(2023.12.25) 受講者84名以上(レポート提出者72名)
酒は全てを救う。冗談ではなく、酒は地域への入り口を開いてくれる魔法の水である。被災地の復興には地域住民とのタッグが不可欠であり、まず第一歩、心を開いてコミュニケーションを取るためには、酒の力は偉大である。先生を見て強くそう思った。
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内容は飛び抜けて大衆の目を引くようなものではなかった…にもかかわらず農学部の今まで受けた講義の中で一番楽しく講義を受けられたと僕は感じています。それは先生が面白く語ってくださったからだと思います。そして溝口先生の現場主義が現れの一つだと思っています。
何度も聞いた、放射線の理解を深める上で必要不可欠な基礎知識(半減期や土壌との関係など)をあらためて話すことでより多くの生徒が理解できるように工夫された上で、先生の抑揚の効いた話ぶりと共に現実的、実用的、現場的な話を多く聞けたと思います。とても楽しい授業でした。硬さよりも先生のありのままの熱意や生徒の理解を促進するような工夫を大切にされているのではと感じました。周囲の友達からも今回の講義はかなり好評だったので是非今回のような講義を続けてほしいし、他の先生方もどこかこの講義に寄った形で授業をしてくれたら、とすら感じました。
福島原発事故後の土壌汚染とその対応を、基礎研究のデータ、行政が決定した方針、現地での実際の対応という3つの側面から眺めると農業再生における研究者のポジションと役割が調査実験とその結果の公表のみに留まらないことが実感できました。農学に研究者として携わる上で現場に赴くことが欠かせない第一歩であり、科学的事実を重視するだけでなく農業従事者、当事者の立場や気持ちに寄り添った視点を常に持つことが大切だと強く認識しました。
科学的な調査による農地の復興だけでなく、被災した地域の人が希望を持って舞向きに生活できるということが真の復興だという点はこれからも考えていきたいと考えました。
をつけることもあります。(成績とは無関係です)
私は、「ウイズ生成AIの時代を生きる」の記事を選び、読みました。記事の中での質問の「データ駆動型社会の実現に必要な ICT や解析技術は何ですか? 特に,農業農村地域に限定して教 えてください。」と「上記に関連して農業農村地域で整備すべきインフラは何ですか?」をchatGPT-3.5にそのまま投げかけてみたところ、前者では、IoTの項目がセンサーテクノロジーと農業IoTという少し詳しくなった2つの項目にわかれて、AIと機械学習の項目はビッグデータ解析に組み込まれ、さらにブロックチェーン技術という項目が追加されている、そして後者では、サイバーせキュリティの必要性が示されているという変化がみられた。また、項目の中身についても記事のものより具体的になっていると感じた。記事のものはchatGPT-4を使っており、私が使用したのはchatGPT-3.5であったため、要素の具体化や追加がハルシネーションである可能性を否定はできないが、そうでないとしたchatGPTは向上していると言えるだろう。 被災地の農業再生については、まず現地に行って実際にどのようなことが問題なのかを知る必要があると私は考える。これについては講義を聞いて感じたことでもあるが、chatGPTから情報を集めてもわからないものを体験として得ることが大事だと考えているからだ。生成AIを使うのはこの過程のあとであり、自分が見つけた課題の解決の手助けだとみなすべきだと思う。長所は膨大な知識から違った観点からの意見がもらえる可能性があることだ。例えば、自分が見つけた課題の解決法に対しての意見を求める相手の一人としてchatGPTに聞いてみれば、思いがけない改善点が見つかるかもしれない。chatGPTに判断を任せるべきと考えないのは、それに対して無責任であり、また実際の状況に合っていない提案である可能性があるためである。また、実用的な部分では少なくともプログラミングの分野ではかなり使えると感じているため、その分野での補助も期待できる。
私は「ウイズ生成AI の時代を生きる」を読んだ。授業中でもChatGPTを使用している人が散見される今日この頃、しっかりと生成AIとの付き合い方を考える重要性を感じた。これに伴い、レポート作成でも何かと問題となる生成AIだが、さっそく今回の課題を丸ごとChatGPTに聞いてみることにした。 質問:「あなた自身ができそうな被災地の農業再生について」考えを述べよ。 回答:私は情報を取得するためにトレーニングされたモデルであり、物理的な行動ができる存在ではありませんが、被災地の農業再生に関するいくつかの一般的なアイデアを提供できます。被災地の農業再生には、持続可能な方法で地域経済を復興し、地域住民の生計を支援することが不可欠です。 1. 土壌復旧と保護: 被災地の農地はしばしば土壌の劣化や汚染が起こりがちです。土壌の復旧と保護に焦点を当て、持続可能な農業を促進するために、土壌改良技術や持続可能な農業プラクティスを導入することが重要です。 2. 技術導入: 先進的な農業技術の導入は、生産性向上と労働力削減に寄与します。センサー技術、ドローン、自動化装置などを活用して、生産プロセスを最適化し、効率を向上させることができます。 3. 地域資源の活用: 地域の天候、土地、水資源などの特性を考慮して、最適な農業プラクティスを選択します。地域の特性に合わせた適切な作物や畜産の導入が、持続可能な生産を促進します。 4. トレーニングとサポート: 地元の農民やコミュニティメンバーに、最新の農業技術や持続可能な農業手法に関するトレーニングを提供することが重要です。また、農業者が必要なサポートや資金を受けられるような仕組みを整備します。 5. 市場アクセスの確保: 農産物の市場アクセスを確保することが、農業再生の重要な一環です。地元の生産物を地域や国内外の市場に供給するためのインフラや販売ネットワークを構築し、農産物の付加価値向上を促進します。 6. 持続可能な経済の構築: 農業再生だけでなく、地域全体の経済の復興が必要です。地域産業や観光、地域の特産品の育成など、多角的なアプローチが求められます。 これらのアイデアは、被災地の農業再生において考慮すべき重要な要素です。地域の特性やニーズに応じて、これらのアイデアをカスタマイズし、継続的なサポートと協力を通じて、地域コミュニティの復興を支援することが重要です。 回答を読み、私の主観的な感想だが、なんとも言えないような気分になった。もちろん、回答内容は模範的で「土壌復旧と保護」や「持続可能な経済の構築」など重要な観点もしばしば含まれている。しかし、どことなく説得力に欠け、なぜこのようなことが被災地の農業再生に必要なのか、実感できない。どうしてGPTの回答に対してこのような感想を抱くのを考えてみたところ、これは本講義であった「現場から課題を自ら発見し、解決する」というプロセスを踏んでいないソースからの助言だからなのではないかと思った。ただ大量のテクストデータ内の頻出事項を取り上げて羅列しているのはすぐにわかってしまう。 実際、多くの大学生、特に東大生はこのような「ChatGPT状態」に陥ってしまう危機があるのではないか。
講義や本、インターネットというテクストデータから得た知識のみを頼りに問題解決をしようとするがために、言うことは模範的だが説得力がなく、現実味が薄くなる。いわば机上の空論だ。私は自分がこのようになるのに対してとても抵抗感を感じた。このような人間にはなりたくない。 やはり、課題解決全般、特に今回の場合の復興農学は人間との関わりに要がある。「農業のことは農民に聞け」という言葉を大事にされている先生のお話は、人々との関わりと実体験に基づいており、非常に説得力があるものとして受け取られた。これらから自分の目で見る、自分の足を現地に運ぶ、人と人との関わりを大事にしつつ専門性を発揮する、という復興農学のプリンシパルが生成AI時代により人間の価値を浮き彫りにさせる点として重要性を増してくると強く感じた。また、土地と人間との関わりを大事にする農学を学ぶことの意義を感じた。3.11に海外におり、地震の揺れや当時の日本の様子を体験してもいない、そして被災地にも行ったことがない私だが、まずはその場所を自分で見ることの重要性を認識した。大きなアクションではないが、この春休み、大学生としての特権である長期休暇を利用して足を運んでみるのはいい一歩なのではないかと思った。 最後に、記事にあった「農業農村工学の知識体系は知恵の宝庫ともいえる。」という言葉に納得していたところ、その後の「本学会が著作権を所有するハンドブックや用語集などの過去の資産をすべてデジタル化してインターネットに公開し,AI に強化学習させることから始めるがよいだろう。」という一文に驚かされた。今まで、生成AIが学習の敵のように扱われている場面に遭遇することが圧倒的に多かったからである。生成AIを我々にとってより有用なものにしていこうという考え方が「ウィズ生成AI」時代に必要だということを忘れずにいたい。
私は「原発事故後の農業と地域社会の再生」を読み、私にできる被災地の農業再生について考えた。農業再生の課題の中でも特に、記事で挙げられていた若者の不足に注目することにした。なぜならこの問題は被災地に限らず地方や農業全体の課題であるため、農業・林業に関心を持つ人間ならば向き合う必要があると感じたからである。 私にできる最も現実的で取り組みやすい方法は、東京大学農学部のプログラムの一つ「ワン・アース・ガーディアンズ(OEGs)」でこの課題を議題として取り上げて関心を持つ人を増やし、それぞれ違う専門を持とうとしている学生で協力してアクションを起こすことである。このプログラムでは学生が関心を持った課題について自発的に勉強会などを企画できるので、特に同年代の議論仲間を集めることができる上に、自分の行動や事務局との相談次第では有識者や当事者を招くことができる。また、同じ農学部でも様々な専修の学生や先生によって構成されている組織なので、多様な意見を得やすいとともに、学生すなわち課題の対象年代となる若者(都市にしか住んだことがない人や地方出身など、生きた環境も様々)の意見を集められる点でも良いと思われる。OEGsでの話し合いをもとに案を練って実践し、学外の人々に情報発信するところまで持っていくことができれば、大学での学びを高めることと得た利益を社会に還元することを達成できて大学側にも被災地にもwin-winだと思った。その際の情報発信では、「小難しい言葉を使わない」など、先生が講義で注意されていた点について気をつけたい。実は普段から自分の説明がたまに複雑で、聞いている人に伝わりにくい表現や構成になっており、なるべく整理して簡単な表現を心がけるべきだと考えていた。だから、自身の、わかりやすい表現を使おうと気をつけている性格?習慣?を活かせる可能性がある点でこの方法が最初に思いついた。さらに、既にOEGsでは東北地方で畜産業や農業を行っている企業でインターンのような体験をさせてもらい、得た気づきを報告して少なくともOEGs内で共有する取り組みなどを行っているので、現実で取り組みやすいと考えた。 しかし、発信された情報を享受するばかりでは若者の心を動かせない可能性がある。何があると良いのか考えたときに思い出したのは、大学一年生のときに同じクラスの人々に地元(熊本)で採れた塩トマトを配ってそのおいしさを感じて熊本の良さを知ってもらったことである。あのとき、クラスメイトたちが塩トマトの美味しさを褒めてくれたことや、勧めた食べ方(何もつけずに丸齧りしてみる)を実践して良い体験になったと後日伝えてくれたことがとても嬉しかったことを覚えている。農業の作業は自然を相手にするため、苦労することもあるが、最終的に美味しい野菜が得られることは魅力的だと思われる。また、高度な文明を築いてはいるものの、人間も他の生物と同じ生き物で、本来生きるのに必要なのはお金ではなく食べ物であることを思い起こすと、自分で食糧を生産できるということは必須の力だと最近特に思うようになった。大学やニュースなどで様々な社会問題・環境問題に触れていると、正直、それらの解決方法について考えることに疲れてしまう瞬間があって、もしかしたら同じような気持ちを抱いている若者が他にもいるかもしれない。また、漠然と将来の自分の仕事と趣味や家庭との両立やQoLの向上ができるか不安に感じている若者もいると思われる。私はそういう人たちに「農業やろうぜ!」と誘いたいという気持ちがある。せっかく大学を卒業したからには高度な専門職や高い収入を得られる職業につきたい気持ちもあるものの、基本に立ち返って自然豊かな土地でその地域の人々と協力して農業に取り組めば、先に挙げた不安などは減るのではないかと考えている。定時は無く、コミュニティに参加できて、都会よりはのびのびと子育てもできると思われるからである。ただ、やはり文明が発展した人間には食べ物以外にもお金が必要なので、もっと農家が稼げるような社会が無いと、美味しい農作物だけでは農業に従事する心が定まらないだろうから、政府による何らかの支援が必要である。しかしその域に来ると自分にできる現実的な方法はなさそうなので、ここまでが今の私の限界だと思う。
元都知事の石原慎太郎さんが、津波の被害を受けた東北のがれきを東京都に受け入れる決断をしたとき、マスコミは約3000件の苦情について取り上げ、詰め寄った。しかし実際は受け入れの詳細を知らないで届けられた苦情も多かった。さらにそのことを知らずに記者たちは知事に質疑を行っていた。この時、石原知事が「放射性物質が出ているがれきを持ってくるわけではない。それを知らない苦情に対しては、黙れと言えばいいんだ。力のある自治体が協力することで助け合うべきだ。」と記者会見で答えていた。小学生であったが彼の姿は印象的で、今振り返れば情報の扱いが行動をいい意味でも悪い意味でも左右するんだと、改めて感じた。正確な情報を伝えること、情報を集めて整理すること、正しいことを正しく判断すること、どれも大事で欠かせない。 原発事故の被害を受けた地域での農業再生において、風評被害をなくすことは とても大事だ。農業はもちろん商売なので、売れないと持続しない。ただでさえ他地域、他国との競争でブランド力や価格などの強みが求められる中、汚染というイメージのデメリットはあまりにも大きすぎる。ではどうすれば風評被害は無くなるのか。完全に0にできなくても0に近づけるためにはどうすればよいのか。 私は、この状況を変えられるのはマスメディアであると考える。報道、記事など含めマスメディアは、多くの人に情報を知ってもらう媒体であるからこそ、その伝え方で大衆や世論に影響を与えている。もちろん情報は、自分が現地に赴く、実際に行動をとる、という行為から得られるものが最も正確に近い。しかしそれを実行できるのは一部しかおらず、良し悪し関係なくこの現状が変わることはないだろう。その上で、現地へ行けない人へも情報を伝えることができることは、理解を支えるという点でマスメディアの強みである。だが実際に講義であったように、話を省略したり書き方を変えることで、本来インタビュワーが伝えたかったこととは異なる印象を与える記事もできてしまう。ただ、省略や書き方は、読者の読みやすいものにしたいという理念との二面性を持つので、必ずしも悪いこととは言えない。どう取捨選択するかも、どう読み取るかも主観であることは理解する必要がある。その上で、農業再生のためにマスメディアは被害地域の農業を後押しする方針をとるべきだと考える。当然虚偽のない範囲で、多少の主観ありきでマイナス面を小さく、プラス面を大きく取り上げて欲しい、ということだ。隠蔽はしないことを条件とし、マイナス面があっても書く順序や取り上げ方で記事の方向性をもっていくことは、ある意味彼らのお得意作業であろう。公平性に欠ける考えであることは承知の上だが、被っている被害の原因が農業者にはないことと、負の影響の大きさを考慮して、ある程度妥協していただきたい。むしろ、東北の農業を擁護しすぎではないか、と思われるくらいでよい。記者が農業を応援していると読者が想像することは、彼らを応援するきっかけにもなる。批判されたとしても、それが議論を生み出せば農業再生について人々が考える機会となる。単に、もっと正確な情報を知る、伝える、などの案は机上の空論に過ぎず、結局は目の前に飛び込んできたニュースに流されてしまうのが現実だ。ならばいっそのこと書き手が少々意図的に応援することが農業再生に現実的に近づくと考える。報道する側にメリットがあるとは確かに言い切れない。正直慈善であり、シンプルに復興の応援でしかない。だが、世界がもっと冷たい視線を日本に向ける中、応援できるのは国民だけであり、自分たちで自身の誇りを取り戻さなければならない。 具体的にどのような情報を伝えるか。もちろん新着のニュースにもよるが、最も関心があるのは安全性であろう。検査やその基準、実際の農作物の検査結果などが挙げられる。数値や差分などの意味の理解には、ある程度の知識が必要だ。そこで基準値よりも低いことが証明されました、や実際このような有名人なども食べています、などわかりやすくかつプラス思考が伝わる情報がよい。 ここで触れておきたいのは、マスメディアであってSNSではないということだ。もちろん、実際に現地体験をした個人が不特定多数に情報発信をできるという点では優れているが、フェイクニュースなどが横行する現在では読み手の取捨選択が困難だ。仮に基準値を超えた農作物を超えてない、食べましたなどの誤情報が拡散した場合、発信者側はイタズラ程度であっても、不特定多数の被害者を出す可能性も極論だがありうる。SNSのモラルや不透明さが改善されれば有効であるが、現状改善されない。逆に読み手が誤解するおそれが高すぎて危険でリスクが高いといえる。多くの信頼性の高い情報を集めた上で報道を行うのがマスメディアとSNSとの違いであり、だからこそ報道や記事の前に収集する情報の量と質は大事にし続けなければならない。その点では石原氏は信頼できる情報を多く集めたからこそ正しい判断を行い、マスコミを上回っていたと視聴者にもわかりやすく伝わっ(てしまっ)たと言える。信頼できる材料が揃った上での発信が大前提であり、信頼できる情報源がなければ皆が信じないような社会形成が必要だ。 ここまでは生産者たちと消費者を繋ぐ第三者、を介する考えであったが、農業従事者やそれを後援する団体自身の発信についても触れたい。以前から福島のお米とTOKIOなどのコラボで広告を行っており、効果には定評があった。私自身もテレビや広告などでこの活動や宣伝を何度も見て、被災地で生産された農作物が必ずしも体に悪い影響をしているわけではないと、中学生ながら理解できた。この体験から有名人などを含む活動を取り上げることの効果を感じた一方、大学生となった今では番組や広告が少しエンタメ要素が多いことを考慮し、マスメディアという第三者を介すことでの客観性の向上を試みた。もちろん実際はマスメディアも主観が大きいことは先述した通りであるが、信頼性の問題である。 では、生産者たちが発信する内容はどうあるべきか。ここでは、風評被害のマイナスを埋めると考えるだけでなく、プラスを増やすことも考えたい。基準があるという不安要素を逆手に取り、安全というブランド化を目指し、発信するという考えが挙げられる。安全な農作物という考え自体が、原発事故があって初めて生まれるものであり、その地での作物で日本一、世界一を目指すことには大きな意味がある。また、復興が伝わりやすく、このドラマ性は発信と相性が良い。裏付ける信頼性のある根拠としては正確、精密な検査の実行で、これは数値として示せる。安心や安全は、今までにない農作物の新しい価値基準で、正直おいしさや値段と違い消費者が直接的に得をしたと感じるようなものではない。ドラマ性で感情に訴えることも背景として利用せざるをえない。だが、被害を受けた地域だからこそブランドとして成立するのであり、強みとできる地域は限られていることに意味がある。今まで受けた放射線環境化学の授業の中では、植物のセシウムの取り込みについてや森林との関係、海洋での動きなども扱った。農業に留まらないかもしれないが、こうした放射線と作物の関係をより明らかにしていくことで、品種改良などを経て安全すぎるほどの作物の開発も夢ではないと考えられる。普通の農業ができなくなるなど農業従事者には申し訳ないが、やはり事故と向き合いながらでないと再生は難しい。素直に逆手にと簡単にいうのも納得してもらえるかはわからない。しかし少なくともそのような話題性がないと注目されないし、それがきっかけでも良いのでまずは買ってもらえる農作物を目指していく必要があると考える。
(2019.4.26)飯舘村に通いつづけて約8年-土壌物理学者による地域復興と農業再生(コロンブス2019.5)を読んで、僕のできそうな農業再生を考えました。 まず飯舘村の商品を買うことが挙げられます。ふるさと納税は、学生の身であっても両親など控除を受けられる人にお願いするもしくは自身でそれなりに稼いでいる場合自分自身で活用することができて特に現実的であると考えています。というのはこの場合はふるさと納税というそもそも利用して損のない普及した制度を通じるため、わざわざ感が生まれにくいからです。数ある地方自治体の中から選ぶ際に返礼品の内容に加えて飯舘村への農業再生などへの想いも選択の一助にしてもらえれば容易に行うことができるはずです。 そうでなく飯舘村が原産の商品を購買活動の一環として購入することも可能です。特にネットなどを通じての購入であれば地理的、時間的制約をあまり受けずに購入することができ、他にも配送先や日時を指定することで他人への贈り物とすることもできます。しかしこの場合は1から購入を行うためわざわざ感が生まれやすいです。実際、僕は義務である納税や普及してきているふるさと納税と抱き合わせで達成される前者はぜひ行いたいと感じている一方で後者は思いついたし行うべきだと思っていますが実際に気乗りして行いそうかと言われると自信を持ってYesとは言えません。 ここでそもそものこれらの農業再生へのプラス面について考えます。まず1つは購入による直接的な経済効果です。商品を買えばそのお金のいくらかは農業再生に使うことができます。次に、僕が特に重要だと感じていることですが、家族や周りの人などに飯舘村という認識、感覚を持たせられることです。普通に授業やネット記事などで情報を得ても「へぇそんな村が、状況があるんだ」で流されてしまうような話も、僕という身近な立場の人から商品を共有され更にはその口から簡単でも飯舘村の話及びこの文章全体で書くように自分でできる行動もあることを聞けば、ぐっと話はその人にとって自分と無関係ではないものに感じて貰えるはずです。ネットで見るより拙くても、僕の感情がこもるのでそこには聞き手の感情も揺さぶる力が絶対にあると思います。さらに溝口先生の講義を受けた(東京大学の学生である)僕が行うこの行動は「研究者が世間に正しい知識や情報を伝えること」につながる部分もあります。溝口先生ほど規模が大きくないにしても僕ができる規模での情報伝達はこのような形で存在します。 副次的な効果として、人は人気な商品を購入したがる傾向があるため、購入等により飯舘村の商品やふるさと納税のランキングが上がればより飯舘村への経済効果が大きくなる可能性もあります。 ここまで長々と述べましたが、特に授業中にもお話があった純米酒「不死鳥の如く」は早速友達と飲んでみたいと思っています。 そして僕のできる別の行動として、家族や周りの人に講義内容を中心とした飯舘村の話をシンプルにまとめてあげて伝えることも挙げられます。これは上記の行動から商品をなくし情報だけを伝えるというものです。僕の母は安さ美味しさだけでなく背景などいろいろな観点から見た上で多様な産地の農作物をネットで購入するのも好きなので特に上手く影響を与えられるのではないかと思っています。これは商品という付属物が伴わないためわざわざ感はあるにしても僕の身ひとつで実行可能で実現しやすいです。実際、家族には年末の帰省の食事中に言えそうな雰囲気を選んだ上で「そういえば」で切り出して簡単に伝えることができました。結果は、ふるさと納税はやっていなかったがこれを機に検討してみるとのことで、早い段階で上手くいったと思います。例え行動がすぐに変わらなくても、情報を伝えられればその人の認識を変えることができ、それは必ずどこかで農業再生のための何かを生んでくれると僕は確信しています(異論が出てきそうですが認めざるを得ませんね)。 そして最後に、もう少し発展した僕のできる農業再生として、簡易化したもののパンフレットの作成が挙げられます。内容は放射線環境学で学んだ正しい放射線の知識や飯舘村、特に農業との関係の中から勘違いが多いもの、改善することでイメージ払拭や経済効果が特に期待できるもの、放射線に関して基本となるものを想定しています。使用先としはふるさと納税の返礼品、飯舘村原産の商品に同封することをメインで考えています(管轄規模としてふるさと納税が大きそうなのでとりあえずそちらへの使用を期待)。僕は一連の放射線環境学を通して自分には勘違い、知らないことがたくさんあるのにイメージで捉えていることが多かったと気づくことができました。これは程度の差こそあれど他の人も同じはず。そんな中「知ってもらう」を手伝う形の一つとして、この形を考えました。曖昧な情報は許されないので当然溝口先生など専門家を含むいろいろな人と内容の検討を重ねることが必要です。そして「簡易化した」の部分は特に重点を置きたいと思っています。それは、僕自身受動的に得る情報に対し少しでも難しさや面倒臭さ、わかりにくさを感じるとすぐ理解の回路が閉ざされてしまい理解しようという試みを放棄しただ流し読みして終わってしまう部分があり、これも他の人に共通する部分があると考えるからです。簡単すぎるならそれでもいいから、まずは小さなことから理解してもらい興味を持ってもらいたいというのが僕の思いです。
自分自身ができそうな被災地の農業再生について、私は民間企業としての協力という観点で様々な支援・協力が可能だと感じた。私は将来ITエンジニアやそれに関連する事業に携わるつもりなので、農学部で学んだ知見を活かし被災地の農業再生に関連する企業や団体に対してICT・IoTの導入を手助けすることができると考えた。具体的にどのような取り組みが可能かを以下に挙げる。 1. モデリングシミュレーションによる土壌改善方法や作物、田植え時期などの評価 地震・津波・放射性物質汚染などの災害を受けた被災地での農業の再開には時間がかかるが、その課題の一つとして土壌汚染が挙げられる。これに対し様々な土壌改善の取り組みの条件を入力し、シミュレーションすることで様々な方法を評価することができ、その土地の特徴や被害状況にあった改善方法を提供することができる。また別のシミュレーションとして土壌や気候、状況に見合った作物を勧めたり、最適な田植え時期など様々な参考情報を農業に携わる方々に提供できると考えられる。 2. 機械学習を用いた農業計画や異常検知システムなどの導入 機械学習アルゴリズムを利用して現在・過去・未来の農業環境から、長中短期的な農業計画を提供できる。1.で触れたシミュレーションも活用すればより多岐にわたる可能性を考えることができ、より詳細な提案や柔軟な計画が可能となる。 また水源や発電機など農業に使用する機器の情報を受け取り、異常検知ができるシステムを導入することで農作業関連の作業負担を軽減することがでる。また人による確認では見逃してしまうようなわかりにくい異常も検知でき、さらには人の確認よりも短いスパンで検出ができるために大きな被害を回避することが可能である。 3. 市場需要予測モデルや、地域レベルでの作業計画などを立てて 実際に農業が可能になり、地域の収益につながることが見込めるようになった段階では、より収益を伸ばすために市場の需要を予測するモデルを導入することができ、結果的には被災以前よりも効率化され高収益化された農業が可能になるかもしれない。さらに農作物の輸送・流通などに関しても、シミュレーションや機械学習を用いることでより効果的な選択をすることができるだろうと考えられる。また地域レベルでの作業計画を立てるなどして、地域全体での分業や協力を推進することでますます地域全体が被災後の状況から回復することができる。 以上に挙げたほかにも地域のITインフラ自体を整えたり、そもそも災害の被害を抑えるための対策を練ったりと企業の業種によっては様々な取り組みが可能である。 これらの取り組みは必ずしも国が地域レベルで行えるものではなく、我々民間企業や民間団体がその地域ごとに最適な活動をすることで効果的な農業再生をすることができるという点で、非常に重要な取り組みであると考える。 またこれらの取り組みが中途半端に頓挫することのないよう、被災地・国・民間企業の3者が協力して計画、契約しビジネスモデルを考えるなどすることが必要である。ビジネスモデルについてはいくつか考えられ、A.サービス提供料を被災地から得る。B.国による補助金や助成金を企業の報酬に充てる。C.生産者による農業収益の報酬分配のようなものが挙げられる。しかし例えばAは被災したばかりの地域では負担となる可能性があるなど、状況に合わせて適切な契約を結ぶことが重要である。 以上から、私個人レベルで被災地の農業再生に協力できることは思いの外多岐にわたり、民間企業として直接被災地の農業を支えることは、必ずしも誰にもできることではなく、意義のある取り組みであると感じた。
自分自身でできそうな被災地の農業再生について 自分自身にできそうな被災地の農業再生について、現在の自分ができそうなことと、将来の自分ができそうなことを分けて考えてみる。 ○現在の自分ができそうなこと 現在の自分は、専門的な知識に乏しく、また金銭的には裕福とは言えない。そのため、一般的な社会人が可能な農業再生には関わることができない。しかし逆に言えば、一般的な社会人ができない農業再生に関わることはできる。以下、それをまとめる。 @農業再生の現状や、放射線への正確な知見を深め、それを発信する。 幸いにも、我々大学生は望めば農業再生の実態にそれなりの近さまで接近することができる。まずはその機会をいかし、あるいはその時間がない者は大学が集積する膨大な知見を元に、農業再生の現状を正確に把握すると良い。また、これは誤情報が拡散されがちな放射線関連への知見も然りである。さらに、幸いなことに我々は東大生である。内部から見ると東大生もただの大学生であることが多いが、ありがたいことに世間からは一定の評価を得ており、我々の発言はただ東大生であるという理由だけで信頼を勝ち取りやすい。この信頼を使用しない手はなく、大学のブランド名を用いて正確な知見を広めていくことは、社会的な力の弱い大学生でもできることではないだろうか。 A知見の深め方は、基礎と応用の横断を必ず行う。 @とも関連するが、東大生が東大というだけで信頼される所以は、その発信の正確性や社会への貢献あってのものである。我々がこのブランドを用い、発信していくにはそれ相応の謙虚な学習姿勢が求められる。大学では好きなように授業が組める分、得てして基礎が抜け落ちている、応用が効かないといった人材を生み出す可能性がある。まずは自らが日々の学習において偏りすぎず、謙虚に学ぶ姿勢というものが、結局のところ今の我々に求められることなのかもしれない。 B被災地と直接関わる機会を定期的に設ける。 被災地と直接定期的に関わる、なんなら一定期間居住する体験はあっても良いだろう。誰しも地元や、以前住んだことのある地域になんとなく親近感を覚えるものだが、これを被災地で感じることは将来に渡って有意義ではないだろうか。そもそも都会で生まれ育った学生は、未だ土に触れたことがない者も多い。実際に土に触れ、農家が日々どのように土と向き合っているのかを知ることが重要である。 以上、現在の我々でもできることを列挙してみた。次に、我々が卒業後、将来でどのようなことができるかを考えてみる。これは現在一般的な社会人である人にも当てはまることと言えよう。 @金銭的余裕を活かした支援を行う。 社会人になると、金銭的に余裕が生まれる人は多くなる。そうなった際は、逆に時間の投下が難しいことがあるため、金銭の支援を行うと良い。寄付をはじめ、被災地付近への観光でもその支援は可能である。しかしやはりそれでは農業再生へと直接は繋がらないことも多い。金銭的な支援では、その使い道を相当程度考えないと、農業再生への直接関与はできない。しかし、その程度の関わりが生まれるほどに復興したとするならば、順調に復興が進んでいる証拠でもあると思うので、無理に規制する必要なく、むしろこういった人が増える状況を作り出すことも必要であろう。 A海外への情報発信を行い、日本人以外による農業再生を促す。 これは学生でもできるだろうが、海外出張等が多いだろう本学学生は、その出張先や赴任先で被災地の現状を伝えると共に、我が国への親近感を抱かせ、日本人以外が日本への移住、特に被災地への移住を検討するように導くよう意識することはあっても良いのではないかと思う。こういった観点に立てば、被災地におけるキャラクターの登用や、被災地を舞台にした漫画やアニメの製作を促すことも良いのではないかと思う。ソフトパワーこそ、今後も我が国が繁栄し続けるために伸ばすべき力だろう。 他にもさまざま思いつくが、結局のところまとめると、 学生は勉学を謙虚に修め、神格化されがちな大学ブランドを活かす。 社会人は、それぞれの立場で最大限可能なことを行う。 である。結局一人ができることは限られており、どう足掻こうが集団の力が必要なのだから、それぞれがそれぞれの求められていることを最大限努力することが求められる訳である。
「原発事故後の農業と地域社会の再生」を読んで、復興とは自ら動き出すこと。そして世代を超えて祖父母の生き方から学ぶことであるという内容がとても大事なことだと思った。これには直近の問題として、その地域に人が住まなければ意味がない。 一年次に初年度ゼミナールで福島第一原発の視察に行ったのだが、そこでは主に原発の事故がどのようであったか、その後どのような対策をしてきて今の状況はこのようであり、課題はこうであるという、淡々とした印象を受けた。実際その日に見たのは原発の処理作業のために働く人ばかりで、実際に復興して街づくりが進んでいる様子は見ることができなかった。正直僕もそういう世界があるんだなという感想を持ったくらいであり、自分の住んでいる東京などの都会と結び付けることが難しかった。第9トピックの最初に、「過去を知らずに村に来た若者は現状をありのまま見て、今より良い未来を志向しているように見える」という文もあるが、ポジティブな情報を持つことでその場所に居たいと思える人が増えるという内容に納得した。 僕ができそうな被災地の農業再生は、実際に福島の農地に赴き現場を知ること、そして風評の改善をしていくことであると考える。 まず前者について、授業内でも強調されていたFPBL(Field and Project-Based Learning)が根拠である。マスコミでは汚染水や事故の概要など、インパクトの強く恐怖心を煽るような情報提供が多いと感じる。しかし世界をリードするレベルの食品安全管理をはじめとして、事故後実際に学んだり現地に行ったりすることで知っていた情報とギャップがあった。放射線が比較的多く残る地域で、どのように暮らすことができるかを模索することが自分のできる大きな一歩であると考えた。 後者について、放射線環境学の今までの授業で福島県産の野菜は事故の後大きく市場価格を下げたことを学んだ。これは福島県産の野菜の収穫ができなかった時に別の産地のものに置き換わった後そのまま戻れないこともあるが、消費者や仕入れる人が福島県産の作物に良い印象を持っていないことも大きく関与しており、結果的に業務用野菜として安く取引されることが多くなっている。自分が学び、実際に知った安全性を周りの人やネット上の多くの人にアピールしていくことで、徐々に風評が改善し購買数が増え、最終的に農業再生につながると考えられる。
はじめに授業を通じて印象に残ったこととして、農業や農民など、現場が重要だという農学のあり方がある。「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉は以前から知っていたが、農学部に進学予定の自分も、実際に農家を訪れたことはなく、周りの同級生も農家出身の人はほとんどいない。このような中で農学を学び、果たして自分が農業に貢献できるかどうか、改めて問い直す機会となった。 記事の中で私は「原発事故後の農業と地域社会の再生」を読んだ。中でも最後に書かれた「農村と都市を結ぶ」ことは、都市化が進む現代社会では常に重要であるが、被災地については都市生活者の持つイメージと実態の乖離が大きい分、さらに重要性が増すのではないかと感じた。一口に被災地の農業再生といっても、近年まで除染という負のイメージがついていた被災地が、復興農学のような、新たな農業形態を生み出すというポジティブな再生のフェーズに入っていることを多くの都市生活者は知らない。その点で、農業に関わらない人にとっても、再生のあり方が変化していることを知ることが重要であり、自分自身ができそうな農業再生は、そのような被災地に対するイメージの改善から始まると考える。この授業とは直結しないが、授業で新たに知ったことを親に話すことがよくある。その度に親は感心したり、興味を持って私の話を聞いてくれたりするので、このような些細な情報発信の効果もあるのではないかと感じている。 土壌の除染問題や放射線物質の減少など、科学的事象を理解することとは別に、飯館村をはじめとする被災地の地域の実情を発信し、できる限り早く「被災地」のレッテルを外すことが必要だと思う。放射線環境学の授業を通じ、被災地の農業における大きな問題は、被曝や放射線自体ではなく、農家や消費者が持つ印象の方にシフトしつつあると感じてきている。今回の復興農学の話にあったように、除染をしたり、被災地を元の状態に戻したりするフェーズは終了し、新たな農業形態のあり方を追求する段階に入っている。その点で被災地とそれ以外の農地間における差は減少してきた。一方で最も問題なのは、被災を機に離れてしまった農家自身が戻ってこないことや、風評被害など消費者側が持つ印象など、農地ではなく農業に関わる人間自体ではないかと考える。そのため、被災地の現状と魅力を自分自身が知り、少しでも多くの人に伝える努力をしなければならない。記事にあったように「ポジティブ」な情報が地域愛着に有効であることを踏まえると、被災地のポジティブな現状及び、農業再生のあり方の変化という二つを軸に情報を探し、発信することが重要だと考えた。 都会出身の私にとって、現地の農家の目線に立つことは現地点で難しい。しかし農学部生である以上、農業に長けた人として役に立ちたいという思いがある。被災地ではないが、幸いにも農村地域を訪ねる機会があるので、まずは農業の視点から被災地を捉えることができるように目指したい。また福島をはじめとする被災地にあまり行ったことがないので、実際に現地に赴き、都会生活者と農村を結ぶことができるような視点を獲得したいと思う。
「原発事故後の農業と地域社会の再生」を読んだ。 現代の若者の中で農業というものに対してあまりにも疎かったのは私だけだろうか。私が農業ということばをきいても、昔なら、米や野菜を作る手段…といったように、自分が食べる農産物そのもののことしか頭に浮かばなかった。農業というものは基本的に人が動かしている、農業というものには人が関わっているという意識が全くなかった。 (以下、アルバイトの内容に関わる部分だけ非公開とさせてください) 以前、、、私はこの経験から、自分に全く無縁だと思っていた農業や漁業にも、それを仕事にして生きている人がおり、私がのうのうと都会で生きているよりも必死に、ぜいぜいと強い想いを持って生きているのだと実感した。農業や漁業の従事者と初めて言葉を交わした経験であった。 (非公開部分はここまででお願いいたします) 記事にあった通り若者の力は復興と農業の再生に間違いなく必要である。正確に言えば、復興と農業の再生に必要な技術や労力を集積する必要がある。若者のほうが提供確率が高いだろう。 疎い若者の関心を向け力を注がせるのに最も有効な方法はそれこそ「現場を見る」ことだろう。被災地に赴き現状を目の当たりにし、人が関わっていること、人が心血を注ぎ農業を糧に生きていることを実感すべきである。現場主義は私も日々から大事にしている行動原理であり、講義をききながら強く共感していた。 そしてそれを周囲に強く発信することも求められる。現場主義の大切さを理解している人は少なく、していても自発的にこの問題に興味を持つ若者は少ないだろう(私もその1人)。世はインターネットを使って簡単に情報を手にできる社会であるが、ただ情報を手に入れ詰めこむだけの情報のフォアグラになってはいけない。自身の興味をもとに情報を自分で掴みにいき、それを発信することが本レポートに限らず重要なことであると考えている。 私は前述の経験も合わせて今回の講義をきいてこの話題に大きな関心を持った。機会があれば一度飯舘村に足を運ぶか、zoomなどで現地に住む人の息づかいに触れてみたい。
『飯舘村に通い続けて8年土壌物理学者による地域復興と農業再生』の記事を読みました。授業中でも紹介された「までい工法」はとても科学的に発案され、その後に植物に与える影響まで検証がなされていたのに国も事業者も取り合わなかったのはとても意外だった。確かに今まで大規模に土地を削って運んで対処していたものが、ただ掘って埋めるだけで良くなるのに不安を感じるのは理解できるが、授業でも見た科学的なプロセスを交えての説明がなされても納得できないものだろうか。そう思って読み進めるうちに、農家からの質問内容を見て除染メソッドを変えられない理由に納得した。農家からの質問は、「素手で汚染された土壌に触れて大丈夫なのか」や「トラクターが土壌中の汚染物質を撒き散らしてしまわないか」といった実際にその方法をとる上で考えられるごく自然な疑問だった。確かにそれだったら重機で大規模に取り除く方がいろいろ心配しないで済む。自分がいかに見通しが甘いかを痛感させられた。記事にはいろいろなユニークな話があって面白かった。特に「若妻の翼」と「電波特区」の二つは興味を引いた。まず、このような田舎(悪口じゃないです)が農家に嫁いだ女性に異文化交流させるためにヨーロッパに10日旅行させるというのが、発想力もさることながら行動力にも深く感銘を受けました。電波特区も山間部で電波的に閉ざされているという特徴を逆手に取った面白い試みだと思いました。ふと田舎ならではの特徴はなんだろうかと考えた時、やはり自然しか思い浮かばない自分の想像力が恥ずかしい限りです。電波特区のような近未来的でありつつも山間部にしかないような空間が実現されたら多くの人が興味を持って訪れそうだと思いました。(自分も行きたいです)。もし自分が田舎を復興あるいは盛り上げることになった時には、電波特区のように現代のテクノロジーと田舎の融合を図った何かしらを試したいと思いました。
年が明けてからこのレポートに着手しましたので、講義では福島の農業について扱いましたが北陸の震災からの復興について考えたい。 私は大阪で育ったが、母が石川の出身で、祖母が富山に住んでいる。年に幾度か祖母が大阪の実家にお米を送ってくれますが、祖母の知り合いの珠洲市で米農家をやっている方から買っているとのことで、その方はこの度の地震で家が全壊してしまった。実際にそのような方が農業を辞めてしまう可能性を考えれば、再び農業に取り組むモチベーションを高めることは被災地の農業再生につながるだろう。 ではなぜこの度の地震によって農業を辞めてしまうのだろうか。 全壊した家屋を再建しなければいくら土地があっても、福島のように汚染されていなくとも農業はできないだろう。家屋の再建には多額の費用が必要であり、農家の方が高齢であるならばローンを組むことが難しく、仮に組めたとしても以前より暮らしが厳しくなるのは間違いないだろう。高齢でなくともやはり同じように以前より苦しい生活を強いられることになるだろう。そうなると土地を手放して農業から離れていってしまう。 その他にも地震のトラウマや精神的疲労から現在の土地から離れてしまう人もいると考えられる。 このような人たちに農業を続けてもらうのは酷なことのように思えてくる。 溝口先生の「原発事故後の農業と地域社会の再生」の中に原発事故後の農業と地域社会の再生は若者が現状を理解して、夢と希望をもって活動することで達成されるのだろう、とある。 当人たちだけの力では、復興自体に費用がかかるのでこれまで通りに働いてもこれまでのように暮らすことはできない。したがって外部から人、特に若者を呼ぶことが重要になってくるのだろう。 以上のことから、わたし自身ができそうな被災地の農業再生について考えると、私は特に影響力があるわけでもなく何かのコネクションがあるわけでもないのでわたしの力で珠洲に若い人を連れてくることは難しい。わたし自身が珠洲に赴いて農作業をする、というのも現実的ではないだろう。わたしにできることといえばせいぜい祖母伝てで祖母の知人の農家に何らかの方法で若者を呼ぶことを提案してもらうことくらいしかない。 参照した記事 http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/papers/zennorin230314.pdf
Topicsのなかから「農業農村工学の『つなぐ・つながる』を考える」を拝読させていただいた。記事内でもあるように世界は現在に至るまで互いにつながりあうことで歩みを進めてきたのであり、とりわけインターネットによる接続は急速な結びつきを形成し、協働作業により全体のパフォーマンスを飛躍させてきた。デジタルネイティブといわれる私たちの世代にとって、いまやこのインターネットの福音はごく自然なものである。「つながり」と聞いて私たちがただちに連想するもののひとつはCOVID-19の災禍であろう。そこで私たちは、インターネットによるつながりに光明を見出せたのであり、同時にオフラインの肌で感じあうつながりの何物にも代えがたい重要性も痛感したのである。しかしながら、日本国内のICTによるつながりに目を向けると、その遅れは認めざるを得ないものである。「日本の農業農村整備事業では水・農地・環境に関するインフラを整備しているが,ここに通信のインフラは含まれない。通信インフラは農林水産省でなく総務省の管轄だからである。」とあるように、そもそも体制自体にセクショナリズムが絡みついており、「つながり」とは程遠いものなのである。その中で、インターネットによる人々の大きなつながりは、このような硬直を打破しうる原動力になりうると思われる。 さて、この「つながり」の側面から被災地の農業再生に何ができるだろうか。いま2011年からの10年余りの私と被災地の関係を自問したたとき、必ずしもつながりを維持できていたとはいえなかったと反省する。その後被災地で何が起こっているのかという知識の摂取という形だけでも接続できたはずである。あるいは、現場の被災地に赴いて何かを肌で感じることも出来たはずである。このようなオンライン/オフラインによる一人一人の被災地とのつながりは、微力ながらも各々が出来ることであり、それらが接続されることで復興への大きな助けになる重要なものであると考える。より実践的なことを考えてみるならば、知識の公開も挙げたい。記事内冒頭に「自分で検索や掲示板などの双方向Webサービスを作れるからである。私は雑務を軽減させるサービスを手当たり次第に自作してインターネット上に公開した。」とあるが、このオープンソース的な考え方はICT発展の足跡を見ても不可欠なものであろうと考える。私自身農業とテクノロジーに興味があるが、今後のキャリアの中で、思考やアイデアの足跡や成果を内に閉じ込めることなく、ささやかながらも積極的に公開し、それに知らない誰かがインターネット上でつながって復興や何かの発展に少しでも寄与する…というようなことがあるのであれば、それは理想的のつながりのあり方ではないかと思う。
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