた。
  8. 一見普通の田園風景に見えても、人がいなかったり建物が放置されていたりと事故の影響が未だ残っており恐ろしさを感じた。

問26:その他、ツアーに参加して考えたことを自由に書いてください。

  1. ほぼ初めて今回福島に訪れたが、これほど濃い2日間になるとは思っていなかった。 まず1日目には2つの資料館を訪れ、震災と原発事故について多角的に学ぶ事ができ、数多くの発見があった。夜は他の参加者の皆さんや先生方と意見を交換することができた。 2日目は、農業を中心とした飯舘村の復興を生で体感し、復興の希望と限界(キノコの原木を長野県から運んでいて完全な里山が実現できていないなど)を実感できた。
  2. いつも(といってもそんなに多くは無いですが)飯舘に行くのとは違う観点から、飯舘含め福島の地域を回れて貴重な経験になりました。放射線に関する自分の知識が、ふたつの資料館とたくさんの計測装置を見た事を通して深まったと同時に、こういったデータが莫大な数の計測の蓄積によって得られたことを感じて、研究の凄さを感じ、自分ももっと勉強したいという気持ちになりました。佐須で体験した時、放射線汚染から元に戻すという以上に、スマート農業を取り入れるなど様々な進展をしていたことを見て、これが飯舘村長の仰っていた、復興の興すという部分の体現なのかなと思いました。今日得た知識、人々の思いを踏まえ、宗夫さんにはやらなきゃ意味ないよと言われたこともあるので、思ったことをどんどん実行していきたいです。
  3. 以前よく旅行に行っていた福島も震災後は一度も行っていなかったのですが、廃墟が多かったり更地になってしまったり、震災と原発事故の影響がひしひしと伝わってきたので、実際に自分の目で見て良かったと感じました。
  4. 原発事故の実態や被害だけでなく、そこからどう復興してきたかについて現地の人間の意見を聞くことができてためになった。特に村長さんの「東京しかり、一度壊滅した地域では新しい試みや他のところではなかなかできないことができるためチャンスがある」という言葉を聞き、震災に見舞われてもそれを引きずるだけではなく新たな挑戦への原動力としようとする意気込みは震災だけでなく実生活において活用することができると思いました
  5. ツアーを通して、地域活性化に取り組む中心人物の方々に会えたのが最も大きな学びであった。飯舘村に来ている背景はさまざまであったが、共通していたのは、外から学ぼうという姿勢と、飯舘村への情熱である。世界でも前例がない、津波と原発事故の被災地として、飯舘村の中だけで完結させるのではなく、外に向けてもアプローチしていく必要がある。村長の話からも、飯舘村の外からも新しいものをもってきて、新しい村の形を作っていくことを考えていた。村長も、福島再生の会も、飯舘発電の方々も、アカデミアの方と話しているような落ち着きと教養の深さを感じた。自分から外のことをよく学んで取り入れ、新しいものを作りたいという意識が強いのだと思った。また、どの方からも自分の取り組みに誇りとやりがいを感じ、飯舘村に住み、活動することが生きがいといえるほど情熱をもっていることが伝わってきた。東京で毎日満員電車にもまれ、研究でも就活でもたくさん優秀な人と会っていると、社会における自分の価値や貢献度が分からなくなってくる。自分がパイオニアになり、情熱をもって何かに取り組める楽しさというものは、東京で過ごしていても見つからない飯舘にしかない魅力なのではないかと思った。
  6. 今まで触れることのなかった多くの事物に触れ、新たな視点を獲得することができたと思う。将来福島に関わることがあるかはわからないが、一般に通用する価値観なども多くあったので、参考にしていきたい
  7. 東日本大震災から10年以上経過し、社会や私自身の中でも原発事故の記憶は薄れていたが、福島ではその影響が根強く残っていることを実感した。特に資料館に行き、都市部が原発やゴミ処理などのあまり引き受けたいとは思わない社会の側面を地方に押し付けていることを強く感じた。唯一絶対の解決策はないと思うが、これからも原発事故に関心を持ち、足を運び、活動に参加したいと思う。


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Update by mizo (2024.12.9)